☆ウィーン~ブダペスト初めての東欧への入り口。なぜブダペストへ?それは、ハンガリーがユーレイルパスの効く唯一の東欧だったから。 はじめてブダペストへ行ったのは、90年の8月なかば。 着いた時、ちょうどF1レース開催中で、 どこも混んでおり、宿探しに手間取った。 街並みは落ち着いた感じで、古い建物がたくさんある。 それらは造り自体がとても美しいのに、 ほこりにまみれているものが多くて、 キレイにすればすごく映えるのに勿体ないなという印象。 その前に訪れた東ベルリンに比べ、 品物は結構たくさん売られていた。 ブダペストのデパートに入ってみると、 田舎のデパートといったのどかな感じだった。 本がとても安い。衣料品も食事代くらいだ。 留学している人の話しでは、 学生は衣料品がタダだそうだ。 当時開店したてらしい、マクドナルドが大人気で、 店はいつ見ても、とっても混んでいた。 地下鉄駅へのエスカレーターの速度が速くてビックリ。 ライン川沿いの夜景がとても美しい。 さすが、ドナウの真珠と呼ばれるだけのことはある。 この時は友人Aちゃんと一緒の旅だった。 この時もウィーンからブダペストに入ったのだが、 その前はミュンヘンからウィーンへ夜行に乗った。 車中で出会った東ドイツ在住の、 ストルツェンハインさんという、お子さん連れの30代のご夫婦が、 「ブダペストが初めてなら案内してあげる」と言ってくれて、 たしかブダペストに着いた翌日、待ち合わせたのだ。 ご一家は丁寧に名所の案内をしてくれた。 私達は出発前はハンガリーに行くつもりはなく、 ガイドブックなども用意していなかったので、 こうして案内してもらえたのは、とてもありがたかった。 ご夫婦とも英語で話してくれたが、 橋の名前を説明するのに単語が思い浮かばなかったらしく、 「これよ、これ」 と自分のネックレスを指して教えてくれた。 あとで”くさり橋”という名前を知って、 ああ、なるほど、と、その時の、 小首をかしげたストルツェンハイン夫人の笑顔を、 なつかしく思い出したものだ。 (私達は首飾りの橋かと思っていた) ブダペストを発つ8月12日の記録があった。 日曜日なので礼拝に出ようと思うが、 言葉が全くわからないので、プロテスタントかとか、 バプテストかとか、そういうことも全く不明。 とりあえず近くにあった教会の礼拝に出席。 カソリックのミサだったようだ。 誰も聖書や賛美歌・聖歌の類も手にしていない。 神父さんのメッセージらしきものが終わり、 立って祈り献金をしたあとに、聖体拝受(?)の儀式があった。 集まっている人のうち約半数が前に出て、 小さなお煎餅のようなものを貰っていた。 40分くらいで終了。 カソリックの礼拝に出たのは初めてなので、 全く別の宗教のような印象を受けた。 しばらく聖書を読んで過ごす。 そののちAちゃんとドナウ川沿いに歩いて、 パーラメント(国会議事堂)を、見に行こうということになるが、 共に寝不足で調子が出ない。 小さな広場のベンチに座って休む。 隣の似顔絵描きの開業の様子や、 向かいのカフェの前にいるアコーディオン弾きの、 おじいさんのしゃべったり歌ったりする様子を見ながら、 日曜日ののんびりした雰囲気を楽しむ。 しばらくすると似顔絵描きのおじさんが話しかけてくる。 描きましょうか、と言っているようだったので、 ノーサンキューと断ったのだが、 お金はいらないよと言うので、モデルになる。 けっこう丁寧に描いてくれて、 またそれが宣伝にもなっているようだった。 大勢立ち止まって絵と私を交互に見るので、 なんか面映い。 アコーディオン弾きのおじいさんが、 向こうの方から私にポーズや表情の指示をするのがおかしい。 やがて私の絵を描き終えたおじさんがやって来て、 私の手にキスをしてくれた。 絵を見ると、似ているけれど、 ヨーロッパ風に美化されていて、唇とかが色っぽい。 記念になるし、タダでは悪いと思ったので値段を訊くと、 500フォリントだとのことで支払う。 Aちゃんが、似顔絵描きのおじさんの絵を描いていたので、 そこでまたアドレスの交換になる。 おじさんが今度はAちゃんの似顔絵を書いている間、 私はアコーディオン弾きのおじいさんのお相手をしていた。 そんなことをしているうちに列車の時間が迫り、 食事をして、地下鉄に乗る。 16時40分の列車に乗ってウィーンへ向かった。 ブダペスト3日目のこの日、 観光らしい観光はしなかったが、 とても楽しい時を過ごすことが出来た。 ---- これが12年半前の旅の思い出。 すごく以前のことなのだけれど、 記憶を辿ってみると、広場の雰囲気や、 出会った人々の温かさなどが、鮮やかに甦ってくる。 幸せな日曜日だった。 あの絵はどこに仕舞ったかな・・・? |