未来の行方

 未来の行方

 仕事の始業時間三十分前に、自分で淹れたブラックコーヒーを飲みながら新聞を読むのが、僕の日課になっていた。
 世界面を見ると、相変わらず中東情勢の悪化が大きく報道されている。
 昨年、A大国による中東B国への大規模な軍事行動により、B国首脳陣は行方不明。国は無政府状態となった。
 それ以来、A国の軍隊がB国の治安を維持しているのだが、テロ事件が頻発し、A国およびその同盟国の兵士達が次々と死んでいった。
 日本はB国へ自衛隊を派遣するかしないか未だ政府内で揉めており、国民は有志を集って、国内各地で自衛隊派遣反対運動を行っていた。
「相変わらず状況は進展せずか……。僕達がいくら反対運動したって、政府のお偉いさんは耳を傾けないもんな」
 僕は記事の一面全文は読まずに、新聞をめくった。
「なんだよ、また今日も届いてるぜ」
 隣のデスクに座っている同僚の高橋が、パソコンに届いているメールをチェックしながらぼやいていた。
「何が?」
 パソコンのモニターを覗くと、受信トレイには社内メールの他に、2007というタイトルのメールが何通か表示されている。
 高橋がメールを開くと、僕は少し冷めたコーヒーを飲みながらそれを読ませてもらった。
 が、その内容はあまりにもバカバカしいものだった。

“私は西暦2007年の世界に住む者である。A国政府関係者とだけ言っておこう。
 この世界では間もなく、A国とB国による戦争が始まろうとしている。
 発端は西暦2004年にA国で起こる要人の暗殺事件だ。A国当局では、犯人はB国のテロリストと断定していた。
 だが、事件は未解決のまま両国の関係はさらに悪化。ついには、A国による大規模軍事行動が再び展開されることになった。
 最悪の場合、どちらかの国の核が使用される可能性があるとの情報もある。(B国が核を保有していないという確実な情報は、A国当局に届いていない)
 この事件を解決するには、そちらの世界でこれから起こる要人暗殺をどうにかして食い止める以外方法はない。
 私はB国への軍事行動をやめるようA国大統領へ働きかけたが、結果はすべて徒労に終わった。
 もう時間はない。このメールに最後の望みを託す。2004年の世界の誰かが、歴史を変えてくれることを私は祈っている。”

「誰かの悪戯に決まってるさ」
「だとしたら、空想家で暇人の仕業だな」
 高橋は苦笑いをして、2007のメールをすべて消去した。

 仕事が始まった。
 今月は特に忙しい月ではないので、部署内はいつもより落ち着いている。みんな自分の仕事をこなしつつ、中にはこっそりとネットゲームを楽しむ者もいれば、自分の恋人とメールのやり取りをする者もいた。
 僕は他の部署へ送る社内メールの内容を確認しながら、何となく2007のことを考えていた。
 メールの内容よりも、どうやって未来の世界から過去の世界へメールを送ったのか、その方法に興味がある。
 三年後の世界では、簡易型のタイムマシンでも開発された? それともH.G.ウェルズかアンシュタインが遺伝子操作で復活した? いずれにせよ、あまりに非現実的な話だ。
 しかし――
 2007に書かれた文章が本当の事で、三年後に大きな戦争が起こって人類が滅亡するのだとしたら、このメールの内容を信じなかった僕達は、悔やんでも悔やみきれない想いをすることになるだろう。
 現在の中東情勢を見ていても、あながち嘘とは思えない。僕は何となく不安になった。
 その時、デスクの電話がけたたましく鳴った。
 一瞬驚いて受話器を取ると、不機嫌そうな上司の声が耳に入った。
「社内メールをきちんと確認しているのか? 間違いが何箇所かあるぞ!」
「も、申し訳ありません! 再度確認してメールを送信し直します」
 僕が慌てて詫びるとと、上司は無言で電話を切った。
 僕は深く溜息をつき、2007のことを考えるのはやめて仕事に専念した。
 その時――
 何かが爆発したのだろうか。物凄い音が聞こえた。
 建物が大きく揺れ、耳鳴りがいつまでも止まない。
 窓から外を見ると、昼間なのに、まるで夕暮れ時の様に空が紅色に染まっている。
 皆が動揺していると、部署内の電気が突然消えた。非常電源も作動しない。
「何が起こったんだ!」
「消防署へ連絡しろ!」
「ダメだ! 電話がまったく通じない!」
 女の悲鳴と男の叫び声が、まるでサラウンドスピーカーの音声みたいに部署内を飛び交った。
「うわっ!」 
 強烈な閃光が走った瞬間、激しい衝撃を感じた。
 街全体があっという間に破壊され、人々は声を上げる間もなく蒸発してしまった。
 同僚の高橋や上司も跡形もなく吹き飛ばされてしまい、僕の体も一瞬にして消滅した。
(いったい何が起きたのだ? まさか……人類は自らを滅亡させてしまう様な、愚かな行為をしてしまったのか?)

