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随筆 民衆凱歌の大行進

2015/12/20
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随筆  民衆凱歌の大行進 

27 御書根本の勝利道を


生命尊厳の大哲学を学び抜け!
尊極なる「心の財」を わが胸中に

 この度の記録的な豪雨で被災された茨城、栃木、宮城、また埼玉、福島など各地の皆様方に、心からお見舞い申し上げます。
皆様のご健康と、一日も早い復興を祈ります。

 日蓮大聖人は「わざは(禍)ひも転(てん)じて幸(さいわ)となるべし」(御書1124ページ、「経王殿御返事」)と仰せになられました。
甚大なる被害にご苦労は絶えないでしょうが、妙法の「変毒為薬(へんどくいやく)」の功力は絶対です。どうか、断固と乗り越えてくださるよう、私も題目を送り続けてまいります。


  御書には「妙とは蘇生(そうせい)の義なり」(947ページ、「法華経題目抄」)と説かれる。
 
戦後の大混乱の中で、昭和22年(1947年)の8月に仏法に巡り合った19歳の私も、初信の功徳として、この蘇生の力を深く実感した。

 当時、私は肺病ゆえ、しばらく前から、仕事を辞めて休まざるを得なかった。しかし、入信した翌9月から、地元の蒲田工業会に採用され、再び働き始めることができたのである。まだ血痰(けったん)が出たが、東洋商業(現・東洋高校)の夜間部へも通い、学んだ。


 そんな折、私は、戸田先生が法華経の講義をされていることを知った。先生が戦時中、軍国主義と戦って投獄されたことを入信前に聞いて敬慕(けいぼ)の念を強くしていた私は、もっと先生のことを知りたい、仏法を教えていただきたいと熱願した。
先輩に相談すると、入信したばかりで、 まだ正式の受講者にはなれないが、聴講はさせていただけるという。
 私は、一人決意して、西神田の学会本部に馳(は)せ参じたのである。戸田先生の法華経講義は、第5期に入っていたようだ。
会場の一隅で、全身を耳にして聴いた法華経講義が終わり、感動の余韻(よいん)さめやらぬ時で あった。
 戦前、幹部であったという夫妻が、戸田先生の前に正座したのである。居残っていた10人ほどの人は、粛然(しゅくぜん)と、水を打ったように静かになった。

 夫は、戦時中の学会弾圧で投獄され、耐(た)えきれずに退転してしまった。妻は、夫が信念に殉(じゅん)ずるより、ただ早く帰ってきてほしいと哀願(ひがん)した。

 二人は、戸田先生に、懺悔(ざんげ)の思いを吐露(とろ)するとともに、新しい決心で広宣流布のために働く覚悟(かくご)を語ったのである。

 だが、戸田先生の言葉は誠に峻厳(しゅんげん)であった。
「信仰は自由である。しかし、今後も学会には、さらに激しい弾圧の嵐がある。その時にまた、臆病(おくびょう)に退転するようなら、学会の邪魔(じゃま)になる」と。
その厳父(げんぷ)の声は、若き私の命に突き刺さった。
 信仰とは、かくも強く深いものなのか! 

 師弟とは、かくも正しく厳しいものなのか!

 この夫妻も、師の叱咤(しった)を抱きしめ、学会と共に信心を貫いていった。


 戸田先生は、「難を乗り越える信心」を、学会永遠の魂として私たちに残してくださった。
いかなる大難にも障魔(しょうま)の嵐にも揺(ゆ)るがぬ勇気こそ、信仰の真髄(しんずい)である。

 そして、そのために、先生は、 “剣豪の修行” にも譬(たと)えられる、厳格な「行学の二道」の鍛錬を、学会精神の根幹とされたのである。


 その後、戸田先生の事業が窮地(きゅうち)に陥(おちい)る中、師を支え、私は必死に戦い抜いた。それは御書を心肝(しんかん)に染めての闘争だった。
 特に「観心本尊抄」は同志と共に取り組んだ。

 日蓮大聖人が佐渡流罪の真っ直中で、万人成仏の原理を「受持即観心(じゅじそくかんじん)」として明かし、法本尊を開顕(かいけん)された重書中の重書である。


 この折の日記には、「夜、 『観心本尊抄』 の読み合わせ。いかに、事業難とはいえ、信心と教学だけは、忘れてはならぬ」との真情を記した。

 一日、戦い切って、深夜、体を引きずるように帰宅し、御書を開いた。声に出して拝読し、感銘した御文を日記に書き写すと、確信が湧き、一段と祈りに力がこもった。不屈の闘志があふれた。

 今でも、恩師の厳愛の声が耳朶(じだ)に響いてくる。
「疲れた時にこそ、御書を拝読していけ!

 たとえ一行でも、二行でもよい。御書を拝して、自らの境涯を、もう一歩、開くのだ」

広布の戦いの中で御本仏の大境涯に触れれば、わが境涯も開かれる。大空のように広く、大海のように深い、師子王の心を取り出していくことができるのである。


 今月27日には「青年部教学試験1級」が、11月には「教学部任用試験」が実施される。

 受験者の方々全員が「求道即勝利たれ」「人生凱歌の博士たれ」と、私は真剣に祈っている。
 共に学び教える先輩方をはじめ、陰で支えてくださる皆様方に、心から感謝を申し上げたい。「冥(みょう)の照覧(しょうらん)」「陰徳陽報(いんとくようほう)」は絶対である。


「観心本尊抄」といえば、東北は宮城の青年と学び合った思い出がある(昭和47年7月)。

「観心」とは、結論すれば「信心」である。

 強盛な信心によって、鏡に映すように自分の生命を知り、胸中の宮殿を開くことができる。

 そして御本尊を「法華弘通のはたじるし」(御書1243ページ、「日女御前御返事」)として、我らは、自他共の幸福と平和を、どこまでも広げゆくのだ。これが広宣流布である。


 私は「広宣流布の総仕上げを!」と託した東北の若人たちに、「最後の総仕上げができるのは、地道に一つのことを繰り返した人です」とも訴えた。

 青年時代に、「行学」に徹した人は強い。負けない。揺るがない。

 御本尊を信受した若人は、必ず社会で地域で、朗らかに勝利の太陽を昇らせていけるのだ。


 今回、教学部任用試験の教材の一つになっている「阿仏房御書」には、こう仰せである。
「末法に入(い)って法華経を持(たも)つ男女(なんにょ)の・すがたより外(ほか)には宝塔(ほうとう)なきなり」(御書1304ページ)

 仏界の生命は、あらゆる人に平等に具(そな)わっている。妙法を持った誰もが尊極(そんごく)の宝塔(ほうとう)なのだ。

 宝塔の生命を輝かせることに、人種も、出自も、民族も、性別も、貧富も、何一つ妨げにはならない。そして 一人ひとりが生命の輝きを放つことで、いわば “宝塔の林立” によって、社会も、世界も、人間主義の大光で包んでいくことができるのである。

今、SGI(創価学会インタナショナル)では、世界の各地で教学研修会が開催されている。

 ある一人のリーダーは、研修に臨んで、自らの父の体験を語った。

 ――十分な教育機会を得られず、字を書くのが苦手だった父が、教学試験を機に発心し、猛勉強を開始した。 実践の教学を重ね、遂に「教授」になった。字も達筆と讃えられるまでになった。

 地位や肩書など問わず、万人に「学びの場」を開き、正義と平和の「教授」を育て上げるのが、SGIの教学運動である、と――。 


 今夏も、アジア、南北アメリカなど各地で研修会が行われた。イタリア・ミラノ郊外での欧州教学研修会には、31カ国500人が勇んで参加。その6割が青年部である。
 さらに今月、世界60カ国・地域から、SGI青年研修会のために、代表の若人たちが熱き求道の魂で集ってくれた。
 今回は、世界の “華陽姉妹” が、「行学の二道」に励んでつかんだ実証を語り合う体験談大会も、明るく意義深く行われた。


 私は、世界広布のバトンを託すべき、宝の青年たちにお会いし、励まさずにはいられなかった。
 本門の新時代を開き、人類の未来に「勇気」と「人材」と「団結」の光を送るのは、生命尊厳の大哲学を掲げる、若き創価の世界市民である。


 この世における「最上の富」とは何か。
釈尊の答えは明快(めいかい)だ。
「信仰が人間の最上の富である」「智慧によって生きるのが最高の生活である」と。
内なる「最上の富」を、自他共に輝かせゆくために仏法がある。

 大聖人が教えられた通り、「蔵の財(たから)」も「身の財」も大事ではあるが、それが即、幸福を約束してくれるものではない。しかし、「心の財」――心に積んだ福徳は、何ものにも崩されない。断じて壊されない。


 生老病死の苦悩を打開(だかい)する智慧(ちえ)も、常楽我浄(じょうらくがじょう)の人生を開く勇気も、わが生命に具(そな)わっている。その内なる宝蔵を開け放つ修行が「行学の二道」であることを、あらためて確認しておきたい。
「自行化他の実践」と「御書根本」――この両輪で広布と人生の勝利の正道を進むのである。


 さあ御書を繙(ひもと)き、世界最高峰の大思想を学び抜け! その確信と喜びを語れ! 人類が希求してやまない「平和の地球」を、誇りも高く、共に創りゆこうではないか!


 師弟して
  御書のまま生き
   黄金(きん)の道



釈尊の言葉は中村元訳 『ブッダのことば』 岩波書店。

( 2015年9月16日付 聖教新聞)







Last updated  2016/01/03 02:53:51 PM
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随筆 民衆凱歌の大行進  

26   合言葉は「前進!」


民衆が創る小さな平和の集いの座談会!

小さくても大きな希望と幸福が光る座談会!

 この8月24日、全世界の宝友が、広宣流布の拡大の息吹で、私の入信の日を祝賀してくださり、感謝に堪えない。

 皆様から「68周年」と祝って頂いたので、「まるで68歳の誕生日のようだね」と言うと、妻は「その気持ちが若いですね」と微笑んだ。

 確かに、わが胸には、戸田城聖先生の弟子として第一歩を踏み出した、あの19歳の夏の初心が今も明々と燃えている。


 当時、私の座右の一書はゲーテであった。

 彼は1749年の8月28日の生まれ。今の時節、あらためて文豪の言葉が蘇(よみがえ)ってくる。
「われらはたゆまず活動を続けよう」――ゲーテが親しい友人に書き送った一言である。
その 活力は、年齢を重ねても変わらなかった。

 若き弟子エッカーマンは晩年のゲーテについて「つねに前へ、前へと進もうとする。たえず学びに学んでいる」と綴(つづ)った。愛弟子の眼に映る師匠は「永遠にいつも変らぬ青春の人」であった。

「不老不死の妙法」と生き抜く私たちもまた、「生涯青春」「永遠青春」の生命で前進する。そのための最強のエンジンが勤行・唱題である。

 朝な夕な、久遠元初(くおんがんじょ)の生命の太陽を胸中に輝かせながら、一日また一日を勝利していくのだ。
「祈りは心の希望を新鮮にする」。これも、ゲーテの深い言葉である。


 新しき

     生命(いのち)
  燃やして

        地涌の舞


  今、日本全国の同志が新しい布陣を整え、はつらつと出発している。

 新しい決意があるところ、新しい挑戦がある。あの地この地に、新しい地涌の友が登場し、新しい勇気と歓喜の波動が広がっていることが、何よりも嬉しい。

「世界広布新時代 躍進の年」も、いよいよ後半戦に入り、楽しく賑(にぎ)やかな「座談会」から、勢いよくスタートを切っている。
戸田先生も戦後、学会再建の歩みを、座談会を軸に始められた。

