2011/02/12(土)22:39
気づかないということの罪
小沢一郎という人は、どうも胡散臭い感じがして
昔から好きになれない。
でも、最近の「強制的な起訴」という言葉にもまた
胡散臭さを感じてしまう。
「布川事件」を勉強してみてしみじみ思うのは
検察は検察に都合のよい「自白」や「証拠」を作り出してしまうのだということ。
村木さんのときにも、ひどいことするんだなぁと思ったけど、
先日の小沢さんの秘書の取り調べ状況も
やっぱり検察のやることはちょっとあくどすぎではないかと感じた。
そこで、はたと思う。
私が小沢一郎という人を胡散臭いと感じてしまうのは、
胡散臭そうに報道されてきた影響が多分にあるのだということ。
私はそもそも、自分の直感にはけっこう自信があるのだが
でも、最近、いろんな報道を観るにつけ、
メディアによる情報操作って、実はとっても簡単なことなんじゃないかということ。
テレビも新聞も、一つの事件を同じような論調で騒ぎ立てると、
人はすぐに信じ込んで
バイアスのかかった目と感情で物事を観るようになってしまう。
世の中にもっと重要な事件が起きていても気づかない。
違う角度から見るととても恐ろしい勘違いが起きていても気づかない。
気づかないことが一番恐ろしい。
気づかないで、何でも知ってるような錯覚をすることが一番恐ろしい。
私が自信のある「直感」も、一歩引いてしっかり裏付けをとらないといけないね、
って、あらためて自戒する今日この頃。
田中龍作さんという人が書いている。
エジプトで、同じようなことを思っている人々が立ちあがっている。