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晴ればれとBlog

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新連載「My Human Revolution」

2020/05/29
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マイ・ヒューマン・レボリューション──
小説『新・人間革命』学習のために 第10巻


 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第10巻を掲載する。次回の第11巻は6月5日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

信心に励む人は成仏の軌道に
 <1965年(昭和40年)1月、山本伸一は大阪から急きょ、鳥取の米子へ向かう。若き支部長の事故死によって多くの同志の胸に生じた、信心への疑いと迷いを晴らすためであった>

 真の信仰者として広宣流布に邁進(まいしん)している人は、いかなるかたちで命を終えようとも、成仏は間違いない。
 初期の仏典には、次のような話がある。
 ──摩訶男(まかなん・マハーナーマ)という、在家(ざいけ)の信者がいた。彼は、もし、街の雑踏(ざっとう)のなかで、三宝への念を忘れている時に、災難に遭(あ)って命を失うならば、自分はどこで、いかなる生を受けるのかと、仏陀(ぶっだ)に尋(たず)ねる。
 すると、仏陀は言う。
 「摩訶男よ、たとえば、一本の樹木があるとする。その樹は、東を向き、東に傾き、東に伸びているとする。もしも、その根を断つならば、樹木は、いずれの方向に、倒れるであろうか」
 摩訶男は答えた。
 「その樹木が傾き、伸びている方向です」
 仏陀は、仏法に帰依(きえ)し、修行に励んでいるものは、たとえ、事故等で不慮(ふりょ)の死を遂げたとしても、法の流れに預(あず)かり、善処(ぜんしょ)に生まれることを教えたのである。

 また、日蓮大聖人は、南条時光に、弟の死に際(さい)して与えられたお手紙で、「釈迦仏・法華経に身を入れて候いしかば臨終(りんじゅう)・目出(めで)たく候いけり」(御書1568ページ)と仰せになっている。信心に励んだ人の、成仏は間違いないとの御指南である。(中略)
 彼は、18日、空路、大阪から米子に向かった。最も大変なところへ、自ら足を運ぶ──それが伸一の、指導者としての哲学であった。  (「言論城」の章、20~22ページ)

学会活動は生命を鍛錬する場
 <伸一は8月15日、アメリカのロサンゼルスで行われた海外初の野外文化祭に出席。翌日の懇談会で、自身の幸福を築くための学会活動であることを確認する>

 「今回の文化祭は、(中略)極めて大変な条件のなかでの文化祭であったと思う。
 途中で、やめてしまおうかと思った人もいるかもしれない。だが、そんな自分と戦い、懸命に唱題し、それぞれの分野で、真剣に努力されてきた。
 まず、広宣流布の大きな布石となる文化祭のための唱題が、努力が、献身が、そのまま、大功徳、大福運となりゆくことは、絶対に間違いありません。これが妙法の因果の力用です。

 また、皆さんは、文化祭を大成功させるために、不可能と思われた限界の壁、困難の壁を、一つ一つ破(やぶ)ってこられた。そして、この文化祭を通して、自信と、信心への揺るぎない確信をつかまれたことと思う。
 実は、それが何よりも、大事なことなんです。
 人生には、さまざまな試練がある。病に倒れることもあれば、仕事で行き詰(づ)まることもある。
 その時に、悠々(ゆうゆう)と乗り越えていくためには、生命の鍛錬(たっmれん)が必要です。精神の骨格となる、信心への大確信が必要なんです。
 この文化祭に全力で取り組み、唱題を根本に、あらゆる困難を克服してこられた皆さんは、“仏法に行き詰まりはない”との体験をつかまれたと思います。
 こうした体験を、どれだけ積んできたかによって、仏法への揺(ゆ)るぎない大確信が育まれ、何があっても負けることのない、強い自身の生命が鍛え上げられていきます。
 そのための『場』となるのが、学会活動です。また、文化祭でもあります。
つまり、自分の幸福の礎(いしずえ)を築いていくための活動なんです」  (「幸風」の章、133~134ページ)

民衆による民衆のための宗教
 <10月、フランスのパリを訪れた伸一は、ヨーロッパの拠点となる事務所の開所式に参加。世界広布の先駆を切る女性たちを励ましながら、民衆こそが広宣流布の主役であることを思う>

 アメリカでも、東南アジアでも、日蓮仏法を弘めてきたのは、キリスト教のような宣教師ではなかった。
 世界広布を担ってきたのは、“衣(ころも)の権威”に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。しかも、その多くは女性たちである。
 なんの後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、法を伝えてきたのだ。
誤解(ごかい)や偏見(へんけん)による、非難もあったにちがいない。まさに、忍耐(にんたい)の労作業といってよい。

 宗教の歴史には、武力や権力、財力などを背景にした布教も少なくなかった。
しかし、それでは、どこまでも対話主義を貫(つらぬ)き、触発と共感をもって布教してきた、日蓮大聖人の御精神を踏みにじることになる。「力」に頼ることなく、民衆が主役となって布教を推進してきたところに、日蓮仏法の最大の特徴があるといってよい。
 また、それ自体が、「民衆のための宗教」であることを裏付けている。
 伸一は、遠く異国の地にあって、広宣流布に生き抜こうとする、健気(けなげ)なる同志に、仏を見る思いがしてならなかった。 (「新航路」の章、224~225ページ)

広布誓願の祈りが病魔を克服
 <伸一は11月、関西本部新館で奈良本部の同志と記念撮影に臨む。そこで、“病気の宿業は乗り越えられるのか”との質問に答える>

 「どんなに深い宿業(しゅくごう)だろうが、必ず断ち切っていけるのが、日蓮大聖人の大仏法です。(中略)
 本来、その宿業は少しずつしか出ないために、何世にもわたって、長い間、苦しまなければならない。
 しかし、信心に励むことによって、これまでの宿業が、一気に出てくる。そして、もっと重い苦しみを受けるところを、軽く受け、それで宿業を転換できる。『転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)』です。(中略)
 御本尊への、深い感謝の一念が、大歓喜の心を呼び覚まします。そして、この大歓喜が大生命力となっていくんです。

 唱題するにしても、ただ漫然(まんぜん)と祈っていたり、御本尊への疑いを心にいだいて祈っていたのでは、いつまでたっても、病魔(びょうま)を克服(こくふく)することはできません。
 大事なことは、必ず、病魔に打ち勝つぞという、強い強い決意の祈りです。
そして、懺悔滅罪(ざんげめつざい)の祈りであり、罪障(ざいしょう)を消滅(しょうめつ)してくださる御本尊への、深い深い感謝の祈りです。

 胃が癌(がん)に侵(おか)されているというのなら、唱題の集中砲火を浴びせるような思いで、題目を唱えきっていくんです。
 さらに、重要なことは、自分は広宣流布のために生き抜くのだと、心を定めることです。そして、“広布のために、自在に働くことのできる体にしてください”と、祈り抜いていくんです。広宣流布に生き抜く人こそが、地涌の菩薩です。
 法華経の行者です。広布に生きる時には、地涌の菩薩の大生命が全身に脈動します。その燦然たる生命が、病を制圧していくんです」  (「桂冠」の章、300~302ページ)

創価教育の誓い
 <1965年11月、創価大学設立審議会が発足。牧口常三郎初代会長と戸田城聖第2代会長の悲願の実現へ、本格的な準備が始まる。「桂冠」の章には、山本伸一が両会長の構想実現を誓う場面が描かれている>

 伸一は、師の戸田から大学設立の構想を聞かされた折のことが、一日として頭から離れなかった。
 ──それは、戸田が経営していた東光建設信用組合が、経営不振から業務停止となり、再起を期して設立した新会社の大東商工が、細々と回転し始めようとしていた、1950年(昭和25年)の11月16日のことであった。
 戸田のもとにいた社員たちも、給料の遅配が続くと、一人、また、一人と、恨(うら)み言(ごと)を残して去っていった。伸一も、オーバーなしで冬を迎えねばならぬ、秋霜(しゅうそう)の季節であった。

 この日、伸一は、西神田の会社の近くにある、日本大学の学生食堂で、師の戸田と昼食をともにした。安価な学生食堂にしか行けぬほど、戸田城聖の財政は逼迫(ひっぱく)していた。
 彼にとっては、生きるか死ぬかの、戦後の最も厳しい“激浪の時代”である。
 しかし、戸田は泰然自若(たいぜんじじゃく)としていた。彼は、学生食堂へ向かう道々、伸一に、壮大な広宣流布の展望を語るのであった。

 食堂には、若々しい談笑の声が響いていた。
 戸田は、学生たちに視線を注ぎながら、微笑みを浮かべて言った。
 「伸一、大学をつくろうな。創価大学だ」
 伸一が黙(だま)って頷(うなず)くと、戸田は、彼方を仰ぐように目を細めて、懐(なつか)かしそうに語り始めた。
 「間もなく、牧口先生の七回忌だが、よく先生は、こう言われていた。
 『将来、私が研究している創価教育学の学校を必ずつくろう。もし、私の代に創立できない時は、戸田君の代でつくるのだ。小学校から大学まで、私の構想する創価教育の学校をつくりたいな』と……」
 ここまで語ると、戸田は険しい顔になった。

 「しかし、牧口先生は、牢獄のなかで生涯を閉じられた。さぞ、ご無念であったにちがいない。私は、構想の実現を託された弟子として、先生に代わって学校をつくろうと、心に誓ってきた。牧口先生の偉大な教育思想を、このまま埋もれさせるようなことがあっては、絶対にならない。そんなことになったら、人類の最高最大の精神遺産をなくしてしまうようなものだ。
 人類の未来のために、必ず、創価大学をつくらねばならない。しかし、私の健在なうちにできればいいが、だめかもしれない。伸一、その時は頼むよ。世界第一の大学にしようじゃないか!」

 この時の戸田の言葉を、伸一は、決して、忘れることはなかったのである。
 だが、既に、その戸田も世を去っていた。創価教育の学校の設立は、牧口から戸田へ、戸田から伸一へと託され、今、すべては、彼の双肩にかかっていたのである。
 伸一は、先師・牧口の、そして、恩師・戸田の構想の実現に向かい、いよいよ第一歩を踏み出せたことが嬉しかった。(中略)
 師匠が描いた構想を現実のものとし、結実させてこそ、まことの弟子である。
その不断の行動と勝利のなかにのみ、仏法の師弟の、尊き不二の大道がある。
金色に輝く、共戦の光の道がある。 (293~296ページ)


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


(2020年5月29日   聖教新聞)







Last updated  2020/05/29 11:02:30 AM
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2020/05/22

​​​マイ・ヒューマン・レボリューション――
小説『新・人間革命』学習のために ​第9巻​

小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第9巻を掲載する。次回の第10巻は29日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。
 ​


「君が一人立てばいい!」
 <1964年(昭和39年)5月、山本伸一はオーストラリアなどの歴訪に出発。その経由地であるフィリピン・マニラの空港で、マニラ支部の支部長夫妻と、支部長を支えながら奮闘してきた柴山昭男という青年を激励する>


