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晴ればれとBlog

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「人生地理学」からの出発

2020/07/30
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自己を知り、豊かな世界像を築くために

「人生地理学」からの出発 第4回 地理学の考え方と人生(人間の生活)
東京学芸大学 名誉教授 斎藤毅

暗記科目に苦労しつつ
 学問としての地理学はともかく、例えば「所変われば品変わる」や「郷に入れば郷に従え」など、地理的な考え方は意外に日常的に見られるものです。しかし、牧口常三郎師も『人生地理学』の中で嘆かれているように、学校教育では「歴史」とともに「地理」は「暗記科目」と呼ばれ、とかく試験前夜の暗記力を競う学科と見られがちです。
 

「歴史」では、例えば年代を覚えるために「いいくにつくろう鎌倉幕府」として鎌倉幕府の成立年「1192年」を引き出していました。〈現在は、この年は源頼朝が征夷大将軍になった年で、鎌倉幕府の成立年ではないというのが通説〉


 一方、「地理」とは、地名や特産品を覚えることと考えられ、例えば「北海道の産物は、ニシン、サケ、マス、タラ、カニ、コンブ」などと、歌のように節を付けながら覚えられた年配の読者もいらっしゃるのではないでしょうか。


鉄道唱歌は地理教育!?
 その極め付きは、あの懐かしい「汽笛一声新橋を……」で始まる、大和田建樹(おおわだたけき)作詞の鉄道唱歌かもしれません。


 この歌は明治33年(1900年)に出版されたもので、正式には『地理教育鉄道唱歌第1集』になります。


 作詞者の大和田は愛媛県生まれの国文学者で、東京高等師範学校(現在の筑波大学)、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)の教授。新橋から始まって神戸まで、各駅停車どころか、途中、横須賀線などの支線も含め、歌詞は66番まで。余興で全曲歌えた人もいたようですが、聞く方も大変だったでしょう。


 これは「東海道編」で、他に「山陽・九州編」「奥州・磐城(いわき)編」「北陸編」など、各地の幹線編もあったようです。どこまで歌えるかはともかく、ここまでくると、もはや単なる暗記の手段とはいえません。

宇和島鉄道で最初に走った機関車の模型。鉄道唱歌の誕生100周年を記念し、作詞した大和田建樹の出身地、愛媛県宇和島市に復元された

歴史学の対となる学問
 地理学は、古くから「地理の東西、歴史の古今」と、セットのようにいわれてきました。学校教育でこそ人気はなくとも、調べるのを一種の趣味としている人とは意外によく出会います。先ほどの鉄道唱歌の作詞者も専門は国文学でも、地理や歴史が趣味だったのかもしれません。


 しかし、「歴史とは何か」「地理とは何か」と改めて聞かれると、すぐには答えにくいはず。学問としての歴史学は確かに難しく、そこには過去の諸事象をどのように拾い出し、解釈していくか、一つの原理のようなものがあります。「史観」と呼ばれていますが、一つの哲学です。
 戦後しばらくは、「マルクス史観」や「唯物(ゆいぶつ)史観」に立つ研究者が多く見られたものです。


起源は古い一つの哲学
 実は地理学もまた一つの哲学です。詳しくは後ほど述べますが、世界観と直接かかわるからです。
 『人生地理学』でも、第7章「平原」の中で平原を区分するために引用しているヘーゲル(ドイツの哲学者)の『歴史哲学講義』には、「世界史の地理的基礎」が述べられています。


 地理学の起源は古く、歴史学とともにそのルーツは古代ギリシャに。日本でも『古事記』や『日本書紀』は歴史学のルーツといえるでしょうし、各地の由来や産物などを集めた奈良時代の地誌『風土記』は日本における地理学の最初の姿と見ることができます。


 それにしても、地理や歴史はなぜ、このように古くからあったのでしょうか。

人生の3つの疑問から
 人間は、どうしても物事やその因果関係を考えてしまいがちなもの。それなりの説明がつくと一応、安心します。その体系の一つが神話です。


 “考える人間”には当然、多くの疑問があります。こうした疑問を集約すれば、「自分は何か」「どこにいるのか」「どこへ行くのか」になるはずです。画家ゴーギャンの遺作では、最初の問いが「我々はどこから来たのか」になりますが、同じような疑問です。多くの神話も学問も、方法こそ違っても、これらの疑問から出発しています。


