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カテゴリ:スポーツ
![]() ![]() ![]() ぐっち0104 さんの コーチンダイヤリー06/18 (別窓) より
私を含めて、日頃「スポーツ」の概念について考えたことも無く、 んー、スポーツの本質的な概念なぁーー.....。 スポーツ というこの言葉自体 ちょっと くせものだったりするし.....。 ................................................................................................................................................ "スポーツ" という言葉。 私たちは、この言葉に本当に しっくりと来ているだろうか ? ときどき そう思うことがある。 野球や、サッカーや、バレー そして、速く走ること、速く泳ぐこと、そういったものを ひっくるめて 一応それらに スポーツ という名前をつけている という単なる呼び方の 取り決め なのだろうか.....。 スポーツという言葉を前にしたとき、何か 日本人の体質にスーっと しみ込んでこない 感覚、あるいは 何か遠い、何か隔たりがある、という感覚、 微妙な異質感という ような感覚が なにかしら 付きまとっているような気がする。 それなら、"道" という言葉はどうだろうか ? これはわかる。 体質としてわかる。 感覚的にもピンとくるし、しっくりくる。 柔道、剣道、相撲道、空手道、華道、書道。 心技体、道を極めようと歩ゆんで行く その方向性、日本人の感覚にストンとくる。 "道" と "スポーツ" はどう違うのか。 あるいは、スポーツの方向性って どこに 至ろうとしているのか ? そういった問題意識が自分には ずっとあって いろいろ考えているわけなんですが、 あーだ こうだ考えた末に、最近では こう考えている。 感覚的にストンとくる "道" の方から考えるようにしている。 "道" の方向性のその先には、精神性がある。肉体を通して精神力、精神性の 極みへ至ろうとする道。 その過程において肉体は鍛えられ、そして肉体を超越 していく。 (ちょっと大袈裟ではあるが) 次に "スポーツ"。 簡単な運動による快 や、人間感覚の根底にある運動への衝動 (まるめた紙を ごみ箱にうまく放り込もうとする衝動、入るとうれしい。や、空き缶が道ばたに 立っているとポッーンと蹴りたくなる衝動、子供のような。) から、もっと筋肉(肉体)を通して、血(熱くなる、クールだ、たぎり、実際の血の機能) と、 骨(あいつは骨がある、実際の骨のきしみ) に至ろうとする 内部への方向性。 ということではないか。 "道" が、肉体から精神性に至ろうとするのに対し、 "スポーツ"は、筋肉から さらにその奥の 血のたぎりと骨のきしみ(リアルな) に至ろうとする。 同じように内部に至ろうとするのだけれども 内面の精神か それとも、 内なる血か骨か、ということ。 (こう考えると、自分としては分かりやすいし、間違ってるとも思えない、 この考えもあり ?.....ありだありだ。) 考えはまた変わって行くかもしれないのですが、今のところ こう考えている 次第なんです、はい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年06月18日 18時34分34秒
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