伊豆大島木村五郎・農民美術(あんこ人形)資料館

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彫刻家木村五郎

2017年05月25日
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カテゴリ:彫刻家木村五郎
卵が先か鶏が先なのか、ちょっとわかりませんが、私は父が60年間作り続けた「あんこ人形」が元々は木村五郎が島人に伝授した「農民美術運動の一環で大島で開催した講習会」から生み出された人形であり、人形の伝授を受けた島人が作る人形は昭和初期の大島の観光お土産として喜ばれた、と知りました。

父が作り続けた「あんこ人形」の指導者であった日本美術院彫刻部の「木村五郎」の足跡を追い続けた、できれば木村五郎の全貌を明らかにしつつ、彫刻家としての顕彰をしたいと思い、大島でおこなわれた講習会のこと、全国的に進められた農閑期(厳冬期の副業)の木彫制作と豊かな芸術に触れ会う「農民美術運動」の全国展開の歴史をしらべ、大島のあんこ人形の歴史を明らかにしたいと思いました。

夭折した彫刻家木村五郎は37才で永眠されています。夭折の彫刻家の功績や作品に対する興味を持たれる人の情報を見つけることはこれまでなかなかありませんでした。久しぶりに木村五郎の活動の記述を読む機会が訪れました、木村五郎のご家族のご了解をいただき「伊豆大島木村五郎・農民美術資料館(藤井工房併設)」を名乗り活動を続ける者としてはとてもうれしいことです。







最終更新日  2017年05月25日 20時57分34秒
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2008年09月02日
カテゴリ:彫刻家木村五郎
 彫刻家木村五郎の甥っ子は露語翻訳家。
 木村五郎が縁結びになってくれてこれまでいろいろと交流をさせて貰っている。特に「ロシア未来派の父」を自称した画家のダビッド・ブルュークは大正初期に大島に来て風景画と島の紀行記「大島」を描いていることがわかり、紀行記の訳は翻訳家の鈴木氏にお願いした。
 これを機にブルリュークの著書「海の物語」「富士登山」「小笠原紀行」一緒に小笠原に行ったバツラフ・フィアラの「小笠原」を翻訳、鈴木氏が大島と小笠原を訪れて取材した「ブルリュークの頃の大島」「ブルリューク・フィアラの頃の小笠原」を自ら書かれ合計8編を鈴木氏は自費出版された、おまけにこの資料館をその販売所に指定してくれた、興味ある方から照会が来たり購入をしてもらったりしている。
 カメラマンでロシア・アバンギャルド(前衛芸術)研究家の英国人、マイケル・クレイグ氏が自身のブログで、鈴木明氏の翻訳本を写真と動画で紹介してくれていることを知った。
こうしてパソコンの前に居ながらにして様々な情報を得ることができる、世界が広がってゆくことは素晴らしいことだ。
(一番下の画面ーインタビューに応える鈴木明氏の画像)






最終更新日  2008年09月02日 15時57分34秒
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2008年01月08日
カテゴリ:彫刻家木村五郎
絵葉書でいただいた彫刻家木村五郎の作品「少女曲芸」は暗めの画像のせいもあってどんなカッコウだか分かりにくかった。
手元にもう一枚写真がある、比べてみると動きがわかりやすいように思う、どの角度で見るか、見せればいいのか、そんなことも考えさせる2枚の写真だ。
話は違うが、前に著名な写真家が「写真には自分の見えないものも、自分が感じないもの、自分の考えないものは、写らない・・・自分のよく知っているものが、知っているようにしか写らない・・」そう言ったと読んだことがことがあった。
写真にすると目で見た立体的なパノラマが小さな平面にしか写っていなくてガッカリする、いつもそんな経験ばかりだから、映し出せないまったくの素人のレベルだということだ、じゃあどうすればいいのだろう。
今度の日曜は今年最初の「ソーメン絞りの勉強会」、本を読んだり考えつく工夫をしてきたが、未だ目標にしている絞りにはならない。知識は少し広がったかも知れないがそれに比例して「ソーメン絞りというが、他の絞り技法より布地の風合いに特徴有り」そういう考えが強くなっている。
どうすれば突破口を見つけることができるのか、到達点である完成品は何点も手元にあるから目標ははっきりしている、もう一度昭和初期の作り手の目線になって何を使って工夫したのか、先入観を捨てもう一度そこからの挑戦だ、3月の作品展には今一歩近づいた絞りてぬぐいを出したものだ。






