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アピログ(ジムニーから食べ物までアピオ社長のつれづれブログ)

2008.09.24
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チボリ公園駅より

▲倉敷駅北口より観た倉敷チボリ公園

私が生まれ育った街、倉敷。
どちらのご出身ですか?と聞かれて、
「倉敷です」と答えると
その多くは、「いところですね~」という答えが90%は返ってくる
一度だけ行った事があるという人が多く、
倉敷の中でも象徴的なランドマークが美観地区と呼ぶ江戸時代の
倉敷川沿いにある大原孫三郎が造った大原美術館である。

この大原孫三郎さんは実に偉大な方でその偉大なる軌跡は
昨年亡くなった城山三郎さんの名著
わしの眼は十年先が見えるー大原孫三郎の生涯

で知ることができる。
ここ数年「10年後を後悔しない」を謳っているアピオとしては
10年という単位が目にとまりすぐに読んだ。
バブル期にやれ企業メセナだと安易に騒いだ現代人に、企業文化の本当の意味と
経営の本質や核を学ぶという意味で大いに感銘を受けた。
大原孫三郎の偉業は数知れないが、大原美術館と並んで社会に貢献したのが
倉敷中央病院。
少し前に台湾の李登輝首相が心臓病の治療のために日本にやってきた病院が
この大原孫三郎が建立した倉敷中央病院である。
この本を読んだ直後にイタク感動した私は、同じ倉敷出身でシャープ(株)の
社長に就任したばかりの片山社長に、贈ろうと思っていたがなかなかその機会が
なく少し前にやっとシャープ時代の上司を通じて謹呈したところ
「とっくに読んだ。そしてわしの目には50年先が見える。」という力強いお言葉だったとか。

社長のお仕事は今日の仕事ではなく3年先、5年先の仕事をすることだと言うが、
流石にシャープぐらいの大企業では50年先とかを見通す力と先行投資が必用なのでしょう。
流石でありますねえ。
アピオはそのコンセプト通り10年先を考えています。

話がそれたが今回の一泊帰省はいつもの楽天トラベルではなく近くの日本旅行の代理店に
置いてあったおいでんせえ倉敷という旅商品を購入。
これは驚くべきお得なパックで、倉敷でのホテル宿泊料金も含みつつ新幹線のぞみの往復料金を
足した合計金額よりも宿泊までついていて大幅にう安いというもの。
今回は日航倉敷が満室だったためアイビースクエアに宿泊。
アイビースクエアは子供の頃から散々遊んだ場所だし、知っているつもりだったが
まさか宿泊する機会なんて今までなく初めて全貌が明らかになった(おおげさか?)
宿泊商品には様々な特典があり、倉敷紡績記念館の券もあったので見学。

やっとここで画像とリンクする内容になるが
上の画像・倉敷駅北口より観た倉敷チボリ公園はこの旧倉敷紡績倉敷工場跡地に開園した公園。
デンマークのコペンハーゲンにある世界最古のテーマパークでアンデルセンが良く訪れたという「チボリ公園」の
日本版という事しか知らなかったが、なんと今年12月31日でグランドフィナーレで閉園になるという。

少し前のアピログで、せっかく造った施設が次々と閉園になり
名古屋イタリア村に至っては、数年の閉鎖で、実に嘆かわしいと書いたばかりだが
この倉敷チボリ公園もわずか11年。


チボリ

私はどうしてこの倉敷チボリ公園できたのか?だれが経営していたのかも今まであまり興味なく
詳しく知らなかった。
が、どうせまたバブル期の第3セクター絡みだろうとウィキペディアで調べてみると
その予想が腹立たしくもあたってしまった。

それによれば1987年に、岡山市制100周年記念事業として、岡山市北長瀬の岡山操車場跡地
(現在岡山ドーム、アクションスポーツパーク岡山、JR北長瀬駅などが立地)に計画され、1990年2月に
誘致のため、岡山県と岡山市により第3セクターのチボリ・ジャパン社が設立された。とある。

例によって第三セクター特有の杜撰な経営の発覚や地元の反対などもあり・・・と泥沼化したわりには
なぜか紆余曲折を経て1994年4月には、中核企業の阪急が撤退したため岡山県単独で建設されることになるが、
その後も計画は順調に進み、1995年9月に着工し、1997年に工事終了し、同年7月18日に開園した。
そして今年2008年12月31日のカウントダウンを最後に閉園するという。

それにしても謎だらけである。
誰がチボリの最高責任者でだれがこの責任を負うのか?
選挙戦を戦う道具として大量の税金が使われたのか?
元々倉敷の話ではなかったアイデアがどうして倉敷市議会で可決されたのか?

そもそも第3セクターというのは本来国際的にはNPO、市民団体その他の民間の非営利団体を示すそうだが
日本においての第3セクターは、半官半民の中間的な形態が、第三の方式という意味で使うことが
多いが、この解釈は国際的に見れば特殊だそうだ。

この日本で言うところの第三セクターは、バブル期とセットになると酷いニュースが多すぎる。
いっそ日本での第三セクターの意味をこのように書き換えてみてはどうかと思う。

【1】官の「無責と先送り」、民の「不安定性」という官民のマイナス要素を兼ね備え、行政からの天下り職員が運営して破綻、もしくは自治体からの運営費補助という税金生命維持装置で生きながらえている状態の事を指す。

【2】「無計画にハコモノを造り、何億というお金を使った上に経営が破綻しても誰も責任をとらないシステムの総称。
経営的には長くても10年」

などと皮肉のひとつもいいたくなる。いや皮肉ではなくこの方が実態に近い。
もちろん全国の中ではうまく機能している第三セクターもあるのかもしれないが私が今年に入って
身近にあった第三セクターの閉鎖はいずれも破綻したところばかりである。

チボリ2

企業の利益を企業メセナの先駆けとして社会に還元し
倉敷中央病院や、大原美術館を造った大原孫三郎さんが
かつての倉敷紡績倉敷工場跡地のチボリ公園の現状を知ったならば悲しむだろう。
企業の利益を社会に還元するのではなく放漫経営でしかも社会の税金を無駄に使ってしまったのである。

また私の伯父もかつて倉敷紡績倉敷工場の工場長だったそうだ。
クラボウ専務時代に他界した伯父だがその社葬の際に時のクラボウ社長の追悼挨拶の中で
若い頃の思い出話としてその倉敷工場長を引き継ぐ話をされていた。
その倉敷工場とは思い出深いでろう伯父も、もし生きていたならば
わずか数年後に閉園になるとは情けないと嘆くに違いない。

子供にとってはチボリ公園の経営状態なども知る由もない。
閉鎖の話をしていた大人の会話を5才の娘は、聞いていたらしく
「どうしてあんなに楽しい場所なのになくなっちゃうの?」と
質問されたがうまく答えることができずにいると
公園においてあったリーフレットのグランドフィナーレのタイトルを
指して
「悲しいお別れと書いてあるの?」
と的確に言い当てていた。

彼岸花の花言葉は「悲しい思い出」だそうだが、
子供達にとってチボリ公園は楽しい場所、楽しい思い出であるはずだし
いつまでもそうあってほしい。

彼岸花の花言葉には「再会」という意味もあるそうなので
今の子供達が大人になってまた子供を連れて楽しい場所として
「再会」できる場所として再開して欲しいと願うばかりだ。






Last updated  2008.09.25 17:46:41
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