 伸一は、柴山に仕事のことなどを尋(たず)ねたあと、彼に言った。
 「ところで、君をフィリピンの男子部の責任者に任命しようと思うが……」
 「責任者といわれましても、男子部はほとんどいないんです」
 「いいんだよ。君が一人立てばいいんだ。そうすれば、必ず人は出てくる。一人が大切なんだ。
 大聖人も、お一人で立たれた。戸田先生も、戦時中の弾圧で、みんなが退転してしまったなかで一人立たれた。
 そこから戦後の学会は始まった。一人立つ人がいれば、必ず広がっていく。それが広宣流布の原理だよ。 
 来年の5月3日には、日本にいらっしゃい。そこで男子部の旗を授与しよう」
 「はい!」
 決意のこもった、柴山の声が響いた。
 伸一は頷きながら、話を続けた。
 「大聖人は『よ(善)からんは不思議わる(悪)からんは一定(いちじょう)とをもへ』(御書1190ページ)と仰せになっている。広宣流布の道が険しいのは当然です。困難ばかりであると、覚悟(かくご)を決めることです。弾圧下にある国もある。
 そのなかでも同志は、必死になって命がけで頑張っている」(中略)
 伸一は、フィリピンのメンバーに言った。
 「何ごとにも平坦な道はない。しかし、苦労があるから強くなれる。
 苦難がまことの信仰を育む。労苦が魂(たましい)を鍛(きた)える。
 嵐に向かい、怒濤(どとう)に向かって進んでいくのが、広宣流布の開拓者だ。
 この3人が立ち上がり、真剣になれば、フィリピンの基礎(きそ)は築ける。未来は安泰だ。私と同じ心で、同じ決意で前進しよう。
 私は、マニラに親戚ができたと思っているからね」
 ほどなく、出発の時間になった。
 「握手をしよう」
 こう言って伸一は、柴山に手を差し出した。
 「青年が頑張るんだよ。時代、社会を変えていくのは、青年の力しかない。今度、会う時には、一段と成長した姿で会おう。待っているよ」
 伸一の手に、力がこもった。柴山も、その手をしっかりと握り締めた。(「新時代」の章、67~70ページ)

真剣な一念が智慧の源泉

 <65年(同40年)1月、伸一は高等部の第一期生が、決意をとどめる署名をするようにしてはどうかと提案。青年部長の秋月英介は、泉が湧くような伸一の相次ぐ提案に驚嘆(かんたん)し、尋(たず)ねる>
 「先生の次々と打たれる手には、今更ながら驚き、感服するのみです。そうしたお考えは、どうすれば出てくるのでしょうか」
 「すべては真剣さだよ。私は、21世紀のことを真剣に考えている。
 その時に、誰が広宣流布を、世界の平和を、担っていくのか。誰が21世紀に、本当の学会の精神を伝えていくのか。それは、今の高等部、中等部のメンバーに頼むしかないじゃないか。
 だから、一人ひとりに、しっかりと成長していってもらうしかない。大人材、大指導者に育ってもらうしかない。
 では、どうすればよいのか。何もしなければ、人は育たない。
 大切なのは触発だ。その触発をもたらすには、日々、命を削る思いで、成長を祈ることだ。
 そして、“どうすれば、みんなの励みになるのか”“どうすれば、希望がもてるのか”“どうすれば、勇気が出せるのか”を、瞬間瞬間、懸命に考え続けていくことだ。
 強き祈りの一念が智慧(ちえ)となり、それが、さまざまな発想となる。
 責任感とは、その一念の強さのことだ」 (「鳳雛」の章、134~136ページ)

団結の力は境涯開く祈り

 <64年(同39年)12月、伸一は沖縄の地区部長会で、団結の大切さを訴える>
 「皆が仲良く、互いに尊敬し合って、団結していくことが、広宣流布を前進させていく力になる。反対に同志を恨(うら)んだり、憎(にく)んだり、軽(かろ)んじたり、嫉妬(しっと)するようなことは、絶対にあってはならない。それは大謗法(ほうぼう)になる。自分も罰を受けるし、組織を歪(ゆが)んだものにし、広宣流布を破壊していくことになります。
 では、どうすれば、同志の団結が図(はか)れるのか。
 根本は祈りです。題目を唱え抜いていくことです。いやだな、苦手だなと思う人がいたら、その人のことを、真剣に祈っていくんです。
 いがみ合ったり、争(あらそ)い合うということは、互いの境涯が低いからです。
 相手の幸福を祈っていくことが、自分の境涯を大きく開いていくことになる。
 また、誤解から、感情の行き違いを生むことも多いから、心を開いて、よく話し合うことです。勇気をもって、対話することです。互いの根本の目的が、本当に、広宣流布のためであるならば、信心をしている人同士が、共鳴できないはずはありません」
 一人ひとりは、どんなに力があっても、仲が悪ければ、全体として力を発揮することはできない。
 逆に仲の良い組織というのは、それぞれが、もてる力の、2倍、3倍の力を発揮しているものである。(「衆望」の章、382~383ページ)

小説「人間革命」の起稿

小説『人間革命』は、聖教新聞紙上での連載回数1509回(全12巻)で、1993年2月11日に完結した
 「衆望」の章には、小説『人間革命』を起稿するに至った伸一の真情とその経緯が記されている。
                    ◇ 
 窓から差し込む、南国の朝の日差しがまばゆかった。机には、400字詰めの原稿用紙が置かれていた。
 彼は、この日、この朝、小説『人間革命』の筆を起こそうと心に決め、この沖縄にやって来たのである。
 思えば、伸一が、戸田の生涯を書き残そうとの発想をもったのは、19歳の時であり、入会して3カ月が過ぎたころであった。
 軍部政府の弾圧と戦い、投獄されても、なお信念を貫き、人民の救済に立ち上がった戸田城聖という、傑出した指導者を知った伸一の感動は、あまりにも大きかった。
 伸一は、“わが生涯の師と定めた戸田先生のことを、広く社会に、後世に、伝え抜いていかなくてはならない”と、深く深く決意していた。
 その時の、炎のごとき思いは、生命の限りを尽くして、師弟の尊き共戦の歴史を織り成していくなかで、不動の誓いとなっていくのである。


 1951年(昭和26年)の春であった。
 彼は、戸田が妙悟空のペンネームで、聖教新聞に連載することになった、小説『人間革命』の原稿を見せられた時、“いつの日か、この続編ともいうべき戸田先生の伝記を、私が書かねばならない”と直感したのであった。
 さらに、3年余りが過ぎた1954年(昭和29年)の夏、戸田と一緒に、師の故郷の北海道・厚田村を訪ねた折のことである。
 伸一は、厚田港の防波堤に立って、断崖が屏風(びょうぶ)のごとく迫る、厚田の浜辺を見ながら、戸田の人生の旅立ちをうたった、「厚田村」と題する詩をつくった。
 その時、自分が“戸田先生の伝記を、必ず書き残すのだ”と、改めて心に誓ったのである。


 それから3年後の8月、伸一は、戸田とともに、軽井沢で思い出のひとときを過ごした。
 師の逝去の8カ月前のことである。そこで、単行本として発刊されて間もない、戸田の小説『人間革命』が話題になった。
 戸田は、照れたように笑いを浮かべて言った。
 「牧口先生のことは書けても、自分のことを1から10まで書き表すことなど、恥ずかしさが先にたってできないということだよ」
 その師の言葉は、深く、強く、伸一の胸に突き刺さった。
 戸田の『人間革命』は、彼の分身ともいうべき主人公の“巌(がん)さん”が、獄中にあって、広宣流布のために生涯を捧げようと決意するところで終わっている。
 それからあとの実践については、戸田は、何も書こうとはしなかった。
 伸一は、この軽井沢での語らいのなかで、広宣流布に一人立った、その後の戸田の歩みを、続『人間革命』として書きつづることこそ、師の期待であると確信したのである。

小説『人間革命』を執筆する池田先生(1965年、東京・信濃町の学会本部で)​​​

​​ 伸一は、ここでペンを置いた。原稿は、連載2回分になっていた。
 2、3度、推敲(すいこう)したが、直すところは、ほとんどなかった。
 “よし、これでいい!”
 伸一は、満ち足りた思いで、立ち上がった。
 “それにしても、大変な道に足を踏み込んでしまったものだな”
 彼は、机の上の原稿に目を向けながら、しみじみと思った。
 ひとたび連載小説の執筆を開始したならば、一つの区切りを迎えるまでは、途中で休むわけにはいかないからだ。
 しかも、戸田城聖の出獄から逝去までをつづるとなれば、どう考えても、10巻を超える大作にならざるを得ない。
 『人間革命』の執筆を発表した時から、覚悟してきたことではあったが、この連載が、相当、自分を苦しめるであろうことは、目に見えていた。
 しかし、伸一の心は燃えていた。
 それによって、どんなに苦しむことになったとしても、偉大なる師の思想と真実を、自分が書き残していく以外にないという使命感と喜びが、彼の胸にたぎっていたのである。
 ​(「衆望」の章、383~386ページ、392~393ページ)​​​


(2020年5月22日   聖教新聞)







Last updated  2020/05/22 09:50:05 AM
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2020/05/15

マイ・ヒューマン・レボリューション──
小説「新・人間革命」学習のために 第8巻

小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第8巻を掲載する。次回の第9巻は22日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

崩れざる幸福は冥益の輝き
 <1963年(昭和38年)6月、山本伸一は、塩浜海岸の特設会場での奄美総支部結成大会で、功徳について語る>

 「功徳には、祈りの結果が、直ちに目に見える利益(りやく)、つまり顕益(けんやく)と、目には見えない利益である、冥益(みょうやく)とがあります。大聖人の仏法は、このうち、冥益が主となって、私たちに幸福をもたらしてくれます。(中略)
 本当の功徳とは、信心をしたら大金が手に入ったとかいうものではありません。『棚からボタモチ』のような、自分は何もせずに、どこかから幸運が舞い込んでくるのが功徳だとしたら、かえって、人間を堕落(だらく)させてしまいます。


 では、冥益とは何か。
 たとえば、木というものは、毎日、見ていても、何も変化していないように見えますが、5年、10年、20年とたつうちに、大きく生長していきます。それと同様に、5年、10年、20年と信心に励むうちに、次第に、罪障(ざいしょう)を消滅(しょうめつ)し、宿命を転換し、福運を積み、大利益を得ることができるのが冥益(みょうやく)であり、それが大聖人の仏法の真実の功徳なのであります」

 多くのメンバーは、功徳といえば、「顕益」と思い込んできた。それだけに、「冥益」の話に、驚いた人もいた。伸一は、皆に、正しい信仰観を確立してほしかったのである。
 「冥益とは、言い換えれば、信仰によって、生命力と智慧を涌現し、人格を磨き、自らを人間革命して、崩れざる幸福境涯を築くということでもあります。
 したがって、焦(あさ)らず、弛(たゆ)まず、木が大地に深く根を張って、大樹に育っていくように、学会とともに、広布とともに生き抜き、自らの生命を、磨き、鍛えていっていただきたいのであります。そうして、10年、20年、30年とたった時には、考えもしなかった幸福境涯になることは間違いないと、断言しておきます」 (「布陣」の章、80~83ページ)

広布に生き抜き境涯を革命
 <伸一は、7月に京都大学の学生部員を対象に「百六箇抄」を講義。“骨のある人間とは?”との受講生の質問に答える>

 「それは、信念をもったスケールの大きな、堂々たる生き方をしていく人間ということです。人間は、どうしても環境に染まっていきやすいものだ。たとえば、アルバイトに明け暮れ、コッペパンやオニギリばかり食べて、生きていくのがやっとだという状態のなかで勉強していると、狭量(きょうりょう)な人間になってしまう場合がある。

 また、今の“学生かたぎ”として、自分のささやかな幸せだけを追い求めて生きる傾向もある。私は、青年たちが自分のことしか考えなくなりつつあることを、心配しているんです。社会、世界をどうするのか、最高に価値ある生き方とは何か、といった問題をおろそかにし、なんの信念も、哲学もない人生であってはならない。青年がそうであれば、最後は、自分も社会も不幸です。

