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【亞】の玉手箱2

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【亞】2

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2014.10.09
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    【 時流に乗るな! 時流を追いかけるな 】


☆ 時流と時中は正反対 ☆




「時中(じちゅう)」は、易経によく出てくる言葉です。


「時中」と「兆し」



春に種を蒔けば秋に実るけれど
冬に種を蒔いても実らない。
当たり前でしょ、って言われそうです。
でも日常生活の中で
冬に種を蒔いてはいないでしょうか?



春に種を蒔く、冬は蒔かない。
これが時中です。



「時中」ーじちゅう、と読みます。
時に中(ちゅう)する。
時に中(あた)る。
どちらの読み方でも構いません。



時に中すれば
六十四卦それぞれの徳が、全て実現するのです。
卦徳が実現すれば、物事が通じていきます。


時中であるという 兆しを観るには
  観る目を要します。



 ※「見る」は目に見えるモノを見る。
  「観る」は見えないモノを観る、心の目で観る、洞察力で観る、の意。



繋辞伝の中に
  「幾を知るはそれ神(しん)か」
ということばが出てきますが

幾(機も)を見ることは神業に等しい


それと同時にリーダー、人の上に立つ者は
この 「機を観る力」が必要だと
書かれているのです。



 ※「幾」の字の成り立ちは、
  絲(細い糸、わずか)+戈(ほこ)+人
  人の首に、戈の刃がもう少しで届きそうな様子を表し、
  もう少し、近い、時、機微などの意味。


 ※「機」の字の成り立ちは、
  木+幾(ごくわずか)
  もとは織機の間に挟まって仕掛けを動かす小さな木の棒。
  「機」仕掛けの鍵、時、秘密、大切なものごと、
  「機」は精巧な仕組みの大事な「つぼ」とか「勘どころ」。
  (機密・枢機)




では、この「機」はどうしたら
観ることが出来るのでしょうか。



易経には、 易経を読めば
機を観られるようになると書かれています。



その「機」はどのように観るか。
目に見えるわけではないし
耳に聞こえてくる訳ではないのです。
しかし、見えないものを観る目、
音にならないものを聴く耳です。
それがないと、機は観られないのです。



この兆しを観ることが
霊能力だとか超能力のように
思われがちですが、それは違います。
そういった世界には、興味がないし
また、わからないので、発言は控えますが。



話を戻します。
時に合えば(時に中すれば)
ピタッピタッと物事が合ってきます。



時とは
最も難しいものです。



「時中(じちゅう)」とは
“時に中(あた)る”ことです。
その時にピッタリのことを
行うということです。



【時流を追いかけるな】


時流に乗ってはならない
時流を追いかけるな。
時流に乗る者は時流によって滅びると
易経は教えています。


時流に乗ると、時の中心に
我が身をおいている錯覚を生じ、
流れに巻き込まれて
物事の本質を次第に見失っていく。


おいしい話がくると
「渡りに船だ」と飛びつく。
冬に種を蒔く行為です。
オイシイ話のサーフィンを求めだす。
そしていずれ、
大失敗すると書かれています。



       ☆



       【時中】


易経は「時の専門書」です。
「時中」は「時に中る」。
その時にピッタリのことをすること。
であれば必ず亨る、通じて行くと言います。


たとえば
大自然の働きは、時中です。
春は訪れるべき時に訪れ、花は咲くべき時に咲く。
そして、冬に種を蒔いても、実りません。
中庸は 尋常、凡庸という意味もあり
春は来るべき時に来ることが
「ふつうのこと」と思えることです。


私たちの生活でいえば、
朝には起きて、昼に働き、夜に休む。
祝い事に喜び、弔事には悲しむこと。
これも 中庸、時中です。
ごく当たり前の自然な行為や感情なのです。


人間社会のものごとも
一日、一年、十年という時間の長短に関わりなく
激しく険しい時もあれば
安らかで平らかな時もあります。


それに伴い 何を時中とするかも変わり
決して一定することはありません。
時の的を射ることは
時間、空間、環境、状況でできた、
一つの球体の核を射抜くようなものでしょう。


常に千変万化する的を射る、というのは
けっして生易しいことではありません。
「これが時中だ」と思った次の瞬間、
それは「中」ではなくなっているのです。


 
          ●


      ~的を射る姿勢~


いずれにしても、至難の業です。
私たちが日常のあれこれに追われ
時に翻弄されるのも無理はないと思います。


「時中~中庸」の精神は、基本であると同時に
言葉ではいいあらわせない 真髄ともいうべきものです。


孔子も『論語』のなかで中庸について触れてはいても
「中庸とは何か」を具体的には説いてはいません。
子思が書いたといわれる『中庸』のなかでも
中庸そのものについて 説いてはいないのです。


まして、このメールで お伝えできるのは
ほんの概略に過ぎません。
とはいえ、消極的になっては前に進めませんので、
続けることにしましょう。


的を射るのは、生やさしいことではありません。
しかし、見方を変えれば、
どんな時でも、たとえ大混乱の最中であっても、
必ず「中」があります。



          ●



   ~龍徳ありて正中なる者なり~


「中」を得るために、 学ぶべきことがあります。


時を得るのに
「失敗しないようにしよう」と思うと中(あた)りません。


たとえば、野球でバッターが
「空振りしないようにしよう」と思うよりも
「ボールをバットの真芯にあてよう」とのぞむほうが、
ヒットの可能性があります。


これと同じで「時の的を射る」という姿勢が大切なのです。
姿勢は肉体と精神、両面の姿勢です。
また、全身をリラックスさせる呼吸法も大切です。
この【姿勢と呼吸法】が
“兆しを読む”という直観を発動させて
「中」を得るのです。


そうすべき時にそれを行うのが中庸だといいましたが、
厳密にはタイムラグがあります。
行動や感情を現象としてあらわす前の潜象の段階で、
直観が「中」を貫くのです。


前もって変化を知り、的を射るためには、
変化の中にある、一定の不変の法則性を見ることです。
あらゆるものごとに通じる春夏秋冬の論理を見つめ、
究めていくことで、
「中」を鋭く射抜く直観力が養われるのです。

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Last updated  2014.10.09 09:54:05
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