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晴ればれとBlog

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全8件 (8件中 1-8件目)

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ライオンハート 師子の誓い

2020.02.19
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ライオンハート 師子の誓い 〈11〉
韓国 キム・ヘジンさん


 ――信心の原点についてお聞かせください。
  幼い頃から両親が信心をしていました。私が学会活動に本気で取り組むようになったのは2007年に、無窮花(ムグンファ)班(韓国の白蓮グループ)に入ってからです。
  小説『新・人間革命』を研さんする中で、池田先生の心と実践を学び、任務を通して“自発の精神”を身に付けていきました。
  ちょうどその頃、就職活動に取り組んでいました。不安な心を断ち切るように、御書の「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(1192ページ)との一節を胸に、懸命に唱題に挑戦。努力の結果、好条件の就職を勝ち取ることができました。


  ――仕事などでの信仰の体験を教えてください。
  その後、転職し、キッチン周りの小物などをデザインする仕事に就いて4年になります。残業も多く、精神的にも体力的にもハードな職場です。この4年間で20人以上が辞め、私も何度も辞めたいと悩みました。
  自分自身が限界を感じたある時、辞表を持って社長室に。すると、社長の机の上に和光新聞(韓国SGIの機関紙)が置かれていました。ちょうど、池田先生のお写真が載った紙面が開かれていたのです。
  驚くとともに、「私の使命は、まだここにあるんだ」と思いとどまりました。
  後から聞くと、社長と仏法対話を続けているメンバーがいて、その方が和光新聞をお渡ししていたそうです。
 
今いる場所で自身を磨く
 以来、苦しい時も、池田先生の「大事なことは、今いる場所で勝つことだ。眼前の仕事を、忍耐強く成し遂げていくことである」との言葉を胸に、今いる場所を人間修行の場と捉えて、懸命に仕事に励みました。
  その中で、少しずつ信頼を得ることができ、大きな会合がある時などは、定時で職場を出られるように。「5・3」「11・18」等、広布のリズムに合わせて目標を立て、努力する中で、給料などの待遇も改善されていきました。
  多忙な中でも、会合に駆け付けると、同志はいつも温かく包み込んでくれました。また、社会で実証を示していく中で、友人との対話でも相手の心を動かす内容を語れるようになっていきました。
  そして本年1月には、夏季休暇以外で初めて連休をいただき、日本でのSGI研修会に参加することができたのです。


  ――今後の決意をお聞かせください。
  池田先生の初訪韓から30周年を迎える本年、韓国では池田先生の第3代会長就任60周年の「5・3」を目指し、「青年部10万の育成」に全力を挙げています。
 女子部ではロマン総会(韓国では3月16日まで)を通し、友情の輪を幾重にも広げています。特に私は、“仏法対話への挑戦は難しいものではなく、日常会話の中から生まれるものだ”とメンバーに伝えています。
 小説『新・人間革命』を池田先生からのお手紙と捉えて、一つ一つの指導を心に刻みながら同志を励まし、共に人材として前進していける弟子へと成長してまいります。​


(2020年2月19日 聖教新聞)







最終更新日  2020.03.09 10:49:58


2020.01.29

ライオンハート 師子の誓い〈8〉
アメリカ ジェネイ・タリーさん​


  ――入会のきっかけを教えてください。


 シカゴのデポール大学で学んでいた2013年に、学友から仏法の話を聞きました。当時は、経済苦など、さまざまなことで悩んでいて、それらを解決したい一心でした。
 友人から誘われ、初めて参加した座談会は、とても自由な雰囲気で、まるで“あなたはあなたのままでいいんだよ”と言ってもらっているようでした。
 会合終了後、心に活力と歓喜が満ちてきて、この信心を実践してみようと決意。間もなく御本尊を受持しました。
 入会から3カ月後には、職を得ることができ、初信の功徳を実感しました。


 ――その後は、活動に積極的に挑戦していったのですね?


