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雲の上はいつも蒼空

雲の上はいつも蒼空

★チェコスロバキア

この頃は、まだ、チェコとスロバキアが一緒だった。

ブラチスラヴァ(スロバキア)
プラハ(チェコ)

今度はブラティスラヴァへ向かいます。
現在はスロバキアの首都ですが、この頃は、
まだ、チェコとスロバキアが一緒でした。
92年10月15日(木)[101/150]

ブダペストは曇り。
プラハへ行くのに、ブラティスラヴァを経由していくことにした。
朝6:20に起き、8:45発の列車に乗る。
ブダペストから3時間ちょっとの車中。
車窓の景色を楽しむ。列車内は少々寒い。

林や野原や畑、
そしてどこか懐かしいような、小さな村を幾つも過ぎて、
列車は昼過ぎにブラティスラヴァに着いた。
やはり天気は今ひとつ。

駅で日本人男性の旅行者に会った。
言葉がわからないといって一緒に付いてくる。
田舎でどうしようもないみたいな文句を言っている。

私が地図を見ていると、
「自分は地図なんか買ったことがない」と自慢げ。
そのくせ磁石を持っている。(何に使うの?)
だんだん腹が立ってきた。

自分では何もしないで、
全部、何て言ってるんですか?なんて訊く。
そのくせ教えてあげても、当たり前の顔をしている。

CKM(学生相手のインフォメーション)で現地の人が、
「May I help you?」と言ってくれたので、
「ここの人ですって」と言ったら、
「信用しない方がいいですよ」だって!
全くどっちが!よね。あったまにきた。

早く離れたかったのだけど、
プライベートルームを紹介する所へもついて来た。
係の人が二人連れと思ってダブルルームを紹介してくれる。
やめて~!って感じ。シングルルームをお願いしますと、
再度頼んで探してもらう。

広くてセンターに近い部屋を彼がとったので、
私は駅に近くて狭い方の部屋に決め、さっさと単独行動に戻る。
あの様子だと色々大変そうだけど、皆苦労して一人旅しているのだから。

ブラティスラヴァ城へ。

ブラティスラヴァ城

四隅の塔が特徴らしい。わりあいさっぱりした建物。
小高い丘の上にあって、街が見渡せる。
ブラティスラヴァの坂道

ブラティスラヴァ街の眺め

一度宿に行って、荷物を置く。
少し休んで16時ごろからまた街へ。

ブダペストではそれほど思わなかったけれど、
ここは本当に異邦の地、東欧という感じがする。

店でも、ものを手にとって見るというより、
硝子ケースの前に並んで順番が来たら、
出してもらって見る。

スーパーもカゴが一つ開いたら、
その分一人入店できるというしくみ。

食品ブラ
パンは5~15円。
紅茶50~150円(写真はミントティーのティーバッグ)
缶詰25円~
ヨーグルト25円~

折りたたみ傘は1300円くらい。

薬学博物館の並びに土産物屋さんがあった。
皿など素朴でかわいいものが100円くらいから。
とうもろこしの皮の人形。他に白木のおもちゃ、
民族衣装、手織りの布、手編みのセーターなど。

陶器で出来た貯金箱もかわいい。
先が長くなければ、買いたい物がたくさんあったんだけど。

夕暮れの路地

路地②
夕暮れの路地が印象的。


夕食は地元の人で賑わう立ち食いの店に入ってみる。
豆のスープのようなものを食べる。
食べ終わって帰ろうとしたら、「ヨコハマ!」と、
声を掛けられた。
(私は背中にYOKOHAMAと書かれたパーカーを着ていたのだ)
振り向くと労働者風の男性。
自分の写真を撮って送ってくれと言うのだ。
おじさん
OK!と写真を撮り、書いてくれた住所に後で送った。
返事はなかったけれど、届いていればいいな。

19時過ぎに宿に帰り、シャワーを浴びて、
23時過ぎに休む。

明日はプラハへ。良い宿が見つかるといいな。

92年10月15日(木)[102/150]

①プラハへ向かう

6:20に起きる。
なんと、小学校時代の友人Yちゃんに会った夢を見た。
最近よく夢を見るなぁ。
今朝は少々起き辛い感じ。

前日の夜、室内は約20℃だったが、
朝起きると26℃で、暑いくらいになっていた。

泊まったプライベートルームから駅までは、
歩いて10分くらい。地図を買っておいて良かった。
たくさんの通勤の人に混じって歩く。

革ジャン、コートを着た人や、
中にはダウンジャケットを着た人もいる。
朝はもう息が白い。

東欧にいるのは心地良い。
どことなくわびさび、というか、
日本人の心のツボにハマる、
しっとりとした趣きがある感じなのだ。

列車が出る前に、駅でコーヒーを買う。
粉を入れて、お湯を注いでくれたので、
インスタントかなと思ったのだが、さにあらず、
豆を挽いた粉が入っているのだった!

