カテゴリ:しつけ
最近のキレる人々は「肥大した自己愛」のせいらしい。
何かのニュースでコメンテーターが言っていた気がします。
「肥大した自己愛」
なんだかとても恐ろしく醜悪なもののような気がします。 特に「肥大した」の部分。 「肥大した」ガチョウの肝臓→フォアグラですが、 肥大(ひだい、英:hypertrophy)とは、組織あるいは器官が通常の容積よりも大きさを増した状態。狭義の肥大では細胞数の増加を伴わず個々の細胞の容積の増大による組織や器官の容積の増大を示すが、細胞数の増加による組織や器官の容積の増大を意味する過形成と同時に起こることが多く、厳密に両者を区別することは困難である。労働性肥大、代償性肥大のように生理的な肥大と病的な肥大が存在する。肥満も肥大に含まれる。腫脹とは定義が違う。(出典;フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) 自己愛の肥大は病的に分類されることでしょう。 しかし、「自己愛」なんてみんな多かれ少なかれ持っていて、目に見えないもの。 それが「肥大する」ってどんな状態なんでしょうねぇ… やはり問題は「自己愛」のみの「肥大」であって、「自己愛」も何もかも「肥大」したら、ただの大きな愛の持ち主ですよね(笑) 要はバランスが悪いって事でしょうか?
自分だけを愛する。 他人は知らない。 家族も関係ない。 自分だけ。
でも、それってとっても悲しい生き方ですねぇ… だって、自己愛にドップリ浸かって満たされるなら、キレることは無いわけでしょう?
自分だけを愛しつつも何か満たされない、物足りない。 イライラする。 なんで誰も分かってくれないんだー!
ってキレちゃうのかな? 引用で申し訳ないけど、
人の心はどうしても何か足りないけれど そこんとこ埋めるべきなのは 恋人じゃない 親でもない ねぇ、 そうでしょう (by B'z)
青雪的には全賛成ではないけど、なにか物足りない時に唱える呪文のようなものでした。 「もともと足りないんだ。恋人や親に満たしてもらおうと思っても満たされないんだ」 って、納得してました。 (蛇足ですが、今は相方のお陰でずいぶん落ち着けましたけどf^^;) 自分の感情を受け流せるようになったらずいぶんと楽になった気がします。
「自己愛の肥大」は自分の感情を溜めに溜め込んで鬱積した結果なのでしょうか? それとも、情報や物質、親の関心など様々に溢れている社会で、消費生活を享楽的に甘受した結果、自己を管理することの出来ない人が感情の一部を肥大させ暴走しているのでしょうか? どちらにしても、バランスを失っていることだけは確かなようで。
感覚的に書き綴っているので、論理的根拠は全くありませんが、私の中の「自己愛の肥大」はこんなイメージでして。
えぇ、だからどうしたってことでは無いのです、はい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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