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カテゴリ:パーキンソン病
先月の6/24、無事に2度目の脳深部刺激療法(DBS)を受けました。
先生が難しい手術とおっしゃられた通り、およそ、12時間の手術でした。 それでも、何の不安も一切感じていませんでした。 それどころか、ひとりで2度の手術を行うという幸運に恵まれたことに、心から感謝をしていました。 初めのDBSを受けてから6年、それは私にとって想定内の出来事でした。 激しいジスキネジアに日に何度も襲われるという状態になってしまいました。 DBSを酷使していたから?という思いもありましたが、全く後悔はしていませんでした。 これが自然だ。ただそう言う思いで受け入れていました。 多分、そのまま朽ち果てることとなっても本望だったと思います。 激しいジスキネジアとは、ハイパーキネジアというらしく、それはそれは辛いものでした。 1日に何度かうずくまったまま身動きひとつ出来なくなります。 DBSを切れば、少しは楽になりますが、今度は、無動になってしまいます。 夕方に頻回に起こり、DBSを切った状態で、うとうとしようものなら、尿意をもようして目を覚ますと完全に無動状態になっていて、失禁をしてしまうという事態も何度かありました。 そんな状態でも、仕事に行っていました。しかし、昨年の9月頃には、職場に立つと、ハイパーキネジアが起こるという状態になってしまい、休職を余儀無くされました。 そんな状態の私でも、 良くなったらいつでも復職してください。 といってくださり、それは大いに励みになりました。 1度目のDBSは、視床下核をターゲットにしたものでした。今回のDBSは、淡蒼球内節をターゲットにしたもの。すなわち、二つ分の電極が脳の中心部でまるで重なりあうかのように、存在しています。 それだけ困難な手術だったのだと、術後のMRIを見て改めて感じました。 手術が終わったときの第1印象は、なんだか力みが取れて府抜けたような感覚でした。ボーッと窓の外を見て何の思考も起こらないのです。 大丈夫か? 人格が変わってしまったかのような感覚。 それまで、趣味で描いていた詩も初めの一言も浮かばない。 いや、これで当たり前なのだと思うようにしました。 府抜けたような感覚は、ジスキネジアが全く起こらなくなったことによるものだと自覚したのは手術が終わってから、数日後だったように記憶しています。 何をしても、身体が軽くて、視床下核へのDBSを受けたときよりも数倍、解放された気分が大きかったです。 1ヶ月経って、術後の傷も癒え、身体をもて余す位になりました。 その明かしに、スキップをしたり、縄跳びをしたりと、まるで、パーキンソン病が治ったかのようです。 8月には職場復帰することになりました。 今、ここにこうして居れることに、心からの感謝です。 この感謝の思いをなんとしても伝えたい。 という思いで久しぶりに日記を更新しました。 そういえば、こうして日記を打つこともままならなかったのに、。 私に関わって下さった方全てに心からのありがとうを捧げます。 ありがとうございます!(^-^)/ 今日の歌は 樋口了一さんで 1/6の夢旅人 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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PD未来さん。
ブログの更新があって良かったです。実はずっと更新がないので体調が悪いのかな?と心配していました。 お元気なようでとても安心しています。 職場復帰うれしいですね(*^_^*) 私の父も出来る限りは仕事に行っていました。無理をしない程度に必要とされる場所でお仕事がんばってください。 PD未来さんはご自分の経験があるので患者さんの気持ちが本当によくわかるんだと思います。患者さんにとっても一番の理解者であると思うのでがんばってくださいね。 横浜からPD未来さんががんばって過ごしていることいつも祈っています。 私も父とのお別れから1年ちょっとが経ちました。だいぶ元気になりましたがまだ悲しみの中に落ちてしまうこともあります。でも私が明るく一生懸命生きることを父も望んでいると思うのでがんばって過ごしていきます(*^_^*) またブログの更新楽しみにしています! 暑い日が続くのでPD未来さんもご家族も体調を崩さないようにお気をつけください。 (2015.07.31 17:38:12)
初めて読まさせて頂きました。
まとめて♪一気に。 私は今日はまだ~看護師の39歳。 若年性パーキンソンの治療を六月末から始めました。 辛いですね。 私も辛いです。 メールもスマホですが…左手で1年前からうっています。右手は亀さんです。 また、時間と気持ちに余裕があるとき?に連絡させてください。 天気も良くなく…気分も… でも、家族を大切に♪ (2015.08.31 00:06:17) |
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