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Ⅳ 守りの戦術的エッセンス
チャンピオンの条件。
それは、優れた攻守のバランスである。
そして、長丁場のリーグで優勝戦線にとどまるためには、選手全員の
守備に対する意識の高さ、つまり安定した積極守備が″スタートライン″
だと、私は考えている。そのことは、ヨーロッパのプロコーチたちと
も一致する考え方だ。それはそうだ。相手からポールを奪い返すという
「守備の目的」を達成しなければ攻撃をはじめることさえできないのだ
から。
モダンサッカーでは、全員攻撃、全員守備は当り前。そこでは、選手
全員が、攻撃から守備へ、また守備から攻撃へと、スムーズに、素早く
切り替えなければならない。フリーキックやゴールキックなどでの中断
を除き、プレーが流れているなかでの守備から攻撃への切り替えは、比
較的積極的なものになるのが普通である。それは、相手からポールを奪
い返したという、自分たちの守備プレーが成功した瞬間であり、「よし
っ、いくぞ!」と、意気が揚がるからだ。逆に、攻撃から守備への切り替
えは「心理的に重いもの」になる。相手にポールを奪い返され、今度は
つらい守備に入らなければならないのだから当然だろう。
だからこそ、「守備の意識」を高く保ちつづけることが、長いリーグ
戦を勝ち抜いていくための大事な要素になつてくるのである。攻撃こそ
最大の防御なり、という格言がある。相手が、守備ラインにへばりつい
てしまうくらい攻め込めば、物理的に押し返すことは容易ではなくなる、
だから、それが一番の防御だということだが、それは現象面にしか過ぎ
ない。
その本当の意味は、攻守にわたかて積極的に(攻撃的に)プレーする
ことで、相手を、消極的で受け身の心理状態に押し込んでしまうという
ところにある。つまり、攻撃こそを、攻守にわたる積極プレーと解釈す
るのである。そしてその基になるのが、相手のボールを次々と効果的に
奪い返してしまうような積極的(攻撃的)守備というわけだ。「さあ行
くぞ!」と、相手が押し上げようとしても、すぐにボールを取られてし
まうものだから、攻撃で足が止まり、「(心理的な)悪魔のサイクル」
に落ち込んでしまう。それが結果として、自分たちにとっての最大の防
御になるというわけだ。
サッカーは「心理ゲーム」(後述)。フットボールネーションでは、
守備が積極的(攻撃的)であれば、自然と攻撃も積極的なものになるこ
とは常識なのである。
チーム戦術の中で、より具体的な計画を必要とするのが、守り方に関
する約束事、つまり守備のチーム戦術だ。それは、守備が、基本的には
相手の攻撃に対応せざるを得ないからだ。インプロビゼーション (即
興性)が基本の攻撃と違い、チーム内の約束事(守備のチーム戦術)を
ベースにプレーする守りは、見ていても比較的分かりやすいから、たま
には視点を変え、ボールを奪い返すドラマに注目してみるのも一興だ。
より具体的な計画を必要とする守備のチーム戦術だが、そこにもエッセ
ンスと呼べる考え方の基本がある。
監督は、そのことについての「理解」を選手たちと共有することをス
タートラインにしなければならない。
1 守備は攻撃の裏返し
「オレたちは(ドイツ代表は)失点をゼロに抑えようと思ったら、ブ
ラジル相手でも、九割以上その目的を達成できるという自信があるんだ。
ただ日本の場合、相手にもよるけれど、難しいだろうな……」
浦和レッズに在籍した元ドイツ代表の中核選手、ギド・プッフヴァル
トが、そう私に言ったことがある。彼が言わんとするところは、ドイツ
代表では、選手一人ひとりの「守備意識」が高く、特に危急状況で「自
主的な判断と決断」で効果的にプレーすることが、90分間を通してでき
るということだろう。ここが危ないと思ったら、その時点でマークして
いた相手を放り出してでも、何十メートルもフルスプリントでカバーリ
ングに入る、マークしている相手に決して「ウラ」に入り込まれない、