 私の入信も、座談会への参加からである。
20人ほどが集う会場には、青年も、婦人も、壮年もいた。老若男女が、こうして一堂に会している姿自体が、私には驚きだった。

 戸田先生は「立正安国論」の講義をされていた。
初めて耳にする仏法用語は難解であった。しかし、敗戦後の混迷を極めた社会にあって、苦悩の民衆を救い、平和の楽土を築かんとする大情熱は、新来の私にも烈々と伝わってきた。

 その場には真剣に学ぶ熱気があった。それでいて、権威的で形式ばった堅苦(かたくる)しさは一切ない。闊達(かったつ)で、誠実で、率直で、和気あいあいとして温かかった。今も変わらぬ「創価の座談会」そのものである。


 あの懐かしき8月の座談会から、道を求める無名の一青年が偉大な師に出会い、「正しき人生」を歩み出すことができた。座談会によって、わが青春の「新生」の大回転も始まったのだ。

大いに友情を広げ、皆が元気に集い、わが地域の座談会から、広宣流布という真の平和建設へ、仲良く朗らかに新たな人材の金波を起こしたい。


 思えば、日蓮大聖人は、法華経の行者として大闘争を開始された建長5年(1253年)4月28日の「立宗の日」を、忍難弘通の全生涯にわたって、不滅の原点となされていた。


 弘安3年(1280年)にお認(したた)めの「諫暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)」には、こう記されている。
「今日蓮は去(い)ぬる建長五年癸丑(みずのとうし)四月二十八日より今年 弘安三年太歳(たいさい)庚辰(かのえたつ)十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり」(御書585ページ)

 大法戦の起点の日――この日から、ただ一心に妙法流布のために走り続けてきたと仰せである。

「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ」(同200ページ、「開目抄」)と誓言された通り、あらゆる大難を不退転で乗り越えてこられたのである。

 この大聖人に直結し、死身弘法の信心を貫かれた戸田先生の分身として、私自身、来る夏、来る夏、8月24日を刻むたびに、勝利した姿で、恩師に報告するのだと決意してきた。


 昭和30年(1955年)、あの北海道の「札幌・夏の陣」で、日本一の弘教を成し遂げて、晴れ晴れと戸田先生を大会にお迎えしたのも、8月24日であった。
 一つの目標の達成は、新たな挑戦の始まりだ。
まだまだ戦う! まだまだ前進する! この心意気で、次の出発をする。
  これが本因妙の精神であるからだ。

◇

 先駆の天地・九州で、8月24日を迎えた年もあった。
  昭和51年(1976年)のその日は、第1回の「壮年部の日」。

 私は、鹿児島で、わが戦友たちと共に、苦難にも断じて負けず、永遠に「初心忘るべからず」の気概で邁進(まいしん)する意義を、この日に留めた。


 今年の夏、九州・沖縄などでは、台風による甚大な被害が出た。さらに鹿児島では、噴火活動で全島避難中の口永良部島(くちのえらぶじま)や、警戒中の桜島など、大変なご苦労もある。被災地域の方々に、心からお見舞い申し上げたい。

 入信から31星霜となる、昭和53年(1978年)の8月24日は、勇んで集われる同志を迎え、信越は長野の松本で、3度、勤行会を行った。あの第1次宗門事件の攻防が続く烈風の渦中である。

 私は “一年一年、よくぞ生き抜いてきた” との入信以来の感慨を語り、「妙法は、一個の人間生命を根底から蘇生させゆく絶対の法則である」と、一切の大難を勝ち越える確信を申し上げた。

 翌年の夏、私は一軒また一軒と、功労者の家を訪ねながら、共戦の誓いを分かち合い、同志の絆を強める戦いを起こしていった。もう一度、師弟の魂を燃え上がらせて、学会の発迹顕本を成し遂げ、21世紀の夜明けを開く決心であった。


 長野研修道場の地元には、「八風山」と呼ばれる山がある。
 30年前、麓(ふもと)の一本道を車で走った折、私はこの地で活躍される同志の奮闘を伺い、御書にちなんで “賢人の地区” との愛称をお贈りした。
その地区の皆様方が、今年も素晴らしい聖教新聞の拡大をはじめ、勝利と功徳の実証の報告を届けてくれた。

「賢人は八風と申して八(やつ)のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)なり」(同1151ページ、「四条金吾殿御返事」)


 この御聖訓のまま、いかなる毀誉褒貶(きよほうへん)の烈風にも微動だにせず、苦楽を分かち、大法弘通に邁進しゆく賢人のスクラムが、いずこにも完璧に築かれている。
25年前、そして21年前に、8月24日を共に過ごした、わが東北の不撓(ふとう)不屈の賢人たちの大城も盤石である。


 今年は、8月24日の意義を込めて、恩師の故郷・北陸で、全国男子部幹部会が意気軒昂(けんこう)に開催された。見事な日本一の弘教を飾った石川・富山の創価家族の行進に、私は大喝采を送りたい。

 8月24日のその日、アメリカの男女青年部からも、目標を突破して、堂々たる人材の陣列拡大を成し遂げた大歓喜の一報が届いた。
  世界中に、優秀な弟子をもって、これ以上の喜びはない。一人ひとりの地涌の友と、心の握手を交
わし、一閻浮提広布(いちえんぶだいこうふ)の未来を託したいのだ。


 かの民衆詩人ホイットマンは高らかに謳(うた)った。

「ぼくらひとりびとりが地球の永遠の目的を分け与えられ、ぼくらひとりびとりが地上にあるどんなものにも劣らず神聖なものとしてこの地上にある」と。
一人の生命を、まさしく、かけがえのない最極の生命と輝かせていく哲理こそが、妙法である。
この妙法を、一人でも多くの世界の若人に語り伝えていきたい。


 戸田先生は、 “全人類の境涯を最高の価値にまで高めたい” と願われ、慈折(じしゃく)広布という壮大なるロマンに生き抜く喜びを教えてくださった。

 私たちは自身の人生の勝利と、世界の平和のために、尊い金の汗を流していこう! 友情と同志の連帯の輪を広げ、自他共の「人間革命」の波動を広げていくのだ!


合言葉は「前進!」。


 限りなく

    心の財(たから)を

   創りゆけ

  今日も勇戦

  今日も前進



 ゲーテの言葉はハイネマン著 『ゲーテ伝』 大野俊一訳、エッカーマン著 『ゲーテとの対話』 山下肇訳、『ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代』 関泰祐訳(以上、岩波書店)、ホイットマンは 『草の葉』 杉木喬・鍋島能弘・酒本雅之訳(岩波書店)。


(2015年8月28日付 聖教新聞)







Last updated  2016/01/03 02:48:15 PM
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2015/12/13
随筆 民衆凱歌の大行進 

25  希望の大道を共に


 人類の明日開く未来部の成長
学び鍛えよ! 宝の鳳雛と躍進の夏黄金の


  尊き汗の

    夏ありて

  創価の人材

    いやまし光らむ


 私が戸田城聖先生の弟子となって第一歩を踏み出したのは、19歳の8月である。それは厳しい暑さの一日であった。
 その夏より、同志と共に、広宣流布を目指し、仏道修行の汗を流しゆく青春が始まった。
「求道の夏」「錬磨の夏」は、学会の伝統だ。
 仏法のための汗には、いささかの無駄もない。全てが自他共の成長の糧(かて)となり、滋養(じよう)となる。

 先日も、東北の友から嬉しい報告があった。
 33 年前の夏、4,000人の未来部員が出演した仙台市での「宮城平和希望祭」を原点として、社会の各界で大活躍しているリーダーたちの多彩な近況であった。一緒に汗だくになって歴史を刻(きざ)んだあの若き友たちが、大震災からの復興の柱となり、希望の泉となって奮闘してくれているのだ。

 未来本部長制が新たにスタートして1年――。
 この夏も、全国各地で、担当者のこまやかな励ましと創意工夫によって、未来部のメンバーが楽しく集い、伸び伸びと信心を学び合っている。
 後継を育てゆかんとする先輩方の大情熱の汗があればこそ、創価の人材の大河は尽きないのだ。

現在、中国と日本の万代の友好を織り成しゆく舞劇「朱鷺(とき)」が、大きな反響を呼んでいる。

 中国人民対外友好協会、上海文化発展基金会、上海歌舞団の皆様方が、構想から4年をかけて民音と共に制作してくださった力作である。

 上海歌舞団の方々は、陳飛華(ちんひか)団長の「時が経てば名作しか残らない。ゆえに芸術は 常に一流を目指すのだ」との励ましのもと、1回1回の公演に、全身全霊で臨(のぞ)まれている。全ての関係者に心から感謝申し上げたい。
 この舞台には、美しく豊かな自然と生命を、子どもたちのために守り育てたいとの願いが込められている。

 私も若き日、幼い子らと触れ合う中で、胸に湧き上がる生命への畏敬(いけい)の思いを日記に記した。
「可愛い子等は、人生のオアシスだ。
尊い、幼少の子供等を、万人が、お互いに大事にしてゆけば、自然に、戦争回避(せんそうかいひ)の一大思想になると思う」と。

 子どもたちのために、未来のために――この人類の最も普遍的(ふへんてき)な熱願をもって、様々な差異や国を超えて行動し、地球環境と世界の平和を守る連帯を結ぶことこそ、私たち大人の責務である。


 ある高等部員の体験を伺った。――彼は、いじめを受けて、人前に出ることが苦手になってしまった。だが、昨年、多くの先輩の励ましを受けて、「全国未来部夏季研修会」に参加した。同世代のメンバーと交流する中、 “僕も夢をもって進もう” と、心から決意する。友だちの輪も豊かに広がったという。

 以来、一段と唱題に挑戦し、座談会では司会を務めるなど、自身の新たな扉を開き続けている。そして “世界で活躍する人材に” と、創価大学を目指して、勉学に励む。

 若き命の躍進は、地域に希望の波動を起こす。

 青春時代は悩みの連続でもある。その中で苦難に負けず、逞(たくま)しく乗り越えていく姿、使命に燃え立っていく若者の姿ほど清々(すがすが)しいものはない。

 そうした蘇生(そせい)の劇の陰には、父母(ちちはは)と共に、未来部担当の皆様方の尊き祈りがある。後継の宝を「わが子」「わが弟」「わが妹」と慈(いつく)しみ、自分以上の人材にと激励を重ねてくださっているのだ。

 こちらが成長を願い、「聴く姿勢」を貫けば、その思いは必ず届く。社会の人間関係が希薄(きはく)になっている時代だからこそ、子どもたちにとって信じられる存在として、何があっても関わり続けていくことだ。


 今、私は、「少年少女きぼう新聞」に、「希望の虹 世界の偉人を語る」と題して、第1回の「喜劇王チャップリン」(昨年4月号)から、ナイチンゲール、福沢諭吉、ガンジーなどの “偉人伝” の連載を重ねている。最新号(8月号)は、大科学者アインシュタイン博士である。


 毎回、楽しく綴(つづ)っていく中で、あらためて思い至ったことがある。

 それは、どんな偉人たちも、かつては「子ども」だった、という事実だ。
それぞれの「子ども時代」――勉強ぎらいだった人、たくさん失敗した人、いじめられっ子だった人もいる。
どこにでもいる普通の少年少女が、自分自身の可能性を開き、使命の翼を広げていったのだ。