 実はそうではないんです(笑い)。入会から数年は、“持続の信心”をなかなか確立できずにいました。定職にも就かず、ロサンゼルス、ニューヨークなど、各地を転々とし、不安定な生活をしていたのです。
 そんな私の支えとなったのは、入会したシカゴでお世話になった、地区婦人部長の存在でした。どこに引っ越しをしても、必ず月に一度、電話をくれ、励ましを送ってくれたのです。
 そのおかげで、少しずつ題目をあげ始めるようになり、“変わりたい、幸せになりたい”という思いが徐々に込み上げてくるようになりました。
 そして、“この信心で必ず幸せになろう”と決めた15年10月、女子地区リーダーに。信行学の実践を着実にやり切ろうと、小説『新・人間革命』の研さん、女子部のメンバーの訪問・激励に、積極的に挑戦しました。


  ――そこから、どのような変化がありましたか?


 私は信心を始めてからも、自分を“価値のない人間”と思う心の壁を、なかなか取り払えずにいました。しかし教学を深める中で、“自分が生まれてきたのは、誰かを助けるためなんだ”と心から実感し、感謝の思いを持てるように。仏法対話にも全力で取り組み、これまでに18人の友に御本尊流布をすることができました。
 組織では、西部方面女子部長として、悩める友を励ます日々を送っています。


 ――本年は、池田先生のアメリカ初訪問から60周年の佳節を迎えます。ご自身の決意を聞かせてください。
 アメリカSGIは昨年、「スクリーンを超えてつながろう――友情で障壁を乗り越えて!」とのテーマで、「支部青年部座談会」(7月)を全土560会場で開催しました。
 SNSの普及に伴い、スマートフォンなどの“画面越し”での交流が活発になる一方、引きこもりやネット依存といった“孤独な若者”が増加する現代社会にあって、人と人が直接、顔を合わせる中で生まれる励ましの重要性を確かめ合う、温かな会合となりました。参加した多くの友人が、創価の哲学に共感し、メンバーの一員となりました。
 私たちは、この勢いのままに、意義深い本年を6000人の青年の拡大で飾ろうと、固く約し合っています。
 どこまでも、師弟を胸に、アメリカ広布の前進に尽くしてまいります。


(2020年1月29日 聖教新聞)







最終更新日  2020.01.29 15:52:17
2019.12.25

ライオンハート 師子の誓い〈7〉
台湾 黄治綱(フォアンジーガン)さん


 ――入会のきっかけは?


 甲状腺の病気を患い苦しむ母を、友人の婦人部の方が折伏してくださったことが始まりです。母は題目に挑戦し、病を克服。信心の確信をつかんだ母に勧められ、10歳の頃に母と共に入会しました。


 ――お父さまの反対はなかったのですか。


 父もよき理解者として入会を喜んでくれました。そして、父自身も私の入会から間もなく入会。父は後に副区長として馬祖島(ばそしま)という離島を担当するなど、広布に生き抜き、昨年7月に天寿を全うしました。父は息を引き取る直前まで、同志の皆さまのことを気に掛けていました。ベッドの脇で、同志の方々の様子を伝えると表情は和らぎ、心拍数も安定。最後は安らかに霊山へと旅立ちました。
 師弟に生き抜いた父の背中は、私の脳裏に深く刻まれています。今年8月に日本での本部幹部会の席上、「創価勝利賞」を受賞した時は、これは父に授与していただいたのだと感じました。


 ――今、お父さまが立ち上げた会社の経営を引き継ぎ、台湾の男子部長として活躍されていると伺いました。


 昨年4月に男子部長の大任を拝しました。仕事で多忙を極めていますが、一歩も引かず、経営者としても、広布のリーダーとしても信心根本に挑戦する日々です。
 来年、会社は設立から30年の節目を迎えます。広布拡大の金字塔を打ち立てるとともに、社会で信心の実証を示すことを深く決意しています。


 ――忙しい日々の中でも、ぶれずに挑戦を続けられる原動力は何ですか。


「師弟の誓い」以外にありません。
 25歳の時、研修会に参加するため、初めて日本を訪れました。その際、東京の大田池田文化会館を見学。「二月闘争」の展示や「蒲田支部旗」を目にし、感動が五体を貫きました。自分と変わらぬ若さの池田先生が、戸田先生のために不惜身命で戦い、広布史に燦然(さんぜん)と輝く歴史を築かれたのだと実感。燃えるような決意が湧(わ)いてきたことを、昨日のことのように覚えています。
 先生と直接お会いしたことはありませんが、これが私の師弟の原点です。


