テーマ:旅のあれこれ(10281)
カテゴリ:歴史・旅・散策
昨日の日記で、京洛・路地に残る、戦国大名屋敷由来の地名に萌えてきた件を綴りましたですが☆
帰宅後判明したある『勘違い』ゆえに、遠からずして、「リベンジ☆地名萌え旅行」を決行せねば!!と考えている次第なのでありまふ。 その『勘違い』と申しますのが…。 前日記に記述の、『如水町』『小寺町』『甲斐守町』萌えのあと、南方にある二条城を目指しつつ徒歩で私めが向かったのが、『直家町』。 上記『如水町』などと共に、 京都・近江戦国時代をゆく ↑この本に、『宇喜多(浮田)直家』の屋敷跡由来…との情報があり、「よっしゃ♪宇喜多屋敷跡♪♪」と、勇躍、向かった訳であります♪ 本で見た折、「…??…宇喜多直家って、秀吉が聚楽第を築いた頃にはもうお亡くなりだから…。息子名の、『秀家町』じゃないのが変だなあ…」と思うたりもしたのですが…。 秀吉の『秀』の字ズバリを町名として呼ぶことに遠慮して、直家にしたのかな~~??などという深読みもしてみましたり。 そして現地に参りまして…。 『直家町』の町名表示に萌えつつ、足元の、真新しい石碑に気付く私め。 それは、明らかに、昨年の大河ドラマ放映記念で建ったとおぼしき「この辺りに『上杉景勝』と『直江兼続』の屋敷跡がありました♪」というもの。 「へぇ~~。宇喜多屋敷のすぐ隣が、上杉だったのか~~~」と思い、戦国ご近所事情に思いを馳せたりも。 関ヶ原前は、塀越しに密談も??(無い無い)…などというスットコ妄想もかましつつ、町名萌え歩きはそこで終了、あとはもう、すぐ目の前となっている二条城の見学に向かったのでありました。 …が。 それで満足していた私めは、リサーチ不足の愚か者だったのでござりまする…。 帰宅後しばらくして…。 『直家町』の由来が、実は『直江町(直江兼続屋敷跡)』の「なおえ」が訛って、「なおいえ」として伝わったらしい??…と知り…。 あの真新しい石碑を見た折、「ご近所にしても、近過ぎじゃね~か!!」(大名屋敷のルームシェア??)と気付くべきだったのでありまふ。 宇喜多屋敷の跡は…。 そこからもう何ブロックか離れたところにある、『浮田町』にあったらしく…。 地名巡りのために自分、当日握り締めていた地図にも、ちゃんと『浮田町』の文字がありましたのに…。 漢字が『宇喜多』表記ではなかったばかりに、たくさんの町名漢字に紛れ、「目に入っていながら見てはいない」状態にて…。 む…無念…。 近くまで行っておきながら、肝心の宇喜多屋敷跡を歩かずに、勘違い満足で帰還してしまいましたとは…。 く~~~ッッ!! この秋、こたび行けなかった伏見と関ヶ原に♪♪などとドリームこいておりましたが、『浮田町』参りのため、またぞろ京洛ラビリンスを攻略せねばッッ!!! それはそうと、「『如水町』と『直家町』、かなり近いじゃん」と思って、拙作におけるツッコミどころに思いを馳せて、赤面・苦笑いしていたものでありますが…。 『如水町』と『浮田町』は、それよりももっと距離が近く、赤面の度合いが増している今現在なのでありまふ☆ (その自分ツッコミ暴露は、また後ほど…) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年04月05日 10時02分43秒
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