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リューリューママのチャレンジ・ザ・療育

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2008.11.09
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療育や治療をしてきて、つねに襲われるのが不安です。

「これをすれば息子は良くなるのか」
「どのくらい時間をかければ良くなるのか」
「何をすれば効果があるのか」

という最初の選択の不安。

次にそれらにとりかかっていく過程で

「これでいいのか」
「もっとやったほうがいいのか」
「他のやり方がいいのか」

という内容の不安。

最後に
「息子はどうなるんだろうか」
「自分で働けるんだろうか」
「一人で学校に行けるのだろうか」
「親が死んだあとどうなるんだろうか」

という将来の不安。

いつだって何かの拍子に親はそういう不安にとりつかれてしまうことがあります。

その不安を唯一消せると思ってしまうものが絶対的な何かです。
データだったり、わが子を正常域にまでたたき上げたという方のお話だったり、本だったり、機関だったりします。
というか、それらは絶対ではないのですが、親は何かがほしいものです。

やっぱり誰かに

「大丈夫、お宅のお子さんは絶対によくなる。なおる。成長する」

と自信もって言われたいものです。

私もABAを始めた当初は、ロバースのように40数時間やれば息子はよくなるかも…とかスーパーバイザーが大丈夫といえば、息子は大丈夫な症例かも…なんていうことにすがりたかったものです。


でも、所詮、ひとりの人間の言うことに絶対なんていうことはないのですし、言えるということは、他人の人生を保証し背負うことですから、生半可な覚悟では言えないはずです。

絶対ということであれば、あとは、神様でしょう。
こういう親御さんの少なからずが、神頼みということはよく聞く話です。

実際、絶対的な答えが見つかるのならば神様にお聞きしたいと思っても不思議ではありません。
今、自分がやっている療法で療育で
「それがよい。それで息子は伸びる、苦労はあっても、この子はしのいでいける。将来も健常児の中で明るく過ごし、独立して生き生きと生きていけるであろう」
とか
「今、行っている療育機関はよいところだ。」とか
「小学校は、○○がよい」とか。
具体的なことから漠然としたことまで的確な答えを頂ける。
そんなことを言ってもらえたら、どんなに安心して自信をもって育てていけることだろうか…とも思います。



青森の神様とよばれている木村藤子さんのところにいこうかと思ったことも正直あります。
(行った方を知っているものですから…)
でも答えが期待ハズレだった…とかこんな答えのはずじゃない…という声もききます。
それが答えなのに、自分が期待したとおりでないなら納得しない、やらない、というのであれば神の声を聞くということも無駄なんじゃないでしょうか。

神様が無駄なんじゃなくて、聞いたあげくやらないという人間の行為が無駄なんじゃないかと…

最近思うんです。

まず、答えありきではないと…
ましてや、聞くまでやらない、聞いてもやらない…では答えが100%あってても意味がないではないですか。



不安に思うから絶対的な何かから確かな答えをほしいと思う。
それを後ろ盾に頑張ることができる。
だけど、絶対的な答えは自分が希望しているとおりでないと困る。
じゃあ、自分の息子が健常にはとうてい及ばないと聞いてしまったら、何もしないのか…
希望しているとおりに子供が育つならやって、そうでないなら努力することはしないのか…

そうではないんだ。ということが息子を育ててきてすこ~し思うようになりました。

まず。やる。毎日やる。ひたすらやる。日々やる。
一日が無理なら、時間単位で、分単位で…
それで育っていく息子の形が全てであり、答えであるということ。
そしてそれを受け入れつつ、常により良い変容を求めていくこと。


リューリューとの生き方は当初、不安と絶対的なものへの彷徨で随分彼には苦労させました。
親の育児に対する核がぶれている上に独りよがりでしたから、ふりまわされてばかりの時期もあったと思います。
あれがいいと聞けばやってみて、合わなければやめる。
あそこがいいと聞けば、連れて行かれ、地理的に無理だとなるとやめる。よければ続ける…

とにかくあっという間に一日が目の前にきたと思ったら、スピード音をたてて後ろにすっとんでいく感覚がものすごくあって月日がたつのが恐怖でした。
過ぎ去っていく月日にリューリューの成長がどんどんおいてけぼりを食っているような日常が恐怖で、息子を必要以上に追い立ててしまったと後悔しているところもあります。

ただ、当時は早期に療育を開始すればかならず多大な成果があると期待過剰していたものですから、物理的な時間の過ぎていくスピードにおおらかに構えきれず、不安の塊で楽しい日常を息子に提供してあげられなかったのではないかと反省しています。


