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【亞】の玉手箱2

ツキに頼らないこと~易経が教えるツキとは

ツキに頼らないこと~易経が教えるツキとは
   ~僥倖は落とし穴?

 
 
【失敗した時に、
  ツイテいなかったから、と思う人は、
           必ず運が悪くなります】

 
 
★ ツキを意識する時はツイテいない時です。
 
ツキというものをどんな時に意識するかというと、
ツイテない時か、ツイテない状態を脱してツキはじめた時、
そして、僥倖に恵まれた時です。
 
※この僥倖は 落とし穴~不祥なのですが、
 それについては また説明します。
 
 
★ ツキに恵まれている時は自然体です。
 
ツキに恵まれている時は
全てが上手くまわっているのが当たり前のことで、
何もかもがあるべくして在るのですから、
ツイテいるという意識がありません。
 
 
ツキを欲しいと強く願う時は、ツイテいない時です。
でも、そういう時に限って必ず、ツキに逃げられます。
ツキに見放されます。
恋愛と同じです。
 
 
追いかけたら 逃げられるのです。
追いかけるのは、こちらの思いが強く重すぎて、
バランスが崩れて逃げられる。
逆に言えば、
自分が一番嫌(イヤ)なことや逃げ出したいモノや事柄が、
逃げれば逃げるほど追いかけてくる
のです。
意識がそうさせるのです。
 
 
これだけは嫌という気持ちと
それから追いかけられるのは、
同時に発生する…法則です。
 
 
★ ツキがないと、ツキのある人との出会いは無効です。
 
よくツキを呼ぶには、
ツキのある人に付けと言われています。
それは、ツキのある人の考え方や癖を学べという意味です。
ところがツキがないと、ツキのある人には出会えません。
ツキのある人とたまたま出会っても、
すれ違いを起こします。
 
 
名刺交換をしても同じこと、
知っているだけでは縁も何も生まれません。
ツキのある人と 付き合いたいと思う時は、
無いものねだりの時なのです。
ツキに頼っている間は駄目です。
 
 
失敗した時にツイテいなかったからとか、
運が悪かったから、運が弱かったから、
ツキが落ちたなんて思ってはいけません。
上手く行きだした時も同じです。
ツイテいるから上手く行くのではありません。
 
 
【 確かにツキという現象はあります 】
 
現象としてはありますが、これに頼ったら、
ツイテる人もツキに見放された時には、零落します。
 
 
【 ツキはあっても無くても、どっちでもイイのです 】
 
ツイテる、ツイテないなんてことに、
重きを置かないこと。
ツイテいるなと思ったら、ツキを活用して進む。
 
 
ツイテいない時は、
そのツイテいないこと自体が信号です。
ツイテいない時というのはありがたいのです。

ものすごくありがたいことです。
 
 
「そのまま進めば失敗するかもしれない」とか、
「考えたほうがいいよ」「考え直したほうがいいよ」と、
大宇宙の生命エネルギーが信号を発して、
小宇宙である私たちに教えてくれているのです。
 
 
要するに、齟齬(くい違い)をきたすような場合は、
自分が鈍くなっている時です。
必ず、不自然なことを何かやっています。
 
 
「拠(よ)るべき所にあらずして拠(よ)れば、身必ず危し。」
              (易経・繋辞下伝より)
 

      (中編に続く)



ツキに頼らないこと 易経が教えるツキとは【中編】
【 本人の器以上のツキは不祥、ツキに夢中にならず、ツキを育てよう 】
 ※不祥(ふしょう)は 不吉の意
 

「拠(よ)るべき所にあらずして拠(よ)れば、身必ず危し。」
              (易経・繋辞下伝より)


「待ちぼうけ」という歌があります。
       北原白秋作詞・山田耕筰作曲。
 

待ちぼうけ 待ちぼうけ 
ある日 せっせと 野良かせぎ 
そこへ兎が飛んで出て 
ころり ころげた 木のねっこ 


待ちぼうけ 待ちぼうけ 
しめた これから寝て待と 
待てば獲ものは駆けて来る 
兎ぶつかれ 木のねっこ 


待ちぼうけ 待ちぼうけ 
昨日鍬とり 畑仕事 
今日は頬づえ 日向ぼこ 
うまい伐り株 木のねっこ

 
待ちぼうけ 待ちぼうけ 
今日は今日はで 待ちぼうけ
明日は明日はで 森のそと 
兎待ち待ち 木のねっこ 


待ちぼうけ 待ちぼうけ 
もとは涼しい黍畑(きびばたけ) 
いまは荒野の箒草(ほうきぐさ) 
寒い北風 木のねっこ


※この歌詞の元は中国の「荘子」の寓話
 「守株の話」を歌ったものです。
 宋の国の農夫がある日、桑畑で野良仕事をしていると、
 突然兎が飛び出して、桑の木の根っこに当って気を失ったので、
 農夫は労せずに兎を得た。