「おい、いつまで寝てるんだよ。昼休みは終わりだぜ」
 誰かが僕を揺り起こした。
「う、うん」
 ゆっくりと目を開けると、死んだはずの高橋が目の前にいる。
「お前どうしたんだ……。そうか、今のは夢だったのか。良かった……」
 ホッと胸を撫で下ろすと、高橋が心配そうな表情で僕を気遣った。
「顔色が悪いぞ。産業医の所へ行って診てもらったらどうだ?」
「いや、大丈夫だ。心配かけてすまん。仕事に戻るよ」
 高橋は僕の肩をポンと軽く叩くと、
「無理するなよ」
 と言って、自分のデスクで仕事を始めた。
 それにしても恐ろしい夢だった。
 爆発の衝撃波で蒸発していく人々や崩れ落ちてゆく建物の光景が、まだ頭から離れない。
 僕は2007のメールを読み返し、送信者へ返答を求める文章を送った。

“2007年のA国政府関係者へ
 何故、このようなメールを個人に送信するのだ?
 緊急事態の概要を説明するならば、然るべき場所へメールを送るのが当然の考えだろう。それとも、そこで相手にされなかったから個人へメールを送ったのか?
 さらにもう一つ訊ねたいことがある。
 どうやって未来から過去へメールが送信出来たのだ? 三年後には、そういう技術が開発されるのか?
 以上の質問に対し、至急返答を求む。”

 しかし、所詮は無駄な行為に過ぎなかった。
 何日待っても、2007の送信者から返事が来ることはなかったのである。
 まさか2007年の世界は、僕が夢で見たのと同じく核攻撃で消滅してしまったのだろうか。
 その後、2007と書かれたメールは世界中に配信されていたことがわかった。 A国では特に大騒ぎになっており、テロを誘発する可能性があるとのことで、当局が2007を送信した者をつきとめる為に、捜査を開始した。

「日本が核攻撃を受けた夢を見たって?」
「そうなんだ。全てが焼き尽くされ、破壊されて……」
 僕と高橋は、仕事帰りにいつも行く定食屋で晩飯を食べていた。
 僕は自分が見た夢と2007の関連性を分析し、酒の力も借りて熱弁を振るった。
 高橋は僕の話を聞いてはいるものの、サッカーの試合結果の方が気になるみたいで、いい加減に頷きながらスポーツ新聞を読んでいる。
 僕があまりにクドクドと話すものだから、高橋は呆れた顔をしてこう言った。
「お前、仕事辞めてマジで小説家になれ」
「……」
 僕はもうそれ以上は何も語らず、肴のカラ揚げをボソボソと食べた。
 定食屋の片隅に置かれた古い十四型テレビの画面に、“緊迫、中東情勢。B国のテロリストの車両が攻撃された”という文字が映っている。
 だが、皆このニュースをそれほど気にしてはいないようだ。
 高橋はスポーツ欄を一通り読み終えると、今度は風俗情報欄を見ながらニヤニヤしていた。まったくノンキな奴だ。
「おい、見てみろや」
 定食屋のオヤジが鼻で笑いながら、テレビ画面を指差した。
「2007と名乗るメール送信者が、A国当局により逮捕されたとの情報が入ってきました。犯人は十八歳の高校生らしいとのこと……」
 アナウンサーは冷静な口調でニュース原稿を読み上げ、さらに詳しく情報を伝えた。
 それによると、犯人は世間を騒がせてやろうと悪戯のつもりで2007を世界中に送信したそうだ。2007に書かれた文章をまったく相手にしなかった者もいれば、僕みたいにもしかしたら……と思い込んでしまう者もいて、犯人はネットの掲示版等で、世界中の人々が論争しているのを見て楽しんでいたらしい。
 自分が退屈だからといって、悪戯をするためにでっち上げの情報を流すとは……。A国では犯人と同じ歳の若者が戦場で戦っているのに、その辛さや苦しさがわからないのだろうか。
「まったく、ふざけた奴だぜ」
 かなり酔っていたせいか、僕はシラフの時以上に感情的になっていた。
「ほら、しっかりしろ」
 高橋が僕の肩を支えながらレジで勘定を支払おうとした時、またニュース速報が飛び込んできた。
 テレビ画面の端に映った短い文章を読んで、僕と高橋は思わず自分達の目を疑った。

“A国要人、何者かに狙撃され死亡”

「こ、これはいったいどういう事だ? まさか2007は、本当に未来からの警告だったのか?」
 高橋が声を震わせながら、僕に訊ねた。
「いや違う。おそらく誰かが2007に書かれたことを本当に実行したんだ。A国要人の暗殺さ。犯人はそうすることによって未来が変わると信じているんだ。最悪の未来にな……」
 僕は背筋が寒くなり、今まで以上に大きな不安に駆られた。
 2007年の世界は、いったいどうなっているのだろうか。僕が夢で見たのと同じく、廃墟の世界と化してしまったのか。

「人間はそれほどバカじゃない」

 以前、何かの本で読んだこの言葉を、僕は信じ続けたい。

 了


© Rakuten Group, Inc.