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ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論

2019/12/15
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信仰体験〈アラフォー世代の生き方〉
ライフウオッチ 人生100年時代の幸福論〉 
精神疾患の人の支えに
人と人の関係性が“生きる価値”をつなぐ​


 連載「ライフウオッチ」信仰体験のページでは、「アラフォー世代」の生き方を見つめてきた。バブル経済の崩壊後、厳しい経済・雇用状況が続き、労働現場において精神疾患に苦しむ人も増えていった。塩川太一さん(43)も就職氷河期に社会人になり、過酷(かこく)な労働環境を経験した一人。30歳で福祉業界への転職を決意し、現在はグループホームで精神疾患のある人を支える。


 身近な人と向き合う中で見つめた“生きる価値”とは――。



 午前2時、やっと仕事が終わる。帰宅してシャワーを浴び、仮眠を取ると、すぐに次の朝がやって来る。
 就職氷河期の2000年(平成12年)4月、食品商社に入社した。


 厳しい就職活動を経て、やっとの思いでつかんだ仕事。だが、待っていたのは、どれだけ働いても上がらない業績と、過酷な労働環境だった。


 7年がたった頃、社員は半分ほどに減っていた。


 うつ病やパニック障害になり、休職する同僚もいた。体調を崩した人をふるい落とすような雰囲気に、やり場のない思いが募る。


 “このままでいいのか……”
 ふと、家族や友人の精神疾患と向き合った日々が思い返された――。



 親戚から創価学会の話を聞き、東京で入会したのは1998年、大学2年の時だった。


 すぐに学生部の活動に取り組み、友人に弘教を実らせた。


 同年11月、名誉学術称号の授与式に参加し、初めて池田先生と出会った。先生の一言一言に、生命から、ほとばしるような力を感じた。


 “生涯、信心を貫く”と誓い、故郷・福岡の父に、その思いを電話で伝えた。
 父は「正しく生きることは大事だね。良かったじゃないか」と言ってくれた。


 そんな父が、くも膜下出血で亡くなったのは、それから1週間後。あの電話が最後の会話になった。


 「お父さんのために、一緒に題目を唱えてほしいんだ」


 父の葬儀で、姉と一緒に勤行・唱題した。1カ月後、姉は入会し、母も続いた。


 父を亡くしたショックから、母も姉も、精神疾患を患った。塩川さんは、池田先生の「生と死」についての指導を探し、むさぼり読んだ。


 初めて弘教が実った友人も、当初は強迫性障害が一因となり、ひきこもっていた。


 生命には、無限の可能性がある。その人の仏性を呼び覚ますように祈った。


 「信心する前は、人からどう見られるかが、幸せの基準だと思っていた。信心して、人のために生きる喜びを知りました」
 母も姉も友人も、薄紙を剥(は)ぐように快方へと向かっていった。



 ――07年8月、会社の募集に応じ、30歳で食品商社を希望退職した。


 “精神疾患のある人の支えになりたい”と決め、翌08年の春、精神保健福祉士になるため、専門学校に入学。卒業後は、自立支援施設に就職した。


 働きながら、社会福祉士と介護福祉士の資格も取得。16年からは訪問介護に携わり、17年には就労移行支援も。


 現在は、介護サービス包括型グループホームで、世話人・生活支援員を務める。利用者は、うつ病や統合失調症、知的・発達障がいなど、状況は人それぞれ。


 塩川さんの仕事は“一緒に生活”すること。じっくり話を聞きながら、調理や皿洗い、洗濯、買い物、掃除。多様なニーズに応え、必要なケアを行う。


 「安心して暮らせることこそが、“生きる土台”になるんです」


 多忙な仕事の合間を縫って、学会活動にも真剣に取り組んできた。


 男子部時代は、区の創価班委員長も。学会の先輩の背中から、「幸せは正しい行動の後についてくると、教えてもらいました」。


 今は支部長として奮闘し、週3回、本紙の配達も担う。


 学会活動に徹する中で、“関わり合い”の基本は、目の前の一人に寄り添うことだと、心に留める。


 釈尊の言葉に「われに仕えようと思う者は、病者を看護せよ」とある。池田先生は、これを引いて、つづっている。
 

 
〈生命は尊厳であるといっても、ひとりでに輝くものではない。こうした関わり合いの中で、他者の生命は真に“かけがえのないもの”として立ち現れ、それをどこまでも守り支えたいと願う心が自分自身の生命をも荘厳するのです〉



 塩川さんは「その人が望む自立や幸福が少しでも実感できるようにと、願っています」と。


 一緒にスーパーで買ってきた焼き鳥を食べ、「おいしい!」と感動する利用者がいた。長い入院生活を経て入居した人が、「初めて誕生日を祝ってもらった」と喜ぶ。


 そうした、ささやかだが確かな“幸せ”を見つけた時に、塩川さんの心も温かくなる。


 「この仕事は『支援する側/される側』という分け方だけではないと思うんです」


 スタッフと利用者が関わり合ってつむぐ、ありふれた日常。そのお互いの関係性の中で、自分の“生きる価値”を実感し、心が満たされていく。


 もちろん、現実は厳しい。


 病院や行政など、関係機関の連携がスムーズに進まず、結果的に利用者目線の対応が取り切れていないこともあった。


 「だからこそ、信心です。利用者さん自身が、幸福に向かって進めることが一番、大事。たとえ意見の違いがあっても、勇気をもって必要なことをやり抜く。そのために毎日、真剣に祈るんです。信心は、幸福をつかむための“善の中の善”の実践ですから」



(2019年12月15日 聖教新聞)







Last updated  2019/12/15 09:22:58 PM
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2019/12/14

​ライフウオッチ ―― 人生100年時代の幸福論
インタビュー 米ブルッキングス研究所 グラハム博士
所得では決まらない満足度


 <人々が幸福を実現できる社会とは、どんな社会だろうか。「人生100年時代」において大切な、こうしたテーマを長年、思索し、世界各国での実証研究を踏まえて“答え”を提示してきたのがグラハム博士である>
  
 故郷のペルーで貧困の実情を間近に見た経験から、私は開発経済を専門としました。
  1990年代後半に、首都リマの貧しい地域を対象に行った調査があります。過去10年間の生活水準の推移を見ると、客観的には、多くの人が貧困状態から抜け出したにもかかわらず、彼らに経済状況を尋(たず)ねると、半数以上が「悪い」か「とても悪い」と答えたのです。同様の調査を行ったロシアでも、同じような傾向性が見られました。
  90年代から目覚ましい経済発展を遂げた中国においては、経済成長の恩恵を最も受けた人たちが、最も低い幸福度を抱いていたという調査もあります。人生の満足度は、所得だけでは決まらないことを明確に示していたのです。
  これらの現象は、私が「幸せな農民と不満な成功者」と呼ぶもので、この謎の解明が私の主たる研究になりました。
 
 リチャード・イースタリンやダニエル・カーネマンら著名な経済学者とチームを組み、心理学者とも協調しながら、幸福度に関する研究に本格的に乗り出しました。多くの人、特に経済学者らは、初めは懐疑的な目を向けましたが、世界各国での調査がペルーや中国でのそれと同じ傾向を示したことで、関心も高まっていきました。
  やがてイギリス政府が人々の幸福度を測定するようになり、さらに私は、米国科学アカデミーの一員として、アメリカの公共政策に幸福の指標を取り入れる過程にも携わりました。私たちに対する見方は180度変わり、今では、幸福の決定要因についてさまざまな研究が行われています。
  代表的な要因として、所得や年齢、健康、教育、友情、社会のつながり、仕事、他者への奉仕などのほか、私の最近の研究テーマである「希望」が挙げられます。
 
 <希望を見いだせてもよいはずの人生100年時代を迎え、日本では少子化・人口減や労働環境の行き詰まりなど、社会に潜む不安要因を多くの識者が指摘する。グラハム博士もまた、アメリカにおける希望の欠如に警鐘(けいしょう)を鳴らしている>
  
 私の最新の研究では、アメリカの貧しい人種・民族的マイノリティー(少数派)の人たちは、同じく貧しい白人と比べて、はるかに楽観的であることが分かっています。たとえ経済的に恵まれず、不便な生活を送っていても、マイノリティーの人たちは、より豊かなレジリエンス(困難を乗り越える力)を備えているのが、その理由として考えられます。
  一方で、白人たちの間で自殺や薬物による死が急増していることが、深刻な問題となっています。白人といえば、かつては製造業や鉱業などに従事する「ブルーカラー」の労働者たちが多く、生活は約束されていました。「オジーとハリエットのような家族」と称される、両親とその子どもたちが幸せに暮らす理想の家庭を実現し、社会的な成功と仕事の安定を得て、地域社会でも尊敬を集めていたのです。当時、福利厚生の恩恵を受ける人は“敗者”である、とさえ言われたものです。
  しかし、製造業や鉱業が衰退(すいたい)すると、白人たちは熱中できる対象や生きる目的を失い、やがて家族の絆も断絶してしまいました。彼らには、アフリカ系アメリカ人にとってのバプテスト教会のような、昔から所属しているコミュニティーもなく、結果として、孤独(こどく)に陥ってしまうのです。
 