 その偉大な「成長」の原動力は何であったか。

 それは、決して特別なことではなかった。

 努力であり、勇気であった。希望であり、誓いであった。忍耐であり、誠実であった。


 だからこそ、私たちは、若き生命に植わった可能性の「種」が芽生え、強く逞しく、伸びていくよう大事に育てていきたい。
「きぼう新聞」の連載で紹介した 『昆虫記』 の作者ファーブルは言った。
「忍耐と不断の努力をつづけて、ためしてみることだ。そうすれば、なに一つとして手に負えないなんてものはなくなる」


 何であれ、新たな歴史を創ることは、勇気と努力と忍耐の連続だ。1回や2回の失敗で挫(くじ)けてなどいられようか。
ましてや、我らの挑む広宣流布の戦いは、この地球上に共に生きる全ての人びとを幸福にしていこうという、大いなる夢への挑戦である。
なれば、大空を見上げながら、心広々と朗らかに、粘り強く進むのだ。
 何でもいい。この夏、一つでも「頑張った」「壁を破った」「できるようになった」という思い出を刻んでもらいたい。

 その一つ一つが、21世紀の栄光と勝利の山を登りゆく力となり、自信となるからだ。

 そのためにも、身近な励ましや自分を信じてくれる人の存在、善き出会いがどれほど大切か。
やはり「きぼう新聞」で紹介したヘレン・ケラーは、恩師サリバン先生に深い感謝を捧げた。


「ほんとうに私の才能は先生の力強い友情によって啓発せられていったのであります」

 若き生命を慈しみ、力強く決意や勇気を促すエールが、希望の扉を開け放っていくのだ。

 各部一体で取り組む「創価ファミリー大会」、昨年に続く開催となる「全国未来部夏季研修会」、そして各種コンクールへのチャレンジを通して、大成長の夏となるよう、祈ってやまない。
 さらに、未来部として新しい試みとなる英会話コンテスト「E―1グランプリ」に臨んで、友と切磋琢磨(せっさたくま)する中・高等部員の姿も頼もしい。


 日蓮大聖人は、16歳の南条時光へのお手紙に、こう仰せである。
「大事の事どもかきて候、よくよく人によませて・きこしめせ、人もそし(誹)り候へ・ものともおもはぬ法師等なり」(御書1510ページ)
 
 この9年前、時光の父・兵衛七郎(ひょうえのしちろう)は死去した。大聖人は墓参された際、まだ7歳の時光に会われている。その少年が、今や父母の信心を立派に受け継ぎ、立派な若武者に成長したのである。

 大聖人は、父親のような慈愛を注いで、若き時光に「大事の事」を教えられた。
 
そして、「人は謗るだろうが、我ら日蓮一門は、それらを、ものとも思わないで戦ってきた」と、何ものをも恐れぬ「師子王の心」を厳然と伝えておられるのだ。
大聖人の御期待に、時光は見事にお応えした。
 後年、熱原の法難の際にも、師子奮迅(ししふんじん)の力で戦い抜いたことは、歴史に燦然(さんぜん)と輝いている。

 私も、未来部の友は、大人以上に純粋に、「正義」と「真実」を見抜く鋭い眼を持っていると思っている。
 だからこそ、平和建設と民衆の幸福のために戦う創価の師弟の魂である「学会精神」を、真剣に打ち込んできた。未来部の皆が「法華経の命を継ぐ人」との思いで誠実に接してきた。

 2030年、学会創立100周年の時には、現在の未来部員は皆、20代、30代となる。
 まさに学会の先頭に立って、世界広宣流布の大理想を実現してくれる世代である。この未来部のスクラムこそが、人類の希望の明日(あす)を開くのだ。
  世界広布新時代とは、「未来部新時代」に他ならない。新たな未来部を創ることこそが、新たな未来の創価学会を創造することであるからだ。

 さあ、宝の鳳雛(ほうすう)たちと共に、健(すこ)やかに求道と前進の汗を流そう! 未来へ使命の翼を広げよう!
「希望の大道」を、躍進の未来部と共に!――これが我らの合言葉だ。


  この夏も

  学べ 鍛えよ

   わが翼

  鳳雛 舞いゆけ

     天空高く


ファーブルの言葉は 『ファーブルの生涯』 ルグロ著/平野威馬雄訳(筑摩書房)、ヘレン・ケラーは 『わたしの生涯』 岩橋武夫訳(角川書店)。

         (2015年7月28日付 聖教新聞)






Last updated  2016/01/03 02:42:10 PM
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2015/12/05
随筆 民衆凱歌の大行進

29 希望輝く創価の人材城

人間の勝利のため 幸福のため
SGI永遠に「対話の大道」を歩む
使命の一日一日が100周年を開く偉業

 「人を作れ、人を作れよ」──これは、私の若き日の座右の一書『レ・ミゼラブル』の一節である。教育をはじめとする光明で、社会の悲惨(ひさん)の暗黒(あんこく)を打ち払い、人類の前身を成し遂げんとする祈りが込められている。
 ビクトル・ユゴーの時代も、また牧口、戸田両先生が『創価教育学体系』を発刊した世界大恐慌の渦中(かちゅう)も、さらに現今の揺れ動く世界にあっても、社会変革の最大の焦点は「人」にこそある。
 人間を、偉大な人間を育てるしかない。人間が自らの生命を光輝あらしめていくしかない。
 何のために、創価学会は生まれたのか。それは人間のためだ。自他共の「人間革命」のためだ。
 法華経に説かれる地涌の菩薩を呼び出し、この娑婆世界で、民衆の幸福と平和のために戦う人材群を築き上げるのだ。
 「創立」の誓いより85周年──。
 わが創価学会は、事実として世界中に地涌の菩薩を湧現(ゆげん)している。壮大な人間教育の大地となり、滔々(とうとう)たるた人材育成の大河となって、人類社会を潤(うるわ)していく新時代が始まっているのだ。

広布の闘士たれ
 日蓮大聖人の立宗宣言あって700年──恩師・戸田先生には絶対の大確信があられた。
 「創価学会のごとき団体の出現が、過去700年間に、いったい、どこに、どの時代に、あったでありましょうか」
 日蓮仏法を、現代に生き生きと蘇(よみがえ)らせ、広宣流布の大闘争を開始されたのが、牧口先生であり、戸田先生である。
 学会の出現なくして、大聖人の未来記の実現はなかった。
 そして恩師は、私たち門下に100年、200年先、「あれみよ、あの人々は、広宣流布のために働いた人々である。広宣流布の闘士であったよ」と世の人に謳(うた)われ、大聖人の御賞讃を受ける人生であれ、と望まれた。

 私には、この通りの人生を歩み抜かれた、尊き「広宣流布の闘士」たちが、一人ひとり偲(しの)ばれてならない。
 大聖人は、「一切の諸仏・霊山浄土(りょうぜんじょうど)に集まらせ給いて・或(あるい)は手にすえ・或は頂(いただき)をなで・或はいだき・或は悦(よろこ)び・月の始めて出でたるが如く・花の始めてさけるが如く・いかに愛(あい)しまいらさ給うらん」(御書1570ページ)とお約束である。

 この仰せさながらに、創価の功労の宝友たちが、皆、三世にわたる「常楽我浄(じょうらくがじょう)」の生命の軌道(きどう)を進まれていることは絶対に間違いない。
 仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の学会と共に生き抜く人には、限りない幸福と充実と満足の人生が永遠に開かれていくのだ。

人道の連帯広げ
 今回の本部幹部会、またSGI (創価学会インタナシヨナル)総会には、60カ国・地域から260人の尊き広宣の指導者たちがはるばる集ってくださった。
 欧州のメンバーもおられた。過日の同時テロの悲劇と犠牲に対し、深く哀悼(あいとう)の意を表したい。とともに、暴力と憎悪(ぞうあく)の連鎖(れんさ)をを止めるため、我らは一段と粘り強く、平和と人道の民衆の連帯を広げゆくことを誓い合いたい。
 また、5年前の大地震より必死に復興を遂げてきた中米ハイチからも、婦人部のリーダーが駆かけつけてこられた。
 仏教発祥の地で躍進するするインドの友も、そして、釈尊生誕の国ネパールの代表も参加された。
 本年4月のネパールの大震災に対し、あらためてお見舞い申し上げるとともに、地域と社会の信頼の柱として奮闘する同志をを心から労いたい。

 思えば、ネパールを私が初訪問したのは、1995年(平成7年) の10月末から11月にかけてであった。今年で、20年の節を刻んだ。
 首都カトマンズ市内で行われたネパールSGIの総会で、私たちは約しあった。──「皆、兄弟姉妹として、どこまでも仲良く進もう。一人ひとりが良き市民、良き国民として「輝く存在」になつていこう、と。
 今、まさしく“輝く人材”が林立する大発展を築いてくださった。
 世界中で、わが創価家族は麗しき異体同心の陣列で前進している。

SGI憲章20年
 ネパールなどアジア歴訪から名古屋に帰国し、私は中部、関西の友と創立の月を祝賀した。
 大阪で行った本部幹部会、関西総会の席上、正式に発表されたのが「SGI憲章」である。 
 前文では、仏法の人間主義に基づく「世界市民の理念」「寛容の精神」「人権の尊重」を掲げ、人類社会に貢献(こうけん)することを謳(うた)い上げた。
 その大目的の実現のために、我らが用いるものは何か──。それは、「非暴力と対話」にほかならない。
 「憲章」には「SGIは人間の交流を基調として、日蓮大聖人の仏法の理解を広げ、各人の幸福の達成に寄与していく」との項目がある。
 SGIは、どこまでも、一対一の対話を基本にした「人間の交流」を通して、幸福と平和の光を広げていくのである。
 このほど、制定された「創価学会『勤行要典』の御祈念文も、「世界広宣流大願成就」と掲げ、「世界の平和と一切衆生の幸福のために」と結ばれている。
 仏法源流たる初転法輪(最初の説法)の後、弟子たちに呼びかけた。「いざ遊行(伝道) せよ。多くの人々の利益と幸福のために」(相応部経典) と。

 法華経の方便品には、「仏世尊は、饒益(にょうやく)する所多く、衆生を安楽ならしめたまう」(創価学会版法華経123ページ)とあり、衆生に利益を与え、安楽にさせることが仏の目的であると説かれる。

 立正安国を願われた大聖人は、「今日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり」(御書720ページ)、すなわち妙法の力で、尽未来際(じんみらいさい)へ、全民衆を救いきっていくと、御断言である。
 この仏法の正当の流れに則って、SGIの理念と実践はある。

一人と向き合う
 先師・牧口先生に折伏された教育者が40年後、手記を残している。
 若き日、牧口先生の自宅を訪れた彼に、先生はあらゆる角度から切々と仏法を語られた。
 「心の問題、それは宗教だよ」「畳の上の水練ではだめ。実行だ! 修行だ! 世界最高の宗教なるがゆえに、絶対にわかる。この最高宗教を、命がけで修行する、その努力と勇気があればね」
 さらに先生は、「老人にはなったが、私も実践はしている。若者は実行と決意、やれば必ずできる」と励まされた。大情熱と真心に触れ、青年は実践を決意したのである。
 入信の日、青年は道に迷い、約束に30分も遅れてしまった。しかし、牧口先生は「さあさあ」と、優しく案内された。その慈眼には涙が光っていたと無量の感謝とともに述懐(じゅっかい)している。
 これが、我らの「創立の父」であり、「殉教の師」であられる。眼前の一人を、徹して大切にされる先師であった。

 大聖人は、「日蓮は、この法門を語ってきたので、他の人と比べものにならないほど、多くの人に会ってきた」(同1418ページ、通解)と仰せになられた。
 人と会う、人と語る。一人また一人と対話し、妙法の種を蒔(ま)き、仏縁を結んでいく。ここに仏法実践の要諦(よてい)があり、三代の師弟で切り開いてきた人間主義の光道がある。
 SGIは、永遠にこの「対話の大道」を歩み抜ていくのである。

