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ロマンチック中年男の独り言 DVDレビュー、収集物、趣味全般、日々想うこと

2007年11月07日
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テーマ:学校生活(509)
カテゴリ:地元の思い出
高校時代は、恥ずかしいことだらけで、あまり書く気がしなかったのですが、同じ高校の方からコメント頂いて、ちょっと書いてみようかと思いました。

半田東高校という新設高校の1期生でした。当時の愛知県は千葉、広島(宮城かも)と並ぶ管理教育王国で、新設校で3Tと呼ばれた管理教育モデル校、東郷高校、天白高校、豊明高校を手本に、厳しい管理教育をするのが常でした(同じ市内の旧制中学から高校になった半田高校は、かなり自由な雰囲気がありました)。

半田東は3流高校だとずっと思っていましたが、最近見た愛知県の高校ランクではそこそこの位置にあり、偏差値も55程度だったと思います。多分後輩の方たちががんばったんですね(恥笑)。今はどうか知りませんが、ちなみに当時の愛知は全体に私立より公立のレベルが高く、私立受験はあくまでもスベリ止めでした。

ついでに言うと大学進学率も当時は県内進学が70%近かったように思います(あるいは隣県もあわせた数字かも)。人口規模に対して愛知県は大学数が多かったせいもあると思います。名古屋が田舎と言われるのは、こうした閉鎖性があると思います。

半田東ができたおかげで、私は高校進学ができたようなものです(家が極貧だったので中学卒業後は就職するつもりでしたが、半田東なら入れそうということになって、奨学金をもらって進学しました)。すでに市内に普通高校、農業高校、工業高校、商業高校の4校があったため、新設の普通高校は必要ないという意見もありましたが、半田高校のレベルが高すぎで市内の中学生が進学しにくいこともあり、地元に密着した普通高校として作られました。

しかし割食った生徒もおり、本来ならレベルの高い半田高校に進学するのが当たり前の優秀な生徒でも、市内の中学生は進路指導で強制的に半田東に入れられました。

さらにできた当時の1年生しかいない半田東は、校舎は半分しか完成しておらず、体育館もなく(体育館の4分の1程度の武道館が体育館代わりでした)、プールもなく、運動場は石ころだらけでした。おかげで年中どこかが工事中で、授業中は工事の音が響いているし、朝の朝礼では運動場の石拾いが通例でした。

そんなわけで体育でできることも限られてます(体育教師は当時の短距離記録で日本3位が自慢の教師でしたが、この人にはかなり殴られました)。

おまけに決して都会(いちおう人口10万の知多半島の中心都市ですが)とは言えない半田の中心部からかなりはずれた場所で、人家もまばらで田んぼや畑の方が多い、近くに商店もありません(2年目あたりに校門のそばに文房具店?ができました)。運動場の向こうは鴨池と呼ばれた池があり、丘側には牧場があり、自然が豊かという言い方もできますが、夏になると、牧場特有の臭いに閉口したモノです。

半田東高校 ウィキペディア

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最終更新日  2014年10月17日 22時56分03秒
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