 今、25歳から54歳までの働き盛りの男性たちの孤独が懸念されています。仕事もなく、親が暮らす実家で、一日中、ゲームをして過ごすのです。彼らには希望がなく、健康にも大きな問題を抱えています。
  この、孤独や希望の欠如といった問題は、アメリカに長年存在してきました。ロバート・パットナムは『孤独なボウリング』などで、20年近く前からコミュニティーの崩壊を訴えていますが、状況はさらに悪化しているといえます。
 
 <漠然とした不安が日々を覆う中にあって、充実した人生を送る鍵は何なのか>
  
 「今日に満足している」ことは、幸せな人生のごく一部でしかないでしょう。より深い意味での幸福とは、その人の持てる力を十分に発揮する能力や機会があるかどうかで決まります。このことは、たとえ収入が下がろうと、自らに決定権が与えられ、よりやりがいを感じられる仕事を、多くの人が選ぶという調査結果にも裏付けられています。
  私の著書『幸福の経済学』(日本経済新聞出版社)でも、イギリスでの数百人の調査に基づく実験研究を紹介しています。それによると、すぐに幸せになれる“仮想の薬”を飲むよりも、人生経験の機会を得て、自ら幸福を見つける道を選ぶ人が多いのです。
  
 <即座に幸福な気分になるよりも、幸福を確立するための「機会」を与えられることに、人々は充実と満足を感じる。全ての人に幸福を追求する「不可侵の権利」があると定めたアメリカ独立宣言をはじめ、歴史上、自由と権利を求める努力が繰り返されてきたゆえんである>
  
 トマス・ジェファソンが独立宣言を起草した時、彼は、幸福になるための機会をいかに提供できるかに、思索を巡らせていたでしょう。「幸福の追求」は依然として、アメリカで大切にされている言葉でもあります。
  だからこそ私の近著『Happiness for  All?』(未訳)では、ストレス社会に生き、不安を抱え、劣悪な環境下で労働を強いられる多くのアメリカ人が、そうした「機会」を得られていない様子を描きました。
 
 幸福を追求する十分な機会にも恵まれず、社会的なつながりも弱まっている今、孤独に陥りそうな人々をいかに救い出していけるかが、重要となっています。
 その点で紹介したいのは、イギリスのある田舎町での事例です。郵便物の配達量もそう多くないことから、町では郵便局を閉鎖する案が持ち上がりました。閉鎖しなければ郵便局長や配達員を雇い続けなくてはならないため、費用対効果の観点から見れば、「閉鎖」は合理的な判断です。
  しかし、その町で行われた幸福度調査によると、特に高齢者の住民にとって、郵便局を訪れることは、一日で最も重要な時間であることが分かりました。彼らはそこで交流し、社会のつながりを保っていたのです。ゆえに郵便局を失うことは、幸福度の観点からは、悪影響をもたらすことになります。
  この話が示唆(しさ)するのは、人々が幸福を実現できる社会とは、こうした交流やつながりの場を多く提供できる社会であるということです。そして、利益や損得を超えて、共に人生を高め合い、生きがいを与え合えるような絆を生むことを、強く推進していく社会ではないでしょうか。
 
自ら切り開く人生こそ幸福。
共に高め合う絆を生む社会へ


 <日本は、世界随一の長寿国。長く生きるからこそ、人々が関わり合えるコミュニティーの存在が大切となる。人生100年時代に対する、博士の展望と期待を聞いた>
  
 まず、100年もの間を生きる人たちは、人生を豊かにする方途を、自らが最も熟知しているのではないでしょうか。実際に、より幸福な人ほど、より長生きをするというデータもあります。
  年齢別の幸福度を見ると、中年世代にある特徴があります。『幸福の経済学』でも紹介していますが、中南米諸国とアメリカを対象に行った調査では、年齢と幸福度の間に「U字形」の関係があることが分かりました。具体的には、年齢を重ねるごとに幸福度は下がり、40代半ば、もしくはその後半で底を突いた後、上がり続けるのです。
  二つの関係性に変化が生じる40代の中年期とは、まだ自立していない子どもがいて、その上、親に依存される場合もあります。仕事で重責を担う年齢でもあります。そして、理想や野心を追い求めること以上に、現実的な人生の選択が重みを増していく時期です。
  以上のような要因から、ストレスを強く感じるのが40代であるといえます。
 
 一方、幸福度は40代後半以降、上がり続けます。心理学者によれば、さまざまな苦労や予期せぬ出来事に対処した経験を踏まえ、人生の後半期は感情の振れ幅が小さく、より良く人生のかじ取りをできるのです。ゆえに、幸福度が増すのです。
  がむしゃらに働いてお金を稼ぐことに、最も重きが置かれていたのは、一昔前のことです。その社会のあり方は、さまざまな摩擦(まさつ)や競争を生みました。
 そうした反省を踏まえ、私たちは、どのような経済や社会の構造をつくっていくのか。人生100年時代にあって、深く思索しなくてはならない問いです。
 その上で、長寿社会とは老後が延び、「働かない時間」が増える社会です。人々が孤独に陥らないよう、関わり合えるコミュニティーをつくり出していくことが大切です。
  このつながりが、人々の幸福に寄与しますし、私たちは今、幸福度を効果的に測定・分析できる時代に生きています。そしてその成果を、未来に希望を生み出す糧(かて)へと変えていける、かつてない時代でもあるのです。​


(2019年12月14日 聖教新聞)







Last updated  2019/12/14 08:00:05 PM
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2019/12/07

​ライフウオッチ   人生100年時代の幸福論
“就職氷河期”世代のいま 高校中退からの挑戦​


 1992年(平成4年)春、宮崎市に住む永峯寿正(ながみねとしまさ)さん(43歳)の高校生活は、わずか1カ月で終わった。
 中学では、非行に走ってきた。限られた選択肢(せんたくし)の中から全寮制の高校に進学するも、そこは永峯さんにとっては“監獄(かんごく)”同然。自由のない生活に耐えられず、校舎から脱出。二度と高校に足を踏み入れることはなかった。
 誰にも頼ることなく、自分の力だけで生きていこう――そう決意した永峯さんは、大工や土木作業員など、さまざまな職を転々としていく。その後、音楽の世界で活躍したいという夢を持ち、思い切って上京。インディーズでCDを出すなど、活動を続けたが、現実は厳しかった。次第に人生に行き詰まりを感じるように。気付けば、20代半ば。高校中退から10年が経っていた。


 2002年のある日、いつも励ましてくれる男子部の先輩から、何かにつけ人や環境、そして過去のせいにする、自分の生き方を諭された。また別の先輩からは、こうも言われた。「挑戦の人生に、どちらか一方が正解ということはないんだ。大事なことは、最後まで自分で悩むこと。そうして決めた方が正解なんだよ」
 たった一度の人生なのに、いつの間にか、失敗を恐れ、挑戦を避けていた。そんな自分のことを自分以上に考えてくれる人がいる。涙が止まらなかった。
 
人を喜ばせたい
 いったい何のための人生なのか――そう考え出した直後、永峯さんは先輩に薦(すす)められ、小説『新・人間革命』第8巻を手に取った。
 青年の育成に励む山本伸一の日々がつづられた第8巻「宝剣」の章の舞台は、1963年(昭和38年)、高度経済成長期の日本。
 当時は、次第に学歴社会となり、有名な大学の出身者でなければ、社会のリーダーにはなれないとの考えが定着しつつあった。
 同章には、この時代背景が描かれた後、学歴について、こう言及がある。
 「知識や学力が大切であることはいうまでもない。しかし、学歴イコール知識・学力ではない。ましてや、学歴イコール人間の能力ではない。指導者には、知識・学力は必要ではあるが、同時にそれを生かす知恵こそ、不可欠である」「さらに、何よりも、他人を思いやる心や、自分を律する力など、人格、人間性の輝きといった事柄が、求められていかねばならない」


