2019/09/20

ニセ法主 日顕が死去

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カテゴリ:ニュース話題

「諸天善神」毘沙門天王・持国天王・広目天王・ 増長天王・大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王・天照大神・八幡大菩薩等はどこへ行った?

 大石寺を目指したかのような台風19号は、12日夜に静岡県伊豆半島に上陸し、関東地方を縦断
東海、関東地方を中心に激しい雨を長時間降らせ、河川の氾濫や、土砂災害など広範囲に大きな傷痕を残した。
 悪天候、交通マヒで、全国から本葬儀に参加できない、あるいは帰りが困難で足止めになった模様。


   史上最大級の「台風19号」が、富士宮市大石寺に向かって来ています。

 12日から、悪天候、交通マヒ、甚大な被害が予想されます。前々の用心を!

 

 11日、本葬儀参加者の法華講からの情報が出始めましたね。

 12日、納骨式  

 

 仏教一般的には、故人は亡くなった日から七日ごとに閻魔大王などに裁きを受けるとされています。そして四十九日には次に生まれ変わる先が決まるとされています。

極悪坊主の日顕が20日未明、死亡。

 阿部日顕氏(あべ・にっけん=日蓮正宗前法主、前管長)20日午前7時30分、東京都世田谷区中町の大石寺出張所で死去、96歳。

 関係者のみの「密葬」の通夜が22日と23日、いずれも午後7時から、葬儀は24日午前10時から、また「本葬」の通夜が10月9日と10日の午後7時から、葬儀は11日午前9時から、それぞれ静岡県富士宮市上条の大石寺内で行うとのことである。

 マスコミは、大石寺での本葬を伝えることでしょう。

 平成17年12月、日顕は、82歳で退座。隠尊の身となり、東京・渋谷区の松濤(大石寺東京出張所  敷地面積は約350坪)を新法主になった早瀬日如に譲り、世田谷区の等々力渓谷を抱く、超絶景の一等地に、表向きは「大石寺中町出張所」の表札を掲げ、日顕、政子の隠居所にする10億円豪華私邸(敷地の広さは、およそ260坪。建物の面積は1階、2階を合わせて約130坪)



宗門事件の経過
 創価学会は創立以来、日蓮正宗宗門の外護に努めてきました。戦後、宗門が経済的に疲弊していた時から宗門を護り、350以上もの寺院を建立して寄進してきたのです。

 広布の大願に生きる創価学会と僧侶の権威を保とうとする宗門との間には、時に摩擦が生ずることもありましたが、学会は僧俗和合を願って事態の収拾に努力し、乗り越えてきました。昭和50年代前半(1970年代後半)には、宗門の一部僧侶らによる理不尽な学会攻撃と檀徒づくりが表面化しましたが、このときにも学会は誠実な対応で事態が収集されました。

 しかし、平成2年(1990年)、法主・日顕は信徒蔑視の体質をあらわにし、学会を切り捨てて会員信徒を宗門に隷属させる為に、「創価学会分離作戦」(いわゆるC作戦、Cは「カット」の意)という陰謀を企て、実行に移したのです。
 すなわち、同年12月、宗門は宗規(宗門の規定)を一方的に変更し、池田名誉会長をはじめ学会幹部に対し、それまで信徒の指導を託して任命してきた法華講総講頭(ほっけこうそうこうとう)・大講頭の役職の罷免を通告してきました。
学会は話合いによる解決を求めましたが、宗門は話合いを拒否。

 御本尊授与を停止し、 平成3年(1991)7月、それまでの月例登山を廃止して所属寺院の証明を必要とする「添書登山」を強行、学会員を事実上登山停止にし、さらに平成3年(1991)11月、学会を破門するという暴挙に出たのです。

 学会は、 平成5年(1993年)に、日寛上人書写の御本尊を御形木御本尊として全世界の会員に授与することを決定。大聖人直結の広布の教団として前進していくことになりました。それ以来、創価学会が年々、全世界で隆盛しているのに対し、宗門は衰退の一途をたどっており、その正邪は事実の上でますます明らかになっています。

日顕宗の大罪と邪義

1.広布の破壊の策謀
 平成3年(1991)11月、宗門は学会に「破門通告書」を送ってきました。そこには、御書の引用もなく、学会を破門する教義上の根拠もまったく示されていませんでした。単に学会が宗門に服従しないから、という権威的・感情的な主張が繰り返されていたに過ぎません。

「大願とは法華弘通(ほっけぐつう)なり」(御書P736)「広宣流布の大願」(御書P1337)と仰せのように、広宣流布は日蓮大聖人の御遺命(ごいめい)です。
だからこそ、創価学会は、創立以来、広宣流布を目指して折伏・弘教の実践に努め、日本のみならず全世界に大聖人仏法を弘通してきたのです。その創価学会の破壊を企てるということは、広宣流布破壊の大謗法であり、一切衆生の救済を目指された日蓮大聖人のお心に背く大罪です。

