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私がつくる平和の文化

2020/02/13
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​企画連載 私がつくる平和の文化 Ⅱ
インタビュー 国境なき医師団・日本会長 加藤寛幸さん

​――みんな尊い命 


 ​

「私がつくる平和の文化Ⅱ」の第2回は、1999年にノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団」の日本で会長を務める加藤寛幸さんです。紛争地域や難民キャンプなどでの医療・人道援助活動を通し、人間の命の尊さや私たちが心掛けるべきことについて語ってもらいました。(聞き手=木﨑哲郎、歌橋智也)



この仕事に自分の力と時間をささげよう 

ウガンダの難民キャンプで


――なぜ「国境なき医師団」に参加しようと思ったのですか?
 


 僕の子どもの頃の夢はパイロットになることでした。しかし高校時代の視力低下によって方向転換せざるをえなくなり、医学部に進みました。小児科医になることは決めたものの、将来については漠然としていました。


 「国境なき医師団」と出合ったのは、医師としての第一歩を踏み出す病院に向かう空港でのこと。ロビーを歩いていて、ふと目にしたテレビの映像に釘付けになりました。そこには、栄養失調の子どもに寄り添う真剣な医師の姿が。わずか20秒ぐらいだったと思います。それを見た瞬間、「この仕事に自分の持つ力と時間をささげよう」と心が決まりました。


 人生の恩師の言葉である「損をすると思う方を選びなさい」、「一番弱い人たちのために働きなさい」を同時に満たす仕事だと思ったのです。その後、語学や熱帯医学も学び、「国境なき医師団」に採用されることとなりました。



――派遣先は難民キャンプなど過酷な現場です。
 


 南スーダンでは、新生児の病室は、床に毛布を敷いて赤ちゃんを寝かせます。人手もベッドも確保できず、こちらの体制が限界を超えてしまうので、入院を制限せざるを得ない。助かる見込みのない子はお断りするのです。


 親御さんに誠心誠意、お話しするのですが、当然ながら納得しません。激しく罵倒(ばとう)されても、ひたすら謝るしかない。こういう現実は、なかなか想像できないかもしれませんが、医師としても本当につらかったです。


 
忘れられぬ少年との出会い
シエラレオネのエボラ出血熱を乗り越えた少年たちと(国境なき医師団提供)      

​

 ――お話に胸が痛みます。活動の中で希望を感じることはありますか?
 


 シエラレオネでエボラ出血熱の治療の時に出会った11歳の少年はとても心に残っています。彼は弟と共に入院してきましたが、翌日に弟が亡くなってしまう。にもかかわらず、面倒見のいい彼は、一緒に入院してきた見ず知らずの兄弟の世話を一生懸命しているんです。エボラの治療区域というのは隔離され、スタッフも防護服やゴーグルを着用して治療に当たるほど危険な現場です。連日、亡くなる人が出ます。


 比較的、症状が軽かった彼は無事に退院することができた。それを喜び合い、僕が現場に戻ろうとすると、彼も一緒に治療区域に入ってくるのです。驚きました。エボラはタイプが同じであれば、一度、罹(かか)って回復すると抗体ができて罹らなくなる。彼は「あの子たちを助けたいんだ」と、進んで面倒を見続けたのです。その甲斐もあり、幼い兄弟は助かった。彼の行動の崇高さは僕らの想像を超えていました。僕など足元にも及ばない。退院時に4人で撮った写真がありますが、皆は笑顔で、僕一人が感激して泣いてました。


 派遣されたスタッフは口をそろえて言います。“助けるために行ったのに、自分がしたことの何倍もの「目に見えない大切なもの」をもらった”と。
 


「平和の文化」の灯は消えない



 ――紛争地域で感じられたことは?
 


 2015年にアフガニスタンで活動したことがあります。それは「国境なき医師団」の病院が米軍によって爆撃された直後でした。この時、亡くなった28人の患者さんらと、14人の病院スタッフは、たまたま全員がアフガニスタン人でした。


 到着する前、僕らは現地の人から“なんで俺たちの仲間だけが死んで、外国人は安全な場所で生き残ったんだ”と責められると思っていました。


 でも行ってみると違いました。彼らは“今回の唯一の救いは、自分たちのために外国から来てくれた人が傷つかなかったことだ”と言ったのです。そして僕たちを温かく迎えてくれた。心から感動しました。


 アフガニスタンは大国の思惑に振り回され、政治の道具にされてきた国です。でも現地の人は、ただただ平和を望んでいる心優しい人たちです。


 その意味で、紛争の中にあっても人間は信じ合えるし、希望はあります。みんなで助け合う。家族やコミュニティーが結束する。そうやって強く生きています。だから「平和の文化」の灯は決して消えることはないと思いました。


​「関係ない」と思わないで 

​

バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプで(国境なき医師団提供)


――日本にいる私たちが、世界の課題を自分のこととして捉えるには、どうしたらよいでしょうか。


 
本当に難しいことだと思います。「国境なき医師団」が日本から2018年に派遣したスタッフは106人。医師や看護師、薬剤師だけでなく、広報や財務、エンジニアなど医療以外の業務に携わる人も含めてです。


 派遣人数は世界全体の2%程度で非常に少ない。僕は日本が国際的な人道援助活動を熱心に行う品格ある国家であってほしいと思います。


 今、僕らも子どもたちに世界の現状を知ってほしいと思い、各地の学校を回り、活動を紹介しています。未来につながると信じる地道な取り組みです。


 今は情報を得る手段はたくさんあります。だから、どんなきっかけでもいいから、まずは「知る」ことから始めてほしい。直接現地に行ける人は少なくても、自分と遠く離れた所で起こっていることを「関係ない」と思わないでほしいのです。貧困や病気、紛争で苦しんでいるのは、僕たちと同じ「人間」です。そして、自分のことを「大勢の中の一人」と思わないでください。

「他の誰かではなく、自分の助けを必要としている人がいる」。そう考えてほしいのです。



​国境なき医師団のホームページ ​ ​https://www.msf.or.jp/ ​ 

かとう・ひろゆき
 小児救急、熱帯感染症が専門。東京都出身。島根医科大学卒。タイ・マヒドン大学で熱帯医学ディプロマ取得。東京女子医大病院、国立小児病院等に勤務。2003年から「国境なき医師団」の活動に参加。15年から現職。


(2020年2月13日 聖教新聞)







Last updated  2020/02/13 11:49:14 AM
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2019/12/12

「私がつくる平和の文化」
第12回 「暴力の文化」を変革
インタビュー 平和教育研究者 ベティー・リアドン博士

「私がつくる平和の文化」第12回のテーマは「『暴力の文化』を変革」。登場していただくのは、国際平和教育研究集会(IIPE)および平和教育地球キャンペーン(GCPE)の名誉創設理事であるベティー・リアドン博士です。平和教育の第一人者である博士に、暴力を乗り越えるために必要なことや、「平和の文化」の身近な実践などについて語ってもらいました。(構成=木﨑哲郎、歌橋智也)​



 ――現在、私たちを取り巻く社会では「暴力の文化」の様相が強くなっているように感じます。
 博士 私は、暴力とは人間の関係性を壊す、あらゆる行為や態度であると考えています。今、世界中でこの暴力が広がっています。多様な人々がつながり合って一つの人類という“家族”を構成しているということを想像し、認識することができないために、暴力を使うのです。自然界と同じように、人間にとっても「違い」は私たちを豊かにし強くしてくれるものです。暴力は、人間や自然界の多様性や活力を弱めてしまいます。


 このことが理解できず、自分と異なる人を恐れたり、自分の意のままに従わせようとすることは、人間の関係性を破壊する愚かな行為です。暴力はそれを受けた人だけでなく、それを使った人の生命にも深い傷を残します。


 現在、私たちはソーシャルメディア等を用いて瞬時に人とつながることができます。しかし、相手と心が深く結ばれている実感がないため、多くの人が疎外感を抱きながら生きています。人間関係が希薄だと、自分が暴力を振るった時、相手にどのような結果を招くのか、という想像力も働きにくくなるのです。


 こうした時代にあって、私たちは日々、人間対人間のリアルな関係を強く結び直していくことが大切です。それが暴力を食い止め、「平和の文化」を築いていくことになります。人類が“種”として存続していけるかどうかも、そこにかかっているのです。


相手を深く知る「勇気」を
米コロンビア大学で講演する池田大作先生と同席するリアドン博士(右から3人目、1996年6月)



 ――博士のご考察を伺い、池田SGI会長のコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジでの講演(1996年6月)を思い起こします。
 博士 平和教育者として、池田会長が世界市民の三つの資質を示されたことに感謝します。一つ目は、生命の相関性を認識する「智慧」。二つ目は、他者との差異を尊重し、成長の糧とする「勇気」。そして三つ目は、人々と同苦し、連帯していく「慈悲」――いずれも、まさに「平和の文化」をつくるために不可欠な資質です。


 私は、特に「勇気」の大切さを強調したい。なぜなら、暴力の根底には「他者への恐怖」があるからです。


 勇気をもって、この恐怖を乗り越え、相手を一歩深く知ろうとすれば、自分とは異なる価値観や、学ぶべきものがたくさんあることに気付きます。人間の差異と向き合い、それを生かして「平和の文化」を構築する――それができる「勇気ある人」を育むことに、私が進めてきた平和教育の焦点もあります。


暴力以外の「他の選択肢」を探求


 ――博士はなぜ、平和教育に関心を持たれたのですか?