 では、どうすれば、骨のある、スケールの大きな人間になれるのか。それは境涯を革命することです。人間革命です。題目を唱え抜き、学会とともに広宣流布に生きていくならば、自然のうちに大境涯になり、骨のある人間になっていきます。
 その意味でも、人間を育て、人類の未来を担っていくのは創価学会以外にはない。だからみんなも、学会について来ることです!
 まだ、みんな若いから、人生は、長い長い道程のように思っているかもしれないが、あっという間に終わってしまうものだ。まさに『光陰矢(こういんや)のごとし』です」  (「宝剣」の章、143~144ページ)

「無疑曰信」の不動の信心を
 <7月、伸一は長野市民会館で開催された中部第2本部の幹部会で、幸福の要諦は御本尊を信じ抜く、「無疑曰信(むぎわっしん)」(疑いなきを信という)の清流のごとき信心が肝要(かんよう)であることを訴える>

 「大聖人の仏法の正しさは、文証、理証、現証のうえから証明されております。
 しかし、ちょっと商売が行き詰まると、すぐに御本尊には力がないと疑いの心をいだく。子どもが怪我をしたといっては、御本尊は守ってくれなかったと思う。
 また、一部のマスコミが学会を批判したからといって、学会の指導を疑い、御本尊への確信をなくし、勤行もしなくなってしまう。こういう方もおりますが、そうした人に限って、自分自身の生き方や信心を振り返ろうとはしない。
 それでいて、何かにつけて御本尊を疑い、学会を疑う。それは大功徳を消していくことになります。

 赤ん坊は、何も疑うことなく、お母さんのお乳を飲んで成長していきます。
しかし、お乳を飲まなくなれば、成長も遅くなり、病気にもかかりやすい。

 それと同じように、御本尊を信じ、生涯、題目を唱え抜いていくならば、仏の生命を涌現し、生活のうえにも、絶対的幸福境涯の姿を示していけることは間違いないのであります。
 どうか、御本尊を疑うことなく、題目を唱えに唱え、唱えきって、広宣流布の団体である学会とともに走り抜き、この人生を、最高に有意義に、最高に幸福に、荘厳してまいろうではありませんか」
 愛する会員が、一人も残らず、充実した人生のなかに、功徳と福運に包まれゆくことを念じての、渾身(こんしん)の指導であった。  (「清流」の章、209~210ページ)

会員間の金銭貸借は厳禁!
 <ある地方で、幹部の金銭問題が発覚。戸田城聖第2代会長は会員間の金銭貸借を厳しく禁じており、今日の学会の鉄則となっている>

 そもそも戸田城聖が、会員間の金銭貸借(きんせんたいしゃく)を厳しく禁じたのは、そのために組織が利用されることを防ぐためであった。また、金銭関係のもつれが組織に波及(かきゅう)し、怨嫉(しっと)などを引き起こすことになるからである。

 よく会員のなかには、誰に金を貸そうが、そんなことは、個人の自由ではないかという者もいた。そういう声を聞くと、戸田は言った。
 「私が金銭貸借を禁じているのは、そのことから、結局は、信心がおかしくなり、学会という正義の組織が破壊されていくからだ。
 金を借りた幹部は、相手にきちんと信心指導ができなくなり、わがままを許すようになる。また、人事も公平さを欠いていく。一方、幹部や会員に金を貸して、返してもらえないというと、学会や信心に不信をいだき、怨嫉し、やがては退転していく。実際にみんなそうだった。
 私は、みんなを不幸にさせないために、金銭貸借を禁じたのだ。もし、どうしても貸したいというのならば、貸せばよい。だが、学会は知らぬぞ。また、返さないからといって恨みごとをいうな。貸したいのなら、あげるつもりで貸しなさい」

 金銭貸借の厳禁は、どこまでも信仰の世界の純粋さを守るための、戸田の決断であった。  (「清流」の章、265~266ページ)

山本伸一と若き宝友
 1963年7月、山本伸一は、京都大学で学ぶ学生部員の代表に「百六箇抄」講義を開始。「宝剣」の章には、受講生一人一人へ、指導、激励を重ねる伸一の姿が描かれている。

◇ 

 <「本迹」を皆の生活に即して語る>

 「私たちの人生にも、生活にも、全部、『本迹(ほんしゃく)』がある。それを、きちっと見極(みきわ)め、立て分けていかねばならない。

 たとえば、眠っている時は『迹』、起きている時は『本』。勉学が本分である学生が、遊びに、ふけっているのは『迹』、勉学に打ち込んでいるのは『本』といえる。
 また、勉強しているといっても、立身出世のための勉強であれば、心は自分中心であり、世間に流された『迹』の生き方です。しかし、学生部員として、広布のために力をつけようと、使命感を奥底にもっての勉強であれば『本』です。
 ともあれ、根本的にいえば、私たちの本地は、広宣流布のために出現した地涌の菩薩であり、ゆえに、広宣流布に生き抜く人生こそが『本』となる。

 一方、諸君が将来、社会的な地位や立場がどんなに立派になったとしても、それは『迹』です。この一点を見誤ってはならない。(中略)
 『本迹』を個人の一念に要約していえば、『本』とは原点であり、広宣流布への一念です。また、前進、挑戦の心です。『迹』とは惰性であり、妥協、後退です。
 自分は今、広布のために、人間革命のために生きているのか、一念は定まっているのか──それを見極めていくことが、私たちにとって、『本迹』を立て分けていくということになるし、その人が最後の勝利者になっていく。ゆえに、『本迹』といっても、この瞬間瞬間が勝負であり、自分のいる現実が仏道修行の道場となる」 (148~149ページ)
◇ 


 <人生そのものに懐疑的(かいぎてき)になり、学会活動にも積極的になれずにいた友を励ます>

 「あなたは、一人になり、孤独(こどく)になってはだめだよ。行き詰まってしまうからね。常に心を開いてくれる、触発と励ましの組織が学会なんだ。だから、勇気をもって、その学会の組織のなかに飛び込み、人びとのために働くことだ」 (156ページ)
               ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第8巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座を閲覧できます。 ​池田主任副会長の紙上講座 3:53


(2020年5月15日   聖教新聞)







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2020/05/08

「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」

​――小説「新・人間革命」学習のために「ドクター部」編

  医療に従事(じゅうじ)する皆さまの健康を懸命に祈り続けてまいります​
   
 今回の「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」は、ドクター部への励ましを掲載する。私たちの命を守るために、昼夜を分かたず、医療現場の最前線で闘ってくださっている方々の健康を、懸命に祈り続けたい。※次回は第8巻を、15日付2面に予定。挿絵は内田健一郎。


慈悲の医学の体現者たれ
 <1971年(昭和46年)9月、第2回学術部総会の席上、医師、歯科医師、薬剤師、検査技師らで構成される、ドクター部が誕生。仏法を根底にした「慈悲の医学」の道を究(きわ)め、人間主義に基づく医療従事者の連帯を築くことを目的とした同部に、山本伸一は限りない期待を寄せる>
 伸一は、本来、医療の根本にあるべきものは、「慈悲」でなければならないと考えていた。
 「慈悲」とは、抜苦与楽(ばっくよらく)(苦を抜き楽を与える)ということである。一切衆生を救済せんとして出現された、仏の大慈大悲に、その究極(きゅうきょく)の精神がある。
 日蓮大聖人は「一切衆生の異(い)の苦(く)を受(う)くるは悉(ことごと)く是(こ)れ日蓮一人の苦なるべし」(御書758ページ)と仰せである。あらゆる人びとのさまざまな苦しみを、すべて、御自身の苦しみとして、同苦(どうく)されているのである。
 医療従事者が、この慈悲の精神に立脚(りっきゃく)し、エゴイズムを打ち破っていくならば、医療の在り方は大きく改善され、「人間医学」の新しい道が開かれることは間違いない。いわば、医療従事者の人間革命が、希望の光明になるといってよい。
 山本伸一は、医師のメンバーと会う機会があると、「慈悲の医学の体現者たれ」と励まし続けてきた。  (第22巻「命宝」の章、311~312ページ)​​


仏法の生命観は医の道標
 ドクター部員には、医師としての気高き「良心」があった。大いなる「理想」と「確信」があった。(中略)
 慈悲の医学の体現者たる使命を自覚した、ドクター部員の活躍は目覚ましかった。
 それぞれの職場にあっても、各人が人間的な医療の在り方を探求していった。体に負担の少ない治療法の研究に取り組む人もいれば、病院の環境改善に力を注いだ人もいた。
 さらに、健康セミナーの講師や、仏法と医学についての講演なども積極的に引き受け、地域にも、広宣流布の運動にも、大きく貢献(こうけん)していった。
 また、メンバーは、慈悲の医学をめざすには、仏法の人間観、生命観を深く学ぶ必要があると痛感し、1973年(昭和48年)からは、ドクター部の教学勉強会も行われた。
 山本伸一も、ドクター部の育成には、ことのほか力を注いだ。代表と、何度となく懇談もした。
 そのたびに、メンバーからは、「安楽死に対する見解」や「新薬に対する基本的な考え方」「人工中絶を仏法者として、どうとらえるべきか」など、質問が相次いだ。
 どの質問も、難解で複雑なテーマであったが、伸一は、仏法の生命観のうえから、考え方の原則を示していったのである。
 医学は、諸刃(もろは)の剣(つるぎ)ともなる。多くの人びとの生命を救いもするが、薬の副作用をはじめ、さまざまな弊害(へいがい)を生みもする。
 特に、医師をはじめ、医学にかかわる人たちが、誤った生命観に陥(おちい)れば、医療の大混乱を招(まね)くことにもなりかねない。
 それだけに、正しい生命観を究めていくことは、必要不可欠な医師の要件といえよう。
 生命を、最も深く、本源から説き明かしているのが仏法である。したがって、仏法を研鑽し、その教えを体現していくことは、医師としての先駆の探究といってよい。(第22巻「命宝」の章、315~317ページ)


四条金吾のごとく勇敢に
 ある時、伸一は、ドクター部の代表と懇談した。メンバーの一人から、難病の治療法の研究に、日々、悩みながら取り組んでいるとの報告があった。
 「尊いことです。それは菩薩の悩みです。難解極(なんかいきわ)まりない問題だけに、絶望的な気持ちになることもあるでしょう。しかし、諸仏(しょぶつ)の智慧(ちえ)は甚深無量(じんじんむりょう)です。私たちは、その仏の智慧を、わが身に具(そなわ)えている。
 信心を根本に、真剣に挑み抜いていくならば、解決できぬ問題はない。大事なことは、使命の自覚と、粘り強い挑戦です。私も題目を送ります」
 伸一は、常にドクター部の友の成長を祈り続けていた。(中略)
 大阪で行われた第2回総会のメッセージには、こう綴った。
 「医学の分野に、慈悲の赫々(かっかく)たる太陽光線を差し込む作業は、単なる社会の一分野の改革にとどまるものではない。
 生命を慈(いつく)しみ、育て、羽ばたかせる思想が、人びとの心の隅々にまで染み込んだ時、初めて現代文明が、機械文明から人間文明へ、物質の世紀から生命の世紀へと転換され、人類が光輝ある第一歩を踏み出すのであります。皆さん方は、一人ひとりが、その重要な使命と責任をもった一騎当千(いっきとうせん)の存在であります。いな、そうなっていただかなければ、私たちの未来はないとさえ言える」
 伸一のドクター部への期待は、限りなく大きかった。
 日蓮大聖人御在世当時、鎌倉の門下の中心になっていたのは、武士で医術に優(すぐ)れた四条金吾であった。彼が、あらゆる迫害をはねのけ、信心の勝利の実証を示したことで、どれほど門下が、勇気と自信を得たことか。一人の勇敢(ゆうかん)な戦いが、皆に力を与える。
 “ドクター部よ、現代の四条金吾たれ!”
 それが、伸一の心からの叫びであった。 (第22巻「命宝」の章、318~319ページ)