すぐ口にしては粉をすするだけなので、
しばらく置いておいて、
粉が沈んだら上澄みを飲むようにする。
ちょっと粉っぽいが味はまあまあ。

9:13発の列車に乗る

昨日の列車内は寒かったが、
今日は暖房が効いていて暑いくらいだった。
プダペストのプライベートルームでも、
14日夜から暖房が入ったし、
ちょうど境目がこのくらいらしい。

トーマスクックの時刻表、
夏ダイヤは9月27日まで、ということになっているが、
それを過ぎてもけっこう使える。
私が取ったコースでは夏と殆んど同ダイヤだった。
基本的にはそう変わらないものなのか?

そういえば、チェコのビザも訪問予定日を、
2ヶ月近く過ぎても大丈夫だった。

チェコの鉄道は、トンネルの中では、
車内の電気も消えてしまい、真っ暗である。

11時、ブルノは雨。

昼食のおかずに、缶詰を開ける。
赤いラベルに肉を切っているところに、
玉ねぎ、にんにくが添えられている絵。

コーンビーフの様なかたまりが汁の中に入っている。
程よい塩味で美味しい。

車内の温度が高いせいか、
開ける時に、汁が吹き出してきた!
ビックリ仰天である。

見えてるところはあわてて拭いたが、
斜め向かいに座って眠っているおじさんの、
メガネに飛んだしずくは拭けなかった・・・。
起こすのも悪いし、起きたら謝ろうと思ったんだけど、
おじさんはその後もぐっすりと眠り続け、
結局謝ることは出来なかった。

私の、旅行中最大(?)の悪事である。
ゴメンネおじさん・・・。

15時少し前に、プラハ中央駅に到着する。

②プラハ中央駅にて

客引き君との攻防を経て、宿に落ち着くまで・・・。

列車から降りたとたん、プライベートルームの、
客引きの人が来てくれるかと期待していたのだけど、
ブダペストのようには行かなかった。

インフォメーションの窓口で探すか、と
両替所の前に行ったら、
20歳前後の男の子に声を掛けられた。

けっこうキレイな部屋の写真を見せて、
3つベッドがあるが、私一人で泊まれて、
20ドイツマルクだという。
値段は1600~1800円位で問題ないけど、
客引きが男の子だというのが気になった。
おばさんなら安心なんだけど・・・。

家族は何人?と訊くと、
僕と兄弟が一人の、二人だという。
男性二人のところじゃちょっと困るなぁ、
掃除の方も不安だし・・・、と断る。

すると横で聞いていた他の男の人が、
両替しないかとついて来た。
よそで替えるとコミッションが高いよ~
と言うのを断って、インフォメーションへ。

地図を貰い、プライベートルームに泊まりたいというと、
窓口のある場所を教えてくれた。
一泊いくらくらい?と訊くと平均700Kcsくらいだと言う。
え~!なんて高いんだ。

教えてくれた窓口へ行くと、さっきの男の子が来て、
部屋は見つかった?と訊くから、これからだと言って、
ドアを開けようとすると、もう終わったよと彼。
えー!まだ金曜の15時だっていうのに?
だからさ、他は高価いよ。うちなら地下鉄ですぐなんだから。
他のインフォメーションは遠いよ、宿なんてもっと遠いんだから。
と地図のとんでもない方を指す。

でも、私はCKM(ツェーカーエム=学生相手のインフォメーション)
が駅のすぐそばにあるのを知っていたから、
遠くないよ!と言うと、彼も負けずに遠いよ!という。
遠くないもん!バイバイ!と言って別れる。
勢いで荷物を背負ったまま駅を出てしまった。
宿探しには、荷物を預けてするのが原則なんだけどな。

時間がかかるとこの重さのせいで苦労したり、
妥協したりしがちなんだよね。
(真正バックパッカーなら、決してそんなことはないはず。
私が軟弱バックパッカーを自認する所以であります・汗)

どうかCKMが「歩き方」の地図通りの場所にありますように!
・・・と祈るような気持ちで行くと、
すぐに見つかってホッとした。
しゃっきりした小柄なおばさんに、宿を探していると言うと、
250Kcsで朝食つき、地下鉄でここから3駅のドミトリーだけどどう?
と張り紙を指した。
う~ん、4人部屋かぁ。快適なシングルを期待してたんだけどな。
キッチン使える?には、NO!

