お寒うございます×2
仕事が終わって買い物やらして帰宅すると4時過ぎ・・・
急いで洗濯もんを取り込むが
乾いているとは思うものの、冷たくなってて
すぐにたたんでしまうには湿っているかなぁ~と思い
しばし、部屋の中が洗濯もんの満艦飾
小一時間室内で干してから、しまいをするという二度手間をしている、今日この頃です・・・
昨日
>祖母お手製の赤い毛糸のパンツ
というのを書いて、ばあちゃんのことを想い出しました・・・
祖母、ばあちゃんと言ったが
実は、伯母の姑さんで血のつながらない方・・・
平清盛と同じ歳で母を亡くしたおかんは伯母の家に預けられ
そこでは、伯母が主立って理髪店を切り盛りしていたので
お姑さん=ツルさん(漢字で書かない、カタカナの名前です・・・)が
おかんのおしっこパンツやら水っ洟で汚れたジャンパーを洗ってくれたり
ご飯の支度やら、赤い毛糸のパンツも作ってくれて、いろいろとお世話をしてくれた・・・
ツルさんの呼び名は「前掛けばあちゃん」(そう呼んでいたのはおかんだけだけど・・・)
そのころ、叔母のことを「お店のばあちゃん」と呼んでいた・・・
今になって思えば、伯母さんのことを「ばあちゃん」とは失礼な!と反省・・・
長じてからは、ちゃんと「おばさん」と呼んでいるけど
たぶん、幼かったから「おばちゃん」と言えなかったんだろう・・・
と自分自身をフォロー・・・・
前掛けばあちゃんは、明治生まれ、36年だったか・・・
なんせ、うろ覚え・・・すでに亡くなってし・・・
ばあちゃんの好みの煙草は『新生』、この銘柄、まだ売ってるのかなぁ・・・
近所の煙草屋に、よく、お使いに行かされたよぉ・・・
鏡台の前の座布団の上で、火鉢を前にして煙草盆を横に置き
ぷかり、煙管で新生を吸っていた・・・
着るものは着物、木綿製だったような気がする・・・
白い手ぬぐいの襟当て、足元は色物の足袋に下駄
毎日、毎日、白い割烹着を着ていた・・・
だから、前掛けばあちゃん、と呼んでいたと思う・・・
で、冬に木綿の着物は寒かっただろうなぁ~と思い返してたら
おかんの赤い毛糸のパンツを編むくらいだから
毛糸で、自分の首あてとか袖なしの甚平さんみたいなのを作って
割烹着の下に着込んで、ちゃんと防寒していた・・・
それから、冬は、洗濯もんの中に
ネル製の四角い布がバタバタと重そうに、はためいていた・・・
あれは、前掛けばあちゃんの腰巻だったと思う・・・
と、あれこれ、断片的に想い出した・・・
他に、五右衛門風呂の話とかおかくずの話とか、仏さんのお供えご飯の話とか・・・
それはまた、次の機会に・・・