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愛すること

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ユニアースプロジェ… ユニプロさん
July 21, 2007
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カテゴリ:カテゴリ未分類
肉体を生かす為だけに生き、魂の存在、心の重要性を
失ったまま生きるのなら、私たちは、いったい「誰のため」に
生きているのでしょうか?

それは、「肉体の欲望」の為に生きていることに
なりはしないでしょうか?
肉体が快楽を感じること、それを否定はしません。
快楽は必要です。それが全くなくて、どうしてこの肉体を
生かすことができましょう?

けれど、快楽がすべてになってしまえば、それは単なる
『欲望の奴隷』です。『欲望』は、私たちに必要のないものまで、
受け取らせようとします。
必要のない獲物をとり続けるよう指示します。

必要のない獲物を、際限なくとり続けることで、身体は
不要に太り、本当に必要な時には、獲物は自分たちの手で
取りつくされてなくなってしまい、結局私たちが
飢え死にすることになってしまうとしても、
そんなことは『欲望』にとって関係ありません。

『欲望』は、あくまで私たちを破滅させることが目的なのであり、
その目的が達成できれば良いのです。
私たちが結果として、どんな楽しくない、嬉しくない状況を
得ようと、私たちの死の瞬間まで、それに気づかせないように
仕組みます。

これはまさしく、現状の私たちの生活と生き方そのものです。
私たちが自分の『欲望の奴隷』になり続ける事で、私たちは
自分たちの地球を汚し、自分たちの地球の獲物を取り尽して、
そして地球と共に滅びようとしているのです。

自分の生き方を見てください。
余計なもの、必要ないものに囲まれていませんか?

必要ではないものがどんどん作り続けられる事、どんどん消費され
続けること、それはこの地球から失われ続けていく事だと気づく
必要があります。

自分の欲望の限りなさに、先進国に生きる者は、気づかなければ。
それが、発展途上国の人たちの欲望に繋がっていけば、
私たちにもう未来はありません。

考えてください。
今。

もしたった今、量販店やスーパーが、
「すべての商品を無料でお分けします。」と、
聞きつけたなら、あなたはどんな行動に出るでしょうか?

また、一般の人たちなら、どんな行動を起こすでしょうか?

今の私たちの振動数の状態なら、お店に並ぶもの、それが自分に
必要であろうなかろうと、我先に、店先の商品を奪い取って行こうと
するかもしれません。

必要でもないのに、何台ものテレビや冷蔵庫をもらって帰ろうと
する人もいるかもしれません。
欲望によってパニックに陥った群集は、人を押しのけ、人の上に
のしかかっても、自分の欲しいものを奪い取ろうとする
かもしれません。

たとえ、家に持って帰った瞬間にそれらがゴミになる事が
わかっていても、決してその時点で、それらの商品を離そうとは
しないかもしれません。

これは、決して笑い事ではないのです。
バーゲン会場で、福袋の奪い合いで、似たような光景を
目にしたことがあるのではないでしょうか?

冷静になれば、とても恥ずかしい光景ですよね。
けれどこんな時、人はなりふりなんて構っていません。
人の目なんて気にせず、欲しいものを奪い取ろうとやっきです。

けれど、必要なものが本当に必要な人の手元にあれば、
本当はそれだけで十分なはずですね。

私たちは、皆が欲しがるから、それを欲しいと感じるのであり、
皆が欲しがらないものには、見向きもしません。
つまりそれは、自分ではなく、「他者の欲望に釣られているだけ」
自分の欲望ですら、ないのです。


時々、スーパーで、自分で袋詰めする商品を見かけますが、
この時、おばあさんが、躍起になってビニール袋に
人参の花を咲かせているのを見たことがあります。
これを見た時、笑ってしまいましたが、ちょっと複雑な気持ちにも
なりました。

このおばあさんは、こんなに人参を持って帰って
どうするのでしょうか?
何のために、あんなにたくさんの人参を詰めているのでしょう?

