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晴ればれとBlog

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危機の時代を生きる 新型コロナに立ち向かう

2020/08/08
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〈危機の時代を生きる〉 徳之島に暮らす、7カ国語を話すアルゼンチン人

 
 鹿児島市の南約500キロ、奄美群島の中央にある徳之島。この島に、アルゼンチン出身の地区部長がいる。


 ギジェルモ・ラミレスさん(47)は、創価大学で工学博士号を取得したコンピューター・セキュリティーの専門家。しかもスペイン語、英語、日本語をはじめ、7カ国語を使いこなす。


 地球の反対側からやって来た国際人が徳之島に移住したのは、なぜか――。彼の離島暮らしを追った。(記事=掛川俊明、野田栄一)
  


人生の価値は、人のつながりの中に
 ラミレスさんは、島内の高校で非常勤講師を務め、情報科の授業を担当。二つの保育園でも英語を教えている。
 昨年2月には会社を設立。コンピューター・セキュリティーの研究開発と多言語のウェブサイト制作などを手掛ける一方、語学教室やパソコン教室も運営し、子どもから高齢者まで、多くの生徒が集まる。
  


 教育に携わるのが、ずっと夢だった。自分が磨いてきたIT(情報技術)と語学を教えられることが、うれしくて仕方がない。
 

「今は、デジタルの時代でしょ。ITと語学のスキルを身に付ければ、どこにいても、世界を相手に仕事ができる」
  


 高校卒業後、就職や進学で島を離れる子どもは多い。「僕は、徳之島にいながらでも、夢をかなえられるようにしてあげたいんだ」


 この島の風景は、どこか故郷と似ている――。
  


    


 ラミレスさんが育ったのは、アルゼンチンの北部、自然豊かなコリエンテス州だった。
 

 
1987年(昭和62年)、父・ドミンゴさんが心臓発作で他界。父は生前、家族の中で一人、SGI(創価学会インタナショナル)の活動に励んでいた。


 父亡き後、一家で信心を受け継ぐ。当時、地元の町にはSGIメンバーは4人しかいなかった。会合参加も40キロ離れた隣町へ。
 

14歳のラミレスさんも母と折伏に励み、2年ほどで町のメンバーは約10倍になった。
  


 「クラスメート全員に語ったよ。成績もどんどん伸びて、地元の難関大学にも進めた。信心の功徳だね」
      


 99年、26歳の時に日本でのSGI青年研修会に参加。期間中、創価大学を訪問し、“池田先生が創立された大学で学び直したい”と誓う。


 帰国すると、半年後の留学を目指して、税務署の仕事に加え、学校の講師とプログラミングのアルバイトも掛け持ちし、学費をためた。
  


 日本へ旅立つ直前、父が世話になったSGIの壮年にあいさつに行った。


 「お父さんは“息子を創価大学に行かせたい”と、いつも語ってたんだよ」


 初めて知る亡き父の夢――涙が込み上げた。
  


 創大では、別科で日本語を学んだ後、工学部へ。大学院まで進み、10年間、在籍した。その間、妹のナタリアさんも創大に留学。


 自分と妹の学費を賄うため、いくつもアルバイトをしながら、研究に励んだ。


 「給料日の前は、食べる物にも困った。それでも明け方まで研究に追われて……」
   
本部幹部会の席上、池田先生はラミレスさん㊧を包み込むように激励した(2006年9月、東京牧口記念会館で)
 
   そんな2006年9月。父を亡くし苦学するラミレスさんの様子を聞いた創立者・池田先生の提案で、父母の名を冠した“夫婦桜”が創大構内に植樹されることに。


 ラミレスさんは植樹の当日、本部幹部会にも参加した。
 会合の席上、先生はラミレスさんを壇上で抱き締めた。「全部、分かっているよ。頑張るんだよ」。何度も肩をたたき、励ました。
  


 その後、ラミレスさんは国際標準のコンピューター・セキュリティーの研究に打ち込んだ。


 「苦しくてどうしようもない時は、何度も桜の下に行きました。先生の『頑張るんだよ』って声を思い出して。“僕は独りじゃない、先生が見守ってくれている”って力が湧くんです」
  


 国際会議にも何度も参加し、創大の留学生で初となる工学博士号を取得。卒業後は、東京の企業や京都の研究機関に勤めた。
 

 だが、ビジネスは熾烈な競争の世界。都会の暮らしは人間関係が希薄で、会社では文化の壁も感じた。
 “自分は何のために日本に来たんだ……”。帰宅すると毎晩、部屋で一人、遠く離れた故郷を思った。
  


 その頃、毎年のように徳之島を訪れていた。大学院進学の保証人になってくれた知人が同島の出身で、会いに行っていたのだ。


 緑の山、澄んだ空気、人との触れ合い。島に来ると、故郷に帰ったような気がした。


 滞在中、自動販売機の前で、買ったはずの飲み物が出てこずに困っていた老婦人を助けた。すると翌日、お礼にと、たくさんの野菜を持って来てくれた。
  


 「なんだか、この島にずっといたいと思った。ちょうど仕事の契約も切れて。アメリカやドバイの会社から誘いはあったけど、断って」。2017年、徳之島に移住した。
 

 
 
大事なのは“心”を結ぶこと
 島に移り住んで3年が過ぎた。畑仕事を手伝い、土まみれになってジャガイモを掘り出し、島口(方言)や島唄、三線も習った。
 

「僕が島を愛するほど、島の人たちも僕を大切にしてくれる」
  


 学会活動でも、その姿勢は変わらない。「御書が大好き!」と語るラミレスさんは、何カ所も座談会に呼ばれる。


 付箋をたくさん貼った御書を開き、日本語・英語・スペイン語で御文を紹介すると、参加者も大喜び。
 

 
 昨年からは地区部長として、地道な訪問・激励に徹し、信頼を結ぶ。


 島では“学会のラミレスさん”と、誰もが知っている。「だから悪いことはできないよ(笑い)」
  
 


 本年、新型コロナウイルスの影響は、徳之島にも――。


 島内に感染者は出ていないが、勤務先の高校は休校に。自分の教室も休業し、収入は激減した。


 「嘆いていても仕方がないから、題目だね。祈って祈って」
  


 すると、知人の島民からIT(情報技術)関連の仕事が舞い込み、さらに島の特産品を紹介するウェブサイトの作成依頼も。「島のつながりに助けられたよ」


 5月には学校も再開し、語学・パソコン教室も通常の運営に戻した。
  
  

 
仕事でITを活用する一方で、学会の地区部長としては、オンラインの学会活動には少し慎重だった。地区内には、電波の入らない場所があり、80代以上の壮年部員も多い。


 「オンラインだと参加できない人がいるのがつらい。だから、僕は聖教新聞の記事を書き写した、励ましのカードを作って、みんなに届けているんだ」
  


 オンラインはあくまでツール(手段)であり、「大事なのは“心のつながり”を結ぶこと」だと、ラミレスさんは言う。
  


 創価大学の開学の日に、創立者・池田先生は、「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」との二つの指針を学生に贈った。
 ラミレスさんも、この言葉をずっと大切にしてきた。
    
 「たしかに、島の暮らしは不便も多い。人間関係が窮屈だと思う人もいるかもしれない。だけど、僕にとっては、目の前の人を幸せにできる、すてきな“つながり”なんだ」
  
 自分が磨いてきたスキルを何に使うのか。人生の価値はコンピューターでは計算できない。
 ラミレスさんは、「生きる幸せは、人のつながりの中で実感するもの」と。
  
 最後に、「今まで住んだ場所の中で、どこが一番ですか」と尋ねると、「創大の滝山寮だね!」と即答。喜びも悩みもさらけ出して、仲間と語り合った日々が、今もラミレスさんを支えている。
  
  
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 kansou@seikyo-np.jp
 ファクス 03―5360―9613


(2020年8月8日 聖教新聞)







Last updated  2020/08/08 08:04:25 PM
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2020/08/02

〈危機の時代を生きる〉
北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター・髙田礼人教授に聞く

​ 猛威(もうい)を振るう新型コロナウイルスは、なぜ出現したのか――。世界各地を飛び回り、動物から人にうつるウイルスの感染メカニズムを解き明かしてきた北海道大学人獣(じんじゅう)共通感染症リサーチセンターの髙田礼人教授に、電話で取材した。(聞き手=本田拓視、5月27日付)

新型コロナのパンデミック 乗り越える鍵(かぎ)は皆が地球規模で考えること
 ――新型コロナウイルスの出現について、どう思われていますか。
 ​

 


 正月明けくらいに、中国で原因不明の肺炎が流行していると報道され、これが他の地域に広がったら、どのくらいの影響を及ぼすかと心配していました。



 今回の新型コロナウイルスは、感染しても症状の出ない「不顕性感染(ふけんせいかんせん)」も多いことが対策を難しくさせています。感染者が感染に気付かず、他の人と接触してウイルスを撒(ま)き散(ち)らしてしまう可能性があるからです。SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)に比べて致死率は高くないものの、今は警戒が必要だと思います。
  

 ――教授はこれまで、エボラウイルスやインフルエンザウイルスの研究をされてきましたが、今回のウイルスもエボラウイルスと同じく、コウモリの持っていたウイルスと考えられています。
  


 新型コロナウイルスに非常によく似ているウイルスがコウモリから見つかっているので、自然宿主(もともとウイルスと共存している動物)はコウモリと考えられます。その上で、どうしてコウモリに、そんなに多くのウイルスがいるのかとよく聞かれます。あくまで推測ですが、コウモリは洞窟等の密閉した空間で密集・密接して生活しているものが多いのです。いわゆる「3密」です。そういった環境は、ウイルスが維持されやすいのだと思います。



 ただ実際は、コウモリとともにげっ歯類(ネズミの仲間)もまた、多くのウイルスを持っていることが分かっています。そうしたウイルスがたまたま人や他の動物に入った時に、感染症を引き起こすのです。



