閲覧総数 1874
2018.02.09
|
全16件 (16件中 1-10件目) 随筆 「人間革命」光あれ
カテゴリ:随筆 「人間革命」光あれ
〈〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作
日蓮大聖人は後半生、佐渡(現・新潟県)、さらに甲斐(かい)(現・山梨県)の山で、大雪の冬を堪(た)え忍(しの)ばれ、広宣流布と令法久住(りょうほうくじゅう)の法戦を貫かれた。 ある冬は、近隣の年配者たちに尋(たず)ねても口々に「いにしへ・これほどさむき事候はず」(御書1098ページ)と驚くほどの酷寒(こっかん)で、「一丈二丈五尺等」(同ページ)という何メートルにも及ぶ積雪であったと記されている。 また、深い雪を物ともせず御供養を届けた門下を、「雪の中ふみ分けて御訪(おんとぶら)い候事 御志(おんこころざし)定(さだ)めて法華経十羅刹(じゅうらせつ)も知(しろ)し食(め)し候(そうろう)らん」(同1388ページ)とも讃えておられる。 「無冠の友」をはじめ、雪にも北風にも負けず、誠実に聡明に広布と社会に尽くす同志への御照覧(ごしょうらん)と、拝されてならない。
「冬は必ず春となる」(同ページ)という生命の法則を確信し、忍耐強く試練の冬に挑み抜き、断じて「福徳と歓喜の春」を勝ち開く信仰なのだ。
「冬来(きた)りなば、春遠(とお)からじ。極寒の冬なれど、春近(ちか)しを思えば、胸はときめく。いかなる苦難に遇(あ)っても、希望を決して捨ててはならぬ」 ただ師匠をお守りするため、阿修羅(あしゅら)の如く戦い抜く日々であった。 苦境を打開して、この年の5月3日、遂に、戸田先生の第二代会長就任という希望輝く「師弟凱歌の春」を迎えたのである。 その翌月の10日、先生が晴れ晴れと「白ゆりの香りも高き集い」と詠まれ、結成されたのが、わが婦人部である。 「ゆり」の花は、古代ローマでも、「希望」の象徴とされていたという。 今、不安の闇(やみ)に覆(おお)われた世界にあって、何よりも明るく温かい「希望の陽光」を放っているのは、本年、結成70周年を迎える「太陽の婦人部」であると、私たちは声を大にして宣揚したい。 全国津々浦々で、自他共に幸の価値創造の喜びを広げている「ヤング白ゆり世代」の友もまた、新時代の希望の花そのものではないか。
雪の北海道・夕張(ゆうばり)を初訪問したのも、1957年(昭和32年)の1月13日であった。健気な同志たちの信教の自由が侵害された“夕張炭労事件”に立ち向かい、勝利した年である。幾重にも共戦の歴史が蘇(そみがえ)る。 今年の冬、夕張方面は例年に倍する豪雪と伺った。ご苦労が偲(しのば)ばれる。 これまでも夕張はじめ北海道の同志は、炭鉱の事故や自然災害、また経済苦、自身や家族の病気などを、どれほど勇敢に乗り越えてきたことか。 あの炭労事件の歴史を学び、人権蹂躙(じんけんじゅうりん)の悔(くや)しさとともに正義の勝ち鬨(どき)を命に刻んだ広布の母は、何があっても「大丈夫!」と、微笑みを湛えた一言で友を励ましてきた。 自らも癌(がん)と闘い続けたこの母が語る「大丈夫!」とは、何とかなるという願望でもなければ、なぐさめでもない。 「大難来りなば強盛の信心弥弥悦(いよいよよろこ)びをなすべし」(同1448ページ)との御聖訓通り、誓願の題目を唱え抜けば、解決できないことは何もないとの揺るがぬ確信なのだ。 夕張の偉大な母たちには、使命の大地に根を張り、地下1,000メートルの坑道の底までも妙法を染み込ませる一念で、広宣流布と立正安国に命を尽くしてきた誇りがある。
ゆえに、愛する郷土から、福運と人材の宝が無量に湧き出てこないわけがない。絶対に大丈夫!――そう言い切れる地涌のスクラムは、今、試練の時代に挑む地域社会へ、「勇気」即「希望」を限りなく広げているのだ。
関西青年部への激励と山口開拓指導を戦い切って広島入りし、当時、岡山支部に所属していた広島地区の決起大会に出席したのだ。その日は、1月26日であった。 帰京後、山口闘争、また広島、岡山はじめ意気軒昂(いきけんこう)な中国の同志の様子をご報告すると、戸田先生は会心の笑みを浮かべて喜んでくださった。 先生が歴史的な「原水爆禁止宣言」を発表されたのは、それから8カ月後のことだ。 さらに、世界の平和を願い、「創価学会インタナショナル(SGI)」が発足したのは、奇しくも広島の同志との新出発から満18年後の、1月26日であった。 本年、このSGIの記念日を前にして、来る22日には、「核兵器禁止条約」が、いよいよ発効の時を迎える。 “核兵器による悲劇を二度と繰り返させてはならない”との広島、長崎の被爆者の方々の声が、大いなる推進力となった画期的な条約である。 平和原点の天地・広島、長崎をはじめ、不戦を願う市民社会の連帯を一段と強め、「核兵器のない世界」へ人類の希望の一歩前進を誓い合いたい。
