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ロマンチック中年男の独り言 DVDレビュー、収集物、趣味全般、日々想うこと

2007年11月07日
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テーマ:学校生活(509)
カテゴリ:地元の思い出
半田東高校のこと(設立当時)の続きです。個人的なことで長文になってしまいました。余裕のある方はどうぞご覧ください。ノンフィクションです。

中学時代の成績は中の上あたりで、中2まで高校進学は考えていませんでした。しかし中3になって半田東が新設されるため、市内の中学生は強制的に半田東に入学させられることになって、私も進路指導で半田東に行くように言われました。貧乏で高校に行くなんて考えていなかったのですが、親(母子家庭でした)も高校進学を許してくれてうれしかったです。

3年の期末試験は成績が上がりました。それまでせいぜい300人中100番に入ればいい方だったのに30番くらいになりました。すでに内申は決まっているし、他の生徒は受験勉強に力を入れていためでしょうが、それまで定期試験の前に勉強したことがなく、はじめて試験勉強らしい勉強をしたおかげです。ただし英語だけは付け焼き刃の勉強が通用せず、よくありませんでした。英語の点が良ければ、もっと上位になったはずです。

コレである種の自信を付けたのが間違いでした。人生塞翁が馬というかあざなえる縄のごとしで、急に成績の上がった私を疑っていたのか、国語の授業で先生が執拗に私に質問します。ちょっと天狗になっていた私は、先生の質問にすらすらと答えましたが、先生は違うという、また別の答えを言っても、違う、それが何度か続いて、とうとう私は授業中泣き出しました(恥笑)。

この年頃の男子ならわりとありがちだと思いますが、国語なんて普段しゃべっている言葉を改めて勉強することはない、小説なんて作り事だと、国語に対してあまり肯定的ではありませんでした。この一件で国語の先生にトラウマができました(しかし結局大学の文学部に進学することになりましたが)。

高校に入学する前に、学校からクラスの希望を調査されました。理系の人間だと思ってましたが、理系/文系には丸を付けずに、どちらでもよいに丸を付けました。要するに何も考えていなかった訳です(恥笑)。

文系希望の男子はほとんどいなかったようで(愛知県の工業出荷額が日本一なのが関係してると思いますが)、どちらでもよいに丸をしたうかつモノは文系コースに入れられました(苦笑)。

おかげでクラスの45人の2/3が女子というクラスになりました。うらやましいと思うかもしれませんが、それはあの年頃の女子がグループになったときの猛威を知らないから言えることで、少数派の男子は窓側にまとめられ、常におとなしくしてました。

しかも入学してすぐ担任に呼ばれて、出席番号1番だから室長(学級委員をそう呼んでました)をやってくれと言われて、高校に入った高揚感で舞い上がっていた私は「ハイ」と答えてました(恥笑、世間知らずのおバカでした)。もちろん小中と学級委員の経験などありませんし、他に経験者はいたはずで、担任もとりあえず聞いてみただけだったと思います。

私は親がよく言う「やればできる子」の典型だったようで、普段はほんとにダメダメだったと思います(恥笑)。授業開始の号令もか細い声で、頼りない暗い少年だった思います。

授業中、男子がおとなしく聞いてるのに、女子はおしゃべりしなけりゃ死んじゃうとでも思っているのか、厳しい先生でなければ、地獄の釜のような騒ぎでした(大げさかも、苦笑)。

現国の厳しい先生(この授業は女子も静かでした)が女子に質問して、答えられないのを執拗に責めている時に、わざと反抗的な態度を取り、その教師の注意を引いて、生意気なこと言った(女子をいじめるなんて許せん、という子供っぽい正義感もありましたが、それ以上に中学時代のトラウマで国語教師に反感を持ってました)せいで、不良としてレッテルを貼られたようです(その教師が職員会議で問題にしていたことを担任が教えてくれました)。

あんなヤツを室長にしているから、あのクラスはやかましくて授業にならないと思われたようです。それから体育教師の体罰が始まりました。担任は室長を頼んだ負い目があるのか、私を何とか助けたいと思っていたようですが、私はかなり追いつめられました(体罰は是か非かを参照ください)。

窮鼠猫をかむではないですが、追いつめられた私は体育会系になりました(笑)。先生と話すときは直立不動の姿勢で、返事ははっきりと、号令も大声で、怒ったような顔を常にしていたかもしれません(そのころは真剣でしたが、結果として管理教育の典型的な生徒のフリをしてました)。急に態度を変えた私に警戒(殴られすぎて頭がおかしくなったと思われたかも、苦笑)したのか、女子も静かになりました(女子も体罰を受けており、私が体罰を受けてこんな風に行動した気持ちを理解してくれたと思います)。

それでその場は乗り切ることができて、「やればできる子」から普通のダメダメに戻りました(笑)が、それ以降頭のネジがゆるんだ(キレちゃったわけです)ようで、ちょっとおかしな行動を取るようになってました。

若い国語の先生に句読点のつけ方で注意されたとき、「おまえはトイレで尻を拭かんのか(文章の終わりは句点をちゃんと付けろの意味)」と問いつめられ、しばらく沈黙した後、生意気そうな笑みを浮かべて「大きい方なら」と答えたら、クラスが大爆笑しました。

若い女性教師(古文)の授業中、急に教室の前の戸から出て行きました。女性教師が血相を変えてその戸の前で立っています。ガラス越しに笑顔で廊下にあるロッカーから出した国語の辞書を見せると、またクラスは大爆笑。女性教師は戸を押さえて入れてくれないので、後ろの戸から自席に戻り、先生も授業を再開しました(辞書取りに行ってイイですかと聞けば済んだことですが、そのときの私は硬派で口数の少ない少年でした、恥笑)。

他にも(ウケ狙いの)ちょっと変な言動をするたびに教室は大爆笑でした。そう言うときは妙な間(ウケ狙いを考えている)があるので、笑う方も心の準備がしやすかったと思います(笑)。

普通に考えれば、大爆笑するようなコトじゃありませんが、教師とケンカした前科(?)のある私の突飛な行動で、「またケンカ」という緊張感を感じて、その後の間抜けな結果に安心して笑ったのだと思います(ダウンタウンの松本の笑いに通じるかも)。しかしケンカにならないように笑ってごまかそうとする優しい気持ちもあったのだと思います。

と言うのも私はクラスのヒーローになってました(カッコよくはないですが)。半年経って室長から解放されると、社長(シャチョー)とあだ名を付けられました。室長がなまってシャチョーなのと、そのころNHKの朝の連ドラ(「なっちゃんの写真館」だったと思います)をぎりぎりまで見てから、自転車でめいっぱい走って、いつも遅刻寸前(実際何度か遅刻してたと思います)だったので、「社長出勤」から来たのだと思います(私が渡り廊下のスノコを走る音でクラスから笑い声があがったこともありました)。

秘書3号までいましたが、それは女子が勝手に騒いでいただけで、硬派(笑、奥手とも言う)だった私は結局高校時代女子とつきあうことはありませんでした(今考えるとすごいもったいなかったかも)。

そんなお祭り騒ぎは1年の時だけで、騒ぎに懲りた私は2、3年は目立たないように行動し、全く平凡な高校生でした。勉強も適当で、現役の時に受かった大学も、担任から同志社を受けるなら滑り止めで受けろと強制された地元の三流大学だけでした。

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最終更新日  2014年10月17日 22時36分00秒
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