【亞】の玉手箱2

2009/02/23(月)09:28

言葉ではいいあらわせない兆し3.~手にとるようにわかる面白い易経

手にとるようにわかる面白い易経(3156)

ALOHAさんから久し振りの連絡が~♪ 取材された ▼コーディネーター奮闘記、 そのなかの・・・ 2ページ目の上のほうに【亞】を紹介してくれました。     ↓ 易経研究家の竹村亞希子さん。 彼女にお会いして人生の流れを知り、 覚悟ができ、ぶれなくなりました。 【亞】:ありがとうございます! 光栄です!! 復刻版「手にとるようにわかる面白い易経」              ※【亞】の玉手箱時代の復刻版です。 ★“易占い”の解説ではありません★ 【中国古典・易経】 3.言葉ではいいあらわせない兆し 易経は「時」を説き そして「兆し」について言及している書物です。 さて、「兆し」とは何か? ということですが ここで少々触れておきましょう。 ふつう春のきざしといえば ふきのとうが顔を出した、梅のつぼみがふくらんだ といった現象を見ていいます。 これを区別するために「萌(きざ)し」としましょう。 易経が言及する「兆し」は 芽生えや芽吹きの前の段階です。 まだ現象化されない潜み隠れた物事の微かな動き 震えのようなものです。 春の芽生えを見る前に 春の訪れを知るということです。 そういう兆しはたいてい察し得た物事とは まったく関係ないところに発したりします。 それを「これが兆しだ」とは言葉には表現できないのですが ある物事の有り様が腑(ふ)に落ちて明確にわかるのです。 誰も予測しえなかったことを、はっきりと言い当てた人に 「なぜ、わかったのか?」と聞くと 「ただ、何となくそう思ったから・・・」とか 「とにかくそうにしかならないと確信した」 などという曖昧な返事が返ってきます。 兆しを察するとは 推理や分析によらず、あるきっかけによって 瞬間的に物事の本質を知ることです。 つまり直観(ちょっかん)、直知(ちょくち)するのが兆しです。 直観するとは、いいかえれば 阿吽(あうん)の呼吸、以心伝心(いしんでんしん)です。 「阿(あ)」は万物の始まり、「吽(うん)」は終わりの象徴です。 何かのきっかけで始まりを知り、 同時にその終わりを知ること。 一瞬にして腑に落ちることです。 以心伝心は禅宗の逸話である拈華微笑(ねんげみしょう)です。 釈迦の説法の場で、ある弟子が 「悟りとは何でしょうか」 と訪ねたところ、 釈迦(しゃか)は黙って花を拈(つま)みました。 その時、弟子入りしたばかりの迦葉(かしょう)だけが フッと微笑んだのを見て 釈迦は「あの者だけに伝わった」といいました。 しかし、まわりの人は何のことかわかりません。 端から見れば 不可解な出来事のように感じることもありますが 直観は超能力ではありません。        続く        ~編集後記~  易経は中国最古の書で、四書五経のトップであり、  帝王学の書とされています。  時の専門書であり、自分のおかれている立場など、  出処進退に関する行動の指針となるべき法則やルールが  シンプルに著されています。  易経には、幾(き)という言葉が頻繁に出てきます。  幾とは物事が起こる時の兆(きざ)しです。 よろしければ応援の↓クリック↓を~(^^)            

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