 ――エボラ出血熱で臨床試験が行われていた「レムデシビル」が、新型コロナウイルス感染症の治療薬として国内で承認されました。
 

 
新型コロナウイルスは感染した細胞の中に入り込み、自らの遺伝情報(RNA)を複製させていきますが、この複製の際に必要なのは、ウイルスが持っている「RNAポリメラーゼ」という酵素です。「レムデシビル」には、この酵素の働きに作用する性質があり、結果としてウイルス遺伝子の複製を阻害することができます。日本で注目されている抗インフルエンザ薬「アビガン」も似たような機能を持っており、2014年に西アフリカで流行したエボラ出血熱の治療にも使用されました。ともに副作用があることも指摘されていますが、有効な薬の候補であることに間違いはありません。


ウイルスは無生物だが生物的 自然界で生き物と静かに共生
 ――RNAを持つウイルスは、変異しやすいといわれます。さらに凶暴化することはあるのでしょうか。
 

 それは分かりませんが、そもそも重症化しやすいウイルスは、生き残りにくい。感染者に依存して自らの子孫を増やすウイルスにとって、生き残るためには“一人の感染者から一人以上に感染させること”が求められますが、感染者が重症化して寝込んでしまうと、他の人にうつすことができず、途絶えてしまう確率が高くなるからです。なので、毒性が強すぎるウイルスは、生存戦略としても望ましくないのです。また新型コロナウイルスは、普通の風邪を引き起こしているウイルスと同じ「コロナウイルス科」に属します。断定はできませんが、このまま人類に定着するならば、長い年月をかけて弱毒化していくだろうと思っています。



 ――ウイルスを、まるで生き物のように語られますね。
 

 
 生命活動に必要なエネルギーを生み出す「代謝」を行わず、自ら分裂して「増殖」することができないウイルスは、生物学的には「生物」ではありません。ですから、ウイルスは“ただの物質”と考えることもできますが、ひとたび生物に感染すると、生物の細胞の代謝能力などを利用して、自らの遺伝情報を複製させるのと同時に、ウイルス固有のタンパク質を合成させ、子孫をつくっていきます。まさに“極めて生物的な物質”といえます。



 また、そう考えるようになったのは、私が長年、人と動物に共通して感染する「人獣共通感染症」を研究対象としてきたからかもしれません。人と動物の接触によって起こりうる事態を予測し、先回りで予防策を立てるために、これまで各地でフィールドワーク(現地調査)を続けてきましたが、その中で動物を生かし、時には支えながら自分も生き続け、自然界で静かに存続するウイルスの姿を見てきました。そのあり方から、ウイルスも地球上に存在する生命体の一部であると感じるのです。
  


 ――そうしたウイルスがなぜ、人間にとって致命的な病気を引き起こすものに変わってしまうのでしょうか。
  


 長い時間をかけて築き上げられたウイルスと自然宿主動物との蜜月な関係に、人間が踏み込んでしまったからでしょう。



 人獣共通感染症の多くは、野生動物との接触から始まります。自然破壊などを通して人間の活動領域が広がったことや、地球温暖化による動物や昆虫の生息域の変化で、ウイルスと共生していた動物との接触が増える。すると当然、今まで人との接触がなかったウイルスと出くわす可能性も高くなります。野生動物からまずは家畜に感染し、それが人に伝播するという経路もあります。そのウイルスが人への感染に成功し、爆発的に増殖できる条件を備えたものであれば、高い病原性を示すこともあるのです。



 また、人類の食糧問題とも深く関係しています。先進国では野生動物を珍味として食べているかもしれませんが、途上国では生きていくために食べざるを得ない状況もあります。その動物の血液、粘液、尿あるいは糞等に触れることで感染する恐れがあるのです。一方、こうした感染の恐れのある動物を食べないようにするため、農業や畜産業を発展させようと思っても、農地などを広げるためには、やはり自然に踏み込まざるを得ない。こうした環境破壊や食糧問題とどう向き合うかも、人類に問われていると思います。

「人の健康」「動物の健康」「環境の健康」は切り離せないとの視点が大切(AFP=時事)
コロナ後に求められる新たな哲学は「ワンヘルス」(人と動物と環境の健康)


 ――仏法には、環境(依報)と人間(正報)は密接に関わっていると説く「依正不二」という法理があり、自然破壊は人間の命を脅かすものとなり、逆に自然を守ることが人間を守ることにつながると考えています。
  


 興味深い視座です。私たちの大学院では今、人の健康、動物の健康、環境の健康は互いにつながっていると捉える「ワンヘルス」という考えをもとに教育・研究を進めています。「依正不二」とも共鳴するのではないでしょうか。



 ともあれ私たちが研究を続けているのは、今の脅威はもちろん、新たに遭遇するかもしれないウイルスにも備えるためです。近年は遺伝子の配列を高速で調べることができる「次世代シーケンサー」と呼ばれる装置も生まれ、今まで発見できなかったウイルスも検出できるようになりました。こうした科学技術の力も使いながら、獣医学、医学、環境学という分野の垣根を越えて、感染症対策に当たっていきたいと思っています。
 

 
――最後に、新型コロナウイルス対策で私たち市民が心掛けるべき点を教えてください。
 

 世界がこういう事態になっても、悲観も楽観もせず、なるべく平常心でいてほしいと思います。



 その上で、たとえ緊急事態宣言が解除されても、「自分の地域は大丈夫」と人々が一気に動きだせば、当然、再び感染は広がります。感染が世界に広がっている以上、日本だけが乗り越えればよいという問題でもありません。



 私自身、「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー」という言葉、つまり“地球規模で考え、足元から行動する”ことを大切にしていますが、一人一人が世界全体のことを考え、今できることを地域や個人レベルでやっていく。この心掛けが大事だと思います。


【プロフィル】
 たかだ・あやと 1968年、東京都生まれ。獣医学博士。専門は獣医学、ウイルス学。北海道大学獣医学研究科助手、東京大学医科学研究所助手などを経て現職。エボラウイルス研究の第一人者として知られる。著書に『ウイルスは悪者か』(亜紀書房)など。


(2020年8月2日 聖教新聞)







Last updated  2020/08/02 01:37:37 PM
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​〈危機の時代を生きる〉
47年間の入院生活――筋ジストロフィーと向き合う 

「元気の秘けつは題目ですよ」と丸井さん(2019年撮影)
 
 肢帯型筋(したいがたきん)ジストロフィーと診断された丸井美津子さん(73)=青森市、婦人部員=は、27歳で療養所(現在は国立病院機構)に入所した。
 
 病院での生活は、今年で47年になる。体は少しずつ確実に動かなくなっている。それでも「心は自由自在」と、病棟の自治会役員を務め、患者仲間を励ます。
 世界が「まさかの事態」に直面する今、彼女は“生きることの意味”を教えてくれる。(記事=掛川俊明、野田栄一、5月30日付)
 
“できない”を嘆くより、“できる”を楽しみたい
 2月上旬、青森県内の病院を訪ねた。電動車いすに乗って迎えてくれた丸井さんの笑顔は、少女のように輝いていた――。

 廊下を進むと、壁には四季折々の写真と、患者たちの木工品や手芸品が。掲示された俳句に目をやると、<病院は 残暑知らずで 快適だ>。 
 「あら、恥ずかしい! 去年、詠んだんです。病院暮らしって大変と思うかもしれないけど、意外と楽しんでいるんですよ」
 肢帯型筋ジストロフィーは、骨格筋が侵され、運動機能が失われていく疾患。呼吸や消化機能など、多臓器に影響が生じることもある。
 年々、できていたことが、できなくなる。「みんな同じ不安を抱えています。だから、励まし合わないと」
 
病棟の壁に飾られた手芸品

 入所以来、自治会役員を務め、患者仲間たちと一緒にカラオケやビンゴ大会、映画鑑賞会なども開催してきた。「いつもはテレビとにらめっこしている人たちも、集まると楽しそうなのよ」
 患者たちの旅行も企画する。車いすに乗れない人も、ストレッチャーで参加。旅行会社とのやりとり、介助ボランティアの手配まで、丸井さんの仕事だ。これまでに日本全国、さらにハワイやグアムにも行き、車いすで海に入ったことも。
 「“できない”ことを嘆(なげ)くより、“できる”ことを楽しまなくちゃ。だって、心は自由自在ですよ。私には、その力の源の題目がありますから」
 
 小学生の頃には、つま先立ちでしか歩けなくなり、中学校は同級生の助けも借りて登校した。
 姉に続き、創価学会に入会したのは、家業を手伝いながら、定時制高校に通っていた時。治療は受けていたが、当時はまだ病名も分からなかった。
 「自分が病気なのか、何なのかを知りたくて」学会活動に励んだ。
 
 20歳の時、大学病院でようやく病名が判明する。「あと何年、生きられますか?」と医師に尋ねた。だが、病気の研究はまだ発展途上だった。医師は「10年くらい」と告げた。
 やがて、生活全般で介助が必要になるかもしれない。“それなら、今すぐ死んだって同じじゃないの……”
 
本紙記事の切り抜きノート

人のために動けば、明るくなれる
 生きる意味を見失い、ぼうぜんと部屋でふさぎ込んだ。そんなある日、ふと池田先生の書籍が目に留まる。
 「われには われのみの使命がある/君にも/君でなければ 出来ない使命がある」

 自然と涙があふれた。「素直に“生きたい”と思った。“私にも使命がある”んだって」。真剣に御本尊に祈り、学会活動にも懸命に歩いた。

 1973年(昭和48年)、27歳の時に療養所に入所した。父と姉をすでに亡くし、脳卒中で倒れた母はずっと入院生活。いつまでも、おいっ子夫婦の世話になるわけにもいかなかった。
 病院でも“信心を続ける”と固く決意し、病棟スタッフや同室の患者に理解を得て、病室に御本尊を安置した。
 
 丸井さんは、トイレや洗面にも介助が必要で一人では出歩けない。47年間、学会の会合には、ほとんど参加できなかった。
 それでも毎日1時間以上の唱題を続け、毎朝、聖教新聞をしっかりと読む。「先生の指導、同志の皆さんのドラマに励まされて、ずっと信心してきました」

