13028919 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

晴ればれとBlog

PR

全16件 (16件中 1-10件目)

1 2 >

随筆 「人間革命」光あれ

2021.01.19
XML

​〈〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 
打ち鳴らせ希望の暁鐘

澄み切った空に白雪の富士が悠然と。君よ負けるな、不屈の王者たれ、と語るが如く(2009年1月、池田先生撮影。東京・八王子市内で)


「冬は必ず春」と不屈の前進
 年頭より日本海側を中心に大雪が続いている。雪深き地域の皆様に心からお見舞いを申し上げるとともに、尊き友の無事安穏を祈り、真剣に題目を送る日々である。


 日蓮大聖人は後半生、佐渡(現・新潟県)、さらに甲斐(かい)(現・山梨県)の山で、大雪の冬を堪(た)え忍(しの)ばれ、広宣流布と令法久住(りょうほうくじゅう)の法戦を貫かれた。


 ある冬は、近隣の年配者たちに尋(たず)ねても口々に「いにしへ・これほどさむき事候はず」(御書1098ページ)と驚くほどの酷寒(こっかん)で、「一丈二丈五尺等」(同ページ)という何メートルにも及ぶ積雪であったと記されている。


 また、深い雪を物ともせず御供養を届けた門下を、「雪の中ふみ分けて御訪(おんとぶら)い候事 御志(おんこころざし)定(さだ)めて法華経十羅刹(じゅうらせつ)も知(しろ)し食(め)し候(そうろう)らん」(同1388ページ)とも讃えておられる。


 「無冠の友」をはじめ、雪にも北風にも負けず、誠実に聡明に広布と社会に尽くす同志への御照覧(ごしょうらん)と、拝されてならない。


師弟凱歌の春へ
 御本仏・大聖人は、人生の苦難(くなん)と悲嘆(ひたん)にも退(しりぞ)かない女性門下に、「法華経を信ずる人は冬のごとし」(同1253ページ)と仰せになられた。
 法華経の信心は、いわば“冬の信心”である。
 

「冬は必ず春となる」(同ページ)という生命の法則を確信し、忍耐強く試練の冬に挑み抜き、断じて「福徳と歓喜の春」を勝ち開く信仰なのだ。



 1951年(昭和26年)1月、恩師・戸田城聖先生の事業が絶体絶命の苦境にあった厳冬、日記に私は書き留めた。


 「冬来(きた)りなば、春遠(とお)からじ。極寒の冬なれど、春近(ちか)しを思えば、胸はときめく。いかなる苦難に遇(あ)っても、希望を決して捨ててはならぬ」


 ただ師匠をお守りするため、阿修羅(あしゅら)の如く戦い抜く日々であった。


 苦境を打開して、この年の5月3日、遂に、戸田先生の第二代会長就任という希望輝く「師弟凱歌の春」を迎えたのである。


 その翌月の10日、先生が晴れ晴れと「白ゆりの香りも高き集い」と詠まれ、結成されたのが、わが婦人部である。


 「ゆり」の花は、古代ローマでも、「希望」の象徴とされていたという。


 今、不安の闇(やみ)に覆(おお)われた世界にあって、何よりも明るく温かい「希望の陽光」を放っているのは、本年、結成70周年を迎える「太陽の婦人部」であると、私たちは声を大にして宣揚したい。


 全国津々浦々で、自他共に幸の価値創造の喜びを広げている「ヤング白ゆり世代」の友もまた、新時代の希望の花そのものではないか。


絶対「大丈夫!」
 御聖訓に「月月・日日につよ(強)り給へ」(御書1190ページ)と仰せなるがゆえに、若き日の私は、とりわけ毎年一月より果敢なスタートダッシュを心してきた。


 雪の北海道・夕張(ゆうばり)を初訪問したのも、1957年(昭和32年)の1月13日であった。健気な同志たちの信教の自由が侵害された“夕張炭労事件”に立ち向かい、勝利した年である。幾重にも共戦の歴史が蘇(そみがえ)る。


 今年の冬、夕張方面は例年に倍する豪雪と伺った。ご苦労が偲(しのば)ばれる。


 これまでも夕張はじめ北海道の同志は、炭鉱の事故や自然災害、また経済苦、自身や家族の病気などを、どれほど勇敢に乗り越えてきたことか。


 あの炭労事件の歴史を学び、人権蹂躙(じんけんじゅうりん)の悔(くや)しさとともに正義の勝ち鬨(どき)を命に刻んだ広布の母は、何があっても「大丈夫!」と、微笑みを湛えた一言で友を励ましてきた。


 自らも癌(がん)と闘い続けたこの母が語る「大丈夫!」とは、何とかなるという願望でもなければ、なぐさめでもない。


 「大難来りなば強盛の信心弥弥悦(いよいよよろこ)びをなすべし」(同1448ページ)との御聖訓通り、誓願の題目を唱え抜けば、解決できないことは何もないとの揺るがぬ確信なのだ。


 夕張の偉大な母たちには、使命の大地に根を張り、地下1,000メートルの坑道の底までも妙法を染み込ませる一念で、広宣流布と立正安国に命を尽くしてきた誇りがある。


 ゆえに、愛する郷土から、福運と人材の宝が無量に湧き出てこないわけがない。絶対に大丈夫!――そう言い切れる地涌のスクラムは、今、試練の時代に挑む地域社会へ、「勇気」即「希望」を限りなく広げているのだ。

自他共の幸福勝利へ 「わが発迹顕本」を

創価の春へ、不二の旅を共に――全同志の栄光を祈る日々(2007年3月、八王子市の東京牧口記念会館で)


平和誓う連帯を
 また、同年(1957年)一月には、「永遠の平和の都」たる広島を、初めて訪れた。


 関西青年部への激励と山口開拓指導を戦い切って広島入りし、当時、岡山支部に所属していた広島地区の決起大会に出席したのだ。その日は、1月26日であった。


 帰京後、山口闘争、また広島、岡山はじめ意気軒昂(いきけんこう)な中国の同志の様子をご報告すると、戸田先生は会心の笑みを浮かべて喜んでくださった。


 先生が歴史的な「原水爆禁止宣言」を発表されたのは、それから8カ月後のことだ。


 さらに、世界の平和を願い、「創価学会インタナショナル(SGI)」が発足したのは、奇しくも広島の同志との新出発から満18年後の、1月26日であった。


 本年、このSGIの記念日を前にして、来る22日には、「核兵器禁止条約」が、いよいよ発効の時を迎える。


 “核兵器による悲劇を二度と繰り返させてはならない”との広島、長崎の被爆者の方々の声が、大いなる推進力となった画期的な条約である。


 平和原点の天地・広島、長崎をはじめ、不戦を願う市民社会の連帯を一段と強め、「核兵器のない世界」へ人類の希望の一歩前進を誓い合いたい。


「最も偉大な力」
「この世で最も偉大な力」とは何か。


 奇跡と謳(うた)われる戦後の広島の復興に心を砕(くだ)き、尽力された“アメリカの良心”カズンズ博士は、私との対談で語られた。


 「生命の再生能力です。人間は肉体、精神両面において、苦痛や試練を克服し、病(やまい)を治癒(ちゆ)する本然の能力を持っている」と。


 しかし博士は、「それ以上に素晴らしいもの」があると言われた。


 すなわち、「『希望』の力」である。


 「希望こそ私の秘密兵器」――これが、博士の強さの源泉だったのだ。


 御聖訓には「妙法の大良薬(だいろうやく)を以(もっ)て一切衆生の無明の大病を治(じ)せん事疑(ことうたが)い無(な)きなり」(御書720ページ)と仰せである。


 社会が希望を失い、苦悩の闇の中に沈んでいる時こそ、仏法の智慧は輝き光る。あきらめという無明の大病を打ち払い、万人に未来への光明を赫々と示していけるのだ。


 そして、現実の病気と闘う友に、「病ある人仏になるべき」「病によりて道心(どうしん)は をこり候なり」(同1480ページ)と、永遠の次元から究極の希望を贈り、蘇生(そせい)させていくのも、日蓮仏法なのである。


いざ我らの手で
 私がアジア歴訪に出発したのは、60年前の1961年(昭和36年)1月であった。


 希望の大光を放つ「太陽の仏法」を、アジア、そして全世界の苦悩の民衆に伝えたい――そう願ってやまなかった恩師の「仏法西還(せいかん)」「東洋広布」の夢の実現を誓い、不二の弟子として、勇んで先駆けたのである。


 この旅を前に、私は福岡県の小倉(現・北九州市)で行われた九州の三総支部結成大会に出席した(1月8日)。開会前から会場に響き渡っていたのは、九州で生まれた「東洋広布の歌」である。


 我らの手で新たな広布の道を開かん!――あの日以来、九州の友がどれほど「先駆」の歴史を開いてくれたことか。


 本年「希望・勝利の年」も、“創立100周年の主役は青年!”と、いずこにも先駆けて対話の拡大に走り抜いてくれている。


 その勇気と団結の行動こそ、まさしく「世紀乱舞の人」ともいうべき地涌の躍動といってよい。

青年の心で 世紀の舞台へ先駆せよ!

池田先生の書「世紀乱舞人」。1982年夏にしたためられ、翌春、九州・鹿児島の同志に贈られた。民衆勝利へ乱舞する地涌の友の姿がほうふつと

境涯開く時は今
 来月16日は、大聖人が安房国(現・千葉県)に御聖誕されて800年(数え年)の大佳節である。


 相模国(さがみのくに)(現・神奈川県)で竜の口の法難を勝ち越え、発迹顕本(はっしゃくけんぽん)されて満750年でもある。


 法難当時(文永8年<1271年>9月12日)、大聖人は御年50歳であられた。今の壮年部の世代と重なる。


 大聖人は頸(くび)の座(ざ)に臨(のぞ)まれて、「今が最期です」と嘆(なげ)く弟子・四条金吾に対し、「これほどの悦(よろこ)びをば・わらへかし」(同914ページ)と雄々しく悠然(ゆうぜん)と励まされた。


 最も大変な時に、最大最上の境涯を開く。これが仏法の真髄(しんずい)である。


 信心に行き詰(づ)まりは断じてない。困難を前に、あきらめて、うなだれる必要などない。堂々と笑い飛ばしていけ。創価の負けじ魂を、烈々と燃え上がらせていくのだ。大信力、大行力を奮い起こして祈り戦うのだ。この人間革命にこそ、「わが発迹顕本」もある。


 人類全体の転換期の中で、創価学会は今、新たな発迹顕本の時を迎えているといってよい。


 それは決して遠くにあるのではない。一人ひとりが「私が創価学会だ」「今に見よ!」と頭を上げて不撓不屈(ふとうふくつ)の挑戦を続けゆく中に、その実相があることを忘れまい。


従藍而青を信じ
 戸田先生は、未来を切り開く若き地涌の力を信じておられた。


 ゆえに「創価の青年のたくましさを吹き込んでこそ、世界の青年層を力強く蘇(よみがえ)らせることができる」と断言されたのだ。


 「阪神・淡路大震災」から26年。


 そして「東日本大震災」から10年――。


 創価の青年たちは、艱難(かんなん)の冬将軍に幾(いく)たびも打ち勝ち、いやまして、たくましく鍛錬(たんれん)されてきた。今、コロナ禍にあっても、この不屈の心を全世界の「従藍而青(じゅうらんにしょう)」の若人が社会に広げてくれている。


 未来部の若木たちも、何と力強く、また頼もしく伸びていることか。


 地球社会の人道の大城の建設へ、希望の暁鐘(ぎょうしょう)を打ち鳴らす「青年部幹部会」の開催も目前だ。


 わが国土、わが街の青年の成長と勝利を皆で祈り、共々に青年の心で邁進(まいしん)しようではないか!


(随時、掲載いたします)







最終更新日  2021.01.19 13:31:28
コメント(0) | コメントを書く


2020.11.16

​随筆「人間革命」光あれ 池田大作
​創立の魂を永遠に


不退の「誓」を立てよ!

我らは勝った。勝利と歓喜の金字塔を打ち立てた! 同志の喜びが弾ける創立の月――東京・神宮外苑のイチョウの金色の葉が、千の手、万の手となって喝采を送っているかのよう(14日、池田先生撮影)

 今、夜明け前、東天に鮮烈(せんれる)に輝く星がある。​

「明けの明星(みょうじょう)」たる金星だ。時に月と仲良く並んで、日の出を待ち受けることもある。


 法華経の会座に、「普香天子(ふこうてんし)(明星天子)」として、「宝光(ほうこう)天子(太陽)」と「名月(みょうがつ)天子(月)」と共に眷属(けんぞく)を率(ひき)いて連なる諸天善神(しょてんぜんじん)である。


 この「三光天子」たちも、人知れず寒風を突いて、聖教新聞を配達してくださる気高き“無冠の友”の方々へ、福徳の慈光を注いでいるであろう。


 どうか、風邪などひかれませんように! 