時間がどのくらい使えるかも確かに大事ですが、
それよりも、ある時間をどのように使うかが勝負だと思うようになってきました。

リューリューだけ48時間生きているわけにはいかないのですから、追いつけないなら、追いつけなくても、それでもみんなと笑い合って暮らせるような日常を用意してあげたいと思ったのです。
親子や息子だけが頑張ればなんとかなるならそうしたかったのですが、どうもそうもいかないようだということがわかりかけてきたこともあります。


知らない人がみたら、
この子こんな知的障害まだあるジャン?ってなレベルだし、
親ちゃんと療育してきたの~??って思われても仕方ないくらいの言語レベルだったりします。苦笑。

だからこそ、見えてきたこともありますし、そうである息子が療育に失敗したなんてことは思いません。


息子はここらへんの子供たちの中ではダントツに頑張っている子だと思っていますから、それでこの状態であっても、それはそれで彼の能力の性質だと思います。


子供とどう生きていくかの選択は今のところ親にあります。

親として、この子をどういう人間に育てたいか…
その核をまずしっかり作って、、その希望にむかって、何がたりなくてできるようにするにはどうしたらいいか、それこそ、何十年か、十何年か、何年か、単位でのスモールステップの始まりです…

今目の前の子供の障害をどうすればいいか。だけに目をとらわれず、この子が地域で自分で買い物をし料理をし、働きに出て、ひとりで暮らす。時には、ひとり旅をしたり、友達とスポーツしたり、兄弟と習い事にでかける。そんな青年になってほしい。

と夢見たとして。それなら、何が必要か。そのスキルのために今の歳から始められることは何か。
それが療育や治療もヒントにもなります。


今、私たち親子の日常が、オセロの黒がパーーーーーーーーーーーッと盤に広がった状態だったとしても、
何かのきっかけで、ひとつ白にかわり、またある日もう一つも白にかわると、何枚かが、まとめて白にひっくり返し続くように…。
そういう日常がいつくるかわからないけど、一枚もひっくりかえらないなんて人生は絶対にないと思うから…

息子の障害の症状が消えてしまえたら…限りなく薄まってくれたら、それはそれで素晴らしいことです。


でも、最近はそんなことより、一日、息子とどう過ごすか頭がいっぱいです。

だけど、親だって人間ですもの。
ストレスだってたまりますし、子供が手術や病気になって苦しんだり、危ないようなときは、もう祈るしかすべがありませんでしょう…
祈ることには力があると思います。
だから、親がよくなってほしい、できるようになってほしい、しゃべってほしいと強く強く願うことは子供にとって大きな力になっていると思います。

そのよすがが、神様と呼ばれるものであれ、
何か未知なる存在であれ、
宇宙であれ、、
御先祖様であれ、

聖なる何物かに、わが子の幸せや上達を願う気持ちは親であればあるほど強いものではないかと思います。

ましてや、障害や難病という宿命を背負って生まれたわが子のためであればあるほど、私は日々祈りたい気持ちになります。
私のような未熟な親のもとで、効率的最善な形で療育されず、わかりずらい育児や指導で苦労してくれている息子のために…
それでも、嫌って逃げたりせず、毎日ニコニコとつきあっている息子のために…

私は何物かに、どうかどうか…と祈らずにはいられません。

娘は、神仏に伺うような機会があれば、必ず「どうかリューリューちゃんの頭がよくなりますように…」と手をあわせてくれます。
登山をすれば山頂の養蚕の神様にも手をあわせます。
この前の浅草寺でも手をあわせて祈っています。
仏壇にも「リューリューちゃんの頭よくなりますように」と御先祖様に祈ってくれます。

リューリューが何かを言うたび、何かをするたび、娘が
「リューリューちゃんの頭良くなっている♪」と喜んでくれます。

私には、何ものにもかえがたい、これこそが、絶対的な評価で後ろだてのような気がしてなりません。


娘のこの言葉や祈ってくれる姿をみるたびに、本当に癒され、ああ、リューリューは本当によくなってきているんだ♪と思えます。


息子と私の人生は今、私が主導権を握っていますが、後々、
「ママ、もう僕のしたいようにさせてよ。僕に決めさせてよ」なんて言ってくれて、やってくれちゃうことを期待して…どうか…どうか…と祈る母でした。











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Last updated  2008.11.10 01:02:04
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