 記事の切り抜きノートは49冊目。病室から電話し、本紙の購読推進にも励む。ベッドの横の壁には、池田先生の「世界が暗ければ 自分が太陽と輝くのだ」との言葉が張られている。
 「時折、婦人部の人が来てくれて、おしゃべりするのが楽しくて」。2017年(平成29年)には、看護師の婦人部員が同行し、広宣流布大誓堂での誓願勤行会に参加した。
 
婦人部の同志と東京・信濃町の総本部も訪れた(2017年5月)
 
 写真の撮影を予定していた2月末、新型コロナウイルスの影響で、病院では家族を含めて面会ができなくなった。しばらく掲載を見合わせ、丸井さんには電話やメールで取材を重ねた。
 
 未知の感染症の拡大は、ともすれば“自分さえよければ”というエゴを生み、人々を分断しかねない。病気の苦痛は治療や薬で和らげることができても、生きる勇気や希望は、励ましでしか生み出せない。
 
 池田先生は語っている。
 「御本尊を拝するということは、全宇宙を見わたし、見おろしていくようなものです。自分自身の苦しんでいる生命をも見おろしていける」
 「信心があれば、何があろうと、生命の根底が歓喜になる。希望になる。確信になる。そして、勇んで、悩める人のもとへ飛び込んでいって、自他ともに『随喜』の当体となっていけるのです」
 
 今月に入り、丸井さんから「入所者の友人が亡くなった」と連絡が届いた。
 40年以上、一緒に暮らしてきた友の死は「言葉になりません」。悲しみは深い。けれど「生前、彼女が『教えてもらった題目を唱えたよ』と言ってくれたんです」。
 
 丸井さんの病状もゆっくりだが、確実に進行している。「だんだんできないことが増えていく。それでも、人のために動けば、気持ちが明るくなるんです」
 今は、出会った人との縁を大切にしたいと、伝統手芸の「津軽こぎん刺し」で、友人知人の子や孫への贈り物を作っている。
 
 病棟を訪れた時、あちこちで「もうすぐ、ご飯だね」「トイレは大丈夫?」と入所者に声を掛ける丸井さんの姿を見た。
 リハビリで通院する外来患者とも手紙でやりとりを。「この前、リハビリ外来が再開したんです」と自分のことのように喜ぶ。
 
 取材の最後に、丸井さんは語った。
 「生まれ変わって自由に動ける体になったら……そうね、今度はもっと、みんなのためにお世話できる人生を生きたいな。だって、これが学会員の生き方だから」
 
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(2020年8月2日 聖教新聞)










Last updated  2020/08/02 01:21:23 PM
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2020/08/01

​〈危機の時代を生きる〉
「人権」という人類の財産――ハンセン病の教訓
長尾さんは2007年から精神科医として高松市内の病院に勤務する
 国内で新型コロナウイルスの感染が確認されてから、約7カ月。社会に立ちはだかるもう一つの敵が「差別(さべつ)」や「偏見(へんけん)」だ。
​

 医療従事者の家族が登園・登校を断られたり、県外ナンバーの車が投石を受けたりといった出来事も報じられた。感染症、検査、隔離、差別――世間をにぎわす単語に触れ、ハンセン病の歴史を想起した。その教訓から学べることがあるはずだ。


 40年以上にわたり、ハンセン病の臨床医として、日本をはじめ海外でも患者を支援してきた医師を訪ねた。(記事=成川航大、橋本良太)
 


生命尊厳の仏法思想が差別と偏見を越える鍵
 
「日本では国のハンセン病対策が偏見・差別を助長してきた歴史があります」。長尾榮治(ながおえいじ)さん(76)=香川県高松市、県総合長、方面副ドクター部長=は、こう前置きして語り始めた。
 
 ハンセン病は「らい菌」により皮膚や末梢神経(まっしょうしんけい)が侵される慢性の感染症だ。感覚異常等の症状に加え、顔や手足のまひや変形といった後遺症が知られている。
 


 1907年(明治40年)の「癩(らい)予防ニ関スル件」(後に「らい予防法」に変更)により、患者は療養所に強制隔離された。各地では「無らい県運動」が推進され、競うように、感染の恐れがない患者までも収容の対象となった。


 戦後、「プロミン」などの治療薬の開発で“治る病気”となってからも、96年(平成8年)の同法廃止まで隔離政策は続いた。
 


 長尾さんが香川県高松市にあるハンセン病の国立療養所「大島青松園」に赴任したのは、その隔離の歴史のなか、75年のことである。「青松園勤務を志願した際、医局の上司や先輩からは、大変珍しがられました。関わる病気や患者さんも限られる。“世捨て人”というような言葉まで、私の耳に届いた」
 


 そんな声にもかかわらず、長尾さんを青松園に導いたもの。それは「正しい知識と、私自身が触れ合ってきた患者さんの姿」だった。

美しい瀬戸内海に囲まれた国立療養所「大島青松園」(2017年撮影)


 実は学生時代、創価学会で班長(当時)だった父に連れられ、青松園に暮らす同志の元へ通っていた。


「皆さん、誰もが優しいおじさん、おばさんでした。父は病の有無や外見の違いを超え、人間対人間として、相手と接していた。幸運にも、それが私の“当たり前”であったわけです」
 


 長尾さんが赴任した75年当時、入所者の数は約550人。大半は“元患者”だった。だが、“外の世界”から園に向けられる差別は根強かった。
 


 「社会復帰を支援し、園から送り出したご夫妻がいました。後に、お訪ねすると、住まいは家賃の高いマンションなんです。理由を尋ねると『ここは、安いアパートよりも人に会わなくて済むから』と。胸が締め付けられました」
 


 数年後、十分な健康管理ができないまま、妻は手遅れとなった乳がんで亡くなり、夫は再び療養所に戻った。
 
 

「病気としてのハンセン病は治っているのに、後遺症を引き金に、偏見が差別を生み、患者を社会の端へ、園へと押し戻してくる。故郷を捨てさせられ、自立のための職業技能を得る機会も与えられなかった。『園内でしか生きていけない人生』といえる状況がつくり出されてしまった。彼らを社会から隔絶する壁や溝を壊すことなどできるのかと、私は悩みました」
 


 
長尾さんが、一筋の光明を見いだした出来事があった。78年10月7日、青松園に暮らす当時60歳ぐらいの壮年部員と共に、学会の第1回「離島本部総会」に参加した。
 


 「長い間、園で暮らし、家族や故郷とも絶縁した方でした。高齢で社会復帰の見通しは低い。創価学会で、人との縁を広げてほしい――医者としてというより、同志として、私が頼みこんで、汽車に乗ってもらいました。両足は義足。顔にも後遺症がある。察して余りある勇気が必要であったと思います」
 


 会場であった東京・信濃町の創価文化会館に着くと、女性役員が、笑みをたたえて歩み寄ってきた。「お手伝いしましょうか」。壮年の義足に気付き、靴を脱ぐのを介助してくれた。長尾さんは振り返る。
 

「役員には、私たちがどういう背景で参加するかなど事前には伝えていません。壮年が嫌な思いをすることはないかと一抹の不安を抱いていましたが、杞憂(きゆう)でした。かつて、父や青松園の学会員さんがそうであったように、学会の連帯に、壁はありませんでした」
 
妻・早苗さんと長尾さん


 園の内と外という壁をなくしたい。長尾さんはその後、82年に沖縄県宮古島の「宮古南静園(なんせいえん)」、90年には本島の「沖縄愛楽園(あいらくえん)」に赴任する。
 


 南静園では、入所者の外部病院での受診を可能にしたり、園の療養所で一般患者の外来診療を受け入れたり、入所者と近隣住民がゲートボールで親交を深めるなど、地域に開かれた療養所の運営を目指した。
 
ある入所者が語った言葉が、今も胸に焼き付いている。「長尾さん。僕はこれまで“病気がうつる”“近寄るな”と、差別され続けてきた。でも、ここで、園の外の人たちとも触れ合いを持つことができ、自分は名誉を回復した」と。
 


 入所者の幸福とは何か。長尾さんは問い続けてきた。


 「多くの観点がありますが、その一つは“かつて病気を経験して後遺症を持っている、ありのままの自分と付き合ってほしい”“人としての私の存在を認めてほしい”ということ。『受容』『共生』ではないでしょうか。彼らは声を上げ、戦いを続けています」

タイ赴任中、ハンセン病療養所を視察する長尾さん(左端、本人提供)


 
新型コロナウイルスは、ハンセン病のような国策が推進されてはいない。だが偏見と差別という点では教訓は生かしうる。
 
 

「新型コロナウイルスは科学的解明が途上であることで“未知”です。“分からない”ことで“自分が感染するかもしれない”との不安が増大する。そこから、病気や感染者、やがては、第三者へのネガティブな感情が起こってしまう。だからこそ、私たちは、ゆるがせにしてはいけない価値観を確立することが大切です。それはお互いの人権を尊重することです。ハンセン病患者の歩みは、いかなる不安が社会を覆っても、人権だけは守らなければならないことを教えてくれています」
 


 人権を守るという答えを現実のものとするために、何が必要か――。長尾さんは国内だけでなく、タイやミャンマー、台湾など、海外でハンセン病医療に従事。教育機関での講演や各地のシンポジウムなど、啓発活動にも取り組んできた。
 

「どの国でもハンセン病患者の受ける差別のありようは、人種・民族の違いを超えて、変わりがありませんでした。逆説的ですが、人類の負の面の共通性を感じました。逆に仏法は『地涌の菩薩』という人類が共有する根本のアイデンティティーを説いていることに感銘を受けます」
 


 

「根源の悪」を克服するためには、「根本の善」を一人の人間の胸中に確立するしかない。池田先生は「地涌」とは「民族や人種、国籍や性別など一切の差異を超え、生命の大地の奥深くに広がる大いなる創造的生命」に気づくことだとし、私たちには「(いかなる人も)今この地上に生きる仲間として、自他共の無限の可能性を開き、幸福と平和という価値を創造する底力がある」と訴える。