 永峯さんは、自分が中卒であることを、特段、意識したことはなかったが、小説を読み進めるうちに、その中での伸一の指導一つ一つが、自分に送られていると感じた。
 その頃、自主制作したCDに一つの声が寄せられた。「歌を聞いて勇気をもらいました」との感想に対して、永峯さんは、これまでにない“ある感情”を抱(いだ)く。
 「もっと人に喜んでもらいたい」。何のために生きていくのかが、見えた気がした。
 2003年4月、父親が亡くなった。永峯さんは、実家に一人で住む母親を支えるために帰郷。そこで人に喜んでもらえる仕事がしたいと、就職活動を始めた。


 2000年代前半は、就職氷河期の真っただ中。まして自分は中卒。プライドも何もかも捨てなければ、就職などできないと思った。
 数少ない求人情報の中、ハローワークで偶然(ぐうぜん)、目に留まったのが動物園の求人だった。子どもたちをはじめ、多くの人々と触れ合う姿が目に浮かんだ。応募条件には、最終学歴として「高卒以上」とあったものの、永峯さんは迷わずに応募。なんと選考に進むことができ、面接では、来園者に最高の感動を届けたい!――自身の思いを語った。
 結果は、「採用」だった。
 しかし、安心したのも、つかの間。準職員、すなわち常勤のアルバイトでの採用には、賞与も、基本給のベースアップも、各種手当もない。正社員になれる保証もなかった。
 半年が経とうとした頃、永峯さんは、この仕事を続けるべきかどうか思い悩んだ。男子部の先輩が親身になって耳を傾けてくれた。「自身の“原点”だけは見失ってはいけないよ」。先輩の言葉に、永峯さんは何のためなのかという一点を見つめ直した。“そうだ。ここで働き続け、必ず皆に喜んでもらおう”と、再度、奮起(ふんき)。がむしゃらに働くこと、さらに半年。永峯さんは正社員となった。
 
「成長への軌道」を共に
 2012年春、宮崎市内にある通信制併設の高校に、35歳の永峯さんの姿があった。
 思わぬ形で再び高校の門をくぐったのは、年下の友人から悩みを打ち明けられたことがきっかけだった。20代前半の彼は、小学2年から不登校になり、通信制高校の授業も行ったり、行かなかったり。苦労を重ねてきた永峯さんには、彼が、20年前の自分と重なって見えた。見放すわけにはいかない。ふと口をついて出た。「一緒に通うよ」
 入学後、職場での奮闘(ふんとう)はもちろん、学会でも圏や県の男子部長といった責任を果たしながら、授業を受講。3年間の高校生活を全うした。永峯さんに続いて卒業した友人は、不屈の姿に感動し、学会に入会している。


 永峯さんが、ある授業で自身の半生を振り返った「成長への軌道」と題する作文がある。「全国私立通信制高等学校協会会長賞」に輝いた。そこには、こうつづられている。「目の前のことに挑戦すること。たとえそれが、思い通りの結果でなくても、さらなる挑戦への勇気に変えられること。目標の大小ではなく、自身が一歩踏み出すこと自体が、成長への一番近道の軌道であることを、身をもって経験できたことが、私の生涯の財産です」
 
学歴イコール人間の能力ではないことを証明
 「学歴より学習歴」と言われて久しい。しかし、今なお学歴フィルターは社会に残る。学習機会に恵まれない場合もあるだろう。
 では、何をもって戦うのか――永峯さんは、それを「挑戦歴」に見いだした。「挑戦こそ青年の特権なり」と。
 わが人生を、一歩一歩と具体的に前進する。そこで人間は磨かれ、知恵を学び、活路を開く。この困難な軌道を行くには、共に歩む仲間の存在ほど、ありがたいものはない。
 もっと人に喜んでもらいたい。そのために今日も一歩を踏み出そう――原点を胸に、永峯さんは動物園の発展に尽くす。


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kansou@seikyo-np.jp
(2019年12月7日 聖教新聞)







Last updated  2019/12/07 05:30:07 PM
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2019/11/30

「ライフウオッチ ―― 人生100年時代の幸福論」
インタビュー ローマ・ラ・サピエンツァ大学 ツーツィー・グラツィア博士  
​「希望」を伝え、心を豊かにする真のコミュニティーの再生を​


 人生100年時代の幸福論を探る「ライフウオッチ」。これからの社会を支える若い世代が、豊かに生きるためには何が必要か。ローマ・ラ・サピエンツァ大学のツーツィー・グラツィア博士に話を聞いた。(聞き手=西賢一)


 日本で急速に進む少子高齢化・人口減少は、イタリアでも深刻な課題として認識されている。同国の合計特殊出生率(※)は1・32で、日本の1・43よりも低く、欧州の先進国の中で最低レベルだ(2017年)。また、人口学者たちが推計した子どもの寿命は、2007年生まれの半数が、イタリアで104歳、日本に至っては107歳まで生きる見通しだという。そうした状況を、ツーツィー・グラツィア博士はどのように見ているのか。


 少子高齢化・人口減少については、さまざまな問題点があると思います。


 一つ目の問題点は社会的な施策です。


 イタリアでは子どもを産みたいと願う家庭に対する経済的な支援が、なかなかありません。幼稚園・保育園の利用料も高く、待機児童の問題も深刻です。


 物価もますます上昇しており、本来、もっと希望を持ってよいはずの子育てが、楽しんでできる状況にないのです。


 もう一つの問題点は雇用です。


 現代社会には“自分さえ良ければいい”という利己主義が、まん延しています。かつて私自身も経験したことですが、青年たちは競争を強いられ、受験でも就職でも“周囲に負けられない”という気持ちから、精神的な負担を感じているように思います。


 また、イタリアでは大学や大学院を出ても就職が困難で、失業率も依然として高いままです。やっと職を見つけても短期契約、という人も大勢います。


 もちろん、彼らは自分が定めた目標を実現できる可能性を持っていますが、多くの若者は達成するまでにかなりの時間を要してしまいます。仕事や生活が安定する頃には、すでに40代という人も少なくなく、そこから家族を持つことが難しくなっているのです。


 そのため、青年たちは将来の見通しが立てにくくなっており、子どもと共に生きる未来に対して希望を失っているのが実情です。


  
若い世代が直面している諸問題もまた、世界共通であることが分かる。それらを乗り越える鍵は、どこにあるのか。


  社会的な支援が必要なのは当然ですが、普遍的な価値を大切にすることではないでしょうか。その価値とは「人間関係」であると私は思います。


 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)によるつながりよりも、人間的な連帯が大事です。著名な社会学者のジグムント・バウマンも、SNS偏重の傾向に警鐘を鳴らしています。


 現在の多くのメディアが伝える価値観は、社会的成功や高収入、高価なスマートフォンを手に入れることが大事であるといったメッセージであり、これも若い人たちを迷わせているように感じます。それらが手に入らなければ、彼らは落ち込み、自暴自棄になってしまう場合があり、とても心配です。


 その意味で、少子高齢化の影響もあって衰退してはいますが、やはり正しいメッセージを伝え、心を豊かにする、真のコミュニティー(共同体)の存在が不可欠なのです。


 私の場合は教員ですから、大学という世界の中で、その役割を果たしたいと考えています。


 宗教の社会的使命も、そこにあるのではないでしょうか。特に創価学会は、会員が多い分、責任が大きいといえます。


 大切なのは、会員はもちろん一般にも、とりわけ青年たちに「希望」を伝えることでありましょう。何があっても、この人生、この世界、この地球は素晴らしい。誰もが歴史の主人公になれる。だからこそ、何事も情熱をもって、楽しんでやろう――そうした意識を持てるようにしてあげることが重要です。


 さらに、①対話すること②自分なりの考えを持つこと③自身の中にある可能性を引き出しながら、周囲の人々との調和を持続すること――などを教えるのも、大事であると思います。


 また、よく言われていることですが、礼拝や布教などの宗教活動に熱心であれ、無宗教であれ、人間として重要なのは現実社会の中で善行をなしているかどうかです。



 私が3年前に創価学会と出あい、一番驚いたのは、イタリア全土に10万人近くいるというメンバーの数でした。宗教間の対話や交流を推進しておられる点も評価できます。


 素晴らしいのは、それだけ多くの人々に正しい生き方を示してきたという事実であり、どうすれば良き市民として社会に貢献できるかを教えておられるのが、よく分かります。


 ツーツィー博士は、アルゼンチンの人権活動家でノーベル平和賞受賞者のアドルフォ・ペレス=エスキベル博士と親交が深い。昨年6月にローマで行われた、エスキベル博士と池田先生による共同声明「世界の青年へ レジリエンス(困難を乗り越える力)と希望の存在たれ!」の国際記者発表会では、進行役を務めている。