 まず、「自分は何か」からは、その後、哲学とともに歴史学や生物学、心理学などが生まれました。自分のルーツを探し、現在の立場を納得するためです。「どこにいるのか」は、天文学とともに何より地理学形成の動機といえるものです。もちろん、これらの学問から多様な学問が派生していきます。


 しかし、「どこへ行くのか」は、もちろん死後の世界の話で、実証科学の方法では封印されたまま。ただ神話や宗教は観念で結論が出せるので、この疑問に対しても早くからそれぞれ満足のいく答えを、信じる人々に出しています。

画家ゴーギャン(右)と晩年の傑作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(仏領ポリネシアの切手、筆者提供)

私達はどこにいるのか
 私たちは一体、どこにいるのでしょう。
 東京とか日本などというのは、ここでは大して意味がありません。この場合、「この世」とか「現世」の方が適当でしょう。もちろん、古代からこうした疑問に対しては、いろいろな考え方が示されてきました。


 真言密教の両界曼荼羅(りょうかいまんだら)をそのように考える向きもありますし、須弥山(しゅみせん)を中心とした古代インドの壮大な世界観は、もう少し具体的に示しています。しかし、これらは共に極(きわ)めて観念的なものと感じる人も少なくありません。


 現代の私たちは通常、科学的世界観に立って物事を判断しています。また、世界的に見ても、通常の学校教育は科学的世界観を基礎としていますので、世界中の人たちが一応、これを共有しているとみることができましょう。


 例えば、地球の温暖化とその対策について、あるいは新型コロナウイルスへの対応に関しても、解決に向かって国際的に話し合えるのは、そのおかげだといえます。


 世界観とは、私たちがいる世界をどう見るかということです。この問題は『人生地理学』の牧口師の思想とその発展を見るうえでも大切なことなので、後でもう一度、掘り下げて考えたいと思います。



 科学的世界観のルーツをどこに求めるかについては見解が分かれるとしても、少なくとも地理学については古代ギリシャと見てよさそうです。


 英語の「Geography」もフランス語の「Géographie」も、共にギリシャ神話の「大地の女神」ガイア(Gaea)を語源にした「Geo」に由来。これは「大地」、さらに「地球」を意味します。


 実際、地球が球状であるとか、その大きさなどについても、既に古代ギリシャでは、例えば紀元前に活躍した学者エラトステネスなどが1割程度の誤差で測定しています。
 こうした客観的、科学的な思考が中世のヨーロッパでは著(いちじる)しく後退。その復活がルネサンス期以降なのは、ご存じの通りです。


「世界の姿」を求めて
 先ほど述べたように、地理学は英語で「Geography」。これを見て、「おや?」と思われる方も。確かに、学問には「Physics」(物理)や「Mathematics」(数学)のようなものもありますが、「Biology」(生物学)や「Psychology」(心理学)のように「logy」が付くのが一般的。「graphy」が付くのは、差し当たり、「oceanography」(海洋学)でしょうか。


 一方、「Geo」に「logy」を付けて「Geology」とすると、「地質学」となります。


 前述のように、「Geo」は「大地」「地球」の意味で、「graphy」は「記述したもの」。従って「Geography」を直訳すれば、「地球を記述したもの」であり、「世界の姿」ともなるでしょう。地理学の歴史は、いわば、世界の姿――世界像を索める歴史といえます。ヨーロッパ人による大航海時代は、そのための大運動ともなりましょう。


 大切なのは、世界像は単に大陸や海、島、山だけでなく、気候や動植物、そして、何よりその多様な大地とそれぞれ折り合いを付けながら独自の生活様式、すなわち、文化を組み立てつつ生きている人類集団の個々の姿にも注目することなのです。『人生地理学』は、ここに重点が置かれているのは、もちろんです。


 フランスの地理学者ブラーシュは、これに「人文地理学」という概念を与えており、その和訳は岩波文庫でも読むことができます。


 いずれにしても、この同じ地球の表面で他の動植物と深く関わりつつ、それぞれの場所で、さまざまな形で、多様な人生(=人間の生活)が重なり合っている姿こそ、現代の世界像なのです。