信心の底力を!
 女性の門下かへ贈られた御抄に、「よき師と・よき檀那(だんな)と・よき法と此の三(みつ)寄り合いて祈を成就(じょうじゅ)し国土の大難をも払うべき者なり」(同550ページ)と仰せである。
 牧口先生も、戸田先生も、それぞれの御書に線を引かれて、大切にされていた御金言である。
 創価の師弟は、大聖人に直結し、題目の音声(おんじょう)を地球上に轟(とどろ)かせながら、人類に襲いかかる、いかなる試練(しれん)にも挑(いど)み、世界広宣流布の大願成就へ邁進(まいしん)するのだ。
 今、地涌の菩薩が活躍する天地、ロシアの大文豪トルストイは、「われわれにはこの世で果たしうる特別な偉業などというものはない。われわれの全生涯が偉業でなけれはならない」と言った。
 本来、生命そのもの、人生そのものが何よりも尊(とうと)い。この尊き生命の本源力を取り出(いだ)して、地道に、誠実に、懸命に生き抜く、わが同志の健闘そのものが、偉業なのだ。日々、たゆまず唱題し、仏法対話に励む一日一日が、人類史に輝く偉業なのである。

 私たちは、自身の人生の一日また一日を、勝ら飾りながら、後継の青年たち、宝の未来っ子たちへ、しっかりと広宣流布のバトンをつないでいきたい。
 今日よりは90周年、さらに100周年へ 、勇気と誠心誠意の対話、友情と励ましの対話で、いやまして民衆の凱歌の光を広げていこうではないか!
 その常勝の原動力こそ「信心」である。

 一家和楽の信心。
 幸福をつかむ信心。
 難を乗り越える信心。
 健康長寿の信心。
 絶対勝利の信心。

 我らが世界で実証してきた創価学会の信心──この無限の底力を発揮して、人類の悲願である、恒久平和への壮大な大河の流れを開いていくのは、いよいよこれからなのである。
 さあ、新たな拡大だ。永遠の5指針に謳(うた)う偉大な信心の炎を燃やして!

 創価とは
  人材きらめく
   銀河(ぎんが)かな
  価値創造の
   光は無窮(むきゅう)に

ユゴーの言葉は『レ・ミゼラブル』豊島与志雄訳(岩波書店)、相応部経典は増谷文雄著『仏教百話』(筑摩書房)、トルストイは『文読む月日』北御門二郎訳(筑摩書房)。

 (2015年11月30日付 聖教新聞)






Last updated  2016/01/03 01:42:57 PM
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随筆 民衆凱歌の大行進

28 偉大なり多宝の輝き

「黄金時代」の大舞台を威風堂々と
人生の四季 常楽我浄の心の花よ咲け

 「季節のなかでいちばん喜びをもたらしてくれるのは──夏であり、秋であり、冬であり、春である」
 17世紀のイギリスの詩人ウィリアム・ブラウンは詠った。人生の四季も、かくありたいと思う。 この言葉を愛したアメリカの絵本作家で、92歳の充実の人生を生きた女性ターシャ・テューダー(1915~2008年)は語っている。
 「みんなが本当に欲しいのは、物ではなく心の充足です」
 「心こそ大切」である。真に強く豊かな心は、どんな環境にも希望を見つけ、喜びを生み出す。

 30年近く前、愛知の岡崎市を訪問した折のことである。
 三河文化会館(当時)に向かう途次、徳川家康公ゆかりの城を仰ぎつつ、しばし藤棚でも有名な岡崎公園を友と散策した。
 その時、お会いした一人が、公園内で茶店を営む“多宝の母”であった。88歳、信心の輝きに満ちておられた。
 「春夏秋冬 いつまでもお達者で」──。
 後で私は、この言葉を記念にお贈りした。
 四季折々に暑さ寒さや嵐など試練は尽きない。人の一生も「生老病死」との戦いの連続だ。
 しかし、何があっても負けることなく、「常楽我浄」の幸風を薫らせ、自他共に豊かな人生の四季を織り成していく最極の力が、妙法である。
 広布の幾山河を勝ち越えてきた多宝会(東京は宝寿会、関西は錦宝会)の友の人生劇が、その何よりの実証ではないか。

水の如く退せず
 日蓮大聖人は「水のごとくと申すは・いつも・たい(退)せず信ずるなり」(御書1544ページ)と仰せになられた。
 日本中、世界中に、この御金言通り「水のごとく信ずる」模範の父母(ちちはは)がおられる。
 先日も、京都・舞鶴(まいづる)の96歳の母が支部婦人部長会で発表した体験を妻と伺い、感動した。
 お子さん方の難病も見事に克服し、所願満足の大歓喜に溢(あふ)れ、昨年も弘教を実らせ、今年もぜひと挑戦を重ねている。
 年齢がどうあれ、立場がどうあれ、「いざや前進」と、広布に舞いゆく母のスクラムがあればこそ、常勝の人材の流れは水かさを増すのだ。

 大聖人は、ある女性門下に、夫妻して信心に励む功徳を讃え、「天あり地あり日(ひ)あり月あり日てり雨ふる功徳の草木花さき菓(このみ)なるべし」(同1249ページ)と、自然界の営みになぞらえておられた。
 日月、晴雨(せいう)など自然の恵みによって、草木は花咲く。我らは、一切の苦楽、禍福をも
恵みとしながら、人生の功徳の花を咲かせるのだ。
 仏道修行の世界において、“多宝の友”の生命の光彩に勝る「心の花」はあるまい。
 聖教新聞や大白蓮華で読む体験の素晴らしさ!
 御聖訓の如く「苦楽ともに思い合せて」祈り、戦い、生き抜いてきたわが地域のおじいちゃん、おばあちゃん。風雪を越えて、満面に花咲く“笑顔皺(えがをしわ)”には、誰もが励まされる。ありのままの姿で、仏法正義を宣揚(せんよう)してくれているのだ。

絶対の安心の道
 大聖人の御在世、齢90の姑(しゅうと)に尽くし看取った富木尼御前は、自らも大病との闘いが続いた。
 大聖人は、慈愛の介護(かいご)を労われつつ、尼御前の病を「我身一身の上」(同978ページ)とされ、昼夜に平癒(へいゆ)を祈念してくださった。
 尼御前には「我れ等は仏に疑いなしとをぼせば・なに(何)のなげ(歎)きか有るべき」(同976ページ)とも仰せである。
 この御本仏の大慈大悲に連なり、「一生成仏」という絶対に安心な生命の直道を、創価家族は進んでいるのだ。ゆえに、嘆(なげ)くこともなければ、たじろぐこともない。

 今や全世界で“多宝の友”が活躍されている。
 ドイツでは、多宝会は「ゴールデナー・ヘルプスト」(錦秋会)と呼ばれる。過日、「勇気ある者は勝つ!」をテーマに意気軒昂の研修会が行われた。
 オーストラリアでは、多宝会は「ダイヤモンドグループ」として生き生きと輝く。またアメリカの多宝会は、今が“ゴールデン・ステージ”との気概で活躍されている。
 先日、55周年を晴れやかに迎えた「世界広布原点の勝利島」ハワイの総会でも、100歳の草創の友のお元気な姿がひときわ光っていたという。
 人生の「黄金時代」の舞台を威風堂々と勝ち飾り、ダイヤの如く金剛不壊(こんごうふえ)の生命の輝きを放ちゆく尊き希望の長者たちよ万歳! と叫びたい。

 青年と語り合うと、座談会などで高齢の方に声をかけられ、話を聞いてもらったことが、大きな人生の転機となったというメンバーが実に多い。
 法華経に説かれる「多宝の証明」さながらに、多宝会の皆様が、真実の幸福な人生の軌道を伝えてくださっているのだ。

 中国の古典『中庸(ちゅうよう)』には、「道なる者は、須臾(しゅゆ)も離る可(べ)からず、離る可きは道に非(あら)ざるなり」という言葉がある。
 須臾──しばしも離れないのが「道」である。正義に生きゆく学会精神の道、師弟の道を、少しもぶれずに貫き通してきた宝友たちがあればこそ、創価の異体同心の団結は揺(ゆ)るぎない。
 悪縁(あくえん)の渦巻(うずま)く時代だ。若き皆さんが、思い悩むことも多いに違いない。そうした時こそ透徹(とうてつ)した信心に立つ大先輩方と語らってもらいたい。多宝の皆様の姿それ自体が、悔いなき人生を生き抜く鑑(かがみ)となるからだ。

深き生命観もち
 日本は「超高齢社会」に入った。
 年をとらぬ人はいない。生身の体であり、加齢とともに、思うように動かなくもなる。
 高齢の親御さんなどの介護の問題も切実だ。長寿の分だけ、病や老いの厳しい現実とも、長く向き合わねばならない。
 我らは仏法の願兼於業(がんけんおごう)の精神からも、この時代の同一苦に、強く賢く朗らかに挑んでいくのだ。
 我らには、三世永遠の生命観を説き明かした大哲学がある。老若男女が力を合わせ、調和と共生の喜びを創造しゆく人間の連帯がある。
 医療の最前線では、ドクター部や白樺の皆様の尊き慈悲の奮闘が光る。
 男子部では、介護・福祉に従事する人材の集いである「妙護グループ」の貢献(こうけん)も頼もしい。
 団地部や地域部のリーダーは、高齢者を孤立させない温かなネットワークづくりを進める。各地の農漁光部、離島部の功労の友も、わが郷土の灯台として輝いている。
 ともあれ、助け合い、支え合いが“当たり前”の文化になっていけば、人びとがどれほど心豊かになることか。
 高齢者は、青年を大きく見守り励ます。青年は、高齢者に学び、敬意をもって接する。この相互の信頼関係の中で、未来は確かな足取りで創られていくに違いない。

支え合い 励まし合いの調和社会へ!

これからも共に
 かつて私は、フランスの作家アンドレ・マルロー氏のご自宅にお招きいただいた。
 氏が私に問われた。
 「あなたの眼には、人間にとって何が最も重要なものと映りますか」
 私はお答えした。
 「人間そのものの生き方、その主体である人間自身の変革がどうすれば可能かということでしょう」「人間の尊貴さは、その無限の可能性にあると信じ、そこに一切をかけ、それを規範として行動していきたい」と。
 氏は深く頷(うなず)かれた。
 わが“多宝の友”が広布に走り抜いた誉(ほま)れの歴史は、自身の生命に黄金の日記として厳然と刻(きざ)まれる。自らの命を使って「人間革命」の実証を示してきた栄光の福徳は、絶対に消えないのだ。
 だからこそ、確信の体験を、円熟の智慧(ちえ)で語り伝えていただきたい。
 いつまでも、いくつになっても、“広布一筋の証明者”として生き抜いていただきたい。
 “自分も励まされた。だから若い人を全力で応援するよ”──この真心のエールが、後継の友の希望の光となり、前進への確かな羅針盤となる。

 御書には「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(1135ページ)と仰せである。
 多宝会の皆様が地域の同志のために送る題目が、慈愛の振る舞いが、どれほど皆に勇気と力を与え、世界広布の躍進を支えているか、私の胸に痛いほど迫ってくる。
 わが共戦の盟友に、心から感謝申し上げたい。
 広宣流布は、一歩また一歩、忍耐強く幾山河(いくさんが)を越えゆく遠征(えんせい)だ。

 ある時、戸田先生が笑みを浮かべて語られた言葉が、今も私の胸に朗らかに轟(とどろ)いている。
 「戦いは、いよいよ、これからだよ。楽しく、また断固として一緒に、戦おうじゃないか!」
 さあ、これからが我らの「黄金時代」だ!
 「冬は必ず春となる」と、あらゆる障魔に打ち勝ってきた我が戦友よ!
 広布の英雄よ! 
 創価の太陽よ!
 万年にわたる民衆の安穏と勝利のために、従藍而青(じゅうらんにしょう)の偉大な後輩たちのために、私と一緒に戦い抜こうではないか!

