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【亞】の玉手箱2

亡くなった父のこと~キノコ雲をみた

【亡くなった父のこと~長崎の原爆の日、キノコ雲をみた】

8月15日は終戦の日。
終戦の日になると、亡くなった父を思い出す。
「昔我が家に仙人がいた」で仙人を食客として
我が家に居候させた上、怪しい行状を紹介してきた。
 
 
父は戦争から帰った後の人生は、事業の他に
玄米食普及運動と世界連邦だった。
 
 
二木謙三先生に指導を仰ぎ、
わが家のご飯が白米から玄米に変わり、
体が弱く、すぐに風邪をひく体質だった私が、
半年で風邪をひかなくなった。
結核で幾度か血を吐き、医者から匙を投げられていた父が完治した。
高血圧だった母は、血圧が安定して元気になった。
玄米食になってからのわが家は、病院と無縁になった。
 
 
その後の父は医者でもないのに
日本総合医学会を立ち上げて事務局長になった。
千島喜久男先生やヨガの沖正弘先生が我が家を頻繁に訪れ、
沼田勇先生ともよく連絡を取り合って相談していた。
桜沢如一・里真先生ご夫妻、樫尾太郎先生や甲田光雄先生とも交流があった。
 
 
父の悲願はもう一つ、世界連邦の日本設立だった。
 
父は高知市に生まれ、召集され、中支那方面に従軍。
昭和20年6月15日熊本県天草本渡島に上陸。
米軍迎撃のため陣地構築中、
昭和20年8月9日第二の原子爆弾の長崎投下を目撃。
昭和20年9月召集解除となり帰宅するまでに、
凄惨な地獄の中を歩み続けた。
 
その後の父は世界平和の実現を想い
エメリー・リーブスの『平和の解剖』に強く影響を受け
世界連邦の日本設立に尽力した。
 
 
私が生まれる時に父は名古屋を不在、東京へ。
国会で有志と共に泊まり込んでいた。
私が産声をあげた日に、
世界連邦日本国会委員会結成案が参議院を通過した。
私の誕生でなく、
結成案が通ったことに快哉を叫んでいたという。
 
 
世界連邦建設同盟元執行理事。日本総合医学会相談役理事。
世界連邦研究委員会委員長。
24年前に82歳で亡くなったが、
父は生前、平和憲法をこよなく愛していた。
 
安保法案は父が生きていたら驚天動地だろう。
その前に亡くなったことを父の為には
喜ぶべきなのだろうか。
 
             2019.8.15


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