診療は人間対人間の対話

 <78年(同53年)1月、伸一は、四国ドクター部長の溝渕義弘と懇談する>
 彼(山本伸一=編集部注)は、義弘に尋ねた。
 「医師として、患者さんに接するうえで、心がけていることはありますか」
 「はい。患部や病だけでなく、人間を見るようにしています。一個の人間として患者さんと向き合い、どうすれば、苦を取り除き、幸せになるお手伝いができるかを考えています。ですから、話をする場合も、カルテや検査の数値ばかりを見るのではなく、患者さんの目をしっかり見て、人間対人間として対話するように心がけています。
 私は、患者さんから実に多くのことを学ばせてもらっています。自分の説得力のなさや力不足、生命を見つめる眼の大切さなど、すべて患者さんと接触するなかで気づかされ、教えられました。患者さんこそ師匠であり、患者さんが医師としての私を育ててくれたんです。
 患者さんを、心のどこかで見下し、“自分が診てあげるのだ”などと思ったら、それは慢心です。いい医師にはなれません」
 伸一は、その言葉に感動を覚(おぼ)えた。溝渕には、信念があり、謙虚(けんきょ)さがあり、感謝があった。それが成長の大事な要因といえよう。  (第26巻「勇将」の章、281~282ページ)

生命尊重の社会を

池田先生が第3回ドクター部総会で記念講演。後に、この日が「ドクター部の日」となった(1975年9月15日、東京・信濃町で)
 生命を守ることこそ、一切に最優先されなければならない。本来、国家も、政治も、経済も、科学も、教育も、そのためにこそ、あるべきものなのだ。
 「立正安国」とは、この思想を人びとの胸中に打ち立て、生命尊重の社会を築き上げることといってよい。  (第22巻「命宝」の章から)


ドクター部の友に贈った和歌

ドクター部の代表と握手を交わし、励ましを送る池田先生(2008年8月、長野研修道場で)
 2007年(平成19年)9月、池田先生は、慈悲の医療を目指して奮闘(ふんとう)する「ドクター部」の友に和歌を詠み、贈った。


  人間の


  生命護(せいめいまも)りし


   ドクター部


  永遠(とわ)の善美(ぜんび)は


    あなたの技(わざ)にて



(2020年5月8日  聖教新聞)







Last updated  2020/05/08 01:09:48 PM
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2020/04/30

​​「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」
──小説「新・人間革命」学習のために 「白樺の友」編

看護者の皆さん ありがとうございます
 今回の「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」は、「白樺の友」編として、第14巻「使命」の章につづられた看護に携わる友への励ましを掲載する。次回は「ドクター部」編を、5月8日付2面に予定。※第8巻の掲載は、5月15日付の予定です。挿絵は内田健一郎。

​白樺会の愛唱歌​   03:08   

毅然とした優しさが希望に

 白樺は「パイオニアツリー(先駆樹)」と呼ばれる樹木の一種で、伐採後の荒れ地や山火事のあとなどでも、真っ先に育つ、生命力の強い木であるといわれている。また、あとに生えてくる木々を守る、「ナースツリー(保護樹)」としても知られている。
 彼(山本伸一=編集部注)は、人びとの生命を守りゆく看護婦グループに、最もふさわしい名前であると考え、「白樺グループ」と命名したのである。

 “看護婦さん”というと、伸一には忘れられない、青春時代の思い出があった。
 それは、国民学校を卒業し、鉄工所に勤めていた時のことである。戦時下の軍需工場での労働は、かなり過酷(かこく)なものがあった。

 伸一の胸は、結核に侵(おか)されていた。(中略)
 そんなある日、高熱に加え、血痰(けったん)を吐(は)き、医務室に行った。憔悴(しょうすい)しきった伸一の姿を見ると、医務室の“看護婦さん”は、素早く脈をとり、体温を測った。40代半ばの小柄な女性であった。
 彼女は、心配そうな顔で言った。
 「これじゃあ、苦しいでしょう。ここには満足に薬もないし、レントゲンも撮れないから、すぐに病院へ行きましょう」(中略)

 道すがら、彼女は転地療法(てんちりょうほう)を勧めたあと、屈託のない顔で語った。
 「戦争って、いやね。早く終わればいいのに……。こんな時世だけど、あなたは若いんだから、病気になんか負けないで頑張ってね」
 診察を終えると、伸一は、何度も頭を下げ、丁重(ていねい)にお礼を述べた。“看護婦さん”は、さらりと言った。
 「気にしなくていいのよ。当たり前のことなんだから」
 社会も人の心も、殺伐(さつばつ)とした暗い時代である。親切を「当たり前」と言える、毅然(きぜん)とした優(やさ)しさに、力と希望をもらった気がした。それは、伸一にとって、最高の良薬となった。
 彼女の優しさは、「戦争はいや」と、戦時下にあって堂々と言い切る勇気と表裏一体のものであったにちがいない。一人の生命を守り、慈(いつく)しむ心は、そのまま、強き“平和の心”となる。 (99~102ページ) 
 
宗教的な信念こそ献身の力

 医療に人間の血を通わせるうえで、看護婦の果たす役割は、極めて大きいといえよう。看護婦は、人間と直接向き合い、生命と素手でかかわる仕事である。
その対応が、いかに多大な影響を患者に与えることか。

 体温を測るにせよ、注射一本打つにせよ、そこには看護婦の人間性や心が投影される。患者はそれを、最も鋭敏に感じ取っていく。
 そして、看護婦の人間性や患者への接し方は、どのような生命観、人間観、いわば、いかなる信仰をもっているかということと、密接に関係している。
 ナイチンゲールは「ともかくもその人の行動の動機となる力、それが信仰なのです」と述べている。真に献身的な看護には、宗教的な信念ともいうべき、強い目的意識が不可欠であろう。

 仏法は、慈悲、すなわち、抜苦与楽(ばっくよらく)(苦を抜き楽を与える)を説き、その実践の道を示した教えである。
 さらに、仏法は、生命は三世永遠であり、万人が等しく「仏」の生命を具えた尊厳無比なる存在であることを説く、生命尊厳の法理である。
 まさに、仏法のなかにこそ、看護の精神を支える哲学がある。
 その仏法を持ったメンバーが、自身を磨き、職場の第一人者となっていくならば、人間主義に立脚した、患者中心の看護を実現しゆく最強の原動力となることを、伸一は、強く確信していたのである。 (105~106ページ)

“白樺”は菩薩の心輝く集い

 <1969年(昭和44年)6月6日、「白樺グループ」の結成式が行われた。
その模様を聞くと、山本伸一は万感の思いを語った>

 「この会合はささやかだが、やがて歳月とともに、その意義の大きさがわかってくるよ。メンバーは皆、本当に大変ななかで懸命に信心に励んでいる。(中略)
 三交代という不規則な勤務のうえに、常に人間の生死と直面している。疲労も激しいだろうし、緊張感もストレスも、相当なものがあるだろう。
 会合に出席するのも必死であるにちがいない。急患(きゅうかん)があったりすれば、参加できなくなることもあるだろう。

 しかし、そのなかで、広宣流布の使命の炎を赤々と燃やして、頑張(がんば)り通してこそ、真実の仏道修行がある。それによって、自らの人間性も磨(みが)かれ、人の苦しみ、悲しみが共有できる。菩薩の心、慈悲の心を培(ちちか)うことができる。

 『極楽百年の修行は穢土(えど)の一日の功徳に及ばず』(御書329ページ)と仰せの通りだ。
 冬を経(へ)ずして春は来ない。花には忍耐(にんたい)という大地がある。労苦なくしては勝利もないし、人生の幸福もない。
 皆がともに勝ちゆくために、同じ看護婦として互いに励まし合い、支え合い、使命に生きる心を触発し合っていくことが大事になる」
 それから伸一は、未来を仰ぎ見るように顔を上げ、目を細めた。
 「これで、苗(なえ)は植えられた。20年、30年とたてば、このグループは、必ず大樹に育つよ。

 もともと、病に苦しんでいる人のために尽くそうと、看護婦の仕事を選んだこと自体、菩薩の心の人たちなんだ。みんなが、自身の使命を自覚し、自身に挑み勝っていくならば、『白樺グループ』は、最も清らかで、最も強く、一番、信頼と尊敬を集める、功徳と福運にあふれた女性の集まりになるよ。楽しみだ、楽しみだね……」 (111~113ページ)  

命を守ろうとの一念は感応

 「白樺グループ」では、看護の基本は、生命の法則を知ることであるとの考えのうえから、教学の研鑽(けんさん)に力を注ぐことにした。(中略)

 仏法の研鑽(けんさん)は、皆に自身の使命の深い自覚を促(うなが)し、人間主義の看護の実現をめざす原動力となっていった。

 「一念三千(いちねんさんぜん)」や「色心不二(しきしんふに)」「依正不二(えしょうふに)」「九識論(くしきろん)」等の法理を学び、生命と生命は互いに相通(あいつ)じ合うという「感応妙(かんのうみょう)」の原理を知ると、メンバーの患者への接し方は大きく変わっていった。

 ある人は、交通事故にあい、ほとんど意識がなくなった8歳の女の子の健康回復を、懸命に祈りながら、日々、手を握(にぎ)っては、励ましの言葉をかけ続けた。
 「必ず治るから、頑張ろうね」「早く元気になって、また学校に行きましょうね」
 だが、反応はなく、1週間、2週間とたっても変化は見られなかった。しかし、3週間目から、容体は好転し始め、やがて、視線が反応するようになった。

 ある日、少女の体を拭いていると、突然、少女が言葉を発した。
 「お姉ちゃん、ありがとう。私、学校に行けるようになるからね」
 彼女は、跳(と)び上がらんばかりに驚いた。本当に、生命は感応し合っていたのだ。
 こうした体験は、彼女一人ではなかった。皆が同様の体験をもち、看護する人の一念の大切さを痛感していった。だからメンバーは、患者のことを必死で祈った。

 “このまま死なせるものか!”
 “この命を必ず守らせてください!”
 その心で、看護にあたった。 (115~116ページ) 

【おことわり】小説では、当時の時代状況を反映するため、「看護師」を「看護婦」と表記しています。

碑の起工式
池田先生が見守る中、代表がくわ入れを行った「白樺の碑」「華冠の碑」の起工式(1978年6月23日、函館研修道場で)
 1978年(昭和53年)6月23日、池田先生は、「白樺の碑」「華冠の碑」の起工式で、白樺の友に和歌を贈った。
  
 白樺の
  真白き生命を
   つつみたる
  天使の胸に
    幸ぞ光れと

喜びの結成
創価学会新館(当時)で行われた白樺会の勤行会。池田先生が代表のメンバーと握手を交わす(1986年3月21日)
 1986年(昭和61年)3月21日、「白樺会」が結成。池田先生は、この日を記念して詠んだ。
  
 生命を
  こよなく愛し
    慈しむ
  あゝ白樺の
    悲母に幸あれ​​



(2020年4月30日  聖教新聞)