 心からの感謝を込め、健康長寿と絶対無事故、そして、ご一家の安穏と栄光を、皆で祈りたい。


逆境に光を増す
 希望は人生の宝なり。 勇気は勝利の力なり。


 この「希望」と「勇気」を、逆境であればあるほど、いよいよ強く明るく賢(かしこ)く発揮していく方途を教えてくださったのが、日蓮大聖人である。


 御書には仰せである。


 「月はよい(宵)よりも暁(あかつき)は光まさり・春夏よりも秋冬は光あり、法華経は正像二千年よりも末法には殊(こと)に利生有(あいしょうあ)る可(べ)きなり」(1501ページ)


 月は、闇(やみ)が最も深い暁(あかつき)ほど、また寒さが厳しく、空気が澄(す)んでいる秋や冬ほど、光が冴(さ)える。同じく、人びとが苦悩の闇(やみ)に覆(おお)われる末法ほど、妙法の功徳はいやまして輝くと示されている。


 日本も世界もコロナ禍が打ち続き、先行きの見えない不安に襲(おそ)われる中にあって、わが創価家族は祈りを絶やさず、励ましの声を惜しまず、一人また一人と、友の心に、同志の胸に、希望と勇気の光を届けてきた。


 まさに「時」を逃さず、「信心即生活」「仏法即社会」の大使命を果たし抜いているといってよい。


 創立90周年を飾る今、誉れの同志は、地域と社会の依怙依託(えこえたく)として一段と輝きを増し、友情と信頼を勝ち結んでいる。


 その福運も、どれほどの豊かさと広がりをもって顕れることだろうか。


 創立の師・牧口常三郎先生も、戸田城聖先生も、さぞ、お褒めであろう。
 

「君も勇敢であった」「あなたも忍耐強かった」「私も負けなかった」「私たちは断固と勝った!」


 全世界の宝友と互いの奮闘を労(ねぎら)い讃(たた)え合いながら、我らの「創立の日」を祝賀しようではないか!


大難に頭を上げ
 「11・18」は、牧口先生が、日本の軍国主義の横暴に屈せず、不惜身命、死身弘法の殉教を遂げられた日でもある。


 先生の信念は、不当に逮捕され、牢につながれても、微動だにしなかった。1年4カ月に及ぶ過酷な獄中闘争の間、家族に宛てられた手紙には、「災難(さいなん)と云ふても、大聖人様の九牛(くじゅう)の一毛(いちもう)(=ほんのわずか)です」等と綴(つづ)られている。

 先生ご所持の御書には、「開目抄」の一節「大願を立てん」の箇所に二重線が引かれ、欄外に大きく赤い文字で「大願」と記されていた。


 「創立」の魂(たましい)とは、「誓」を「立」てることだ。


 牧口先生は、いかなる状況にあっても、人類の幸福と平和を実現するという創立の誓願を絶対に手放されなかった。


 どんな大難の嵐が吹き荒れようとも「風の前の塵なるべし」(御書232ページ)との大確信で、勇猛精進(ゆうもうしょうじん)され続けたのである。



 インド独立の父マハトマ・ガンジーも、植民地支配からの解放を求めて非暴力・不服従の運動を起こし、何度も投獄された。中でも、有名な「塩の行進」を敢行(かんこう)したために牢獄(ろうごく)に入ったのは、学会創立の年と同じ、1930年であった。


 ガンジーは、獄中から弟子に「誓願の重要性」について書き送っている。


 「誓いをたてるというのは、不退転の決意を表明すること」「なすべきことを、なにがなんでも遂行する――これが誓願です。それは不抜の力の城壁になります」



 過日の「世界青年部総会」で、五大州の創価の青年たちは、三代を貫く誉(ほま)れの「誓」を胸に刻み、創立100周年へ出発してくれた。これほど嬉しく、頼もしいことはない。


 必ずや世界広宣流布を成し遂げてみせる!――この誓願に地涌の青年が一人立つところ、いずこであれ、「人間革命」と「宿命転換」の新たな劇が幕を開けるからだ。


 試練の時代に敢然と躍(おど)り出る、わが後継の愛弟子たちへ、私は若き日に書き留めた戸田先生の指導を贈りたい。


 「苦しみが大きければ、大きいほど、その後にくる楽しみも大きい。苦しさと、真正面からぶつかって、南無妙法蓮華経と唱え切りなさい。苦しいときも、楽しいときも、御本尊を忘れるな」と。


未来を見つめて

1930年11月18日、発刊された『創価教育学体系』を手に取る牧口・戸田両先生。この日を「創立の日」として、師弟二人から始まった学会は世界へ飛翔した(内田健一郎画)

 学会創立の原点の書『創価教育学体系』は、世界大恐慌の苦難の時代に、牧口・戸田両先生も自ら人生の辛苦を耐え抜き、発刊された。


 牧口先生は、価値創造の教育によって、若き命が一人ももれなく幸福を勝ち開き、やがて「人類の永遠の勝利」をもたらしゆくことを願われた。


 戸田先生も、教育の英知を光源として宗教の独善(どくぜん)を退(しりぞ)け、普遍的な平和の光で「地球民族」を結ぶことを展望された。


 今、コロナ禍で、教育の場が、かつてない制約を受ける中、創価大学、東西の創価学園、アメリカ創価大学、ブラジル創価学園、また札幌、香港、シンガポール、マレーシア、韓国の創価の幼稚園では、皆が負けじ魂を燃え上がらせ、学び、鍛え、凜々しく、たくましく成長してくれている。



 かのトインビー博士も創価教育に大きな期待を寄せてくださっていた。


 博士が絶賛し、「イスラム世界の英知」とも評される大歴史家にイブン・ハルドゥーンがいる。14世紀に大流行した疫病(黒死病)の脅威(きょうい)と向き合った学者でもあった。


 16歳の時に両親を黒死病で失うなどの悲嘆(ひたん)を乗り越え、あらゆる経験を後世のために書き残すという“終生の使命”を自覚したのだ。主著『歴史序説』で、その労作業の意義を誇り高く語った。「かならずや後世の歴史家が見倣うべき手本となるであろう」と。


 自身の悲哀(ひあい)や艱難(かんなん)を越(こ)え、「未来のために」との誓いを貫く時、青年は限りなく強くなる。偉大な智慧、偉大な創造、偉大な連帯を築けるのだ。


 今、創価の若人たちが世界の諸課題に挑み、人びとの心を、分断から協調へ、不安から安心へ、不信から信頼へと転じゆく知性と誠実の対話を、一人また一人と拡大する――この粘り強い開拓こそ、後世の人類の希望となり、鑑(かがみ)となると、私は確信してやまない。


創価の正道に生き抜き 師弟の共戦譜を

音楽隊・鼓笛隊の熱演を讃えて。師の拍手はまた、広布と人生の激戦を勝ちゆく全同志に――(2002年11月17日、八王子市の創価大学池田記念講堂で)

一人ひとりが仏の「慈悲曠大」を体現
 明2021年、我らは、御本仏・日蓮大聖人の「御聖誕800年」の大佳節を迎える。


 大聖人は「報恩抄」で、「源遠(みなもととお)ければ流(ながれ)ながし」との譬喩(ひゆ)に続けて仰せだ。


 「日蓮が慈悲曠大(じひこうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながる(流布)べし」(御書329ページ)と。


 この御本仏の無量無辺の「慈悲曠大」を、健気な母たちをはじめ、無名の民衆が真っすぐに受け継ぎ、192カ国・地域へ、妙法を弘め抜いてきたのが、創価学会である。


 あの地も、この国も、まさに尊き“一粒種”の一人、ごく小さな集いから全てが始まった。“ガンジスの大河も一滴から”という言葉の通りだ。


 しかし、それは、微弱な“一滴”では断じてない。「大海の始(はじめ)の一露(いちろ)」(同1241ページ)である。「大海の水は一滴なれども無量の江河(こうが)の水を納めたり」(同1200ページ)と仰せの如く、無限にして尊極の可能性を具(そな)えた一人ひとりの生命なのだ。

 誰もが、経済苦、失業、病気、家庭不和等々、あらゆる苦悩を抱えながら、宿命の嵐と戦っている。社会全体が戦乱や災害、疫病等に脅かされる場合もある。苦難の中で生きねばならないのが、人間の厳しき現実だ。


 戦後、学会が再建の歩みを開始した当時、「幸福」という言葉など自分には無縁だ、と人生を絶望していた庶民は少なくなかった。その凍え切った心の中に、人間の尊厳の熱と輝きを蘇(よみがえ)らせ、胸を張って立ち上がる勇気を鼓舞してきたのが、学会の父母たちである。


 今この瞬間にも、「何としても、この人を励ましたい」「苦しむあの人を助けたい」と自行化他の題目を唱え、行動する同志がいるではないか。


 自らも苦悩の中でもがき戦いながら、縁(えにし)を結んだいかなる友も放っておけない、一緒に勝利しようと懸命に励ます心は、すでに仏の「慈悲曠大」と一体であり、その振る舞いは「人を敬う」不軽菩薩そのものである。


 末法の一切衆生を救わんとの大聖人の大慈大悲を源(みなもと)として、「不軽(ふきょう)」そして「地涌(じゆ)」の振る舞いを地域に社会に広げ、永遠なる人類の幸福と平和の大潮流を起こしていく。ここに、広宣流布の大いなる意義があるのだ。


師子王の心で!
 牧口先生が殉教(じゅんきょう)されたのは、1944年11月18日の朝6時過ぎであった。しかし、その死は、奇(き)しくも同じ獄中で地涌の使命を覚知された戸田先生の新たな生の出発と結びついている。広布に一人立つ闘魂が、妙法の誓火(せいか)をつなぐのだ。


 「妙とは蘇生の義(ぎ)」(御書947ページ)である。


 師弟は不二であるゆえに、後継の弟子は、創立の師の「師子王の心」を、わが命に、毎日毎朝、蘇(よみがえ)らせて立つのである。


 牧口先生の如く、戸田先生の如く、我らは「広宣流布の闘士」として、すなわち「正義と人道と平和の価値創造者」として、日に日に新たに、師弟の共戦譜を勝ち光らせていこうではないか!
 

 
                       (随時、掲載いたします)


 <引用文献>ガンジーの言葉は『獄中からの手紙』森本達雄訳(岩波書店)、イブン・ハルドゥーンは森本公誠著『イブン=ハルドゥーン』(講談社)。


(2020年11月16日 聖教新聞)







最終更新日  2020.11.16 17:12:58
コメント(0) | コメントを書く
2020.09.22

​​随筆「人間革命」光あれ 池田大作
永遠の師弟旅を共に


世界広宣流布へ大いなる誓火を掲げて
 秋の彼岸(ひがん)にあたって、私は妻と勤行・唱題し、広宣流布の聖業に連なる全ての方々の追善回向(ついぜんえこう)を懇(ねんご)ろに行った。さらに、社会に災難が打ち続く渦中であり、全宝友の無事安穏を強盛に祈念した。



 御本仏は宣言された。
​

 「妙法蓮華経の五字・末法の始(はじめ)に一閻浮提(いちえんぶだい)にひろまらせ給(たも)うべき瑞相(ずいそう)に日蓮さきがけ(魁)したり、わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉(かしょう)・阿難(あなん)にも勝(す)ぐれ天台・伝教にもこへよかし」(御書910ページ)


 この日蓮大聖人の「一閻浮提広宣流布」という「人類の幸福・世界の平和」の大誓願を師弟の誓いとして、1930年(昭和5年)11月18日、初代・牧口常三郎先生と二代・戸田城聖先生は、創価学会を創立された。



 それから30年後の10月2日、先師・恩師と不二の誓いを掲げ、私は世界への師弟旅に出発した。


 東西冷戦下に、「人類の宿命転換」という遠大な未来図を描きつつ、アメリカで、カナダで、ブラジルで、苦悩に喘(あえ)ぐ庶民の人間群に飛び込んでいったのである。


 孤独と失意の境遇(きょうぐう)で、悲嘆(ひたん)にくれる母がいた。


 仕事の失敗の連続で、立ちつくす父がいた。


 私は祈りを込め、その一人ひとりの命の奥底から「地涌の菩薩」の誓いを呼び覚ましていった。


 私たちは、日蓮仏法の祈りは「誓願」の唱題であると語り合った。


 すなわち、自らの「人間革命」と、わが縁深き天地の「広宣流布」の誓いを立て、そのために最大の力を発揮できるよう題目を唱える。この信力から智慧(ちえ)を湧かし、創意と努力を重ね、勝利の実証を示すのだ。不屈の行力であきらめの壁を破り、「宿命」をも「使命」に変えていくのだ。


 それは、いわゆる“棚からボタモチ”の利益を欲し、また祈願を聖職者頼みにする、“おすがり信仰”を一変させる革命でもあった。


 誓願とは“自ら発(おこ)す”ものだ。生命内奥から烈々と響かせゆく誓願の題目こそ、元品の無明(むみょう)を打ち破り元品の法性を顕(あらわ)す音声(おんじょう)といってよい。 


 世界広布への第一歩から60星霜(せいそう)。

「誓願の題目」は地球という星を大きく強く包んでいる。


 そして今、全世界の青年と共々に「広布の誓火」を赤々と燃え上がらせ、新たな師弟旅へ出発する時を迎えたのだ。

地涌の負けじ魂
 思えば、法華経の会座は、釈尊に対して弟子がそれぞれに妙法の弘通を誓う「師弟の誓願」に貫かれている。


 「一切衆生の成仏」という仏の大願を、自らの誓いとする生命にこそ、「仏界」の智慧と力が脈々と涌現するのである。


 なかんずく地涌の菩薩は、「六難九易(ろくなんくい)」さらに「三類の強敵」が説かれ、末法の広宣流布が難事中の難事であることを明かされた上で、決然と、また悠然と誓願を起こす。


 75年前、戸田先生は法難で獄死された牧口先生の遺志を継ぎ、「地涌の負けじ魂」を滾らせて、出獄された。
 

 そして――


 「詮(せん)ずるところは天もすて給(たま)え諸難(しょなん)にもあえ身命(しんみょう)を期(ご)とせん」
 

「我日本の柱とならむ我日本の眼目(がんもく)とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(同232ページ)との「開目抄」の仰せのまま、「大法弘通(だいほうぐつう)」に挑み抜かれたのである。


 これが仏意仏勅の学会精神である。


 「慈折広宣流布」に生きる創価の地涌の陣列は、まさしく時空を超えて、三世十方(せんぜじゅっぽう)の仏菩薩と壮大につながりながら、何ものをも恐れぬ最強無敵の境涯で誓いを果たしゆくのだ。

青年を先頭に 前進また前進!