 それでは個人にとって地理学や世界像はどのような意味を持っているのでしょうか。次回で考えてみましょう。


(2020年7月30日  聖教新聞)







Last updated  2020/07/30 12:10:06 PM
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2020/06/19

​自己を知り、豊かな世界像を築くために
​「人生地理学」からの出発   第3回   継承・発展させたい研究課題​
東京学芸大学 名誉教授 斎藤毅

評価の紆余曲折を経て
 前回(第2回=5月31日付8面掲載)お話ししたように、『人生地理学』は極めてユニークで示唆(しさ)に富んだ地理書です。そのためもあって、この百年間の地理学界の動向を反映し、その評価にはさまざまな曲折(きょくせつ)がありました。
​

 今回は、その流れを踏まえながら、特に現代に求められている地理学や地理教育論の視点を含め、今後さらに発展させたい研究課題を中心に、『人生地理学』の新たな意義を述べたいと思います。


 手元の文庫版には、当時、京都帝国大学地理学教授の小川琢治(おがわたくじ)氏(ノーベル賞物理学者、湯川秀樹(ゆかわひでき)の父)の好意的ながら“『人生地理学』の書名にはなじみにくい”との書評が収録され、これに対する牧口常三郎師のコメントも見られます。〈『人生地理学5』に「人生に及ぼす地理学的影響」とのタイトルで所収〉


 刊行当初から他にも多くの好意的な書評が寄せられました。昭和初期には日本民俗学の研究者にも注目されます。この名著に関する人々の関心は高く、版が重ねられ、論評も多く見られたものです。


 しかし、第2次世界大戦後はほとんど忘れ去られ、私が偶然、『人生地理学』を知ったのは1960年代のことです。そのささやかな成果を、76年の鹿児島大学の公開講座で、牧口師を柳田國男(やなぎだくにお)と共に「教育の革新的実践者」として紹介。他の講演者の記録と一緒に『地域と教育』として出版したのを思い出します。


 その後、78年には茨城大学や専修大学などで地理学の教授を歴任した國松久彌(くにまつひさや)氏が、『「人生地理学」概論』なる書物を第三文明社から刊行しました。ただ、この本には、「『人生地理学』のうちに前提されていると思われる哲学的、教育学的な思想や、見解については全く触れるところがない」と、「はしがき」で断っています。


 確かに、前回、紹介した「太陽」についての記述をはじめ、いわば伝統的思想や文化を通して見た自然の意味付けを随所で取り上げているのが『人生地理学』の大きな特色です。そのため、こうした特色を取り去ると、いわば“骸論(がいろん)”(=魂の抜けたもの)になってしまいますが、これが当時の地理学界の一般的な風潮でした。 

「地域と教育」研究会編『地域と教育』。この中で、斎藤さんは「柳田(國男)とともに『郷土会』のメンバーであった牧口常三郎もまた教育者であり、教育の革新には並々ならぬ関心をもっていた。とくに、彼の『郷土教育論』には今なお傾聴すべきところが少なくない」と書いている


志賀重昂の理論深める
 当時の地理学界でも、一般に自然環境の人間への関わりは重視しますが、その自然とは、いわば物理的な存在としての自然です。


 『日本風景論』を著した志賀重昂(しがしげたか)は、特に山岳などの自然環境を「風景」として捉え、西欧の新しい「風景観」で日本列島を見直しました。彼に私淑していた牧口師は、その考え方をさらに一歩進め、真正面から徹底的に深めたといえそうです。


 しかし、自然環境に感情移入することは、戦後しばらくの日本の地理学界ではあまり肯定的には見られなかったのです。


 こうした中にあって、70年代にアメリカの中国系地理学者、イーフー・トゥアンが提起した「トポフィリア」の概念が日本でも紹介され、地理学の思想が大きく変わりました。


トポフィリアの先駆者
 「トポフィリア」とは、一種の合成語です。「トポス(topos)」はギリシャ語で「場所」を意味します。「フィリア(philia)」は、ここでは「偏愛」でしょうか。誰でも故郷や長く住んでいた街には、何か特別な愛着があるはずです。これは、母国にまで拡大するでしょう。


