メンタルセラピー エンジェライト

2008/11/15(土)11:33

幸せな環境

人に厳しく接することがあります。 わざと。 聞く耳持たない相手には。 でも、私に関わりたい、かまいたいというのであれば、わざと突き放すしかないなあと。 それでも近寄りたい、というのなら私の違和感にある行動をやめてもらいたいですから。 そこに添えないというのであれば、そばによる必要は相手にないはずなのです。 怒られたり、相手に不快な思いをさせることでしか、かまってもらえない。 そんな存在になりたがっているということはわかるのですが、もどかしいです。 自分で決めているのですから。 そこにいたいんだと思うと、寂しいです。 おそらくは相手の思う対応を私がしていないのでしょうが、求めているという直接的な求められ方をされないことには応えられません。 コミットメントですから。 自分から私にかかわりたいという宣言。 自分に対しての。 それがなくて、相手から求められているからという言い訳を持つことはその人のためにならないのです。 私は人のためになにかしてあげているとか、愛情が深いといわれることがありますが、全然違います。 私のためです。 私の幸せが周りの幸せだからです。 周りが幸せだとそのおこぼれに預かれます。(^^:) だから。 自分の幸せは環境によるものです。 幸せな環境を作りたいと思っています。 できつつありますが。^^ お互いに本当の意味で相手のことを思いやって生きていける環境。 そこに至るのには、すり合わせのプロセスもあるので、軋轢もあります。 でも本当に心からつながっている感じを得るのには、必要だと思っています。 子供たちがけんかをさせてもらなくなってから、人とけんかしたときの暴力の結果を知らないために、殺してしまうところまでいく。限度を知らない。 という現代の問題としてあります。 人とのかかわりをリアルで体験して、解決していないからこそ、すり合わせの段階でお互いに傷つかずに離れてしまう。 それってもったいないことだなと思うのです。 私は3回離婚していますが、きっちりと自分でやるだけやったといえるのは3度目の離婚でしょう。 逃げなかった。人とのかかわりの中で逃げなかった。 その後の出会いの中でも自分なりの精一杯で対応しましたが、それに応えてもらえなかったというのはあります。 でも自分の中で後悔はない。 自分の気持ちや考えを押し通すということではなくて、すり合わせていく。 違いもあり、相手を尊重するんだけれども、もたれない。 そんな形でありたい。 それは誰に対しても。 近い人には特に。 近い人には誰もが、甘えて相手を大事にしない傾向がある。 当たり前、日常になってしまう。 でもだからこそ、大事。 まだまだきちんとできているわけではないけど、少しづつ心がけています。

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