人類の希望たる青年の勝利の舞を、師は見つめ待つ(2002年4月、八王子市の東京牧口記念会館で)
華陽の友の「声
 過日、聖教新聞に投稿されていた華陽の乙女の「声」を、妻が感動を込めて語ってくれた。


 1952年(昭和27年)の8月、私が関西初訪問の折に出席した堺(さかい)市内の座談会で、曽祖母が入会を決意された歴史が綴(つづ)られていた。​


 あの座談会は、私にとっても忘れ得ぬ関西での初陣であった。師匠・戸田先生の偉大さを語り、肺病を乗り越えた自身の体験を紹介した。さらに、この仏法が必ず全世界に弘まること、やがて「創価教育」の学校を建設することも訴えた。


 広布の語らいは、どんな小さな会座も「仏種」を芽吹(めぶ)かせる幸の縁となり、宝珠(ほうしゅ)と輝く「今生人界(こんじょにんかい)の思出(おもいで)」(御書467ページ)となる。


 聖教への投稿にも、曽祖母を源流として四世代が営々と師弟共戦の道を歩み、今、後継の乙女が「世界青年部総会」へ異体同心の信心で前進しているとあった。

 草創の父母たちが言い知れぬ悪戦苦闘に歯を食いしばり、「負けたらあかん!」と貫き通してきた誓いを、宝の青年が継承している。そしてコロナ禍の苦難に立ち向かい、若き広宣の世界市民の熱と力で常勝新時代の価値創造に挑んでいるのだ。


 「世界青年部総会」では、若人たちがオンラインで5大州の友を結んで、“霊山一会(りょうぜんいちえ)”さながらの地涌の大連帯の会座(えざ)が現出する。


 身体的、地理的な距離を飛び越えて、人と人を結合するものは何か。それは宇宙をも包み返す、無限の可能性を秘めた生命の広大な一念である。


 あの人を励ましたいという真剣な情熱、この人と心を通わせたいという誠実の対話ほど、強く尊いものはない。幸福を願う随縁真如(ずいえんしんにょ)の智が、必ず命を結ぶ道を開くのだ。

 幾歳月(いくとしつき)を超え、幾世代を超え、さらには国境も超えて広布誓願のバトンをつなぎ、この青き地球の大空に希望の虹を懸けゆく挑戦である。21世紀を担い立つ青年部が“負けじ魂ここにあり!”と胸を張って、創立100周年の勝利の因を刻みゆく実験証明と讃(たた)えたい。

関西から帰京の途次、一瞬のドラマが。悠然たる富士の英姿が水面にも(池田先生撮影、2007年11月12日、静岡・富士川付近で)
「立正安世界」へ 平和の柱・教育の眼目・文化の大船たれ
 私が世界へ踏み出した1960年(昭和35年)は、奇しくも「立正安国論」の諫暁(かんぎょう)から700年の節目である。それは、いわば「立正安世界」への師弟旅の始まりともなった。文明も人種も宗教も超え、「四表の静謐(せいひつ)」(同31ページ)へ地球民族を結ぶ対話を重ね、民衆と民衆の心に揺るがぬ信頼の橋を築いてきたのだ。

 その中で友情を結んだローマクラブの創立者、アウレリオ・ペッチェイ博士との語らいも蘇(よみがえ)る。


 地球環境の危機にいち早く警鐘(けいしょう)を鳴らした博士であったが、人類の未来を決して悲観していなかった。なぜか。無尽蔵の可能性を備えた宝庫として「人間」自身に注目していたからである。


 博士は、私との対話の中で、人類の奥深い潜在力を開発する「人間革命」こそが、地球社会の前進をもたらすことを確信されていたのである。


 そして嬉しいことに、南アフリカ出身で、現・ローマクラブ共同会長のマンペラ・ランペレ博士が聖教新聞の取材に応え、今日の地球的危機を乗り越え、“「新たな人類文明」を創出する鍵は「人間革命」である”と強調されていた(9月17日付)。ペッチェイ博士も、志を継ぐランペレ博士も、共に青年に希望を託しておられる。


 今、全世界の青年部が、国連を中心に多くの団体と連帯し、SDGs(持続可能な開発目標)の達成に挑み、「平和の柱」「教育の眼目」「文化の大船」として行動しゆく姿を、両博士もさぞかし喜んでくださるに違いない。


さあ出発しよう!
 新たに誕生した「世界青年部歌」には――、「さあ 共に出発しよう! 命ある限り戦おう! 前へ 前へ 前へ」と謳い上げられている。
 法華経にも、「前進」と記されている。


 ――険難悪道(けんなんあくどう)を越える長旅に疲れ果て、あきらめて引き返そうとする人びとに、一人のリーダーが聡明(そうめい)な指揮を執(と)って、身近に到達可能な目標(化城)を示し、皆に歓喜と休息を与えた。そして活力を回復させながら、力強く呼びかけるのだ。


 「汝等(なんじら)は当(まさ)に前進むべし」(創価学会版法華経320ページ)――共々に、本来の目的地である宝処(成仏の境涯)へ今再び出発しよう!と。


 大聖人は、この譬えを通して「日蓮に共する時は宝処(ほうしょ)に至(いた)る可(べ)し」(御書734ページ)と、厳然と仰せくださっている。
 

「法華経の命を継ぐ」青年たちと共に前進する喜びに勝るものはない。



この深き心を青年に贈る――池田先生が中部で認(したた)められた書「誓(ちかい)」


「誓」を君たちに
 1985年(昭和60年)の10月、中部の三重研修道場を訪れた時、若人たちが手づくりで研修のための「青年塾」を設けてくれていた。


 そこで、「道」「師弟山」などの書と共に、私が感謝を込めて認めた一枚が「誓」である。


 この書を、今、総決起した世界の青年部・未来部に贈りたい。


 「誓」は翼なり――
 誓いを立てる時、最も誇り高き「青春の飛翔」が始まる。


 「誓」は道なり――
 誓いを結び合う時、最も美しき「人間の連帯」が広がる。


 「誓」は光なり――
 誓いを果たしゆく時、最も荘厳な「生命の太陽」が未来を照らすのだ。


 わが不二の愛弟子が、一人ももれなく、不退の「誓」に生き抜いて、最極の幸福栄光を勝ち取る前途を、私は信じ祈っている。創価の師弟共戦の旅に、生命の勝ち鬨(どき)が轟(とどろ)き渡ることは絶対に間違いないからだ。


(随時、掲載いたします)
(2020年9月22日 聖教新聞)







最終更新日  2020.09.22 14:01:13
コメント(0) | コメントを書く
2020.08.03

​​​​​〈随筆「人間革命」光あれ〉 富士のごとく堂々と 池田大作​


 はじめに、東北・山形の最上川の氾濫、また秋田の水害に、心よりお見舞い申し上げます。
 この七月、記録的大雨により、熊本はじめ九州各地、また岐阜・長野などで甚大な豪雨災害が続きました。農林水産業の被害も深刻です。コロナ禍の中、大変な御苦労をされている皆様方の健康と無事安穏を祈り、被災地の一日も早い復旧・復興を願ってやみません。
 御書に「災来(わざわいきた)るとも変じて幸(さいわい)と為(な)らん」(979ページ)と仰せのごとく、断じて変毒為薬の勝利劇をと、題目を送り続けてまいります。

挑戦! 大いなる夢へ成長の夏

緑の木立の彼方に現れた七彩の虹──。若人よ、わが人生の大空にも鮮やかな勝利の虹を懸けゆけ!(池田先生撮影。7月26日、都内で)

大樹が林立せり
 「21世紀が勝負」と私は心定めてきた。
 創価の民衆の大地から21世紀の世界へ、どれだけ社会貢献の地涌の人材群を送り出せるか。
 誰よりも若人を慈(いつく)しまれた牧口・戸田両先生と不二の祈りを込めて、私は未来部の薫陶に全精魂を注いできた。広布の父母たちと一緒に耕してきた人間教育の土壌の上に、今、仰ぎ見る後継の大樹が林立している。みんな立派になった。本当によく育ってくれた。
 何より頼もしいことは、「従藍而青(じゅうらんにしょう)」の人材が次の人材を育てる、「令法久住(りょうほうくじゅう)」の励ましの連鎖が、限りなく続いていることである。
 とりわけ、私の心を心として献身してくれている、未来部担当者の方々に感謝は尽きない。

​未来部は世界の創価家族と共に!​
“皆さんは人類の宝、世界の希望”──池田先生ご夫妻が笑顔弾ける未来部の友や担当者たちと(1992年6月、イタリア・フィレンツェで)

21世紀人の使命
 今の未来部の友は、まさに「21世紀人」だ。
 高校3年生を先頭に、2002年以降の生まれであり、21世紀とともに青春の年輪を刻み、「人生百年時代」を飾りゆく世代である。
 思えば、フランスの大文豪ビクトル・ユゴーは、1802年生まれであり、19世紀の先頭を進みゆく人生の誇りを、生涯、持ち続けた。
 わが師・戸田城聖先生は1900年に誕生され、20世紀の民衆の悲惨な命運を大転換するために戦い抜かれた。
 そして、戸田先生より100年の歳月を経て、躍り出た21世紀の「平和の旗手」こそ、わが未来部の一人ひとりなのだ。

 人類は今、コロナ禍という世界的な危機に直面している。大きな不安や制約や変化の中で、勉学に挑む高校・中学・小学生の皆さんの苦労もひとしおであろう。
 しかし、若き日に大きな試練を乗り越えることは、それだけ自分が鍛えられ、大きな使命を果たしていける。偉大な価値を創造していけるのだ。
 なかんずく、「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)という希望の大哲理を抱いた青春は、何ものにも負けない。

 日本はもとより、世界でも、未来部の友は、コロナ禍に屈せず、強く朗らかに前進している。
 各国・各地で、直接会えなくても、オンラインを活用して、共に歌い、共に演奏し、共に語り、共に励まし合っている様子も伺った。
 未来部は、一人ももれなく「法華経の命を継ぐ人」(同1169ページ)である。その伸びゆく命の輝きこそ、何ものにも勝る人類の宝であり、世界の希望なのである。

「道」を開きゆけ
 未来部の友と進む道は、風雨を越えて夢とロマンの虹が光る。
 半世紀ほど前、静岡の研修所で、未来部の友と一緒に新しい道をつくった思い出がある。共に汗を流し、石拾いや草むしりに精を出した。「道をつくる」苦労と誇りを、実際に体験してもらいたかったのである。
 私は語りかけた。
 「道ができれば、みんながそこを歩けるようになる。ぼくは君たちのために、懸命に道を開いておくよ。君たちは、さらに、その先の、未来への道を開いていくんだよ。それが師弟の大道だ」
 この時、「世界広布の道を開く人材に」と夢を広げた女子中等部の友は、その後、創価大学へ進学し、モスクワ大学への最初の交換留学生となった。
 祈り、学び、努力を重ね、ロシア語通訳・翻訳の第一人者として、両国の平和友好の道、後進の育成の道を開いてくれている。
 このたびモスクワ大学出版会から最終巻が発刊されたロシア語版『法華経の智慧』(全六巻)の翻訳にも、世界各地の友と尽力してくれた。
 創価の師弟が開く探究と創造の「この道」は、地球を包んでいくのだ。

読書を力に前へ
訪れた教室で、子どもたちのために、大きな富士の絵を描き残す。「しっかりね」「お元気で!」等の言葉も添えて(1983年3月、大阪・枚方市の関西創価小学校で)

 この夏、未来部の友は「ドリームチャレンジ期間」と掲げて、成長の日々を刻んでいる。
 お父さんやお母さん、担当者の方の応援を受けながら取り組む読書も、作文も、絵画も、語学も、まさしく「ドリーム(夢)」を見つけ、広げ、深めるチャンスとなる。楽しく伸び伸びと「チャレンジ(挑戦)」してもらいたい。