 一方、何か忌まわしい言い伝えのある山や森なども、ネガティブな「トポフィリア」に当たります。要は、ある土地に対する人々の情緒的なつながり、あるいは思い入れにほかなりません。


 日本地理学会元会長の竹内啓一氏(一橋大学名誉教授)が2003年、東洋哲学研究所主催の『人生地理学』発刊100周年記念の講演で指摘したのは、このことです。


 すなわち、牧口師は百年前に、すでにトポフィリアの思想を大胆に展開していたというのです。


 実は、これは「世界像」の形成と関わる、とても大事な問題なので、後ほど再度述べたいと思います。
 『人生地理学』とともに、これは牧口師の思想を継承・発展させるための重要な課題の一つなのです。
人間と自然の交渉の結晶が「風景」にほかならない(切手は筆者提供)


地理教育の経験を反映
 もう一つ、『人生地理学』から継承・発展させたい大きな課題は、何と言っても地理教育論に関する問題です。地理学的な知見や手法は行政や外交ばかりでなく、身近な災害対策や防災・減災など、その応用面は広がります。


 同時に、地理教育は人間形成とも関わる、初等・中等教育にも欠かせない応用分野です。


 長年にわたる教育現場で得られた、多様な地理教育の経験を反映した教育諸説――これこそが『人生地理学』とともに、その後に続く牧口師の諸著作の最も貴重な部分かと思われます。

斎藤さんは、地理学的知見や手法は「身近な災害対策や防災・減災」などに応用できると訴える(切手は筆者提供)


郷土研究への強い関心
 『人生地理学』では地理教育の効用やその改革が述べられていますが、その後、『教授の統合中心としての郷土科研究』の刊行に見られるように、牧口師の郷土研究への関心は非常に強いものがありました。郷土を全ての分野にわたって調査・研究すれば、世の中がおのずと分かってくるとの主張です。


 確かに、これには一理あると思われます。


 しかし、人口移動が激しく、都市化が急速に進んだ現在、都市機能は複雑で、少なくとも大都市の子どもたちにとっては手に負えないものです。


 一方、過疎化の進む農山漁村も、明治・大正期とは大きく異なり、仮に教材化しても、皮相的な理解にとどまるでしょう。


机上から野外の学習へ
 このような郷土研究を、野外調査に置き換えて考えると、大きな可能性が見えてきます。机上の研究や学習から実際の現場、あるいは野外への転換です。


 実は、地質学や考古学はもちろんですが、現代の地理学も、生態学や文化人類学と同様、研究に不可欠なのが、通常、フィールドワークと呼ばれる、この野外調査です。


 分かりやすい例を、次に示しましょう。
フィールドワーク(野外調査)をもっと取り入れることで、人間形成にも関わる地理教育の大きな可能性が見えてくる、と斎藤さん(写真は、2004年の東京創価小学校のサマーセミナーから)


人気番組のブラタモリ
 NHKの人気番組「ブラタモリ」は、このフィールドワークの意義や手法を楽しく伝えてくれます。


 番組では全国の諸地域、時には海外に出掛け、地元の各分野の研究者の協力を得ながら進めます。


 その際、あらかじめ結論を“なぜ?”と示し、具体的な資料をもとに解き明かしていくもの。地形や地質の観察をはじめ、普段、人々があまり気付かずにいるわずかな土地の高まりや道路の変化なども見逃しません。こうして久しく埋もれていた事実を掘り起こし、その地域に対する新たな視点なり、特色なりを浮き上がらせていくものです。


 これは、まさに仮説を検証するためのフィールドワークにほかなりません。


 番組では、その土地の多数の研究者が前もって資料を準備していますが、もちろん、実際の研究では個人やグループが自ら手掛かりとなる資料を掘り出し、観察・分析していくことになります。


 確かに学校教育でのフィールドワークでは、児童・生徒の発達段階に応じた多様な指導技術が必要です。


 その具体的な手法などについては、日本地理教育学会等で多くの提言や研究成果が報告されていますが、小・中学校の「社会科」の枠の中ではその実践が制約され、期待通りに運べないのが残念です。


(2020年6月19日  聖教新聞)







Last updated  2020/06/19 05:00:06 PM
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2020/05/31