 黄金の
  命輝く
   多宝会
  未来を照らす
   慧光は無量と

 ブラウンの言葉は『喜びの泉 ターシャ・テューダーと言葉の花束』食野雅子訳(メディアファクトリー)。テューダーの言葉は『思うとおりに歩めばいいのよ』食野雅子訳(同)。『中庸』は『大学・中庸』島田虔次著(朝日新聞社)。

 (2015年10月6日付 聖教新聞)






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2015/07/12
随筆 民衆凱歌の大行進  

24 青年の心 燃える7月
 
   イタリア・ルネサンスの巨匠、レオナルド・ダ・ビンチは叫んだ。
「純金かどうかは試錬によってわかる」
 精錬を重ねてこそ、真金は生まれる。苦難は常に、本物と偽物を峻別(しゅんべつ)する試金石だ。

 7月6日、私は八王子市の東京富士美術館を視察し、「レオナルド・ダ・ヴィンチと 『アンギアーリの戦い』 展」の会場に足を運んだ。
 巨匠の “未完の壁画” を今に伝えるイタリアの国宝「タヴォラ・ドーリア」――人馬が渾然(こんぜん)一体となった激戦の画面からは、新しき創造に挑む、壮絶な精神の闘争を感じてならなかった。
 この日は、生命尊厳の大仏法を行じられた牧口先生、戸田先生が、軍部政府の弾圧で逮捕された「法難」から満72年の日であった。
 死身弘法の先師、恩師を偲(しの)び、東京牧口記念会館の「初代会長牧口常三郎先生顕彰室」で勤行・唱題し、報恩感謝の祈りを捧げた。
「嵐は誉れ」の師弟の歴史が刻まれた7月――若獅子の男子部も、華陽の女子部も、また英知の男女学生部も、それぞれ目覚ましい前進と成長を遂げている。
 私は妻と共に、愛する青年たちのスクラムの大勝利を真剣に祈念した。



 艱難(かんなん)を
  一つ一つと
   乗り越えて
  黄金(きん)と輝く
   不敗の生命(いのち)に


 日本中、世界中の青年たちが、続々と、人間革命と対話拡大の喜びの体験を報告してくれている。
 南米ブラジルの若人の活躍も素晴らしい。
 なぜブラジルで弘教が大きく進んでいるのか。ある青年リーダーが笑顔で答えていた。
「喜びが “伝播(でんぱ)” しているからです」と。
 仏法対話が楽しくて仕方がない。友の幸福に尽くせることが嬉しくて仕方がない――その喜びが同志から同志へ、友人から友人へと “伝播” するゆえに、次々と弘教が実るというのだ。
 まさに「随喜(ずいき)する声を聞いて随喜し」(御書1199ページ)と仰せの通りの実践である。


 思い起こせば、戸田先生は迫害の獄中にあって「われ地涌の菩薩なり」と久遠の使命を覚知し、随喜の涙を流されながら、広宣流布に生き抜くと誓願された。

 いうなれば、師が獄中で体験された「一人の大歓喜」が二人・三人・百人と伝播し、ついに日本中、世界中に広がってきたのが、今日の大法弘通の実相である。

 今や192カ国・地域に拡大した、世界広布という「大河」の源流の「一滴」を尋ね見れば、「一人の大歓喜」から全ては始まったのである。
 法華経の随喜功徳品には「五十展転(てんでん)の功徳」が説かれる。法華経の法理を聞いて歓喜した人が、別の人にその話を伝え、聞いたその人がまた次の人に自身の歓喜を語る。そうして50人目の人が聞いた功徳も甚大(じんだい)であるという法理だ。

「信心はすごいよ!」とありのままに歓喜を語れば、既に立派な折伏である。その体験を語る側も聞く側も、共に福徳の花を爛漫(らんまん)と咲かせる因を積んでいけるのだ。
 ゆえに、すぐに対話が実らずとも、落ち込むことも、焦ることもない。


「いよいよ悦びをますべし」(同203ページ)との御聖訓のままに、自信満々と、喜び勇んで次の友へ、また次の友へと、語り広げていけばよい。その弛(たゆ)まぬ実践に、新たな「五十展転」のドラマが生まれるのである。


 7月は「関西の月」。関西家族の幸福と人材の拡大の行進は、いよいよ勢いを増している。
 関西総会の意義を込めた、大阪・豊中市の関西戸田記念講堂での本部幹部会には、海外のリーダーたちも出席した。
 前日の各地の交流交歓会とともに、関西の同志の熱烈な歓迎に大感動していた。
 今や世界の友の共通語となった「JOSHO KANSAI(常勝関西)」の魂を、それぞれの国や地域に持ち帰り、新たな波動を起こしてくれるに違いない。
 この戸田記念講堂は、昭和53年(1978年)の7月17日、関西の歌「常勝の空」を、師弟して初めて大合唱した場所でもある。

今回の関西総会でも、若人が中心になり、「常勝の空」を美事に演奏し、歌い上げた。さらに全関西を結んで、壮年も婦人も、懐かしき錦宝会(多宝会)の皆様方も加わり、力強い歌声を響かせてくれたのである。
 男女青年部も、新たな拡大の金字塔を打ち立てて、晴れの日を迎えた。未来部の友も凜々(りり)しく成長している。
 あの雷雨の大阪大会をはじめ、私と幾多の共戦の歴史を刻んでくれた、尊き父母たちの関西魂は、新世代の友に厳然と受け継がれている。その「常勝後継」の劇に、私の胸は熱く高鳴る。
 法華経に説かれる「衆生所遊楽」の意義を、私は関西の同志と幾たびとなく語り合ってきた。
 真の遊楽とは、生きていること自体が楽しいという、生命の奥底(おうてい)からあふれる充実と歓喜である。いかなる事態に遭遇(そうぐう)しても崩れない絶対的幸福境涯にほかならない。

その大生命力の源泉が自行化他(じぎょうけた)の題目である。
 「唱題第一」の人は、何があっても負けない。必ず勝ち越え、全てを悠々(ゆうゆう)と楽しんでいける。
 「菩薩とは仏果を得る下地なり」(御書738ページ)とあるが如く、この地道な唱題と、広布への勇気の対話を土台としてこそ、自他共に最も幸福で痛快なる常勝の人生が開かれていくのだ。

わが女子部が清々(すがすが)しく「行学の翼」を広げ、「歓喜の華陽スクラム」を合言葉に新出発したことも、嬉しい限りだ。

 今日、7月8日は、女子部の「白蓮グループの日」である。
 八王子市の牧口記念庭園に立つ「白蓮之歌碑」には、グループ歌「星は光りて」の歌詞とともに、こう刻印している。

「君が歓喜の微笑みは 友に希望を与えゆく」
「君が正義の歌声は 友に勇気を呼び起こす」
 さらに「人のため世界のために 祈り動く心美しき姿は 『蓮華の水に在るが如し』 」とも。

その通りの気高き青春を、白蓮の乙女たちは歩んでくれている。

 日蓮大聖人は「明(あきら)かなる事・日月にすぎんや浄(きよ)き事・蓮華にまさるべきや」(同1109ページ)と教えられた。

 現実の社会は、泥沼(どろぬま)のように悩みや葛藤(かっとう)が絶えないものだ。だが、その中で、最も明るく、最も清らかな、華陽の生命を咲き開いていけるのが、仏法なのである。

フ ランスの女性作家スタール夫人は、「人生の逆境のさなかで、みずからの思想によって精神を強固にすること」こそが「真の勇気」であると綴(つづ)った。
 私たちでいえば、この勇気を湧き立たせてくれるのが、信心である。志を同じくする友の温かな励ましも、尽きることのない勇気の源泉である。
「女子部は一人も残らず幸福に!」――これが恩師の心であり、私と妻の願いだ。どうか、皆で賢く励まし合って、仲良く、麗しき友情と団結の世界を築いていっていただきたい。
◇

 青年部の「創価体験談大会」もスタートした。
 今月12日には、頼もしき男子部の友が、東京で全国幹部会を行う。
この日は、私が無実の罪で投獄された「大阪事件」の渦中、不当逮捕に抗議する「炎の東京大会」が、蔵前の国技館で開かれた歴史の日でもある。
席上、戸田先生は師子吼(ししく)された。「会長になった時から、この体は捨てるつもりでいるんだから何も怖くない」と。
 正義のため、我が身を惜(お)しまず戦い抜く覚悟があれば、いかなる困難にも動じない。戦う勇気の炎はいやまして燃え上がる。これこそ、創価の革命児の永遠の闘魂だ。


「波浪ハ、障害ニ、遇(あ)フゴトニ ソノ頑固ノ度ヲ増ス」――私が、この言葉を日記に書き留(とど)めたのは、昭和25年(1950年)の7月9日。師匠をお護りして、一心不乱に戦う22歳の夏のことである。

 今、同じ大道を、わが直系の若人が歩んでくれている。「因果倶時(いんがぐじ)」の理法に照らし、その未来には、限りない栄光と勝利が約束されている。
 創価の青年の前進こそが、世界の希望だ。ゆえに、頑固なまでに、強くまた強く、明るくまた明るく進みゆくのだ!


 常勝の
  炎の心で
   朗らかに
  正義の青春
   友と勝ちゆけ

 レオナルドの言葉は 『パリ手稿〔H手稿〕』 三神弘彦訳(岩波書店)、スタールは 『世界人生論全集10』 所収、海老坂武訳(筑摩書房)。

(2015年7月8日付 聖教新聞)






Last updated  2016/01/03 02:32:45 PM
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2015/06/10
随筆 民衆凱歌の大行進
 
23 幸の教養博士 万歳

 「創価の母」は希望の太陽
苦難に負けないその体験が平和を創る

 太陽は
  創価の母の
   異名なり
  幸と平和の
   光いやまし
 
 本当に教養ある人とはどのような人だろうか。
 スイスの哲学者ヒルティの答えは明快だった。
それは「常にあらゆる善に対して感激と熱意とを持っている」人なりと。
 私には、創価の女性たちの姿と重なり合う。来る日も来る日も、友の幸福と社会の平和という「大善」に向かい、感激と熱意を持って行動を貫いているからだ。
 生命尊厳の仏法を源泉として、皆が仲良く希望に生きるための智慧を発揮し、価値を創造しゆく女性たちこそ「幸の教養博士」とはいえまいか。
 今月の10日、結成64周年の記念日を迎える婦人部の皆様に、私たちは、感謝を込めて、万歳を轟(とどろ)かせたいのだ。