 博士 私は池田会長と同じように、10代の初めに第2次世界大戦を経験しました。会長はコロンビア大学での講演で、「戦争の残酷さ、愚かさ、無意味さ」を若き命に深く刻んだと語られましたが、戦時中、私も全く同じ感慨を抱き、疑問を持ったのです。「なぜ大人たちは疑うことなく戦争を受け入れているのか」「他に方法はなかったのか」と。当時、この問いに答えてくれる大人は誰一人いませんでした。そこで、自らその答えを求めて学問の道に入り、探求し続けてきたのです。


 そして、戦争を起こさない生き方、武力や暴力を使わない「他の選択肢」を教える「平和教育」の道を開きました。「平和教育」の眼目は、全ての人の生命は平等に尊厳であり、価値があることを教えることです。


 現代は、学校でも社会でも、人々に競争を強いてばかりいます。いかに他の人よりも優れているかを競わせ、勝者と敗者を生み出しています。それでは社会は分断され、不平等になり、差別を生み出していく一方です。そうではなく、いかに他の人と協力し、仲良く力を合わせて生きるかを教えるべきなのです。
誰もが“育てる人”に


 博士 私たちは、他の人、特に子どもたちに思いやりを持って接するべきです。


 全ての人が子どもや青年を大切に「育てる力」を身に付ける必要があるのです。自分に子どもがいる、いないにかかわらず、社会の中で、皆が自分の身近にいる一人一人を励まし、育てることが大事なのです。日頃から若い人に対し、自分がかけがえのない尊い存在であることを教え、その可能性を伸ばすために関わり続けていく――それが「平和の文化」の構築につながっていくのです。


 私には自分の子どもはいませんが、たくさんの子どもたちや青年たちの成長に日常的に関わってきました。そして彼らと共に平和のために行動することが、私の人生に喜びをもたらし、この地球に私が生を受けたことの意味や価値を与えてくれたのです。



知恵を使って「対話」の道を開く


 ――「平和の文化」を広げるために、普段からできることはありますか?
 博士 「平和の文化」とは、決して難しいものではなく、日常のちょっとしたことから広げることができます。


 例えば、私も家族や友人にはつい口にしてしまいがちな、「なに、おかしなこと言ってるの?」と

いった言い方をしないように心掛けています。自分とは違う考え方の人にも、努めて、「面白い意見ね。どうしてそんな風に考えるようになったの?」と聞くのです(笑い)。頭ごなしに否定するのではなく、知恵を使うことで対話の道は開かれ、相手の考えを知ることができます。


 また、地域・社会に積極的に関わり、持続可能な開発目標(SDGs)のために行動し、気候変動の問題や核兵器と戦争をなくすことに取り組むことも大切です。


 人類は多くの課題を抱えています。しかし、どんな時にも希望はあります。勇敢に思慮深く行動する青年たちがいます。そして、私たち一人一人にも、できることはあるのです。私たちの行動で、地球の未来も、人類の未来も開くことができます。だから、勇気を持って行動を起こしましょう。そして行動の中に喜びを見いだしていきましょう。
  
 

 
ベティー・リアドン
 世界的に著名な平和教育の第一人者。

コロンビア大学で博士号を取得。長年、同大学ティーチャーズ・カレッジをはじめ世界の数多くの大学で教べんをとり、核兵器廃絶、軍縮、気候変動、ジェンダー平等を中心に平和教育を推進。平和、人権、ジェンダーに関する膨大な著作はアメリカ・オハイオ州のトレド大学に特別記録保管されている。


(2019年12月12日 聖教新聞)







Last updated  2019/12/20 10:38:36 AM
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2019/11/05

私がつくる平和の文化

第11回 生命の尊重​

 
インタビュー 難民を助ける会理事長 長有紀枝さん

苦難の人に思いをはせる





「私がつくる平和の文化」第11回のテーマは「生命の尊重」。登場していただくのは、特定非営利活動法人「難民を助ける会」の長有紀枝(おさ・ゆきえ)理事長です。難民支援の経験を通して、全ての人の生命が尊重される世界を築くために、私たちが心掛けるべきことは何かを語ってもらいました。(構成=小野顕一、歌橋智也)


 私にとって1990年代の旧ユーゴ紛争での難民支援が、NGO活動、そして、研究者としての原点です。
 旧ユーゴは六つの共和国で構成されていましたが、独立を巡って戦火が広がり、大変な数の難民が出ました。私は91年から現地で難民の支援に携わりました。​


 難民キャンプでいつも感じるのは、支援活動の「限界」と「可能性」です。人手や資金の制約もあり、助けられる人よりも、助けられない人の方が圧倒的に多い。求められたことに応えることより、断ることの方が圧倒的に多い。つまり「限界」だらけです。


 一方で「可能性」もあります。障がい者や難病の患者など、誰からも救いの手が届いていない人たちが必ずいて、私たちのような小さな団体でも、できることが必ずあります。また、政治や宗教などが絡まない日本人だからこそ、果たせる役割もあるのです。


 理不尽な状況の中で、人間の強さを感じる場面に出あってきました。よくお母さんが、わが子のことになると力が出るといいますよね。人間って不思議だなと思うんです。難民の中でもそういう方々と出会いました。

 本当につらい状況で、自分のことで精いっぱいのはずなのに、同じような境遇に置かれている他者への想像力が働き、力が出るのです。自分だけのことだったら諦めるけれど、苦しむ人たちのために自分を犠牲にしてでも声を上げる。私はそこに、人間の強さを感じます。


 難民支援の現場では、人を助けるためには、自分の命を守らなければなりません。そして、自分の命が大切だと思えることが、他の人の命も同じように大切にできる出発点だと思います。


 平気で他人を傷つける人は、自分の命を大切にされた実感がないのではないかと思います。もし子どもの頃から、誰かに抱き締められ、愛情を注がれていたら、その体験がどこかに残っているはずです。そういう中で育っていない人は、命の尊さを実感できないかもしれませんが、それが伝わるような関わり方をしていくしかないと思う。


「諦めない一人」に


 先日、大学生から相談を受けました。世界では不条理なこと、非人道的なことが繰り返されている。それを断ち切るために自分も何かしたいけれど、何もできないのがもどかしい、と。


 この学生に私は、「一人の人間にできることは限界がある」と申し上げました。自分一人で何かしようと意気込んでも、大半のことは達成できませんから、「ああ、だめだった」と諦めてしまう。


 しかし一方で、世界の大半のことは、一人の人間の力から始まったのも事実です。

「諦めない一人」がいたから、いろんなことが変わってきたのです。


 だから自分の力を過大評価しない一方、過小評価や卑下もしてはいけない。120%の力で一瞬で燃え尽きるよりも、“細く長く”でも続けるほうが、世界を変える力になるということを伝えたかったのです。


 リーダーが大きな仕事をして世の中が変わることは、もちろんあります。でも、その人が未来永劫存在するわけではない。世界を変えるというのは、一時的なことではなく、永続的な営みによって、もたらされるものです。だから自分を“永続的な営みの一部”と位置づけられる人が、実は強い人で、組織や世界を変えていけるのだと思います。


 “社会の歯車になんかなりたくない”と、私も学生の頃は思っていました。ですが、地雷除去活動中の事故で右手右足を失ったクリス・ムーンさんというイギリスの地雷問題の活動家の言葉を聞いて、考えが変わりました。“こんな体の僕でも、地雷の廃絶という大きな歯車の中で仕事ができることがうれしいんだ”と。それを聞いてハッとしたんです。確かに私たちは歯車の一部かもしれない。でも歯車だからこそ物事が動かせると。


 「たかが一人、されど一人」です。自分の立ち位置を客観的に受け入れながら、できることをやってバトンを渡し、連綿と続けていく。そういう人たちの集まりが、世界に変革を起こすのです。私は創価学会の方々も、そうした思いで日々、他者のために行動されていると思います。


「得」ではなく「徳」を


 今、世の中の判断基準が「損か得か」になっている気がします。では、人としてあるべき生き方とは何なのか。


 私は「得」ではなく「徳」のある生き方が必要ではないかと思います。それも、人が困難に直面する中で見せた勇気とか希望に、私たちは心を打たれます。どんな立場の人でも、お金がなくても、病気で動けなくても、示すことができるそうした生き方の輝きは、必ず伝染するし、影響力は大きいと思う。


 徳のある生き方をするためにも、他者とつながる「心のスイッチ」を切らないでほしいのです。


 スイッチを切る=「私には関係ない」と思った瞬間に、全てのつながりはシャットアウトされます。反

対に、スイッチを入れる=「関係ないとは思わない」のであれば、その時々にできることはあるし、あるいは、いつか、何かができる。できることが必ずあるはずです。


 「平和の定義って何?」と聞かれたら、私は「明日の予定を立てられること」と答えます。地雷原の周辺に住んでいる子たちに、大人になった自分の絵を描いてごらんと言ったら、足のない絵を描くんです。その子たちにとって大人になるとは、足がなくなることなのです。そういう苦難に思いをはせ、生き方を変えることも「平和の文化」だと思います。


 将来の計画を立て、未来を創造することは、実はすごい“特権”です。でもその貴重さには、なかなか気付けません。誰もがこの“特権”を持てるようにするためにも、「心のスイッチ」を切らずにいただきたいと思うのです。



特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)】

 1979年11月にインドシナ難民を支援するために相馬雪香(尾崎行雄の三女)の呼び掛けで設立。今年で40周年。国連に公認・登録された国際NGOとして、現在、世界15カ国で活動し、紛争や災害などでの緊急人道支援、障がい者支援、地雷対策、感染症対策、啓発・教育活動等を推進する。97年にはAARが主要メンバーである「地雷禁止国際キャンペーン」がノーベル平和賞を共同受賞した。 



 おさ・ゆきえ

 東京都生まれ。早稲田大学卒。同大学院修士課程修了。2007年、東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム博士課程修了(博士)。旧ユーゴの難民支援、地雷禁止国際キャンペーンの地雷廃絶活動等に携わり、08年からAAR理事長。09年から立教大学大学院教授。著書に『入門 人間の安全保障』(中公新書)、『スレブレニツァ あるジェノサイドをめぐる考察』(東信堂)等がある。


 大空よりも大きなものがある。それは私の生命である。


 大海原よりも深いものがある。それはあなたの生命である。


 全宇宙のあらゆる宝よりも尊いものがある。


 それは私たちの生命である。


 (池田大作「平和を! 平和を! そこに幸福が生まれる」から)


〈体験​〉命は何物にも代えがたく尊い

 18年の介護を経て


 母親の介護を通して「命」と向き合ってきた女性に取材しました。


                     ◇ 


 東京・武蔵村山市の阿部たみ子さん。母が79歳の時、リウマチで1人暮らしが難しくなり、同居生活が始まった。やがて車いすが欠かせなくなり、介護が必要に。夫や娘と話し合い、「わが家は“楽しい介護”でいこう!」と決めた。