Last updated  2020/04/30 01:06:18 PM
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2020/04/24

​「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」
──小説「新・人間革命」学習のために 第7巻

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第7巻を掲載する。次回の第8巻は30日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

仏法は不信を信頼に転じる力

 <1962年(昭和37年)10月、指導会で山本伸一は核戦争の根源的解決の道を示す>

 「どうすれば、核戦争をなくしていくことができるのか。その本当の解決の道は、仏法による以外にありません。仏法は、一切衆生が皆、仏であると教えている。万人に仏性があり、自分も相手も、仏の生命を具(そな)えていると説く、仏法の生命哲学こそ、人間の尊厳を裏付ける大思想です。その教えが流布されるならば、必ずや、戦争を防ぐ最大の力となります。

 また、誰でも信仰に励み、実際に、仏の生命を涌現(ゆげん)していくならば、破壊(はかい)や殺戮(さつりく)に走ろうとする、自身の魔性(ましょう)の生命を打ち破ることができる。

 悲惨な核戦争の根本原因は、“元品の無明”という生命の根源的な迷いにある。
この無明の闇(やみ)から、不信や憎悪(ぞうお)、嫉妬(しっと)、あるいは、支配欲、殺戮の衝動など、魔性の心が生じる。
 この“元品の無明”を断ち切り、“元品の法性”という、真実の智慧(ちえ)の光をもって、生命を照らし、憎悪を慈悲に、破壊を創造に、不信を信頼に転じゆく力こそが、南無妙法蓮華経であります。また、それが人間革命ということです。ユネスコ憲章の前文には『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない』とあります。大事な着眼です。

 では、どうすれば、本当に崩れることのない“平和のとりで”が築けるのか。
 それを可能にするのが仏法であり、現実に、行ってきたのが創価学会です。
(中略)
 私たちがめざす広宣流布の道は、遠く、はるかな道のように思えるかもしれませんが、その道こそが、世界に永遠の平和を築く直道なのです。今こそ、仏法という“慈悲”と“平和”の大思想を、友から友へと伝え、私たちの力で、絶対に核戦争を回避(かいひ)していこうではありませんか。それが、われわれの使命です」
 (「文化の華」の章、79~80ページ)

互いの尊敬が生む鉄の団結

 <63年(同38年)1月、アメリカで伸一は団結の要諦を語る>

 「大聖人は『法に依って人に依らざれ』との経文を通して、信心の在り方を指導されています。
 私どもの信心は、どこまでも『法』が根本です。広宣流布という崇高な大目的を成就するために、みんなが心を合わせ、団結して活動を進めていく必要があるのです。
 もし、中心者が嫌いだからとか、自分の方が信心が古いからといって、あの人のもとでは活動できないという人がいたならば、その人は『法』が根本ではなく、『人』に対する自分の感情が根本になっているんです。
 また、それは、わがままです。わがままは、自分の心に負け、信心の軌道を踏み外した姿です。結局は、その人自身が不幸になります。反対に、中心者を守れば、自分が守られる。これが因果の理法です。

 一方、幹部になった人は、絶対に威張(いば)ったりせずに、よく後輩の面倒をみていただきたい。皆に奉仕するために幹部はいるんです。広宣流布に戦う人は、皆、地涌の菩薩であり、仏です。
 その方々を励まし、尽くした分だけ、自身も偉大な福運を、積んでいける。
 ともかく、皆が同志として尊敬し、信頼し合って、また、足りない点は補い、守り合えれば、鉄の団結が生まれます。その団結が、最大の力になる。御書には『異体同心なれば万事を成じ同体異心なれば諸事叶う事なし』(1463ページ)と仰せです。広宣流布に向かって、心を一つにすれば、すべてに大勝利できる」
 (「萌芽」の章、126~127ページ)

学会員こそ世界市民の模範

 <“創価学会が人間と人間を結ぶ宗教であることを実感した”と語るメンバーに伸一は、真の国際人としての要件とは何かを訴える>

 「戸田先生が『地球民族主義』と言われた通り、創価学会は、やがて、国家や民族、人種の違いも超えた、世界市民、地球市民の模範の集まりになっていくだろう。
 仏法の哲理が、それを教えているからだ。
 また、学会員は、本来、本当の意味での国際人であると思う。
 国際人として最も大事なポイントは、利己主義に陥ることなく、人びとを幸福にする哲学をもち、実践し、人間として尊敬されているかどうかである。
 仏法を持ち、日々、世界の平和と友の幸福を祈り、行動し、自らの人間革命に挑む学会員は、まさに、その条件を満たしている。
 語学ができる、できないということより、まず、これが根本条件だ。
 ともかく、友を幸福にしようというメンバーの心が友情を織り成し、世界に広がっていくならば、それは人類を結ぶ、草の根の力となることは間違いない」
 (「早春」の章、238~239ページ)

真の女性解放の先駆者

 <63年2月、伸一が示した指針「婦人部に与う」が婦人部幹部会で発表された>

 婦人部の幹部の朗読が始まると、参加者は瞳を輝かせて、聞き入っていた。
 最後の「創価学会婦人部こそ、妙法をだきしめた、真の女性解放の先駆者である」との一節では、誰もが電撃に打たれたような思いにかられた。彼女たちの多くは、経済苦や病苦にあえぎながら、自身の、わが家の宿命転換を願い、ただ幸福になりたいとの一心で、懸命に信心に励んできた。

 しかし、信心の目的は、それだけではなく、「女性解放」という、もっと大きく崇高な使命を果たすためであることを自覚したのである。
 「女性解放」とは、単に制度などの社会的な差別からの解放にとどまるものではない。いっさいの不幸からの解放でなければならない。彼女たちは、自らの体験を通して、その唯一の道が日蓮仏法にあることを確信することができた。
 生活という大地に根を張った婦人たちが、時代の建設に立ち上がってこそ、初めて、社会を蘇生させることができる。自分たちの生きゆく社会を、楽しい、平和なものにしていくことが、広宣流布である。この「婦人部に与う」を受けて、清原かつは、この日、次のようにあいさつした。(中略)

 「山本先生は、この『婦人部に与う』のなかで、私たちこそ『真の女性解放の先駆者』であると述べられております。つまり、自分や一家の幸福を築いていくことはもとより、広く社会に目を開き、すべての女性を、宿業の鉄鎖から解放していくことが、創価学会婦人部の使命なのであります。

 要するに、私たちには、学会員である人も、ない人も、その地域中の人びとを幸福にしていく責任があるということです。
 そう考えるならば、地域にあって、自分の受けもっている組織は、小さな単位であるブロックという組織でも、私たちの使命は、限りなく大きいと思います」
 (「操舵」の章、340~341ページ)

創価教育の思想と精神

 〈「文化の華」の章には、教育部の結成の様子とともに、創価教育の思想と精神が記されている。〉

 本来、教育の根本の目的は、どこに定められるべきであろうか。
 牧口常三郎は「教育は児童に幸福なる生活をなさしめるのを目的とする」と断言している。“国家の利益”ではなく、“児童の幸福”こそ根本だというのである。
 牧口は、この信念から、創価教育の眼目は、一人ひとりが“幸福になる力を開発する”こととした。そして、この幸福の内容が「価値の追求」であり、人生のうえに創造すべき価値とは、「美・利・善」であると主張した。

 つまり、牧口は、価値創造こそ人生の幸福であり、さらに、社会に価値を創造し、自他ともの幸福を実現する人材を輩出することが、教育の使命であると考えていたのである。彼は『創価教育学体系』の緒言で、「創価教育学」を世に問う熱烈な真情を、こう記している。
 「入学難、試験地獄、就職難等で一千万の児童や生徒が修羅(しゅら)の巷(ちまた)に喘(あえ)いで居る現代の悩みを、次代に持越(もちこ)させたくないと思ふと、心は狂(きょう)せんばかりで、区々たる毀誉褒貶(きよほうへん)の如きは余(よ)の眼中にはない」

 そこには、子どもへの、人間への、深い慈愛の心が熱く脈打っている。この心こそ教育の原点といえる。
 そして、その教育を実現していくには、教育法や教育学の改革はもとより、教育者自身の人間革命がなければならない。
 子どもたちにとって、最大の教育環境は教師自身である。それゆえに、教師自身がたゆまず自己を教育していくことが不可欠となるからだ。
 教師は「教育技師」であると主張する牧口は、「教育は最優最良の人材にあらざれば成功することの出来ぬ人生最高至難の技術であり芸術である。是(これ)は世上の何物にも替(か)へ難(がた)き生命といふ無上宝珠(むじょうほうじゅ)を対象とするに基(もと)づく」と述べている。

 さらに、教師たるものの姿を、こう論じる。
 「悪人の敵になり得る勇者でなければ善人の友とはなり得ぬ。利害の打算に目が暗んで、善悪の識別の出来ないものに教育者の資格はない。その識別が出来て居ながら、其の実現力のないものは教育者の価値はない」

 牧口が提唱した、創価教育の精神を、現実に、縦横無尽に実践したのが、若き戸田城聖であった。彼の私塾・時習学館からは、人間性豊かな、実に多彩な人材が育っている。山本伸一は、教育部員に、この先師・牧口常三郎、恩師・戸田城聖の志を受け継いでほしかった。
 彼は、混迷の度を深める社会の動向に、鋭い目を注ぎながら、教育部の使命の重大さを痛感していた。
 (「文化の華」の章、15~17ページ)
              ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 聖教電子版の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第7巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座を閲覧できます。

 第7巻「解説編」は​こちら​。(2019年4月24日 聖教新聞)


(2020年4月24日  聖教新聞)







Last updated  2020/04/24 12:55:46 PM
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2020/04/17

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第6巻
   
 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第6巻を掲載する。次回の第7巻は24日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。


現実生活の中に喜びを発見
<1962年(昭和37年)1月、イランのテヘランを訪れた山本伸一は、現地の暮らしになじめずに悩む日本の婦人を励ます>

 

「現実というものは、理想や観念の尺度に、きちんと合うことはありえない。すると、ここが悪い、あそこが悪いとなり、失望が重なって、不平や不満だらけになってしまう。それは、たとえば、桜の木を基準に梅の木を見て、これは変な桜だと言って、落胆しているようなものでしょう。むしろ、こうでなくてはならないという、頭のなかでつくり上げた基準にこだわらず、もっと自由にものを見るべきです。

 テヘランでの生活は、慣れないために、確かに大変な面もあると思います。でも、多かれ少なかれ、どこにいても、大変なことや、いやなことはあります。それは、どんな生活環境でも、どんな人間でも同じです。百パーセントすばらしい環境もなければ、そんな人間もいません。


 あなたが基準とすべきは日本での暮らしではなく、ここでの生活です。それが現実なんですから、まず、そのまま受け入れ、ありのままに見つめてみようとすることです。(中略)


 ありのままに現実を見つめて、なんらかのよい面を、楽しいことを発見し、それを生かしていこうとすることです。


 これは、自分自身に対しても同じです。自分はどこまでいっても自分なのですから、他人を羨んでも仕方ありません。人間には短所もあれば、長所もある。だから、自分を見つめ、長所を発見し、それを伸ばしていけばいいんです。そこに価値の創造もある」
 (「宝土」の章、36~37ページ)


人間の心を利己から利他へ
 <伸一は2月、エジプトを訪問。博物館でドイツ人学者に、高度な文明をもつ国々が滅びた共通の原因について、意見を求められる>
 「もちろん、そこには、国内の経済的な衰退(すいたい)や内乱、他国による侵略(しんらく)、あるいは疫病(えきびょう)の蔓延(まんえん)、自然災害など、その時々の複合的な要素があったと思います。


