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Soak Up the Sun

2回目の手術

病棟生活・カテーテル検査・2回目の手術・退院



H14.8.27 循環器病棟に移動、24時間付き添い生活が始まる
初めは、観察室というナースステーションから一番近い個室に入りました。
夢にまでみたりくとの生活ですが、現実はかなり厳しいものでした。
りくは、ノーウッド手術をすることができなかったので、動脈管を開存させておかねばならないので、24時間プロスタグランディンの点滴を付けていました。
そのため、お風呂の時以外は部屋から出ることができませんでした。
夜中に泣いても一箇所で揺れてあげることしかできず・・・まるで洞穴の中にいるような感覚でした。プラス搾乳などもありまともに寝れず・・なれない環境に何度かりくと一緒に泣いたこともありました。
しかし、そんな現状のなかりくは順調に回復し1週間ほどで大部屋に移ることができました。

H14.10.8  心臓カテーテル検査
りくは順調に体重が増えてきたので心臓カテーテル検査をしました。
結果はよくとうとう2回目の手術日も決まりました。
しかし、このころからミルクの飲みが悪く、飲んでも吐いてしまうようになった、汗の量も増えみるからにきつそうになってきた。
13日にはとうとうミルクが1日の最低摂取量に届かなくなり、経管チューブでの授乳になってしまった。
不整脈も悪化してきたため、お薬(インデラル)の量も増えた。
安全に手術を行う為には大切なカテーテル検査だったがりくには負担だったようです。
手術の直前のこの状態の悪化は私にとってもかなりのショックで
「早く手術しないと手術できなくなるのでは・・もうだめなのではないか」
といやな考えばかりが頭を駆け巡っていました。

H14.10.15 手術前日・りくからのメッセージ!?

この日、手術の詳しい説明を受けました。
りくの2回目の手術ノーウッド・グレン手術はその名の通り、一回目に予定されていたノーウッド手術と2回目のグレン手術を一緒にやってしまおうという手術です。ノーウッド手術に関しては、新生児のころよりも体重もあるので1回目にするよりは危険性は少ないそうですが、グレン術のほうは大きく循環の仕組みが変わるのでかなり身体には負担になるということでした。どちらにしろ大きな手術を2つ同時にするということは、りくにとってはかなり大きな壁になることは間違いことでした。
この手術は、多くの経験を持つこども病院でもりくで4例目くらいの症例の少ないものだったことも私にとっては大きな不安要素でした。

そんな不安ばかりの私をイチバン励ましてくれたのは、他の誰でもなくりくでした。
それまで、全く自力では飲めず、寝てばかりのきつそうなりくが、この日の夜、自力でミルクを60CC飲んでくれたんです!私にはそれがりくの生きる力のように思えました。そして不安がっている私に
「僕、頑張るからママもしっかりしててよ!!」
って怒られたような気がしました。本当に生命力の強い子だな、そう思いました。


H14.10.16 手術当日
前回と同じく、朝一番(8時半)に手術室へと送り出しました。
手術の終了予定は午後3~4時、ところが6時を過ぎても手術終了の報告は
私達の元には来ませんでした。
手術室のほうをじっと見ながら、色々な考えが頭をかすめましたが
ただひとつ、何の根拠も無いのですが「この扉の向こうでりくは確かに生きている」という確信でした。
あたりが暗くなった午後8時半ごろ、執刀していただいたK先生がでてきました。
先生の第一声は
「おめでとうございます。大成功です。だいじょうぶですよ。」
もう、涙が止まりませんでした。時間がかかった原因は、前処置の段階で血管が見つからずなかなか点滴を入れられなかった・・そうです。
手術後手術室からでてきたりくは、外科の先生に囲まれいつも以上に
小さく見えました。でも、りくからは「がんばったよ!」という強い思いが感じられたような気がしました。

H14.10.23 ICUから病棟に移る
病棟に移った当初はおしっこが出ず、水分バランスが崩れているようで心配しましたが
次第に回復し驚くほどミルクを飲むようになりました。

H14.11.19 退院
りくにとって初めての退院です。
家に帰ることに不安もたくさんあったけど、それ以上に一緒に帰れることの喜びがおおきかった。
長かった4ヶ月の入院もりくが元気に退院できることで報われたような気がした。




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