東日本大震災のこと…2
長くなったので何日かに分けようと思ったのだけど私のことだからここで辞めたら次はいつになるか…一挙に書いてしまいます。 家族以外との生活に最初に耐えきれなくなったのは長男でした。一日ボランティアをしたあとに、家族分の食材を調達して自転車で1時間も山道を登って帰ってくる重労働…それらを見て「こんなものしかないのかぁ…」と言う親戚。被災地に暮らしていることが解らないのか・・・それ以上に長男を疲れさせたのは、二男の障害を理解しない、出来ない人たちとの生活でした。 平気で「どうせわかんないだろう」と投げつけられる言葉を二男の耳に届かないように間に入る長男。二男の代わりに気持ちを代弁しても「障害=なにもわからない、出来ない」の図式が出来ている人たちには、何も通じない。ついには「役立たず」と言った言葉に二男が「僕は役立たずなの?」と涙ぐんだ時長男の怒りは限界に達してしまったのでした。この期間は、日頃仲のよかった親子関係も危うくなりました。主人の実家の者たちは、主人の前では決して暴言は吐きません。だから主人にしてみれば、母親や兄弟たちは震災で家をなくした。大変な思いをして避難してきた身内たちになんでこんなに無愛想な態度を取るのだと、長男や、その長男を止めない私に腹を立てるようになって行きました。 以前から二男の障害を毛嫌いしているのは解っていてなるだけ実家の者たちと二男を近づけないようにしていたけれどまさかこんな非常事態の時に、二男を傷つけるようなことをするとは想像もできなかったのでしょう・・・やっぱり自分の親たちですから・・・ 他人同士より難しい問題だと思います。 主人の実家寄りの言葉に、私は「あなたの家族はだれ?」と問うてみました。「自分の母親や兄弟にいい格好したいのは解る。でも一番に守るべきなのは自分の家族、こどもたちなのではないの?」と!!…その意味を理解してくれる主人で本当よかった・・・そうでなければ、実家の人たちの引っ越しに主人も付けてやるところでした。。。(ー_ー)!! 現在は、何とか親子関係の修復も進んだようだけど、どこか、震災前と違う感じがするのは長男はもう守られるだけの子供では無くなったということなんでしょう。虚弱で身長も父親よりずっと小柄な長男はどこか父に対するコンプレックスがあったのですが今回のことで自信がついたようです。父親は決して追い越せない相手ではない…いつかは追いつけるのだと思うことができたのならこんな騒動も、今となればよかったのかな。。。 二男は震災後の数ヶ月、緊張のなかで必死に頑張っていたのだと思います。とても静かでした…。それがすでに異常でした。案の定、夏以降に反動が出て夜自分の部屋で寝ることが出来なくなりちょっとの揺れや物音にも不安を感じるようになりました。テレビのニュースなども見せたくないのですが未だこちらでは、1日に何度も震災関連の番組が流れます。見たくない、聞きたくない、思い出したくないこともいやでも目につくのです。二男にとっては今はリハビリの時なのでしょうか・・・それでも大きなパニックにもならず、頑張ってます。今年は学齢期最後の年。。。2年の終わりから変則的状況になり支援学校も遅れて新学期になったり、夏休みが短くなったり、生徒たちにとっては落ち着かない毎日でした。そんな中で、来年の卒業に向けて実習を繰り返し審査を受け・・・今は結果待ち。高等部に入学してあれほど問題児だった二男も随分大人になりました。震災は恐怖のトラウマも残したけれど状況によっては耐えなければいけないことも学んだのじゃないかと思います。時々爆発はしても、自分でコントロールする術を身につけ始めたように思います。 驚くほどの災害でした。なんども心が折れそうになりました。春、夏の頃の記憶がぼんやりしています。大きな被害合わなかったはずの私ですらそんな喪失感があります。家も家族も失くした方たちを思うといたたまれなく、胸が締め付けられます。だからこそ助かった命を大切にしなければ…一生懸命生きなければと思っています。たくさんの優しさとご支援に心から感謝しています。「だいじょうぶですか?」「無事でよかった!」そんな言葉がこんなに嬉しく励ましになるのだと初めて知りました。ありがとう・・・ありがとうございました。