連載〈「人生地理学」からの出発――自己を知り、豊かな世界像を築くために〉

東京学芸大学 名誉教授 斎藤毅  
第2回 「人生地理学」の概要


 『人生地理学』の刊行は明治36年(1903年)。その後、版を重ね、手元にある聖教文庫は第5版(明治38年〈05年〉)によっています。


 まず、巻頭の「例言」では本書の刊行目的や推薦(すいせん)を受けた志賀重昂(しがしげたか)(『日本風景論』を著した高名な地理学者)への謝辞などが、次いで「緒論」では人間と自然の関わりの多様性が述べられ、その実際の姿を知る手掛かりとして、郷土観察の重要性が強調されます。


精神的交渉に力点置く
 緒論では、人間と自然との関わりを大切に考える立場から、最初に吉田松陰の「地を離(はな)れて人無く、人を離れて事(こと)無し。人事を論(ろん)ぜんと欲(ほっ)せば、まず地理を審(つまび)らかにせざるべからず」の名言を引用し、「地人はいかに交渉するか」が論じられます。


 牧口常三郎師は、人間と自然の広範かつ多種多様な関係を、「肉体的交渉」と「精神的交渉」に分かりやすく分類しました。


 一見、ドキッとする表現ですが、前者は大地に生を受けた生物の一種としての観点から人類を見た、人間と自然の関係です。後者は人間の精神世界に与える自然の影響といえます。


 特に「精神的交渉」に力点が置かれますが、ここでいう自然とは自然地理的な大地ばかりでなく、いわば風景としての自然です。
 そのため、全く同じ風景でも、例えば農民と詩人や画家では見方や感じ方が同じはずはないとし、「ひとり自然界の事物においてのみならず、人事界の現象においても、またそれに対する人々によりて、その交渉の方面を異にするを観る」と書いています。


 そして、この精神的交渉の形態を、①知覚的②利用的③科学的④審美的⑤道徳的⑥同情的⑦公共的⑧宗教的――の八つに分類。


 結論として人間と自然の交渉は、ある程度までは同じでも「各方面の交渉の程度は、その地方の性質と、これに対する人民の性質とによりて異なるものなり」と断じます。


 当然のことともいえますが、私が後に回を改めてお話しする世界観や世界像とも関わることなので紹介させていただきました。


日本人と太陽の関係
 本文は全34章から成り、第1章から第13章までが第1編「人類の生活処としての地」で、「日月および星」から始まります。地球、島嶼(とうしょう)、山岳、平原、海洋、海岸などが個々に扱われ、それらの人間生活との関わりが述べられます。


 例えば、太陽は単に天体としてではなく、あくまでも人生との関わりで論じられ、特に「日本人と太陽」の節を設け、「国号を『日本』となし『日の丸』を国旗となし(中略)日本国民は、太陽と一種独特の交渉を表するものと謂(い)うべし」の一節が目を引きます。

『人生地理学』には、日本人は「一種特別の思想」をもって太陽と交渉し、「『日の丸』をもって立国の理想を表わし」とある(切手は筆者提供)
楽しく読める地理学書
 第14章から第19章までが第2編です。「地人相関の媒介(ばいかい)としての自然」が、それぞれ個別に論じられていきます。牧口師の言われる「媒介」、すなわち、私たちの地球を構成する諸要素――地質、大気、気候から始まり、さらに植物や動物とともに、自然人類学的な扱いによる人間が取り上げられています。


 なお、「地人相関」とは当時、地理学的によく用いられた言葉で、その地域の大地と人間生活との相互関係といった考え方です。


 第16章「気候」では、自然地理学的な説明の後で、例えば「雪と人生」などの節があって、「雪景」が取り上げられ、紀貫之(きのつらゆき)の「雪ふれば 冬ごもりせる 草も木も 春にしられぬ 花ぞ咲きける」の和歌まで登場します。


 第17章「植物」や第18章「動物」についても、その個々の有用性を具体的に述べた後で、「植物の人生に対する精神的方面」の節を設け、牡丹(ぼたん)や桃(もも)、桜(さくら)など、私たちがよく目にする植物について、それぞれにちなむ古歌を添えています。