 私が友情を結んだ世界の知性も、読書を通して、夢を広げてこられた。
 核兵器廃絶に人生を捧げた、パグウォッシュ会議名誉会長のロートブラット博士が、少年時代の宝とされたのも、「読書の喜び」である。
 ポーランド出身の博士の幼き日、第一次世界大戦が起こる。家は貧しく、二切れのパンが一日の食事という日もあった。そんな博士の楽しみは科学小説などの本を読むことであった。
 「本当に悲しく、悲惨な時代であったからこそ、私は『夢』を求めていたのです」
 若き博士は「科学を通して、人間が戦争をしなくてすむような世界をつくろう」と誓い、苦学の末、世界的な科学者になる夢を実現する。そして「核兵器のない平和な世界」という夢を、命の限り追求し続けたのだ。
 広島、長崎、また沖縄の惨劇を二度と繰り返してはならない。人類の平和こそ我らの悲願である。
 私が「後世に残せるような小説を書きたい」という夢を抱いたきっかけも読書であった。ユゴーの傑作『レ・ミゼラブル』との出あいである。

 以来、幾十星霜を経て、小説『人間革命』『新・人間革命』を書き残すことができた。全て恩師から私への個人教授「戸田大学」での薫陶の賜物であり、多くの方々の応援のおかげである。
 とともに、牧口先生、戸田先生から託された夢を、創価大学や創価学園の創立をはじめ、私は全て実現した。
 次なる私の夢は何か。
 世界中の未来部の皆さん一人ひとりが勇気の翼を広げ、自身の夢を実現してくれることだ。

​皆が人材なりと胸を張れ​
池田先生が絵筆を執られた屏風絵「富士」(水彩)。堂々たる富士を仰ぐ緑の丘には、満開の桜や松の木も。1979年5月5日、横浜の神奈川文化会館で描かれた

王者の山を描く
 私は、未来部の友の躍動する絵画を鑑賞するのが大好きである。
 私自身は絵が得意ではないが、宝の未来部に思いを馳せながら、富士山を描いたことがある。
 1979年(昭和54年)の5月5日──私が名誉会長になって最初に迎えた「創価学会後継者の日」である。「正義」「共戦」の一連の書を書き留める最中であった。
 横浜の海を望む神奈川文化会館で、絵筆を屏風に走らせた。朝焼けの紅に包まれる富士である。手前の緑の丘には、満開の桜や枝を広げた松の木を配した。一本一本が伸びゆく人材なりと祈りを込めたのである。

 4年後(1983年)の3月、大阪・枚方市の関西創価小学校を訪れた時のことだ。楽しい催しが終わり、皆が下校した静かな校舎内を視察した。
 ある3年生の教室の黒板に、青のチョークで「この1年 元気にがんばりました」と書かれた文字が、目に留まった。その隣には、仲良く球技に興じる絵もあった。
 この絵手紙への返事をと、私はチョークを手に取った。そして、黒板に向かうと、児童たちの健闘を讃えつつ、“いつか一緒に「王者の山」を登りゆこう”との願いを託して、大きな富士の絵を描いていった。
 「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」(吉川英治作『宮本武蔵』講談社刊)
 ──師が愛弟子に語りかけたこの一節を、人びとの心が揺れ動く今だからこそ、私は「負けじ魂」燃ゆる友に贈りたい。
 日蓮大聖人は、富士を仰ぐ天地で、大難と戦う若き弟子・南条時光に、「法妙なるが故に人貴(ひととうと)し・人貴きが故に所尊(とこととうと)し」(御書1578ページ)と仰せになられた。
 妙法を受持した最高に尊貴なる創価後継の友よ、富士のごとく、堂々と頭を上げて胸を張れ!
 壮大な夢を描き、明朗闊達に挑戦しよう!
 君たちが、21世紀の地球社会を、平和と幸福と共生の崩れざる宝土に築きゆくのだ。
 不二の「正義の走者」の君たちよ、「生命の世紀」「人間革命の世紀」の大空に、凱歌の虹を鮮やかに懸けてくれ給え! ​​​


(随時、掲載いたします)

(2020年8月3日 聖教新聞)







最終更新日  2020.08.03 17:11:56
コメント(0) | コメントを書く
2020.07.07

​随筆「人間革命」光あれ 池田大作 

青年に無限の力あり

​​​ 何よりもまず、熊本をはじめ九州各地の甚大な豪雨被害に、心からお見舞いを申し上げます。
 私も五日、総本部の恩師記念会館で勤行・唱題を行い、犠牲になられた方々の追善とともに、被災地の方々の健康と無事安穏を強盛にご祈念させていただきました。
 豪雨は熊本・鹿児島・宮崎に続き、福岡・佐賀・長崎・大分と九州全域、また各地に及んでおります。無事を祈り、さらに題目を送ってまいります。

立正安国へ 希望の共進を
若き力が時代を変える。誇り高く青春を舞いゆけ!──師の心は常に青年と共に(1996年7月19日、八王子市内で)   
 
同苦から黎明へ
 7月、我ら地涌の命はいやまして燃え上がる。
 その源流は、1260年(文応元年)7月16日、日蓮大聖人が「立正安国論」をもって、国家諌暁(かんぎょう)された歴史である。
 「立正安国」(正(しょう)を立て、国(くに)を安(やす)んず)という不滅の金言は、大聖人の全(まった)く独創(どくそう)であられた。
 「立正安国」とは、全民衆救済へ妙法を掲げて、ただ一人立ち上がられた大慈悲の師子吼(ししく)にほかならないのだ。
 当時、「天変地夭(てんぺんちよう)・飢饉疫癘(ききんえきれい)」など打ち続く災難のために、庶民は悲惨(ひさん)の極(きわ)みにあった。現在、コロナ禍(か)と闘う人類の苦境とも相通ずる。
 「立正安国論」の冒頭には、「悲(かなし)まざるの族敢(やからあえ)て一人も無し」(御書17ページ)と記されている。
 大聖人の眼差(まなざ)しは、愛する家族や友を失い慟哭(どうこく)する庶民の姿にこそ注がれていた。渦巻く民衆の苦悩を直視し、わが事と同苦し抜かれたのだ。
 大聖人は「安国」の「国」を、「囗」に「民」とも書いておられた。人間の顔の見えない国家の安泰ではなくして、何よりも民衆が日々の生活を営む場としての国土の安穏であり、民衆の安心安全を祈られていたお心が拝されてならない。

 この御本仏の大精神のままに、先師・牧口常三郎先生と恩師・戸田城聖先生は、戦時下にあって「今こそ国家諌暁の時なり」と正義の行動を貫き、1943年(昭和18年)の7月6日、軍部政府の弾圧により逮捕された。
 牧口先生は翌年、殉教(じゅんきょう)の獄死(ごくし)を遂(と)げられ、不二の戸田先生は2年の投獄を越え、終戦直前の7月3日、“妙法の巌窟王(がんくつおう)”の心で出獄された。
 この日この時、戦争の残酷(ざんこく)と悲惨(ひさん)に覆(おお)い尽(つ)くされた闇(やみ)の底から、太陽の仏法が昇りゆかんとする「立正安国の黎明(れいめい)」が告げられたといってよい。
 戸田先生は45歳。戦前の幹部たちは、法難に臆(おく)して退転した。
 信じられるのは正義の青年だと、先生は「旗持(はたも)つ若人(わこうど)」を祈り、待たれた。
そして、敗戦の荒廃し切った大地に題目を打ち込みながら、一歩また一歩、足を運び、一人また一人、若き地涌の弟子を呼び出していかれたのである。 

我らは試練の中でいよいよ強くなる
アジサイの青が重なり合い、従藍而青の青年たちのごとく鮮やかに。撮影された6月27日は未来会結成50年の日(池田先生撮影、都内で)

師弟の魂の結合
 恩師の出獄から5年後(1950年)の7月、私たちは男女合同で青年部会を開催した。20人ほどの集いであったが、意義は誠に深かった。
 大事なのは人数ではない。魂(たましい)の結合(けつごう)である。
 私は当時の日記に、「青年部も、未来の怒濤(どとう)、嵐に向かって、船出せり。吾(わ)れも進む、全生命のあらん限り」と書き残した。
 多くの会社が倒産し、先生の事業も最悪の苦境に陥った時である。師恩を裏切り、去る先輩たちも少なくなかった。
 その中で、私は今こそ青年が立ち上がる時だと心を定めた。

 「開目抄」には、「山に山をかさね波に波をたたみ難(なん)に難を加(くわ)へ非(ひ)に非をますべし」(同202ページ)と仰せである。
 これが、創価の師弟が歩まねばならない「広布大願」の航路ではないか。立ちはだかる試練があればあるほど、我ら青年がいよいよ強くなるのだ。
 たとえ、若輩の一兵卒(いっへいどつ)であろうとも、師弟不二の題目の力で、師匠を断固とお守りできる。障魔を敢然と打ち破れる。広宣流布の全軍を前へ前へ進められるのだ。
 私はそう誓い、祈った。
 「波浪(はろう)は障害にあうごとに、その頑固(がんこ)の度(ど)を増(ま)す」──この苦難を耐(た)え忍(しの)んで、陰徳陽報(いんとくようほう)の師弟の勝利を示すのだ、と。

対話から始まる
 この1年後の7月、嵐を越えて第2代会長に就任した戸田先生に直結して、男子部、女子部が結成されたのだ。
 世界を見れば、朝鮮戦争(韓国戦争)の悲劇の渦中であった。やがて「地球民族主義」を提唱される先生は、この青年部の新出発に際して、日本はもとよりアジア、さらには世界の「広宣流布」即「立正安国」への尊い使命を教えてくださったのである。
 最前線の一班長であった私も、広布拡大に燃え、直ちに宮城県の仙台市へ走った。誠実な東北健児たちとの懐(なつ)かしい共戦が蘇(よみがえ)る。
 結核を乗り越え、事業の破綻を打開した信仰体験を、私は確信を込めて語った。8人の新来の友が次々に入会を決意されたと記憶している。
 大聖人の「立正安国論」は「一対一」の対話形式で展開されている。民衆一人ひとりの心に正義を打ち立てることを、「立正安国」の究極の方途として示されたのである。
 ゆえに、私たちも眼前の一人の友と生命の共鳴を奏でることから一切の変革を始めようと、決心していた。桜梅桃李(おうばいとうり)の友情と尊敬のスクラムこそ希望の礎なのである。

危機に光る挑戦
 未曽有のコロナ禍の中でも、わが従藍而青(じゅうらんにしょう)の青年部は、日本中、世界中で不屈の心で、「危機を転機へ」と変えゆく智慧と勇気の挑戦の日々を刻んでくれている。
 近年の通信技術の飛躍的進歩を背景にした、オンラインを駆使した取り組みも活発である。
 物理的に会えない状況でも、皆が顔を見ながら語り合えるという時代になってきている。
 以前より多くの友が参加できるようになった地域もあると聞いた。
 リーダーたちは、毎回の集いに臨(いど)んで「皆のために」と真剣である。だからこそ、「学会の集まりは楽しい」「前向きな話が聞けた」と喜びも広がり、先輩も後輩も共に成長しているのだ。

感染症との闘いが続く南米ブラジルでも、この7月、10万人の青年が励ましの連帯を結びながら、社会貢献へのたゆまぬ波を広げている。
 数学の天才であった戸田先生は常々、交通機関や通信技術など文明の進展は、「広宣流布の時近し」の象徴なり、と言われていた。新時代の青年部の創意工夫を、先生も喜ばれるに違いない。
 ともあれ、世界広布の流れは間違いなく進んでいる。それも急速に!
 ならば、我らは変化を厭(いと)うのではなく、若人を先頭に、現在の変化の中に、「人間の幸福と平和のために」という立正安国の精神性を打ち込んでいきたい。
 仏法の人間主義が一段と輝きを増す好機であり、我らの価値の創造に限界はない。それを担い立つ青年には、無限の力があるからだ。

「分断」を越えよ
ソ連(当時)のゴルバチョフ大統領と初会談。会った瞬間から笑顔が弾ける(1990年7月27日、モスクワのクレムリンで)

 ちょうど30年前(1990年)の7月、私はモスクワのクレムリンを訪れ、冷戦終結の立役者であるゴルバチョフ・ソ連大統領との最初の会見に臨んだ。
 「きょうは、大統領と“けんか”をしに来ました! 火花を散らしながら、何でも率直に語り合いましょう。人類のために!」。開口一番、私がこう切り出すと、「私も率直な対話が好きです。本当に、昔からの友人同士のような気がします」と、あの快活な笑顔で応じてくれた。

 以来10度に及ぶ語らいで、“21世紀に待ち構えている最大の危機”として論じ合ったテーマこそ、「分断」であった。
 「まるで中世のペストのように目に見えず蔓延(まんえん)し、ところかまわず猛威を振るう分断」を、どう克服(こくふく)していくのか。
 ゴルバチョフ氏は、「私たちは『結合』の力を探し出さなければなりません」と力説された。
 私たちの対話の結論の一つは、「楽観主義」の力であった。いかなる試練も必ず乗り越えてみせるとの信念、人間の精神的な力への無条件の信頼、人類の未来への確信──ここに分断を越え、世界の民衆を結合せしむる力が脈打っている。
 牧口・戸田両先生の弟子として、私は「立正安国」の対話を貫いてきた。その一つの証しとして、世界の識者と重ねた諸文明を結ぶ対談集など著作の翻訳出版も「50言語」となった。恩師記念会館には、それらが両先生への報恩感謝を込めて展示されている。
 不信と不安の渦巻(うずま)く危機の時代の闇(やみ)を破(やぶ)る、人間信頼の不屈の楽観主義を、21世紀へ継承する若き「対話の王者」「言論の王者」こそ、創価の青年たちなのだ。

君よ「青春王」「不撓王」たれ
池田先生の書「王」。日付は「7月19日」と

一字に込めた心
 35年前(1985年)の7月、私は女子部結成の記念日を祝賀し、“今、留めて此に置く”との思いで、「王」の一文字を大書した。
 大聖人は、漢字の「王」という字を、こう釈されている。「三の字を横に書きて一の字を豎(たて)さまに立てたり、横の三の字は天・地・人なり、豎の一文字は王なり」。そして「天・地・人を貫(つらぬ)きて少しも傾(かたむ)かざるを王とは名けたり」(御書1422ページ)と仰せである。
 何があろうが、中心を貫いて揺るがぬ柱の存在が「王」である。
 若き命は、心の振幅が激しい。自然災害も打ち続く。その中で、最極の生命哲理を探究し、悩み、もがきながらも、勇んで広宣流布の誓願に挑み抜く青年群は、「レジリエンス」(困難を乗り越える力)を身に体した堅固(けんこ)な陣列(じんれつ)だ。
そしてまた、地球社会の平和・文化・教育の偉大な柱である。


 法華経という「経王」「師子王」を胸中に持ち抜き、常勝の王となり、女王となるのだ!
 心から愛し、信頼する、わが青年たちよ!
 生命輝く青春王たれ! 朗らかな希望王たれ! 負けじ魂(だましい)を抱(いだ)ける不撓王(ふとうおう)たれ! そして邪悪(じゃあく)を破(やぶ)る正義王たれ! 
 労苦を誉(ほま)れとし、創価の青年は皆、「心の王者」「心の女王」なりと、胸を張って、私と共に進みゆこうではないか! ​​​


(随時、掲載いたします)
(2020年7月7日 聖教新聞)










最終更新日  2020.07.07 11:00:05
コメント(0) | コメントを書く
2020.06.01

​​​​〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 
創価の女性は希望の太陽!