などなど。
決定的なピンチでも、落ちついて相手の攻めの意図を読み(予測し)、
自主的な判断から、クリエイティプで確実なプレーができるかどうか。
それが、ギドの言葉の本質かもしれない。トッププロたちは、マークを
受けわたす守備システムでも、オールコートマーク守備システムでも、
それを完壁にこなせるだけの精神‥心理的な鋭さ、つまり読み(予測)
の基盤ともいえる、最高の集中力で考え続ける姿勢を、試合全体をとお
して維持できるというわけだ。
前章で、サッカーはポールのないところで勝負が決まるという「基本
的な発想」の重要さについて番いたが、そのことは、守備においても当
てはまる。攻撃側の基本的な意図を理解できていなければ、彼らの次の
アクションを脳裏に描き出すことなどできるはずがない。「守備は攻撃
の裏返し」なのである。
あっ、ビスマルクからスルーパスが……。一九九九年、Jリーグ、セカ
ンドステージ第二節、アントラーズ対F・マリノス。その先制ゴールのシ
ーンだ。この試合では、チカラのある着同士が互いに持ち味を出し切る
ような、内容の濃いサッカーが展開された。結局ホームのアントラーズ
が、二点先行から大逆転されてしまったとはいえ(「3-2」でF・マリノ
スの勝利)、それは、「サッカーだから、こんなこともあるさ……」と
いう神様の悪戯レベルの話である。決してアントラーズの試合内容が悪
かったわけではない。ハイレベルなゲームが進むなか、先制したのはア
ントラーズ。前半10分のことだ。
中盤でフリーになったビスマルクへ、タテパスが通る。彼は、パスさ
れたポールなどには目もくれず、最初から顔を上げ(ルックアップ)、
周囲の状況を確認するようにトラップする。これで、攻撃の起点ができ
た。いや、ビスマルクの能力からすれば、彼へのタテパスが出された時
点で、既に起点ができていたとする方が正しい表現だろう。
起点になりつつあるビスマルクの視線は、既にパスを止める前から最
前線のマジーニョとつながっていたのである。その瞬間、マジーニョが
爆発した。F・マリノスのゴール前に広がる決定的スペースへ向け、最初
は相手の最終守備ライン(オフサイドライン)に沿うように横へ、そし
て急速にタテへ方向転回するような超速のフリーランニングをスタート
したのである。ビスマルクが決定的なスルーパスを出したのと、マジー
ニョがタテへ方向転換し、決定的スペースへ抜け出るタイミングはほぼ
同時。オフサイドではない。素晴らしいイメージシンクロプレーだった。
F・マリノスの最終守備ラインは、「オフサイドじやないの?と、一瞬
足を止めそうになるが必死に戻った波戸康広が追い付き、マジーニョの
直接シュートだけは阻止する。切り返してポールをキープするマジーニ
ョ。波戸も、その切り返しに必死にっいていく。また井原正巳もサポー
トに急行してきている。
ここが最終勝負の瞬間だった。
マジーニョは、再び切り返す素振りを見せながら、いつの間にか後方
から上がってきていた小笠原満男へ、「さあ、シュートしろよ!」とい
わんばかりの、ソフトなラストパスを、まるで置くようにていねいに出
したのだ。小笠原の右足が炸裂した。シュートされたポールは、川口能
活の左を破り、ゴール右サイドへ吸い込まれていった。
私が言いたいのは、危急状況での守備能力である。ビスマルクからの
決定的なスルーパスが出され、マジーニョがそのパスを受けた状況。そ
れはF・マリノス守備陣にとっての大ピンチだった。そして最後は、マジ
ーニョではなく、後方からフリーで上がってきた小笠原にゴールを決め
られてしまう。重要なのは、小笠原がまったくフリーだったということ。
ビスマルクがパスを出した瞬間での小笠原のポジションは、ほぼビスマ
ルクとおなじ高さだった。そこには、ビスマルクへチェックにいった上
野良治、そして前線から戻ってきた中村俊輔がいた。ただ彼らは、ビス
マルクの必殺スルーパスが出された瞬間、そのポールの行方と、マジー
ニョのプレーを視線で追いながら足を止めてしまっていた。