 それからは来る日も来る日も
 桑の根株を見守って兎を待ちかまえた。
 しかし兎は二度と現れず、
 毎日を待ちぼうけて過ごすうちに
 田畑が荒廃してしまった、というお話。
 

 さて、この寓話に登場する「兎」が
 農夫にとっての‘僥倖’です。
 兎を何の苦労もなく手に入れました。
 すご~く、得しちゃたんですね。
 「おっ、ラッキー!」てなわけです。


 そして次からは僥倖を期待するわけですね、
 何もしないで。
 ところがその僥倖は二度と来ない。
 「待ちぼうけ」になる。
 僥倖(ぎょうこう)とは、思いがけない幸運の意味。
 僥倖は持続しません。
 僥倖は落とし穴です。
 ツキと僥倖は「似て非なるモノ」です。


      (後編に続く)


ツキに頼らないこと~易経が教えるツキとは【後編】
~ツキと僥倖の違い




★ベストセラー商品とロングセラー商品の比較考察。


【 ベストセラー商品は不安定 】
 
ベストセラー商品がなぜ不安定なのかというと、
その商品をいつでも提供できるように、
絶えず確保しておかなければなりません。
そのブームが、いつまで続くかわからないのに、です。
そしてある日突然、売れなくなって、
大量の不良在庫をかかえることになります。
これは、‘僥倖’に似ています。


【 ロングセラー商品は安定 】
 
ロングセラー商品は 安定しています。
増えもせず、減りもせず、
涸れない泉のように時代の流れに関係なく
ほぼ一定の数量を維持して売れ続けます。
これは自然体で、‘ツキ’に似ています。


不思議な 面白い現象がたび重なるときがあります。
それは一見些細に見えることが多いようです。
遊びに行ったら必ず晴れるとか。
会いたい人がいればひょっこりとその本人が訪ねて来たり。
何かが必要だなと思うとそれが飛び込んでくるとか。
モノ・事・人や言葉が変に符合するとか。
これらはすべて「自然体」でいるときです。
 

春に種を蒔けば、秋の実りを迎えることができます。
春に時をぴったり「中」して種を蒔くから、
必ず秋の実りを迎えることができるわけです。
一方、冬に種を蒔いても実らないのは
自然に反しているからです。
私たちも冬に種を蒔けば実らない。


要するに、齟齬(くい違い)をきたすような場合は
自分が鈍くなっている時です。
必ず、不自然なことを何かやっています。
 

「君子終日乾乾す、夕べにてき若(じゃく)たり」
       (易経・乾為天より)


「てき若」とは恐れる如くの意味。
その日一日の自分を、夜、独(ひと)りになってから
「これでよかったのか、これでよかったのか」
と細心をもって恐れ省りみること。
ある程度の実力や経験がついてくると
人から注意されることが少なくなります。
 

注意されなくなって気楽になるのはとんでもないことで、
むしろそのような時こそ
人の目から離れたところで自分を省みて、
律することを覚える段階なのです。
「てき若」とは失敗した時だけでなく、
むしろ、誉められるほど順調に事が進んだ日にこそ
取った行動は本当によかったのか、
もっといい方法はなかったか、と、
独り振り返ることです。


       ☆


「危うきものは、その位に安んずる者なり」
      (易経・繋辞下伝より)


       ☆


「独りを慎む」
      (『中庸』より)


       ☆


私たちは 知性を計量するとき、
その人が自分の知っていることをどれくらい疑っているか、
自分の見たものをどれくらい信じていないか、
自分の善意に紛れ込んでいる欲望をどれくらい意識化できるか、
を基準にして判断する。

私たちは 知性を検証する場合に、
ふつう「自己批判能力」を基準にする。
自分の無知、偏見、イデオロギー性、邪悪さ、
そういったものを勘定に入れて
ものを考えることができているかどうかを物差しにして、
私たちは他人の知性を計量する。

           内田 樹「ためらいの倫理学」より


       ☆


「拠(よ)るべき所にあらずして拠(よ)れば、身必ず危し。」
              (易経・繋辞下伝より)


 ~編集後記~
 易経は中国最古の書で、四書五経のトップであり、
 帝王学の書とされています。
 時の専門書であり、自分のおかれている立場など、
 出処進退に関する行動の指針となるべき法則やルールが
 シンプルに著されています。
 易経には、幾(き)という言葉が頻繁に出てきます。
 幾とは物事が起こる時の兆(きざ)しです。


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