季節が初夏に向かう中、ツツジの紅(くれない)の花が「朗らかに前へ!」と歌っているよう(5月5日、池田先生撮影。都内で)

朗らかに 励ましの連帯を広げ
 我らの殉教の師・牧口常三郎先生は、6月6日、数え年で150歳の誕生日を迎えられる。
 4日は、世界の“華陽姉妹(かようしまい)”、女子部の記念日であり、10日は婦人部の結成記念日である。
 この6月を「希望の絆 女性月間」と掲げ、婦女一体で朗らかに前進すると伺い、牧口先生の生誕月への何よりの祝賀と、妻と共に見つめている。
 牧口先生が学会草創の女性たちによく語られた御聖訓がある。
 「天晴(てんは)れぬれば地明(ちあきら)かなり法華(ほっけ)を識(し)る者は世法(せほう)を得可(うべ)きか」(御書254ページ)
 先生は「太陽が昇った瞬間から大地はパッと明るくなる。天を晴らすような信心で、生活を照らしていきなさい。悩みも発条にして!」と励まされていたのである。
 先生ご自身が若々しい開かれた心で、常に皆と一緒に生活を彩(いろど)りながら価値創造しておられた。
 10代の乙女を激励された折には、趣味を尋(たず)ね、「音楽」との答えに、「あなたの好きな音楽を、私も一緒に聴かせてもらおう!」と応じたという。
 今、世界のいずこでも、女子部の友が、さまざまな困難にも負けず、「華陽の誓い」の歌さながらに「太陽の心で」、若き命を輝かせ、創意工夫して励まし合い、清々しく進んでいる。
 その伸びやかな桜梅桃李(おうばいとうり)の青春の舞こそ、先師も願われていた、創価の希望の光なのだ。
 
白ゆり香る集い
 女子部のシンボルは「すずらん」、そして婦人部は「白ゆり」である。二つの花が初夏を飾るように、婦女の麗(うるわ)しいスクラムは、地域へ、社会へ、世界へ、「幸福の花束」を贈り広げていくのだ。
 

「白ゆりの
   香りも高き
     集いかな
  心の清き
   友どちなれば」

 1951年の6月10日、婦人部結成の会場に大輪の白ゆりを生けてくれた陰の心遣(こころづか)いに応え、恩師・戸田城聖先生が詠まれた歌である。
 先生は皆に聞かれた。
 「いずれ、日本中、折伏に行ってもらいたいが、みんな行けるかね」
 その時、間髪(かんぱつ)を容(い)れず
「はい! どこでも行かせてもらいます」と手を挙げたのは、まだ20代の女性であった。二人の幼子を抱え、経済苦の中、必死でやりくりする毎日で、遠出など思いもよらなかったが、学会精神は赤々と燃えていたのだ。
 「心こそ大切なれ」と、戸田先生は、その師弟の呼吸を喜ばれた。それは今のヤング白ゆり世代にも受け継がれている。
 さらに韓国・釜山(ブサン)出身の女性は、当時、戦乱に引き裂かれていた祖国の平和と民衆の安穏を祈ってやまぬ熱情を吐露(とろ)した。東洋広布、世界広布への先駆も婦人部であった。
 思えば「ヤマユリ」は、秋に種が大地に落ちた後、ふた冬を越して初めて発芽し、花が咲くまでに、さらに3年はかかるといわれる。
 けなげな婦人部の心の「白ゆり」も、厳しき冬を耐え抜き、勝ち越え、気品と福運の大輪を咲き薫(かお)らせてきたのだ。
 試練(しれん)の今、「末法における所作(しょさ)は、忍耐(にんたい)しかない」との恩師の指導があらためて思い起こされる。
 
心と心を結んで
 信仰を根本とした“女性の組織”の始まりは、釈尊の時代に遡(さかのぼ)る。
 そこには師弟の絆(きずな)があり、善き友の絆があった。女性たちは、生老病死の苦悩に向き合う一人ひとりに寄り添い、希望の絆を結んでいったのだ。
 勝鬘経(しょうまんきょう)という大乗仏典に説かれる勝鬘夫人が、師の前で凜然(りんぜんりんぜん)と誓った言葉は胸を打つ。
 “私は、孤独や不自由に陥(おちい)っている人、病気や災難、貧困(ひんこん)に苦しむ人を見捨てません。必ずその方々を安穏(あんのん)にし、豊かにしていきます”
 まさに「一人も置き去りにしない」との誓いだ。
 女性として最初の仏弟子となった摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)は、釈尊の叔母(おば)にして育ての母であった。彼女には幾多の女性の仏弟子が続いた。
 「法華経勧持品(ほけきょうかんぎほん)」では成仏の記別を受け、「一切衆生喜見如来(いっさいしゅじょうきけんにょらい)」──“誰もが喜び仰ぎ見る仏”となることを約束された。


 日蓮大聖人は、幾度もその名を挙げ、“この先駆者の列に連(つら)なっていくのです”と、富木尼(ときあま)や乙御前(おとごぜん)の母、妙法尼たちを励まされた。人びとの幸福勝利の門を開きゆく使命を教えられたのである。
 佐渡の千日尼(せんにちあま)と国府尼(こうあま)の睦(むつ)まじい団結には「同心」と讃えておられる。
 また、ある女性門下に、“同志と常に連携を取り、(この手紙を)一緒に読み合っていきなさい”とも示されている。
 どこまでも妙法の同志と共に生き抜くのだ。異体同心で進むのだ!──御本仏の願いが胸に迫ってくる。
 いかなる苦難に遭おうとも、創価家族の心の絆が断ち切られることは絶対にない。
 今この瞬間も、電話や手紙、メールなどで、「あの人はどうしているだろうか」「この人を励ましたい」と、やむにやまれぬ思いを届ける同志が世界中にいる。
 友の辛労に同苦し、無事安穏を祈る。周囲に心を向け、相手を気遣(きづか)う。明るく賢(かしこ)く、大らかに、声を掛け合い、共に笑う──それ自体が、社会の中の分断を埋め、心と心を結び、希望の橋、信頼の橋を架けているのだ。
 
厳冬を越えて咲け 幸福と和楽の花よ

欧州訪問の折、路傍の野で花を摘む。幸福の花束を友にと(1973年5月、フランス・パリ郊外で)
未来を開く力と
 6月6日は、「欧州師弟の日」でもある。
 コロナ禍が続く過酷な状況の中、不屈(ふくつ)の「生命尊厳」と「人間主義」の哲学を掲げて、社会に貢献(こうけん)する欧州の同志の様子は、聖教新聞の連載「世界の友は今」などでも紹介され、大きな感動を広げている。
 この5月3日、御書の「一生成仏抄」の講義が、スペインの自治州の公用語のガリシア語、バスク語で翻訳発刊された。
 この出版を紹介したガリシアの地元新聞には、「『一生成仏』という深遠な哲理は、集団的エンパワーメント(内発的な力の開花)の根源として一個人のエンパワーメントを指し示している」と論じ、それは「21世紀の希望に満ちた未来を切り開く力となるであろう」と記されていた。
 記事が掲載された5月17日は「ガリシア文学の日」であった。これは19世紀、ガリシア文芸復興の幕を開いた女性詩人、ロサリア・デ・カストロの詩集が発刊された日を記念するものである。
 ガリシアは、スペイン北西端に位置し、古代のケルト文化、ローマ文化につながる誇り高き歴史の天地である。彼女は愛する故郷を「この世で最も美しい」と詩に讃え、「苦しみ」と「痛み」を、「喜び」と「慰(なぐさ)み」に変えるために、微笑(ほほえ)みながら、歌い続けようと呼び掛けた女性であった。
 今回、『一生成仏抄講義』の翻訳を担(にな)われたのも、ガリシア出身の聡明(そうめい)な女性リーダーである。
 世界中で、尊(とうと)き広宣の女性が社会に根を張り、生き生きと貢献(こうけん)している──ここにこそ、確かな「一生成仏」即「立正安国」の実像がある。
 
2枚の絵に想う
 初めての欧州歴訪の折(1961年)、芸術の都・パリの街角で、何枚かの絵を買い求めたことがあった。
 その一枚に、少し頰(ほお)を染めた初々しい娘と、そこに訪ねてきたとおぼしき青年が語らっている版画がある。絵から伝わるのは若き生命の輝きだ。

 色刷りの版画「若い男女」。かつて池田先生のエッセー「一枚の絵」でも紹介された 私はこの絵を、文豪ビクトル・ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』に登場する青年マリユスと乙女コゼット、そして、わが男女青年部になぞらえて眺(なが)めるのが常であった。絵の裏には「いつまでも青春であれ」と記した。
 もう一枚、居間でくつろぐ夫婦と幼子を描いた版画もある。
 ある仲むつまじい家族の姿を描いた版画。池田先生は、この絵を「一家和楽」と── 清楚なたたずまいの母親は縫(ぬ)い物にいそしみ、寄り添う父親には子どもたちがまつわり離れない。愛犬も一緒だ。平凡だが、母の笑みを中心に心豊かで充実の時間が流れている。
 多忙な学会家族の各家庭でも、母を大切に団欒(だんらん)あれ、と願いを込めて、私はこの絵を「一家和楽」と呼んでいた。
 画面右のテーブルに開かれた分厚い本は、学びと向上の意欲を象徴しているのであろうか。
 牧口先生に連なる学会の世界には、隅々にまで「学び」の息吹が漲(みなぎ)っている。
ゆえに何があっても行き詰まらないのだ。
 
強盛の信心こそ
 女子部が研鑽(けんさん)に励む“華陽会御書”の一つに「一生成仏抄」がある。その中の「皆我が一念に納めたる功徳善根(くどくぜんこん)なりと信心を取るべきなり」(御書383ページ)との仰せは、求道の乙女たちも深く命に刻んでいる。
 何があろうが、信心さえ揺るがなければ、絶対に幸せになれる! 一切を勝ち越えていける!
 これが妙法の女性の確信だ。だから強い。負けない。凜(りん)として朗らかだ。苦労があるから題目もあがる。智慧(ちえ)も勇気も力も出る。皆を励ませる。自他共に真の幸福を味わうことができるのだ。
 私の会長就任の年に入会した今年100歳の東北の慈母が、人生勝利の極意を語っておられた。
 「心にダイヤモンドを持てばええ。自分が光ればええ。そのための信心だでば」「大丈夫だ。信心、一生懸命やるべし」と。
 
世界第一の平和と文化の光彩
 1960年の年頭、私は日記に書き留めた。
 「世界一の婦人団体、文化の団体、婦人解放の組織、そして、主体性ある近代の人間性の団体、生活向上の団体、これ、創価学会婦人部の異名か」
 まぎれもなく今、創価の母たちの団結は、この願望の通り、いな信念の通りに、世界第一の平和と文化の光彩を放っている。“第3代”の60年は不二の女性たちの祈りと勇気と慈愛の行動で、断固と勝ったのだ!
 大切な大切な一人ひとりの、いよいよの健康と幸福と長寿を祈りたい。
 そして、「創価の太陽」のスクラムよ、どんなに時代の苦悩の夜が暗くとも、一つ一つ変毒為薬(へんどくいやく)して闇(やみ)を打ち払い、地球の明日を照らし晴らしてくれ給え!
と、強盛に題目を送る日々である。
                          (随時、掲載いたします)
 