 一日中、家にいる母に、少しでも楽しく過ごしてもらおうと、指人形でコミュニケーションを取るなど、笑顔が絶えないように工夫を重ねた。優しく穏やかな母は、「ありがとう。幸せだよ」と、いつも笑ってくれた。


 しかし、年月を重ねるうち、いつまで続くか分からない介護に阿部さんはストレスを感じていった。トイレ介助の後に、ため息をつく自分。さらには、母をデイサービスへと見送った後の解放感――。阿部さんは自己嫌悪に陥っていく。


 そんなある日、“自分を許せない人は、人も許せない。ありのままの自分を肯定しよう”との言葉を目にし、阿部さんは自分に素直になろうと決めた。


 気分が優れない時は「怒っちゃったらごめんね」と伝えた。母にも“我慢しないで”と伝え、正直な気持ちを聞くように心掛けた。


 さらにリウマチが進み、母の指が不自由になると、リハビリを兼ねて、母との交換ノートを作った。


 「お母さんのおかげで、私も生きているんだよ」「お母さんの回復力はすごいって、お医者さんが褒めてたよ」など、母が喜ぶ言葉をたくさん書いた。


 母は、不自由になった手で一生懸命に「たみ子と暮らせて、幸せ」と、返事をくれた。お互い、面と向かうと言えないこともあり、うれしさが込み上げた。

 亡くなる直前、母はつづってくれた。「こんな良い娘はいないよ」。上手に書こうと、何度も書き直した跡があった。母と阿部さんのかけがえのない“生命のノート”になった。


 2015年9月1日、母は97歳で息を引き取った。安らかな臨終の相だった。多くの葛藤はあった。しか

し、18年間の歩みは、まさに“宝の日々”だった。
 

「『人は、若くて、健康で、何かができるから価値があるのではなく、命それ自体が、何物にも代えがたく尊い。そして、命それ自体に、生老病死の苦しみを乗り越える力が備わっている』。そのことを、母は自身の生き方を通して教えてくれました」
 母に学んだ生命の素晴らしさを胸に、阿部さんは今日も友のもとへ足を運ぶ。


(2019年11月5日  聖教新聞)







Last updated  2019/12/20 09:53:56 AM
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2019/10/17

​​​私がつくる平和の文化
​第10回 差別のない世界を​​
生命が響き合う対話を
インタビュー 政治学者 姜尚中(カンサンジュン)さん

 差別をどう乗り越えるか、これは大変難しい問題です。
 最初に結論を申し上げると、“差別のない世界”をつくるためには、人権というものの根幹に「生命論」がなければならない、と思っています。
 生命に序列はない。どんな生命に対しても、「この人は生きるに値しない」などと人間が判断してはならない。生命に対する「畏敬(いけい)の念」がベースになければ、人権といっても上っ面な言葉になってしまうからです。
 僕は、差別に“一般”というものはなく、個々の具体的な問題、つまり性差、障がい、病気、人種、民族などが、さまざまな歴史的背景から複雑に絡み合って、本来、平等であるはずの人間に序列ができてしまったのだと考えます。
 そもそも、差別といっても“濃淡”があります。極端な差別を見れば、誰もが「それは差別だ」と分かりますが、「これは果たして差別なのか」と、判然としないケースもある。そのうえ、多くの人は「自分は差別をしている気など毛頭ない」と言うでしょう。
 だから大切なことは、「自分もどこかで間接的に差別をしているかもしれない」と気付くこと。そこが出発点なのです。​​


 では、どうしたらそれに気付けるのか。僕としては、まずは私たちが、「生命は一つ一つ違う」「どんな生命にも存在する価値がある」という、コンセンサス(合意)をつくることだと思います。そのベースができないと、いくら「差別をやめましょう」といっても社会は変わりません。
 そのために、まずは子どもたちに、生命の平等について教えていくことです。
 僕の母親は食べ物を通して、「結局、人間はどんな偉い人も、そうでない人も、食べないと生きていけないし、そこはみんな平等だ」と言っていました。これは重要なメッセージです。母は“人間はみんな、何か偉大なものに生かされている”という感覚をもっていた。そうした感覚がある限り、生命への畏敬の念は分かち合えるんじゃないかと思います。
 気を付けないといけないのは、大人の差別的な考えを、子どもはいとも簡単にスッと受容してしまうことです。あとでそれを改めるには、何十万倍のエネルギーが必要になります。例えば食卓で、ある事件のニュースを見ながら、親御さんがふと感想を漏(も)らす。それを子どもは何とはなしに聞いている。そうした日常的な会話で耳に入ったことが、その子の、ある集団に対するイメージや感情をつくりあげてしまう。子どもというのは、社会を敏感にそのまま反映しますから。 


 一方で、差別は人間関係の循環を断ち切るものです。人間の社会は、コミュニケーションによって循環している。差別は、そこに“見えない壁”を生むのです。社会の中に、何か不純物のようなものを滞留させ、それが不平不満や憎しみ、嫌悪感となって増大し、誰かに向けられてしまう。
 だから、この不安な時代に人々の心の中に平穏を取り戻すには、もっと人と人が支え合っていかないといけない。そうでないと、孤独とか、人とのコミュニケーションがうまくいかないとか、さまざまな問題を抱えた人が、暴力的な行為に走る可能性があります。


 差別をするということは、ものの見方、考え方が何かにとらわれ、固着している状態です。特に大人には、いろいろな“かさぶた”があって、それを取ることが難しい。しかし、それが取り払われた時には、意外な「発見」があるのです。
 その発見をどう促(うなが)すか。やはり「対話」です。差別している人がいれば、その人と対話をするしかない。
 差別される側が、差別をする側を糾弾(きゅうだん)したい気持ちは分かります。僕も若い頃は、気持ちがものすごく先走って、糾弾していました。でも、自分のネガティブな感情をぶつけるほど、結果は逆になっていく。相手を否定して向き合う限り、差別はなくならないと気付きました。
 差別をすることは、結局は自分自身をおとしめることになる――一人一人がそのことに気付くような変化をつくりだしていく。それが「平和の文化」ではないか、と思います。「平和の文化」とは、出来上がっているものではない。日々、絶えず努力してつくっていくものなのです。
 
人を覚醒させる「言葉の力」
 今の時代、ネット上は、およそ寛容とは無縁のネガティブな感情にあふれている。人々が感情に左右されやすい時代です。そんな中で人々に何かを訴えるためには、僕の言葉を使うと「情」と「理」が必要だと思う。
 「人を差別してはいけない」と、「理」を立て整然と話すことは大事です。でも、それだけではなかなか通じない。特に差別されている人の痛みというものは、「情」を通じてこそわかる。それで相手も「共感」できるのです。

 だからこそ、「生命」という問題については、「生の声」で語り掛けることが大事だと思う。文字情報とか映像もありますが、こと「生命」の問題については、一回きりの出会いの中で交わされる、身体感覚を呼び覚ますような、互いの心に響く対話をしていくことだと思います。
 最近は、SNSで「いいね!」と条件反射をしたり、軽い言葉で答えたりすることしかできなくなり、言葉の力が萎(な)えている気がします。


 差別を乗り越えるには、相対して語られる「言葉」によって人間自身が覚醒する。ものの見方が変わる。そうした、人の心を打つような対話が必要なのです。
 キリストも仏陀も、常に分かりやすい言葉で人々の心に語り続けました。人種差別と闘ったガンジーやキング、マンデラといった先達も、対話の道を選びました。回り道にも思えますが、差別を乗り越えるには、どうすれば差別する人と対話の場をつくれるかを考えることです。
 「声の力」「言葉の力」は大きい。池田先生も国家や文明、宗教の違いを超えて、対話に尽力しておられます。対話には、新しい自分への発見があります。
 だから僕は、若い人たちこそが対話に挑戦することを期待しています。
 


池田先生の指針から


 人間が人間を蔑(さげす)み、軽(かろ)んじる差別や偏見(へんけん)が、どれほど人の心を傷つけ、気持ちを踏みにじるものか――。
 その苦しみ、辛さは、差別された方にしかわからない。
                    *
 異なる人間への差別意識、差異へのこだわりを克服することこそ、平和と普遍的人権を創出するための第一歩であり、開かれた対話を可能にする道である。


  池田大作(『名言100選』から)


「優しさのバトン」 
灰庭愛結(はいにわあゆ)さん(高1)


 <自身の体験を通して差別に対する思いをつづった、灰庭愛結さん(高校1年)の作文を掲載します。富山県・内閣府共催の平成30年度「心の輪を広げる体験作文」(中学生の部)で最優秀賞を受賞しました。>
 
 私には心臓病という持病があります。小学生の時、「心臓病がうつる」と、さけられたり、触ると“菌まわし”されたり、「心臓病のくせに」とバカにされることもありました。とてもつらかったのを覚えています。
 詳しい病名は心室中隔欠損症(しんしつちゅうかくけっそんしょう)と肺動脈狭窄(はいどうみゃくきょうさく)で、生まれつき右心室と左心室の間に穴があいていて、1歳半の時に手術をしました。手術前は元気でニコニコしていたのに、手術後はショックで笑わなくなり、親はとても心配したそうです。4歳の時には遺伝性球状赤血球症という、もう一つの病気を治すために脾臓(ひぞう)と胆のうを摘出しました。この手術をする前に心臓の手術をした症例が世界で4例しかなく、両親はとても不安だったそうです。
 入院中は幼稚園にも外に遊びにも行けず、母はそんな私のそばにずっといてくれました。父は仕事で忙しかったのに、毎日お見舞いに来てくれました。父も母も大変だったと思います。
 病気にかかることはとてもつらいです。一生治らない病気もあります。いじめにあっている人もいます。
 前に友達と駅前に行った時、どこか悪いのだなとひと目でわかるように歩いている人がいました。すると、その人を見て笑っている人やジロジロ見ている人がいるのです。すごく腹がたちました。なぜ病気をもっている人はいじめられたり、笑われたりしなければならないのか。私は間違っていると思います。逆の立場だったら、きっといやな気持ちになるはずです。
 私は、小さい時から運動制限がかかっていましたが、今はすごく元気です。バドミントン部の部長もしました。仲間との学校生活もすごく楽しいです。ここまで元気になるまでに、つらいことや悲しいことをたくさん経験し、病気で苦しんだり、いじめられたり笑われたりする人や家族の気持ちが、わかるようになりました。だから、ここまで立派に育ててくれた両親にとても感謝しています。
 これから、そうした人たちに出会ったら、両親が私にしてくれたように優しく接していきたい。周りの人にも私の経験を語り、優しさのバトンを渡し、たくさんの人に繫いでいけるといいと思います。(本人了承のもと抜粋して掲載)​