 しかし、一言すれば、本質的な要因は、専制国家であれ、民主国家であれ、指導者をはじめ、その国の人びとの魂の腐敗、精神の退廃にあったのではないでしょうか。人間が皆、自分のことしか考えず、享楽的になっていけば、どんなに優れた文明をもっていても、国としての活力もなくなるし、まとまることはできません。(中略)


 私は、一国の滅亡の要因は、国のなかに、さらにいえば、常に人間の心のなかにあるととらえています」(中略)


 「この発想は、決して新しいものではありません。既に七百年も前に、日本の日蓮という方が述べられた見解です」(中略)


 「日蓮という方は、日本の民衆が自然災害に苦しみ、内乱や他国の侵略(しんらく)の脅威(きょうい)に怯(おび)えていた時、救済に立ち上がられた仏法者です。


 そして、国家、社会の根本となるのは人間であり、その人間の心を、破壊から建設へ、利己から利他へ、受動から能動へと転じ、民衆が社会の主体者となって、永遠の平和を確立していく哲理を示されました」
 (「遠路」の章、129~131ページ)


「真実」語り抜き「偏見」正せ
 <4月の北海道総支部幹部会で伸一は、学会に対する世間の中傷が、いかに根拠のないものであるかを語る>
 「理事長が、ある著名人と会った折に、『創価学会は仏壇を焼き、香典を持っていってしまう宗教ではないのですか』と聞かれたというのです。


 そこで、理事長は『とんでもない。無認識もはなはだしい。学会では、ただの一度も、仏壇を焼けなどと言ったり、香典を持っていったことはありません』と説明しましたところ、その方は大変に驚いて、『そうでしたか。それは無認識でございました』と言っていたそうです。


 社会の指導者といわれる人でも、学会の真実を見極めたうえで語っているわけではありません。


 しかも、これまでもそうでしたが、学会の発展を恐れる勢力が、意図的に虚偽の情報を流しているケースが数多くあります。


 学会を陥れるために、根も葉もない悪意の情報を流し、何も知らない一般の人びとに信じ込ませる。そして、悪い先入観を植えつけ、世論を操作して学会を排斥(はいせき)するというのが、現代の迫害の、一つの構図になっております。


 したがって、私たちの広宣流布の活動は、誤った先入観に基づく人びとの誤解(ごかい)と偏見(へんけん)を正して、本当の学会の姿、仏法の真実を知らしめていくことから始まります。つまり誤解と戦い、偏見と戦うことこそ、末法の仏道修行であり、真実を語り説いていくことが折伏なのであります」
 (「加速」の章、209~210ページ)


責任感から強靱な生命力が
 <伸一は、同行の幹部から激務の中にあって、ますます元気になっている理由を聞かれ、その要諦を語る>
 「元気になるには、自ら勇んで活動していくことが大事だ。そして、自分の具体的な目標を決めて挑戦していくことだ。目標をもって力を尽くし、それが達成できれば喜びも大きい。また、学会活動のすばらしさは、同志のため、人びとのためという、慈悲の行動であることだ。それが、自分を強くしていく。
 かつて、こんな話を聞いたことがある。終戦直後、ソ連に抑留された日本人のなかで、収容所から逃げ出した一団があった。餓死寸前のなかで逃避行を続けるが、最後まで生きのびたのは、一番体力があるはずの若い男性や女性ではなく、幼子を抱えた母親であったというのだ。


 “自分が死ねば、この子どもも死ぬことになる。この子の命を助けなければ”という、わが子への思いが母を強くし、強靱な精神力と生命力を奮い起こさせていったのであろう。


 私も、学会のこと、同志のことを考えると、倒れたり、休んだりしているわけにはいかない。その一念が、私を強くし、元気にしてくれる。


 みんなも、どんな立場であっても、学会の組織の責任をもち、使命を果たし抜いていけば、強くなるし、必ず元気になっていくよ」
 (「波浪」の章、265~266ページ)


未来を決する「今の一念」
 <伸一は8月、学生部へ「御義口伝」講義を開始。法華経の「秘妙方便」を通し、奥底の一念について指導>
 「未来にどうなるかという因は、すべて、今の一念にある。現在、いかなる一念で、何をしているかによって、未来は決定づけられてしまう。


 たとえば、信心をしているといっても、どのような一念で、頑張っているかが極めて大事になる。人の目や、先輩の目は、いくらでもごまかすことはできる。自分の奥底の一念というものは、他の人にはわからない。まさに『秘』ということになります。


 しかし、生命の厳たる因果の理法だけはごまかせません。何をどう繕おうが、自分の一念が、そして、行動が、未来の結果となって明らかになる。


 私が、みんなに厳しく指導するのは、仏法の因果の理法が厳しいからです。


 たとえば、いやいやながら、義務感で御書の講義をしているとしたら、外見は菩薩界でも、一念は地獄界です。講義をしている姿は形式であり、いやだという心、義務感で苦しいという思い――これが本当の一念になる。


 学会の活動をしている時も、御本尊に向かう場合も、大事なのは、この奥底の一念です。惰性に流され、いやいやながらの、中途半端な形式的な信心であれば、本当の歓喜も、幸福も、成仏もありません。


 本当に信心の一念があれば、学会活動にも歓喜があり、顔色だってよくなるし、仕事でも知恵が出る。また、人生の途上に障害や苦難があっても、悠々と変毒為薬
し、最後は一生成仏することができる」
 (「若鷲」の章、358~359ページ)


山本伸一の「御義口伝」講義
 <1962年8月、山本伸一は、学生部を対象に「御義口伝」講義を開始する。その中で、「煩悩の薪(たきぎ)を焼いて菩提の慧火(えか)現前(げんぜん)するなり」(御書710ページ)の御文を拝して、日蓮大聖人の仏法の特質について語る>
 「これまで、仏法では、煩悩(ぼんのう)、すなわち、人間の欲望などを否定しているかのようにとらえられてきた。しかし、ここでは、その煩悩を燃やしていくなかに、仏の悟り、智慧があらわれると言われている。ここに大聖人の仏法の特質がある。真実の仏法は、決して、欲望を否定するものではないんです。


 爾前経のなかでは、煩悩こそが、この世の不幸の原因であるとし、煩悩を断じ尽くすことを教えてきました。しかし、煩悩を、欲望を離れて人間はありません。その欲望をバネにして、崩れざる幸福を確立していく道を説いているのが、大聖人の仏法です。


 みんなが大学で立派な成績をとりたいと思うのも、よい生活をしたいというのも煩悩であり、欲望です。また、この日本の国を救いたい、世界を平和にしたいと熱願する。これも煩悩です。大煩悩です。煩悩は、信心が根底にあれば、いくらでも、燃やしていいんです。むしろ大煩悩ほど大菩提となる。それが本当の仏法です」
 (「若鷲」の章、357~358ページ)
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第6巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座
 第6巻「解説編」は​こちら。


(2020年4月17日  聖教新聞)







Last updated  2020/04/17 12:00:05 PM
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2020/04/10

​マイ・ヒューマン・レボリューション
小説「新・人間革命」学習のために 
第5巻   成功は努力の積み重ねの異名​

 <1961年(昭和36年)10月、山本伸一はフランスでバレリーナとしての成功を目指す女性に励ましを送る>
 
 「一流をめざすことは、大いに結構です。しかし、そのためには、一段階、一段階の目標を明確にし、日々徹底した努力と挑戦がなければなりません。
 夢と決意とは違います。ただ、こうなりたい、ああなりたいと思っているだけで、血の滲(にじ)み出るような精進(しょうじん)がなければ、それは、はかない夢を見ているにすぎません。
 一流になろうと、本当に決意しているならば、そこには、既に行動がある。既に努力があります。成功とは、努力の積み重ねの異名です。
 夢と憧(あこが)れだけをいだき、真剣な精進がなければ、気ばかり焦(あせ)り、現実はますます惨(みじ)めになってしまう。大切なのは足元を固めることです。仏法は最高の道理であり、その努力のなかに信仰がある。
 また、自分を開花させ、崩(くず)れざる幸福を確立していくには、信心という生き方の確固たる基盤(きばん)をつくることです。人間は自分の境涯(きょうがい)が変わらなければ、いくら住む所が変わっても、何も変わりません。その境涯を革命するのが仏法です。
 ともかく、20年、30年と、地道に信心を全うすることです。その時に、あなたの本当の人生の大勝利が待っています」
 眼前の一人をいかに励まし、使命と幸福の大道を歩ませるか――壮大な広宣流布の流れも、そこから開かれる。いや、それが、すべてといってよいだろう。
 (「開道」の章、40~41ページ)
 
苦労は人生の最高の財産に
 <61年10月、スイスで伸一は、父親の仕事の関係でジュネーブに暮らす、20歳ぐらいの双子の姉妹に、人生の本当の幸福について語る>
 
 「寒い冬があるから、暖かい春が待ち遠しいし、春になった時には喜びがある。
 いつも春ばかりだったら、喜びを味わうことなんかできないじゃないか。
 人生も一緒だよ。いつも春ばかりではない。
 冬のように、辛いこと、苦しいこともある。しかし、それに負けないで、必ず春が来るのだと信じて、頑張り続けていくことだ。
 苦労なんてしたくないな、楽だけしていたいなと思っても、そんな人生は絶対にない。
 お汁粉(しるこ)にだって、砂糖だけでなく、塩も入れるでしょ。それによって、砂糖の甘(あま)さが生きてくる。
 あなたたちはこれまで、お父さん、お母さんに守られ、なんの不自由もなく、生きてきたと思う」(中略)
 「自分を磨(みが)き、深めていくために、何か目標を決めて、苦しいなと思っても、負けずに挑戦していくことだよ。苦労というのは、本当は、人間としての最高の財産なんだ。
 花が春になると、きれいに咲き香るのは、それまでに、たくさんの養分を蓄(たくわ)えてきたからなんだ。
 あなたたちも、人生の幸福という花を咲かせてほしい。そのための生命の養分が信心であり、仏道修行なんです」(「歓喜」の章、117~118ページ)
 
堅固な団結の人材城を築け!
 <61年11月、東北本部の落成式を終えた伸一は、かつて恩師・戸田城聖と共に歩いた宮城の青葉城址を訪れた>
 
 青葉城址には、東北の青年部の幹部や学生部員も姿を見せていた。
 彼は、皆で城址を巡りながら、石垣(いしがき)を指さした。
 「ほら、見てごらん。大きな石も、小さな石も、いろいろな石が、きれいに、きちっと積み重ねられている。
 だから、この石垣は堅固(けんこ)なんだね。これは、団結の象徴だよ。
 私たちも、一人ひとりが力をつけることは当然だが、それだけでは広宣流布という大偉業を成し遂げることはできない。この石垣のように、互いに補い合い、団結していくことが大事だ。
 人材の城というのは、人材の団結の城ということだ。団結は力であり、そこに学会の強さがある。
 東北に人材の牙城(がじょう)をつくろう。そして、あの『新世紀の歌』のように、東北の君たちの力で、民衆の新世紀を開いていくんだよ」
 青年たちの瞳が光った。山本伸一は、青葉城址の一角に立ち、一首の和歌を詠んだ。
   
 人材の
   城を築けと
     決意ます
  恩師の去りし
    青葉に立つれば
   
 彼の胸には、常に、師である戸田城聖の言葉がこだましていた。
             (「勝利」の章、268~269ページ)
 
