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カテゴリ:ソフトウエア
![]() ![]() ![]() NDO::Weblog より (経由 & 引用) 新しいこと、変わったことがしたいという理由で、ゼロから新しいもの、変わったものを作ろうとするのは、私にいわせれば愚の骨頂であり、思い上がりです。Linuxが目覚ましい成果を上げているのは、細事にこだわり大事を逸する愚を犯していないからです。しかし、この穴に陥るプロジェクトのいかに多いことか。NIHシンドロームは病です(編集部注:NIHはNot Invented Hereの略。NIHシンドロームとは他所で開発された技術を嫌い、自社の研究成果にこだわる考え方のこと)。 と、リーナス トーバルズ氏の言葉を引用し、 UI を刷新するという話をすると、周囲の反応というのは得てして、斬新かつ先進的でユニーク、そしてユーザーの心を惹きつけるものという過度な期待であることが多いのですが、その成果が「斬新かつ先進的でユニーク」かどうかというのを期待するのは本当に正しいのかどうかという点です。 そして、 つまりは、何か優れたものを参考にしてインタフェースなり実装なりを作り上げていくということは、良いものを生み出すのに最適なプロセスであることが多く、「何かを模倣する」という行為を安易にネガティブに捉えてはいけないのだろう、ということを強く思うということです。 であると。 さらにまた、 "誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論" という書籍の中では、優れたデザインというのはそれが市場に出てから 5 ~ 6 回以上の試行錯誤のサイクルを経て初めて到達できるものだという話が出てきます。しかし、市場に出してそれが受け入れられたかどうかという評価はだいたいが 2 ~ 3 回のサイクルで決まってしまう。つまり、製品のデザインが最良のものとなる前に、その製品はだめだというレッテルを(製品を提供する企業が)貼ってしまい、その高みへは到達できないことが往々にしてあるとのこと。 という事例も示す。 これを読んでいて以前どこかで聞いたフレーズを思いだした。 "天才はまた偉大なアレンジャーでもある" 。 で、 これと 梅田氏のブログにあったあの記事を考え合わせながら読むと、これは 真似をしているしていない の単純なところでとどまる話ではない、と考察は進む。 あの記事とは、 ただ、お互いにミスがすごく少なくて、完璧に近い内容の将棋は見ていると意外にドラマチックではない。お互いに最短コースを間違いなく突っ走って決着がついているからです。完成度が高いとも言えるけれども、逆にお互いミスをして大混戦になった方が見ている側からすると面白い。 という記事。 内部の仕組みが少し変わるだけで、戦術が変わり そこから意味合いも変わってくる。 見た目はさほど変わっていないように見えても (同じような手を指していても) 気がついてみればついていくのが大変なくらいにパラダイムが変わってしまっている、ということがある。 システムというものを静的な工芸品を眺めるような目で見、意味合いを理解しようとする姿勢なんてまったく変。インタラクティブということと、戦術ということが加味されたとき おのずと局面から意味合いがつむぎだされる。 システムとの関わりにおいては、アクティブタッチ (能動的にさわること) こそ肝。 トーバルズ氏やなおやさんの言ってることと、このことを考え合わせると、 何かより深いゲームの深層領域みたいなものがイメージされてくる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年01月08日 00時53分58秒
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