他には?と訊くと、こっちは160~180だけど、
丘の上にあるし、センターから遠いわよ。という。

・・・う~ん、250ならまあまあかなぁ。
と一泊くらい最初の宿に泊まってもいいかな、という気になる。
とりあえず落ち着いて、明日プライベートルームを探すか。
…と手続きをする。一泊目はここで払うのだそうだ。
250を支払ってレシートを貰う。

荷物を預かってもらって、大きい地図を買いに行って、
両替をする。銀行は4時で閉まるから急いだ方がいいよ、
と言われる。
行ってみるとやっぱり閉まっていて、張り紙は読めないので、
ポストオフィスで両替してもらう。

宿に行ってみると、
地下の窓のない部屋と、3Fの端の部屋とどちらがいい?
と訊かれたので3Fを選んだ。

部屋はツインでもう一人はいないみたい。

プラハの宿
極めて簡素だけど、別に悪くないじゃん。
これで朝食がついていれば安いよね。
・・・とすぐ連泊に心が動く私であった。

(続く)

この日はやけにメモがたくさんあって、
どうでもいいことも多いかもしれないのだけれど、
色々思い出して楽しいので、
また明日にも続けて書くことにしました。

街並み
プラハの街並み


③嬉しかったこと。

宿には、ひとまず満足。
連泊してもいいかも。昼間いてもいいみたいだし。
(YH形式のところは昼間はクローズされてしまうところもある)

コンセントを見ると、二つの差し込み穴だけではなく、
その下にこちら側に向かって一本金属の棒が突き出ている。
ブリュッセルやミラノの時みたいだ。
あれあれ、これでは私の湯沸し器が使えない。
(ドイツのデパートで買ったもの)
ブラティスラヴァでは大丈夫だったのにな。

近所にコンセントに合うプラグはないかと探しに出てみる。
山道具と幾つかの電器を売っている店に聞く、
ここではないがあそこならあるかも、と言われた方へ、
歩いてみる。
大きなスーパーや小さい食料品店を見つける。
割合大きな電器屋さんでもない、と言う。
(ここの人は英語が通じず、お客のおばさんが通訳してくれた)

また別の店を教えられて歩く、ケーキ屋さんもあるなぁ。
店はあった。あったけど閉まっている。
中に人はいるんだけど・・・ウィンドウを覗くと、
ソケットやらなにやら並んでいてここならありそうなのに。
しばらくいたが駄目そうなので、
(何人かの人が入ろうとしていたがいずれも諦めていた)
私も諦めて、買い物をして帰ることにする。

露天の八百屋とスーパーで野菜などの食料を買う。
宿に戻る途中、ふと、勘が働いて、道を左に曲がってみる。

と、やっぱり電器屋さんがあった!
閉店の18時まではまだ少し間がある。
入って訊くと、店員さんが、プラグはない、けど、
ここに穴を開ければいいんだよ。・・・と言う。

えーっ、そんなことして大丈夫なの???
彼らはこれだよ、とでっかい電動ドリルを指す。
2人がかりでさっそく穴あけに取り掛かってくれる。

内心心配だったけど、本職の人の言うことだし、
もし壊れたとしても、100日以上使ったんだから、
充分元は取れたよね、と開き直る。

・・・というより、信用してみたかったんだな。

彼らは真剣にしるしをつけ、ドリルを回す。
コンセントで試してみては少し位置をずらしたり、
太いドリルに替えたりして、奮闘してくれる。
削りかすにプラスチック片ではなく、金属片が見えた時は、
私もちょっとドキドキしたけど、
彼らが大丈夫だよ、というので、私も真剣に見ていた。

何度か試したのちに、OK、ほら、と言って触らせてくれた。
ホントだ、湯沸し部分が熱くなってる。電気が通じたんだ!

この時ってなかなか感動的だった。
彼らも嬉しそうにしている。

有難う!おいくらですか?と訊くと、
彼らは笑顔のまま、2人で何かしゃべっている。
しばらくして、It’s OK!と2人で口々に言う。
お金は要らないよ、と言っているのだ。

えーっ、こんなに手間と時間がかかったのに?
技術料と電気代だけでも相当掛かっているはずなのに?

なんて親切なんだろう・・・、と胸が熱くなった。

親切にしてくれた人には、
鶴を折ってプレゼントしたりするのだけれど、
とっさだったので、日本の記念切手を、
日本のゾンダーマルケンです。どうぞ!と渡したら、
2人ともありがとう、と嬉しそうな顔で受け取ってくれた。

何かとってもステキな思い出になった。
こういうのって嬉しいよね。
どこも観光しなくても、ちょっとした親切とか、
交わした笑顔とか・・・。
1日目でこの街がとっても好きになった。

部屋に帰って、さっそくお湯を沸かしてみた。
ホントに沸くかな?とドキドキ。
コンセントを押さえてなければ作動しないけど、
ちゃんとお湯が沸いた時には、とても嬉しかった。

よし、これで味噌汁を作ろう、と思って、
2袋目のあさげを開けた。
窓からは、美しいプラハの夜景が見える。
大きな充実感と達成感に浸りながら飲む、
味噌汁はとても美味しかった。なんという贅沢!