 


 コロナ禍で、先の見えない日々が続いている。友の幸福を祈り、励ましの声を届ける行動の中に、自他共の喜びは創造される。私たちは感染症の不安や恐怖に打ち勝てるか――試されているのは、自分の心である。
 
 


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(2020年8月1日 聖教新聞)







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2020/07/29

〈危機の時代を生きる〉
寄稿 創価大学経済学部長 高木功教授
​新型コロナ危機後の世界――人間主義と持続可能性によって制御されたグローバル経済へ​


 新型コロナウイルス感染のパンデミック(世界的大流行)によって、世界経済は大きな打撃を受けた。各国で経済活動が再開される中、専門家やメディアの間では“新型コロナ後”のグローバル経済の在り方について、さまざまな議論が交わされている。世界経済の現状と今後の課題について、創価大学経済学部長の高木功教授に考察してもらった。


 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が止まらない。WHO(世界保健機関)などによると、世界220カ国・地域に及び、感染者の数は世界で1648万人を超え、約65万4100人の命が奪われた(7月28日現在)。国境の存在を忘れさせるグローバルな経済活動と大量の人々の移動・交流が、新型コロナウイルス感染のパンデミックを導いた主因であり、超グローバル化の帰結の一つである。
 

 1990年代後半から、経済のグローバル化は加速し始めた。規制緩和と自由化の政策路線は、先進国内の企業による国際投資を活性化させ、企業の生産工程において分業・協業化を導いた。「グローバル供給連鎖」と呼ばれる現象である。
 


 特定の部品も、製品も、複数の企業によって意匠・製造・ブランド化され、世界市場への販売に向けて、いくつもの国境をまたいでいく。一つの生産物を、一つの企業の製品として特定することは今や難しい。そこに「グローバルな価値創造の連鎖」が形成される。私たちの生活の維持は、世界各地の多様かつ無数の労働・資源に支えられており、“一蓮托生(いちれんたくしょう)の世界”といえよう。
 


 グローバル経済はこの30年、一段と拡大・膨張した。購買力平価(ある国において一定の商品・サービスの組み合わせの価格が、米国では何ドルで買えるかを示す交換レート)で換算した80年の世界のGDP(国内総生産)は13兆ドル余りだったが、90年に27・4兆ドルに増加。2000年には50・2兆ドルとなった。08年、世界を震撼させた金融危機が起きたにもかかわらず、10年には89・6兆ドルに拡大。そして19年には142兆ドルにまで達している。
 


 グローバル経済の急拡大を支えたのは先進各国の相互の過大な投資であり、また中国やブラジル、インドなど新興諸国への投資と、新興国経済の急成長である。その背景には、米国の慢性的な経常収支赤字と、先進各国の金融緩和政策によって生み出された巨額の余剰資金、すなわち過剰流動性が挙げられる。
 


 新型コロナウイルスの感染拡大は、こうしたグローバル経済の連結構造を一気に分断し、世界経済を危機に陥れた。国家レベルの危機回避策として、国や都市の封鎖を実施し、人々の国内外の移動を制限したが、それによって生産・消費活動は停止し、国際物流網は寸断された。年内の危機収束を前提としたIMF(国際通貨基金)の推計でも、経済成長率は、米国がマイナス5・9%、欧州ユーロ圏がマイナス7・5%、日本がマイナス5・2%となっている。今年の世界経済は戦後最大の危機に直面しているといえよう。
 


 米国、日本、EU(欧州連合)からなる先進国経済はこれまで、異常なまでの金融緩和策で景気を演出してきたが、バブル経済の崩壊と危機の発生が、経済の内的要因ではなく、感染症のパンデミックによってもたらされるとは、誰が予想しただろうか。
 


 金融危機ではなく、新型コロナ危機が近年の野放図なグローバリゼーションのリスクを広く知らしめたのである。


格差社会を是正し、万人に“健康的な生活”の保障を
 では、新型コロナ危機後の世界経済は、どうあるべきであろうか。
 


 第1に、グローバル化の負の産物である格差社会の是正(ぜせい)と、万人に「人間らしい生活」を保障する経済体制の構想が求められよう。
 


 フランスの経済学者トマ・ピケティが示唆するように、グローバルな供給連鎖と金融中心のグローバリゼーションは国内・国際を問わず、所得・資産格差を拡大してきた。経済格差の大きい米国では、新型コロナウイルス感染による死者と被害者は、十分な医療サービスを受けられない貧困層、マイノリティー(少数派)に偏(かたよ)っているという。経済格差と感染症の被害に密接な相関があると思われる。
 


 つまり、経済格差が大きいほど、その社会は感染症の危機に脆弱(ぜいじゃく)だということ。医療サービスの享受をはじめ、健康的な、人間らしい生活を最低限保障することが再び注目されるべきであろう。ここでは、人々の意識変化、国家と地方自治の役割の見直し、そして危機管理能力が問われることになる。
 


 第2に、分断されたグローバル経済を再生・再構築すると同時に、足元の各国経済、地域経済の再構成が必要だ。新型コロナ危機は、グローバルな供給連鎖と、世界市場への過度な依存によるリスク、不確実性を明らかにしたからである。
 


 例えば、国外で、どこか一つの工場が閉鎖(へいさ)されれば、ある商品の生産活動がストップしてしまうのである。これまでのように、収益性と効率性を追求するだけではなく、リスク管理の強化が必須となる。供給連鎖を構成する契約先を複数・多様化させると同時に、生産活動の簡素化あるいは国内回帰も見直されるべきだ。国・地域内の循環経済も再構築される必要がある。


 第3に、人々と世界を結び付けるインフラ整備として、ICT(情報通信技術)ネットワークと、リアルな社会・経済との融合が挙げられる。目に見えないウイルスは、人々の心を恐怖と不安で覆い、人や社会、経済の連帯を破壊した。一方で、世界中の人々が同じ危機に直面し、自分自身と世界とのつながりを認識した結果、相互連結のネットワークの修復と再構築へ動き出している。この関係性の構築と修復に欠かせないインフラがICTである。
 


 ICTはAI(人工知能)と結び付くと、国家による監視強化とプライバシーの侵害をもたらしうるが、国境を越えて人々を結ぶツールとして、計り知れない潜在力を有している。新型コロナ危機の後、リモートワーク、リモートラーニングは広く普及し、対面会議よりもリアルタイムのオンラインコミュニケーションが主流になる可能性すらある。


富への際限なき欲望を抑制・転換する動きも

米ニューヨークの国連本部で開催された「国連持続可能な開発サミット」(2015年9月)=ロイター


 最後に、私たち自身の意識変革と行動変化について記したい。


 
 グローバリゼーションの拡大を支えた原動力は、中国に代表される新興国の人々の豊かさへの渇望と、国境を越えて肥大化する富への際限なき欲望である。人間の豊かさへの渇望と欲望の肥大化を止めることは難しいが、これらを抑制・転換する新しい変化はすでに見られる。
 


 例えば、環境問題への対策を含む国連「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成を目指す「2030アジェンダ」は、普遍的な共通目標として人々に共有されつつある。その中には、感染症対策と、全ての人に保健医療サービスの提供を目指す「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ」の達成が含まれている。同時に、目標達成のための国際パートナーシップの構築も掲げられている。
 


 世界的な投資市場においても、環境・社会・企業統治への配慮を掲げる「ESG投資」が主流化しつつある。
 


 一方で、新型コロナ危機をきっかけに、世界の貧困率は上昇し、SDGsの「目標達成は一層困難になっている」(グテーレス国連事務総長)との見通しもある。その意味で、今まさに正念場であり、達成に向けた意識と取り組みが世界的に強化されなければならない。
 


 持続可能性と、あらゆる人間の生を保障する人間主義に導かれる「制御可能なグローバルエコノミー」の構築を期待したい。


〈プロフィル〉
 たかぎ・いさお 1956年生まれ。創価大学大学院博士課程単位取得満期退学。専門は、世界経済論、開発経済学、アジア経済論。シンガポール東南アジア研究センター客員研究員、フィリピンのデ・ラ・サール大学ユーチェンコ・センター客員研究員などを歴任。現在、「ウェルビーイング(よき生)」「人間主義経済学」の研究に取り組む。



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(2020年7月29日   聖教新聞)







Last updated  2020/07/29 01:31:39 PM
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2020/07/26

<アフターコロナの世界>​先人の営みから今を生きる知恵をつかむ ​

東北大学 平川新名誉教授

1950年、福岡県生まれ。法政大学文学部卒、東北大学大学院文学研究科修士課程修了。博士(文学)。専門は日本近世史(江戸時代)研究、歴史資料保存学。宮城学院女子大学助教授、東北大学教授、同大東北アジア研究センター長・災害科学国際研究所所長、宮城学院女子大学学長を歴任。著作に『伝説のなかの神――天皇と異端の近世史』『紛争と世論――近世民衆の政治参加』『戦国日本と大航海時代――秀吉・家康・政宗の外交戦略』などがある。

 「祈り」から始まった災厄(さいやく)との戦い。連綿と受け継がれる先人の思いと教訓を、私たちはいかに継承(けいしょう)すべきか。(「第三文明」2020年8月号から、6月10日取材)


災厄と対峙し続けた先人の歩み
 去る5月25日、国内に出されていたすべての緊急事態宣言が解除されました。今後は新型コロナウイルス感染症の第2波、第3波に備えながら、新しい生活様式に適応していくことになります。同時に、感染の拡大を一定程度に抑制できている今こそ、ここまでの経緯や対応を一度総括し、「歴史の教訓」として残すべきであると考えます。



 そのためにもまず、私たちの生きる現代社会がどのような成り立ちを経てきたのか。とりわけ、先人が災厄(さいやく)に対し、いかに向き合ってきたのかを学ぶ必要があります。



