坂本繁二郎「大島の一部」の舞台
明治39年の夏、坂本繁二郎24才、森田恒友23才、二人の画家は大島にやってきた。二人の泊った宿は「浜川屋」と書いているが、「富士見旅館」のことだと思う。村の海辺の井戸は「ハマンカー(浜の井)」と呼ばれ、富士見旅館のまん前にあった、2階の窓から二人は行交う「島娘」を見て居たのだろう。写真の年代は不明だが、2枚とも大正時代のものと思われる。二人が散歩した浜辺は宿から近く、坂本の「大島の一部」(福岡市美術館所蔵)に描かれている高い二本のマストのような木の柱が写真にくっきり写っている。左手前の集落あたりから南を見た風景だ、写真の左上に三原山の稜線がつながる。「大島の一部」は木の皮で屋根を葺いているので写真より古い時代だと思う。二人は大島に来る前に青木繁らと行った房総から噴煙を上げる大島を見て、「大島へ行ってみよう」と思ったに違いない。 二人が泊ったと思われる「富士見旅館」 まだ桟橋の影もない砂浜の元村海岸、手前には東京へ出荷する 「薪(タキギ)」が山のように積まれている 2本のマストの先にうっすらと利島が見える