レセプションではお湯をくれると言うけれど、
好きなときに好きなだけ沸かせるこの自由は、
何物にも替えがたいよね。

ささやかなことのようだけど、
私にとっては大冒険をした気分だった。


この日買った食糧
買ったもの

露天で買ったピーマンはものすごく(劇的に)辛くて、
唇がしびれるほどだった。一口でリタイヤ。
電車の中で食べてるおばさん達を見たんだけど、
これと違う種類だったのかな?

レセプションにもしお好きなら、と持っていったら、
ヘンな顔をして断られた。失礼だったのかな?


☆★☆★☆

92年10月17日(土)[103/150]

プラハに着いた翌日。
よく眠って起きたのは8時頃。
食堂で朝食をとる。学生とおぼしき旅行客が多い。
ユースホステルの雰囲気である。居心地良好。

天気はあいにく、雨模様。

今日はまず市街の中心地、ヴァーツラフ広場へ行って、
街の様子を確かめた後、国立美術館へ行こうと思う。

10時前くらいに宿を出発し、
地下鉄でMustek駅へ。(uの上に小さなマルが付くんです!出し方解らず…スミマセン)

地下鉄の駅から地上に出ると、
もうそこがヴァーツラフ広場だった。
広い通りで繁華街といった感じ。賑わっている。
正面の坂の上に建つ国立博物館に向かって、大きな通りが伸びている。

道の両側には店が並んでいる。
建物はそれぞれに美しい。
本屋やデパートなどに入ってみる。
2階の婦人衣料品売り場の様子を見る。
品物は豊富だ。結構色々な品が売られている。
雰囲気は庶民的で、ダイエーやイトーヨーカドーといった趣である。

値段をいくつか見る。東欧圏は一般に物価が安いが、
ものによっていろいろなので様子を確かめてみた。

ラムウールのセーターが3千円ちょっと。
スーツは1万3千円くらい。
トレーナーは1,300円程度、
キルティングのコートが1万2千円~2万4千円。
オーバーが2万5千円くらい。
ジーンズが2千円ちょっとから1万3千円程度と幅がある。

食料品や宿泊費などの物価の安さを思えば、
衣料品は高めの印象である。高価なのは輸入品なのかな?

サイズは大きくて、あまり着たいものはない。

寒くなってきたので、ジーンズの下に穿くのにタイツを購入。
タイツは安くて160円ほどだった。

スープとビーフグラーシュの昼ごはんを食べる。
その後、国立美術館へ。

この時のことは、昨年の8月、プラハに洪水があったと報じられた時、
すでに書いていたので、小さい字で再録します。

洪水に呑み込まれたプラハの街の映像をTVで見た。
大好きな街だったので、とても、かなしかった...。

東欧は、味わい深い街が多い。
西欧の街に比べると、なんていうんだろう、わびさびがあるような...。
美しい中にも、秘めた悲しさや切なさがあるように思う。
そして、なんともいえない懐かしい素朴さがそこここに残っている。

人々はとてもフレンドリーで親切である。

通りすがりの人なのだけれど、私には大切な思い出がある。

92年にプラハを訪れた時、
私は国立美術館に行くことをとても楽しみにしていた。
地図を見て、大体の位置を確かめて、
地下鉄の最寄り駅とおぼしき駅で降りた。
きっと駅のすぐそばにあるか、歩くにしても、何か目立つ表示があるだろうと思ったのだ。

その日はあいにくかなり本降りの雨。
10月半ばのチェコは私にとって冬の感覚、寒さが身に沁みた。
(5℃くらいとメモにあるがこれは客観的な数字なのか?)

地上に出てみる。

想像していたような表通りではなく、静かな裏通りの印象。
ナショナルギャラリーへの案内板などもなく、
通りの名前の表示(ヨーロッパの街にはたいがいある)も見つからない。
地図は持っていたが、これでは、どちらへ向かって行ってよいか、さっぱりわからない。

人に訊こうにも、人っ子一人歩いていない。
手がかりを探して、雨の中しばらく周辺を歩き回った。

ようやく、一人の、年配の女性の姿を見つけ、
これ幸いと、ナショナルギャラリーの場所を尋ねた。
彼女は、私も同じ方向に行くから一緒に行きましょうと言ってくれた。

坂道を上がった先に、目的の場所はあるらしかった。
並んで歩きながら、ブルガリア出身でプラハに住むというその女性は、
ぽつぽつと自分の話しをしてくれた。

会話はドイツ語。
(私はごく初心者だったが、勉強してまもなくだったので聞き取れた)

驚いたことに、10日前にご主人が亡くなって、教会に花を持っていくところだそうだ。
(改めて見ると彼女は黒い帽子と黒いコートを身につけていた。)
頭の病気で、10分間で亡くなったというから、脳溢血か何かだったのだろうか?