奇跡と謳(うた)われる戦後の広島の復興に心を砕(くだ)き、尽力された“アメリカの良心”カズンズ博士は、私との対談で語られた。 「生命の再生能力です。人間は肉体、精神両面において、苦痛や試練を克服し、病(やまい)を治癒(ちゆ)する本然の能力を持っている」と。 しかし博士は、「それ以上に素晴らしいもの」があると言われた。 すなわち、「『希望』の力」である。 「希望こそ私の秘密兵器」――これが、博士の強さの源泉だったのだ。 御聖訓には「妙法の大良薬(だいろうやく)を以(もっ)て一切衆生の無明の大病を治(じ)せん事疑(ことうたが)い無(な)きなり」(御書720ページ)と仰せである。 社会が希望を失い、苦悩の闇の中に沈んでいる時こそ、仏法の智慧は輝き光る。あきらめという無明の大病を打ち払い、万人に未来への光明を赫々と示していけるのだ。 そして、現実の病気と闘う友に、「病ある人仏になるべき」「病によりて道心(どうしん)は をこり候なり」(同1480ページ)と、永遠の次元から究極の希望を贈り、蘇生(そせい)させていくのも、日蓮仏法なのである。
希望の大光を放つ「太陽の仏法」を、アジア、そして全世界の苦悩の民衆に伝えたい――そう願ってやまなかった恩師の「仏法西還(せいかん)」「東洋広布」の夢の実現を誓い、不二の弟子として、勇んで先駆けたのである。 この旅を前に、私は福岡県の小倉(現・北九州市)で行われた九州の三総支部結成大会に出席した(1月8日)。開会前から会場に響き渡っていたのは、九州で生まれた「東洋広布の歌」である。 我らの手で新たな広布の道を開かん!――あの日以来、九州の友がどれほど「先駆」の歴史を開いてくれたことか。 本年「希望・勝利の年」も、“創立100周年の主役は青年!”と、いずこにも先駆けて対話の拡大に走り抜いてくれている。 その勇気と団結の行動こそ、まさしく「世紀乱舞の人」ともいうべき地涌の躍動といってよい。 相模国(さがみのくに)(現・神奈川県)で竜の口の法難を勝ち越え、発迹顕本(はっしゃくけんぽん)されて満750年でもある。 法難当時(文永8年<1271年>9月12日)、大聖人は御年50歳であられた。今の壮年部の世代と重なる。 大聖人は頸(くび)の座(ざ)に臨(のぞ)まれて、「今が最期です」と嘆(なげ)く弟子・四条金吾に対し、「これほどの悦(よろこ)びをば・わらへかし」(同914ページ)と雄々しく悠然(ゆうぜん)と励まされた。 最も大変な時に、最大最上の境涯を開く。これが仏法の真髄(しんずい)である。 信心に行き詰(づ)まりは断じてない。困難を前に、あきらめて、うなだれる必要などない。堂々と笑い飛ばしていけ。創価の負けじ魂を、烈々と燃え上がらせていくのだ。大信力、大行力を奮い起こして祈り戦うのだ。この人間革命にこそ、「わが発迹顕本」もある。 人類全体の転換期の中で、創価学会は今、新たな発迹顕本の時を迎えているといってよい。 それは決して遠くにあるのではない。一人ひとりが「私が創価学会だ」「今に見よ!」と頭を上げて不撓不屈(ふとうふくつ)の挑戦を続けゆく中に、その実相があることを忘れまい。
ゆえに「創価の青年のたくましさを吹き込んでこそ、世界の青年層を力強く蘇(よみがえ)らせることができる」と断言されたのだ。 「阪神・淡路大震災」から26年。 そして「東日本大震災」から10年――。 創価の青年たちは、艱難(かんなん)の冬将軍に幾(いく)たびも打ち勝ち、いやまして、たくましく鍛錬(たんれん)されてきた。今、コロナ禍にあっても、この不屈の心を全世界の「従藍而青(じゅうらんにしょう)」の若人が社会に広げてくれている。 未来部の若木たちも、何と力強く、また頼もしく伸びていることか。 地球社会の人道の大城の建設へ、希望の暁鐘(ぎょうしょう)を打ち鳴らす「青年部幹部会」の開催も目前だ。 わが国土、わが街の青年の成長と勝利を皆で祈り、共々に青年の心で邁進(まいしん)しようではないか!