  エスキベル博士も「自身の行動を通して、“希望の言葉”を伝えなければならない」と、常々言われています。


 「私は希望を失ったことは、一度もありません。その希望の心、連帯の心を、今こそ青年たちに継承してもらいたい」とも語っておられます。


 博士と池田先生の人生は、青年たちのモデルになっていると強く確信しています。両者は自らの信念を貫き、正義のために“希望の力”をもって戦ってこられました。まさに、共に発刊された対談集『希望の力』(邦題『人権の世紀へのメッセージ』)のタイトルの通りです。


 昨年6月に発表された共同声明には、青年の連帯がある限り、何があろうと、希望は絶対に失われないとのメッセージが込められています。


 この共同声明は、両者と若い世代を結ぶ「絆」であると思います。


 先人たちの知識や経験は、貴重な歴史であり、財産です。今後は、博士と先生の後継者である青年たちが、具体的に行動を起こし、地球的課題の解決を目指す共同声明のメッセージを、世界中に伝えていってほしいと心から願っています。


 ただし、それは青年たちだけに未来の責任を負わせるという意味ではありません。私たち大人が彼らを正しい方向に導き、同じ道を歩んでいく必要があります。


 そうすれば、“人は100歳まで青年でいられる”と言われるエスキベル博士のように、誰もが前向きで若々しい生き方ができるのではないでしょうか。



 Tuzi Grazia 

イタリア・ローマ出身。ローマ・ラ・サピエンツァ大学で民族音楽学博士号を取得。スペインのバリャドリード大学教授などを経て、現在はローマ・ラ・サピエンツァ大学の准教授。専門は民族音楽学。移民コミュニティーについても研究している。 


 ※合計特殊出生率とは、1人の女性が生涯に産むことが見込まれる子どもの数を示す指標。



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(2019年11月30日 聖教新聞)







Last updated  2019/11/30 10:28:22 PM
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2019/11/21

ライフウォッチ ―― 人生100年時代の幸福論
“就職氷河期”世代のいま 
職場の経営危機と倒産の荒波を越えて


 コンビニで買った夜食を手に、倒れ込むように帰宅した深夜。悔(くや)し涙があふれる。
 “なんで、またこんな目に?”
 2013年春、当時34歳だった加藤雅也さんは、数年前から働く会社の経営難に直面し、人生2度目の転職を考えていた。
 時を同じくして、本紙で小説『新・人間革命』第26巻「奮迅」の章の連載がスタート。そこには、主人公・山本伸一が、信越の男子部員を励ますシーンがあった。
 「諸君の人生は長い。決して焦ってはならない。焦って、地道な努力を怠れば、必ず、どこかで行き詰まってしまう。人生の勝負は、五年や十年で決まるものではありません。一生で判断すべきです」
 社会人となり約10年。加藤さんは、“ともかく負けまい”と自分に言い聞かせた。「小説を読んで、人生は“長いスパン(時間の幅)”で見なくちゃいけない。まだまだ、これからなんだと、勇気をもらいました」
 
働けど報われない
 加藤さんが大学を出た2001年は、求人倍率1・09%という就職氷河期。京都出身でもあり、当初は関西の企業への就職を望んでいた。だが不況により募集人員は限られ、いくつもの会社にエントリー用紙を郵送したが、ほとんど返事がない。
 「何かしらの職に」と、卒業前の秋に滑り込むように内定を得たのが、加藤さんの通う大学があった長野・松本市の電機メーカー。「賃金が低く、将来が不安でした。30代になっても、ほとんど貯金がありませんでした」
 2008年にリーマン・ショックが起こると、翌年、会社が経営難に陥る。加藤さんは、再建のために不眠不休で奔走
(ほんそう)した。心身が悲鳴(ひめい)を上げるまで働いたが、会社はもたなかった。
 悪化する景気動向下での転職活動は困難を極(きわ)めた。転職エージェントからのメールも、ピタリと途切れた。企業に連絡しても、「求人はしていません」と相手にされない。
 ようやく採用が決まった精密機器メーカーも、すでに経営に陰(かげ)りがあった。1年足らずで希望退職の募集が始まり、後に整理解雇が行われた。社員は3ぶんの1に減り、加藤さんは、またもや会社再建の業務を担うことに。
 やがて一時帰休制度で週休4日となり、賞与が消え、収入は大幅にダウン。転職エージェントからは、「とにかく嵐が過ぎ去るのを待ちましょう」と。結局、この二つ目の会社も、わずか3年で退職することになる。
 働けど働けど、報(むく)われない。一体、自分の将来はどうなるのか。結婚はおろか、翌月の生活すら思い描けない。「奮迅(ふんじん)」の章が連載されたのは、まさに苦悩の渦中(かちゅう)だった。
 
悩みが自分を強くする
 小説『新・人間革命』起稿の地・長野では、長年、「創価信濃大学校」の名で、各部で同小説の学習運動を進めている。当時、男子部の圏書記長だった加藤さんも、再度の転職に挑みながら、メンバーと共に研さんを深めていた。
 後輩の一人に、中学を卒業後、仕事に就けず、ふさぎ込みがちな男子部員がいた。加藤さんが「実は今、僕もね」と近況を語ると、少しずつ心を開いてくれた。「働きたいけど、一歩が踏み出せないんです……」
 やがて加藤さんは、「一緒に頑張ってみよう」と後輩を車に乗せ、共に就労支援所へ通うように。彼が、あれこれと希望する職種を教えてくれるようになった時、ふと「苦労は宝」だと思った。「仕事の悩みが、彼との絆(きずな)を強めてくれた。ありがたいな、と」
 その後、後輩は人生初の定職を得る。人のことなのに、涙が出るほどうれしかった。
 またこの頃、加藤さんのことを、よく気に掛けてくれる壮年部の先輩がいた。水産関係の自営業を営むその人は、さまざまな仕事の苦労を話してくれた。取引先から突然、契約の打ち切りを伝えられたが、何度も誠実に交渉する中で、新たな活路が開けたこともあったという。
 常々、先輩は言った。「仕事の悩みが、自分を強くしてくれる。苦労が大きい分、大きく道を開いていけるのが、この信仰だよ」
 加藤さんは、「自分も、仕事での挑戦を“土台”にして、強くなりたい」と思えた。
 日々、学会の先輩や後輩と関わり、触発を受ける中で、加藤さんは、今まで以上の覚悟で転職活動に臨むことができた。
 そして、「奮迅」の章の連載が終了した2013年7月、現在の勤務先である商社から内定を得る。「貴重な経験をお持ちですね」と、2度の会社の経営難、再建への職務経歴が買われての新出発となった。
 2年前には、縁あって結婚。家族を支えるためにスキルアップをと、昨年は宅地建物取引士などの国家資格を取得し、英語の勉強にも力を注ぎ始めている。
 学会では今秋、男子部から壮年部に進出した。「41歳。いよいよ、これからです」
 
“決勝点”を見つめ
 加藤さんが赤い線を引き、何度も読み返してきた「奮迅」の章――。信越男子部への激励の場面で、山本伸一は、「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」(富田砕花訳)との、アメリカの詩人ホイットマンの詩を引用。続けて、こう訴える。
 「悪戦苦闘は、われらにとって、避けがたき宿命的なものです。しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏、人間完成、福運に満ちた勝利の実証を示すという、人生の決勝点は取り消すことはできない」
 そして同章には、こうも記されている。「悪戦を経た数だけが、自身の経験の輝きとなる。苦闘の数だけが力の蓄積となる」と。
 ならば、わが人生の“決勝点”に到達する直道は、苦難のど真ん中を進むことであろう。加藤さんは決意する。「何があっても、試練に挑み立っていける自分。目標に向かって努力できる自分。そこを目指したい。悪戦を経て、多くのメンバーに励ましを送れるようになることが、人生の財産だと思っています」
 100年時代を生きる自身の“決勝点”へ――加藤さんの目は、「今」の先にある「未来」を見据(みす)えている。



(2019年11月21日 聖教新聞)







Last updated  2019/11/21 08:00:06 PM
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2019/11/09

​ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論 
インタビュー 京都大学大学院 柴田悠准教授  ​


​子育て支援が経済の常識を覆す​



 人生100年時代を豊かに生きる知恵を探る「ライフウオッチ」。今回は、社会保障や人の幸福感を研究する社会学者の柴田悠・京都大学大学院准教授に話を聞いた。(聞き手=村上進、萩本秀樹)


 超高齢社会に突入した日本では近年、年金や介護保険などの社会保障費が増大し、財政難が叫ばれる。その中で、将来の現役世代を育む「子育て支援」は後回しにせざるをえないという懸念があった。そういった状況に対し、『子育て支援と経済成長』(朝日新書、2017年)等の著作で、別の視点を投げ掛けてきたのが柴田悠准教授である。
 