民衆を守り抜く獅子と立て
 <「大阪事件」の判決公判を翌日に控えた1962年(昭和37年)1月24日、伸一は関西の男子部幹部会に出席した>
 
 ここでは、伸一は、大阪事件の経過を述べ、彼の逮捕自体、でっち上げにもとづく、不当なものであったことを断言したあと、こう語った。
 「私は、いかなる迫害も受けて立ちます。もし、有罪となり、再び投獄されたとしても、大聖人の大難を思えば小さなことです。
 また、牧口先生、戸田先生の遺志を継ぐ私には、自分の命を惜(お)しむ心などありません。だが、善良なる市民を、真面目に人びとのために尽くしている民衆を苦しめるような権力とは、生涯、断固として戦い抜く決意であります。これは、私の宣言です。
 仏法は勝負である。残酷(ざんこく)な取り調べをした検事たちと、また、そうさせた権力と、私たちと、どちらが正しいか、永遠に見続けてまいりたいと思います」
 伸一の言葉には、烈々たる気迫が込められていた。彼は、男子部には、自分と同じ心で、邪悪な権力とは敢然と戦い、民衆を守り抜く、獅子として立ってほしかった。
 関西の若き同志は、伸一の言葉に、悪に抗する巌窟王(がんくつおう)のごとき、不撓不屈(ふとうふくつ)の金剛の信念を感じ取った。そして、それをわが心とし、広宣流布の長征の旅路を行くことを決意した。
 伸一は、さらに、力を込めて呼びかけていった。
 「日蓮大聖人の仏法は、いかなる哲学も及ばない、全人類を幸福にしゆく不滅の原理を説く大生命哲学であります。その仏法を弘めて、人びとを幸福にしていくのが地涌の菩薩であり、大聖人の弟子である私どもの使命です。
 したがって、その自覚と信念のもとに、不幸な人の味方となり、どこまでも民衆の幸福を第一に、さらに、堂々と前進を開始しようではありませんか」(「獅子」の章、342~343ページ)
 
世界を結ぶ伸一の対話精神
 <1961年(昭和36年)10月、東西冷戦の象徴であるドイツの「ベルリンの壁」を前に伸一は、世界を結び平和を築きゆく誓いを胸に刻む。その夜、同行のメンバーに「対話の道」「平和の道」を開く決意を語る。>
 
 「私がやろうとしているのは『対話』だよ。(中略)
 一人の人間として、真剣に語り合うことだ。どんな指導者であれ、また、強大な権力者であれ、人間は人間なんだよ。権力者だと思うから話がややこしくなる。みんな同じ人間じゃないか。そして、人間である限り、誰でも、必ず平和を願う心があるはずだ。その心に、語りかけ、呼び覚ましていくことだよ」
                      ◇
 「また、もう一つ大切なことは、民衆と民衆の心を、どう繫(つな)ぐことができるかです。社会体制や国家といっても、それを支えているのは民衆だ。その民衆同士が、国家や体制の壁を超えて、理解と信頼を育んでいくならば、最も確かな平和の土壌がつくられる。
 それには、芸術や教育など、文化の交流が大事になる。その国や民族の音楽、舞踊などを知ることは、人間の心と心を近づけ、結び合っていくことになる。本来、文化には国境はない。
 これから、私は世界の各界の指導者とどんどん会って対話するとともに、文化交流を推進し、平和の道を開いていきます」
                      ◇
 「学会によって、無名の民衆が見事に蘇生(そせい)し、その人たちが、社会を建設する大きな力になっていることを知れば、賢明(けんめい)な指導者ならば、必ず、学会に深い関心を寄せるはずです。いや、既に、大いなる関心をもっているでしょう。
 そうであれば、学会の指導者と会い、話を聞きたいと思うのは当然です。
 また、こちらが一民間人である方が、相手も政治的な駆(か)け引きや、国の利害にとらわれずに、率直(そっちょく)に語り合えるものではないだろうか。私は、互いに胸襟(きょうきん)を開いて語り合い、同じ人間として、友人として、よりよい未来をどう築くかを、ともに探っていくつもりです。民衆の幸福を考え、平和を願っている指導者であるならば、立場や主義主張の違いを超えて、必ず理解し合えると信じている」
 ◇
 「私はやります。長い、長い戦いになるが、20年後、30年後をめざして、忍耐強く、道を開いていきます。そして、その平和と友情の道を、さらに、後継の青年たちが開き、地球の隅々にまで広げて、21世紀は人間の凱歌の世紀にしなければならない。それが私の信念だ」(「開道」の章、8~11ページ)​


(2020年4月10日 聖教新聞)







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2020/04/03

My  Human  Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」
小説「新・人間革命」学習のために 第4巻

小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My  Human  Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第4巻を掲載する。次回の第5巻は10日付2面の予定。【挿絵】内田健一郎

我々は戦おうじゃないか!
 〈1961年(昭和36年)3月16日、山本伸一は青年部の音楽祭で、3年前の同日に行われた広宣流布の記念式典での恩師・戸田城聖との思い出を振り返り、指導〉 
 「(戸田)先生は、その式典が終わって、帰られる直前に、一言、こう言われました。
 『我々は、戦おうじゃないか!』
 その意味は、限りなく深いと思います。
 不幸な民衆を救っていく戦い、誤った宗教との戦い、不当な権力との戦い、自己自身との戦いなど、いっさいを含んだうえでの、戸田先生のお言葉であったにちがいありません。
 ともあれ、衰弱しきったお体でありながら、眼光鋭く、毅然(きぜん)として言われた、『我々は、戦おうじゃないか!』との先生のお言葉を、私は、電撃に打たれた思いで、聞いておりました。
 そして、何ものをも恐れず、広宣流布に向かって戦うことを、私は、その時、再び決意いたしました。
 これは、先生の魂(たmしい)の叫びであります。命の言葉であります。
私たちは、このお言葉を深く胸に刻み、広宣流布の日まで、断固、戦い抜こうではありませんか」
 伸一のこの日のあいさつは、聖教新聞に掲載され、これを目にした全国の会員は、決然と奮い立った。
 「我々は、戦おうじゃないか!」との言葉は、同志の合言葉ともなった。(「春嵐」の章、46~47ページ)

信心と真心の一念の声を
 〈支部長に就任したものの、口べたなことに不安を抱く浜田厳介に、伸一は御書を通して励ましを送る〉
 伸一は、浜田に尋(たず)ねた。
 「あなたは今、何を悩んでいますか」
 「はい。私は、みんなを納得させられるような話もできません。
 どうやって活動を進めればよいのかと思うと……」
 すると伸一は、同行した幹部に紙と墨を用意するように頼んだ。
 そして、筆を手にして、「声仏事(こえぶつじ)」と認め、浜田に贈った。
 「御書には『声仏事を為す』(708ページ)とあります。
語ることが仏法です。お題目を唱えて、ともかく、人を励まし続けていくことです。そうすれば、ちゃんと話せるようになります。しかし、長い話をすることはない。一言でもよい。信心と真心の一念の声を発することです」
 この山本会長の言葉を、浜田は、決して、忘れることはなかった。
 彼が支部長として活動を始めると、方針の打ち出しや説明は、彼を補佐する、ほかの幹部がしてくれた。浜田の人徳でもある。
 そして、彼は一言、全精魂を込めて、こう呼びかけるのであった。
 「やらこいな!」(やろうじゃないか)
 しかし、その浜田のたった一言が、いつも皆の胸に響いた。
その言葉で、同志は奮い立ち、島根の広布の大発展をもたらしていくことになるのである。(「凱旋」の章、117~118ページ)

青年部が全責任を担い立て
 〈5月、伸一は青年部のリーダーとの懇談で、学会を担い立つ自覚について訴える〉
 「戸田先生の時代、青年部は学会の全責任を担い、常に学会の発展の原動力になっていた。戸田先生の言われた75万世帯は、誰がやらなくとも、青年部の手で成就しようという気概があった。そして、各支部や地区にあっても、青年が布教の先頭に立ってきた。また、何か問題が生じた時に、真っ先に飛んで行き、対処してきたのも青年部であった。すべてを青年部の手で担ってきました。
 だから、戸田先生も、『青年部は私の直系だ』と言われ、その成長に、最大の期待を寄せてくださっていたのです。しかし、学会が大きくなり、組織が整ってくるにつれて、青年が壮年や婦人の陰に隠れ、十分に力が発揮されなくなってきているように思えてならない。端的にいえば、自分たちだけで小さくまとまっていく傾向にあることが、私は心配なんです。青年部に、学会の全責任を担うという自覚がなければ、いつまでたっても、後継者として育つことなどできません」
(中略)
 彼は、一部員であったころから、戸田の広宣流布の構想を実現するために、学会の全責任をもとうとしてきた。その自覚は班長の時代も、青年部の室長の時代も、常に変わらなかった。もちろん、立場、役職によって、責任の分野や役割は異なっていた。しかし、内面の自覚においては、戸田の弟子として、師の心をわが心とし、学会のいっさいを自己の責任として考えてきた。(「青葉」の章、155~156ページ)

人生の根本目的は広宣流布
 〈水滸会の友との質問会で、伸一は「仏法への帰命」について語る〉
 「帰命(きみょう)という問題ですが、現代の状況のなかでは、自分の人生の根本の目的は広宣流布であると決めて、生きて、生きて、生き抜くことが、仏法に身命を奉ることになるといえるでしょう。
 広宣流布を自分の人生の根本目的とするならば、学会員として、職場にあっても第一人者にならざるを得ない。自分が職場の敗北者となってしまえば、仏法のすばらしさなど証明できないし、誰も信心など、するわけがないからです。また、家庭にしても、和楽の家庭をつくらなければならないし、健康にも留意することになる。
 ゆえに、広宣流布を根本にした人生を歩むということは、社会の勝利者となって、幸福になっていくということなんです。したがって、それは、決して、悲壮感が漂うような生き方とはなりません」
 いつの間にか、屋外の雨の音も消えていた。
 伸一は、「帰命」ということについて、さらに別の角度から語っていった。
 「見方を変えて語るならば、たとえば、広宣流布のために活動する時間をどれだけもつか、ということにもなってきます。
 これは、極めて計量的な言い方だが、仮に1日2時間の学会活動を、60年間にわたってすれば、計算上は5年間の命を仏法に捧げたことになる。
 ともあれ、広宣流布こそわが生涯と決めて、自らの使命を果たそうとしていく生き方自体が、仏法に帰命していることに等しいといえます」(「立正安国」の章、255~256ページ)

未来へ、大飛躍の時は「今」
 〈伸一は、10月の欧州訪問でデンマークのコペンハーゲンを訪れた際、仕事が多忙で思うように学会活動に参加できずにいた男子部員の塩田啓造を激励する〉
 「いいんだよ。仕事が大変なことはわかっている。ただ、心は、一歩たりとも信心から離れないことだ。
 また、こうして、少しでも時間があれば、私にぶつかって来る、あるいは、先輩にぶつかっていくということが大事なんだよ。
 私も、なすべき課題は山ほどあるが、時間は限られている。
そこで、心がけていることは、一瞬たりとも時間を無駄(むだ)にしないということだ。さっきも、日本の同志に、手紙を書いていたんだよ」
 見ると、机の上には、既に書き上げられた、20通ほどの封書や絵葉書があった。
 それは、塩田の胸に、勇気の炎を燃え上がらせた。
 “忙しいのは、自分だけじゃないんだ。先生は、もっと忙しいなか、こうして戦われているんだ。ぼくも挑戦を忘れてはいけないんだ!”(中略)
 伸一は、さらに、言葉をついだ。
 「塩田君。人生は長いようで短い。ましてや、青年時代は、あっという間に過ぎていってしまう。今、学会は、未来に向かって、大飛躍をしようとしている。広宣流布の大闘争の『時』が来ているんだ。時は『今』だよ」(「大光」の章、315~316ページ)