最終更新日
2021.01.19 13:31:28
コメント(0) | コメントを書く
2020.11.16
カテゴリ:随筆 「人間革命」光あれ
随筆「人間革命」光あれ 池田大作 「明けの明星(みょうじょう)」たる金星だ。時に月と仲良く並んで、日の出を待ち受けることもある。 法華経の会座に、「普香天子(ふこうてんし)(明星天子)」として、「宝光(ほうこう)天子(太陽)」と「名月(みょうがつ)天子(月)」と共に眷属(けんぞく)を率(ひき)いて連なる諸天善神(しょてんぜんじん)である。 この「三光天子」たちも、人知れず寒風を突いて、聖教新聞を配達してくださる気高き“無冠の友”の方々へ、福徳の慈光を注いでいるであろう。 どうか、風邪などひかれませんように! 心からの感謝を込め、健康長寿と絶対無事故、そして、ご一家の安穏と栄光を、皆で祈りたい。
この「希望」と「勇気」を、逆境であればあるほど、いよいよ強く明るく賢(かしこ)く発揮していく方途を教えてくださったのが、日蓮大聖人である。 御書には仰せである。 「月はよい(宵)よりも暁(あかつき)は光まさり・春夏よりも秋冬は光あり、法華経は正像二千年よりも末法には殊(こと)に利生有(あいしょうあ)る可(べ)きなり」(1501ページ) 月は、闇(やみ)が最も深い暁(あかつき)ほど、また寒さが厳しく、空気が澄(す)んでいる秋や冬ほど、光が冴(さ)える。同じく、人びとが苦悩の闇(やみ)に覆(おお)われる末法ほど、妙法の功徳はいやまして輝くと示されている。 日本も世界もコロナ禍が打ち続き、先行きの見えない不安に襲(おそ)われる中にあって、わが創価家族は祈りを絶やさず、励ましの声を惜しまず、一人また一人と、友の心に、同志の胸に、希望と勇気の光を届けてきた。 まさに「時」を逃さず、「信心即生活」「仏法即社会」の大使命を果たし抜いているといってよい。 創立90周年を飾る今、誉れの同志は、地域と社会の依怙依託(えこえたく)として一段と輝きを増し、友情と信頼を勝ち結んでいる。 その福運も、どれほどの豊かさと広がりをもって顕れることだろうか。 創立の師・牧口常三郎先生も、戸田城聖先生も、さぞ、お褒めであろう。 「君も勇敢であった」「あなたも忍耐強かった」「私も負けなかった」「私たちは断固と勝った!」 全世界の宝友と互いの奮闘を労(ねぎら)い讃(たた)え合いながら、我らの「創立の日」を祝賀しようではないか!
先生の信念は、不当に逮捕され、牢につながれても、微動だにしなかった。1年4カ月に及ぶ過酷な獄中闘争の間、家族に宛てられた手紙には、「災難(さいなん)と云ふても、大聖人様の九牛(くじゅう)の一毛(いちもう)(=ほんのわずか)です」等と綴(つづ)られている。 「創立」の魂(たましい)とは、「誓」を「立」てることだ。 牧口先生は、いかなる状況にあっても、人類の幸福と平和を実現するという創立の誓願を絶対に手放されなかった。 どんな大難の嵐が吹き荒れようとも「風の前の塵なるべし」(御書232ページ)との大確信で、勇猛精進(ゆうもうしょうじん)され続けたのである。
ガンジーは、獄中から弟子に「誓願の重要性」について書き送っている。 「誓いをたてるというのは、不退転の決意を表明すること」「なすべきことを、なにがなんでも遂行する――これが誓願です。それは不抜の力の城壁になります」
必ずや世界広宣流布を成し遂げてみせる!――この誓願に地涌の青年が一人立つところ、いずこであれ、「人間革命」と「宿命転換」の新たな劇が幕を開けるからだ。 試練の時代に敢然と躍(おど)り出る、わが後継の愛弟子たちへ、私は若き日に書き留めた戸田先生の指導を贈りたい。 「苦しみが大きければ、大きいほど、その後にくる楽しみも大きい。苦しさと、真正面からぶつかって、南無妙法蓮華経と唱え切りなさい。苦しいときも、楽しいときも、御本尊を忘れるな」と。
牧口先生は、価値創造の教育によって、若き命が一人ももれなく幸福を勝ち開き、やがて「人類の永遠の勝利」をもたらしゆくことを願われた。 戸田先生も、教育の英知を光源として宗教の独善(どくぜん)を退(しりぞ)け、普遍的な平和の光で「地球民族」を結ぶことを展望された。 今、コロナ禍で、教育の場が、かつてない制約を受ける中、創価大学、東西の創価学園、アメリカ創価大学、ブラジル創価学園、また札幌、香港、シンガポール、マレーシア、韓国の創価の幼稚園では、皆が負けじ魂を燃え上がらせ、学び、鍛え、凜々しく、たくましく成長してくれている。
博士が絶賛し、「イスラム世界の英知」とも評される大歴史家にイブン・ハルドゥーンがいる。14世紀に大流行した疫病(黒死病)の脅威(きょうい)と向き合った学者でもあった。 16歳の時に両親を黒死病で失うなどの悲嘆(ひたん)を乗り越え、あらゆる経験を後世のために書き残すという“終生の使命”を自覚したのだ。主著『歴史序説』で、その労作業の意義を誇り高く語った。「かならずや後世の歴史家が見倣うべき手本となるであろう」と。 自身の悲哀(ひあい)や艱難(かんなん)を越(こ)え、「未来のために」との誓いを貫く時、青年は限りなく強くなる。偉大な智慧、偉大な創造、偉大な連帯を築けるのだ。 今、創価の若人たちが世界の諸課題に挑み、人びとの心を、分断から協調へ、不安から安心へ、不信から信頼へと転じゆく知性と誠実の対話を、一人また一人と拡大する――この粘り強い開拓こそ、後世の人類の希望となり、鑑(かがみ)となると、私は確信してやまない。
