真由美の日記真由美の日記 2001年 9月4日 今日は哲也とファミレスで食事をした。 本当は会社の近くにあるシティーホテルへ行くつもりだったが、私も哲也も仕事が忙しくて予約を取ることが出来なかった。 ハンバーグとカニクリームコロッケを美味しそうに食べている哲也は、まるで子供みたいで可愛かった。 私はシーフードパスタを頼んだけど、こんなにひどい味なら、他の物をオーダーすればよかったと後悔した。半分だけ残して、飲み物でお腹をいっぱいにした。 食事を終えてファミレスを出た時、哲也が 「泊まっていかないか?」 と誘ってくれたが、家に帰ってからも片付けなければいけない仕事があったので、悪いなと思ったけど断った。 2001年 9月5日 ニューヨークで行なわれる会議の資料作りで、今日は眩暈がするほど忙しかった。今回は向こうのお偉いさん方も出席するので、手を抜いて仕事をすることは出来ない。 私の携帯に何度か哲也からメールが届いていたが、返信をする暇もなかった。哲也もそれをわかってくれたのか、 「仕事が一段落したら、返事をくれ」 とメールを送ってきた。 その日、仕事が終わったのは深夜だった。哲也にメールを送信してみたが返事は来なかった。もう寝ちゃったかな? 2001年 9月6日 昨日のお詫びをしようと思って、今日は仕事を早く終わらせ、哲也の家に行って夕飯を作った。 別に気にしてないよと彼は笑っていたが、私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。せめてこれくらいはしないと、どうにも収まりがつかない。 哲也も今夜は早く帰ってきてくれた。 普段は殺風景な食卓の上に、珍しくたくさんの料理が並んでいるのを見て彼は驚いていた。そしてどれも食べ残すことなく、きれいに平らげてくれた。 この日は久しぶりに、二人で一緒にベッドへ入った。 2001年 9月7日 出社してすぐ、支店長から呼び出された。開口一番出た言葉。 「来週ニューヨークで行われる会議に、きみは出席する必要はなくなった。資料だけ作ってくれればいい」 「えっ?」 支店長の話を聞いて、私はどうにも納得が出来なかった。 最初の約束では、ニューヨークでの勤務を前提に今回の会議に出席することになっていた。それをいきなり変更だなんてあんまりだ。 私は支店長に何度も頭を下げ、どうにか会議に出席させてもらえるように頼んだ。あんなオヤジにペコペコするのは嫌でしょうがなかったが、海外勤務はどうしてもしたかったので、私は恥も外聞も投げ捨てた。 会社の帰り道、なんだか悔しくて涙が止まらなかった。 2001年 9月8日 ニューヨークへの出発準備に向けて荷造りをした。今回は会社で作った資料もたくさん持っていくので、荷物が多くて大変だ。 夜、哲也と食事をした。ニューヨークから帰ってきたら、箱根の紅葉を二人で見に行こうと約束していた。 二人であれこれ言いながら、パンフレットを見るのはとても楽しかった。 パンフレットの美しい紅葉の写真を眺めているだけでも、本当に箱根へ行った様な気分になれた。哲也は明日にでも行こうとはしゃいでいる。 ホントだよなぁ。でも、ニューヨークへも行ってみたいし! 我がままな私。 2001年 9月9日 いよいよ出発の日。 空港に哲也が見送りに来てくれた。本当は抱き締めてキスしたかったけど、会社のお偉いさんがいる前で、さすがにそれは出来なかった。 私は哲也に 「行ってくるね」 と手を振って、出発ゲートを後にした。 二週間は日本に帰れなくて淋しいけれど、ニューヨークでの忙しい二週間なんてあっという間だろう。私は帰国してから哲也と行く箱根旅行を、今から楽しみにしていた―― ここから先のページはなくなっている。 2001年 9月9日以降の真由美の日記は、永遠に記載されることはなかった。 9月11日、二機の旅客機がニューヨークのワールド・トレード・センタービルに激突した。その時、真由美はビル内のオフィスにちょうど出勤したばかりだった。 数日後、真由美のバックと日記帳が発見され、遺品として遺族へ返却されたが、彼女の遺体が見つかることはなかった。 2003年 11月 哲也は箱根にいた。 赤や黄色の葉が夕焼けの空と溶け合って、美しい風景を作りだしている。 あれから二年―― 哲也は紅葉の時期を迎えると、真由美の書き残した日記帳を持ってここを訪れていた。 「真由美と来るはずだったのに……」 皮肉なものである。この美しい紅葉の中で、悲しみに暮れるなんて。 真由美はもう戻ってこないとわかっていても、哲也はこの悲しみを抑えることが出来ず、いつまでも涙を流していた。きっと真由美もここへ来て、この美しい紅葉の景色を見てくれているだろう。 はらはらと落ち葉が揺れ、山から吹いてくる冷たい風が、哲也に冬の訪れを感じさせていた。 了 ジャンル別一覧
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