  ――男子部の戦いを教えてください。


 今、力を入れているのは「家庭訪問」です。特に今年は年頭から「5・3」へ、訪問先でメンバーと共に祈ることを目標に、青年部として「共戦勤行会」と題した運動を展開。家庭訪問時に一緒に唱題できた回数をインターネットを使って全土の同志でカウントし、3万人を超える友と語ることができました。当初は1万人を目標に設定していましたが、スマートフォンで即時に現状が分かることで、戦いの勢いが爆発。目標を大きく超えることができました。
 また今年は“壮男一体”での折伏にも挑戦しました。これまでに2000人以上に弘教を達成。男子部の折伏が目覚ましく進んだことで、壮年部の心にも火がつきました。
 広布の全責任を担い立つ使命に燃えて、男子部が一切の拡大の突破口を開き、師弟勝利の歴史を築いてまいります!


(2019年12月25日 聖教新聞)







最終更新日  2019.12.25 18:42:57
2019.12.11

ライオンハート 師子の誓い 〈5〉
カメルーン マリレーヌ・ケメさん


 ――発心したきっかけを教えてください。
 
 信心強盛な両親のもと、幼い頃から未来部の会合に参加していましたが、信心の意味をあまり理解していませんでした。
  多感な青年時代、多くの事に悩みました。例えば自身の引っ込み思案(じあん)な性格です。15歳の時、両親から渡された池田先生の『青春対話』の一節にくぎ付けになりました。
  「無口であっても、だれよりも『聞き上手』になればいい」――この一言に触れ、重かった心が軽くなり、目の前の視界が開けたように感じました。この時から、池田先生の指針が人生の道しるべになったのです。
 
唱題を重ねると心が前向きに
 ――その後、自分自身がどのように変わっていきましたか。
 
 唱題を重ね、座談会などに参加していくと、何事も前向きに捉(とら)え、他者と積極的に関わっていけるように。
 そして、社会に尽くせる人になりたいと、勉強を重ね、医師になることができました。また“恥ずかしがり屋”で、人前で話すことがとても苦手ですが、会合などで話をする中で、徐々に克服しています。これについては、今も挑戦中です(笑い)。
 
  ――医師として、多忙な日々を送られているとうかがいました。
 
 私が医師となり、最初に働き始めたのが救急医療の現場でした。
 昼夜を問わず、緊急の処置を要する傷病者が運び込まれてきますが、残念ながら、治療が間に合わないこともありました。当時の病院の態勢は患者に対して十分とはいえず、その環境に悩みました。
 
 “燃え尽き症候群”のようになったこともありました。そんな時、いつも寄り添ってくれたのが学会の同志です。温かな励ましを受け、真剣に唱題。駆け出しの医師として全力で職務に尽くす中、状況が変わっていきました。循環器系の分野などで、高い専門性を身に付けられる部門に配置されたのです。
  若手では異例のことで、その後、病院全体の管理体制のコンサルティングにも携わるようになりました。
  それらの経験を全て糧(かて)とし、今は首都ヤウンデの大きな病院に勤務しています。
 
心が変われば環境が変わる
 ――カメルーンの副青年部長、白蓮グループ委員長として、広布の舞台で活躍されていますね。
 
 カメルーンの白蓮グループは、女子学生のメンバーと中学・高校で学ぶ未来部員からなります。2年間にわたって池田先生の指針を学び合います。婦人部の先輩にも激励をいただきながら、実際に会合の役員に携わることで、学会精神を継承しています。
  カメルーンの社会を見渡せば、まだまだ多くの課題が存在します。だからこそ、「一念が変われば、自分が変わる。自分が変われば、環境が変わり、世界が変わる」との池田先生の指針を胸に刻み、カメルーン青年部の同志と共に、太陽の仏法を語り広げ、私たちからアフリカ広布のうねりを起こしていきます。


(2019年12月11日 聖教新聞)