大聖人は「報恩抄」で、「源遠(みなもととお)ければ流(ながれ)ながし」との譬喩(ひゆ)に続けて仰せだ。 「日蓮が慈悲曠大(じひこうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながる(流布)べし」(御書329ページ)と。 この御本仏の無量無辺の「慈悲曠大」を、健気な母たちをはじめ、無名の民衆が真っすぐに受け継ぎ、192カ国・地域へ、妙法を弘め抜いてきたのが、創価学会である。 あの地も、この国も、まさに尊き“一粒種”の一人、ごく小さな集いから全てが始まった。“ガンジスの大河も一滴から”という言葉の通りだ。
しかし、それは、微弱な“一滴”では断じてない。「大海の始(はじめ)の一露(いちろ)」(同1241ページ)である。「大海の水は一滴なれども無量の江河(こうが)の水を納めたり」(同1200ページ)と仰せの如く、無限にして尊極の可能性を具(そな)えた一人ひとりの生命なのだ。 戦後、学会が再建の歩みを開始した当時、「幸福」という言葉など自分には無縁だ、と人生を絶望していた庶民は少なくなかった。その凍え切った心の中に、人間の尊厳の熱と輝きを蘇(よみがえ)らせ、胸を張って立ち上がる勇気を鼓舞してきたのが、学会の父母たちである。 今この瞬間にも、「何としても、この人を励ましたい」「苦しむあの人を助けたい」と自行化他の題目を唱え、行動する同志がいるではないか。 自らも苦悩の中でもがき戦いながら、縁(えにし)を結んだいかなる友も放っておけない、一緒に勝利しようと懸命に励ます心は、すでに仏の「慈悲曠大」と一体であり、その振る舞いは「人を敬う」不軽菩薩そのものである。 末法の一切衆生を救わんとの大聖人の大慈大悲を源(みなもと)として、「不軽(ふきょう)」そして「地涌(じゆ)」の振る舞いを地域に社会に広げ、永遠なる人類の幸福と平和の大潮流を起こしていく。ここに、広宣流布の大いなる意義があるのだ。
「妙とは蘇生の義(ぎ)」(御書947ページ)である。 師弟は不二であるゆえに、後継の弟子は、創立の師の「師子王の心」を、わが命に、毎日毎朝、蘇(よみがえ)らせて立つのである。 牧口先生の如く、戸田先生の如く、我らは「広宣流布の闘士」として、すなわち「正義と人道と平和の価値創造者」として、日に日に新たに、師弟の共戦譜を勝ち光らせていこうではないか! (随時、掲載いたします)
最終更新日
2020.11.16 17:12:58
コメント(0) | コメントを書く
2020.09.22
カテゴリ:随筆 「人間革命」光あれ
随筆「人間革命」光あれ 池田大作
「妙法蓮華経の五字・末法の始(はじめ)に一閻浮提(いちえんぶだい)にひろまらせ給(たも)うべき瑞相(ずいそう)に日蓮さきがけ(魁)したり、わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉(かしょう)・阿難(あなん)にも勝(す)ぐれ天台・伝教にもこへよかし」(御書910ページ) この日蓮大聖人の「一閻浮提広宣流布」という「人類の幸福・世界の平和」の大誓願を師弟の誓いとして、1930年(昭和5年)11月18日、初代・牧口常三郎先生と二代・戸田城聖先生は、創価学会を創立された。
東西冷戦下に、「人類の宿命転換」という遠大な未来図を描きつつ、アメリカで、カナダで、ブラジルで、苦悩に喘(あえ)ぐ庶民の人間群に飛び込んでいったのである。 孤独と失意の境遇(きょうぐう)で、悲嘆(ひたん)にくれる母がいた。 仕事の失敗の連続で、立ちつくす父がいた。 私は祈りを込め、その一人ひとりの命の奥底から「地涌の菩薩」の誓いを呼び覚ましていった。 私たちは、日蓮仏法の祈りは「誓願」の唱題であると語り合った。 すなわち、自らの「人間革命」と、わが縁深き天地の「広宣流布」の誓いを立て、そのために最大の力を発揮できるよう題目を唱える。この信力から智慧(ちえ)を湧かし、創意と努力を重ね、勝利の実証を示すのだ。不屈の行力であきらめの壁を破り、「宿命」をも「使命」に変えていくのだ。 それは、いわゆる“棚からボタモチ”の利益を欲し、また祈願を聖職者頼みにする、“おすがり信仰”を一変させる革命でもあった。 誓願とは“自ら発(おこ)す”ものだ。生命内奥から烈々と響かせゆく誓願の題目こそ、元品の無明(むみょう)を打ち破り元品の法性を顕(あらわ)す音声(おんじょう)といってよい。 世界広布への第一歩から60星霜(せいそう)。 「誓願の題目」は地球という星を大きく強く包んでいる。 そして今、全世界の青年と共々に「広布の誓火」を赤々と燃え上がらせ、新たな師弟旅へ出発する時を迎えたのだ。 「一切衆生の成仏」という仏の大願を、自らの誓いとする生命にこそ、「仏界」の智慧と力が脈々と涌現するのである。 なかんずく地涌の菩薩は、「六難九易(ろくなんくい)」さらに「三類の強敵」が説かれ、末法の広宣流布が難事中の難事であることを明かされた上で、決然と、また悠然と誓願を起こす。 75年前、戸田先生は法難で獄死された牧口先生の遺志を継ぎ、「地涌の負けじ魂」を滾らせて、出獄された。 