ひとり娘さんがいらして、今日はその娘さんの結婚式なのだけれど、
私はそこへは行かず、教会に行くのだ、という。

私は彼女の言葉に耳を傾けながら、
えっ、えっ、マイネンマンって夫ってことだよね。
ホッホツァイトは確か、結婚式だよね...。え~~っ!
こんな話を初対面の私にしちゃっていいの?
...と心底驚いた。

何という大変な日にある人と出会ってしまったことだろう。
それでも、彼女は静かな調子でごく穏やかに話してくれたし、
わが身の不幸を嘆くといった感じではなかった。

坂道を登りきると王宮があった。ナショナルギャラリーはこの中だと、彼女は教えてくれた。
(あとで知ったのだがナショナルギャラリーは市内にいくつもあるのだった)

別れ際に彼女は笑顔を見せて、
「プラハを楽しんでね」と言ってくれた。
私は何か言いたかったが、
悲しいことにドイツ語で自分の気持ちを表現できなかったので、
心からのお礼を言い、彼女と別れた。

このときの光景―雨の中の坂道や、暗がりから次第に明るくなっていく様子(雨は次第にやんだ)。
はじめて会った人と歩きながら何故か心やすらいでいた自分。

時が過ぎても、この日のことが、幾度となく鮮やかに思い出される。

彼女はきっと美しい生き方をしている人だ、と私は思った。
そんな大変な境涯にあって、
見知らぬ旅人の私に親切にしてくれ、旅を楽しんでね、とまで言ってくれた。

願わくば彼女が今も健在であり、今回の洪水の被害にあっていませんように...。

( 92年10月17日(土)[103/150])2002年8月17日記



さて、彼女と別れた後、
私は旧王宮へ、その後イジー修道院のギャラリーで、
14~16世紀の作品の数々をゆっくりと鑑賞した。

カトリックの聖人の像が多かった。
皆、自分の功績を象徴する品物を持っていたりする。
この由来がわかったら面白いだろうなと思う。

宿の最寄地下鉄駅のそばにあったチャイナレストランで夕食をとる。

20時ごろ宿に戻る。


◆プラハとブダペストの切符自動販売機(と物価の話)


92年当時のことなので、今もそうかどうかは?
もし最新の事情を知っている方がいたら、
ぜひ、教えて下さいね!

★両方とも、おつりを出さない仕組みになっていました!

ブダペスト

18フォリント(約33円)の切符を買うのに、
18ちょうどか、18の倍数のお金を入れないと、
切符が出てこないシステム。
細かいお金がないとちょっと困るよね。
払い戻し用ボタンを押すと、ちゃんと戻って来て、
ホッとする。

最初に1800という表示が出て、
1フォリント入れると1700に、
更に10フォリント入れると700…というように、
残り金額が表示されていくようになっている。

残額が0になった時に、切符が出てくる。

前にも書いたが、地下鉄駅へのエスカレーターは、
やたら速度が早い。ちょっと怖い感じがします。
現地情報に詳しいviafmさんによると、
ソ連を真似して作られたからだそうです。

ソ連のエスカレーターも早いのね…。


プラハ

Mustek駅で。
4kcs(約18.4円)の切符を買うのに、5kcsを入れてみたら、
返答は何もなし。ここまではブダと同じ。
ところが、返却ボタンを押してもコインが帰って来ない!
続いて2kcsコインを二つ入れると、
何事もなかったかのように、切符が一枚出てきた。

あの5kcsは全く無視されてしまったのだった…。
  
   
   
これまでの日記にあわせて、
毎日の出費メモを見ると、またとっても面白いです。
ブダペストとかプラハとかでは物価が安いので、
1日2千円から4千円で、滞在できていました。

西側の国では大体5千円から7千円というところ?
北欧はとっても物価が高いので、
5千円から8千円くらいで、
ちょっと何かあるとすぐ1万を越えていました。

ヘルシンキでカメラの電池を買ったら、
なんと4692円もして、ぶっ飛んだ覚えがあります。

今はどうなのでしょうね?だいぶレートも変わったと思いますが。
西欧はユーロになって、全体の物価が上がったと聞きます。

最近の物価などをご存知の方、ぜひ教えて下さいね!


92年10月18日(日)[104/150]

プラハの人はきっとものすごく音楽好きなのだろう。
ジャンルで言えば圧倒的にクラッシック。

街角で楽器を演奏している、
ストリートミュージシャンも多いし、
(音楽専攻の学生が多いのかな?)
人々は皆熱心に聞き入っている。

街を歩いていると至る所に、
コンサートのビラが貼ってある。

教会や小さなホールなど毎日どこかしらで、
小さな音楽会が開かれている。
無料のものもたくさんある。

特に目についたのは、
『四季』で有名なヴィヴァルディの名前。
プラハの人はよほど、
ヴィヴァルディが好きなのだろうか?