山本伸一の「立正安国論」講義
 第4巻で描かれる1961年(昭和36年)は、自然災害や疫病が猛威をふるい、国際情勢も不安定だった。この年の8月、山本伸一は夏季講習会で「立正安国論」を講義した。
 ここでは、「立正安国」の章から、その講義の一部を紹介する。
                   ◇
 伸一は、「須(すべからず)一身の安堵(いっしんのあんど)を思わば先(まず)四表の静謐(しひょうのせいひつ)を祷らん者か」(御書31ページ)の御文では、仏法者の社会的使命について論じていった。(中略)
 「この意味は、『当然のこととして、一身の安堵(あんど)、つまり、個人の安泰(あんたい)を願うならば、まず、四表、すなわち、社会の安定、世界の平和を祈るべきである』ということです。
 ここには、仏法者の姿勢が明確に示されている。
 自分の安らぎのみを願って、自己の世界にこもるのではなく、人びとの苦悩を解決し、社会の繁栄と平和を築くことを祈っていってこそ、人間の道であり、真の宗教者といえます」(287~288ページ)
                   ◇ 
 「世の中の繁栄と平和を築いていく要諦(ようてい)は、ここに示されているように、社会の安穏を祈る人間の心であり、一人ひとりの生命の変革による“個”の確立にあります。
 そして、社会の安穏を願い、周囲の人びとを思いやる心は、必然的に、社会建設への自覚を促し、行動となっていかざるを得ない。
 創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります」(288ページ)
                   ◇ 
 新型コロナウイルスの感染が広がり、世界中が不安に覆われる今、真の仏法者として「利他」の精神を輝かせ、「四表の静謐(せいしつ)」を強く祈り抜いていきたい。
 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。


(2020年 4月3日 聖教新聞)


 







Last updated  2020/04/03 08:49:00 AM
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2020/03/27

​「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」​​

小説「新・人間革命」学習のために 第3巻

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第3巻を掲載する。次回の第4巻は4月3日付2面の予定。

仏法との出あいは千載一遇!
 <1961年(昭和36年)、山本伸一は、香港の座談会で質問を受け、仏法に出あえたことがいかに類(たぐ)いまれなことであるかを説いていく>
 
 「私たちは今、人間として生まれてきた。しかも、大宇宙の根本法を知り、学会員として、広宣流布のために働くことができる。これは大変なことです。
 たとえば、森に足を踏み入れると、その足の下には、数万から数十万の、ダニなどの小さな生物がいるといわれています。
 さらに、細菌まで含め、全地球上の生命の数を合わせれば、気の遠くなるような数字になります。
 そのなかで、人間として生まれ、信心することができた。それは、何回も宝くじの一等が当たることより、遥(はる)かに難しいはずです。
 まさに、大福運、大使命のゆえに、幸いにも、一生成仏の最高のチャンスに巡りあったのです。
 ところが、宝くじで一回でも一等が当たれば大喜びするのに、人間と生まれて信心ができたすばらしさがなかなかわからないで、退転していく人もいます。残念極(きわ)まりないことです。
 私たちにとっては、この生涯が、一生成仏の千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスなのです。どうか、この最高の機会を、決して無駄(むだ)にしないでいただきたい。
 永遠の生命といっても、いっさいは『今』にあります。過去も未来も『今』に収まっている。ゆえに、この一瞬を、今日一日を、この生涯を、感謝と歓喜をもって、広宣流布のために、力の限り生き抜いていってください」
 (「仏法西還」の章、69~70ページ)
 
広布は宿命からの解放闘争
 <インドで伸一は、ガンジーを荼毘(だび)に付したラージ・ガートに立ち寄り、「すべての人びとの目から涙をぬぐい去りたい」と行動した、ガンジーの崇高な精神を語る>
 
 「ガンジーは『私の宗教には地理的な境界はない』と語っている。彼のその慈愛は、インドの国境を超えて、世界の宝となった。
 戸田先生も、『地球上から“悲惨(ひさん)”の二字をなくしたい』と言われ、そのために戦われた。先生の慈愛にも国境はない。私は、そこに二人に共通した崇高な精神を感じる。そして、大事なことは、誰がその精神を受け継いで実践し、理想を実現していくかです。
 ガンジーが行った民衆運動は、それまで、だれもやったことのない闘争であった。だから『出来るわけがない』『不可能だ』との批判も少なくなかった。それも当然かもしれない。
 しかし、彼は厳然と言い切っている。『歴史上、いまだ起こったことがないから不可能だというのは、人間の尊厳に対する不信の表れである』と……。
 断固たる大確信です。どこまでも人間を、民衆を信じ抜いた言葉です。
 そして、ガンジーは、この信念の通り、インドを独立に導き、民衆の勝利の旗を高らかに掲(かか)げた。
 広宣流布の遠征も、未曾有の民衆凱歌の戦いだ。まさに非暴力で、宿命の鉄鎖から民衆を解放する戦いであり、魂の自由と独立を勝ち取る闘争です。歴史上、だれもやったことがない。やろうともしなかった。
 その広宣流布の道を行くことは、ガンジーの精神を継承することにもなるはずです」
 (「月氏」の章、121~122ページ)
 
魔と戦い続ける人こそ仏
 <釈尊は菩提樹の下で「生命の法」を覚知(かくち)したが、悟(さと)った法を説くことをためらう>
 
 彼(=釈尊)は考えた。
 “誰も法を理解できなければ、無駄な努力に終わってしまうだけでなく、人びとは、かえって悪口するかもしれない。さらに、わからぬがゆえに、迫害しようとする人もいるであろう。
 もともと私が出家したのは、何よりも、自身の老・病・死という問題を解決するためであった。
 それに、自分が悟りを得たことは、誰も知らないのだ。ただ、黙ってさえいれば、人から非難されることはない。そうだ。人には語らず、自分の心にとどめ、法悦のなかに、日々を生きていけばよいのだ……”(中略)
 釈尊は布教に突き進むことに、なぜか、逡巡(しゅんじゅん)と戸惑(とまど)いが込み上げてきてならなかった。彼は悩み、迷った。
 魔は、仏陀()となった釈尊に対しても、心の間隙(かんげき)を突くようにして競い起こり、さいなみ続けたのである。
 「仏」だからといって、決して、特別な存在になるわけではない。
 悩みもあれば、苦しみもある。病にもかかる。そして、魔の誘惑(ゆうわく)もあるのだ。
 ゆえに、この魔と間断なく戦い、行動し続ける勇者が「仏」である。反対に、いかなる境涯になっても、精進を忘れれば、一瞬にして信仰は破られてしまうことを知らねばならない。(中略)
 彼は、遂に決断する。
 “私は行こう! 教えを求める者は聞くだろう。汚(けが)れ少なき者は、理解するだろう。迷(まよ)える衆生のなかへ、行こう!”
 釈尊は、そう決めると、新しき生命の力が込み上げてくるのを感じた。
 一人の偉大な師子が、人類のために立ち上がった瞬間であった。
 (「仏陀」の章、184~186ページ)
 
未来を開く“一人”の育成を
 <初のアジア歴訪の折、伸一は組織建設の要諦を、同行した幹部に示す>
 
 秋月英介が発言した。
 「今回、訪問した地域には、カンボジアを除いて、一応、メンバーがいることは確認されましたが、実際に組織をつくるとなると、かなり難しいのではないかと思います」
 すると、森川が頷きながら言った。
 「そうですね。各国に地区をつくるにしても、地区部長となるべき人物がいません。まだ、あまりにも弱いというのが、私の実感です。任命しても、責任を全うできるかどうか……」
 理事たちは、皆、深刻な顔をして、黙り込んでしまった。
 すると、伸一が、断固とした口調で語り始めた。
 「森川さん、まだ弱いと思ったら、それを強くしていくのが幹部の戦いだよ。ましてや、あなたは、東南アジアの総支部長になるのだから、ただ困っていたのではしょうがない。森川さんは、30年後には、それぞれの国の広宣流布を、どこまで進めようと思っているのかい」
 「30年後ですか……」
 森川は答えに窮(きゅう)した。
 「私は、たとえば、この香港には、数万人の同志を誕生させたいと思う。また、香港はもとより、タイやインドにも、今の学会本部以上の会館が建つぐらいにしたいと考えている。そうでなければ、戸田先生が念願された東洋広布など、永遠にできません。時は来ているんです。
 ともあれ、今回、訪問したほとんどの国に、わずかでもメンバーがいたというのは、大変なことです。『0』には、何を掛けても『0』だが、『1』であれば、何を掛けるかによって、無限に広がっていく。
 だから、その『1』を、その一人を、大切に育てあげ、強くすることです。そのために何が必要かを考えなくてはならない」
 (「平和の光」の章、332~334ページ)
 
伸一の平和構想
 「平和の光」の章には、山本伸一が思索を重ねながら、平和実現のための具体的な構想を語るシーンが描かれている。
 長兄が戦死したビルマの地を訪れた伸一は、日本人墓地に立ち、亡き兄も眺めたであろう夕日を仰ぎながら、平和のために一歩踏み出すことを深く決意する。
 続いて伸一たち一行は、ラングーン市内を見学。伸一の胸には、長兄との思い出が次々と浮かんでは消えていく。
 兄のことを思うたびに、彼の胸には、ビルマ戦線に送られた一兵士を描いた竹山道雄の小説『ビルマの竪琴(たてごと)』の一場面が去来した。
 ――終戦を迎えながら、それを知らずに敗走する日本軍の一隊。この隊は隊長の影響で、よく歌を合唱した。周囲をイギリス軍に包囲された時も、合唱の最中だった。
 日本軍が突撃しようとした時、イギリス軍から、日本軍が歌っていた「埴生(はにゅう)の宿」「庭の千草(ちぐさ)」の英語の歌が聞こえてきた。実は、これらの歌は、イギリスで古くから歌われていた歌であった。
 結局、戦闘は始まらず、日本兵は戦争がすでに終わったことを、そこで知ったのだった――。
 同章では、歌が人間の心と心をつないだこのシーンを通して、「音楽や芸術には、国家の壁はない」(310ページ)とつづられている。


 その後、一行はタイへ。伸一はそこで、アジア平和旅の間、思索を重ねてきた構想を同行の幹部に語る。
 「法華経を中心に研究を重ね、仏法の人間主義、平和主義を世界に展開していける人材を育む必要がある。それらをふまえ、東洋の哲学、文化、民族の研究機関を設立していきたい」(315~316ページ)
 「もう一つ構想がある。真実の世界平和の基盤となるのは、民族や国家、イデオロギーを超えた、人間と人間の交流による相互理解です。
 そのために必要なのは、芸術、文化の交流ではないだろうか。音楽や舞踊、絵画などには国境はない。
 民族の固有性をもちながら、同時に、普遍的な共感性をもっている。そこで、音楽など、芸術の交流の推進を考えていきたい」(316~317ページ)
 長兄への深い思いは、平和を希求する揺るがない信念となり、伸一の構想は後に「東洋哲学研究所」「民主音楽協会」として結実していったのである。

 ※『新・人間革命』の本文は、聖教ワイド文庫の最新刷に基づいています。


(2020年 3月27日 聖教新聞







Last updated  2020/03/27 12:00:04 PM
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