そして―― 「詮(せん)ずるところは天もすて給(たま)え諸難(しょなん)にもあえ身命(しんみょう)を期(ご)とせん」 「我日本の柱とならむ我日本の眼目(がんもく)とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(同232ページ)との「開目抄」の仰せのまま、「大法弘通(だいほうぐつう)」に挑み抜かれたのである。 これが仏意仏勅の学会精神である。 「慈折広宣流布」に生きる創価の地涌の陣列は、まさしく時空を超えて、三世十方(せんぜじゅっぽう)の仏菩薩と壮大につながりながら、何ものをも恐れぬ最強無敵の境涯で誓いを果たしゆくのだ。 1952年(昭和27年)の8月、私が関西初訪問の折に出席した堺(さかい)市内の座談会で、曽祖母が入会を決意された歴史が綴(つづ)られていた。 あの座談会は、私にとっても忘れ得ぬ関西での初陣であった。師匠・戸田先生の偉大さを語り、肺病を乗り越えた自身の体験を紹介した。さらに、この仏法が必ず全世界に弘まること、やがて「創価教育」の学校を建設することも訴えた。 広布の語らいは、どんな小さな会座も「仏種」を芽吹(めぶ)かせる幸の縁となり、宝珠(ほうしゅ)と輝く「今生人界(こんじょにんかい)の思出(おもいで)」(御書467ページ)となる。
聖教への投稿にも、曽祖母を源流として四世代が営々と師弟共戦の道を歩み、今、後継の乙女が「世界青年部総会」へ異体同心の信心で前進しているとあった。 「世界青年部総会」では、若人たちがオンラインで5大州の友を結んで、“霊山一会(りょうぜんいちえ)”さながらの地涌の大連帯の会座(えざ)が現出する。 身体的、地理的な距離を飛び越えて、人と人を結合するものは何か。それは宇宙をも包み返す、無限の可能性を秘めた生命の広大な一念である。 あの人を励ましたいという真剣な情熱、この人と心を通わせたいという誠実の対話ほど、強く尊いものはない。幸福を願う随縁真如(ずいえんしんにょ)の智が、必ず命を結ぶ道を開くのだ。 幾歳月(いくとしつき)を超え、幾世代を超え、さらには国境も超えて広布誓願のバトンをつなぎ、この青き地球の大空に希望の虹を懸けゆく挑戦である。21世紀を担い立つ青年部が“負けじ魂ここにあり!”と胸を張って、創立100周年の勝利の因を刻みゆく実験証明と讃(たた)えたい。 その中で友情を結んだローマクラブの創立者、アウレリオ・ペッチェイ博士との語らいも蘇(よみがえ)る。 地球環境の危機にいち早く警鐘(けいしょう)を鳴らした博士であったが、人類の未来を決して悲観していなかった。なぜか。無尽蔵の可能性を備えた宝庫として「人間」自身に注目していたからである。 博士は、私との対話の中で、人類の奥深い潜在力を開発する「人間革命」こそが、地球社会の前進をもたらすことを確信されていたのである。 そして嬉しいことに、南アフリカ出身で、現・ローマクラブ共同会長のマンペラ・ランペレ博士が聖教新聞の取材に応え、今日の地球的危機を乗り越え、“「新たな人類文明」を創出する鍵は「人間革命」である”と強調されていた(9月17日付)。ペッチェイ博士も、志を継ぐランペレ博士も、共に青年に希望を託しておられる。 今、全世界の青年部が、国連を中心に多くの団体と連帯し、SDGs(持続可能な開発目標)の達成に挑み、「平和の柱」「教育の眼目」「文化の大船」として行動しゆく姿を、両博士もさぞかし喜んでくださるに違いない。
――険難悪道(けんなんあくどう)を越える長旅に疲れ果て、あきらめて引き返そうとする人びとに、一人のリーダーが聡明(そうめい)な指揮を執(と)って、身近に到達可能な目標(化城)を示し、皆に歓喜と休息を与えた。そして活力を回復させながら、力強く呼びかけるのだ。 「汝等(なんじら)は当(まさ)に前進むべし」(創価学会版法華経320ページ)――共々に、本来の目的地である宝処(成仏の境涯)へ今再び出発しよう!と。 大聖人は、この譬えを通して「日蓮に共する時は宝処(ほうしょ)に至(いた)る可(べ)し」(御書734ページ)と、厳然と仰せくださっている。 「法華経の命を継ぐ」青年たちと共に前進する喜びに勝るものはない。
そこで、「道」「師弟山」などの書と共に、私が感謝を込めて認めた一枚が「誓」である。 この書を、今、総決起した世界の青年部・未来部に贈りたい。 「誓」は翼なり―― 誓いを立てる時、最も誇り高き「青春の飛翔」が始まる。 「誓」は道なり―― 誓いを結び合う時、最も美しき「人間の連帯」が広がる。 「誓」は光なり―― 誓いを果たしゆく時、最も荘厳な「生命の太陽」が未来を照らすのだ。 わが不二の愛弟子が、一人ももれなく、不退の「誓」に生き抜いて、最極の幸福栄光を勝ち取る前途を、私は信じ祈っている。創価の師弟共戦の旅に、生命の勝ち鬨(どき)が轟(とどろ)き渡ることは絶対に間違いないからだ。
最終更新日
2020.09.22 14:01:13
コメント(0) | コメントを書く
2020.08.03
カテゴリ:随筆 「人間革命」光あれ
〈随筆「人間革命」光あれ〉 富士のごとく堂々と 池田大作
最終更新日
2020.08.03 17:11:56
コメント(0) | コメントを書く
2020.07.07
カテゴリ:随筆 「人間革命」光あれ
