物欲☆あんず雨

2011/07/02(土)09:05

両腕の跡と、城跡

原爆と原発と(78)

ゆず吉さまが前日記コメントでお書きくださった、自らの戦傷を子供たちに見せて、戦争の恐ろしさを伝えようとした先生のお話を拝読して…。 (レス記載の、マイ中学時代・ズレズレ軍国教師の件は別といたしまして…) 20年ほど前の、広島の古書店でのことを思い出しました。 やはり法事で滞在していた折でしたか、夏のある日。 広島市繁華街の目抜きアーケード街『本通り』から、少し脇に入ったところで、趣ある古書店を見つけました。 当時、毛利元就とその一族に興味があって(大河ドラマ『毛利元就』が放送される、そのまた数年前だった記憶が…)地元でしか買えないような本を探し歩いてのことでした。 お店のたたずまいから、いかにも歴史古書がありそう…との期待通り、吉川元春(毛利元就の次男)の城跡についての、写真や説明の載った、地元発行のリーフレットを見つけました。 (『史跡・吉川氏城館跡~歴史と遺跡を訪ねて~』という、30ページほどのもの) これは即買い!!とばかりに、財布を出しつつ、ご店主(初老の紳士)とおぼしき方にそれを示しましたところ…。 歴史好きのかただったらしく「おお!同好の人が!!」という感じで、「この山城はね、とても良いんだよ!!行ったことがあるの?」と、とても嬉しそうに話しかけてくださったのです。 歴女様も多いイマドキでござりますれば、若い女性が、戦国時代の城跡の本を買うのも珍しくはないのでござりませうが、当時、私めの周囲にも、同好の友人(女性)は一人きり…という時代。 ご店主も、珍しいお客が珍しい掘り出しものを…という喜びのあまり、話しかけてくださったのでござりませう。 …ところが。 今思えば、ご店主の問いかけに、「行きたいと思ってるんですが、行った事、ないんです~。でもっ!毛利といえば、吉川・小早川の『両川』ですよね!!!」などと、ノリノリでお応えしなかったか…と、ほんにもう、悔やまれてならないのですが…。 「い、行ったことはないのですが…。戦国時代の毛利一族に興味がありまして…」などと、それなりに会話させていただいた記憶はあるのですが…。 そこそこの会話で切り上げて、支払いを済ませ、ぎこちなく、お店をあとにしてしまったのです…。 なぜかと申しますれば…。 ほんにもう、ご無礼この上ないことに…。 話の内容よりも、ご店主の、半袖シャツから出ている両腕に、意識が行ってしまったのです…。 その両腕は、まだら状に広がる、茶色のシミでいっぱいでした。 顕著なケロイドにはなっていないようでしたが、一目で、「ああ、原爆でこうなってしまったんだ…」と判りました。 あとから推察させていただいたのですが、ご店主、被爆時は、中学生か高校生くらいだったのでは…と思われます。 お顔に跡はありませなんだゆえ、学生帽を被っておられたのかもしれません。 あの朝も、真夏…。 半袖から出ていた彼の両腕は、原爆の熱線に焼かれてしまったのでござりましょう…。 ご主人の腕を拝見した瞬間、私めの脳内は、戦国のことより、原爆のことでいっぱいになってしまったのです…。 そして、(これまた、大変にご無礼極まりなきことに)見てはいけないものを見てしまった気持ちになり、弾んだはずの戦国会話もせず、お店をあとにしてしまったのです…。 今となっては、本当に残念で、そして何より、ご店主に、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 そうそう頻繁に訪ねる機会も無い広島、その後、件の古書店に足を運ぶことのないまま、月日が過ぎてしまいました。 年月が過ぎるうち、お店の名前も失念してしまい…。 その後、記憶を頼りに通りを歩いても、それらしい古書店は見つかりません。 本通りの辺りは、バブル前後で、すっかり変貌してしまいましたので、まさに、一期一会の機会を、妙な動揺で、うやむやにしてしまったのです。 …あの時、入手したリーフレットは今も大切に持っていて、時々ページをめくっています。 そこに載っている、吉川氏の城館跡や山城には、憧れつつ、未だに足を運ぶことができていないのですが…。 古書店のご店主は、原爆で両腕に、あれほどの跡が残る火傷を負ってしまわれたものの…。 その後はお元気に生きて来られたからこそ、吉川氏の城跡を見学なさることができたのだろうな…と思い、少し、救われた気持ちになりました。 古書店はたたまれたけれど、悠々自適、今もお元気で、どこかの城跡を巡っておられると良いな…と思います。

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