 蓮(れん)のところでは、「はちす葉の 濁(にご)りにしまぬ 心もて なにかは露(つゆ)を 玉(たま)とあざむく」と、古今和歌集にある僧正遍昭(そうじょうへんじょう)の有名な夏歌も。そのため、とかく堅いイメージの地理学の書物とは思えぬほど、楽しく読むことができます。


 これまでも、人々の生活と関わりの深い動植物を個々に取り上げた地理学の書物として、カント(ドイツの哲学者)の『自然地理学』があります。今では和訳でも読めますが、一般の読者はもちろん、日本のほとんどの哲学者は、この部分を読み飛ばすでしょう。
「花は最も吾人(ごじん)の心情を動かすもの、みな植物が一年間の辛苦計営(しんくけいえい=苦労して計画を実行すること)もって吾人に寄与するところなり」(『人生地理学』)


世界的視野の国家論
 第20章から第29章は第3編「地球を舞台としての人類生活現象」で、社会や諸産業の立地論に及び、さらに、国家や都市、人情、風俗、文明などにも筆が進められています。


 前半は主に社会や産業、交通などを地理学的な視点で言及した内容ですが、後半は「国家地論」(第25章)や「人情風俗地論」(第27章)など、ややユニークなものです。


 「国家地論」は、国家の機能や目的などから入りますが、単なる「国家論」ではありません。世界的視野から、日本をはじめ諸国家の特性を比較しつつ論じたものです。


 考えてみれば、私たちは20世紀、実に多くの国家の興亡(こうぼう)を見てきました。


 第1次世界大戦後のハプスブルク帝国の解体と民族国家の独立に始まり、第2次世界大戦後のアフリカからオセアニアやカリブ海の島々に至る百カ国を超える国々の誕生。一方で、ソ連やユーゴスラビアなどが、信じ難いほど、あっけなく解体したのも驚きでした。


 日本も戦後、大きく変貌(へんぼう)しましたが、その割には世界的視野に立った憲法論や比較国家論の研究が、政治地理学を含め、あまり活発とはいえません。幾つかの領土問題をはじめ、多くの自然災害や、解決を迫られている社会的諸問題は少なくないとしても、日本が国家として極めて安定してきたことも一因でしょうか。


 確かに、国家の総合的指標ともいえる通貨「円」が国際的に一定の信用を得ているのを見ても、このことはうなずけます。とはいえ、『人生地理学』に触発され、国際関係論や国際政治地理学研究の新たな発展が期待されるところです。


地理教育の現場を嘆く
 第4編が「地理学総論」(第30章から第34章)となり、地理学の概念やその発達史、研究法、そして『人生地理学』の科学的な位置づけなどとなります。


 ここでは、特に第33章の「地理学の研究法」で、地理が教育現場で単なる暗記科目となっているのを嘆(なげ)くとともに、その研究法も他の諸科学と同様、記載から比較、統合へと発展すべきとしています。


 地理教育についての具体策は、後に刊行された『教授の統合中心としての郷土科研究』(1912年刊)へ続きます。


今に通じるメッセージ
 全編は格調高い文語体ですが、文庫版や電子書籍では適宜(てきぎ)、脚注(きゃくちゅう)が施(ほどこ)され、読者の便(べん)が図られています。


 いずれにしても百年前の著作なので、現代の世界と大きく異なるのは当然ですが、牧口師が本書に込められたメッセージは、今も大変に貴重なものといえましょう。それでは一体、牧口師の地理学思想のうち、現代の私たちは何を、どのように継承(けいしょう)し、発展させていけばよいのでしょうか。


 そして、何よりも思想としての地理学の可能性について、さらに、できることなら私の発生的地理教育論のささやかな研究も含め、牧口師が地理学や地理教育の研究から、どのようにして創価教育論に到達されたかについて、回を改めて皆さんと一緒に考えていきたいと思います。


(2020年5月31日  聖教新聞)​







Last updated  2020/05/31 05:00:04 PM
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2020/04/30

