2007/06/24(日)22:11
芹根水。
先日、足を止めた石碑です。
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『文房四神之碑』
江戸時代の書家、烏石葛辰(ウセキカツシン)の書と伝えられる。
葛辰は「芹根水」の書家でもあり、この附近の
下魚棚通り西堀川角に居住していたという記録が残されている。
文房四神之碑は、南方・朱雀を筆・東方・青龍は
硯、西方・白虎を紙、北方・玄武は墨となり、
これは筆硯紙墨を四神になぞらえて、崇敬
したものである。
この碑は、道祖神社の「書聖天満宮」に建てれらて
いたが、神社の改築に伴い、平成六年七月に
ここに移設された。
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『文房四神之碑』に並んで移設されているのが『芹根水の碑』です。
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『芹根水の碑』
江戸時代後期
花崗岩(白川石)
芹根水は、むかし、洛中七名水の一つに数えられた。
安永九年(1780)の「都名所国会」によれば「芹根水は堀川通木津屋橋の南にあり、近年書家 烏石葛辰、清水に井筒を入れて
傍らには芹根水の銘みづから(中略)書して石面に彫刻す云々」
と記し、石の井筒から清水が湧き出して堀川に流れ込むさまを
国示している。
江戸時代の著名な書家、烏石葛辰(1700~1779)は、
葛烏石、烏石山人とも号し、洛中名水の保存と顕彰に務めた。
この碑も、その代表的な一つであり、惜しくも年銘はないが、
今から役二百三十年前宝暦年間の製作と考えられる。
以来この名水は文人墨客、茶道家、商家一般に永く愛用されたが、
時移り大正三年(1914)堀川改修に際して濁水混入し、
井筒も失われ、独り碑のみが護岸中にのこされていた。
いま堀川暗業工事に先立ち、碑を河中より引揚げその保存を国るも、
飲水を大切にした古人の心を現代に伝えたい願いにほかならない。
【立て札より】