随筆「人間革命」光あれ 池田大作 青年に無限の力あり 何よりもまず、熊本をはじめ九州各地の甚大な豪雨被害に、心からお見舞いを申し上げます。
最終更新日
2020.07.07 11:00:05
コメント(0) | コメントを書く
2020.06.01
カテゴリ:随筆 「人間革命」光あれ
〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 「白ゆりの 1951年の6月10日、婦人部結成の会場に大輪の白ゆりを生けてくれた陰の心遣(こころづか)いに応え、恩師・戸田城聖先生が詠まれた歌である。
最終更新日
2020.06.01 11:50:04
コメント(0) | コメントを書く
2020.04.20
カテゴリ:随筆 「人間革命」光あれ
随筆「人間革命」光あれ 池田大作 「なぜ、日蓮大聖人の一門は、あれほどの大難の連続も勝ち越えることができたのか。 大作はどう思うか?」 戸田先生は、そう尋(たず)ねられながら、私に御書を開いて示された。 自然災害、食糧難、さらに疫病の流行などが打ち続くなか、遠く離れた佐渡の千日尼へ送られた御返事である。 「心は此の国(=甲斐の国)に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土(えど)に候へども心は霊山(りょうぜん)に住(すむ)べし、御面(おんかお)を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」(御書1316ページ) 大聖人は会えない門下にも、文字の力で、まさに顔を合わせた対話と同じように激励され、心を通わせておられたのだ。 戸田先生は力を込めて言われた。 「大聖人は、お手紙を書いて書いて書き抜かれて、一人ひとりを励まし続けられた。だから、どんな人生と社会の試練にも、皆、負けなかった。
この大聖人のお心を体した新聞を、大作、大きく作ろうではないか!」 緊急事態宣言のもと、たとえ会えなくても、集えなくても、聖教新聞を通し、創価家族の心と心は結ばれているのだ。 共に試練に立ち向かう全世界の宝友の「異体同心」の絆も、紙面で写真で一段と強まっている。 これも、なかんずく、雨の日も風の日も大切に配達してくださる、尊き“無冠の友”の皆様方のおかげである。
世界聖教会館が完成してから最初に迎える創刊記念日に際し、私は最大に御礼を申し上げたい。
本当にありがとう! 二代・戸田城聖先生が発願され、大聖人の御書が発刊された1952年(昭和27年)は、立宗宣言(建長5年)から700年の慶祝の年である。 後継の私が青年を代表し、第3代として前進の指揮を執り始めた1960年(昭和35年)は「立正安国論」による諌暁(文応元年)から七百年であった。 大聖人は「天変地夭(てんぺんちよう)・飢饉疫癘(ききんえきれい)」に憤悱(ふんび)され、「立正」すなわち生命尊厳の大哲理を打ち立て、「安国」すなわち全民衆の幸福と世界平和の宝土の建設を願われた。 その人類の宿命転換へ、いよいよの挑戦を開始したのだ。それは、何よりも正義と真実を師子吼する「言論戦」であり「思想戦」であった。 ゆえに、第3代会長就任と時を合わせ、私は聖教新聞の躍進に全力を尽くすとともに、小説『人間革命』の執筆を深く心に期した。 「立正安国論」では、「汝須(なんじすべから)く一身の安堵(あんど)を思わば先ず四表の静謐(せいひつ)を禱(いの)らん者か」(御書31ページ)と示されている。 “自分だけの幸福や安全もなければ、他人だけの不幸や危険もない”。この生命観に立って、社会と世界全体の安穏を祈り、尽くしていく人間主義の究極の哲学を、我らは聖教新聞に掲げ、平和・文化・教育の対話と連帯を広げてきたのだ。
一昨年、小説『新・人間革命』全30巻を完結した折、私は全宝友に、広宣流布という民衆勝利の大叙事詩を、未来永遠に共々に綴りゆこうと、呼び掛けた。 聖教に躍動する日本と世界の同志の晴れ姿こそ、「人間革命」の黄金の日記文書なりと、私は妻と合掌(がっしょう)する思いで拝見する日々である。 とりわけ、人類が未曽有の脅威に直面している今日、わが聖教には、「変毒為薬(へんどくいやく)」と「価値創造」の英知を発信する大いなる使命がある。 人間への「励まし(エンカレッジ)」と「内発的な力の開花(エンパワーメント)」を促す言葉を紡ぎ、苦難に負けない民衆の心と心をつなぐ柱とならねばならない。 今、毎日の紙面でも、日本国内はもとより世界の同志たちの奮闘や社会貢献の様子が伝えられ、懸命(けんめい)に艱難(かんなん)と戦う友に勇気の灯をともしている。 どうすれば友を元気づけ、笑顔にできるか――不撓不屈(ふとうふくつ)の世界市民の一念が、聖教新聞には結集しているのだ。 それは、仏が常に人びとを賢(かしこ)く、幸せに、平和にしたいと願う「毎自作是念(まいじさぜねん)の悲願」(同466ページ)にも通ずる。 御聖訓には「真実一切衆生・色心の留難(るなん)を止(とど)むる秘術は唯(ただ)南無妙法蓮華経なり」(同1170ページ)と仰せである。 我らは、この妙法の大功力で、地球上のいずこであれ、自他共の生命から、限りなく仏の智慧と力を呼び出しながら、何としても眼前の色心の留難を止めていきたい。 