ポールウォッチャー。そんな表現がよく使われる。視線は相手のボー
ルの動きを追うが、身体は、次の「ポールがないところ」でのディフェ
ンスに反応していない状態のことだ。まだ相手が組み立て段階であるに
もかかわらず、ポールばかりを見てしまい、パスが回ってくるかもしれ
ない相手のマークやチェックをおろそかにしてしまう思考の怠慢プレー
は論外だが、ラストスルーパスを通されてしまうなど、状況が危急にな
ればなるほど、ポールウォッチャーになってしまう傾向が強くなること
は事実。「あっ、決定的なシュートを打たれてしまう!」という瞬間、
ディフェンダーの思考が停止し、アタマの中が真っ白になつてしまうの
である。ビスマルクから決定的なスルーパスが出た瞬間、上野と中村は、
「あっ、やられた!!と感じていたに違いない。そしてポールウォッチャ
ーになってしまった。彼らは、足を止めてしまった時点で、わずかに残
されていた守備の可能性を放棄してしまったことになるのである。
アントラーズの二点目も、そんな「思考停止状態」から生まれたとい
う見方もできる。井原が、ビスマルクへファールチャージし、直接フリ
ーキックになった。ポールが置かれたその瞬間、アントラーズの平瀬智
行が、間髪入れずに、タテでフリーになっている小笠原にパスを出した。
小笠原は完壁にフリー。その右を、これまたフリーの名良橋が、爆発ダ
ッシュで駆け上がる。小笠原は、名良橋の前のスペースへ素早くパスを
回す。このとき、そのまま攻め込まれたらほとんど追い付けないほど遅
れていたにもかかわらず、ファールをした井原、そして三浦淳宏が、必
死に戻る。平瀬がフリーキックを蹴った地点の近くにいた波戸と遠藤彰
弘も戻ろうとはしていたが、それも「遅れちゃったから、もうオレには
何もできない」といった具合の、視線だけがポールを追う「ぬるま湯ス
プリント」である。
そしてこのぬるま揚が、つまり、ボールウォッチャーになってしまっ
たことが、直接的な失点の原因になってしまう。パスを受けた名良橋の
コントロールが少しタテに流れ、そのことで、三浦、井原に、ギリギリ
のタイミングでのアタックチャンスが生まれた。その斜め後ろの中央に
は、名良橋へタテパスを出した小笠原が、まだまったくフリーで、前へ
ゆっくりと移動していた。そう、誰にもマークされず、まったくフリー
で。名良橋は、井原の必殺タックルを外し、その小笠原に、マイナス方
向のラストセンタリングを送ったのである。
追加ゴ~~~ル!
結果論だが、もし波戸や遠藤が、ポールウォッチャーにならず、わず
かな可能性に賭け、最初からフルスプリントで戻っていたら、小笠原に
ゴッツァン・ゴールを許すことはなかったに違いない。ゴールを決める
小笠原のすぐ後方には、「しまった……」という表情アリアリの波戸が
…。
どんなに決定的状況であろうとも、シュートポジションまで持ち込ん
でからのラストパス、はたまたゴールキーパーがシュートをはじいてボ
ールが転々とこばれるなど、最後の最後まで「次の守備」の可能性が残
されているものだ。世界の一流は、いくらそれが針の穴を通すくらい小
さなものだったとしても、守備に参加できる可能性が残されている限り、
決して自分主体の守備の可能性を放棄することはない。そんなギリギリ
の守備アクションは、危急状況での高度な守備イメージがしっかりとし
ていることの証明だ。様々なギリギリ体感をペースにした守備イメージ
が確立しているから、直接的には関与できない危機的状況でも、僅かに
残された次の守備の可能性へ、自然と身体が動くのである。
もしそんな守備イメージが確立していれば、例えばマジーニョへのス
ルーパスが出た瞬間、中村、上野は、マジーニョには追い付けないにし
ても、次の守備の可能性に賭けてアクションを止めることはなかったに
違いない。そして少なくとも、小笠原を、あれほどフリーでシュートさ
せることはなかったに違いないと思うのである。そのことは二点目にも
言える。
そんな、守備における「高度な戦術イメージを保ち続けられるチカラ」。