 
 日本には「社会保障は経済成長にとって足かせになる」という既成概念が根強くありました。私は、こうしたある種の「常識」に疑問を感じ、OECD(経済協力開発機構)28カ国のさまざまなデータを集め、統計分析を試みました。結果、社会保障の政策の一部、特に子育て支援は経済成長率を引き上げたり、財政を改善する可能性があるという、常識を覆すような分析結果が見えてきました。


 具体的には、経済成長を左右する要因の一つに労働生産性がありますが、職場における女性の割合が高まると生産性が上がるという分析が別の研究で示されています。私の分析では、保育サービスへの支出をGDP比で1%増やすと、その年の労働力女性比率が1.21%増える傾向にありました。さらに子育て支援は、労働生産性を上げるだけでなく、子どもの貧困や自殺を減らすことにもつながります。保育の拡充による女性活躍の経済効果は、公共事業に追加予算を投入した時が「1.1倍」であるのに対して、「約2.3倍」にも上ることが分かりました。


 幸いにも近年、子育て支援関連の施策が増大する中で、女性の活躍が推進され、社会的な効果が出始めていると思います。今後は、保育士の労働環境の改善などによって、保育サービスの量とともに質を向上させる必要があると考えています。
 

「困っている人を支援することが、経済や社会の発展にもつながる」。そういった希望が感じられる社会をつくるためにも、私たちが「暗黙の前提」としている「常識」を捉え直し、人生100年時代を豊かに生きる知恵を見つけ出すことが大切だと思います。


   本来、希望を抱いてよいはずの人生100年時代を前に、私たちは立ちすくみ、不安を感じてしまいがちである。その原因や社会的背景を、柴田准教授はどう見ているのか。 
 

 


 この問いに答えるに当たり、私が親しい20代の大学院生に、「人生に不安を感じるか」と聞いた時のエピソードを紹介します。


 大学卒業後、企業で3年間働いてから大学院に入学した彼は、会社員の時はすごく不安があったそうです。勤め上げた後、いざ定年を迎えて会社の一員でなくなった時、どこに情熱を向ければよいのか。社会的承認を失ってしまうのではないか。そうした不安があったといいます。 
 しかし研究に従事している今は、その不安がないそうです。研究者は自分のスキルを磨き、組織から独立している面もありますので、定年後も仕事を続ける人もいます。


 つまり、不安のあり方は、自分の置かれている仕事の状況によって異なるということです。この彼の話をヒントに、不安の原因としての「働き方」に着目してみました。



 社会学者の小熊英二さんは、『日本社会のしくみ』(講談社現代新書)の中で、現代日本の働き方、生き方を三つの類型で提示しています。


 一つ目の「大企業型」は、右肩上がりで給与が増えていく正規雇用者です。所得は安定している一方で、地元を離れているため地域とのつながりは薄い場合が多く見られます。


 二つ目の「地元型」は、Uターンするなどして地元にとどまる生き方です。地元の学校を出て、その地方の職業、農業や自営業、建設業、地場産業、市町村職員(政令指定都市以外)などで働く人のことであり、所得は大企業型ほどは高くなくとも、地域とのつながりが濃い人たちです。


 人生100年時代を考える時、大企業型の人は定年退職後に社会的承認を得られるかどうか、地元型の人は老後に生活費が続くかどうかが、不安の原因になりえます。 


 上記の二つに当てはまらないのが、三つ目の「残余型」です。都市部の非正規雇用者など地元を離れ、不安定な職に就き、所得も地域とのつながりも少ない人たちのことです。彼らには、老後の社会的承認の不安と、生活費の不安の両方が当てはまります。


 今の日本の根本問題は、この残余型の人たちがどんどん増えていることです。 


 その背景には、日本では「大企業型」を守ろうとしてきたことがあります。その結果、地元型が減り、残余型が増えたのです。これは非常に危険であると小熊さんは指摘しています。 
 

  長時間労働や非正規雇用など、働き方を巡っては、これまでもさまざまな改革が提案・実施されてきた。「大企業型」中心で行き詰まりを見せる日本の労働環境を根本的に変えるには、どんな視点が大切だろうか。 
 

 


 職場以外で活動することが重要であると思います。これについては、すでにさまざまなヒントが提示されており、例えばリンダ・グラットン氏らは『ライフ・シフト』の中で、一つの会社に勤めるのではなく、複数のキャリアを持つことの重要性を指摘しています。


 兼業やボランティア、趣味といった活動をする中で、企業という枠にとらわれない働き方の可能性が見えてきます。また、正社員であっても週3~4日の勤務でよいという“部分正社員”のような雇用形態が検討されてもよいのではと思います。 


 住み方についても同様のことが言えます。近年、フリーランスの人たちを中心に、複数の拠点を行き来する「多拠点居住」という概念が増えています。同じ場所に一年中定住するのではなく、例えば夏の間だけ北海道で暮らす、というような生活です。これによって地方の「滞在人口」が増え、それは地方創生にもつながります。 


 こうした働き方、住み方の「複数化」は、人材を分かち合う「シェアエコノミー」の全体版ともいえます。月曜日から水曜日まではこの会社、木曜日と金曜日は別の会社で働くというように、一人の人材を複数の会社でシェアする。住まいについても、都市部と地方部で人材をシェアする。これらが実現すれば、長期的には、地方の衰退や長時間労働など、少子化や財政悪化の原因を改善できる可能性も開かれます。 


 人口減少や人手不足は不可避的な課題であるからこそ、一人一人の力を自由に発揮できる社会を築くことが大切です。 
  


 都市と地方、正社員と非正規社員、政治における保守とリベラルなど、日本社会にはさまざまな「分断」の要素がある。それを乗り越える鍵は何なのか。 
  


 お互いの「暗黙の前提」を問い直していくことが、その出発点であると思います。こうした手法は、古くはソクラテスの「対話法」にも見られました。互いに議論し、暗黙の前提を明らかにし、“本当のことは何も知らないのだ”という出発点から合意形成していくのです。「無知の知」とも呼ばれ、互いが無知であると知ることが大事なのだ、と。


 現実にはさまざまな分断がありますが、そこに横たわる暗黙の前提は何かを探ることが大切です。例えば、“大企業型・地元型・残余型という3類型は、今後も交わることはない”“それ以外のあり方は無理だ”という暗黙の前提。“日本社会の根本は大企業型である”という前提もあります。これらを疑うことで、働き方や住み方のシェアといった、前提を打ち破る発想が生まれます。 


 人材のシェアという概念は、日本の文化に適しているともいえます。西洋ではキリスト教の影響もあり、ボランティアや寄付などの“一方向の無償の施し”が伝統ですが、日本には「お互いさま」という言葉があるように、互いに助け合う相互扶助のあり方が、よりなじみやすいのではないでしょうか。 


 都市部は長時間労働、地方は人材難で、互いに苦しい。そうした状況を人材のシェアで解決することは、「お互いさま」の精神と通じ合うように思います。


 少子高齢化の日本には“世界一”といえるほど、人手不足に対する危機感があります。しかしだからこそ、新しい取り組みのきっかけが生じやすいともいえるのです。


 人材を分かち合う上では、家族の枠組みを超えて励まし合い、支え合う地域のコミュニティーの存在が重要になる。そこに宗教団体の価値もあろう。 
  


 私たちが生きる世界には、「俗なる世界」ともいえる会社以外に、「聖なる世界」もあります。それは宗教組織やボランティア、会社以外のいろいろなコミュニティーのことですが、そうした聖なる世界に所属することが、人生100年時代には大切であると思います。


 聖なる世界に属することで、発想やネットワーク、視点の広がりが生まれます。それにより、合理性だけでは解決しえない何かを、解決することができるのです。それが、グラットン氏が人生100年時代の「無形資産」と呼ぶ、お金に代えられない資産です。


 俗なる世界では生産的な人が価値を持ちますが、聖なる世界ではそうとは限りません。むしろ、生産的でないからこそ価値を持つ人がいます。弱さがあるから共感を得る人や、他者の弱さを理解できるからこそ、信頼や尊敬を集める人もいます。


 創価学会やその他の宗教は、この弱さへの理解やケアという面で、大いに貢献しています。「ホスピタル(病院)」がキリスト教の施設に由来するように、社会保障もキリスト教から始まりました。 


 相互扶助や励まし合いを可能にする宗教団体は、人生を豊かで優しいものにし、困った時に助け合える力をくれる大きな資産です。人生100年時代を迎えれば、死を意識する時間や、苦しみに直面する時間も増えるでしょう。そうした時、聖なる世界とのつながり、そこでの自身の貢献が、豊かな社会的承認を生みますし、それは幸福感の広がりにもつながるでしょう。