 太古の昔、国は帝王(ていおう)の「徳」によって統治されるものと考えられていました。ゆえに災厄の発生も、帝王の徳に左右されると受け止められていたのです。



 このため歴代天皇は、統治の正統性を守るべく「祭祀(さいし)」、すなわち祈りの力で災厄を払おうとしました。奈良時代に編纂された歴史書『日本書紀』には、第10代・崇神(すじん)天皇が祈りの力で疫病を鎮(しず)めたとの伝承(でんしょう)が残されています。



 また、仏教公伝(6世紀半ば)以降は、いわゆる鎮護(ちんご)国家の思想が発達しました。第45代・聖武天皇は、震災(しんさい)・飢饉(ききん)・疫病(えきびょう)など相次ぐ災厄を退治(たいじ)すべく、東大寺(奈良県)に大仏を建立。全国各地には国分寺・国分尼寺を創建し、仏教の力で国家安泰を図ろうとします。



 このほか歴代天皇は、改元による災厄退治も試みています。古来、帝王には時間と空間を支配する力があるとされてきました。その象徴が元号で、制定は天皇の専権事項だったのです。



 元号の制定には「災異改元」と称する考え方があり、元号を変えることで災厄を払うことができると信じられていました。わが国では、大化(645年)から令和まで248の元号が存在しますが、そのうち100を超える元号が災異改元によります。これは新天皇即位による改元の74回を大幅に上回ります。



 一方、先人たちは、ただ神仏に祈りをささげていただけではありません。貴族から庶民に至るまで、それぞれの立場で、またときには他者とも協力しながら、災厄と向き合っています。



 たとえば、聖武(しょうむ)天皇の皇后(光明皇后)は仏教に帰依(きえ)し、悲田院(ひでんいん)(貧しい人や孤児を救うための施設)や施薬院(せやくいん)(病人の治療のための施設)を開き、貧者や病者の救済に力を尽くしました。



 また、平安時代に入ると、天皇が大災害の発生時などに賑給(しんごう)(衣料・食料の支給)を行い、民心の安定を図(はか)っています。さらに、都の治安と民生を担当した検非違使(けびいし)らも、行き倒れた民衆の遺体を回収し、不衛生な環境が広がらぬよう努めていました。



 現在、庶民の文化として根付いている催しのなかにも、災厄と関係の深いものがいくつもあります。たとえば、室町時代に始まったとされる節分行事は、人智(じんち)を超えた災厄を起こす存在である「鬼」を払うために行われました。また、村祭りの多くは、五穀豊穣(ごこくほうじょう)や家内安全だけではなく、悪病退散を祈願する年中行事でした。打ち鳴らす太鼓や笛の音によって、悪霊を追い払おうとしたのです。



 ほかにも道端の石碑(せきひ)を注意して見てみると、「疱瘡神(ほうそうかみ)」と刻(きざ)まれた石碑が残されています。これは疱瘡(ほうそう)(天然痘)で亡くなった人々を供養するとともに、悪病が再び流行しないよう祈りを込めて建てられたものです。

明治期に起きたコレラの大流行
 こうして先人たちは、たび重なる災厄を乗り越えてきたわけですが、時代を経るごとに災厄に対する経験値を高めていきます。



 これは私の地元、東北・仙台藩(せんだいはん)での出来事ですが、1773年に気仙郡(岩手県)の村人たちが集団で上方参詣(伊勢参りなど)へ出かけました。途中、東海道で疫病に感染し、10人に3人くらいが死去。残りが半死半生の状態で、ふるさとに戻ったといいます。そこから地域一帯に感染が拡大し、翌年までに1万3473人が罹患(りかん)。このうち2000~3000人が命を落としたと伝わります。



 仙台藩は速やかに医師を派遣し、治療に当たりました。同時にある村では、死者が出た家は自宅を固く閉じ、感染が外へ広がらないよう努めました。また周囲も、そうした家には決して出入りせず、病気の見舞いも自粛(じしゅく)したため、感染拡大を免(まぬか)れたといいます。恐らく、陽性患者に近づけば、自身も感染するとの認識があったのでしょう。



 ほかにも、ヨーロッパでは屎尿(しにょう)が町なかに投棄(とうき)され、感染症の拡大につながった事実がありますが、江戸の町では農村の肥料として屎尿が買い取られていました。結果的に市中の衛生が保たれ、深刻な感染症が起こりにくかったのではないかと考えられます。


 もちろん、こうしたことがすべて感染症対策を意図して生まれたものとはいえません。実際、近代的な公衆衛生の仕組みや防疫対策がなされるようになったのは、明治時代に入ってからです。


 幕末から明治期にかけて、日本ではコレラが流行しました。“ころり”と人が死ぬことから「狐狼狸(ころり)」とも呼ばれたコレラ。1858年には、江戸だけで10万人以上が亡くなりました。



 明治に入り、清国でコレラが流行し始めたと知った政府は、1877年に「虎列刺病予防法心得(これらびょうよぼうほうこころえ)」を布告し、患者の届け出を医師に義務づけます。また、各地に「避病院」(伝染病院)を建設し、患者の収容と隔離(かくり)を進めました。それでも、77年から79年にかけてコレラが爆発的に流行し、感染者は17万人を超え、11万人もの人々が亡くなりました。


 問題だったのは、防疫対策を強権的に進めてしまったことです。当時、感染者を隠(かく)そうとしたり、加持祈祷(かじきとう)で治そうとしたりして、あげく末期状態で病院へ担ぎ込まれる事例が続出しました。そこで政府は、警察による収容も可能としたのです。



 実はこのときの経験と反省が、現代につながっています。先に述べた予防法心得や避病院の仕組みは、「伝染病予防法」(現在の感染症法)や伝染病院・隔離病舎の設立に引き継がれています。また、対策の指揮についても、警察ではなく医師と行政が中心となって行うようになりました。その伝統が現在も受け継がれ、今回の感染症対策につながっているのです。

世界に広がる「祈り」
 すでに、アフターコロナの時代をいかに築いていくか、社会の各分野で議論がなされています。ですが、社会づくりの根本は、為政者(政治家)のリーダーシップによることは論をまちません。そして政治の指導力は、国民の信頼に左右されます。ゆえに為政者は、国民の信頼に応える政治をすべきと考えます。



 一方で、危機のときはポピュリズム(大衆迎合主義)が台頭しやすくなることにも注意が必要です。では、あるべき政治のリーダーシップとはどういうものか。私はその姿を江戸時代三大改革の一つ、天保の改革を主導した幕府老中の水野忠邦(みずのただくに)という人物に見ます。



 水野といえば、庶民を苦しめ、かつ改革に失敗した人物として批判されています。ですが、私は違う評価をしています。確かに水野は、奢侈(しゃし)(ぜいたく)を禁じて風俗を取り締まり、歌舞伎小屋の郊外移転も強行しました。しかし、それは高騰(こうしょう)した物価を引き下げるためであり、芝居小屋が火事を頻発(ひんぱつ)させていたからです。また江戸町奉行の反対にもかかわらず、流通特権を持っていた株仲間(企業カルテル)の解散も断行しました。



 くわしくは自著『開国への道』(全集日本の歴史第12巻、小学館)で論証していますが、結果として改革の目的どおりに物価は下がり、庶民の暮らしは守られたのです。その意味で、近代につながる新しい自由市場は、水野の改革から始まったといえます。



 それでいて不人気なのは、彼が庶民におもねらずに改革を断行して、人々に少なからぬ痛みを与えたからでしょう。また、改革について丁寧(ていねい)に説明するなどの庶民の共感を得ようとする姿勢を欠いた点も一因かもしれません。



 政治への評価は、歴史によって変わるものです。ゆえに、政治家の皆さんには世論の批判を恐れず、本当に必要な政策や改革は何かを考え、かつ自分の言葉で国民に訴えかけてほしい。それが危機にある今、求められるリーダーシップのあり方だと思います。



 今、新型コロナウイルス禍(か)を鎮(しず)める祈りが、世界各地でささげられています。それは宗教者のみならず、ありとあらゆる立場の人々が、一日も早い終息を祈っているのです。



 こうした「祈りの連帯」ともいえるものを、コロナ禍のはるか以前から世界に広げてこられたのが創価学会の皆さんです。皆さんは自身の幸福のみならず、他者の幸せ、そして世界の平和を毎日祈っていらっしゃる。祈りは人の心を豊かにし、心に明日への希望の灯をともします。ゆえに、太古の昔から人々は、災厄に対して祈りをささげてきたのでしょう。



 コロナ禍によって、人々の心は傷つき、世界は分断の方向に向かっています。世界はコロナ以前と後で、その歴史を大きく変えてしまうかもしれない。アフターコロナの世界を、「祈り」の大切さを見つめ直すことから始めていく――それもまた、歴史が伝える教訓なのかもしれません。


(2020年7月26日 聖教新聞)







Last updated  2020/07/26 02:36:49 PM
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2020/07/25

​〈危機の時代を生きる〉
新型コロナ“介護崩壊”に立ち向かう
 今月に入り、東京をはじめ、新型コロナウイルスの感染者数の増加が報じられている。先の政府の緊急事態宣言下で、危機に直面した一つが介護現場だ。
 
 訪問介護事業所で管理者を務める宇佐美輝明さん(38)=東京都足立区、区男子部長。利用者の生活を支え、介護従事者の同僚を励ます。
 先の見えない状況で周囲に安心を与える力の源は、彼の“一人立つ”強さにある。(記事=橋本良太、野田栄一)
  
誰かに知ってもらえたら、苦しい時も踏ん張れる
 訪問介護。利用者宅を訪ね、食事・入浴・排せつといった「身体介護」や、買い出しや掃除など身の回りの「生活援助」などを行う。​


 春先、感染拡大とともに、「デイサービス」などの「通所介護」について、事業所の休業や規模縮小が相次いだ。その分、宇佐美さんのような訪問介護の事業所は、業務量が格段に増えた。
 