もちろん、そうすることがいけない、と言っているわけ
ではないのです。
もし、大家族でそれだけあれば、家族が助かるから、という理由なら、
とっても分かります。
けれどどうやら、持って帰ったら、それで満足してしまうようです。

それは楽しい一種のゲームなのです。
でも、ちょっと待ってください。

このゲーム、本当にOKなのでしょうか?

私たちは、なぜ余分なものを手に入れようとするのでしょうか?
必要でないものを際限なく欲しいと感じるのでしょうか?

それは、いったい誰の欲望なのでしょうか?

私たちに、それはいったい本当に必要なのでしょうか?

必要なものが必要なところに、必要なだけ、配分される世界。
わたしたちが将来、目指す社会は、そこに到達する必要があります。

つまり貨幣経済は、終わりを告げる時代が来るのです。
経済によって、欲望を刺激され続け、思考を左右され続けているから
こそ、私たちの心の貧しさが存在するのです。


貨幣経済の終焉は、私たち人類の意識変革に、大きな進歩をもたらします。
貨幣が必要なくなる、ということは、私たちにお金の概念が必要なくなる
ことを意味しています。


お金が必要になったのは、物々交換という、品物を交換する流通が
起きた事から、始まりました。
さて、これは初期の段階でしたが、この物品交換から、もっと便利な
貨幣交換へと様変わりはしてきましたが、その基本的なものの考え方の
仕組みは、原始的な物々交換となんら変わりがありません。

私たちの文明は飛躍的に進歩を遂げているように見えますが、
それは一部の科学力の部分だけで、人の意識レベルは、19世紀と
大差ありません。ほんのわずかに、上昇したにすぎません。

何しろ、貨幣を使用している、ということは、まだ物々交換している
ようなものなのですから。


貨幣経済が消えていく背景には、私たちの意識の向上は不可欠です。
そうでなければ、世界各地で暴動が起こるでしょうし、この貨幣経済が
終わりを告げることに、非常に大きな衝撃を受けるのは、一般市民以上に
政府高官や、利権を食い物にしている人たちでしょう。

貨幣経済が、世界を席捲している間、私たちは、自分の必要以上の欲望を
押さえることができません。

これはどういうことなのか、ちょっと『頭』で考えてみてください。

経済という認識が世界に蔓延している間、企業は、必要でもないものを
作り続け、私たちは、必要でもないものを買い続け、必要でもないローンや
借金に悩まされることになり、食料が本当に必要としているところには、
僅かにしか渡ることがなく、人よりもいかに多く儲けるかばかりを優先し、
私たちの意識は、低くなり続け・・・。
そして、私たちは、自動的に破滅に向かって突き進んでいます。


経済という観念は、私たちの人生の多くを狂わせて来ました。
経済は、私たちの中で、すでに魔物と化していることにまず気づいて
いただきたいのです。

お金があれば、すべてを変える(買える)事ができるという、意識レベルの
低い認識は、今や幼い子供たちの間にまで広がっています。
子供たちに何が欲しいかをたずねると、『お金』という答えが返って
来ることがあります。
これは、つまり欲しい物はないのです。

夢も何もかも、お金に換算すること、つまり、私たちの肉体の満足、
肉体の欲求を満足させることしか、大多数の関心はないと言うわけなのです。

しかし『お金』というもの、そして、自分の所有という概念から、
個人の所有物は必要ないと私たちの意識が転換できるほど、私たち人類の
意識レベルが上がった時には、この世界から、飢餓は消え、不要な廃棄物
だらけの世界は、その時点で一気に解消へと向かうでしょう。

『所有』という概念がどれほど、私たちの意識を害しているか、
ほとんどの人は、理解していないでしょう。

自分の持ち物、という概念が消え、世界中のすべてのものは、
あなたのものであり、
同時にすべての人のものであり、すべての存在のものである、という概念を
私たち一人一人が持つとき、あなたのものと私のものとの区別がなくなる時、
私たちの中から争いは消えてなくなるでしょう。

この続きまた・・。


この世界が自分にとって、人々にとって生きやすい世界なるために、
魂に従ってこれを書いています。
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Last updated  July 21, 2007 10:41:58 AM



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