 こうしたつながりが持つ価値を社会に還元していけば、人生100年時代はより幸せなものになっていくのではないでしょうか。


 しばた・はるか
 1978年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。博士(人間・環境学)。京都大学卒業、同大学大学院博士後期課程修了。同志社大学政策学部任期付准教授、立命館大学産業社会学部准教授などを経て現職。著書に『子育て支援と経済成長』(朝日新書、2017年)、『子育て支援が日本を救う――政策効果の統計分析』(勁草書房、2016年、社会政策学会賞受賞)があるほか、共著書、分担執筆書など多数。3児の父。



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ファクス 03-5360-9613


(2019年11月9日 聖教新聞)







Last updated  2019/11/09 08:00:06 PM
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2019/10/27
​信仰体験×ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論

4人の息子を育てるシングルママ 


環境は自分で変えていく――人生の主人公は私自身


 「人生100年時代」の幸福論を探る「ライフウオッチ」。信仰体験のページでは、40歳前後の「アラフォー世代」の生き方を見つめる。

    小野亜沙希さん(40)は4人の息子を育てるシングルママ。2008年(平成20年)、四男が生まれた直後、夫が蒸発した。18歳で嫁いだ亜沙希さんには、働いた経験がなかった。育ち盛りの子を抱え、彼女は、どのように活路を開いていったのか――。



 4人目の子どもを出産し、実家に預けていた子どもたちとアパートに帰ると、“もぬけの殻”。家具は全てなくなり、夫の携帯もつながらない。数日後、離婚調停の通知が届いた。


 長男は小学5年、次男は小学2年、三男は小学1年。育ち盛りの子どもたちを抱え、呆然と立ち尽くした。18歳で結婚し、最終学歴は「中卒」。11年間、専業主婦。働いたことなんてない。
  
 

   振り返れば、試練の多い結婚生活だった。浪費を繰り返す夫のせいで、自己破産を経験した。次男は小児ネフローゼ症候群、三男は川崎病を患った。夫は家に帰らない日も多かったが、亜沙希さんはそのたびに題目を唱え、逆転のドラマを演じてきた。けれど、まさかこんな結末が待っていようとは――。


 婦人部の先輩に会いに行った。苦しい胸の内をさらけ出した。悩みを一つ一つ言葉にすると、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。先輩は言った。「信心に無駄は一つもない。祈っていけば、最短距離で一番いい方に向かっていくから」


 祈っていくうちに、自身の心の内を冷静に見つめられるようになった。“どうしよう”と足りないものばかり数えている自分。夫に依存していた自分。そんな自分と決別したい。離婚は「私が自立するチャンス」――そう覚悟を決めた。


 だが現実は厳しかった。夫が払うはずだった家賃は1年間滞納されていた。子どもの養育費すらまともにもらえなかった。支援を頼もうと役所の窓口を訪れても、「ご両親に養ってもらってください」と。当時29歳。今さら親のスネをかじるわけにはいかない。借金をして、何とかその日その日をやり過ごした。


 派遣会社に登録したが、時はリーマン・ショックの直後。中卒のシングルママに開かれた門は少なかった。それでも「一番いい方向に」と懸命に祈った。


 “私のセールスポイントは何かな”。祈る中で知恵が湧く。頭に浮かんだのはパソコン。保護者として、子どものサッカー部の書類作りを手伝ってきた。


 ピアノを習っていたから手先が器用だった。キーボードを打つのが得意で、そのうちパソコンを分解して、パーツを調べるまでに。「パソコンの調子が悪い」と悩むママ友のために、夜中に飛んで行って修理してあげたこともあった。


 主婦業の合間に身に付いた力が、就活に生かせるかもしれない。


 ある日、求人を見つけた。大学教授の手伝いで、書類や案内状を作る仕事。“これだ!”。直感で体が動いた。


 一番自信のある私服を着て、面接へ。対面した教授から「パジャマで来たの?」と笑われた。就活はスーツという常識さえなかった。「君、面白いね」。まさかの採用。働き始めると才能は開花した。任される仕事がどんどん増え、白衣を着て研究助手まで務めた。


 「君のキャリアのために、高卒の認定資格を取った方がいい」。教授は試験勉強も熱心に教えてくれた。半年後、合格。「スキルアップしながら、お給料までもらって」。信心の功徳を感じた。


 四男が小学生になるまで、離婚したことを子どもたちに隠してきた。夫の悪口も言わなかった。“親を恨むような思いはさせたくない”。感謝と笑顔があふれる家庭をつくりたかった。


 働き始めて、子どもたちとコミュニケーションを取る時間は短くなった。


 だから毎朝、聖教新聞の配達に息子を連れて行った。道すがら話をした。学校のこと。友達のこと。勉強のこと。家に戻ると、皆で御本尊の前に座った。


 勤行の後、子どもたちは1冊のノートに、今の思いを記していった。母への感謝。兄弟への励ましの言葉……。「絶対、創価学園に行く!」と決意が書かれていることもあった。そのノートが息子たちとの心の会話となった。


 それでも、男子4人の子育ては大変。反抗期になると、イライラした息子が家の窓ガラスを割ったこともある。“男親がいてくれたらなあ”と、何度も思った。毎日10合の米を炊き、息子と競うように食べ、腕力をつけた。腕相撲で「私が勝ったら言うことを聞け」と、ねじ伏せたこともあった。


 季節は巡り、長男の七音さん(21)は創価大学へ。次男の鈴音さん(18)は創価高校を卒業後、ドイツのプロサッカー選手に。三男の快音さん(17)も創価高校に進んだ。亜沙希さんは学費を稼ぐため、給与と福利厚生の充実した正社員を目指し、再びスキルアップに挑んだ。


 ハローワークで紹介されたIT就業支援の学校に1年通い、マイクロソフトの資格試験6種全てに満点合格。すると、学校の講師から声が掛かり、システムエンジニアとして、大手電子メーカーの社員にヘッドハンティングされた。


 入社して6年、重要な職務を担う。「母親の視点で見てほしい」と期待され、人材育成にも携わる。11年間の主婦の経験が、職場でも生きている。


 息子たちに読み聞かせた『希望対話』。その中に、亜沙希さんの半生を表すかのような池田先生の言葉があった。
 

〈「環境」に振り回されるだけなら、環境が、あなたの人生の主人公ということになってしまう。それでは、つまらない。あなたの人生を決める主人公は、「あなた自身」なのです〉


(2019年10月27日 聖教新聞)







Last updated  2019/10/27 07:49:07 PM
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2019/10/26
​ライフウオッチ ―― 人生100年時代の幸福論 

インタビュー パラグアイ 社会活動家・作家 エミ・カサマツさん 
 ​

女性の力が社会に調和をもたらす  
「生き抜く」ことは「学び抜く」挑戦



 「人生100年時代」の幸福論を探る「ライフウオッチ」。さまざまな変化が加速する現代にあって、女性が豊かに生きるために必要なことは何だろうか。南米パラグアイの社会活動家・作家で国立アスンシオン大学元教授のエミ・カサマツさんに話を聞いた。(聞き手=佐口博之)


 エミ・カサマツさんは、ラテンアメリカ女性人権団体役員やアスンシオン市顧問、大学教授など、さまざまな立場からパラグアイの未来を展望してきた。カサマツさんは、パラグアイの女性が置かれた状況をどう見ているのか。


 もともとパラグアイでは、男尊女卑の考え方が根強く、女性を軽んじる風潮が長くありました。“女性は家庭に入るべき”“女性の仕事は主婦”とされ、高等教育を受けることも、既婚の女性が働きに出ることさえも許されませんでした。


 この状況に少しずつ変化が起こり始めたのは、1980年代から90年代にかけてです。


 この時期、日本では男女雇用機会均等法が制定され、国際世論でも「男女平等」への意識が急速に高まっていきました。


 近年、パラグアイでは、男女の教育機会の平等が実現しつつあり、女性の大学進学率も上昇しています。教育を受ければ、自身の人生を向上させる機会が広がり、多様な価値観への見識も養えます。


 首都アスンシオンをはじめとする都市で暮らす青年世代は、結婚後も男女ともに、働きに出る「共働き」が主流になりつつあります。若い女性が、社会で生き生きと活躍し始めているのは、喜ばしいことです。


 それでも、青年たちの親世代や地方では、「女性の社会進出」をよく思わない男性や、“女性に勉強は必要ない”と言って、学校に通わせない家庭がまだ残っていることも事実です。