素晴らしい笑顔
 “新たな地球文明のリーダーを育成する大学” として高い評価を得ている、わがアメリカ創価大学(SUA)では、先月、第11回の卒業式が晴れやかに行われた。
 平和を願う世界中の母たちの期待に応え、皆、眩(まぶ)しいばかりに成長し、羽ばたいてくれている。
 このSUAのキャンパスには、 “アフリカの環境の母” マータイ博士の名を冠したイチジクの木が、みずみずしい緑の葉を茂らせる。
 10年前、来日中のマータイ博士とお会いした折、私が植樹を提案させていただいた木である。マータイ博士は、ケニアで活躍する創価同窓の女性リーダーに、「世界中のどこに行っても、創価の人たちが一番、幸せそうですね」と語られていた。また生き生きとしたメンバーの表情に、「どうしたら、こんなに素晴らしい笑顔になるのですか」とも質問しておられたそうだ。
 世界中を魅了した「マータイ・スマイル」の持ち主がこよなく愛されたのは、「創価の女性の笑顔」だったのである。
 わが婦人部の「実践の5指針」には、「わが家は和楽の前進」「後継の人材を伸ばす」とある。
 皆様の輝く笑顔ありてこそ、家庭にも、地域にも和楽が広がり、人材が育っていくのだ。

 意思あれば道が

「実践の5指針」には、「祈りからすべては始まる」ともある。
 日蓮大聖人は「ただ心こそ大切なれ」(御書1192ページ)と仰せである。
 心は、目に見えない。だが、その心一つで、目に見える現実も大きく動かしていける。 妙法という生命の大法則に合致した、一人の心の革命によって、自分の人生も、社会も、国土も必ず変えていくことができる。
 そう説き明かしたのが、日蓮仏法の「一念三千」の法理である。
 自他共(じたともに)の幸福を祈る信心の発露(はつろ)のすべてが、「我が一念に納めたる功徳善根(くどくぜんこん)」(同383ページ)となる。全部「心」で決まる。
 このことを証明する気高き劇を、それぞれが希望のヒロインとなって演じてくれているのが、婦人部の皆様方である。
「意志あるところ、必ず道あり」とは、オーストリアの声楽家サイフェルト博士のモットーである。
 博士は、最愛のご主人を亡くされるなど、つらく悲しい経験をご自身の成長の糧(かて)とされながら、人びとに勇気と歓喜の歌声を届けてこられた。
 大聖人は、一人の母に「軍(いくさ)には大将軍を魂(たましい)とす」(同1219ページ)と、強盛な信心の志に立つよう励まされた。
 祈りとは、 “断じて為す” という意志であり、誓願である。それが母の胸にある限り、栄光の未来への大道は、必ず開かれゆくことを忘れまい。

 三代の師弟の夢
 サイフェルト博士が、私との対談の折、感動をもって語ってくださったことがある。
 それは、ご自身の音楽の師と共演したいという長年の “夢” が叶った喜びであった。
 師と弟子が同じ舞台に立つ。その感激はいかばかりか。いかなる分野でも、師弟の道は限りない向上の道となる。
 戸田先生の薫陶(くんとう)なくして、今の私はない。ゆえに私は、 “恩師の夢を実現すること” を、わが生涯の夢としてきた。師への報恩とは、師の夢を叶え、師に喜んでいただくことだ――そう心に固く決めてきた。
 戸田先生が先師・牧口先生の心を心として、強く願われていたことは、「すべての女性が幸福をつかむこと」であった。
 戦争で最も犠牲になり、最も苦しめられた女性が、最も幸福になれる平和な社会を!
 その悲願を懸けて、戸田先生は、第2代会長就任の直後に婦人部を結成されたのである。
 さらに女子部を結成された戸田先生は、常々、「女子部は教学で立て!」と励まされていた。
 今月4日、記念の佳節を刻んだ日本中、世界中の華陽姉妹は、「華陽会御書30編」読了運動を推進しながら、明るく、伸び伸びと、ロマン薫る対話に挑戦している。
 “婦女一体” の麗(うるわ)しき前進に、恩師も、そして6日に生誕144周年を迎えた先師も、会心の笑顔で拍手を送っておられるに違いない。

地域社会の光と
 婦人部の5指針には、「地域と社会を大切に」とも掲げられている。
 婦人部の地域社会への貢献(こうけん)こそ、時代を照らす光である。今月、「部の日」を迎える団地部、また地域部、農漁光部、離島部にあっても、女性の活躍が目覚ましい。
 地域の身近な隣人たちと「立正安国」の対話をたゆまず繰り広げる主役も、婦人部の友である。
 グループ単位での婦人部総会がいよいよ始まっている。この少人数の集いこそ、地域社会の共生と共栄の直道であり、世界平和の縮図である。
 文豪ゲーテも、互いの行動と体験を共有する、楽しい談話によって「ことばはそれだけひときわ実りゆたかなものとなり、精神を高めるものとなる」と訴えていた。
 苦難を越えた母たち、女性たちの体験から紡(つむ)ぎ出される言葉には、勇気を呼び覚ます力がある。

 五指針の最後には「生き生きと体験を語る」と示されている。
 聖教新聞や大白蓮華に対して、読者から特に大きな反響が寄せられるのも、体験談である。
 東北の岩手県久慈市(くじし)に、90歳になる婦人がおられる。
 貧乏、家族の死……沢山、辛苦(しんく)を味わった。だが断じて負けなかった。
“宿命に泣き流されてはいけねんだ。朗らかに挑戦していけば、どんな宿命も転換されていくものでねすか”――
 幾十星霜、試練を一つ一つ乗り越え、生命の財(たから)と輝かせてきた “多宝の哲人” の至言である。母の姿は友の安心と希望の灯火(ともしび)となっている。
 何があっても、たじろがない。嘆(なげ)かない。たとえ、今が悔(くや)し涙の連続であろうと、無敵の祈りは、一切を栄光の歴史に昇華してゆくのだ。

 幸福を広げる人
 重い障害のある娘を育てつつ、 『母の肖像』 『大地』 等の名作を世に問い、平和運動に邁進(まいしん)したアメリカの女性作家パール・バックは叫んだ。「最も悲しみに満ちた行路を歩んでいる間に、人の精神はすべて尊敬に値することを知りました」
最も深い悲しみから立ち上がった人は、最も深い哲学を学んだ、最も深い慈悲の人だ。
 最も大きな苦しみを乗り越えた人は、最も大きな境涯を開き、最も大きな幸福を広げゆく人だ。
 この人間革命の体験を友に語り、分かち合う、母たちの行動が「幸福と平和と勝利の道」を創り開くのである。
「広宣流布は、女性の力で成し遂げられる!」
 恩師のこの確信は、私の胸にも、絶対の確信として輝き渡っている。
 母の祈りは、皆の心を動かさずにはおかない。母の言葉は、友の胸を揺さぶらずにはおかない。
 世界の女性リーダーの方々も、私たちの宝の友として連帯されている。
サイフェルト博士からは、つい先日も、「創価の婦人部との交流を通して学び合っていけることは、大きな喜びです」との伝言が届けられた。
 インドネシアの故ワヒド元大統領夫人のシンタ・ヌリヤさんも、今回の婦人部総会に真心の祝福を寄せてくださった。
 夫人は “女性は国の柱である” 等の英知の言葉を紹介されるとともに、「すべての人は母から生まれてきます。その人たちが人類を救っていくのです。母がいるからこそ平和になれるのです」と語られている。
 さあ、強く朗らかに、また堂々と、自身の体験を、創価の正義を、語り抜こうではないか!
 偉大なる幸の教養博士よ、万歳! 人間世紀の母たちよ、万歳!
 
 幸福の
  博士と生き抜け
   恐れなく
  希望の智慧で
   友を照らして

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ヒルティの言葉は 『幸福論(第二部)』 草間平作・大和邦太郎訳(岩波書店)、ゲーテは 『ゲーテ全集8』 所収「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」登張正實訳(潮出版社)、バックは 『母よ嘆くなかれ』 伊藤隆二訳(法政大学出版局)。
 
(2015年6月8日付 聖教新聞)






Last updated  2016/01/03 02:33:30 PM
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2015/05/17
随筆 民衆凱歌の大行進

22 世界宗教への飛翔

 今 昇りゆく人間主義の太陽
「一人立て」そして「一人を大切に



 万歳を
  同志(とも)と叫ばむ
   五月晴れ
  さらに続けよ
   前進勝利を
 
 尊き団結の奮闘で「5月3日」を凱旋で飾った我らは、勇気凜々(りんりん)と新たな前進を開始した。
 共々に出発しよう!
 創価の師弟は、永遠に前へ前へ進むのだ。
「私は続けるだろう」とは、ルネサンスの巨人レオナルド・ダ・ビンチが晩年に記した言葉だ。
 偉大な創造は「続ける」中にある。
 偉大な勝利も「戦い続ける」中にこそある。

 大願は世界広布
 日蓮大聖人は、「終(つい)には一閻浮提(いちえんぶだい)に広宣流布せん事一定(いちじょう)なるべし」(御書816ページ、「御講聞書」)と仰せになられた。
 今月、SGI(創価学会インタナショナル)の春季研修では、世界65カ国・地域から270人もの同志が、勇んで集ってくれた。
 これは、SGIメンバーがいる192カ国・地域の実に3分の1にもあたり、五大陸すべてから、宿縁深き友が一堂に会したのである。
 私も、東京・信濃町の総本部で、皆さん方とお会いすることができた。本当に嬉しかった。
 また研修会と呼応し、40年前にSGIが結成された原点の天地グアムのリーダーたちが、早くも次の結成50周年への出発を期して、はつらつと来日してくれた。
 さらに30年前、四国の徳島県で共に忘れ得ぬ歴史を刻んだ、ブラジル広布の功労者「徳島会」の代表も、阿仏房(あぶつぼう)と千日尼(せんにちあま)の如き求道の心で、広宣流布大誓堂での誓願勤行会に参加された。
 皆が法華経の行者であり、地涌の菩薩である。それぞれの誓いの国土で、希望の太陽となり、励ましの太陽となって、幸福と平和の光を広げに広げているのだ。
 我らは「大法弘通」へ、「慈折広宣流布」へ、一丸となって邁進(まいしん)する、異体同心のスクラムだ。
 
自分から始まる
 大聖人が願われた通り世界宗教の大光は、ここに燦然(さんぜん)と輝いている。
 世界宗教へ飛翔しゆく大切な力は、まず「一人立つ」精神である。
自らの仏性に目覚め、広宣流布の使命に決然と「一人立つ」勇者がいれば、新たな変革の波が起こる。自分が変われば、地域が変わり、世界が変わるのだ。
 一人ひとりの生命の尊厳と平等を説き切った大哲学があるからこそ、いかなる試練にも屈(くっ)せず、「一人立つ」力を信じ抜くことができる。
 
 御書には、「日蓮一人(いちにん)・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(同328ページ)、また「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり」(同1359ページ)等々、幾度となく「日蓮一人」とお認(したた)めである。
 御自身が一人立ち、戦い続けてこられたのだ。その上で「わたうども(和党共)二陣三陣つづきて」(同911ページ)と、後継の弟子が陸続と立ち上がることを確信なされていた。
 一人から一人へ、師匠から弟子へ、そして師子と師子の連帯へ!――この広宣流布の大道を、寸分違わず進まれたのが、戸田城聖先生であった。
 先生は戦時中、巣鴨(すがも)の東京拘置所の独房で作られた「同志の歌」に、こう詠まれている。
「妙法流布の 大願を 高くかかげて 独り立つ」
 ここに広宣流布を誓願とし、永遠の使命とした学会精神の根本がある。
と同時に、先生は熱願された。
「捨(す)つる命は 惜(お)しまねど 旗持(はたも)つ若人 何処(いずこ)にか」「競(きそ)うて来たれ 速(すみ)やかに」と。
 今、日本全国、そして全世界で、いよいよ勢いをまして「旗持つ若人」が一人また一人と、立ち上がっている。若き地涌の菩薩が満を持して躍り出る、世界広宣流布の躍進が始まっているのだ。