(2019年10月17日 聖教新聞)







Last updated  2019/12/20 09:51:44 AM
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2019/09/02

​〈私がつくる平和の文化〉第9回 連帯の力  ​

インタビュー ICAN事務局長 ベアトリス・フィンさん 



 「私がつくる平和の文化」第9回のテーマは「連帯の力」。登場していただくのは、2017年にノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のベアトリス・フィン事務局長です。変革を起こすために、多様な人々と「連帯」していく重要性について語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)



 ――ICANは500以上の団体とのネットワークで活動されています。


 フィン 私たちの活動は、核兵器廃絶を目指す「連帯」で成り立っています。


 103カ国554団体(8月現在)に所属する一人一人が、被爆者や核実験の生存者の体験に深く心を動かされ、核兵器がもたらす苦悩から“自分と同じ人間を守りたい”という熱い思いでつながっています。


 人類は同じ一つの世界に生きています。自分の周囲の人々が安全でなければ、自分たちの安全もありません。平和も安全も、誰かの犠牲の上に成り立つものではないはずです。ICANは、どこまでも人間の「平等」、各国の「平等」を重視してきました。


 だからこそ核兵器廃絶を目指す団体のみならず、人権団体や男女平等を求める団体、持続可能な開発目標(SDGs)を推進する団体等とも連帯することができたのです。


 ――個々の力は小さくても「連帯」することで、社会を動かしていけるのですね。


 フィン その通りです。それこそが市民社会の力です。市民社会が、さまざまな問題に声を上げ、連帯して行動する。それが変革の力になるのです。


 従来の核兵器廃絶運動は、政府に提言したり、国の指導者に勧告したりするものが多かった。でもそれでは、「民衆」に力を与える運動にはなりません。ICANでは「あなたこそ主役です」と語り掛けます。これまでの概念を転換して、民衆を主役にし、“市民社会の力こそ最も重要”と位置付けたのです。そこに人々は賛同し、連帯が広がったのだと思います。


 また、ともすると核兵器廃絶の問題は複雑で難しい話になりがちです。私たちは、“人類が生き残るには

核兵器をなくさなければならない”ことを、分かりやすく発信してきました。それが、多くの人たちの心に響き、共感を得られたのではないでしょうか。


 ――さまざまな団体と連携するのは大変では?


 フィン それは、常に挑戦です。しかし、異なるジャンルの団体が参加していることは、ICANの成功の要因でもあります。青年の団体はSNSを駆使した活動が得意です。SGI(創価学会インタナショナル)のような信仰を基盤とした団体もあれば、研究者中心の団体もあります。そうした各団体の専門性や持ち味を生かした活動を尊重しています。


 「核兵器廃絶」という一つの目的に向かって、それぞれの力を発揮してもらうことで運動の幅が広がり、多彩なキャンペーンを展開できるからです。大きな目的のために、違いを生かしながら変革を起こしていく――こうした連帯のあり方が、「平和の文化」の構築の鍵となるのではないでしょうか。


 もちろん、意見が対立することもあります。しかし、常に「核兵器廃絶」という大目的に立ち返り、運動が少しでも進めば、それをたたえ合うことで、前向きな雰囲気が生まれていったのです。
 

 
 ――ICANの活動では多くの青年が活躍しています。
 フィン 世界中の青年たちと積極的に対話をしていますが、彼らの知性や信念には、いつも感銘を受けています。


 ただ、自分たちにも変化が起こせる、という自信に欠けるところがあります。特に、個人主義の強い社会で育った青年たちには、「連帯すること」が、どれほど大きな力になるのかを学ぶ必要があると感じます。


 そのためICANでは、青年の声を聞き、彼らがリーダーシップを執る機会をつくっています。マイクと舞台を渡し、彼らの考えを表現させるのです。時に先輩たちは、青年のために道をゆずることも必要です。いかなる運動の成功も、新しい世代の参加によって成し遂げられるのですから。


 また、先輩世代には、青年のために自分たちの経験を語ってほしい。核兵器廃絶運動の歴史には、各世代で成し遂げた勝利の物語があります。それを青年が聞けば、「今の活動は先輩たちの労苦と功績の上に成り立っている」と感謝が湧き、世代間の信頼と絆が築かれるはずです。


●大切なのは熱い思い
 ――変革を起こす自信がないという若い世代にメッセージを。


 フィン 何かを成し遂げるのに、初めから全てを熟知している必要はない、というのが私の実感です。私がICANで働くようになったのは、実は偶然なんです(笑い)。


 もともとジュネーブの人権分野のNGOでインターンとして働いていた時に誘われたのですが、正直、核兵器のことはよく知らなかったのです。でも学び始めたらその重要性に気付き、のめり込んでいきました。


 何ごとも“万全な準備を整えてから”と考えていたら、変化のスピードの速い今の時代に取り残されてしまいます。失敗してもまた次に頑張ればよいのです。


 大切なのは「平和を守りたい」「生命を守りたい」という、やむにやまれぬ思いではないでしょうか。


 ――家庭ではどのように「平和の文化」「連帯の心」を育んでいますか?


 フィン わが家には7歳の娘と4歳の息子がいます。彼らの年齢も考えながら、できる限り話をしています。うれしいことに、子どもたちは最近、私がよりよい世界を築くために働いていることを理解し始めたようです。核兵器についても質問してくれるようになりました。


 私も、ベトナム戦争に反対し、平和運動に熱心だった両親から大きな影響を受けました。子どもには親が思う以上に理解する力があります。


 平和のための連帯といっても、身の回りにある問題や世界の課題に関心を持つことから始まると思います。そして、小さい頃から、自分とは異なる文化や背景の人にも、尊敬をもって接する姿勢を身に付けることが大切です。


 家庭でも地域でも、人のために活動する、他人と力を合わせて協力する――そうした経験を通して、「連帯の心」を培っていくことができるのだと思います。

 ベアトリス・フィン

 スウェーデン生まれ。ストックホルム大学で国際関係を専攻し、英国ロンドン大学で国際法の修士号取得。婦人国際平和自由連盟やジュネーブ安全保障政策センターで軍縮問題に携わった後、2013年からICANの活動をリードし、市民社会を動かして核兵器禁止条約の制定に尽力。ICAN の事務局長として戦略策定、資金調達、メディアをはじめ政府・国連・国際機関等への対応を担当する。


ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン) International Campaign to Abolish Nuclear Weaponsの略。2007年発足。事務局はジュネーブ。核兵器廃絶への機運を高めるため103カ国、554のパートナー団体と連携し、各国政府や市民社会への働き掛けを行う。核兵器禁止条約制定への貢献などが評価され、2017年にノーベル平和賞を受賞。SGIはICAN 発足当初から国際パートナーとして活動する。



池田先生の指針から


 世界の青年たちよ!
 人類の重要な挑戦のために連帯し、自らの人生と、新しき世紀の歴史を開く建設者たれ!
 人類がいかなる重大な試練に直面しようと、それに立ち向かう「青年の連帯」がある限り、希望は失われることはない。
 (エスキベル博士と池田先生の共同声明「世界の青年へ レジリエンスと希望の存在たれ!」から)
                         

                      ◇


 結合は善。分断は悪――


 「民衆の結合の力」こそが、エゴのはびこる現代の闇を打ち払い、地域に、社会に、そして世界に平和と幸福の光をもたらすのだ。
 (「随筆 人間世紀の光」〈阪神・淡路大震災14年に祈る〉から)



(2019年9月2日 聖教新聞)







Last updated  2019/12/20 10:50:32 AM
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2019/07/05

私がつくる 平和の文化 
第7回 対話でひらく  手記 ​
米エマソン協会元会長 サーラ・ワイダー博士

「きょうのうれしさは、言葉にできません」――池田先生ご夫妻との出会いを喜ぶワイダー博士(2006年7月、東京・八王子市の創価大学で)​


 「私がつくる平和の文化」第7回のテーマは「対話でひらく」。登場していただくのは、アメリカ・エマソン協会元会長で、コルゲート大学教授のサーラ・ワイダー博士です。互いの「違い」を尊重し、相手をより深く知る「対話」の重要性について、思いをつづってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)

 家庭や職場、地域の中で、「平和の文化」を築こうと献身される聖教新聞の読者の皆さま。私は、アメリカの地で同じ努力をする友人として、この文章をつづっています。 


 「対話こそ平和の王道」との信念で、60年にわたり、「平和の文化」建設のために世界を駆けてこられた池田SGI会長は、次のように語られました。 


 「対話は、単なる自己主張でも、説得でもない。対話は、相手の尊厳なる生命に敬意を表し、そして自らとは異なる個性から学びゆくことだ」と。 


 残念ながら私たちは、自分と“異なるもの”“同質でないもの”に対して、触れずにおこうとしたり、排除しようとしたり、脅威として攻撃しようとしたりしがちです。 


 しかし、「対話」とは、“私たちは皆、違う”という現実に立ち、そこに無限の可能性と美しさを見いだそうとする積極的な営みです。 


                   ◇ 

「対話」には、さまざまな形があります。私の好きな対話の一つは「自然との対話」。五感を研ぎ澄ませて、自然と語り合うのです。


 風の音に耳を傾け、大気の香りを胸いっぱいに満たし、暑さや寒さを肌で感じ、大空を見上げ、思いがけない所でけなげに咲く野の花に目を留めるのです。


 自然はどこにでもあり、いつでも、私たちを対話に誘ってくれます。地球の至る所で気候に異変が起きている今こそ、この自然からの対話の導きに応じるべきなのです。

                   ◇ 

 対話には、何にもまして、人と人を深く結び付ける力があります。直接会って交わす対話はもちろん、文字によって対話することもできます。書かれた言葉は、時空を超えて人々に語り掛けてきます。