 マスクや消毒液といった物資の不足、ヘルパーの人員不足、感染防止のノウハウの不足。それらを補うため、宇佐美さんら管理職も現場へ出た。


 「利用者の方もそうですが、ヘルパーさんも感染の不安を抱え、緊張していました」
 


 事業所のヘルパーは、50代半ばの中高年層が主軸。体力にも限界があるし、家に帰れば子や孫もいる。感染拡大当初から、「利用者はもちろん、事業所としてヘルパーを守る」。その意思を明確に示すことが、危機に立ち向かう力になる、と宇佐美さんは思った。
 感染防止の具体策に加え、重視したのが「自分から」同僚へ声を掛けることだ。
 利用者の様子、ヘルパー自身の健康や家庭の状況――どんな小さな不安でも話してほしいと呼び掛け、打つ手を考えた。
 「ヘルパーさんの気持ちから、まず守っていこうと。思いを誰かに知ってもらえたら、踏ん張れる。信心も、そうじゃないですか」
 
 介護業界に飛び込んだ当時、宇佐美さんは、何の志(ころこざし)も持っていなかった。高校卒業後、1年間のアルバイト生活。遊びほうけて夢も目標もない。そんな時、母から勧められたのがヘルパー資格の養成講座だった。
 デイサービスの事業所に就職するも、給料の大半は遊びに消えた。職場の上司にも口答えしてばかり。本人が言うには「もし昔の自分と今、出会ったら、ぶん殴ってやりたいぐらいですね」。

 だが22歳の時、思いがけない試練が続いた。父が海外出張中に事故に遭い、急逝。突然の出来事を受け止められないまま、第1子の長男が誕生。生後すぐに、「ゴールデンハー症候群」と診断された。
 医師によると、「およそ10万人に一人の病」。左目の眼球の上には腫瘍ができ、光が目に入らない。心臓にも穴があいていた。その後、右耳の聴力がなく、左耳も高度の難聴であることが分かった。
 
 「どうして、俺にばっかり、こんなことが起きるんですか」
 毎日のように訪ねて来てくれる男子部の先輩らに、思いをぶつけた。足立区で生まれ育った宇佐美さんを幼い頃から見守ってきた人たちだった。
 「今は分からないかもしれないが、輝にしか乗り越えられない試練と、果たすべき使命がある。お父さんも息子さんも、それを教えてくれてるんだ」

 現実と向き合いたくなくて、家に帰らず、遊び歩いたことも。そんな時も先輩は探し回って、宇佐美さんを見つけ出し、全力で抱きかかえてくれた。
 「輝、負けんな! 強くなれ!」
 どんな自分でも、受け止めてくれる人がいる。だから、踏ん張れた。先輩は一緒に祈ってくれた。毎日、御本尊に向かい、折伏にも挑戦した。ある時、職場の同僚に言われた。「最近変わったね」。短気だった自分が人を思いやり、周りに声を掛けるようになっていた。
 
 「男子部で活動に打ち込む中で、目の前の景色が全く違って見えてきた。仕事も家庭のことも、生命が躍動すれば、全部、前向きになれるんです」
 長男は治療が奏功し、心臓の穴がふさがり、生後9カ月で左耳の聴力が改善。左目の手術も成功し、1歳を迎える頃には光を感じられるようになった。

 そんな試練の渦中で、自分と妻を「今こそ題目よ」と支え続けてくれた母が2005年(平成17年)、末期のがんに。「余命半年」と宣告されたが、2年半、闘い抜いた。
 亡くなる前日、昏睡状態が続く母の意識がはっきりした時間があった。宇佐美さんは聞いた。「お母さん、俺は、どう生きていったらいいかな?」
 母は優しい目で答えた。「これからは、自分で考えて生きていきなさい」
 ずっと自分を叱咤激励(しったげきれい)し続けてくれた、母からの意外な一言。おかげで自覚できた。「これまでの試練は、自分が本当の意味で『自立』するためにあったんだ。社会人として、父として、青年部員として。別れを通して、母に感謝しました」
 母を見送り、現在の事業所に転職して11年が過ぎた。

 今月中旬、再びの感染拡大が報じられる中、宇佐美さんは利用者宅へ。にこやかにあいさつを交わし、「生活援助」の買い出しの要望を聞く。スーパーへ向かう足取りは驚くほど速い。10分ほどで利用者宅に戻り、掃除を始めた。

誰かを責めず、まず「自分から」声を掛けよう
 昨今の報道では、介護の現場で“外出できないストレスを抱えた利用者から感情をぶつけられた”とのヘルパーの声をよく耳にする。


 「外出時の感染リスクも分かりますが、家に居続けることで心身に悪影響を及ぼす傾向も少なからず見られます」
 


 未知のウイルス。正しいとされる情報も刻々と変化する。100人いれば、100通りの取るべき行動があり得る。宇佐美さんは思う。
 


 「感染の恐怖にのまれて、誰かを責めてはいけない。利用者もヘルパーも、皆さんが納得できるよう、私がしっかり決断し、行動していく。信心で教えてもらった『自立』が今、試されています」


 池田先生は、先師の思想を通して、つづっている。
 「(牧口先生は)何かに頼る生き方から、自立した生き方へ、そして、自他共の幸福の実現へ、他者に貢献していく生き方へ、一人ひとりが成長していくことを願われました。同じように宗教の実践も、『依存の宗教』から『自立の宗教』へ、そして『貢献の宗教』へと発展すべきではないでしょうか」
 
 ――1時間の訪問介護を終え、利用者宅を後にする宇佐美さん。玄関を出る前に、一枚の紙を利用者に渡す姿が印象的だった。それはスーパーの特売のチラシ。わざわざ店の棚から取ってきたものだ。
 「あら、頼み忘れてたのに。こういうところ、よく気が付いてくださるのよねえ」
 小さいことかもしれない。しかし、その振る舞いに、人としての生き方が表れる。


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(2020年7月25日   聖教新聞)







Last updated  2020/07/25 11:38:35 AM
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2020/07/19

​青年部と医学者 第9回オンライン会議
    「多様性」を許容し柔軟に対応する社会を
 青年部と医学者の代表らによる第9回オンライン会議が16日、開催され、志賀青年部長、西方男子部長、大串女子部長ら青年部の代表と、東京医科歯科大学の藤原武男教授、新潟大学の菖蒲川由郷特任教授、創価青年医学者会議の庄司議長、創価女性医学者会議の勝又議長が参加した。
 
​

 東京や都市部を中心に新型コロナウイルスの感染者数が増加傾向にあり、先行きの見えない不安が増す中、今回は読者から寄せられた質問を中心に意見交換した。
 

 会議では、あふれる情報に惑わされないために「全ての情報が常に変化する」との視点を持つ重要性を確認。移り変わる状況を注視しながら、基本的な予防対策を徹底することが呼び掛けられた。


 
 また、感染者に対して厳しい非難や中傷が向けられる現在の風潮を変えていくために、「誰もが感染する可能性がある」ことや「感染者への差別は許さない」ことを繰り返し訴えていく必要性について言及があった。
 


 さらに、九州を中心とした豪雨災害で避難を余儀なくされている方々に対する心からのお見舞いとともに、避難所における感染防止対策や自然災害への備えのポイントなども示された。
 


 このほか、感染症に対する一人一人の多様な考え方を許容し合いながら柔軟に対応し、的確な情報発信をしていく重要性についても議論が交わされた。


読者から寄せられた質問を中心に意見交換


あふれる情報の中で「正しく恐れる」ポイント
 志賀青年部長 7月に入って、東京をはじめとする首都圏や大阪を中心に、感染者数の増加傾向が顕著(けんちょ)になっています。
​

 感染防止と社会経済活動を両立していく上で、読者からも、このオンライン会議に対する感想や質問が多く寄せられています。今回の会議は、そうした声を元に意見交換できればと思います。
 


 まずは、「どのような情報を元に『正しく恐れる』ようにすればよいか分からない」との声を取り上げます。新型コロナウイルスに関連する膨大な情報の中で何が正しい情報なのかを見極めることは容易ではありません。直近の感染状況を踏まえながら、「正しく恐れる」意義について、ご意見を伺(うかが)えればと思います。


  
 
 

菖蒲川(しょうぶがわ)新潟大学特任教授 現在の感染者数の増加は、4、5月の状況と比べて、無症状や軽症状で検査を受ける人数が増えていることが一つの要因と考えられます。一方で、特に都市部では検査の陽性率が高まってきていることから、感染が拡大していることも事実です。
 


 感染リスクが高い都市部で注意を払うのはもちろんですが、地方に感染が広がる可能性は常にあります。医療資源が限られている地方では、急激な感染者の増加によって医療崩壊が起こらないよう、警戒を緩(ゆる)めてはいけません。
 


 メディアからうわさ話まで、新型コロナウイルスに関する情報があふれています。そこで重要なのは、それを受け取る私たちの姿勢であると思います。どんなに状況が変わっても、変わらないのは、私たちの日常の感染予防の基本です。身体的距離の確保やマスクの着用、手洗いの励行、「3密」の回避など、改めて基本的な対策を徹底していくことが、「正しく恐れる」行動と言えます。
 

 
 
 

庄司(しょうじ)創価青年医学者会議議長 情報に惑わされず、冷静な行動を取っていくためのポイントは、「全ての情報は日々、変化していくものだ」との視点を忘れないことです。今日、正しいと思われている情報も、明日には変わっているかもしれません。
 
 

「ウィズコロナ」との言葉に象徴されるように、当分の間、ウイルスとの共存が想定される今後の社会において、刻々と移り変わる状況を注視しながら、基本的な感染予防の対策を、変わらずに、確実に行っていきたいと思います。
 


 

感染者が差別される風潮を打ち破るには
 西方男子部長 勤め先に新型コロナウイルスの陽性者が出た経験を持つ、ある男子部員から次のような声が寄せられました。「“もし自分が感染したら”と本気で考えるきっかけになった一方で、感染者が非難される社会の風潮に改めて、違和感を覚えました。たとえ感染しても、受け入れてもらえる社会になってほしいと願っています」と。非常に大事な視点だと思います。
  