人はそれを、「あのディフェンダーは読みがいい選手だ」などと表
現するのである。
オマケとして、高度なイメージをペースにしたスーパー守備プレーを
ひとつ -。一九九四年アメリカワールドカップの決勝、イタリア対ブ
ラジル戦でのこと。
稀代の天才ディフェンダー、イタリアのパレージが、天才の天才たる
所以を披露した。ロマーリオとベベトが、魔法のようにポールをあやつ
り、二列目から上がってきたミッドフィールダーにパックパスを落とす。
それは決定的なシュートチャンス。一瞬、イタリアディフェンダーの視
線が、ポールとそのミッドフィールダーに集中し、足が止まった。ただ
一人だけ、シュートをブロックできるポジションへ猛ダッシュしている
ディフエンターがいた。バレージである。彼は、ロマーリオとベベトが
ポールを回している間も、彼らの次のプレーに対するイメージを研ぎ澄
ましていたのだ。シュートに絶好のパックパスを受けた二列目のブラジ
ル選手は、バレージの影が見えたのだろう、自分ではシュートをせず、
左にいる味方にパスを回す。だがバレージの動きは止まらない。彼は、
その左のブラジル選手が味方にマークされていることを瞬間的に察知し、
そのまた左にいる第三の敵へ向けて急行したのである。案の定、ポール
がダイレクトで横パスされ、最後には、その第三の敵へ回された。前が
空いている……。すかさずシュート!誰もが決まったと思ったに違いない。
しかし、シュートされたポールは、ゴールラインの外へ弱々しく転がっ
ていった。決定的なシュートミス? 誰もがそう思ったに違いない。実
際には、ギリギリのタイミングで飛び込んだバレージの必殺タックルが、
シュートされたポールをはじき出したのである。なんというファンタス
ティック守備プレー。「パレージは、ペッケンパウアーと並び、二十世
紀を代表するリベロだということを証明した」
ヨーロッパのトップエキスパートたちは、異口同音に、バレージに対
する最大限の讃辞を惜しまなかった。
最後に、「読みディフェンス」の究魔の形、「美しいインターセプト」
について少し触れよう。
インターセプトとは、相手のパスをカットしてしまう守備プレーのこ
とだ。「ポールを奪い返す」という守備の目的を果たすために、これほ
ど効果的なプレーはないし、相手の意図を読むという意味で、インター
セプトこそ最高に美しい守備なのである。
サッカー先進国では、攻撃だけではなく、守備にも注目が集まる。タ
イミングが遅れ、最後は相手の体ごとタックルしてしまうような、サッ
カーの美しさを殺いでしまうラフな守備プレーは、「受け身守備」 の
典型で、ブーイングの標的になる。逆に美しいインターセプトには大拍
手がわき起こる。とはいっても、これも、一人だけのアクションでやり
遂げられるものではない。そこでも、「守備のエッセンス」に対する理
解を共有するチームメートとの協力が不可欠なのだ。
例えば……。中盤でポールをキープするアルゼンチン・オリンピック
代表の選手に対し、日本オリンピック代表のボランチ、稲本が強烈なプ
レッシャーをかける。ただそのアルゼンチン選手は天才肌で上手い選手
なので、簡単にポールを奪い返せるはずもない。稲本は、しつこくプレ
ッシャーをかけ続ける。そのアルゼンチン選手がパスを出さざるを得な
くなるほどにしつこく……。結局、攻撃側が起点になる「タメ」を作り
出すことを諦め、パスを回そうとしたその瞬間、この二人の競り合いが
演じられていたゾーンの周りで、満を持していた中村、そして最終ライ
ンの宮本がアクションを起こす。彼らは、中盤でパスの受け手になれる
二人のアルゼンチン選手へ向け、爆発的なダッシュをスタートしたので
ある。目指すは、もちろん「パスコース」。そして最後は宮本が、見事
に横パスをカットしてしまう。美しいインターセプトだった。パスコー
スを限定するようにプレッシャーをかけ続けた稲本、そして「その後の
展開」を読んでいた中村、そして宮本の最高レベルの集中が生み出した
ファインプレーだった。