2010/01/05(火)23:49
一歳人 続続々
P216
人のものはオレのもの、オレのものはもちろんオレのものである一歳人から物をもらうときは、
必ず見返りが求められていることを考慮に入れるべきです。
物質でなくても、何らかの親切、恩恵を受けるときは、
とりあえず服従という見返りが暗黙のうちに要求されていると思って間違いないでしょう。
もっとも一歳人の見返りの要求には、
物に対する自他の認識が希薄だということだけでなく、
喝采症候群としての要求が大きいと考えるべきでしょう。
一歳児がかわいらしい手で何かを持ってきてくれれば、
人は大喜びしてお礼を言い、頭をなででほめるでしょう。
いい子をするのはお利巧とほめてもらいたいからであって、
ことに母親の喝采こそが一歳児にとっては何ものにも代えがたい報酬なのです。
それを思えば、一歳人の贈与は贈与ではなく、喝采を得るための投資であるといえます。
もちろん大人の世界ではその喝采が必ずしも賞賛である必要はありません。
愛情は物に置き換えられますから、物質的利益は喝采に代わる重要なものでしょう。
また服従の約束、奉仕の誓いも、よく求められるものなので、
こちらがそのつもりでなくても、好意を受けただけで家来にされてしまうこともあります。
喝采症候群 ~独断的パラノイア論~ (木田恵子)より
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この抜き書きは母の様子とあまりにも重なるために、
私と同様の「母の支配」に苦しむ方の参考になればと思い、
ここに紹介させていただいているものです。