 
 

藤原東京医科歯科大学教授 まず大前提として、「感染者への差別は許さない」「誰もが感染する可能性がある」ことを、社会全体で、もっと認識する必要があります。
 


 日本は、感染者数の割合が、他国より比較的低いことも、感染者への理解を妨げる要因になっていると思います。これまでも、陽性反応の出た著名人が非難されることがありましたが、感染者に対して、どうしても「対策を怠った人」という厳しい目が向けられています。


 感染者に対する中傷行為は、誰のためにもならないばかりか、新たな分断や差別を生み出しかねません。「感染したら中傷される」社会状況では、感染したことを言い出せず、さらなる感染を広げてしまう恐れがあります。
 


 新型コロナウイルスに関しては、まだまだ不明な点が多く、感染を絶対に防げる方法はありません。どれだけ万全な予防策を講じていても、感染することはあるのです。


 “もし自分が感染したら”“もし大切な人が感染したら”と想像してみてください。誰もが、非難されたくないはずです。


 であるならば、私たちの身の回りから、感染者を受け入れていける土壌をつくっていく必要があると思います。
 
 


自然災害への備えと感染防止対策について
 大串女子部長 九州をはじめ日本各地で豪雨災害が発生し、多くの方が避難を余儀なくされています。今後も、いつどこで自然災害が発生するか分かりません。避難所における感染防止対策や事前の備えについて教えていただければと思います。
  
 


 

菖蒲川 まずは、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
 


 避難所では可能な限り密集を避け、換気するように心掛けてください。またマスクの着用はもとより、食事やトイレの前後、共有のドアノブなどに触れた際の手洗いや消毒が重要です。


 定期的に体温を測るなど体調のチェックも怠らないようにしてください。集団では感染症が蔓延しやすく、新型コロナウイルスだけでなく、夏風邪や食中毒にも注意が必要です。
 


 自治体によっては避難所の密集を避けるために「分散避難」を呼び掛けているところもあります。


 別の安全な地域の親戚や知人宅への避難、マンション等の高い階に住んでいる人は「在宅避難」、また、安全な場所での「車中泊」も選択肢の一つです。車中泊の場合は、長時間、同じ姿勢でいると、血栓ができて血管が詰まる「エコノミークラス症候群」になりやすいので注意してください。
 


 自然災害への備えとしては、避難する場所、方法、経路を事前に家族で相談しておくこと、また感染症対策として「マスク」「アルコール消毒液」と、できれば「体温計」を、すぐに持ち出せるように用意しておくとよいでしょう。
 


 なお、どんな状況であれ、最優先すべきは“命を守ること”です。感染が怖いからといって避難所へ行くことを躊躇しては本末転倒です。危険を感じたら、迷わず避難することが大前提です。
 
 


新しい行動様式を検討する上で大切な視点は「多様性の尊重」と「柔軟な対応」
 志賀 前回のオンライン会議では、「マスクの着用」について、感染症のリスクと熱中症のリスクの両面を考えて丁寧(ていねい)に判断していくことが話題になりました。


 そして、そのためには、単に「マスクを着用しましょう」と呼び掛けるだけでは足らず、「マスクを着用する理由」を丁寧に説明することが大切であるとの観点に、読者から大きな反響が寄せられました。
 


 今、感染防止と社会経済活動の両立に向け、あらゆる企業・団体などが、地域性や職種等の特性に応じて、方針を模索しています。新たな方針を検討する上で、心掛けるべきポイントは何でしょうか。
  
 
 

藤原 公衆衛生上の重大な危機に直面した際に重要なのは、行政や地域、職場、家庭など、それぞれのコミュニティーにおける「リーダーシップ」です。
 


 そのリーダーは、自身が責任を持つ人々に対して、新たな方針を検討する上で採用した情報とその根拠を提示し、どのようなリスクを避け、どこまでのリスクを受け入れるのかを明確にしていく必要があります。


 そして、その理由や意味を、的確に説明することが大切です。


 そうすることで、コミュニティー内に安心感が生まれ、それぞれの役割に集中することができます。
 


 その上で、コロナ禍にあって重要になるのは、画一的にならず、リスクに対する多様な考え方を尊重することです。


 大きなリスクを負っても物事を進めるべきだと考える人もいれば、リスクは一切、負いたくないという人もいる。その中間の人もいます。


 こうした、さまざまな考え方を、一度、受け入れて、誠実に対応する姿勢が大事になってきます。
 


 私自身、大学での講義は“実際に顔を合わせなければ学習効果が低い内容がある”と思っています。しかし、感染リスクを避けたい学生のために、オンライン会議システムも活用し、さらに時間が合わせられない学生のために、授業の模様を録画して配信もしています。オンライン用と録画用のマイク2本を持っての講義は大変ですが、学生の満足度は高まっていると感じています。
  
 
 

勝又創価女性医学者会議議長 それぞれの人が、どのような状況に置かれているのか、想像力を発揮していく時だと実感します。


 家族が高齢者だったり、既往症があったり、医療関係者だったりすると、当然、感染リスクの考え方は厳格にならざるを得ません。


 そうした個々のリスクを理解し、皆が気兼ねなく語り合い、一緒に成長していけるよう、心を砕いていきたいですね。
 


 
 

志賀 リーダーが、「何のため」という目的を明確にしながら、一つ一つのリスクを検討し、柔軟性ある方針を立てる。その方針を、相手の立場に立って、丁寧に説明することが重要ですね。
 


 学会青年部としても、「広布のため」という目的を共有しながら、あらゆる多様性を尊重し、皆で前進していきたいと思います。
 


 
3月末から行われている「青年部と医学者の代表によるオンライン会議」のバックナンバーはコチラ。


【savelifeプロジェクト】
学会青年部が推進する「savelife(命を守る)プロジェクト」のTwitterアカウントは​コチラ​。


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 (2020年7月19日 聖教新聞)







Last updated  2020/07/19 01:25:58 PM
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2020/07/17

​〈危機の時代を生きる〉
アメリカ青年部が歩むニューノーマル(新常態)


 新型コロナウイルスの影響が、世界で最も深刻なアメリカ。
 7月に入り、1日の新規感染者が6万人を超え、再びロックダウン(都市封鎖)に近い対策を取る州もある。
 危機の中で、SGI(創価学会インタナショナル)のメンバーはどのように行動しているのか――。
 カリフォルニア州のリサ・ヤマダさんとウィリアム・ストレイリーさんを取材し、私たちが歩むべき「ニューノーマル(新常態)」を探った。(記事=掛川俊明、野田栄一)
 
今、求められる“ハート・トゥ・ハート・ダイアローグ(心と心の対話)
 サンフランシスコ在住のリサ・ヤマダさん=女子地区副リーダー=は、世界有数の巨大IT企業の旗艦店でシニアマネジャーを務める。
 ​


 80人のスタッフをまとめ、西海岸のIT企業向けの販売を担う。これまでは店舗へ出勤し、対面での商談を数多く行っていたが、コロナ禍で生活は一変。打ち合わせから300人の社内会議まで、全ての仕事がテレワーク(在宅勤務など)に。
 


 信心強盛な両親のもと、アメリカに生まれ、日本でも働いた。ずっと学会活動に打ち込んできたリサさんは、「環境の変化にも、楽観主義で対応していますよ」と。
 

ジョージア州に住む父・耕史さん㊨と母・三岐子さん㊧(本人提供)


 コロナ禍以前は仕事が多忙で、SGIの活動に参加できないことが悩みだった。けれど、外出制限で会合が全部オンラインに切り替わった現在は、全ての活動に参加している。


 会合では、メンバーと赤裸々に悩みを語り合い、池田先生の指導を学びながら、今、何が大事なのかを考えている。
 


 IT企業という業種柄、テレワークには、さほど支障はなかった。女性のスタッフからは「仕事と“ママ”を両立しやすい」との声もあった。一方で、オンラインでは業務上のやり取りしかできない。


 そこで、リサさんは週に1度、80人のスタッフ全員と一対一で話す場をつくった。


「朝から晩まで会議でいっぱいだけど、時間をこじ開けて取り組みました」




 “上司と部下”というポジションを取り払って、一人の人間として「ハート・トゥ・ハート・ダイアローグ(心と心の対話)をしようって語っています」。


 家にこもり、孤独を感じているスタッフが多かった。家族が失業し、住む家を失った人もいた。「リサはなぜ、そんなに明るいの?」とも聞かれた。
 
 

「私もつらい時だってある。だから毎朝、祈るの」と自然と打ち明けた。


 スタッフから「話を聞いてもらえただけで、すごくすっきりした」と言われるたびに、リサさんは感じた。
 

「でも、これってSGIの活動で、当たり前にやっていること。本当に学会での実践は社会で生かされる」


 
ウィリアム・ストレイリーさん(北海道で、2018年撮影)
 日本では創価班の県委員長も務めた

 
ウィリアムさんと妻・英美さん(北海道で、2018年撮影)
 
オレンジ郡アリソビエホ市のウィリアム・ストレイリーさん(34)=男子部部長=は2年前まで、北海道で男子部本部長を務めていた。


 昨年末、転職を機に母国に戻ったが、妻・英美さん(37)=副白ゆり長=と長女・華蓮ちゃん(1)はビザを申請中で、今も日本で暮らす。
 


 それでも「妻と娘は毎回、アメリカのオンライン会合に参加してるから、こっちのメンバーとも顔見知りだよ」。


 2010年に日本へ渡ったウィリアムさんにとって、アメリカでの活動は約10年ぶり。今回のコロナ禍で驚いたのは、アメリカSGIの発展の様子だ。
 


 ロックダウン(都市封鎖)という制限の中でも、座談会、小説『新・人間革命』の勉強会、さらに一対一の激励まで全てがオンラインで行われ、「広宣流布が止まることはない」。