夜、古楽器のコンサートへ行くことにした。
(情報誌で見つけた)

日曜日なので、午前中はいつものように礼拝へ。
この日は宿のある地下鉄駅JIRIHO Z PODEBARD
(最初のRとEの上にvが、Iの上に´が付きます。出せない~泣)
のすぐ脇にある、超近代的な建物の教会へ行ってみる。

プラハで行った教会
とっても大きな教会!

やっぱり言葉は全くわからなかった。

昼過ぎからプラハ城へ、黄金小路が面白い。
可愛らしい小さな家がひしめき合うように建っていて、
どれも個性豊かなお土産やさんになっている。

カフカが執筆に励んだ青い色の家もあって、
皆その前で写真を撮っていた。
カフカってチェコの人だったのね。
あの感覚はとても不思議な感じがしたものだけれど。

お城から坂を下って、
下にあるナショナルギャラリーで、エゴン・シーレ展を見る。

デッサンから何から、とにかくたくさんの作品があった。
たっぷり3時間くらい見る。

ところで、昔からアルフォンス・ミュシャの、
華麗な絵に憧れていて、プラハの出身だと聞いたので、
きっとプラハに来れば生絵に出会えるだろうと思っていたのだが、
あちこち見て回っても全然出会えない。
(教会のステンドグラスでミュシャの連作のすごいのを見たが、
あれはなんという教会だったろうか??思い出せない)


何故?どうして?
美術館の人にミュシャの絵を見せて
「この人の絵はどこで見られるの?」と訊いてみるが、
「その人の絵は見られない」と言うばかり。

悲しかったので本屋さんでミュシャの画集を買う。

今になってわかった。
ミュシャ(チェコではムハと言う)の作品は、
家族によって保管され、一般公開されてなかったのだそうだ。
98年にムハ美術館がプラハにオープンし、
今では見ることが出来るらしい。www.mucha.cz
(うわぁ~見たいっ!)

夕飯はマラーストラナ地区のレストランに入る。
(失敗!とメモにある。不味かったのかな?)

さて20時からは古楽器のコンサート。
早めに行って、調律するところから見ていた。
会場は豪華な建物。

期待通り聴き応えのある、すてきなコンサートだった。

古楽器のコンサート
初めて見る不思議な楽器がたくさん出てきた。

チケット
コンサートのチケット。

終了は21時半。夜遅いが、治安に不安を全く感じないので、
ウキウキと宿に帰る。

この日は追加して同じ宿に連泊することにしたので、
これまでの52号室から25号室に移動。

11時頃から持参のラジオで日本の短波放送を聞いてみる。

何とか聞こえたが、日本の今が知りたいのに、
なんだか興味の持てない内容だった。
特に大事件とか大災害は起こっていない様子だからいいか。


92年10月19日(月)[105/150]プラハ4日目、晴れ

朝洗濯をする。
洗濯機はないので、漬け置き&手洗いで長袖Tシャツなどを洗う。

大物は絞りがポイントである。出来るだけ絞っておいて、
バスタオルの上に広げ、バスタオルごとくるくる丸める。
そしてそれを思い切り捩って水分をバスタオルに移すのだ。

結構荒っぽいのだが、出て来る時そういうことも考えて、
Tシャツ類は品物のいいものを選んだので、
型崩れなどのトラブルはなかった。

バスタオルは薄手のものがいい。
厚手だと今度はバスタオルが乾きにくくなっちゃうからね。
持ち運びにも薄手のタオルはコンパクトに畳めて便利。

暖房が効いているので、さほど乾きに不安はない。

干して早速街へ出かける。

地下鉄で旧市街広場へ。
街の雰囲気を楽しみながら、本屋やレコード屋を見て歩く。

昼からは歩いて北側のユダヤ人地区へ。
たくさんのシナゴーグ(ユダヤ教の教会)があり、
中にユダヤ民族の歴史の展示がされていたりする。

二階建てのシナゴーグに入っていくと、
子供達の絵が展示されていた。ナチスの迫害に遭い、
収容所などにいた子供達の描いたものだ。

遊びの様子や不便な生活の様子が分る。
彼らの多くはそこで亡くなったのだろう。
幼い絵の数々に胸が痛む。

シナゴーグの裏手に、びっしりと並ぶユダヤ人の墓も見た。
異邦の地で暮らし、死んでいった多くのユダヤ人たち。
簡素な墓石はもちろん何も語らないが、そこの空気は、
彼らの苦難の歴史を含んで、ずっしり重く澱んでいるように思えた。