最終更新日  2019.12.11 18:00:07
2019.12.04

<師子の誓い>4 ペルー シンティア・メンドーサさん

 ――発心のきっかけを教えてください。

 両親が幼い頃に離婚し、信心をしていた母方の祖父母の家に預けられました。学会のリーダーが、頻繁に訪問・激励に来てくれていたので、自然な形で信心を始めたことを覚えています。
 私が生まれるとき、医師から「死産になるかもしれない」「生まれても命は長くないかもしれない」と言われるほどの難産だったそうです。幼少期から体が弱く、18歳の時に結核を患いました。
 この時、若き日に同じ病と闘った池田先生が、いかに病魔に立ち向かい、広宣流布に挑まれたかを学び、大きく心を動かされました。そして、私も、御本尊を抱き締めて、しっかり信心に励んでいこうと決意したのです。
 そこから、唱題を根本に、白蓮グループの活動にも参加し、大学への進学も果たすことができました。

 ――大学では、何を学んだのですか。

 農業化学を学びました。もともと自然に触れるのが好きだったことが大きな理由です。
 
 また、ペルーの農家は行政からの援助も少なく、いまだに危険な農薬にさらされている現状があります。その人たちに貢献し、“持続可能な農業”を目指していきたいとの思いがありました。
 結核などの病魔と闘いながらの大学生活は、苦難の連続でした。しかし、学会家族の温かい励ましに支えられ、数回の手術を乗り越え、勉学にも全力で挑戦。
 農業エンジニアの資格を取得し、現在は、農業化学製品の品質管理の仕事をしています。今働いている地域は、農業の専門を生かせる職が少ない場所でしたが、「この地の広宣流布を断じて成し遂げる」と決意し、お題目をあげていったところ、専門を生かせる仕事に就くことができました。
 このことも私にとって大きな信心の原点となっています。

師の平和思想をわが地域に
 ――これからの決意を教えてください。

 いま、ペルー国内には多くの問題が山積しています。
 だからこそ、池田先生が教えてくださった“一人の人間革命が一国を変える”との確信で、自身の人間革命に挑み、社会に希望と励ましを送る前進をと決意しています。
 職場でも、新たな責任を任されることになりました。自信がなく、多くのことにおびえていた昔の自分からは見違えるほど成長したことを感じます。
 
 ペルーでは現在、青年部が未来部の会合に積極的に関わり、励ましを送っています。
 会合には、新来者が数多く参加。メンバー全員が堂々と仏法を語っており、“一人一人が広布の主人公である”ことを実感する日々です。
 これからも、誠実第一で、わが地域に人間主義の平和思想を広げてまいります。

 <プロフィル>

 1990年入会。カヤオ在住。主に農業化学製品の品質管理に携わっている。女子部本部長。


(2019年12月4日 聖教新聞)







最終更新日  2019.12.04 17:00:08
2019.11.29

​​ライオンハート 師子の誓い 3
カナダ リチャード・リムさん
広布に走り宿命を使命に

 ――入会のきっかけを教えてください。

  私が12歳の時、知人から折伏された両親が入会しました。祖国のマレーシアでのことです。
 その後、父が信心で病を乗り越えた実証を目の当たりにした私は、学校や勉強のことについて題目を唱えるように。すると、不思議なことに良い成績を収められるようになり、大学受験時にはカナダの名門大学に合格することができたのです。そして2011年にカナダの地で御本尊を受持し、入会しました。


  ――その後、公認会計士になったのですね。


  卒業後、そのままカナダに残り、会計士を目指して仕事をしながら勉学に励みました。また、その中で祈っていた通りのパートナーとも出会うことができました。
 しかし、宿命の嵐に襲われました。自分自身の傲慢さから仕事を失い、さらには彼女が私の元から離れていってしまったのです。
 “本当に会計士になれるのか”“自分の振る舞いを変えられるのか”との不安にさいなまれる日々が続きました。


  ――苦しい時期をどう乗り越えたのですか?