​「人生地理学」からの出発――自己を知り、豊かな世界像を築くために
    東京学芸大学名誉教授 斎藤毅
第1回 牧口常三郎と「人生地理学」


 今月から、東京学芸大学名誉教授の斎藤毅さんの新連載「『人生地理学』からの出発――自己を知り、豊かな世界像を築くために」をスタートします。日本地理教育学会元会長の斎藤さんと一緒に、地理教育の実践者でもあった牧口常三郎先生の大著『人生地理学』をひもときながら、私たちの生活と地理学との関係などについて考えていきたいと思います。(原則、月1回掲載。この間、「切手で築こう現代の世界像」の連載はお休みします)​


座談会風にくつろいで
 これからお話しすることは、「自然観」や「世界像」など、あまり普段、耳慣れない言葉がいろいろ出てくるので、何か哲学的で面倒な話ではないかと気遣われる方がおられるかもしれません。しかし、ご安心ください。「確かに、これまで全く気付かなかった」ということは、あれこれあるかと思います。また、「そう言われれば、その通り」と納得されることも多いでしょう。哲学とは本来、そういうものです。どうぞ、座談会に臨まれる気持ちで、お互いに気軽にくつろいでいきましょう。


大学教員時代に出合う
 私が牧口常三郎師を書物で初めて知ったのは、大学院を出て最初に教壇に立った鹿児島大学でのこと。当時、地域研究や郷土研究の方法論に関心があって、柳田國男の日本民俗学について研究している時でした。


 牧口師が『人生地理学』という大著を著し、柳田とも親交があったばかりでなく、五千円札の肖像ともなった新渡戸稲造(にとべいなぞう)の「郷土会」にも名を連ねていたのを知ったからです。牧口師については創価学会の創立者として名前だけは知っていましたが、何とも意外な感じでした。ただ、その時は同じ地理学の研究者として、ある種の親しみを感じるにとどまりました。


 それにしても、これはいささか不勉強のそしりを免れませんが、少なくともそれまで牧口師やその著作について、大学や大学院の講義やゼミで耳にしたことはなかったのです。


 ずっと後になりますが、私の畏友の一人、故・竹内啓一氏(日本地理学会元会長)は、『近代日本地理学史』を海外向けに英文で刊行。その中で「牧口常三郎と仏教」のテーマで、「創価学会の創始者:知られざる地理学者」としつつ、11ページにわたってかなり詳しく紹介しています。


 ところで、読者の皆さまは逆に地理学者としての牧口師はあまりご存じないかもしれません。また、地理学そのものについて、特にその方法論的な問題や、地理学と人生との関わりなどについて関心をお持ちの方が多くないとしたら、とても残念なことです。


牧口師と地理学の関係
 牧口師は評伝によると、明治26年(1893年)に北海道尋常師範学校を卒業され、直ちに付属小学校の訓導、すなわち現在の教諭に就任。明治29年(96年)には、あの難関の文部省中等学校教員検定試験の「地理地誌科」に合格。翌年には母校の地理科担当の助教諭に任命されています。しかし、付属小学校の訓導は併任していました。


 その後、『人生地理学』をはじめ、郷土研究法など地理教育論に関する多くの著作の発表が続きます。


 日蓮仏法に帰依されたのは昭和3年(1928年)。『創価教育学体系』第1巻の刊行は昭和5年(30年)です。このように牧口師は地理学の研究や地理教育の実践者として、その人生の多くを過ごし、特に地理学を通しての教育への関心は極めて高かったようです。創価学会も、創立当初は「創価教育学会」だったのをご存じでしょう。


人間生活の視点から
 さて、『人生地理学』を今では電子書籍(本社刊)で容易に手にすることができますが、原著は濃い緑の表紙のある分厚いものでした。その具体的な内容は後ほど紹介しますが、明治後期の地理学書としては珍しく、「系統地理学」的な手法が取られています。


 すなわち、世界の自然とそれに関わる人間の営みを農業や工業など、いわばテーマ別に取り上げ、それぞれを「人生」(=人間生活)の視点から記したものです。一般に地理の書物は、例えば福沢諭吉の『世界国尽』をはじめ、国や地域を総合的にまとめた「地誌」が多く、その集大成が「世界地理」と呼ばれてきました。


 従って、この『人生地理学』は、「世界地理」が頭の中にある人たち、つまりは後述する世界像がそれなりにできている人たちにとっては、その相互の結び付きが理解でき、国際的な動きもよく認識できたと思われます。


