
ちょうどその時、日本で会って「どうしたんだ?」というと、彼は、「いままで日本人ということになっていたのに、戦争が終わったら、突然日本人でなくなり、台湾にもおれず、せめてここに置いてくれと頼んでもいうことも聞いてくれない」と。
なるほど理屈に合わないなあ、と私は『密入国者の手記』という作品を書いたのです。知人がその作品を長谷川伸さんのところに持っていったら、村上元三さんや山岡荘八さんがはめてくれた。そのおだてに乗って、小説家になりたいという気持ちを起こしたわけです。
--そうだったんですか。
邸 それで、その友人に「"オール新人杯"というのがあるから実力を試すために応募してみたらどうだ」とすすめられた。大作家が好んで使う浅草の満寿屋の原稿用紙に小説を書いて応募したところ最後の5編に残ったんですよ。「満寿屋の原稿用紙で、しかも香港から送ってきた。もしかしたら、これは誰かプロの人ではないか」
ということで文章春秋の係は最終候補に残したんだという説だけどね(笑)。結局、小山いと子さんと尾崎士郎さんは賛成してくれたけど、あとの3人が反対し、受賞はできなかった。でも偶然試みたことが最後まで残る結果となって、「ひょっとしたらできるんじゃないか」と思った。
それで昭和29年に香港から日本に引っ越した。その間、ちょうど6年間、香港に住んでいたというわけです。
香港の金持ちには尊敬できる人がひとりもいない
--台湾から亡命した当時の香港は、どんな印象でしたか。
邸 台湾なんか比べものにならないほど賑やかで自由な都市で、だいいち命の心配もしなくて済むしね。船でいえば、船底の牢屋みたいなところから、突然、1等キャビンに出たような感じですよ。
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