  4年前、カナダSGIのトニー・ミアーズ理事長と懇談する機会がありました。
 現状をありのまま伝えると、理事長は池田先生のご指導を引用しながら、「信心の確信をもって人生を歩んでいこう」と励ましてくれました。
 私は、自分自身の宿命を使命に変えていこうと決意。新たな職場を見つけ、仕事と勉学、そして学会活動に全力で取り組んでいきました。
 昨年の「11・18」を目指した広布拡大の戦いでは、当日までに100万遍の題目をあげ、訪問・激励に走り抜き、弘教を達成。カナダSGIとして、“1万人の連帯”を築くことができました。
 その数週間後に公認会計士の資格試験の結果発表が控えていましたが、結果は見事に合格でした。
 その後、新しいパートナーとも出会うことができ、現在はカルガリーで会計士として奮闘しています。


  ――素晴らしい体験ですね。カルガリーでの活動はどのように行っていますか。


  仕事がどんなに忙しくても週1回の家庭訪問は欠かしません。
 また、青年部では毎月の会合を軸に前進しています。特に小説『新・人間革命』の研さんに力を入れ、会合では皆が事前に該当の章を読んで集い、池田先生の振る舞いや師弟の精神について語り合っています。
 メンバーにはインド、中国、イタリア、ベネズエラ、グアテマラなど、さまざまなバックグラウンドをもった人々がいますが、人種や言語の壁を越えて、皆で団結して学会活動に励んでいます。


  ――今後の決意を教えてください。


  「信心は一人前、仕事は三人前」との学会指導を胸に、仕事で社会に貢献しながら、青年部・未来部の育成に尽力し、希望の連帯を広げてまいります。

2011年入会。マレーシア出身。現在はカルガリー在住。

2018年に公認会計士の資格を取得した。圏男子部長​​


(2019年11月29日 聖教新聞)







最終更新日  2019.11.29 22:53:52
2019.10.14

​ライオンハート 師子の誓い 〈2〉

アメリカ アレン・ザキさん
飛躍の鍵は“持続の祈り”

 ――発心したのはいつ頃ですか?


  それが、つい3年前のことなんです。
 学会員の両親のもとで生まれ育ち、高等部の時までは会合にも参加していました。しかし大学に入ってからは、忙しさなどを理由に、信心から遠ざかっていました。
 私は幼い頃から、カメラマンになることが夢でした。大学で写真について専門的に学び、卒業後はフリーランス等として撮影の仕事に従事。しかし2016年の初頭、勤務する撮影プロダクションが経営難に。仕事が激減し、生活苦に陥ったのです。
 金銭的な余裕がなく、一人むなしく過ごす中で、どんなことにもマイナス思考になってしまいました。
 そんな折、職場の同僚が「一緒にSGIの会合に参加してみない?」と、誘ってくれたのです。「実は僕も学会員なんだ」と言うと、彼女は大変に驚き、笑顔の語らいが広がりました。
 久々に参加した地区座談会。題目の声を聞くと、幼い頃に聞いた両親の唱題の声を思い出し、“またここに来たい”と思いました。その後も多くの同志から励ましを受け、もう一度、信心で苦難を乗り越えようと決意。御本尊を受持しました。
 
 ――その後、どのような変化がありましたか?


  まず、“信心は続けることが大切。勤行・唱題を持続できるようになろう”と先輩に励まされ、「受くるは・やすく持(たも)つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(御書1136ページ)の一節を胸に、毎日、欠かさず祈るようになりました。
 その中で、“どんな困難も打ち破るんだ”との強い気持ちが心の底から湧き上がり、どんなにつらい現実にも、向き合っていこうと思えるように。職場の環境も徐々に改善され、苦境を脱することができたのです。
 信心の功徳を実感した私は、報恩感謝の思いでさらに積極的に学会活動に挑戦。昨年6月には、職場の同僚に初めての御本尊流布を実らせることができました。
 