桑原真夫著『ロサリア・デ・カストロという詩人』(沖積舎)所収の「ガリシアの歌」を参照・引用。​


(2020年6月1日 聖教新聞)







最終更新日  2020.06.01 11:50:04
コメント(0) | コメントを書く
2020.04.20

​随筆「人間革命」光あれ 池田大作
​生命凱歌の言論城​
 はじめに、新型コロナウイルスの感染症により亡くなられた世界の全ての犠牲者を追悼し、心から追善回向の題目を送らせていただきます。
 とともに、昼夜を分かたず、命を守る最前線で奮闘されている医療関係の方々をはじめ、社会のありとあらゆる分野で尊き使命を遂行されている皆様方に満腔(まんこう)の感謝を捧げ、健康と無事安穏を強盛に祈ります。

 師・戸田城聖先生の事業が最も厳しい苦境の渦中、師弟二人で聖教新聞の発刊へ構想を温めていた時のことである。
​

 「なぜ、日蓮大聖人の一門は、あれほどの大難の連続も勝ち越えることができたのか。


 大作はどう思うか?」
 戸田先生は、そう尋(たず)ねられながら、私に御書を開いて示された。


 自然災害、食糧難、さらに疫病の流行などが打ち続くなか、遠く離れた佐渡の千日尼へ送られた御返事である。


 「心は此の国(=甲斐の国)に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土(えど)に候へども心は霊山(りょうぜん)に住(すむ)べし、御面(おんかお)を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」(御書1316ページ)


 大聖人は会えない門下にも、文字の力で、まさに顔を合わせた対話と同じように激励され、心を通わせておられたのだ。


 戸田先生は力を込めて言われた。


 「大聖人は、お手紙を書いて書いて書き抜かれて、一人ひとりを励まし続けられた。だから、どんな人生と社会の試練にも、皆、負けなかった。


 この大聖人のお心を体した新聞を、大作、大きく作ろうではないか!」
  あれから70星霜――聖教新聞は、毎日毎朝、「太陽の仏法」の光を、赫々と、あの地にもこの家にも届けている。


 緊急事態宣言のもと、たとえ会えなくても、集えなくても、聖教新聞を通し、創価家族の心と心は結ばれているのだ。


 共に試練に立ち向かう全世界の宝友の「異体同心」の絆も、紙面で写真で一段と強まっている。


 これも、なかんずく、雨の日も風の日も大切に配達してくださる、尊き“無冠の友”の皆様方のおかげである。


 世界聖教会館が完成してから最初に迎える創刊記念日に際し、私は最大に御礼を申し上げたい。
 本当にありがとう!
立正安国の挑戦
 学会の前進は、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)なるゆえに、不思議なリズムに則っている。
 思えば、初代・牧口常三郎先生が新潟県に誕生された1871年(明治4年)は、日蓮大聖人の佐渡流罪(文永8年)から600年であった。


 二代・戸田城聖先生が発願され、大聖人の御書が発刊された1952年(昭和27年)は、立宗宣言(建長5年)から700年の慶祝の年である。


 後継の私が青年を代表し、第3代として前進の指揮を執り始めた1960年(昭和35年)は「立正安国論」による諌暁(文応元年)から七百年であった。


 大聖人は「天変地夭(てんぺんちよう)・飢饉疫癘(ききんえきれい)」に憤悱(ふんび)され、「立正」すなわち生命尊厳の大哲理を打ち立て、「安国」すなわち全民衆の幸福と世界平和の宝土の建設を願われた。


 その人類の宿命転換へ、いよいよの挑戦を開始したのだ。それは、何よりも正義と真実を師子吼する「言論戦」であり「思想戦」であった。


 ゆえに、第3代会長就任と時を合わせ、私は聖教新聞の躍進に全力を尽くすとともに、小説『人間革命』の執筆を深く心に期した。


 「立正安国論」では、「汝須(なんじすべから)く一身の安堵(あんど)を思わば先ず四表の静謐(せいひつ)を禱(いの)らん者か」(御書31ページ)と示されている。


 “自分だけの幸福や安全もなければ、他人だけの不幸や危険もない”。この生命観に立って、社会と世界全体の安穏を祈り、尽くしていく人間主義の究極の哲学を、我らは聖教新聞に掲げ、平和・文化・教育の対話と連帯を広げてきたのだ。
 


聖教は友を励まし 不屈の心をつなぐ
苦難に負けない
 創刊70周年を明年に控えた今、聖教は自他共の幸福の大道を示し、読者に勇気と希望を贈る「生命凱歌」の言論城と聳(そび)え立っている。​


 一昨年、小説『新・人間革命』全30巻を完結した折、私は全宝友に、広宣流布という民衆勝利の大叙事詩を、未来永遠に共々に綴りゆこうと、呼び掛けた。


 聖教に躍動する日本と世界の同志の晴れ姿こそ、「人間革命」の黄金の日記文書なりと、私は妻と合掌(がっしょう)する思いで拝見する日々である。


 とりわけ、人類が未曽有の脅威に直面している今日、わが聖教には、「変毒為薬(へんどくいやく)」と「価値創造」の英知を発信する大いなる使命がある。


 人間への「励まし(エンカレッジ)」と「内発的な力の開花(エンパワーメント)」を促す言葉を紡ぎ、苦難に負けない民衆の心と心をつなぐ柱とならねばならない。


 今、毎日の紙面でも、日本国内はもとより世界の同志たちの奮闘や社会貢献の様子が伝えられ、懸命(けんめい)に艱難(かんなん)と戦う友に勇気の灯をともしている。


 どうすれば友を元気づけ、笑顔にできるか――不撓不屈(ふとうふくつ)の世界市民の一念が、聖教新聞には結集しているのだ。


 それは、仏が常に人びとを賢(かしこ)く、幸せに、平和にしたいと願う「毎自作是念(まいじさぜねん)の悲願」(同466ページ)にも通ずる。


 御聖訓には「真実一切衆生・色心の留難(るなん)を止(とど)むる秘術は唯(ただ)南無妙法蓮華経なり」(同1170ページ)と仰せである。


​ 我らは、この妙法の大功力で、地球上のいずこであれ、自他共の生命から、限りなく仏の智慧と力を呼び出しながら、何としても眼前の色心の留難を止めていきたい。

​波濤(はとう)を越えて! 希望の大航海​

嵐と戦う「帆船」
 60年前(1960年)の5月3日、第3代会長就任式で、私は、高く掲げられた戸田先生の遺影を仰いだ。
 “断じて指揮を執れ”――恩師の声を胸に響かせ、世界広宣流布の一歩前進へ、「ちかいし願やぶるべからず」(同232ページ)と覚悟を定めた。


 このわが出陣の「5月3日」を記念し、旧・学会本部のあった西神田の近くで、一枚の絵を購入した。
 紺青(こんじょう)の大海原で、逆巻く怒濤(どとう)と戦う「帆船」を描いたものである。


 フーゴ・シュナース=アルクイストという海洋画を得意とするドイツ人画家の油彩画であった。


 波風は吹き荒れ、3本のマストの帆はほとんど巻かれている。船体は激しく荒海に揺れ、甲板を白い波しぶきが打つ。今にも波にのまれるのか、逆風に挑み、危難を乗り切るのか、生死を懸けた激闘だ。


 進め、波瀾万丈(はらんばんじょう)の海を越えて! 師と共に、同志と共に、民衆の勝利の朝を迎えるために!――これが、広布の大航海に32歳で船出した当時の心境であった。​


 嬉しいことに、日大講堂に集った友はもちろんのこと、わが同志たちは「地涌」の誓いを分かち持ち、日本中で、さらに世界中で、創価の使命に奮い立ってくれた。


 人生の宿命の激浪にも耐えた。「悪口罵詈(あっくめり)」「猶多怨嫉(ゆたおんしつ)」の経文通りの烈風も受けた。だが、5月3日の誓いを思い出しては立ち上がり、私と共に「負けじ魂」で祈り抜き、戦い抜き、断固として勝ち抜いてきた。


 この地涌の師弟にみなぎる闘魂を、時代の荒波に敢然と立ち向かう頼もしき後継の青年たちに、私は託したいのだ。
 


使命を果たさん 世界一の団結で! 
最高峰を目指し


 世界一


  最高峰の

   ヒマラヤを


  鶴は飛び越え


   使命を果たせり


 晴れわたる就任の5月3日の朝に詠んだ和歌である。


 懐かしき「戸田大学」の講義で、恩師は「須弥山(しゅみせん)に近づく鳥は金色となるなり」(同1536ページ)との御文を通し言われた。“須弥山はいわばヒマラヤのことだよ、最高峰を目指し、苦難の山を越える戦いが自身を最高に輝かせるのだ”と。


 あの白雪の高嶺に近づく鳥たちはどんなに輝くだろう――私には、大きく翼を広げて舞いゆくツルの隊列の姿が思い描かれてならなかった。


 広布の前途に、いかなる試練の山が立ちはだかろうとも、創価の師弟は慈悲と哲理の翼を広げ、勇敢(ゆうかん)に飛翔(ひしょう)しゆくのだ。


 そして世界一の麗(うるわ)しき団結で、一切を勝ち越えて、生命の凱歌を響かせ、金色燦(こんじきさん)たる希望の大光を人類の未来へ贈りゆこうではないか!


(随時、掲載いたします)
(2020年4月20日 聖教新聞)







最終更新日  2020.04.20 12:10:00
コメント(0) | コメントを書く
2020.03.11

​​​​​​​​〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 冬は必ず春となる


ここは、もう花咲く春! 「咲」の字は「咲(え)む」「咲(わら)う」とも。朗らかな笑顔の花が咲くところ、幸の園が広がる(3月3日、池田先生撮影、都内で)

大震災から9年  風雪越えて我らは堂々と

〽風雪越えし 我等こそ
 地涌の正義の 旗頭
 今堂々の 陣列は
 使命の旗を 高らかに
  …… …… 
 ああ東北の
     凱歌の人々よ
 
 今朝も妻がかけてくれた東北の歌「青葉の誓い」を聴きながら、愛してやまぬ、みちのくの天地に思いを馳(は)せた。
​​

 ​「東日本大震災」から9年――。
​

 東北をはじめ被災地の宝友たちは、どれほどの苦難と辛労の風雪を越えてこられたことか。


 未曽有の大災害から歯を食いしばって立ち上がり、友に手を差し伸べ、愛する郷土の蘇生(そせい)のために尽くし抜かれてきた「地涌の正義の旗頭」の一人ひとりに、私は最敬礼し合掌(がっしょう)する思いである。


 それは1日また1日、何ものにも壊されない「心の財(たから)」を積み上げてきた“3,300日”なりと、必ずや御本仏が照覧してくださっているであろう。


 あらためて、全ての犠牲者の方々に、また震災後に逝去された方々に、心から追善回向の題目を捧げたい。


 亡くなられたご家族、同志、友人方も皆、生死を超えて、厳然と妙法の無量無辺の福光に包まれていることを、私は確信してやまない。
 


​「元初の太陽と」
 「青葉の誓い」には、「これぞ元初の 太陽と」と歌われている。
​

 私は、東北の友のありのままの人間味が大好きだ。そこには「元初の太陽」の輝きがある。太陽だから、気取りや体裁など必要ない。「はたらかさず・つくろわず・もとの儘(まま)」(御書759ページ)の生命で、明るく温かな思いやりの光を、皆に送っていくのだ。


 殉教の師・牧口先生は戦時中の弾圧下、福島県の郡山、二本松に足を運ばれた。一人の青年の父母への対話などのためであった。この先師が大切にされていた御聖訓がある。後に特高警察に押収された「御義口伝」にも線が引かれていた。


 「煩悩(ぼんのう)の淤泥(おでい)の中に真如の仏あり我等衆生の事なり、今日蓮等の類(たぐ)い南無妙法蓮華経と唱え奉るを当体蓮華(とうたいれんげ)の仏と云うなり」(同740ページ)
 苦悩が渦巻く社会に飛び込み、泥まみれになって、人びとのために戦い続けていく人こそ「当体蓮華の仏」なのである。


 わが東北の同志たちは底知れぬ逆境の闇夜(あんや)にも断じて屈(くっ)しなかった。


 時に悲嘆(ひたん)の涙を流し、時に運命の非情(ひじょう)さに憤怒(ふんぬ)しながら、題目を唱え抜き、「負げでたまっか」と励まし合って、広宣流布に邁進してきたのだ。


 ここにこそ、日蓮大聖人に直結する真実の仏の誉(ほま)れの実像があると、創立の父も讃えておられるにちがいない。


​ 大震災を乗り越えてきた創価の少年少女と青年たちが、たくましく成長している。頼もしいその英姿こそ、何よりの希望である。苦悩を突き抜けて、朗らかに大輪を咲かせる「蓮華」の生命そのものではないか。
 


​尊き無冠の走者
 太陽がまだ昇りきらぬ寒い朝も、“無冠の友”は一軒また一軒、聖教新聞を届けてくれている。感謝は尽きない。どうか、今日もお元気で! 日々絶対に無事故で!と申し上げたい。​


 今、読者の心へ、希望の声、勇気の言葉を送る言論城・聖教の使命は、極めて大きい。


 被災地である宮城県東松島市の母も、幸福勝利のバトンをつなぐ走者として配達されている。大震災の津波で母上と次男を亡くされた悲しみを胸の奥に畳み、できることは何でも喜んでと、励ましに生き抜く母である。