このわが出陣の「5月3日」を記念し、旧・学会本部のあった西神田の近くで、一枚の絵を購入した。 紺青(こんじょう)の大海原で、逆巻く怒濤(どとう)と戦う「帆船」を描いたものである。 フーゴ・シュナース=アルクイストという海洋画を得意とするドイツ人画家の油彩画であった。 波風は吹き荒れ、3本のマストの帆はほとんど巻かれている。船体は激しく荒海に揺れ、甲板を白い波しぶきが打つ。今にも波にのまれるのか、逆風に挑み、危難を乗り切るのか、生死を懸けた激闘だ。 進め、波瀾万丈(はらんばんじょう)の海を越えて! 師と共に、同志と共に、民衆の勝利の朝を迎えるために!――これが、広布の大航海に32歳で船出した当時の心境であった。 嬉しいことに、日大講堂に集った友はもちろんのこと、わが同志たちは「地涌」の誓いを分かち持ち、日本中で、さらに世界中で、創価の使命に奮い立ってくれた。 人生の宿命の激浪にも耐えた。「悪口罵詈(あっくめり)」「猶多怨嫉(ゆたおんしつ)」の経文通りの烈風も受けた。だが、5月3日の誓いを思い出しては立ち上がり、私と共に「負けじ魂」で祈り抜き、戦い抜き、断固として勝ち抜いてきた。 この地涌の師弟にみなぎる闘魂を、時代の荒波に敢然と立ち向かう頼もしき後継の青年たちに、私は託したいのだ。
最高峰の ヒマラヤを 鶴は飛び越え 使命を果たせり
懐かしき「戸田大学」の講義で、恩師は「須弥山(しゅみせん)に近づく鳥は金色となるなり」(同1536ページ)との御文を通し言われた。“須弥山はいわばヒマラヤのことだよ、最高峰を目指し、苦難の山を越える戦いが自身を最高に輝かせるのだ”と。 あの白雪の高嶺に近づく鳥たちはどんなに輝くだろう――私には、大きく翼を広げて舞いゆくツルの隊列の姿が思い描かれてならなかった。 広布の前途に、いかなる試練の山が立ちはだかろうとも、創価の師弟は慈悲と哲理の翼を広げ、勇敢(ゆうかん)に飛翔(ひしょう)しゆくのだ。 そして世界一の麗(うるわ)しき団結で、一切を勝ち越えて、生命の凱歌を響かせ、金色燦(こんじきさん)たる希望の大光を人類の未来へ贈りゆこうではないか!
最終更新日
2020.04.20 12:10:00
コメント(0) | コメントを書く
2020.03.11
カテゴリ:随筆 「人間革命」光あれ
〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 冬は必ず春となる
「東日本大震災」から9年――。 東北をはじめ被災地の宝友たちは、どれほどの苦難と辛労の風雪を越えてこられたことか。 未曽有の大災害から歯を食いしばって立ち上がり、友に手を差し伸べ、愛する郷土の蘇生(そせい)のために尽くし抜かれてきた「地涌の正義の旗頭」の一人ひとりに、私は最敬礼し合掌(がっしょう)する思いである。 それは1日また1日、何ものにも壊されない「心の財(たから)」を積み上げてきた“3,300日”なりと、必ずや御本仏が照覧してくださっているであろう。 あらためて、全ての犠牲者の方々に、また震災後に逝去された方々に、心から追善回向の題目を捧げたい。 亡くなられたご家族、同志、友人方も皆、生死を超えて、厳然と妙法の無量無辺の福光に包まれていることを、私は確信してやまない。
私は、東北の友のありのままの人間味が大好きだ。そこには「元初の太陽」の輝きがある。太陽だから、気取りや体裁など必要ない。「はたらかさず・つくろわず・もとの儘(まま)」(御書759ページ)の生命で、明るく温かな思いやりの光を、皆に送っていくのだ。 殉教の師・牧口先生は戦時中の弾圧下、福島県の郡山、二本松に足を運ばれた。一人の青年の父母への対話などのためであった。この先師が大切にされていた御聖訓がある。後に特高警察に押収された「御義口伝」にも線が引かれていた。 「煩悩(ぼんのう)の淤泥(おでい)の中に真如の仏あり我等衆生の事なり、今日蓮等の類(たぐ)い南無妙法蓮華経と唱え奉るを当体蓮華(とうたいれんげ)の仏と云うなり」(同740ページ) 苦悩が渦巻く社会に飛び込み、泥まみれになって、人びとのために戦い続けていく人こそ「当体蓮華の仏」なのである。 わが東北の同志たちは底知れぬ逆境の闇夜(あんや)にも断じて屈(くっ)しなかった。 時に悲嘆(ひたん)の涙を流し、時に運命の非情(ひじょう)さに憤怒(ふんぬ)しながら、題目を唱え抜き、「負げでたまっか」と励まし合って、広宣流布に邁進してきたのだ。 ここにこそ、日蓮大聖人に直結する真実の仏の誉(ほま)れの実像があると、創立の父も讃えておられるにちがいない。 大震災を乗り越えてきた創価の少年少女と青年たちが、たくましく成長している。頼もしいその英姿こそ、何よりの希望である。苦悩を突き抜けて、朗らかに大輪を咲かせる「蓮華」の生命そのものではないか。
今、読者の心へ、希望の声、勇気の言葉を送る言論城・聖教の使命は、極めて大きい。 被災地である宮城県東松島市の母も、幸福勝利のバトンをつなぐ走者として配達されている。大震災の津波で母上と次男を亡くされた悲しみを胸の奥に畳み、できることは何でも喜んでと、励ましに生き抜く母である。 私がかつて共に対談集を発刊したアメリカ・エマソン協会元会長のサーラ・ワイダー博士も、はるばるこの尊き母たちを訪ねられ、その「強い心」に感銘し、出会いを宝とされた。博士から送られたメッセージでも、「互いにどんな時も全力で献身を」と固く約し合われたのだ。