 また、政府機関や大企業のトップ層は今なお、男性が占めています。国会議員の男女比率を見ても、女性の割合は数%というのが現実です。女性の平均給与は、男性に比べて、25%ほど低いという統計もあります。まだまだ、男女間には根強い格差が存在します。


 こうした現実を変えるために「青年」とりわけ、「若い女性」がキーワードになると考えます。


 パラグアイは総人口に対し、34歳未満の若年層が実に73%を占めています。少子化が進み、若年労働力が減少の一途をたどる日本とは、対照的な人口ピラミッド(年齢構造)になっています。


 パラグアイでは、社会を「支える側」が多い半面、雇用待遇は、周辺国のブラジルやアルゼンチンに比べても、恵まれていません。ゆえに、男女ともに優秀な若者ほど、高待遇の職や、やりがいのある仕事を求めて、パラグアイを離れてしまう傾向があります。


 グローバル化が進む今、その流れは加速しています。


 青年や女性の雇用環境の改善を後回しにすれば、社会にひずみが生まれます。パラグアイ社会全体で一日も早く、取り組むべき課題であると思います。


  

 日本でも、近年叫ばれ続けている「女性の社会進出」。男性側の意識変革が求められる一方で、女性自身が意識すべきことは何だろうか。


 女性自身が、もっと社会に目を開くべきだと思います。


 今いる場所でも、できることはたくさんあります。それが、私にとってはボランティア活動でした。
 1970年代、私は5年間、パラグアイ駐日大使の夫人として日本に渡りました。


 当時、私は30代でしたが、両国の友好を深めるために、できる限りのことをしようと、社会貢献活動を開始しました。日本・ラテンアメリカ婦人の会を設立し、パラグアイをはじめとする中南米諸国と日本との文化交流の促進に努めてきました。この経験が、のちの人生を大きく変えました。


 帰国後は日本の芸術や文化、とりわけ、華道小原流の師範として生け花の普及に尽力しました。


 その中で、女性がもっと活躍できる社会の土壌が必要であると痛感したのです。


 世界的にも「男女平等」への機運が高まっていた90年代には、ラテンアメリカ女性人権団体や日本パラグアイ協会など、さまざまな団体で活動し、女性の権利向上を訴えてきました。


 女性の声を社会に届けるためには、女性同士が手を取り合って、連帯していくことが必要です。女性の力は、あらゆる組織・団体に調和をもたらします。


 現在、私は、世界の女性運動史を研究しながら、執筆に当たっていますが、女性の力を生かす組織・団体の多くは栄え、豊かになっています。


 SGI(創価学会インタナショナル)も、その一つだといえます。私は、何回かSGIの諸行事に出席させていただきましたが、SGIには、女性の連帯があり、その一人一人が生き生きと社会で活躍されています。


 その背景には、宗教的思想があります。私はカトリックを信仰していますが、宗教は、万人が幸福になるための軌道を示すものです。女性の本来の力を引き出すものだと思います。


 日本では「人生100年時代」への関心が高まっている。本来、「長く生きる」ことは喜ばしいことであるが、多くの不安もつきまとう。カサマツさんは、自らの歩みを通し、豊かな人生を送るために「学び続ける」大切さを訴えている。
 

 今、パラグアイでも、医療技術の発達などにより、男女ともに寿命が延びています。


 しかし、その一方で「老い」や「病」への不安の声は高まっています。こうした不安は、多かれ少なかれ世界共通でしょう。


 それでも、私は「長く生きる」ことに対し、希望をもっている一人です。なぜなら、人生が長くなる分、学びの機会が増えるからです。これからは、自身の可能性を求め続ける時代だと思います。


 いくつになっても学び続ける限り、心の世界は広がります。


 私自身、70代の現在も、「学ぶこと」「書くこと」がライフワークになっています。私は21歳で結婚し、大学を出ていませんでしたが、さまざまな活動を通し、学ぶ努力を惜しみませんでした。


 90年代に入り、女性の権利向上に向けて、専門的な知識の必要性を痛感し、国立アスンシオン大学文学部に進学しました。若い学生たちと机を並べて、学ぶ日々は新鮮そのものでした。卒業したのは60代の時です。


 その後、「ジェンダーと開発」への見識を深めようと、大学院にも進みました。研究成果が評価され、大学教授として教壇に立ち、アメリカや日本の大学で講演する機会にも恵まれました。
 学ぶことによって、新しい知恵が生まれます。活動の幅が大きく広がります。


 「学び続ける」ことこそが、人生を、希望をもって生き抜くための、世界共通の秘訣ではないでしょうか。

 
 今、パラグアイも、学び直しが可能な社会になりつつあります。これからも、全ての女性が社会で力を発揮できるよう、多くの人の学びを応援していきたいと思います。


 エミ・カサマツ

 1940年、パラグアイ生まれの日系2世。社会活動家・作家。現在、香川県アンバサダーを務める。これまでラテンアメリカ女性人権団体役員、アスンシオン市顧問、パラグアイペンクラブ会長などを歴任。国立アスンシオン大学文学部を卒業後、同大学院で「ジェンダーと開発」などを学んだ。同大学教授として学生育成に当たり、アメリカのUCLA、日本の上智大学や南山大学などでも講演した。
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(2019年10月26日 聖教新聞)







Last updated  2019/10/26 11:42:26 PM
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2019/10/19
〈ライフウオッチ――人生100年時代の幸福論〉 
“就職氷河期”世代のいま 娘として母として
私が変われたのは あなたを祈れたから
 あらゆる世代が「人生100年時代」を幸せに生きるための知恵を探る「ライフウオッチ」。今回は、複雑な家庭環境や数々の病と闘いながら、娘として母として生き抜いてきた、東京・清瀬市の婦人部員を取材した。(記事=小野顕一)

 人生100年時代への言及が増えている。共通して指摘されるのは、過去の時代に比べて、私たちがより多くの選択肢や変化、そして「未知の困難」に直面するという点だ。予期せぬ出来事を、どのように自らの糧としていけるかが、ひときわ重要となる。
 第2総東京の婦人部に、“コスモス”の愛称で親しまれるコスモス平和大学校という集いがある。小説『新・人間革命』を読み、印象に残った場面を近況とともに紹介し合う。世代はさまざま。語られる体験も多彩である。
 今月15日、清瀬市内で開かれた集いでは、『新・人間革命』第19巻を繙いた。皆が持参した本を取り出すと、そこには色とりどりの付箋が。参加者の一人、山川真理さんには、この巻に、とりわけ心に刻む箇所がある。
 山本伸一が沖縄の総会に出席し、スピーチする場面。ここでは、広宣流布が「自行」と「化他」の融合であることが語られる。
 「利他」の実践によって、「利己」に凝り固まり、汲々としていた小さな生命の殻が破られ、自らの境涯が大きく開かれていく――。
 山川さんが感慨をこめて振り返る。
 「昔は全部、環境のせいにしていたんだなって思います。不幸な目にあってきて、自分が変われるということには気付かなかった」

私は一人じゃない
 「就職氷河期」が新語・流行語大賞に登場した1994年。20歳を迎えた山川さんは、家族の借金返済のため、都内で朝から晩まで働き通しだった。両親が離婚し、母やきょうだいとも離れ離れになっていた。
 アルバイトを掛け持ち、職を転々とした。事務、アパレル、イタリアン、ベトナム料理店、焼き鳥店ときて、またアパレルへ。
 正社員として活躍するための努力は惜しまなかった。コックを志した時は単身、イタリアへ。短期留学で語学と調理技術を学んだ。
 幸い、すぐに次の仕事が見つかるが、長続きしない。さあ、これからという時に、病に見舞われた。てんかん、心の病、顔面まひ、さらには椎間板ヘルニアにメニエール病。過呼吸で何度も救急車で運ばれた。副作用に気を使う薬漬けの日々。家族への仕送り分が治療費に消え、診察券は箱いっぱいになった。
 通院で仕事を休みがちになり、職場でも煙たがられた。入院先のベッドで職を探した。
 憂さを晴らすように飲み歩いた。人の話を聞くのは得意。ただ友達の相談に耳を傾けても、自分の悩みには触れさせない。次第に友人とも疎遠になり、気付けば独りになっていた。
 最大のショックは婦人科での診断だった。「子どもは諦めてください」。家まで、どうやってたどり着いたか覚えていない。
 地域の同志が駆け付けた。「真理ちゃん、真理ちゃん」と、いつも気に掛けてくれていた人だった。「つらかったね。頑張ったね」
 思わず泣いた。他人に弱みは見せまいと思っていたのに、涙があふれて止まらない。
 一人で全てを背負っていると、ずっと思っていた。その気負いが「すっと抜けた」。私は一人じゃない。心を許せる人がいた。
 ほどなくして妊娠が分かった。「この子のために、私は絶対に変わってみせる!」と、毎日、婦人部の先輩と題目を唱えた。
 難しい出産になると覚悟を促されたが、入院直前に病状が改善。自然分娩で長女を出産し、入会したばかりの夫と喜び合った。
 だが長女は、数万人に一人といわれる肥満細胞症を発症した。医師に囲まれ、写真を取られる光景に胸が痛んだ。それでも再度、山川さんは自らの宿命に挑もうと思えた。
 長女は劇的な回復を果たし、一家で願ってきた経済革命も成し遂げた。今、長女は創価中学校へ。長男は学会の合唱団で活躍する。