最終更新日  2008年01月08日 16時13分36秒
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2008年01月07日
カテゴリ:彫刻家木村五郎
彫刻家木村五郎の甥っ子から賀状に替わる葉書をいただいた、富岡八幡宮の骨董市で見つけたそうだ、まだこんな古い絵葉書が流通していることが驚きだ。
木村五郎作品で今から85年も前に作られたもので、前に何を表しているのか直ぐには分からなかった作品だ。
子供が軽業の芸をしている姿をブロンズにした「少女曲芸」大正12年日本美術院第9回試作展出品作品。






最終更新日  2008年01月07日 10時50分54秒
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2007年07月04日
カテゴリ:彫刻家木村五郎

明治生まれの彫刻家木村五郎は京都宇治の農民美術講習会(茶摘人形)の講師を昭和2年にやっている。前に茶摘人形の資料の照会があって心当たりの資料を提供した。宇治人形の歴史はずっと古いようだ、そんな木彫の歴史がある町で木村五郎は木彫を教えた。京都の新聞の記事にも木村五郎の名が紹介されている。農民美術の新しい資料はなかったが、宇治人形の詳しい資料を送ってもらった。              
大島の資料館にも、宇治の講習会の調査が縁でいただいた故桂甚一作の小さな茶の木の「宇治人形」が飾ってある。左奥のパネルの写真は木村五郎意匠による甚一氏の農民美術茶摘人形。     
         P1010003.JPG 

 







最終更新日  2007年07月04日 15時43分42秒
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2006年01月25日
カテゴリ:彫刻家木村五郎
彫刻家木村五郎の日本美術院展初入選作が東京朝日新聞に掲載されていたから、と木村五郎の甥っ子が記事をコピーして送ってくれた。前後に関連した話題はなく、解説もなく「スサノウノミコト」の作品が掲載されている。今この作品は何処でどうしているのだろうか、探しているが見つけられない。
大正10年8月31日東京朝日新聞6面「院展初入選『素盞雄命』木彫 木村五郎作」






最終更新日  2006年01月25日 18時04分57秒
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2005年12月25日
カテゴリ:彫刻家木村五郎
今年6月に千田敬一著「これは彫刻になっております 木村五郎の作品とその生涯」を出版した。全国の書店に流通させて多くの人に見てもらえるように自費出版ではなく出版社と契約して作った。半期に一度本の売れ行きが報告される約束で、ちょっと前に届いた。何となく「学生時代の通信簿」のようなもので、ドキドキしながら封書を開けてみたら200部預けた本が98部売れていた。ベストセラーとは縁がない我々としては上出来ではないか。全国の彫刻に関する美術館や大学図書館など300くらいに新刊本の案内のハガキを出した、15箇所ほどから照会があり大島から本を送らせてもらった。大島の人にも少し買ってもらっているので、発刊から半期で主催者発表で150冊、立派なベストセラー本ではないか。
試しに本の題名「これは彫刻になっております」と入力してパソコンを見ると40件近くのデーターが出てきた。新刊収蔵図書館の告知やオンライン書店で本が紹介されている、値段と著者名だけ、慾を言えば、美術専門家や美術雑誌などの反応がどっかにあったらな、そういう感想だ。2年経つと出版社に預けた在庫は手元に戻ってくる、果してどれだけ戻ってくるのか。資料館にも本はありますから是非お求めください。 「木村五郎の作品とその生涯」のご案内






