●中古を買うことは妥協か?
ある人曰く「中古マンションを買う人は妥協するんです」「もっと言えばマンションを買う人は本当は土地つきが欲しいんです」「それを妥協してるんです」私は中古マンション伝道師。妥協か?確かに中古よりは新築がいい。当然。「車は?」「持ってません。でも買うとしたら中古です」「何で?」「安いから」「みんな、お金があったら新築を買うんです。お金がないから妥協して中古を買うんです」ふ~~~ん。ちょッとしっくりこない。『妥協』と言う言葉に?(自問)なんかいやな感じがする。確かに新しいのと古いの。どっちがいい?と聞かれれば「新しいの」(でもアンティークでいいのがいっぱいあるけど、一般的に考えると)と答えることがおおい。物にもよる。=イコール=中古を買う人は新築を買えずに妥協しているにはならない。新築マンション5,000万円と中古マンション3,000万円を比べた時に私は中古を選ぶ。間違いなく。でもそれは妥協ではない。選択だ。結果として同じ結果でも妥協と選択は全然違う。車は?買うとしたら中古を買う。なぜ?無駄なのもには1円でも払いたくないから。車の価値=移動手段だから。私にとっては。(車好きなひとごめんなさい。)お金が有り余っていたら?(ここからは想像。有り余ってないから)やっぱり中古だ。新車を買えるお金があったら他の何か自分の為になることに使う。結局価値観の相違なのか。それだけ自分はマンションや車に対して価値観を感じていない。そうなのか。「マンションを通じてお客様の幸せ作りのお手伝いをしたい」なんていって不動産屋をやっているが実のところ、大して私はマンションに価値を見出していないのだ。そうなのか。そう。大事な価値は、家族がそこで楽しい思い出を作れること。だと思うからもともとそんな考えがあったのか?人生の1/4はマンションを買うために働く。そんなことがばかばかしいと思っているのだ。マンションのローンを払う為に、生きるのがいやでたまらないのだ。私の親は苦労して何十年も働き続けやっと60歳を超えて立派な家を作った。子供の目から言うのもなんだが大変立派な家。でも母は家ができて数年住んだだけで、あっちの世界に行ってしまった。何十年かけてやっと作った家に数年間しか住めなかった。でも家ができた時は大変喜んでいた。らしい。(私はあまり親とは仲良しではない。)兄弟からだいぶ後になって聞いた話なので「らしい」ということに。人生の総決算のように家つくりを考えそうした。親は。親子でありながら価値観が全然違う気がする。(どこか似ているところはある)私はマンションに限らず家を持つことに対して大そうな夢や希望はないのかもしれない。冷めているのか。冷めている。「たかが・・・」そんな考え。そうかもしれない。マンションなんてのは適当に住めればいいのだ。適当が・・・。ちょっとくらい古くたって、狭くたっていい。そんな考え。無理をしてマンションを持つくらいなら、いっそのこと一生賃貸暮らしでもいいと思う。自分の人生の意味はそんなところにはない。でも、気に入ったマンションを手に入れ、喜んでいる家族の顔を見ると本当によかったなあ。お手伝いできてよかったなあ。そう思う。そしてこのマンションで家族の楽しい思い出をいっぱい作ってね。心のそこから思う。マンションなんか適当でいいの。なんて思っている人間の感じ方としてはおかしいかな。偽善者か。本当の自分の心はどこにあるのだろう。最近何かの本で読んだ。車の評論家の徳大路何とかと言う人の話。この人もかなりの車大好き。偏執的なくらい。この人が言っていた。「車なんてのはそこそこがいいの」その言葉を思い出した。自分も同じなんていうつもりはないけど。「マンションなんてそこそこがいいの」こんなことを言うと反感を買いそうだが。私は特別に金持ちでもなんでもない。今までサラリーマンをしてきて独立して今は不動産屋を真面目にやっているだけ。だから住んでるマンションは普通。そんな人間のいうことがではないかも・。「マンションはそこそこがいい」なんて言葉は。今までしっくりこない「中古マンションを買うことは、妥協する事」について自分なりの考えでした。自分にとっての選択は、無駄なものにはお金はかけない。その1つが中古マンションを持つこと。これを読んでくれる人がもしいれば考えて欲しい。自分だったらどれを選択するか。なぜそれを選択するのか。ということを。誰に読まれるとも知れないこの場で自分の悩みを出すことで、すっきりしてしまうとはネットの世界もまんざらでもない。追伸<今日の日記は推敲なし>今の頭の中を思いつくままに文字に羅列しました。不愉快に感じるところあればお許しを。