 私たちはなぜ、“対話は平和をもたらす”と信じているのでしょうか。


 それは、対話というものが、時間をかけて行うものだからです。そして、平和をつくるには時間をかける必要があることを、私たちは知っているからです。 


 対話は焦らず、ゆっくりと実を結ばせるものです。分かち合えることを信じながら、互いの話を聴き、自らを見つめるのです。 


 「違い」があるということは、自然なことです。そこから新たな可能性や成長がもたらされ、問題解決への創意工夫の幅が広がるのです。それは、いろいろな楽器と多様な奏者によって、美しいハーモニーが生まれるのと同じです。そして、「違い」があるからこそ、私たちは常に学び続けることができるのです。


 しかし私たちは、時として「違い」にとらわれすぎてしまいます。そんな時は、一人一人が持つ人生の「物語」に耳を傾けてみてください。なぜなら、その人の「物語」を知ることによって、相手を深く理解し、共感できるようになるからです。


 池田SGI会長も、いつもそのようにして語らいを始めておられるように、それこそが真の対話の出発点です。対話とは、どの瞬間においても相手の「物語」を聴こうと努めることから始まるのです。


 「初めて学校に行った時、どんな気持ちだった?」「どうしてこの食べ物が好きになったの?」「友情の素晴らしさを感じたのはどんな時?」「最も苦しい時に希望の光となったものは?」などと質問してみてください。一つ一つの答えを通して、その人が生きてきた「物語」を知ることができるでしょう。


 私たちは、皆、自分自身の「物語」を抱いて生きていますが、その物語には、他者との共通性があります。だから、対話を通して互いの「物語」を分かち合い、人間として理解し合うことで、日々の生活に影を落とす「拒絶されるという恐怖」から解放されるのです。


 暴力が社会の奥深くにまで蔓延する今、私は「物語」を分かち合おうとする人々の、静かで力強く、たゆみない努力に心を寄せたい。こうした人たちが日々、「平和の文化」を築いているからです。 
 

                   ◇   


 「平和の文化」の建設のために、今日、何をしましたか? これから何をしようとしていますか?


 励ましを送り、受け取ること。広々とした心で、誰かと「思い」を分かち合うこと。


 誰かが感じていること、思っていることに耳を傾けること。心を晴れやかにしてくれるものに触れて、伸び伸びと笑うこと。


 窓の外を見て、家から出て道を歩き、鳥が舞い、花のつぼみがほころび、雲が形を変える不思議さを感じること。


 人生を、より優しく、自由に、明るくしてくれる人やものに感謝すること。失われたものに、かけがえのなさを感じること――。


 これら全てのことを通して、あなたは人との「つながり」を求め、そして「つながり」を感じているのです。


 周囲からも、社会からも人間を孤立させようという力がかつてないほど強まっている時代にあって、それでもあなたは、全てのものが繋がり合っていることを信じ、感じてきたはずです。


 エマソンは「つながりは、ある場所ある時にだけ存在するのではなくして、いたる所に、そしてつねに、存在するのである」(『エマソン選集』第3巻「生活について」小泉一郎訳、日本教文社)と述べています。


 この「つながり」を私たちは「物語」を分かち合うことで実感するのです。どんな事にも「物語」はあるのです。


 さあ、それぞれの「物語」を、大いに語り合いながら、「平和の文化」を築く、たゆみない挑戦を続けていこうではありませんか。


 サーラ・ワイダー 米エマソン協会元会長。詩人。全米屈指の教養大学・コルゲート大学の教授として、女性学、英文学などの講座を担当。池田先生と対談集『母への讃歌』を発刊している。
池田先生の指針から
 対話は、人間の最も優れた特性であり、それは人間性の発露である。語り合うことから、心の扉は開かれ、互いの理解が生まれ、友情のスクラムが広がる。 



  
対話は――励ましの力となる。希望の光となる。勇気の泉となる。生命蘇生の新風となる。そして、人間の心と心に橋を架ける。 
 (小説『新・人間革命』第29巻「常楽」の章から) 
          

                   ◇  


 世界の各地では、今なお熾烈な紛争が続き、憎悪と暴力の連鎖が続いております。だからこそ、私たちは「対話」を決して手放してはなりません。 


 断固たる「対話の選択」こそ、「平和の選択」となり、必ずや人類の「生への選択」に通じていくと、私は信じます。 
 (2013年9月、池田国際対話センター設立20周年記念セミナーへのメッセージから)



「知ること」が安心の第一歩


 地域住民の融和は相手を知ることから。そんな思いで奮闘する団地の自治会長を取材しました。
 「やっぱり話してみないと、人って分かり合えないものですね」。そう語るのは、東京・中野区内の都営住宅で自治会長を務める関根仁美さん。


 700世帯以上が入居できる同団地で、2010年に自治会長に就任した。


 その翌年のこと。東日本大震災による福島の原発事故の被災者などを、同団地で受け入れることになった。最大時には約120世帯が暮らしたという。


 地域住民や町会等から物資が届き、支援の輪が広がる一方、福島からの移住者を排斥するような張り紙がされるなど、一部の団地住民とトラブルも起こった。


 “このままではいけない”。団地住民に声を聞くと、「放射能汚染が心配」「話し声が大きい」など、不安や不満を抱いていることが分かった。


 関根さんは、理解し合うことが必要と感じ、両者の親睦の集いを定期的に開催。被災者には「話せることからでいいから」と、震災体験を語ってもらった。 
 初めはお互いぎこちなさもあったが、団地住民が被災者の話に涙を流すなど、親身になって聴き入る姿が見られた。「家族を亡くした悲しみが胸に突き刺さった」「故郷を離れるのが、どんなにつらかったことか」「誤った情報をうのみにしていた」など、認識が改まっていった。


 「『相手を知らないこと』が摩擦を生んでいました。互いに知り合うことで、誤解
や偏見が解け、トラブルも収まっていきました」(関根さん) 


 また、被災者が孤独にならないよう、集会所に“サロン”を開設。被災者同士が知り合い、情報交換や悩みを分かち合う対話の場をつくった。「先の見えない不安の中、人と話すことで、少しでも希望を持ってほしかったのです」


 関根さんが対話を大切にする背景には、ダウン症の次女・真衣さんとの歩みがある。誤解や偏見から

心ない言葉を浴び、幾度も悔し涙を流してきた。


 関根さんは、“身近で触れ合えば見方は変わるはず”と、真衣さんが5歳の時、地元で真衣さんの写真展を実施。さらに、障がい者向けの空手やエアロビクス教室を開き、健常者も招くなどして理解を広げてきた。そうした経験が、団地の融和に生かされた。


 現在、団地内の被災地出身者は50世帯ほど。だがそんな区別もなくなるほど、ここでの暮らしは当たり前になった。「ここが第二の故郷です」――そう語ってくれた言葉が、関根さんにとって何よりの喜びだ。


 (2019年7月5日 聖教新聞)







Last updated  2019/12/20 09:47:27 AM
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2019/06/13

​〈私がつくる平和の文化〉第6回 平和構築の主体者
戸田記念国際平和研究所所長 ケビン・クレメンツさん


 「私がつくる平和の文化」第6回のテーマは「平和構築の主体者」。​

インタビューは、ニュージーランド出身で、世界的な平和学者として活躍する戸田記念国際平和研究所所長のケビン・クレメンツ博士です。今年3月に同国で起きたモスク襲撃事件の経験などを踏まえ、私たちが寛容と共生の社会を築くために必要な視点について語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)

《池田先生と力強く握手を交わすクレメンツ博士(1996年7月、創価国際友好会館で)。

会見の席上、博士は語り掛けた。「私たちに関係するすべてを平和構築の方向へと向かわせていかねばならないと思うのです」》
 
 ――今年3月にクライストチャーチで起きたモスク襲撃事件は、世界に大きな衝撃を与えました。
 博士 “こんな悲劇が平和なニュージーランドで起きるなんて、信じられない”というのが、多くの人たちの思いでした。今回の事件で尊い命を奪われた51人は、そのほとんどが平和な暮らしを求めてニュージーランドに移住したイスラム教徒でした。


 この事件を通して私たちは、“移民に対して、本当に差別や偏見を抱いていなかっただろうか。現実には差別があったのに、見過ごしていたのではないか”と、反省を迫られたのです。


 若き女性リーダーであるアーダーン首相は、直ちに法律を改正して銃規制をより厳しくするとともに、“暴力による報復に走ることなく団結しよう”と人々に呼び掛けました。


 私が教えているオタゴ大学の学生たちは、寛容の精神を表明しようと「安全な場所」というポスターを作りました。一人一人の違いや共通性を認め合う“安全で平和な場所”の大切さを皆で考えたいと願ったからです。ポスターは移民の人にも分かるようアラビア語も併記。これに賛同した個人やお店が、次々とポスターを張り出してくれました。


 私も、寛容な人、差別を傍観しない人を育てるには、そのための教育が重要だと考えました。そこでまず、幼稚園の先生たちに、異なる民族や宗教の子どもたちに尊敬をもって接するよう講習会を開催しました。これには、難民問題に取り組む私の妻も協力してくれました。


 今、ニュージーランドでは、小さな差別も許さない社会をつくっていこう、「平和の文化」を築いていこう、という挑戦が始まっています。
 

 
 ――SNSやメディアの役割も問われる事件でした。



 博士 今回の事件では、容疑者が、銃を乱射する様子をフェイスブックで生中継したことにも衝撃が走りました。


 SNSには、過激で暴力的な情報もあふれており、多くの若者がその影響を受けています。大事なことは、そうしたメディアの情報をうのみにせず、「本当かな?」と疑ってみること。あくまで自分の価値観や道徳観に照らして、立ち止まって考える習慣を身に付けることです。


 メディアは、ある集団に対して、悪いイメージをつくりがちです。そこから差別が始まります。しかし、一人一人を尊厳をもった個人として見れば、その個性、かけがえのなさに気付き、それが私たち自身をも豊かにするのです。
 

 
 ――クレメンツ博士の学問の師匠であったエリース・ボールディング博士は、「平和の文化」の理念の提唱者でした。



 博士 彼女は、平和構築における「女性の役割」を重視していました。なぜなら女性は、「自分たちの安全は他者との平等な関係性の中にある」ことを知っているからです。家庭、友人関係、職場においても、本当の意味の「安全」とは、人との関係性の中にしかない。それを理解し、より安全で平和な関係を築くことが「平和の文化」です。
 今、戦争の悲惨さや脅威が青年に受け継がれていないために、若い人たちは、軍事力などのハードパワーに頼れば自分たちの「安全」が守られると誤解しています。 


 博士は、「平和の文化」とは「耳を傾ける文化」とも表現していました。対立する人間同士が相手の意見にも耳を傾け、「対話」を通して問題解決への道を開くには、両者が安心して心を開き、対話できる環境を整えることが大事だと訴えていたのです。


 私も博士の後継者として、皆が安心して自由に対話できる場をつくろうと日々努力を続けています。


正義を貫つらぬく「勇気」を
 ――平和を築くために、私たちに必要なことは?