 
ウィリアムさんが所属する地区のオンライン座談会(本人提供)


 
アメリカ社会はITインフラが整備されているとはいえ、デジタル機器になじみのない高齢のメンバーもいる。


 「やり続ける中で、皆さんも慣れてきて」。ウェブ会議アプリには、パソコンがない人などが電話で参加できる機能もある。
 

 アメリカSGIのウェブサイトからは、会合で使う研さん用の資料をダウンロードできる。オンライン座談会では、最初に資料を画面に映し出し、皆で学習。その後、アプリの機能を使って、参加者を少人数に分け、ディスカッションも行う。そこで、悩みや体験を思う存分、語り合う。
 


 5月末、アフリカ系アメリカ人の男性が警官に拘束され、亡くなるという事件が起きた。その後、全米に「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター、BLM)」と呼ばれる人種差別への抗議運動が広がり、各地でデモや衝突が頻発。アメリカ社会は大きく揺れた。



分断も悲観も超え、“憂いの共有”から“誓いの共有”へ
 ウィリアムさんは、アメリカ人の父と日本人の母を持つ。差別を受けた経験もあるが、根深い黒人差別の問題とは次元が異なる。“そんな自分に何ができるんだ……”
 思い悩んだウィリアムさんは男子部のメンバーと、社会の分断を食い止め、平和と共生を実現する道を求めて、小説『新・人間革命』第4巻を学び合った。
 


 ヨーロッパ訪問を前に山本伸一は、冷戦対立の縮図ともいえる東西に分かれたドイツの人々に思いをはせ、一人誓う。「今こそ、人間と人間を結ぶヒューマニズムの哲学を、広く人びとの心に、浸透させていかなくてはならない。世界の立正安国の道を開くのだ」
 


 ウィリアムさんは胸が熱くなり、メンバーに語った。「今こそ、信心で立ち上がろう!」
 
 
普段は陽気で、笑顔の絶えないリサさんも連日、報道されるニュースを見ると、「涙が込み上げて……」。そんな彼女を奮い立たせたのは、アメリカSGIの公式インスタグラム(写真共有アプリ)だ。
 
 アフリカ系アメリカ人の婦人部員が、思いを語る約3分の動画。今回の事件で亡くなった男性とその家族のことを、彼女は「ずっと祈っています」と。そして、最後にこう語る。「私たちの人間革命、私たちの内なる変革が、この国の宿命を変えることができると信じています」
 


 リサさんは、自分にできる行動を開始した。職場で提案し、午前8時からのミーティングで「BLM」について取り上げ、時には2時間近く語り合った日も。「あるスタッフは、差別された経験を、涙ながらにシェア(共有)してくれました」。ミーティングは今も週1回続く。


 現在、アメリカの多くの企業では“管理職に白人と男性が多い”など、多様性への配慮に欠けていたという事実を見つめ、原因と改善のアプローチを模索する動きがある。
 
 池田先生は「大白蓮華」7月号の巻頭言で、御書の「立正安国論」が主人と客人の“対話”であることに触れ、「それは民衆の現実の苦悩をどう打開するかという“憂(うれ)いの共有”から始まる」として、次のようにつづっている。
 「怒(いか)りや偏見(へんけん)に引き裂(さ)かれるのでもなく、諦(あきら)めや無力感に引きずられるのでもない。分断も悲観も超え、生命尊厳の法理を共に探究して、『四表(しひょう)の静謐(せいひつ)』を祈り行動する“誓いの共有”へと導(みちび)くのだ」
 
 危機の時代に、社会は進むべき道を探している。不安の中で希望の灯をともせるのは、自立した個人にほかならない。その希望の形こそ、SGIが実践する“ハート・トゥ・ハート・ダイアローグ”だ。
 

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(2020年7月17日   聖教新聞)







Last updated  2020/07/17 10:44:10 AM
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2020/07/16

〈世界青年部総会へ前進〉コロナ禍の中で奮闘する友

 10・2「世界平和の日」60周年を記念する「オンライン世界青年部総会」へ――男女青年部が心一つに前進を開始した。ここでは、コロナ禍の中で奮闘する各地の友を紹介する。
 


沖縄・那覇王者県 渡邉秀樹さん
苦難の時こそ成長できる

 イベント会社の音響スタッフとして働く渡邉秀樹さん(男子部部長)。

「人を笑顔にする仕事がしたい」との志を抱き、この世界に飛び込んだのは8年前のことだった。
 


 慣れない仕事に必死で食らいついていた頃、元気だった母が突然、「うつ病」と診断された。その直後に、男子部の先輩から創価班大学校(当時)の話を聞き、“現状を変えたい”との一心で入校を決意する。



 しかし、追い打ちをかけるように、母を支えてきた父までもがうつ病に。にぎやかだった家から笑い声が消え、耐え難い現実が重くのしかかるようになった。
 


 悩みで心が折れそうな時、いつも渡邉さんに寄り添ってくれたのは、男子部の先輩だった。
 


 「今こそ、信心で富士山のように微動だにしない自分を築く時だよ」
 


 先輩の力強い言葉に触れ、今までにない題目と折伏を誓った。
 


 折伏が思うように進まない時は、大学校の仲間や勝利長の先輩が何時間も一緒に祈ってくれた。そうした支えもあり、高校時代の先輩に粘り強く対話を続けた結果、6年前に人生初の弘教を実らせることができた。
 


 「くじけそうな自分を支えてくれた同志、そして何より、私たちの幸福と成長を祈り、いつも真心の励ましを送ってくださる池田先生への恩返しの思いで日々、戦ってきました」と渡邉さん。
 


 “仕事でも実証を”と奮闘する中、今回の新型コロナウイルスの流行が襲った。会社の売り上げは激減し、3月以降に予定していたイベントは、全てキャンセルに。目の前が真っ暗になった。
 


 しかし、男子部の友と連絡を取ると、皆も同じようにコロナ禍の苦境と戦っていたことを知る。
 


 “あの時、自分を奮い立たせてくれた先輩のように、今こそ同志を守り支える時だ”――腹が決まると、心の暗雲が一気に晴れた。そして「一緒に宿命を乗り越えよう」と懸命にエールを送り続ける中、2人のメンバーが男子部大学校への入校を決意してくれた。
 


 現在は、慣れない営業活動にも奔走。その中でインドと沖縄を中継で結ぶ式典の撮影依頼が舞い込むなど、以前までは決して感じられなかった“世界を舞台”にした新たな仕事に、喜びを嚙み締める。
 


 渡邉さんが何より信心の功徳を実感するのは、この苦難の中で父と母が共に対話拡大に取り組むようになったこと。その中で、すっかり元気を取り戻し、笑顔が絶えない一家和楽の家庭を築くことができた。
 


 現在、オンラインで対話を重ねている友人と、毎朝の“同盟唱題”を実践する渡邉さん。その瞳には、新たな挑戦の気概がみなぎる。


 
「池田先生の沖縄初訪問から60周年。『世界で最初の広宣流布の地帯に』との先生の指針を胸に、縁する一人一人に、この信心と学会の素晴らしさを語り広げてまいります!」
 


東京・文京区 山下絵梨佳さん
命守る聖業に携わる喜び

 「患者さん、そして支える家族の心に寄り添う人に。それが私の信念です!」――母と同じ看護師の道を歩む山下絵梨佳さん(女子部副部長)の言葉には、凜とした強さがある。
 


 自身が学生時代、父の腎臓と肺にがんが見つかった。壮絶な闘病生活。家族にとっても試練の日々は続いた。その後、度重なる手術と抗がん剤治療が功を奏し、快方へ向かった。「看護師の声掛け、振る舞いが、病と闘う人をどれほど勇気づけるか。父を励ます姿を通して強く感じたんです」
 


 苦学を重ねた末、大学卒業後に国立大学の付属病院に就職。現在、職場のチームリーダー、さらに看護学生の指導員としても汗を流す。
 


 常に生死と向き合う医療現場。命を預かる責任の重さに、押しつぶされそうになることもある。
 


 山下さんは「白樺グループ(女子部の看護者の集い)の先輩・同志の励ましが、現実に立ち向かう活力となっています」と確信を込めて語る。
 


 本年2月、血液内科に異動。その直後のことだった。国内で新型コロナウイルスが大流行。政府が緊急事態宣言を発出した4月、勤務する病院に感染症患者を受け入れることになったのである。
 


 各病棟の看護師の代表が一人ずつ、コロナ患者専用の病床を担当することに。山下さんも、その一員に選ばれた。
 


 初めは不安で涙した。しかし、真剣に唱題を重ねる中で、“何か意味があるはず”と心を奮い立たせた。
 


 職場から「6週間担当を」との話があり、山下さんは「この期間中に信行学の実践をやり抜き、信心の利剣を磨こう」と決意。「1日1時間の唱題」「SNS等を活用した励ましの対話に日々挑戦」「『池田華陽会御書30編』の読了」の目標を自らに課した。
 


 ある日、「立正安国論」の「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書31ページ)の一節が目に飛び込んできた。
 


 自身の安らぎのみを願うのではない。社会の安穏、平和の実現こそ仏法者の使命である――大聖人の魂を継ぐ学会の使命に触れ、五体に電撃が走った。「私はなんて偉大な聖業に携わらせていただいているんだろう」。深い感謝の念が込み上げてきてならなかった。
 


 防護服を着用しながらの仕事。日勤、準夜勤、深夜勤の三交代での勤務シフト。精神的にも肉体的にも過酷を極めたが、その中でも掲げた広布の目標を全てやり遂げた。また、入会決意をする3人の友人とは今、電話でつながり、励ましの絆を強めている。職場にあっては、積み上げてきた幅広い専門知識を存分に発揮。“患者目線”の看護の姿勢に、多くの感謝の声が寄せられた。
 


 「この6週間の経験が心も技術も、私を大きく成長させてくれました」と笑顔で語る山下さん。“妙法の看護師”としての挑戦と成長のドラマは、これからも続く。


(2020年7月16日  聖教新聞)







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