 私がかつて共に対談集を発刊したアメリカ・エマソン協会元会長のサーラ・ワイダー博士も、はるばるこの尊き母たちを訪ねられ、その「強い心」に感銘し、出会いを宝とされた。博士から送られたメッセージでも、「互いにどんな時も全力で献身を」と固く約し合われたのだ。
 


希望の歌声届け

春本番へ、威風堂々と!――本部幹部会・東北総会の掉尾に、扇を手にして。この後、学会歌の指揮を執った(1999年3月9日、八王子市の東京牧口記念会館で)
 岩手県の三陸の友からも嬉しい便りが届いた。​


 先月の初め、音楽隊・しなの合唱団による「希望の絆」コンサートが、岩手県三陸沿岸の6市町村――大槌町(おおつきちょう)、山田町、宮古市(みやこむら)、田野畑村(たのはらむら)、普代村(ふだいむら)、洋野町(ひろのむら)で行われたのである。


 歌声に乗せて、勇気の春風を届ける若き楽雄たちを、地域を挙げて歓迎してくださり、多くのご友人も来て喜ばれたと伺った。


 「学会の皆さんの気持ちに触れて、元気が出ました」「被災地の生活は大変ですが、長生きしたいと思いました」等々、反響が寄せられている。


 わが同志が、いかに粘り強く地域に貢献し、友情と信頼の花を咲かせてきたことか。一歩また一歩と前進し、あの友この友のために、誠実に心を砕いていることか――。この人間性の輝きこそが福光の希望となり、復興の底力となるのだ。
 


​常磐線駅の邂逅​(かいこう)
 間もなく、JRの常磐線(じょうばんせん)が九年ぶりに「全線運転再開」となる。
​

 常磐線といえば、福島・浜通りの同志との出会いが懐かしく蘇(よみがえ)る。それは、私が会長に就任した年(1960年)の11月のことである。


 盛岡からの帰路、湯本駅(現いわき市)に地元の友らが駆けつけてくれたのだ。たまたま発車が遅れたので、15分ほど駅のベンチで懇談できた。


 駅で励ました乙女が今も広布の母として活躍するなど、いわきの友の勝利の近況が嬉しい。


 東北家族が不二の心で織り成してきた、無数の「人間革命」の凱歌に私は胸を熱くする。

​
 長く厳しい復興への奮闘の中で、体調を崩した宝友もおられるが、全ての利他の振る舞いが尊い「身の供養」である。「転重軽受(てんじゅきょうじゅ)」「変毒為薬(へんどくいやく)」の大功力は厳然だ。「常楽我浄(じょうらくがじょう)」の軌道を、永遠に進みゆかれることは断じて間違いない、と確信する。
 


​最後は必ず勝つ
 東北の友と異体同心のスクラムで吹雪に胸を張って前進してきたのが、北海道の友である。
​

 この3月11日は、北海天地で、創価の正義を満天下に示した歴史的な「小樽問答(おたるもんどう)」から満65年でもある。


 あの「3・16」広布後継の大儀式を間近にしていた時、小樽支部の初代支部長として戦った友を、戸田先生が激励されたことがある。


 「いやなこと、辛いこと、悲しいこともあるにちがいない。むしろ、人生は、その連続だろう」


 「だが、信心を全うし抜いていけば、最後は必ず勝つ。いろいろなことがあっても、幸福と言い切れる境涯になるよ」


 三代城・北海道と青葉の人材城・東北への恩師の思いは、あまりにも深かった。私も師と同じ心で、北国の友と生き抜いてきた。



爛漫と咲け 負けじ魂の「福光桜」
碧(あお)い湖畔に、待ちかねたように桜が咲いた。春へ、春へと、自然は確かな足取りで進む(1983年4月、池田先生撮影、宮城県の釜房湖で)

​耐​えてこそ開花​
 北国の冬は長く、厳しい。だが、寒風の下でも、木々は力を蓄え、芽吹きの時を待つ。
 大震災の年の9月、私は小説『新・人間革命』の「福光」の章を綴った。​​


 昭和52年(1977年)の3月11日に福島を訪れ、3日間にわたって東北の友を励ました歴史である。この折、私は「創価之山桜」など“桜”の揮毫を東北の友に贈った。


 いかなる試練や苦難の冬が続こうとも、我らは胸張り耐え抜いて、断固として咲き誇るのだ! 

「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書1253ページ)という希望の大哲理を社会へ、世界へ、未来へ示していくのだ!――との願いを込めたのである。


 まさしく、不撓不屈(ふとうふくつ)の負けじ魂で、「冬は必ず春」を実証してきた同志こそ創価山の“福光桜”にほかならない。
 大聖人は、こうも仰せである。


 「冬と春とのさかひ(境)には必ず相違す(そうい)る事あり凡夫(ぼんぷ)の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者(けんじゃ)はよろこび愚者(ぐしゃ)は退(しりぞ)くこれなり」(同1091ページ)


 我らは、変化を恐れまい。一人も残らず、勇敢な賢者として価値を創造していくのである。


 
新たな黄金時代へ 先駆者の使命は深し
 現在、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、国内外で医療関係者はもとより社会全体で力を尽くしている。昼夜を分かたぬ多くの方々の労苦に深謝するとともに、一日も早い終息、安穏な日常の回復を、強く深く祈り願ってやまない。
​

 かのトインビー博士は呼び掛けられた。


 ――「危機の時代」を生きる人間は、事態をよい方向へと打開し、今を「偉業の行われた時代」に転じ、「黄金の時代の先駆者」となるのだ、と。


 若き地涌の勇者たちが世界の友と手を携えて、強く賢く朗らかに「黄金の時代」を開いていくことを、私は信じている。
 


「自然に仏界に」
 東北・北海道をはじめ全同志と繰り返し拝してきた「開目抄」の御金言を、今再び、心肝(しんかん)に染(そ)めたい。


 「我並(われなら)びに我が弟子・諸難ありとも疑(うたが)う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護(かご)なき事を疑はざれ現世(げんせ)の安穏(あんのん)ならざる事をなげかざれ」(御書234ページ)


 創価の師弟は、諸難の連続の中にあって、この仰せを「まことの時」に断じて忘れず貫き通してきた。だからこそ、一人ひとりが「自然に仏界」を勝ち開いてきたのだ。


 そして、これからも、諸難を一つまた一つ、勝ち越えながら、いやまして「仏界」という最極の生命の大連帯を、地球社会へ広げていこうではないか!
 
(随時、掲載いたします)
 


〈引用文献〉 トインビーは『歴史の教訓』松本重治編訳(岩波書店)。



(2020年3月11日 聖教新聞)







最終更新日  2020.03.11 12:00:06
コメント(0) | コメントを書く
2020.02.07

​​​随筆「人間革命」光あれ   池田大作
恩師の生誕120周年


​いざ往かん 師弟共戦の広布旅
 青年の歌声こそ、希望の暁鐘(ぎょうしょう)である。
 いかなる吹雪の闇夜(やみよ)も越え、新たな黎明(れいめい)を決然と告げゆく響きなのだ。
 この一月、欧州の青年たちが届けてくれた、素晴らしい歌声を聴(き)いた。
 ドイツのフランクフルトに35カ国の代表が集った欧州広布サミットの際、男女青年部の友が披露した新しい愛唱歌「トーチベアラーズ(松明を持つ人)」である。
 「私たちは正義の松明(たいまつ)を持つ人 正義のために立つ」「勇気の松明を持つ人 光り輝くために戦う」「自由の松明を持つ人 全人類のために」と、誇り高く謳(うた)われている。
 作詞に当たり、青年たちは、恩師・戸田城聖先生が法難を戦い越える中で作られた「同志の歌」を学び合ったという。
 「旗持(はたも)つ若人(わこうど)」よ「競(きそ)うて来たれ」という恩師の熱願に呼応して、一人ひとりが「仏法の人間主義の旗」「広布大願の松明」を持つ若人たらんとの決意を込めたのだ。
 その心を戸田先生に届ける思いで、私は何度も何度も聴いた。
 1900年(明治33年)に戸田先生が誕生されてより、この2月11日で満120年――。
 先生が呼び出された地涌の陣列は、今、地球を大きく包み始めた。
 恩師が願ってやまなかった人類史の平和と人道の黎明を、若き創価の世界市民の歌声が告げてくれているのである。
 
足元から突破口​​


 「いざ往(ゆ)かん 
   月氏(がっし)の果(はて)まで 
    妙法を 
   拡(ひろ)むる旅に 
     心勇(こころいさ)みて」
 この和歌を、戸田先生が詠まれたのは、1952年(昭和27年)の1月であった。
 さらに、「地球民族主義」という先見を提唱されたのは、翌2月。男女合同の青年部研究発表会の席上である。
 朝鮮戦争(韓国戦争)の痛ましい悲劇が打ち続く中で、アジアと世界の民衆の苦悩を、いかに打開するか、妙法流布と人類共生の未来を見つめて、先生の頭脳はフル回転していたのだ。
 青年に遠大なビジョンを示されながら、日々、先生が精魂を注がれたのは、目の前の一人を救うことであった。
 つまり一対一の励ましであり、折伏である。
 御本仏は――
 「一切衆生の同一苦は悉(ことごと)く是(これ)日蓮一人の苦」(御書587ページ)
 「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦」(同758ページ)と仰せである。
 この大聖人のお心を体し、現実に渦巻く病苦や経済苦、家庭不和など、あらゆる庶民の苦悩に、先生は真っ向から挑(いど)まれた。人類の「宿命転換」も、一人の「人間革命」から始まるからだ。
 当時、先生は弟子たちに語られた。
 「みなさんは、幸福になりなさい」
 そして「信心と折伏をもって、戸田の一門として通しなさい」と。
 しかし、折伏は難事中の難事(なんじ)である。
 先生が願業とされた75万世帯への道のりはあまりにも遠かった。
 直弟子として24歳の私は、ただただ報恩の一念で一人立った。
 宿縁深き地元の蒲田支部の同志と、拡大の突破口を開く「二月闘争」を開始したのである。
 
伝統の2月 まず一人立とう 一人を励まそう
心のギア合わせ
 蒲田支部の私たちは、祈りに祈った。歩きに歩いた。語りに語った。
 学会歌を一緒に口ずさみながら、もう一人、あと1軒と、対話に向かったことも思い出深い。
 御義口伝(おんぎくでん)には、「妙法蓮華経」の五字を人間の身に配して、「足は経なり」(同716ページ)と明かされている。法のため、友のために「自ら動く」こと、「足を運ぶ」ことから、妙法の福徳は大きく広がる。
 わが同志は、日々の生活を必死にやりくりしながら、勝利の実証を示さんと奮闘した。無理解な悪口を浴びても、相手の幸福を祈り、仏縁(ぶつえん)を忍耐強く育(はぐく)み広げていった。
 何とけなげな、何と尊(とうと)い方々であるか。
 折伏ができずに悩む。それは、まさに「仏の悩み」そのものではないか。
 「いまだこりず候」(同1056ページ)と、皆で励まし合った。1日また1日、勇気と誠実の対話に挑み抜き、“戸田先生に勝利の報告を!”と走り切った。そして当時、どの支部も破れなかった壁を破り、1カ月で201世帯という弘教を成し遂げたのである。
 師匠の大願に、弟子が「心のギア」をがっちりとかみ合わせ、異体同心(いたいどうしん)で戦えば、計り知れない仏の力と功徳が出る。必ず勝利できるのだ。
 この信心の極意(ごくい)を全学会に示したのが、2月闘争であるといってよい。
 激戦の中、私は、一生涯、いな永遠に、共戦の友の人生の勝利を祈り続けることを誓った。
 その方々の地涌の家族と眷属(けんぞく)が、日本はもとよりアメリカをはじめ世界へ広がり、広布後継の道を歩まれていることは、何よりの喜びである。
 アメリカでは先月、フロリダ、ニューヨーク、ロサンゼルスで婦人部の研修会や幹部会が明るく賑(にぎ)やかに行われた。その笑顔満開の映像を、妻と共に嬉しく拝見した。
 そこには、結成45周年を迎えた「SGI」発足の原点の地であるグアムからも、代表が勇んで参加されていた。懐かしい歴代の全米婦人部長と女子部長たちも、元気に集われていた。
 「年は・わ(若)かうなり福はかさなり候べし」(同1135ページ)の素晴らしいスクラムに、妻は拍手を送り続けていた。
 