先月の初め、音楽隊・しなの合唱団による「希望の絆」コンサートが、岩手県三陸沿岸の6市町村――大槌町(おおつきちょう)、山田町、宮古市(みやこむら)、田野畑村(たのはらむら)、普代村(ふだいむら)、洋野町(ひろのむら)で行われたのである。 歌声に乗せて、勇気の春風を届ける若き楽雄たちを、地域を挙げて歓迎してくださり、多くのご友人も来て喜ばれたと伺った。 「学会の皆さんの気持ちに触れて、元気が出ました」「被災地の生活は大変ですが、長生きしたいと思いました」等々、反響が寄せられている。 わが同志が、いかに粘り強く地域に貢献し、友情と信頼の花を咲かせてきたことか。一歩また一歩と前進し、あの友この友のために、誠実に心を砕いていることか――。この人間性の輝きこそが福光の希望となり、復興の底力となるのだ。
常磐線といえば、福島・浜通りの同志との出会いが懐かしく蘇(よみがえ)る。それは、私が会長に就任した年(1960年)の11月のことである。 盛岡からの帰路、湯本駅(現いわき市)に地元の友らが駆けつけてくれたのだ。たまたま発車が遅れたので、15分ほど駅のベンチで懇談できた。 駅で励ました乙女が今も広布の母として活躍するなど、いわきの友の勝利の近況が嬉しい。 東北家族が不二の心で織り成してきた、無数の「人間革命」の凱歌に私は胸を熱くする。 長く厳しい復興への奮闘の中で、体調を崩した宝友もおられるが、全ての利他の振る舞いが尊い「身の供養」である。「転重軽受(てんじゅきょうじゅ)」「変毒為薬(へんどくいやく)」の大功力は厳然だ。「常楽我浄(じょうらくがじょう)」の軌道を、永遠に進みゆかれることは断じて間違いない、と確信する。
この3月11日は、北海天地で、創価の正義を満天下に示した歴史的な「小樽問答(おたるもんどう)」から満65年でもある。 あの「3・16」広布後継の大儀式を間近にしていた時、小樽支部の初代支部長として戦った友を、戸田先生が激励されたことがある。 「いやなこと、辛いこと、悲しいこともあるにちがいない。むしろ、人生は、その連続だろう」 「だが、信心を全うし抜いていけば、最後は必ず勝つ。いろいろなことがあっても、幸福と言い切れる境涯になるよ」 三代城・北海道と青葉の人材城・東北への恩師の思いは、あまりにも深かった。私も師と同じ心で、北国の友と生き抜いてきた。
昭和52年(1977年)の3月11日に福島を訪れ、3日間にわたって東北の友を励ました歴史である。この折、私は「創価之山桜」など“桜”の揮毫を東北の友に贈った。 いかなる試練や苦難の冬が続こうとも、我らは胸張り耐え抜いて、断固として咲き誇るのだ! 「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(御書1253ページ)という希望の大哲理を社会へ、世界へ、未来へ示していくのだ!――との願いを込めたのである。 まさしく、不撓不屈(ふとうふくつ)の負けじ魂で、「冬は必ず春」を実証してきた同志こそ創価山の“福光桜”にほかならない。 大聖人は、こうも仰せである。 「冬と春とのさかひ(境)には必ず相違す(そうい)る事あり凡夫(ぼんぷ)の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者(けんじゃ)はよろこび愚者(ぐしゃ)は退(しりぞ)くこれなり」(同1091ページ) 我らは、変化を恐れまい。一人も残らず、勇敢な賢者として価値を創造していくのである。 かのトインビー博士は呼び掛けられた。 ――「危機の時代」を生きる人間は、事態をよい方向へと打開し、今を「偉業の行われた時代」に転じ、「黄金の時代の先駆者」となるのだ、と。 若き地涌の勇者たちが世界の友と手を携えて、強く賢く朗らかに「黄金の時代」を開いていくことを、私は信じている。
「我並(われなら)びに我が弟子・諸難ありとも疑(うたが)う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護(かご)なき事を疑はざれ現世(げんせ)の安穏(あんのん)ならざる事をなげかざれ」(御書234ページ) 創価の師弟は、諸難の連続の中にあって、この仰せを「まことの時」に断じて忘れず貫き通してきた。だからこそ、一人ひとりが「自然に仏界」を勝ち開いてきたのだ。 そして、これからも、諸難を一つまた一つ、勝ち越えながら、いやまして「仏界」という最極の生命の大連帯を、地球社会へ広げていこうではないか! (随時、掲載いたします)
最終更新日
2020.03.11 12:00:06
コメント(0) | コメントを書く
2020.02.07
カテゴリ:随筆 「人間革命」光あれ
随筆「人間革命」光あれ 池田大作
最終更新日
2020.02.07 12:30:12
コメント(0) | コメントを書く
2019.10.03
カテゴリ:随筆 「人間革命」光あれ
随筆「人間革命」光あれ
師弟凱歌の言論城 池田大作 正義の師子吼で民衆に希望の光を!
最終更新日
2019.10.03 12:06:18
コメント(0) | コメントを書く このブログでよく読まれている記事
全16件 (16件中 1-10件目) 総合記事ランキング
|