参考御書
 第二祖、日興上人も「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力私通を致す可き事」(御書P1618)と仰せです。

2.法主信仰の邪義
 日顕宗が終始、主張しているのは、法主は絶対であるから、ともかく法主に従えという「法主絶対論」「法主信仰論」です。
法主が絶対であるなどという教義は、大聖人の御書にも日興上人の御教示にも一切なく、完全に大聖人の教えから(いつだつ)した邪義(じゃぎ)です。

「時(とき)の貫主(かんず)為(た)りと雖(いえども)も仏法(ぶっぽう)に相違(そうい)して己義(こぎ)を構(かま)えば之(これ)を用(もち)う可(べ)からざる事(こと) (御書P1618)と仏法に背いた法主を用いてはならないと戒めれています。この戒め自体が法主絶対論を否定しています。

3.誤った血脈観
 日顕宗が「法主信仰」の邪義に陥ってしまったのは、法主は前の法主から血脈相承を受けるだけで仏の内証の悟りを受け継ぐという神秘的な血脈観を主張しています。
しかし、このような血脈観も日蓮大聖人や日興上人の教えとは全く関係のない「邪義」に過ぎません。

 日蓮大聖人が生死一大事血脈抄で「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに」(御書P1337と仰せのように、 本来、血脈とは万人に開かれたものであり、一部の人だけが独占するようなものではありません。

 生死一大事血脈抄で「信心の血脈(けつみゃく)なくんば法華経を持(たも)つとも無益(むやく)なり」(御書P1338)と仰せのように、血脈とは正しい信心の異名にほかなりません。
日顕宗のように、大聖人に違背しているものは信心の血脈をなくしたものであり、たとえ御本尊を拝しても功徳が現れることはないのです。

4.化儀の悪用
 日顕宗の大罪の一つとして、葬儀、戒名、塔婆などの化儀(化導の儀式のこと)の悪用し、法を金儲けの道具にしてきたことが挙げられます。

 現在、宗門が行っているような僧侶による葬儀、戒名、塔婆などの化儀は、大聖人が定められたものではなく、後の時代につくられたものに過ぎません。

 宗門は僧侶による葬儀が成仏のためには不可欠であると主張していますが、そのようなことを大聖人は一切言われていません。
むしろ、「されば過去の慈父尊霊(じふそんれい)は存生(さんしょう)=生前に南無妙法蓮華経と唱えしかば即身成仏の人なり」(御書P1423)等と仰せのように、各人の成仏は生前の信心・実践によることを強調されています。大聖人の御教示を無視して、僧侶による葬儀が成仏のために不可欠である、などということ自体、大聖人の仏法を歪める大罪となるのです。

5.僧俗差別
 日顕宗は"僧侶が上で信徒は下"、"僧侶が師匠で信徒は弟子"などと主張し、僧侶と在家を露骨に差別しています。
 しかし、日蓮大聖人、日興上人はもちろん、僧侶が師匠で信徒は弟子などという固定的な関係を言われたことはありません。
 むしろ、 男女僧尼(なんにょそうに)は嫌(きら)うべからず 法華経(ほけきょう)を持(たも)たせ給(たま)う人は一切衆生(いっさいしゅじょう)の主(しう)とこそ仏は御(ご)らん候(そう)らめ 」((御書P1134)と僧俗平等こそ本来の関係であることを示されています。日顕宗が僧俗を差別していることは、一切衆生を平等に救済することを目指した仏教の本質を見失ったものといます。

参考
 大聖人は、在家信徒に「聖人」「上人」の称号を与えられ、また、佐渡の信徒・阿仏房を「北国の導師」(御書P1304)と呼ばれたように、在家信徒がそれぞれの地域広布の主体者となるべきことを教えられています。そこに差別を持ち込むこと自体、仏法の破壊行為となるのです。

6.腐敗堕落
 大聖人は、僧侶の在り方について「但(ただ)正直(しょうじき)にして少欲知足(しょうよくちそん)たらん僧こそ真実の僧なるべけれ(御書P1056) と、質素な振る舞いであるべきことを御教示されています。

 しかし、日顕をはじめ日蓮宗の悪僧の実態は腐敗堕落を極め、大聖人の御教示とはまったく逆のものになっています。
 日顕が高級温泉旅館での豪遊を繰り返していたことは有名ですが、末寺住職なども同様です。まさに日顕宗は仏法を「食いもの」にする存在になっているのです。

 大聖人は、こうした仏法利用の悪僧について「法主の皮を着たる畜生(ちくしょう)」(御書P1386)、「食法がき(餓鬼)」(御書P1111)と厳しく破折されています。

 仏法を破壊しようとする者と戦い呵責(かしゃく)していくことは仏法者として最大の責務です。
仏法破壊の大悪を放置していることは、結果としてその悪行に手を貸す大罪となるからです。また、悪を打ち破っていく戦い自体が、個人の成仏の境涯を開く実践となるのです。






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Last updated  2019/10/13 02:07:30 PM
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