 

博士 どこまでも人間を信じ抜くことです。それは出会う人たちに尊敬を持つことから始まります。相手に恐怖や不信を抱けば、相手もそれを感じます。反対に、相手に愛情や尊敬の念を抱けば、相手もそれを感じるものです。


 「平和の文化」とは、恐れや憎しみを愛に、非寛容を慈悲に、悲観主義を希望に変えていくことです。それが、個人の人間関係も、さらに社会や政治における関係をも変えていくことになるのです。


 私は池田SGI会長と啓発に満ちた対話を重ね、対談集も編みました。池田会長の平和行動の根底に「人間への信頼と慈愛」があることに、深い共感を寄せています。


 私の父も、生涯を懸けて平和のために行動しました。父は亡くなる直前、私の娘から、幸せに生きる秘訣を問われ、「愛と勇気と希望が必要だよ」と答えました。とりわけ「勇気」だと。


 生き抜くこと自体が勇気。人を育てるのも勇気。権力が間違った方向に進もうとする時に、それに反対するのも勇気。勇気のない人間に平和を築くことはできない、と語っていました。創価学会の歴史を見ても、牧口初代会長、戸田第2代会長が軍部政府に反対したのは、正義を貫く勇気があったからだと思います。


 ボールディング博士は言いました。

「平和の文化を構築するには、自分が築きたいと思う世界――人間の平等が守られ、戦争と武器のない世界――を想像することが大事」と。その実現のためには、世界市民の意識に立つ民衆が行動することです。「平和の文化」を自らの生き方とする一人一人が、平和構築の主体者だからです。


 ケビン・クレメンツ
 1946年、ニュージーランド生まれ。オタゴ大学国立平和紛争研究所の所長をはじめ、国際平和研究学会(IPRA)の事務局長などを歴任。ニュージーランド、オーストラリア、イギリスなど、各国政府の政策顧問も務めた。2017年7月から現職。
 
「みんな語り部になれるんよ」
 誰でも平和構築の主体者になれる――そんな思いを長年伝え続ける広島の夫妻を取材しました。
 「私は被爆者でも、広島生まれでもありません。でも広島の心、平和を願う心は、語り継ぐことができると思っています」


 そう語るのは品川俊子さん。夫・正則さんと共に、原爆資料館や慰霊碑などの解説をする「ヒロシマ・ピース・ボランティア」として活躍する。


 品川さんは、終戦後の1945年(昭和20年)10月、中国・北京で生まれた。翌年、家族で日本へ引き揚げ、父の実家のある広島で暮らした。


 20歳の頃、品川さんの生き方を決定づける出来事があった。大阪に住む叔母から被爆体験を聞いたことだ。叔母は出産を間近に控え、爆心地に近い実家に里帰りしていた。


 8月6日午前8時15分。閃光と熱線。すさまじい爆風。2階建ての実家は瞬く間に押しつぶされた。気が付くと、祖母は大きな梁(はり)の下敷きに。そこに猛烈な勢いで炎(ほのお)が迫っていた。祖母は叫んだ。「福ちゃん(叔母)、お願いじゃけえ、早う逃げんさい! いい子を産むんよ!」と。その直後、誰かが叔母を強引にその場から連れ出した――。


 “母を見捨てて逃げた”と自分を責め続け、叔母はその後、生涯、広島の地を踏むことはなかった。叔母は声を絞り出すようにして言った。「あなたのおばあちゃんは、人に尽くす優しい人だった。その人が生きたまま焼かれた……。広島には、あなたのおばあちゃんのような人が何百、何千といたことを絶対に忘れないでほしいんよ」


 品川さんはこの時、生涯、平和に尽くそうと誓った。


 以来、3人の育児に奮闘しつつ、創価学会女性平和委員会の一員として反戦出版や、核兵器廃絶の展示に携わり、「被爆体験を聞く会」の開催にも貢献。2004年、夫・正則さんの定年を機に、二人で半年間の研修を受け、ピース・ボランティアになった。


 品川さんは修学旅行の子どもたちに必ず言っていることがある。「みんなも平和の語り部になれるんよ」


 ある日、奈良の小学生から、うれしい手紙が届いた。


 “おじいちゃんに広島での話をしたら、おじいちゃんも戦争に行った時の話を初めてしてくれました。私も語り部になります”
 海外から訪れる人とも一期一会の出会いを大切にし、交流を深める中、被爆者と共にアメリカやイギリス、イタリアなどで講演する機会も得た。昨年8月にはモンゴルで品川さんの祖母の話を題材とした絵本が出版された。


 正則さんは被爆70年の2015年にピース・ボランティアの代表幹事を務めた。
 

「目の前の“一人”を大切にすることから平和は生まれる」――そう固く信じ、品川さん夫妻は、世界へ、未来へ、広島の心を伝え続ける。
 
池田先生の指針から

 誰もが、平和を望んでいる。


 どんな人にも、他者を慈しみ、大切にする心が具わっている。


 ほんの少しの勇気が、友を守る力となる。


 何気ない言葉でも、人生を変える時がある。


 大事なことは、誰の心にもある良心と勇気を一人、また一人と呼び覚まし、地域を、社会を、そして人類全体を包み込んでいくことではないだろうか。



                                                池田大作 (「随筆 我らの勝利の大道」から)


(2019年6月13日 聖教新聞)







Last updated  2019/12/20 11:55:55 AM
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2019/05/01

​〈私がつくる平和の文化〉第5回 子どもの権利
 インタビュー 国連子どもの権利委員会委員 大谷美紀子さん 

子どもの幸福が平和の鍵


   君よ、大樹と育ちゆけ――少年を抱き寄せ、慈愛のまなざしを注ぐ池田SGI会長(1989年6月、フランスで)



 今年は「子どもの権利条約」(注)が国連で採択されて30周年です。

「私がつくる平和の文化」第5回のテーマは「子どもの権利」。登場していただくのは、日本人初の国連子どもの権利委員会委員として活躍する弁護士の大谷美紀子さんです。条約の精神や自身の育児経験などを踏まえ、子どもの幸福と平和について語ってもらいました。(構成=小野顕一、歌橋智也)​



 子どもは、無限の可能性に満ちています。


 私たちの世代を超えて未来を生きていきます。


 と同時に、かけがえのない「子ども時代」という「今」を生きているのです。


 この子どもたちが――


 幸福に生きているか?


 親や家族、周囲の人々から大切にされているか?


 暴力のない安心できる環境で育っているか?


 その“小さな声”に耳を傾けてもらっているか?


 自分を“かけがえのない存在”だと感じているか?


 周りの人も自分と同じように大切だと知っているか?


 こうしたことが、私たちの生きる社会が平和であるか否かの“バロメーター”だと私は思います。



一人の人間として


 「子どもの権利条約」が国連で採択されて、今年で30周年を迎えます。かつては「守られるべき存在」としてのみ見られていた子どもを、大人と同様に「人権があり、尊重されるべき一人の人間」と捉えた条約は「子どもの見方」を一変させた画期的なものです。現在、196カ国・地域が条約を批准しています。


 日本では、子どもに「権利」を教えると、“権利ばかりを主張する、自分勝手な子になる”という心配をよく耳にします。しかし、自分が「かけがえのない大切な存在」だと自覚し、周りの大人から「大切な一人の人間」として接してもらうことは、他人も自分と同じように大切な存在であることを知り、他人を大切にする姿勢にも通じていくと思います。


 条約では、子どもには、意見を聞いてもらえる権利がある(意見表明権)としています。もちろん、子どもの年齢や成長に応じた意見の聞き方を工夫することが必要ですし、また、よく誤解されるのですが、子どもの言う通りにするという意味ではありません。「子ども」に関することを決める時には、子ども自身の考えや意見を聞き、それを大人がきちんと受け止めて、そのうえで、子どもにとって何が一番いいのかを考えて決めていく(子どもの最善の利益原則)という意味なのです。


 条約や法律は大切ですが、それだけで、子どもの権利が守られるわけではありません。子どもも大人も条約の精神を理解して、一人一人の日々の生活の中に生かしていくことが大切です。児童虐待、いじめなど、子どもに関する全ての問題への取り組みの中心に「子どもの権利条約」をしっかり位置付けること、「子どもには人権がある」ということを基本にしていくことが大事だと思っています。


 創価学会は、早い時期から日本が「子どもの権利条約」を批准することを目指し、ユニセフと協力して条約についての展示を行うなど、広報活動を展開してきました。日本が条約を批准して25年たった今も、全ての子どもと大人に条約を知ってもらう活動が必要です。
平和の文化」の中で 


 子どもは生まれた時から、家庭の中で、学校や地域で、テレビやネットで、大人の言葉使いや態度から影響を受けて育ちます。人を傷つけたり人格を否定するような言葉を使わないこと、人に優しく接すること、感謝を言葉にすること、意見が合わない時も話し合って解決することなど、大人の何げない振る舞いの中から、子どもは「平和の文化」の生き方を学んでいくのです。


 こうして、子ども自身が「平和の文化」をつくる主体者になっていけるのです。


 世界には、兵士として戦わされたり、難民や移民となって命の危険や性暴力にさらされたり、教育を受けることができない、結婚させられるなど、紛争や環境問題、貧困や差別の中で人権が守られていない多くの子どもたちがいます。私たちは、日本に住む子どもたちの人権のために取り組みながら、世界の子どもたちのために何ができるかについても考えていかなければならないと思います。
社会全体で育てる


 私自身、2人の子育てを通し、多くのことを学びました。育児は予測不能です。何一つ計画通りに進みません。保育園の帰り、早く帰って夕飯を作りたいのに、子どもは道端でしゃがみ込んで何かに夢中になっている(笑い)。