最終更新日  2005年12月25日 17時40分47秒
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2005年11月06日
カテゴリ:彫刻家木村五郎
今年の春「石井鶴三日記5巻」が刊行されたことを知って本を見る機会を待ち望んできた。都立図書館で購入する事を確認してから5ヶ月、ようやく協力貸出し制度を利用して今日借り受けることができた。
私の興味は木村五郎が終生の親交を結んだ芸術家石井鶴三がどう五郎のことを記しているか、ということだった。まだ1巻(昭和9年まで)だけ目を通しただけだが、本を待っていた時間が長かったせいか、あれこれ想像して空想を膨らませ期待をしすぎたためか、残念ながら知りたいことには触れられていなかった。まだ4巻有る訳だが昭和10年に彫刻家木村五郎は急逝しているので、直ぐに忘却の彼方だろうと思う。それにしても石井鶴三が出会った芸術家の数の多いこと、日記は誰に会った、とかの記録が大半だが、石井鶴三の一生を知る事ができる貴重なデーターだ。こういう地味な書籍を出した出版社の熱意も伝わってくる、ゆっくり読もう。






最終更新日  2005年11月06日 17時28分24秒
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2005年10月30日
カテゴリ:彫刻家木村五郎
資料館に現代彫刻をされている方が寄ってくれた。今年目出度く資料館に収蔵できた木村五郎の昭和8年木彫作品「憩う熔炉工」を良い作品だと褒めていただいた。右手に炉をかき混ぜるようなカギ棒を持って立って居る姿だが、この棒は台座と掌に間違いなくくっついている、どうやって彫り出したものだろう、棒に比べて人物は粗くノミ跡を残している。現存する作品はなかなか捜し出せないがもっと現物を見たい欲求が募ってくる、早く亡くなった事が惜しまれる。






最終更新日  2005年10月30日 11時47分30秒
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2005年10月15日
カテゴリ:彫刻家木村五郎
彫刻家木村五郎の名前を戦後の書物の中に見つけることはなかなかない。木村五郎が最初に彫刻を志した仏像彫刻の師匠の所にいた今では著名な物故彫刻家のご家族と情報の交換をさせていただいているが、宇都宮美術館で行われている「構造社展ー昭和初期彫刻の鬼才たち」のカタログを送ってくださった。
何とこの中に木村五郎の名が記されていた。日本美術院彫刻部の解説の中で、先鋭的で懐の深い環境から、石井鶴三や橋本平八などの個性的な逸材が輩出した、という次に、「石井はまた同じく日本美術院の木村五郎らとともに、大正後期の洋画家山本鼎による農民美術の運動に共鳴した活動を行なった。それは「近代彫刻」というものが日本各地に浸透していくうえで重要な役割を果したといえる。と同時に、その活動を通して石井や木村の作品にも、大胆に対象をつかみとる新たな表現力が立ち現われるのを見ることができる。」木村五郎に関してはこれだけの記述。構造社会員のまとまった展示ははじめてらしい、写真をみるといずれも個性的な顔立ちである。
昭和8年の美術雑誌「アトリエ」誌上の彫刻評で木村五郎は構造社の展覧会をかなり厳しく批判している。あれから70数年が経ち構造社の芸術家と木村五郎はあの世で仲良くしているのだろうか。私は頂いたこのカタログから昭和初期の彫刻界の流れとその中にいた木村五郎の彫刻を見比べて見ようと思う。それとカタログには詳しい資料目録が掲載されているので、はじめてみるタイトルの資料があるかもしれない、新しい資料に巡り合えると嬉しいのだが。
宇都宮からわざわざ買って送って貰えなかったら何にも知らないで過ごしていた、と思うとありがたい話です。






最終更新日  2005年10月15日 16時58分14秒
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