志賀重昂の推薦を得る
 北海道の小学校で多くの地理教育の実践を積みながらも、上京当時の牧口師は世間一般に認められていたわけではありません。


 幸い、『人生地理学』の出版に際し、志賀重昂(しがしげたか)の知遇を得て、推薦の辞をもらっています。


 札幌農学校出身の志賀は在野の地理学者でしたが、世界各地を遊学。新しい地理学を修め、地理書『日本風景論』を出版。これが大ベストセラーとなり、当代きっての著名な地理学者となっていました。実際、牧口師もこの書物に少なからず影響を受け、後に「環境決定論」と呼ばれる当時の地理学の思想を踏まえており、『人生地理学』の中でも直接、志賀の説を随所に引用しているほどです。


「日本風景論」の中身
 『日本風景論』が地理学の研究者ばかりでなく、当時、国民的に迎えられたのには、その時代的背景が大いに影響していました。なお、この本は今では岩波文庫の一冊となり、容易に読むことができます。
 明治維新後の日本の近代化の中で、日清戦争を経た日本人に、『日本風景論』は風景観の転換を迫り、ナショナリズムのよりどころを与えたためでした。それまで多くの日本人は、世界で最も美しい国は清国(中国)と思ってきました。床の間の掛け軸には、桂林付近の竹の子型の絵が飾られています。一種のカルスト地形ですが、日本の石灰岩地域で見ることはできません。また、大名や豪商、文人たちは、湖南省の景勝地を描いた「瀟湘図」を求め、それへの憧れから、いつしか相模湾岸地方の一部に「湘南」の地名さえ与えたほどでした。


 志賀が新しい地理学を学んだのは、実はヨーロッパでも風景観の転換が行われた後でした。


 少々余談ですが、今、私たちはアルプスの山々を大変美しいと感じ、スイスは憧れの観光地の一つです。しかし、かつてアルプスはヨーロッパを南北に分断する、いわば魔の山。人々は恐る恐るその幾つかの峠を越えました。主要な峠にサン・ベルナールのように聖者の名前が付けられているのも、その表れでしょう。そのうえ、アルプスの山麓は氷河に削られた岩がゴロゴロする痩せた土地。作物も十分に育たず、住民の多くは草をヤギや牛に与え、牧畜で暮らしを立てていました。


 ヨハンナ・シュピリの小説『ハイジ』には、夏の山小屋の生活が描かれていますが、雪の消えた森林限界上の草原の草もヤギの飼料として大切なものでした。なお、この草原が、本来の「アルプ」です。 
 こうした貧しいイメージのアルプスを美しい観光地に転換させたのは、産業革命で豊かになった英国の貴族の子弟たち。彼らは人生経験を深める修行の一環として、主にイタリアへ向かいました。いわゆる「グランドツアー」です。途中のアルプス越えの際、氷河に輝く山々や山人の素朴な人情に魅惑されます。あえて雪山に挑戦する若者も現れ、アルピニズムが興隆。アルプスに対する風景観の大転換が起きたのです。


 さて、志賀は自ら中部山地などの高山でスポーツ登山を奨励するとともに、本場のアルプス山脈に劣らぬ、日本列島の背骨を成す山々の風景美をたたえます。同時に、日本の各地にある富士山のようなコニーデ型の火山の美しさを愛で、日本がいかに風景の美しい国であるかを新しい地理学的知識を援用しつつ展開したのが、『日本風景論』です。彼は、当時の日本人に風景観の大転換をもたらし、結果的にナショナリズムの形成を促して人々に迎えられたのでした。
 閑話休題。このような著名人の推薦もあって、『人生地理学』もまた高く評価され、名著として受け入れられたのです。
 次回は、『人生地理学』の内容を少し具体的に見ていきましょう。

 さいとう・たけし 1934年、東京生まれ。理学博士。東京学芸大学名誉教授。専攻は地理学、地理教育論。日本地理教育学会元会長、日本地理学会名誉会員。著書に『漁業地理学の新展開』『発生的地理教育論――ピアジェ理論の地理教育論的展開』など。


(2020年4月30日  聖教新聞)







Last updated  2020/05/31 04:47:49 PM
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