ユダヤ人地区を一通り歩いて、旧市庁舎広場へ。

ちょうど16時に天文時計のショーを見る。
天文時計はそれ自体とても美しいものだが、
毎正時にはカラクリが働いて十二使徒の像が小窓に次々に現れるのを、
見ることが出来る。

皆それを心得ていて、
正時が近くなると、観光客などが天文時計のそばに集まってくる。
大勢に混じって時計を見上げ、カラクリの動きを楽しんだ。

旧市街広場はいつ行っても人が大勢いて、ちょっとしたお祭り気分。
焼き栗売りや、鍛冶のパフォーマンスが行われていたり、
色んなストリートミュージシャンの演奏が聞けたりして飽きない。

昨日行った古楽器のコンサート、連日の切符を買ってあって、
今日は17時から違った会場で、また違う楽器の演奏が行われた。

コンサートの後、近くのカレル橋を歩く。
ここもいつも観光客で賑わっている。

フランス留学中の日本人女性二人組に会い、
一緒にお茶を飲んで話す。

20時からはドン・ジョバンニの舞台を見る。

街の中にドン・ジョバンニの張り紙がやたら多いので、
その中の一つを選んで、チケットを買ったのだが、
私が見たのは人形劇だった。

後で知ったところによるとドン・ジョバンニは、
モーツアルトがこの地に滞在中に書いた作品で、
プラハ市民に親しまれているということだ。

21時半頃に劇が終わり、22時近くなって宿に戻る。

これまで、夜には殆んど出歩いたりしなかったのだが、
プラハに来てから、箍が外れてしまったみたいだ。
本当に治安が良く、夜一人で出歩いても、全く不安を感じなかったのだ。
そういう意味でもプラハは本当に居心地が良かった。

シャワーを浴び、トレーナーを洗濯して、23時半ごろ寝る。

92年10月20日(火)[106/150]プラハ5日目、晴れ

10時前から街に出て、本屋などを見て歩く。

昨日出会ったフランス在住の日本女性Oさん、Nさんと、
会う約束をしていたので、マクドナルドで会って話す。
彼女達はブザンソンに住んでいるそうだ。

しばらく話して、一緒にKRONEデパートなどを見て、
またお茶をして14時過ぎに別れる。

15時からニコラス教会でのコンサート。
ヴァイオリンとチェロの演奏だった。
響きの美しさに驚く。大体一時間くらいの演奏だったが、
アンコールもなく、あっさり終わった。
私個人としては、ブラボー!もっと演奏して!って、
言いたい気持ちだったんだけど。

素敵な演奏を聴いて、心が満ち足りている。
プラハは本当にいいところ!
これまでで最高かも。

夕暮れのカレル橋の景色に感動。
明日は久し振りにスケッチをしたいなぁ。

最近勘が働くことが多い。旅で鍛えられたかな?

宿に帰る途中で、クリスチャンブックショップを見つけた。
(通り過ぎてから、ふと気になり戻って店内に入って分った)
小さいけれども、普通の書店とは違って暖かい感じ。
十字架のついた本やクリスマスカードなどが多く置いてあった。
狭い店内に結構多くの人がいて、皆熱心に見ている。

日本ではライフセンターなどのキリスト教書店は、
大都市の街中にあるのが普通だけれど、
ここでは繁華街でもないごく普通の場所にあって、
賑わっているのは、生活に溶け込んでいるんだなあと思った。

さすがに野菜不足の感があるので、
スーパーで野菜などを買って、
18時過ぎに宿に戻り、部屋で食べた。
宿自体はとてもいいのだが、キッチンを使えないのは厳しい。

明日したいこと。

1.ポズナニまでの切符を買う。(チェドック)
2.両替。
3.本を買う。
4.買った本やもういらない荷物を日本に送る。
5.髪を切る。(前回はロンドンで9月11日に切った)

けっこうすること多いのね…。
20時からはバロックオーケストラのコンサートがあるし。

あんまりチェコ料理を食べていないので、
明日はお昼にそれらしいレストランに入ってみることにしよう。


92年10月21日(水)[107/150]曇り時々雨/晴れ

8時頃起き、朝食をとる。

街へ出て両替のため銀行へ行き、
チェドック(旅行会社)でポーランド行きの切符をとる。
プラハ中央駅22日19時発のポズナニ行き。
クシェット(寝台)を予約。

大好きなプラハとももう明日でお別れ。

さて、懸案の髪の毛カット。
この前切ったのが9月11日、ロンドンでのことだから、
もう結構うっとうしい。

髪型はショートにしている。
洗うのも楽だしセットも手入れも要らず旅にはいいのだ。
でも、こまめにカットしないとだらしない感じになる。
逆に言えば、カットしてさえいれば結構きちんと見えるのが、
とても便利で気に入っている。