一対一の対話で
 次に、「一人を大切にする」ことを、世界宗教の条件に挙げたい。
誰もがかけがえのない生命である。誰もが生老病死(しょうろうびょうし)の苦悩を抱えた人間である。今この時を地球で生きる仲間である。
 上も下もない。貧富(きせん)や貴賤(ひんぷ)の差などない。
「生命」を基準にした時、誰もが一対一で向き合うことができる。
 この一対一の対話を、最も尊い人間修行としたのが、法華経である。
「能く竊(ひそ)かに一人(いちにん)の為(た)めにも、法華経の乃至一句(ないしいっく)を説かば、当(まさ)に知るべし、是(こ)の人は則(すなわ)ち如来の使(つかい)にして、如来に遣(つか)わされて、如来の事(じ)を行ず」(創価学会版法華経357ページ)
 一人のため、あの友のために、真剣に法華経を語る人こそが「如来の使い」と言われるのだ。
 世界広布といっても、その最前線は、いずこの国でも、一対一の対話ではないか。いつでも、どこでも、誰でも、目の前に苦しんでいる人がいれば、親身に声をかける。悩みを聞き、共に泣き、共に祈り、共に喜び合う。
 この「一人を大切にする」人間主義の行動が、あらゆる人に無条件に開かれているところに、創価学会が世界に広がった理由があるのだ。

 私が対談したトルコ出身の文化人類学者ヤーマン博士は、ある一つの国や地域で生まれた宗教が「世界宗教」になりうるには、「対話」が大切だと強調された。
 「対話を通して、異なる文化の奥に普遍のヒューマニズムが脈打つことを知るべきです」
 ヤーマン博士は、わがSGIメンバーが、それぞれの地域で、ヒューマニズムの啓発の対話を重ねていることを称賛してくださった。
「創価学会の平和への挑戦は、劇的であり、この長年にわたる挑戦自体が偉大な達成である」と。

生命を守る慈愛
 さらに世界宗教の条件は、生命の大地たる母たち、女性たちを中心に、幸福を創り出していくことではないだろうか。
 御聖訓には、「母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(御書585ページ)と仰せである。
 仏の慈悲は、遠くにあるのではない。母の慈愛の振る舞いの中にある。生命を守り育む女性の心で、万人を平等に照らしていくことこそが、平和の拡大なのだ。
「お母さん」と呼ぶだけで、心が温かくなる。母が笑うと、周りにも笑顔と安心が広がる。
 5月10日「母の日」、大聖人御聖誕の天地で勝ち進む千葉県の友と、SGIの研修メンバーとの交流交歓会が行われた。
多くの地域の友人たちも交えた、世界市民の語らいの真ん中に輝いていたのも、創価の太陽たる母たちである。
 母が語る信仰体験ほど胸を打つものはない。
 創立の父・牧口常三郎先生は、「今までの宗教は観念論ばかりで実験証明はなかった」と喝破(かっぱ)された。そして、妙法の力によって、わが生命を蘇生(そせい)させた同志の体験談の発表を「ダイヤモンド」と讃えられたのである。
 婦人部を中心に、現実の生活で幸福の現証を勝ち取り、その体験を語り合う。これが万国 共通の広布伸展の波動である。
 今年の「SGIの日」記念提言で、私は、国境や世代を超えたエンパワーメント(内発的な力の開花)の連鎖を築く取り組みとして、SGIの体験談運動を紹介した。
 千差万別の苦悩を打開してきた、創価の体験談の輪の中にこそ、万人を包むことのできる 同苦の温もりがある。誰人をも蘇らせていく勇気と希望の熱がある。
いよいよ、6月には、婦人部総会。7月には、青年部を主体に創価体験談大会も行われる。
 私たちは、縁する友と「どんな宿命も絶対に転換できる」と励まし合い、一緒に感激のドラマを創りながら、人間革命の大歓喜の連帯を広げていきたい。

 信心で勝つ!

 60年前の5月3日、両国の旧国技館で開催された総会で、戸田先生は、 “民衆救済の方程式たる広宣流布を断行するのだ” と師子吼(ししく)なされた。
 そして、その直後から、足立支部などの会合で、もったいなくも御本尊は “幸福製造機” なりと譬(たと)えつつ、人生打開の信心の力を訴えられた。
 御本尊根本の強盛な信心によって、満々たる生命力を湧き出し、自他共の幸福をつかみ切っていけと叫ばれたのである。
 我らには絶対勝利の信心がある! この決定(けつじょう)した信仰こそ、広宣流布の原動力にほかならない。

 さあ、打って出よ!
 広布と人生の試練の山々を、一つ、また一つ、不屈(ふくつ)の負けじ魂(たましい)と麗(うるわ)しき異体同心(いたいどうしん)の団結で乗り越えて、晴れやかに勝利の握手を交わすのだ!

 創価の師弟が21世紀の前進の目標と掲げてきた2030年――学会創立100周年は、今、育ちゆく青年部・未来部が担い立つ晴れ舞台である。黄金の明日を開こう。わが愛弟子たちよ、民衆の希望と輝く、仏法の人間主義の太陽を生命に燃やし、日本中、世界中で乱舞してくれ給え!
 
 胸を張り
  誓いの大地に
   立ち上がれ
  世界広布の
    足音 響かせ

 
 レオナルドの言葉は田中英道著 『レオナルド・ダ・ヴィンチ』 (講談社)から。

(2015年5月15日付 聖教新聞)






Last updated  2016/01/03 02:34:08 PM
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2015/03/14
随筆 民衆凱歌の大行進 

19 咲き薫れ 希望の花々

大震災4年 桜梅桃李の幸光る楽土を
誓願の祈りと勇気の対話で日々前進

 不屈なる
  歴史を創りし
   不二の友
  新生の花
    三世に薫らむ

 北国の春は、厳しい冬を勝ち越こえた喜びが、弾けるように花開く。
 福島県・三春町(みはるまち)の「三つの春」という町名の由来には、“梅・桃・桜が一斉に咲き薫る”との伝承があると伺った。
 この三春の地に、草創の福島班が誕生したのは、昭和38年の厳寒の1月であった。
 聖教新聞の創刊号で報道された、神奈川の鶴見支部に炎上した広布の「聖火」が、この地にも燃え広がったのである。

「福光」の春ヘ
 福島そして宮城、岩手をはじめ尊き東北の同志は、いかなる烈風にも怯(ひる)まず、友の心に「希望」の火を灯してきた。
 「希望」──それは、明日への前進の源だ。蘇生(そせい)の原動力である。
 「希望」とは、自らが創り出していくものだ。
志を同じくする友と、強く深く、育み合っていくものである。
 東日本大震災から4年──私は全ての犠牲者の方々に追善・回向の題目を捧げるとともに、被災地の復興と皆様方の幸福を真剣に祈っている。
 今も、わが東北家族は不撓不屈(ふとうふくつ)の「みちのく魂で“福光の春”へ、一歩、また一歩と歩み続けておられる。
 「心を壊(やぶ)る能(あた)わず」(御書65ページ)と、災難にも崩れぬ信仰をもって、一人ひとりが、断固と希望に生き抜いてこられた。
 逝去なされたご親族やご友人のためにも、強く強く生き抜かれる皆様方こそ、現代において“冬を必ず春となす”日蓮仏法の体現者なのだ。
 東北の気高き忍耐の大地から、「桜梅桃李(おうばいとうり)」の多彩な人華が、いやまして凜然と咲き誇っているではないか!

 妻から、福島のある母の話を聞いた。
 母の心には、あの震災直後、過酷な生と死の境にあって、互いを労(いたわ)り、励まし合って生き抜いてきた多くの方々の姿が焼き付いて離れない。
 最近、無我夢中だった当時を見つめ直し、気づいたことがあるという。
 それは、「人間には、極限にあっても発揮される強さと美しさがある」ということであった。
 大震災、大津波という何もかも奪(うば)い去る試練の中で、民衆がいかに尊厳なる人間の底力を示し切ってこられたか。
 そして、亡くなられた方々も、最後の最後まで人間の尊貴さを護り抜いていかれた。
 福島の母は、この真実を、誇りをもって次の世代に語り継いでいきたい、決して風化させはしないと言われるのだ。

 かつて私は、「どのような人が理想ですか?」と質問を受けたことがある。私はお答えした。
 静かだが深い人、優しいけれど強い人、平凡だが英知の人、純粋だけど勇気のある人、と。
 そんな大好きな友が、東北には大勢いる。この誉れの父母たちの奮闘と団結によって、奇跡の復興が成し遂げられてきたことを私は忘れない。
 後継の東北青年部も、何と明るく、何と逞(たくま)しく、新生の道を勝ち開いてくれていることか。
 この3月中旬に、仙台で行われる「第3回国連防災世界会議」への青年部を中心とする取り組みも、各界から深い期待が寄せられている。

 大震災の直後に、わが創価大学に入学してくれた英才たちが、いよいよ今月、卒業を迎える。
 4年前は入学式も行えなかった。社会全体が動揺する中、被災地出身の友をはじめ、皆の不安や苦労もひとしおであっただろう。しかし、立派に成長してくれた。よくぞ頑張ったと、一人ひとりを心から労いたい。
 創価大学のボランティアチームの一員として、故郷・石巻の復興支援に携(たづさ)わった青年もいる。
 震災当時、ある地区部長は3人のお子さんを亡くされた。そうした悲嘆(ひたん)を抱えた故郷の同志にとっても、この創大生は希望の存在だった。彼はその期待に応え、公認会計士の狭き門を突破した。
 成長を見守ってきた、石巻の同志とご家庭の笑顔が思い浮かぶ。また、共に励まし合い、苦楽を分かち合ってきた創大生の連帯を讃えたい。

負けじ魂を共に

 思えば、今年は、阪神・淡路大震災から20年の節であった。
 関西の友は甚大な苦難を耐えぬき、乗り越えてきた先駆けである。東北に同苦し、わが事のように復興を祈り、懸命に励ましを送ってくれた。
 「負けたらあかん!」の関西から、「負げでたまっか!」の東北へ、負けじ魂の継承劇が、そこにはあった。
 東日本大震災の直後、救援物資を携え、東北ヘ駆けつけてくれた新潟、北海道の友らの真心も、世界からのエールも忘れることはできない。
 この同志愛は、若き友に受け継がれ、大いなる希望の光となっている。
 昨年の総兵庫の青年大会では、地元のノーベル少年少女合唱団が、宮城県の青葉少年少女合唱団と、映像を介して共演した。それは、未来を創り開く歌声だ。
 不屈の生命で結ばれた大地から、力強い凱歌の春が始まっている。

 今年も「3・16」が巡りくる。57年前(昭和33年) のあの日、戸田先生のお体は既に衰弱されていた。
 しかし、厳然と「広宣流布の模擬試験」となる式典の指揮を執られた。師は命を賭して、後継の旗を、分身の弟子に託してくださった。
 その厳粛(げんしゅく)な儀式には、東北から、関西から、日本各地から馳(は)せ参じてくれた青年たちがいた。
 広宣流布そして「令法久住(りょうほうくじゅう)」(法をして久しく住せしめん)の若き陣列が出発したのだ。