 “この10分で仕事のメールが一つ書けるのに”。そんな葛藤もありましたが、あえて子どもと一緒に楽しもうと決めました。だからこそ、多くのことに気付き、自分が豊かになれた。今、振り返れば、貴重な経験の連続でした。


 子育て中のお母さんは、数え切れない不安を抱えていることも実感しました。ささいな一言が胸に刺さるのです。


 反対に、励ましの言葉も大きな支えになります。私も、保育園で子どもを預ける時に子どもが泣いてしまう。でも園の方が「大丈夫ですから。行ってください。姿が見えなくなったら泣きやみますから」と笑顔で送り出してくれました。どれほどホッとしたか分かりません。


 子どもを育てる人を周囲の人々が温かく応援することが、重要だと思います。


 特に大切だといわれるのが、乳幼児期の1000日間です。能力の開花が基礎付けられるこの3年の間に、親だけでなく、周囲の人が、どれだけ関心や愛情を持って接してくれるのかということが大切です。


 子どもの笑顔が広がる社会こそ、平和な世界です。そして、子どもたちのために「平和の文化」をつくるのは、私たち一人一人なのです。


おおたに・みきこ
 弁護士。米コロンビア大学国際関係公共政策大学院(人権人道問題)修了。東京大学法学政治学研究科修士課程専修コース(国際法)修了。NGO活動を通して女性や子ども、外国人の人権問題に取り組む。国連総会第三委員会に民間女性代表の日本政府代表代理として参加(2005年~06年)。2017年から日本人初の国連子どもの権利委員会委員。


子どもの権利条約


 子どもの人権を国際的に保障するために定められた条約で、18歳未満の子どもを「権利を持つ主体」と位置付け、大人と同様の一人の人間としての人権を認めるとともに、成長や保護に配慮した権利も定めている。1989年の国連総会で採択され、翌90年に発効。日本は94年に批准している。



子どもの笑顔が地域の勲章


 子どもを地域社会で育もう――そんな思いで活躍する仙台市の婦人を取材しました。 


 「おはよう!」「行ってきま~す!」


 「ただいま~!」「お帰り~!」


 毎朝、毎夕、仙台市内の喫茶店「エルガー」の店先は、店主の遠藤美枝子さん(70)と登下校する小学生の、あいさつを交わす声でにぎわう。


 子どもたちが困った時に駆け込める「子ども110番の家」にも指定される同店は、今年で14年目。料理はもちろん、店内でのピアノのコンサートや、飾られている遠藤さんの絵画作品も評判だ。


 遠藤さんは、戦争の出征先で捕虜となり生還した父と、幼い頃に患ったジフテリアの後遺症で左半身まひになった母との間に生まれた。


 生活は貧しく、父は酒を飲むと家族に暴力を振るった。母と妹を守ろうと、父と組み合ったこともあった。そんな家庭であったため、学校でもいじめられた。唯一の安らぎは、広場の土に棒切れで思いっきり絵を描くことだった。


 小学3、4年生の夏休み、遠藤さんは家計の足しになればと、近所のかき氷店で働いた。ある日、近くの家から、かき氷の出前の注文が入った。
 届けに行くと、なんと遠藤さんの分まで頼んでくれていた。「美枝ちゃん、食べて帰ってね」


 うれしくて泣きながらかき氷をほおばった。こめかみがキーンとなったが、胸いっぱいに温もりが広がった。「この人たちのように、優しい大人になりたい」――そう心に誓った。


 成人しても遠藤さんの胸に、ずっとわだかまっていたことがあった。それは小学校時代に受けた「いじめ」。自分に原因があるんだと思い込んでいた。


 そんなある時、尊敬する池田大作先生の本を手にする。そこには、いじめについてこう書かれていた。


 「『いじめている』側が、100パーセント悪い」「『原因』は、いじめている側の『心の中』にある」――。


 その通りだ!「この言葉を読んで、それまで悔し泣きしていた幼い頃からのコンプレックスが、スーッと消えたのです」(遠藤さん)


 以来、遠藤さんは自分が受けた苦しみの分だけ、子どもたちに癒やしを送れる人になろうと努めてきた。


 地元の子どもたちに絵画教室や絵画アートセラピーを実施。またこの8年間、地域の友人と通学路や公園の清掃活動を毎月行い、子どもたちと触れ合う機会をつくってきた。


 今や遠藤さんは“地域のお母さん”として多くの人々から慕われる。


 「子どもたちの笑顔こそ地域社会の勲章です。これからも宝の子どもたちに慈愛の心で接していきたい」と語る遠藤さん。「平和の文化」の光は、きょうも子どもたちを包んでいる。


池田先生の指針から


 「ありのままの自分を、そのまま受け入れてくれる人」が一人でもいれば、


 「自分の幸せを自分以上に喜んでくれる人」が一人でもいれば、


 「その人がいる」と自覚していれば、


 人間は、そんなに大きく道を誤らないものです。


 お子さんを「一個の人間」として尊敬し、信じてあげてほしいと思うのです。


 池田大作(『希望対話』から)



(2019年5月1日 聖教新聞)







Last updated  2019/12/20 11:04:42 AM
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2019/04/08

​〈私がつくる平和の文化〉第4回 持続可能な開発   ​


インタビュー 成蹊大学名誉教授 廣野良吉さん 
「誰も置き去りにしない」社会を


 「私がつくる平和の文化」第4回のテーマは「持続可能な開発」。登場していただくのは、長年にわたり国連開発計画など国際機関で活躍されてきた成蹊大学名誉教授の廣野良吉さんです。今、世界中で取り組んでいる「持続可能な開発目標(SDGs)」(注)の意義も含めて、分かりやすく語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)



 僕は中学生の時、学校では禁止されていたのに、こっそり映画を見に行きました。


 ある国の緑豊かな谷で、炭鉱会社が森林を破壊して石炭を掘り出した。そのために、お金はたくさん入ってきたけれど、住民がどんどん呼吸器の病気になって苦しみだした。「これでは一体、何のための開発か?」。そこにやって来た宣教師の青年と、炭鉱主の娘が立ち上がる。彼らの戦いで炭鉱は閉鎖され、やがて美しい緑を取り戻す、という物語でした。


 僕は感動して劇場で泣きました。地球のどこであっても人々の暮らしや環境を壊すような開発、経済発展は絶対にいけないと。また、身内であっても、悪は悪として堂々と主張することが、人々に幸せをもたらすのだと。この映画が僕の人生観を変えました。


 今、世界中の国が2030年までに「持続可能な開発目標(SDGs)」を達成しようと挑戦しています。
 

「持続可能な開発」とは、一言で言えば、「地球上の限られた水、空気、土壌などの資源を、汚したり枯渇させたりせずに、未来の子どもたちにつなげるように開発しましょう」ということです。


 世界を見渡すと、経済発展や技術開発によって、生活が豊かになった国がたくさんある。それは世界から貧困をなくすために大事なことです。しかし、その陰で、環境が破壊されたり、貧富の差が広がったりしている。教育を受けられない子どもがいる。「やっぱり誰かが取り残されている」ということが分かった。


 これじゃあいけない。さらに気候変動のように、全ての国が協力しなければ解決できない問題も起きてきた。だから先進国も途上国も一緒に、世界中で「誰も置き去りにしない」と約束したんです。 



地球が我々の家


 ですが、いくら素晴らしい理念を掲げても、大事なことはそれを「いかにして実現するか」です。だからSDGsでは家庭や地域、職場、政府が、みんなで力を合わせて問題を解決していきましょう、と強調しているんです。


 今の時代、私たちは世界で起きていることに無関心では生きていけません。最近は、「中国がくしゃみをすると、世界が風邪をひく」といわれます。ブラジルでコーヒー豆が不作になれば、日本のコーヒーも値上がりする。中東の内戦で発生した難民問題がヨーロッパを揺るがしている。日本は、少子高齢化で働く人が足りなくなって、外国の方に仕事をお願いせざるを得なくなっている。


 世界の人々が自立心を持ちながら、お互いに支え合い、経済的に「相互依存」するしかない。「地球が我々の家なんだ」と考えざるを得ない時代になっているのです。



家庭から始まる


 紛争が続くシリアなどの現状を見ると、まずは平和が来なければ「開発」などできません。だけど、平和になっても「持続可能な開発」ができるとは限らない。


 それぞれの国や地域で、優先すべき課題は違います。それに、食べる物、着る物、暮らし方、何が好きか、みんな違います。それを理解しないで、上から「これをやれ」と無理やり押し付けても、誰もやりません。だから僕は国際会議に行っては、「平和の文化」がなければ「持続可能な開発」はあり得ない、と強調しています。「平和の文化」とは、各地域に住む人々の多様性・自主性を尊重し、一人一人の日常生活が、常に平和の方向へ動くようになることだからです。


 さて、SDGsの推進といっても日々の家庭生活から始まります。僕の住んでいる武蔵野市では、家庭教育としてゴミの減量、分別、リサイクルに力を入れています。親御さんが意識を高く持っていれば、それがお子さんたちの言動にそのまま表れますよね。


 池田先生の提言は全部読ませていただいています。また創価学会は、環境展示や中高生のSDGsフォトコンテスト(別掲)などにも取り組んでこられた。今後は、もっと視覚や感性に訴える新しい啓発運動を考えられたらいいと思います。僕も長年、若者に呼び掛けて環境問題のミュージカルを一緒にやっています。


 テーマは、「青い地球は誰のもの?」。皆さん、地球は誰のものだと思いますか。そう、「自分たちのもの」です。また、未来の世代から借りているものです。みんながそう思えば、もっと大切にできるのではないでしょうか。


 ひろの・りょうきち
 1931年、静岡県生まれ。成蹊大学教授、政策研究大学院大学の客員教授等を歴任。諸外国で大学院客員教授の他、国連経済社会理事会議長、またアジア開発銀行、国連開発計画等の国際機関で局長として勤務。外務省ODA懇談会委員、国際開発学会会長、日本評価学会副会長等を務める。日本ユニセフ協会理事など多数の諮問委員も担う。



●持続可能な開発目標(SDGs)


 国連加盟国が2030年までに達成すべき目標として採択したもの。貧困や飢餓の撲滅、不平等の解消、教育の確保、気候変動への対策など17分野の目標、169のターゲットを設定。



