テーマ:韓国!(16895)
カテゴリ:韓国生活
義父は1999年の6月頃、亡くなった。 何で6月『頃』なんだ?義父の命日も覚えてないのか??というと、 命日の行事(韓国ではチェーサという)を陰暦でやっていて、 陰暦で4月30日、 陽暦では何月何日だったか覚えてないの。 1905年生まれの義父は数えで95歳まで生きて亡くなった。 田舎の自宅で、 だんだん食べられなくなり、 だんだん動けなくなって、 そのまま亡くなったそうだ。 病院にも運ばず、そのまま亡くなった。 当時の韓国の田舎はそんな感じだったらしい。 今は? もしかしたらそんなふうに家で亡くなったら、 「事件性があるかないか?」 とかいうことになってややこしくなるのだろうか? ほとんど、亡くなる間際には救急車を呼ぶようだ。 そして病院に着いたら、いろんな管がつけられる。 酸素チューブだとか、 栄養を送り込むチューブだとか。 1999年に義父が自宅で亡くなった時、 「なんで救急車を呼ばなかった?!?」 と騒ぐ家族は誰もいなかった。 みんな「大往生だった」と言った。 しばらく食べられないまま亡くなった義父は、 一回り、いや、二回りくらい小さくなっていた。 布団に寝かされた義父のところに、 死に装束というんでしょうか?韓国の場合は真っ白なパジチョゴリのような服でしたけど、 それを着せに業者の人がやってきて、 化けて出ないように?とかいう理由で何かで遺体をぐるぐる巻きにしてたような記憶がある。 葬儀も自宅でやった。 庭にござを敷き、テントを立てて、 近所の人にたくさん来てもらった。 料理も全部、嫁と近所の女性たちで作った。 当時は土葬はほとんどで、 小さく軽くなった義父は棺に入れられて 息子や孫たちに担がれて山に行って埋められた。 「アイゴー!アイゴー!」 と泣き真似をする「泣き女」が葬式にいた時代だった。 ホンの18年前なのに、今とは全然違うな。 テグに行った時、義兄たちと姑の葬儀やお墓などの話もしたけれど、 きっと病院で臨終を迎え、 病院に併設された葬儀場で、葬儀社の人を呼んで葬儀を行ない、 火葬するだろうと思う。 姑もそれを望んでいるようだし。 長年、不妊治療に通ってもダメで、2人目不妊に悩んでいたのに、 義父をあの世に送ったら1年も経たないうちに妊娠して、 みんなに 「シアボジ(義父)があの世から送ってくれたんだよ」 と言われた。 そして産まれたのがよしくん。^^ 愛国者だったという義父に似て、 とっても愛国者だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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