立正安国の人材

 人も物も「生老病死」「成住壊空(じょうじゅうえくう)」の流転を免れることはできない。
 だが、妙法という法は常住不滅である。大事なのは法そのものである。
 その上で大切なのは、根本の法を「実践」する人だ。そして「後継」する人材群である。競い起こるこる困難にも屈せず! 異体同心の団結で!
 「3・16」のあの日、戸田先生は生涯の凱旋として、「創価学会は宗教界の王者なり」と師子吼なされた。
 それは、「立正安国の人材育成」の宣言でもあったといってよい。
 我らは、いかなる混迷の世にも、揺るがぬ信念と哲学をもって、王者堂々と、民衆の幸福のため、社会の繁栄のため、世界の平和のために戦い抜く創価のリーダーを送り出し続けるのだ。
 今、21世紀の本格的な広布の時到来とともに、この「立正安国の人材」が、各地で威風も堂々と立ち上がっている。わが恩師もどれほど喜ばれていることか、
 世界広布新時代の「3・16」──それは、世界中の創価の青年が、民衆の勝利と平和の建設という価値創造へ、誓願に燃え立つ日である。
 「3・16」の舞台となった静岡、「正義」と「共戦」の神奈川の友は先月、横浜・鶴見の講堂で意気高く総会を行った。
 そこでも若人の成長とスクラムが光っていた。
 “誓いの青年(きみ)”よ!
 私の一番の喜び、それは、君たちの勝利だ。
 私の最高の勝利、それは、あなた方の幸福だ。
 今いる場所で、立正安国を祈り戦う同志よ!
 私の最大の願い、それは、一番苦しんだ地域の方々が、尊い地涌の生命を輝かせ、幸光る共生の楽土を築くことだ

わが声を堂々と

 アメリカの思想家エマソンは綴(つづ)っている。
 「私たちの対話は、私たちがいままで見て来たよりもさらにすぐれた世界に私たちが属していることをさとらせ、一つの精神力が私たちをさし招いていることを知らせてくれる」
 「真の対話」は、相手を尊敬し、相手から学ぶことだ。そこに互いの向上があり、喜びがある。
 「対話」で開けぬ道など絶対にない!──この確信で、真心と慈悲の発露(はつろ)のままに語ることだ。相手の仏性を信じ抜く祈りを根底に置いて、誠実に言葉を紡ぐ時、「真の対話」が生まれる。

 日蓮大聖人は、「よく・よく・かたらせ給へ」(御書1227ページ)、さらに「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(同1361ページ)等々と繰り返し仰せである。
 「音も惜(おし)まず」(同504ページ) 正義を叫び抜けとも言われた。
 黙(だま)っていては、大善を為し得ない。臆(おく)さず、自分らしく、自信満々と声を響かせていくのだ。
 民衆の真実の声、確信の声が轟(とどろ)くところ、必ず「立正安国」の夜明けが開かれるのである。
 さあ、創立85周年の「5・3」へ、常勝の春の曲を奏(こと)でながら、勇気と希望の対話の花々を爛漫(らんまん)と咲かせゆこう!

 朗らかに
  桜梅桃李(おうばいとうり)の
    生命(いのち)にて
  乱世を勝ち抜け
   いまだこりずと

(2015年3月11日付 聖教新聞)






Last updated  2015/03/14 11:23:57 PM
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2015/02/13
随筆 民衆凱歌の大行進 18 
 
 2月に燃える闘魂

 「勝利の春」呼ぶ励ましの対話を!
   最前線に立つ!その人が広布の英雄

 厳しい寒さの中、春告草(はるつげぐさ)の名のごとく、百花に先駆けて、凜然(りんぜん)と梅の花が咲き始めた。
「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)との御聖訓が、北国の健気(けなげ)な同志の姿とともに、ひとしお胸に迫る。
 
 2月は、日蓮大聖人の御聖誕の月であり、佐渡の地で「開目抄」を留(とど)められた月である。
 そして、私の恩師である戸田城聖先生の誕生月――今年は生誕115周年にあたる。
不世出の師に出逢えた宿縁に感謝し、先駆けの弟子として、「報恩」の誓いを新たにするのが、私の2月である。
 その師の誕生日である11日、私は、妻と共に、総本部の恩師記念会館を訪問した。厳粛に勤行・唱題を行い、尊き地涌の使命に一人立ち、「広宣流布の大願」に生き抜かれた戸田先生を偲(しの)んだ。
 さらに、保管されていたゆかりの品々を懐(なつ)かしく拝見した。
私が先生から頂戴(ちゅうだい)した 『御書全集』 には、師の和歌が墨痕(ぼっこん)鮮やかに認(したた)められていた。
 
  山を抜く
   力はみちたり
    若き身に
   励み闘え
     妙法の途(みち)に
 
 写真集 『戸田城聖』 もあった。その見返しに、私はこう記した。
「師あり 弟子あり 広布あり」――
 師弟共戦の広布旅は、いよいよこれからだ! 戦う「力」が、胸に満々とみなぎってきた。
 
 わが青春にあって、師のもとで最も厳(きび)しい困難を勝ち越えた日々こそ、黄金の歴史である。
 先生の事業を支えつつ、私は懸命(けんめい)に広宣流布の最前線に走った。
最前線とは、いったい、どこか。それは、何よりもまず「地区」である。そこから一人の友、一人の同志の元へ、徹して飛び込んでいった。
 戸田先生が誓願された弘教75万世帯という願業の達成へ、「地区」を起点として、戦いを起こしたのである。
 青年部の班長を務めながら、蒲田支部大森地区の地区委員を兼任していた。今でいえば「地区部長」である。

 当時の日記を繙(ひもと)けば、
「先生、必ず吾(わ)が地区も前進させます」
「地区が完璧になるよう、御本尊に祈る」
等々の若き熱情が綴(つづ)られてある。
 わが地区での体験を踏まえ、あの「2月闘争」で、新たな拡大への指揮に臨(いど)んだ。地区を大事にして、連携と団結を強めながら、さらに皆の顔の見える「組」――今でいう「ブロック」に光を当てていったのである。
 突破口を開く原動力は「地区」「ブロック」にあり! 地域に根差した最前線の組織を、全幹部が支えに支え抜くのだ。
 この勝利への急所は今も変わらない。否、永遠に変わってはなるまい。

大聖人は「一切の草木(そうもく)は地より出生(しゅっしょう)せり、是(これ)を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし」(同465ページ)と仰せられた。
 創価の「地区」「ブロック」は、地涌(じゆ)の人華(にんげ)が湧(わ)き出(い)ずる、最も大切な民衆の大地なのである。
 希望の種を蒔(ま)き、励ましの滋養(じよう)を注ぎ続ける、地区部長・地区婦人部長の皆様、そしてブロック長・白ゆり長の皆様がおられるからこそ、同志は信心の根を張り、求道の枝葉を伸ばし、生き生きと成長できる。

 アメリカの人権の指導者キング博士は語った。
「われわれはばらばらの時よりも、団結している時の方が多くのものを獲得することができます。そしてこれがわれわれのパワーを獲得する方法です」と。
 わが信頼するリーダーを中心に、異体同心の団結で、「全地区、全ブロックが和楽のパワーの全面開花を!」「最前線の英雄に健康と人生の勝利あれ!」と、私も、朝な夕な題目を送り続けている。
 
 近年、住民同士のつながりを強化しようと、全国の各自治体で、地域活動への参加を促す取り組みが行われている。
 その中で、わが婦人部の皆様も、地域の太陽として、日々、友好と信頼の光を広げておられる。
 地域を大切に! この思いは、壮年部や男子部も同じ。だが一般的に、男性陣は、普段、地域でなじみが薄いようだ。しかし実際には、行事の設営や、防火・防犯のために近隣を回る夜警など、男性に求められる役割も少なくない。
 では、どうすれば、男性の地域参加を促進できるのか。
 そこで大切なのが、地域貢献に励む、身近な模範の存在だ。「自分にもできるかも」「やってみたい」という前向きな気持ちにさせてくれる。
 今、各地の壮年部や男子部の中には、そんな先駆の姿が光っている。
 仕事もある。家庭も大事。学会活動も忙しい。それでも「地域のために」と、自治会や青年会、PTAの役員など、推されて地域役職に就き、奔走(ほんそう)している。近隣の清掃など、地道な地域貢献に励む友も多い。
 わが街、わが郷土に尽くす「地域部」や「団地部」の方々も、今月17日に部の日を迎える誉れの「農漁光部」、さらに「離島部」の皆様も男女共に「地域の安心の灯台」と輝きわたっている。
 地域に幸福と平和の花を! その花々で世界を包みたい――そこに恩師の深き願いもあった。

 歴史的な「3・16」の儀式を終えたある日、戸田先生は「メキシコへ行った夢を見たよ」と嬉しそうに言われ、私に「世界が相手だ。世界へ征くんだ」と厳然と語り託してくださった。忘れることはできない。
 このメキシコでも、ここ10年で、青年部の陣容が倍増している。その躍進の様子をお聞きした。
――ある地区は、メンバーの7割が男女青年部員。毎回の座談会には数10人が集い、友人も多く参加されている。
 だが以前は、その地域に住む同志は、ほとんどいなかったという。
 転機は、現在の地区部長夫妻が引っ越してきた、ほぼ10年前のこと。
 夫妻は「いつか必ず、わが家を青年でいっぱいにしよう」と誓い、対話を広げ、毎週のように座談会も開いた。しかし、弘教も実らず、夫婦二人だけの座談会も、1度や2度ではなかった。
 1年が過ぎようとしていた冬の日。座談会に来ていた一人の青年が言った。「信心に挑戦してみます。僕もあなたたちのようになりたい」と。
 この地に初めての青年部員が誕生した瞬間だった。以来、夫妻の励ましに触れ、青年の入会者が相次ぐようになった。
 かつて非行に走った、20代の男子部員は入会後、見違えるように成長した。「こんな経験をした自分だからこそ」と、心理セラピストの資格を取得し、青年たちの悩みに寄り添い続けている。
 また、この地区がある地域では、以前から治安の悪化が心配されていたようだ。
そんな中、学会に入会した青年たちが、地域貢献に勇んで取り組むようになり、驚きと感動が広がった。住民から「私にも信心の話を聞かせてほしい」等の声も寄せられているという。
 使命に燃えた青年の姿は、百万言の理論にも勝り、人の心を揺さぶらずにはいられない。ゆえに青年は、勢いよく人間の中へ飛び込んでゆくことだ。どんどん、友好を広めゆくことだ。
 
 作家の山岡荘八氏(やまおかそうはち)は、東北の英雄・伊達政宗(だてまさむね)を描いた作品に、こう力強く記した。「人間のほんとうの価値は、その行動が他日(たじつ)他人(たにん)を、どのように多く喜ばせるかにかかっている」と。
 来る日も、来る日も、同志の笑顔のため、地域の人びとの喜びのため、わが地涌の勇者の皆様方は走り、語り続けている。いかなる高位の人よりも、有名人や権勢の人よりも、遙(はる)かに偉大な人間王者であり、幸福と平和の博士である。

 大聖人は、「其(そ)の国の仏法は貴辺(きへん)にまか(任)せたてまつり候ぞ」(御書1467ページ、)と最大に信頼してくださっている。
 私たちが仏縁を結んだ分だけ、人びとの生命に具(そな)わる仏の生命が呼び起こされ、地域も輝きを増していくのだ。
「2月闘争」の伝統は、壁(かべ)を破(やぶ)る挑戦の心が築き上げた、連続勝利の歴史である。
    さあ、勇(いさ)んで打って出よう! あの友、この友の心に、希望と励ましの春風を届けよう!
  わが “本国土” たる地域に、幸福と勝利、安穏と繁栄の春を呼ぶ対話の拡大へ、先駆けようではないか!
 
 寒風も
  やがて薫らむ
    春の風
  仏道修行と
   冬を勝ち越え

(2015年2月13日付 聖教新聞)






Last updated  2015/02/22 03:58:13 PM
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