信心の本当の功徳
 『新・人間革命』第19巻に描かれる沖縄の総会で、山本伸一はこう呼び掛けた。
 「友の幸せを祈り、懸命に弘教に走る同志の胸中には、歓喜が込み上げ、勇気がうねり、希望が広がっている。病苦や経済苦などの、さまざまな悩みを抱えながらも、あたかも波乗りを楽しむかのように、悠々と乗り越えていくことができる。信心の本当の大功徳とは、この『境涯革命』『人間革命』である。自分の境涯が変わるから、依正不二の原理で、環境も変化し、一切の問題が解決できるのである」
 その箇所を指で追いつつ、山川さんは語った。「毎回、コスモスで学ぶ中で“あー! ここ!”“本当にそう! この通りだ”という部分が必ずあるんです。まるで池田先生が、私のために言ってくださっているみたい」
 山川さんが、心境の変化を述懐する。
 最初は、ただ生まれてくるわが子のために。その祈りが次第に周囲にも向いていった。学会活動に取り組むうちに、胸に秘めていた自分のことも忌憚なく話せるように。自分を産んでくれた両親に尽きせぬ感謝が湧いた。
 あの日、山川さんを励ました婦人は、「私たちの方こそ勇気をもらっていた。真理ちゃんの姿に触れて皆が成長できたんです」と。
 コスモスの日を心待ちにする山川さん。「こんな場所、他にないですよね。皆さんの体験が先生の言葉と重なって、ぐっと迫ってくるんです」
 山川さんに、悩みがなくなったわけではない。長女の治癒後も立て続けに困難があった。しかし、もはや動じることはない。
 「どうしたんだろ。私、悩まなくなっちゃったのかな。まさか、薬漬けだった影響じゃないですよね?」と明るく笑い飛ばす。
 そんな山川さん一家の姿を見つめてきた義母と弟が昨年、入会した。
 昔は自分だけで精いっぱいだったな――食卓を整えつつ、山川さんは幸せをかみ締める。
 ある時、友人から「真理ちゃんの人生は、小説みたいに波乱万丈だね」と言われた。
 人生100年になれば、その分、困難は尽きないかもしれない。でも負けない自信もある。何度でもハッピーエンドを描くつもりだ。

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(2019年10月19日 聖教新聞)






Last updated  2019/10/19 10:10:27 AM
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2019/10/13

ライフウオッチ ―― 人生100年時代の幸福論
15年間の非正規雇用を経て正社員に
人生は「総合競技」   一つ負けても、他で勝てばいい


 「人生100年時代」の幸福論を探る「ライフウオッチ」。信仰体験のページでは、40歳前後の「アラフォー世代」の生き方を見つめる。この世代は就職氷河期にぶつかり、初職が非正規雇用であった人が多い。他の世代と比べて給与水準が低く、派遣労働者も多い。新卒で派遣社員となった原見(はらみ)正高さん(37)は本年4月、15年越しで正社員として採用された。彼は社会の現実と、どう向き合ってきたのか――。
 
 夢があった。ベースをかき鳴らし、ロックバンドで生きていく。
 「夢が忍耐を支える」――池田先生の『青春対話』を読んだ高校3年の時、音楽に生涯をささげると決めた。
  
 地元・北海道から創価大学に進学し、2004年(平成16年)に卒業。あえて就職活動はせず、バンド活動と両立できるよう、派遣社員の道を選んだ。
 日雇い派遣で倉庫業に就いたが1年で辞め、時給が高い3カ月更新の中期派遣に変えようと試みた。しかし、当時は派遣の求人さえ少なく、5カ月間、職探しを。「お金が底を突いて、50円のパンの耳が頼り」。ようやく決まったのが、今も働く大手電機メーカーだった。
 昼は仕事、夜は学会活動、深夜にバンドの練習に向かう日々は、充実していた。「あの頃の自分のように、目指すものがある人にとっては、派遣労働は融通が利いて働きやすい面もある」。週1回のライブを重ね、数多くの楽曲を制作。だが、30歳になる頃、壁にぶつかった。
 バンドメンバーが脱退し、やむなく解散。今さら新メンバーを探してやり直す気力はなかった。暮らしにも心にも、ぽっかり穴があいた。時間を埋めるように、深夜の加工食品倉庫のアルバイトを掛け持ちする。
  
 大学時代から、学会活動には一歩も引かずに頑張ってきたのに、「どうせ、信心しても夢をかなえる人なんて一握りだ」。加工食品が積み上げられた倉庫で、「自分の使命はどこなんだ……」とつぶやいても、誰も何も返してはくれない。
 ふと、田舎の父を思った。タイヤショップを営む父は毎晩、作業着をスーツに着替えて学会活動に駆けていた。

 倉庫で作業しながら、心の中で題目を唱えた。何日も何日も。いつしか心は晴れていく。“今は答えが見つからなくても、僕には信心がある!”
 深夜バイトは半年で辞め、朝から電機メーカーで働き、夜は思いっきり学会活動に励んだ。13年5月には、妻・司穂子(しほこ)さん(47)=白ゆり長=と結婚。自分と家族を支えるために、「仕事と生活が一気にリアルになった」。
 真面目な仕事ぶりが評価され、何度も正社員への登用の話があったが、そのたびに「派遣から正社員は異例」と立ち消えに。それでも、転職は考えられなかった。職探しを続けた“5カ月間の恐怖”が頭から離れなかった。
 しかし、いよいよ転職が難しくなるといわれる「35歳の壁」を前に、不安と焦りが募った。
 妻は大手家具メーカーの正社員。自分が先に帰宅し、妻の帰りを待つこともあった。「このままでいいのか……」。男子部の先輩に相談した。先輩の言葉は意外だった。「12年も頑張って、今の会社には十分に恩返ししたね」
 ふっと心が軽くなった。先輩が実践する仕事への“三つの祈り”を教えてもらう。「①広布のために②自分らしく働ける③一流の会社に」。妻と一緒に再び、真剣に御本尊に祈った。
 誓いの原点である『青春対話』を読み返した。すると“夢”の指導には続きがあった。
  
 〈夢がある人も、ない人も、ともかく走り続けることだ。また、人生は「総合競技」です。一競技で負けたって、ほかで勝てばいい。何かで勝てばいい〉
  
 派遣先の会社では、3年ごとに部署を異動し、派遣期間を更新してきた。「職場に深く根を張って、結果が出せるまで恩返しだ」と腹を決め、34歳で再び、契約を更新。今いる場所で“いてほしい人に”――学会で学んだ、仕事への姿勢を貫いた。
 社内の評価は年々、高まった。新たに部署が立ち上がる際には、「原見君を連れていきたい」と上司に言われた。聞いたこともない業界用語が飛び交う新部署でも誰よりも勉強し、仕事に向かった。
 次第に重要な業務も担うようになり、一昨年は数億円規模の商談を取りまとめ、昨年は新商品の開発プロジェクトも担当した。“いてほしい人に”と祈るうちに、「“自分の舞台はここだ”と思える環境になっていた」。
 そして、昨年、再び「正社員に」と声が掛かり、本年4月、グループ会社の正社員に採用された。気付けば、派遣社員として働き始めて15年がたっていた。
 当初は「本社じゃないのか」と迷いもしたが、働き始めると、今の職場の方が“自分らしく働ける”という発見があった。待遇も給与も大きく変わった。
 「信心に励んで、祈り切る中で決めたことは、自分にとって一番、“意味のある決断”になる」。それが今の実感だ。
 一方で、正社員になって生まれた悩みもある。非正規雇用の期間はキャリアの積み重ねがなく、「“下積み”を経験できなかった」と痛感している。それでも、未来に向かって生きれば、「学んだ分だけ、いくらでも可能性は広がる」。
 「人生は総合競技だから、僕の結果発表は“まだ先”。何度転ぼうが負けではない。その先に、どんな世界が見えるのか。これからも、池田先生と“心の対話”を続けていきたい」
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(2019年10月13日 聖教新聞)







Last updated  2019/10/13 07:33:19 PM
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