 ――現在は男子部本部長として、師弟の縁深きロサンゼルスの天地で存分に奮闘されていますね。
 
 はい! 本年前半、私たちは「支部青年部座談会」(7月)に向けて、対話の大波を起こそうと、仏法対話に全力を挙げてきました。各部一体での訪問・激励も徹底し、本部として、100人の友人を招くことができ、8月だけで19人の友が新たに入会しました。
 現在は、小説『新・人間革命』の研さんや新たな人材の育成に注力しながら、11・18「創価学会創立記念日」を勝利で飾ろうと、皆で仲良く前進しています。
 8、9月に初めて日本でのSGI青年研修会に参加することができました。
 行く先々で出会った同志の温かな振る舞いに心から感動。いかなる障魔の嵐が吹き荒れようとも、師弟不二の炎を燃やし、広布の大道を進みゆこうと誓っています。まずは自分自身が拡大の先頭に立ち、わが地域に広宣拡大の金字塔を打ち立ててまいります。


(2019年10月14日 聖教新聞)







最終更新日  2019.10.14 19:10:05
2019.10.02

​ライオンハート 師子の誓い 〈1〉 

台湾 黄家鈴(フォアンジャーリン)さん
可能性を信じ 光を当てる

 ――教師を目指したきっかけは何でしたか。
 
 志望する大学に合格できず、不本意な環境でスタートした学生生活が転機になりました。学生時代は高雄(タカオ)で1人暮らしを。台湾では、学生部員一人一人に“愛心ママ”と呼ばれる婦人部の担当者がつきます。
 私の元に来て、いつも体調を気に掛け、時にはごはんをおすそわけしてくれる“愛心ママ”。彼女の「今は思うようにいかない人生だと思うかも知れないけれど、信心根本に頑張る中で、必ず将来の方向性が見えてくるわよ」との励ましを受けて、一時は離れていた学会活動に取り組むようになりました。
 地域の同志からも勧められ、少しずつ池田先生の著作を読むように。皆の可能性を信じ、引き出そうとする創価教育の哲学に感動し、教師を目指すようになったのです。
 
 ――教師になるまでには、どのような苦労があったのですか。
 
 台湾では、大学卒業後に教育実習を受け、さらに教員免許を取得するために合格率数%の最難関の試験に合格しなければなりません。教師を目指していた友人の多くも、次第に進路を変えるようになるほどでした。
 試験は第1段階の筆記試験と第2、第3段階の模擬授業、面接です。初の試験で第3段階まで進めたのですが、その場の雰囲気に圧倒され“卒業したばかりだから受かるはずがない”とおじけづき、うまく話すことができませんでした。結果は不合格でした。
 自身の弱い心に負けたと反省し、信心に一層励むとともに、経験を積もうと中学校で臨時講師として働くことにしました。“一日を何倍も価値あるものにしよう”“できることは全てやろう”と決意。教科ごとの教育計画の策定や教材作成を手伝いました。その上で、夜遅くまで試験に向けて徹底的に勉強しました。

 そして迎えた翌年の第3段階の試験の日。模擬授業は臨時講師として授業をしている時のように、面接は学会の先輩たちと談笑しているかのように、自然な姿で終えることができました。結果は合格。しかも全国で8番という好成績だったのです。家族で涙を流して喜びました。最難関の場所で最高の成績を収めることができた――これ以上の歓喜はありません。
 教育の場では、子どもたちの可能性に光を当てられるよう努力しています。
 何年か前、落ち着きがなく、よく授業の邪魔をするため、周囲から疎まれている生徒がいました。何とかしたいと祈りを重ねる中、彼が工作が得意であることを見つけ、文化祭の設営の中心者に抜てきすると大活躍。クラスの皆も喜び、本人も誇らしげでした。
 彼からは今でも毎年、手紙が来ます。“黄先生が私の可能性を見つけてくれたから、今の私がいます”等の言葉に、教師になって本当に良かったと思います。
 
 ――今後の決意をお聞かせください。
 
 女子部では訪問・激励に積極的に取り組んでいます。これは学会のメンバーだけでなく、友人も含めてです。女子部の同志と普段から訪問・激励のエピソードを共有しています。
 この流れの中で、私も信心で自分の可能性をつかんだこと、師匠がいるから頑張れることを一対一の対話で、さらに多くの人に伝えていきたい。また“創価教育の理念を実践する模範の人に”との師への誓いを忘れず、教師として尊敬される人になっていきます。​


(2019年10月2日 聖教新聞)







最終更新日  2019.10.14 18:57:25

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