二人の「巌窟王」
 2月闘争の渦中に恩師が教えてくださった「地球民族主義」は、私の対話を貫く信条である。
 それは、人種差別撤廃へ生涯を懸けたネルソン・マンデラ氏との語らいでも共鳴を広げた。
 思えば、この“人権の巌窟王”が獄窓27年半もの苦難を耐え抜き、出獄されたのは、30年前(1990年)の2月11日である。
 奇しくも戸田先生の生誕90周年の日であり、先生の小説『人間革命』で、自らをモデルとした作中人物を“妙法の巌窟王(がんくつおう)”の意義から「巌九十翁(がんくつお)」と命名されたことが、私には偲(しの)ばれた。
 この年の秋、初来日したマンデラ氏を青年たちと歓迎したことは、忘れ得ぬ思い出である。5年後、新生・南アフリカ共和国の大統領として再び来日した折も、再会を喜び合った。
 マンデラ氏は、獄中で看守など何人もの迫害者を対話によって友人に変えながら、「反アパルトヘイト」(人種差別撤廃)の勝利へ、たゆまぬ波を起こしていかれた。
 その力の源泉は、どこにあったのか。
 どんな人間にも「けっして消えない良識の核(かく)があるということ、心に触れる何かがあれば、その核が人間を変えてくれるものだ」――この人間信頼の確信がカギとなったと氏は回想されている。
 法華経に説かれる不軽菩薩(ふきょうぼさつ)が「人を敬(うやま)う」振る舞いに徹し抜いたのも、「万人に仏性あり」との揺るがぬ大確信に立っていたからである。
 今、不軽菩薩さながら創価の若人が、生命の尊厳と平等の連帯を、地球社会に組み広げている。
 戸田先生とご一緒に、マンデラ氏も、巌窟王の笑みで見守っておられるように思えてならない。
 
地球に何か善を
 中国の周恩来総理をはじめ世界の指導者と対話を重ねる中で、「ああ戸田先生と同世代の方だ」と不思議な感慨を覚(おぼ)えたことが、幾(いく)たびかある。
 アメリカの大実業家・アーマンド・ハマー氏もそうであった。
 ハマー氏と親しくお会いしたのは、マンデラ氏釈放のニュースに沸く1990年2月、ロサンゼルスであった。当時、氏は91歳であられた。
 東西冷戦終結へ道筋をつくったレーガン=ゴルバチョフの米ソ首脳会談を実現させた、立役者の一人である。
 この首脳会談の舞台裏については、4カ月後、創価大学にお迎えした折、語ってくださった。
 氏の行動を支えてきたのは、「この豊かな地球に自分の力でさらに何かを加え、すべての人々とともに、人生の“美しさ”と“歓び”を分かち合いたい」という願いだ。
 ハマー氏ら、私が縁を結んだ恩師と同世代の巨人たちが最晩年、揃って未来への希望を託(たく)してくださったのが、わが創価学会であり、SGIなのである。


不二の命で前進
 恩師と拝した忘れ得ぬ御聖訓に、「仏の寿命・百二十まで世にましますべかりしが八十にして入滅し、残る所の四十年の寿命を留め置きて我等に与へ給ふ恩」(御書938ページ)とある。
 学会は恩師が“命より大切な組織”と留(とど)め遺(のこ)された仏勅(ぶっちょく)の教団である。生誕120年の師の御命は、創価の和合僧(わごうそう)に厳然と脈打っている。不二の我らが大法弘通慈折広宣流布(だいほうぐつうじしゃくこうせんるふ)の大願へ、異体同心の団結で進む中で、無限の智慧(ちえ)と力が満々と漲(みなぎ)りわたるのだ。
 「伝統の2月」、寒風にも凜然(りんぜん)と先駆けの梅花がほころび始めた。
 さあ、誓いの友と勇気に燃えて前進だ。妙法の大功力を社会に世界に薫(かお)らせ、歓喜の「春の曲」を奏(かな)でようではないか!
                        (随時、掲載いたします)
 
<引用文献>マンデラの言葉は『ネルソン・マンデラ自伝 自由への長い道㊦』東江一紀訳(NHK出版)。​


(2020年2月7日 聖教新聞)







最終更新日  2020.02.07 12:30:12
コメント(0) | コメントを書く
2019.10.03
随筆「人間革命」光あれ 

師弟凱歌の言論城    池田大作

正義の師子吼で民衆に希望の光を!
世界聖教会館と共に対話の王者と勇み立て
「平和の地球」照らす太陽の仏法

この言論の城から希望の光よ世界へ広がれ! 「創価学会 世界聖教会館」が堂々と
(池田先生撮影。9月14日、東京・信濃町で)

 清々しい青空が広がる 9月28日の午前、「世界聖教会館」の真新しい館内に足を運んだ。
 礼拝室の言論会館で勤行・唱題を行い、深く強く誓願の祈りを捧げた。
 いよいよ、この新しき師弟の言論城から、世界広宣流布の新しき波を起こすのだ!
 人間主義と生命尊厳の旗を掲げて、「希望の光」「常楽の光」「平和の光」を広げゆくのだ!
 そして、日本と世界の読者をはじめ、聖教につながる一切の方々が、健康で幸福であるように!
 なかんずく、日々、我らの聖教を配達してくださっている“無冠の友”が、どうか、絶対に無事故であるように!と真剣に題目を送った。
 図書資料室では、聖教新聞の爽やかなコマーシャルも拝見した。ここでは、世界各国の機関紙・誌や日本及び海外の出版物が閲覧できる。
 電子版の「セイキョウオンライン」には、実に198カ国・地域からアクセスがあるという。
 「日本中、世界中の人に読ませたい」と言われていた戸田先生が、どれほど喜ばれるか。
 第二代会長就任を目前に、先陣切って創刊された聖教新聞は当初、新宿・百人町にあった先生の事務所で制作され、作業場は間もなく市ヶ谷のビルに移った。狭い狭い編集室で、先生を囲んで新聞を作った日々──苦しくも楽しき歩みを思い起こしながら、妻と感慨深く語り合った。

前進、前進、前進
 この9月28日は、実は1970年(昭和45年)に、これまでの聖教新聞本社屋の落成式が行われた日でもあった。奇しくも、あれから50年目となる。
 あの当時、いわゆる「言論問題」が惹起し、学会は無理解の非難にも晒されていた。
その中で完成した聖教本社屋は、烈風に向かって敢然と聳(そび)え立つ新生の城であった。
 落成式の折、私は申し上げた。
 「心も一新して出発しよう。日々、自分の惰性を打ち破っていくことが、良い新聞をつくる最大の要件だ。一日一日が戦いだよ……前進、前進、前進なんだ」
 半世紀を経た今、再び新たな人間革命の心で、新たな前進の「希望」と新たな前進の「勇気」を送っていきたい。

破邪の剣掲げて
 世界聖教会館の一階入り口に設置された「師弟凱歌の碑」に私は記した。
 「立正安国と世界広布の大言論城たる此の地から、永久に師弟共戦の師子吼(ししく)が放ちゆかれることを信ずるものである」
 「師子吼」といえば、法華経の勧持品では、釈尊の御前に勢揃いした弟子たちが、「師子吼を作(な)して、誓言( せいごん )を発(おこ)さく」(創価学会版法華経417ページ)と説かれる。
 すなわち、仏滅後の悪世にあって、十方世界を舞台に法華経を弘通することを力強く誓願した、弟子たちの誓いの言葉を「師子吼」と表現されているのだ。
 御本仏・日蓮大聖人は、この深義を御義口伝で「師(し)とは師匠授(さず)くる所の妙法 子(し)とは弟子受くる所の妙法・吼(く)とは師弟共に唱うる所の音声(おんじょう)なり」(御書748ページ)と教えてくださった。
 「師子吼」とは、師弟不二の心で妙法を唱え、「正義」を叫び切っていくことに他ならない。
 勧持品で、弟子たちが師子吼して示したことは何であったか。「三類の強敵」の迫害に屈せず、不惜身命で戦い抜いてみせる、との誓願である。
 青年部の友が今回の教学試験で研鑽(けんさん)した通り、
 三類の強敵とは──
 第一に俗衆(ぞくしゅう)による悪口罵詈等(あっくめりとう)の迫害である。
 第二に傲慢(ごうまん)で邪智(じゃち)の僧侶らによる迫害である。
 そして第三に、世の尊敬を集める高僧を装い、権力者と結託した僭聖増上慢(せんしょうぞうじょうまん)による迫害である。
 大聖人直結の我ら創価の師弟は、僭聖増上慢をも駆り出し、異体同心で「三類の強敵」と決然と戦い続けてきた。
 それは、聖教新聞を正義の宝剣として、一人ひとりが勇敢に忍耐強く貫き通す大言論戦である。
 我らは、断固として勝ちに勝った。晴ればれと「破邪顕正(はじゃけんせい)」の勝ち鬨をあげた。192カ国・地域の平和・文化・教育の連帯は、いよいよ威光勢力(いこうせいりょく)を増している。これこそ、歴史に永遠に輝く民衆仏法の凱歌である。
 不思議にも、今この時、世界聖教会館が誕生したことは、御本仏が創価の師弟を御照覧くださり、讃嘆してくださっている、何よりの証しなりと確信するものである。
 我らの言論城は、永久に師弟共戦の「師子吼の大城」だ。
 「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」「彼等は野干のほう(吼)るなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書1190ページ)
 どこまでも、この御金言通り、この世で最も強き「師子吼」を轟(とどろ)かせ、人生と社会のいかなる悲嘆も絶望も吹き飛ばし、共に勝ち進みゆくのだ。

幸福な人の王国
 世界聖教会館から、間近に輝き見える世界女性会館をカメラに収めた。
 2000年の9月に開館して以来、「女性の世紀」の宝城として、世界の宝友を迎えている。
 近隣にお住まいで、ウクライナの駐日大使だったコステンコ氏と、詩人として名高いリュドミラ夫人は、この女性会館を「心美しい人、幸福な人が集う王国」と形容された。
 しかも、来館者を「会館に入る時以上に、出てくる姿は、もっと美しい」と讃えてくださった。
 これこそ、「蘭室の交わり」を広げる創価の城の福徳の力なのである。
 折しも9月28日は1975年(昭和50年)に、当時の女子部の「青春会」が発足して45年目の日であり、世界女性会館では結成記念の会合が行われた。
 「一生涯、題目と広布」との誓いのままに、仲良く励まし合いながら走り抜いて、世界の華陽姉妹の道を開いてくれた模範のスクラムである。
 皆の元気な近況を妻からうれしく聞きながら、「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(御書1135ページ)との実証を、ますます朗らかに、と題目を送った。

一滴からから大河へ
 「諫暁八幡抄」には、仰せである。
 「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相(ずいそう)なり」(同588~589ページ)
 大聖人が願われた、「仏法西還」「一閻浮提広宣流布」を現実のものとしたのは、創価学会である。
 日興上人の指南を伝える「五人所破抄」に、「本朝(ほんちょう)の聖語(せいご)も広宣の日は亦仮字(またかな)を訳(やく)して梵震(ぼんしん)に通(つう)ず可(べ)し」(同1613ページ)と説かれる如く、文字・言論が具える普遍の力で、あらゆる壁を越えて、今やこの地球上に、日蓮仏法の大光が届かない所はない。 ​


 先日は、学会代表団、青年文化訪印団が、仏教発祥のインドに赴いた。
 ニューデリーにはインド創価学会(BSG)の新「本部」が落成、首都近郊にある創価菩提樹園には「講堂」の誕生……わが地涌の同志の歓喜がはじける、誠に晴れがましい慶事が続いた。
 1979年(昭和54年)2月、私がインドを訪れた折、メンバーは百人にも満たなかった。しかし私は“ガンジスの大河も一滴から”と、尊き使命の友を励ました。
 ここから我が同志は、勇気ほとばしる息吹で、悠久の大地に幸福と友情と信頼という妙法の種を蒔き続け、この40年で、22万人を超える偉大な地涌の人華と咲き誇っているのである。


 微笑みの王国・タイの広布の大発展も目覚ましい。明年には、待望の研修センターが完成する。
 毎日、インド、タイからの報告を伺い、眩いばかりの友の笑顔を聖教紙上で拝見しながら、何度も何度も万歳を叫び、喝采(かっかい)を送る思いであった。
 「諫暁八幡抄」には、さらにこう仰せである。
 「月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝(まされり)五五百歳の長き闇(やみ)を照すべき瑞相(ずいそう)なり」(同589ページ)
 広宣流布は、世界へという「横の広がり」とともに、世代から世代への「縦のつながり」によって織りなす大絵巻だ。
 世代を重ねるごとに、いよいよ力ある「従藍而青(じゅうらんにしょう)」の人材を育成する。これが、末法万年尽未来際の「令法久住(りょうほうくじゅう)」を開く大道である。

新たな「大城」を
 思えば、戸田先生が「城聖」とのお名前を、初めて記されたのは、法難の獄中であった。
 恩師は、殉教の師・牧口常三郎先生の分身として出獄され、民衆を守り抜く「正義の城」「人材の城」「平和の城」を、厳然と築かれたのである。
 今も、先生の声が聞こえるようだ。
 「私は城聖、君は大作だ。一緒に、偉大な『創価の大城』を作ろうではないか!」
 聖教の「聖」の文字は、わが城聖先生の「聖」に通じ、そして「耳」と「口」の「王」と書く。恩師さながらに「対話の王者」「言論の王者」たれとの意義と、私は命に刻んできた。
 世界聖教会館は、その正面を東天に向けて聳(そび)え立つ。まさに昇りゆく旭日と共に輝き光る大城であるといってよい。
 この「太陽の言論城」を仰ぎつつ、いやまして勇気と励ましの語らいを、わが地域へ、世界へ明るく広げ、共々に「平和の地球」を照らしゆこうではないか!
 (随時、掲載いたします)


                              (2019年10月3日 聖教新聞)

​​






最終更新日  2019.10.03 12:06:18
コメント(0) | コメントを書く

全16件 (16件中 1-10件目)

1 2 >


Copyright (c) 1997-2021 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.