長旅で身なりがくたびれ切った感じになるのは私は嫌いだ。
いかにも長旅って感じに垢じみたくはないのだ。
洗濯もこまめにして、髪や化粧(超簡単だが)もちゃんとしてると、
あまり長旅に見られない。

ショートはカットする人によってイメージがだいぶ違う。
おかっぱっぽいと何だかダサいし、短かすぎも変だし、
垢抜けるようきちんと切って貰いたいが、
それはもう腕次第なのだ。初めてのところでは賭けである。
(ロンドンでは結構短め!カットだった)

カンでここ!と決めた美容院に入って、カットしてもらう。
カットとセット、シャンプーで88kcsだった。

出来はまあまあ?切って気持ちもさっぱりした。

その後本屋に行って、欲しかった本をまとめて買う。
ミュシャの画集、クリムトの画集も買った。
日本でもありそうなんだけれど…、
クリムトはチューリヒ美術館で見て、すっごく感動したのに、
図録が買えなくて心残りだったし、期待していたミュシャの自筆が見られず、
とても残念だったので、どうしても欲しかったのだ。

その後、郵便局で要らない荷物や買ったばかりの本などを家へ送る。
結構手続きに時間がかかった。

15時過ぎ頃宿に戻り、昼食兼夕食をとる。

その後街に出てちょっと迷ってしまう。

郵便局でテレフォンカードを買い、ヴェローナのYHで会った、
ポズナニ在住のアンナさんに電話をする。
彼女はポーランドに来るならぜひ家に来てね。と言ってくれていたのだ。
ご本人がいらっしゃって良かった。
ポズナニ駅からの行き方を教えてくれたのでメモする。

20時からはバロックオーケストラのコンサート。
もうもう、ものすごく素敵だった♪

22時過ぎに終了し、半過ぎに宿に戻る。

シャワーやら何やらで、24時ごろ就寝。


92年10月22日(木)[108/150]プラハ最終日曇り時々雨、晴れ

7時頃起き、9時頃チェックアウト。
清算を済ませ、夕方まで荷物を預かってもらうように頼み、宿を出る。

地下鉄で街に出て、マラーストラナからナロドニ通りまで歩く。

途中入った教会で、とても美しい幼児の像を見る。
お土産売り場の人に「これはイエス様?」と訊くと、
「そうだ、そうだ」と言っていた。

子供時代の像というのは初めてで、とても珍しい気がする。
カソリックの教義を知らないのだが、カソリック教会ではイエス様より、
マリアさんや聖人達の方が、重んじられているような印象がある。

この像は有名なものらしい。絵葉書を買った。

13時頃レストランで昼食。
スープ、グラーシュ、パン等で112kcs。

15時頃、日本の母へ電話。
その後、お茶、また本屋で買い物、絵ハガキ書き。


17時頃、宿に預けておいた荷物を取りに行く。
18時頃、中央駅に着く。
19時頃、ポーランドへの列車が発車。


本当にプラハは最高の街だった。

当初予定していたターボルや郊外の街には行かなかったが、
ゆっくりとひとところに滞在して旅の疲れを癒せたし、
良い季節の中で美しい街並みや、たくさんのコンサートや美術館など、
さまざまなものを見て、聴いて、感じ、楽しむことができた。
人との出会い、心温まる交流もあった。(これが満足度高し)

悲しさや切なさも秘めた歴史があり、その香りが今に残り、
侘び寂びに似たしっとりとした情緒がある。
日本人にはとても安心感があり、親しみやすい街だと思う。

ブダペストも良い街だと思ったが、
プラハに較べるとごちゃごちゃ感があり、潤いに欠けた気がする。

ブダペストは古い地名(通り名)が地図上にあって、
自分がどこにいるのか、なかなかつかむことが出来なかった。

プラハは街歩きのしやすさも、ポイント高い。
地図や情報がしっかりしているということは、旅行者にとって大切。
私の場合初めに日本語の観光ガイドブックを買ったのは正解。

この7日間は本当に幸福だった。

一押しはプラハに決定!って感じかな。
きっとまた来よう。


…感慨に浸っていると、
クシェットが同室の若いポーランド人男性に話しかけられる。
ヤヌシュさんと名乗る彼は、原子力関係のお仕事で、
プラハには、カンファランスのため一週間滞在していたそうだ。

ポズナニの知り合いを訪ねるという話をすると、
乗車するべきトラムストップのことや、両替所、切符売り場、
荷物預けのことなどをいろいろと教えてくれた。

新しい街に到着する時は、いつもそれらの事をつかむのに、
駅のインフォメーションに行って地図を貰ったり、
わからなくてまごまごして、時間を取るものなのだが、
前もって親切丁寧に教えてもらえたことが心強かった。

22時頃、寝台に横になるが、なかなか寝付かれず。

長いこと列車に揺られながら、今通っている見知らぬ地のことを思った。






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