風は何色? ~ふわふわ日記~

2006/04/19(水)18:08

オーロラの彼方へ

本(15)

頬を撫でる北極の風の感触、 夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、 見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい・・・ ふと立ち止まり、少し気持ちを込めて、 五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。 何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、 大切にしたい。 あわただしい、人間の日々の営みと並行して、 もうひとつの時間が流れていることを、 いつも心のどこかで感じていたい。 写真家の星野道夫さんをご存知ですか? 私はつい最近、偶然の導き(?)で、 彼のことを知りました。 星野道夫さんが撮影した 限りなく深く雄大な作品の数々・・・。 幻想的なオーロラの写真に、 (´- `*)ウットリ。。。 それと同じくらい、散文詩のような美しい彼の文章に 魅せられてしまいました。 今日は、彼の著書オーロラの彼方へより、 私の心を揺さぶった言葉を紹介します♪ (*^^*) 人はいつも無意識のうちに、 自分の心を通して風景を見る。 オーロラの不思議な光が語りかけてくるものは、 それを見つめる者の、 内なる心の風景の中にあるのだろう。 時々遠くを見ること。 それは現実の中で、 悠久なるものとの出逢いを与えてくれる。 日々の暮らしのなかで、 ”今、この瞬間 ” とは何なのだろう。 ふと考えると、自分にとって、 それは ”自然 ” という言葉に行き着いてゆく。 目に見える世界だけではない。 ”内なる自然 ”との出会いである。 何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、 取り戻すということである。 長くきびしい冬があるというのはいいことだ。 もし冬がなければ、 春の訪れや、太陽の沈まぬ夏、 そして美しい北極の秋に これほど感謝することはできないだろう。 無窮の彼方へ流れゆく時を、 めぐる季節で確かに感じることができる。 自然とは、何と粋な計らいをするのだろうと思う。 結果が、最初の思惑通りにならなくても、 そこで過ごした時間は確実に存在する。 そして最後に意味をもつのは、 結果ではなく、 過ごしたかけがえのないその時間である。 人間の一生がいかに短いものなのか、 そしてある日突然断ち切られるものなのかを ぼくは感じとった。 私たちは、カレンダーや時計の針で刻まれた 時間に生きるのではなく、 もっと漠然として脆い、 それぞれの生命の時間を生きていることを 教えてくれた。 人間の気持ちとは可笑しいものですね。 どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、 風の感触や初夏の気配で、 こんなにも豊かになれるのですから。 人の心は、深くて、 そして不思議なほど浅いのだと思います。 私たちはある風景に魅かれ、 特別な想いをもち、時にはその一生すら賭けてしまう。 1996年に、ヒグマに襲れると言う不慮の事故で、 44歳の若さで急逝した星野道夫さん、 アラスカの風景に魅せられて、 深く太く力強く生きた生涯には、 悔いはなかったことと思います。 アラスカの自然を旅していると たとえ出逢わなくても、いつもどこかに クマの存在を意識する。 今の世の中で、それは何と贅沢なことだろう。 クマの存在が、人間が忘れている 生物としての緊張感を呼び起こしてくれるからだ。 もし、この土地からクマが消え、 野営の夜、何も恐れずに眠ることができるとしたら、 それは何とつまらぬ自然なんだろう。     自然をありのままに受け入れた 星野道夫さんの生き方を通して、 何故だか、「永遠」を感じたあんじぇでした~。                        あんじぇ (*^^*)  自然の終わりは、いつも何かの始まりである。                   ~星野道夫~                        星の物語 長い旅の途上 ノーザンライツ あんじぇのひとり言・・・ (*^-^*)☆° 星野道夫さん・・・ 星の野原を旅する男♪ う~~~ん、名は体を現すと言いますが、 浪漫溢れる 星野さんにぴったりの名前ですねぇ。 そう言えば、 昔憧れた上司♪ 宇宙の野原を耕す次男坊だ!って 自分の名前を説明してくれました~。 (さて、何と言う名前でしょう?)(笑) う~~~ん、名は体を現すって やっぱり本当だねぇ。 しみじみ・・・。 (*^^*)                                                             

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