池田先生の指針から


 今、必要な「地球人意識」。


 それは、遠いどこかにあるのではない。


 コンピューターの画面の中にあるのでもない。


 人間として人間のために“胸を痛める心”の中にあるのだ。


 「あなたが苦しんでいるかぎり、私も苦しむ。あなたが、だれであろうと! あなたの悩みが何であろうと!」と。


 
                                池田大作  (『君が世界を変えていく』から)


(2019年4月8日 聖教新聞)







Last updated  2019/12/20 11:09:53 AM
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2019/03/05

​​〈私がつくる平和の文化〉第3回 女性と男性の平等
 インタビュー ジャーナリスト 治部れんげさん
 男女ともに生きやすい社会を

 3月8日は「国際女性デー」(国連が1975年の「国際婦人年」に当たり制定)です。「私がつくる平和の文化」第3回のテーマ「女性と男性の平等」で登場していただくのは、働く女性や育児、家族を巡る社会問題が専門のジャーナリスト、治部れんげさん。自身も2児の母であり、政府主催の「国際女性会議WAW!」国内アドバイザーとしても活躍する治部さんに、男女共に人権が尊重される社会について語ってもらいました。(構成=内山忠昭、歌橋智也)

 ――国連の「平和の文化に関する宣言」では、女性に対するあらゆる形態の差別と暴力をなくすための努力を訴えています。
  
 治部 「平和」とは、単に戦争がないということではない。一人一人の人権が尊重される社会のありようを訴えていることが重要ですね。私は、女性が暴力を受けない社会とは、男性にとっても「平和」な社会だと思います。
 ここ数年、アメリカから起こった「Me Too運動」は、セクハラや性暴力に対する告発ですが、もし部下の女性が大事な取引先の社長の娘だったら、上司はセクハラなどするでしょうか。しないはずです。そう考えると、結局、力関係や立場で人を従わせようとする「権力構造」が根底にあることが分かります。「弱い人間を見下す」という態度です。
 だから女性に対するセクハラが起こるような職場には、たいていパワハラも横行しています。男性も女性も、権力を持った上司から威圧的に扱われたり、体調が悪くても休めなかったりするのです。
 こうした「人を見下す」姿勢は、非常時になると増幅されます。紛争地域では、ふだん弱い立場にいる女性や子どもは、筆舌に尽くせぬ被害を受けることになります。
 過激派組織「イスラム国」による性暴力を国際社会に告発し、2018年のノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさんのように、戦時下で悲惨な暴力に遭っている女性や子どもが、今もたくさんいます。過去の戦争を調べていくと、そういうことをしていない軍隊はないと思います。
 非常時という点でいえば、日本では大きな災害が起こった時に、やはり弱い立場の女性や子どもが被害者になりやすい。現実に、ある調査では、避難所での子どもを含む女性への複数の性被害が報告されています。
 平時から人権意識を養っておかないと、非常時には無意識のうちに弱い人を傷つけてしまいます。
 こうしたハラスメント、暴力をなくすことが、男女共に生きやすい社会をつくることにつながると思います。
  
 ――「平和の文化に関する宣言」では、女性および男性の平等の権利と機会均等を呼び掛けていますが、世界的に見て日本の男女平等はどれくらいの位置にありますか。
  
 治部 男女格差の度合いを示す「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」(世界経済フォーラム)では、2018年には149カ国のうち110位。先進国では最下位です。女性の上場企業の役員比率を見ると、イギリスでは30%を超えていますが、日本は4%しかいません。政治の分野では、国会議員の少なさが際立っており(衆議院10.1%、参議院20.7%、2018年2月)、「日本は依然として相対的に、男女平等が進んでいない経済圏の一つ」と厳しく指摘されています。 
 最近は国際会議の場でも、政治・経済・軍事・外交・環境・人権などあらゆる分野を「ジェンダー(社会的性差)の視点」から検討するという、「ジェンダー主流化」が重要視されています。世界は、どんなことでも「ジェンダー平等」を考えて動かざるを得ない時代になっているのです。
 今の日本のように、大事な意思決定の場に女性が少なすぎたり、生活の場に男性が少なすぎる状況を解消し、多様な意見を反映した社会を築かなければ、日本は世界から取り残されてしまうでしょう。
 私たちの身近なことでいえば、例えば地域の自治会などは、高齢の男性社会になりがちです。女性も地域に貢献しているのに、大事な意思決定の場には入れてもらえない。男女平等が「文化=生き方」として根付いているかどうかは、地域の避難訓練などの時に、おじさんだけでなく、おばさんもちゃんと発言できているかどうかで分かります。
 男女の平等を女性だけで話し合っていても、何も変わりません。男性にも参加してもらい、率直に語り合うことがとても大切です。
  
 ――治部さんは、途上国の少女の自立を支援する活動もされていますね。
  
 治部 よく言われるのは、途上国で貧しい生活をしている母親に小口のお金を貸し付けると、母親はそれを子どもに投資するんです。すると、女の子も学校に行けるようになって、栄養・健康状態も良くなる。つまり、女の子や女性に対するエンパワーメントは、次の世代にまでいいリターンとなって返ってくることが、国際的な経済の文脈の中でも強調されているのです。

互いに感謝する
 ――女性も男性も幸福に生きられる社会のために、何から始めたらよいでしょうか。
  
 治部 「女性と男性の平等」を目指すとは、人権が尊重される社会をつくることにほかなりません。女性も男性も、「性別による役割分担」に縛られていると、自由がなく、生きづらい思いをするでしょう。
 私も経験がありますが、たいてい職場の上司は子育て中の女性社員には「早く帰った方がいいよ」と声を掛けますが、同じ立場の男性には、仕事をしていて当然とばかりに何の配慮もしません。結局、そのしわ寄せは、妻である女性が受けることになります。
 人口減少の時代を迎えて、日本の企業はもっと「人」を大切にしていくべきではないでしょうか。管理職も同僚も、想像力を働かせて、一人一人の状況をよく理解し、応援していくことが大事です。
 職場に限らず、地域でも家庭の中でも、“男性だから”“女性だから”ではなく、その人らしく活躍できるよう、意識を変え、仕組みを変える。そのことが生き方の選択肢を広げ、豊かさにつながっていくと思うのです。
 最後に家庭人として考えたいことがあります。私がアメリカの共働き家庭を取材した時、夫たちは家事について「ヘルプ(手伝う)」ではなく、「シェア(分かち合う)」という言葉を使っていました。そこには、家庭の責任を自分も担っているとの意識がありました。そういう思いがあれば、家事をしてもらった時、「ありがとう」の言葉が自然と出てくると思います。
 互いに、今あることを当たり前と思わず感謝する――そこから家庭の平和は始まり、職場や地域にも広がっていくのではないでしょうか。 ​​


 じぶ・れんげ

 経済誌記者を経てフリージャーナリスト。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。東京大学情報学環客員研究員。東京都男女平等参画審議会委員(第5期)。近著に『炎上しない企業情報発信』(日本経済新聞出版社)。

池田先生の指針から
 自分が今いる、その場所で、身近な現実を決して疎かにせず、縁する人々を大事にし、生命を大切にしていこうとする――こうした女性の知恵と力が伸びやかに反映される社会でこそ、地球的課題の打開も、世界の平和も、堅実に前進していくに違いない。
                           ◇ 
 大切なことは、女性も男性も、人間として「幸福になる」ということです。幸福になるのが「目的」であり、他は「手段」です。「こうあるべきだ」と決めつけ、それが、どんなに正論のように見えても、それを実行して不幸になったのでは何にもなりません。また女性が不幸のままで男性だけが幸福になれるわけもない。
 池田大作 
 (前半は『池田大作 名言100選』、後半は『法華経の智慧〈中〉』竜女成仏――大いなる「女性の人権宣言」から)

地域・家庭でも尊重し合って
 女性も男性も、役割を決め付けず、互いに支え合おう――そんな思いで活躍する2人の人を取材しました。
 福岡市に住む菊本久美子さんは5年前、地元の校区内の町内会で初の女性町内会長に選ばれた。
 保護司や民生委員、小学校での読み聞かせなどを通し、地域と積極的に関わってきた。「でも大事なことを決める時には男の人しかいない。女性もそれに疑問を感じていませんでした」
 就任当初、行事で町内会長が並んだ時、自分を珍しそうに見る目を感じた。またある会合で意見を述べた時は、「9人の男性町内会長を前に堂々としているんだから、この人は女じゃない」と心ない言葉も浴びた。
 だが菊本さんが、災害弱者の把握や河川敷の歩道の舗装など町内の課題に真摯に取り組む姿に、周囲の見方は変わった。「いいじゃないか」「頑張ってね」
 昨年には同じ校区内に2人目の女性町内会長が誕生。「女性がいるのは普通だよね、という雰囲気が出てきました。男性が慣れてきたのかもしれません」
 男性、女性という前に「人として」「命を守る」という視点を持って行動する――そこから、平和な社会が築かれていくと、菊本さんは確信する。
                         ◇ 
 大阪市在住の川﨑敏行さんは5歳の長男と3歳の長女の父。妻・真利さんが長男出産後、育児ストレスを抱え込んだ。
 川﨑さんは“育児は女性の仕事”と決め付けていたことを反省。その気持ちを感謝の言葉と花束に込めて毎月、贈った。「ママもパパも笑顔の家庭が、子どもには一番です」
 “初心者マーク”の川﨑さんが子どもをおぶって外出すると、新しい世界が開けた。スーパーでは、食品や育児グッズの値段に目が行き、相場が分かるようになった。一緒に電車に乗れば、ぐずり始めた時の肩身の狭さや、おむつ替えベッドを探すのがいかに大変かを思い知った。
 その気づきから、同じ子育て中の地域のパパたちと、何でも語り合う「イクダン会」を結成した。その存在はママたちにも喜ばれ、地域の絆が広がった。
 さらに思い切って、職場の子連れ出勤制度を利用し始めた。すると、今まで遠慮していた同僚たちも続くようになり、職場の意識も変わっていった。
 川﨑さんは語る。
 「人間として、目の前の相手や周囲への思いやりこそ、幸福への一歩です」


(2019年3月5日 聖教新聞)







Last updated  2019/12/20 11:15:44 AM
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