
(つづき)
--ずっと"日本人"として生きてきて、あらためて中国人になった頃だし青春の地でもありますね。
邸 そうですね。だから日本で勉強した李登輝さんや私らは、皆、台湾に帰ってから中国語を学んだ。福建語は子供の時から覚えているけど、台湾の人が北京語を覚える時期に私は香港に亡命し、広東語を覚えることになったから、広東語はしゃべれるけれど北京語は下手くそでね。でも李登輝さんなど残った人も、いまでも「国語が下手くそだ」といわれていますよ(笑)。
--でも、自由には反面で厳しさもつきまとう。先生にとって香港の魅力とは何ですか?
邸 香港の魅力もあるけど、香港の嫌らしいところも知ってるからね。
だいいちに金持ちで尊敬できる人がひとりもいない。中国の人は金持ちを尊敬するけど、物書きなんて貧乏人の代名詞だと思っている。それから口舌の徒は捕まえて牢屋に入れるべきだと思っているからね(笑)。でも、香港で金持ちになった人は、全て土地の投機をした人だけなんですよ。
--すると当時は香港に違和感を持っていた?
邸 もうとても嫌いだったですよ、香港は。たとえば金持ちは、いまでも1回のゴルフに1500万円ぐらい賭けてやる。彼らにとっては普通のサラリーマンの10円の賭けと同じ感覚なのだけどそういう人たちの生活態度が、私には我慢できなかった。
それに、香港には本屋が少ない。日本語の本が買えないから、しょうがなくて英語の本を読まなきやいけなかった。イギリス人のための本屋に行ってなけなしの金を払って、D・H・ロレンスの息子と恋人』とかを一生懸命、不得手な英語で字引を引きながら読んでいました。
でも、基本的に香港の人は本なんか読みやしない。いまでも本屋を探すのに苦労します。香港とシンガポールがアジアで一番文化のない都市ですね。
--お金もなぐ活字に飢えた青年には厳しい現実。
邸 本当にカネがなかったら相手にもされないわけです。日本だったら、金なんかなくたって、この道一筋でやってきた人なら、それなりに尊敬されますよ。そういうものが全然ない。
だから私は、とてもイヤだった。しかも当時は4階建てが一番高い建物で冷暖房がなかったから、夏は皆、窓を開けて麻雀をする。日本人なら他人の迷惑を考えて、毛布を敷いて、その上でやるでしょう。向こうの人は大きな音がするほど快感があるらしく、僕ら1階にいても目が覚める(笑)。
こんなところ住みたくないと思ったですよ。その時の印象は、いまでも残っています。
中国人は生きるために食べるのではなく食うために生きている
--でも、その代わり香港のよさもあるでしょう。
邸 まず飯がうまいでしょう。貧乏人は貧乏人なりに、安いものでも道端の料理でもうまい。舌のレベルが高いんですよ。中国人は生きるために飯を食うのではなくて、飯を食うために生きているからね(笑)。
--その同じ中国でも、上海や北京より香港はうまい。
邸 それはどうしてかといえば、まず広東省の人が一番外国に出稼ぎに行っている。そして金持ちになって帰ってきて、付近にいっぱい住んでいる。彼らが金を払いますからね。料理が発展するかしないかはスポンサーによる。だから中国全体で広州が一番先に発展したのです。さらに共産党政権の誕生で、広州はダメになったが、その分が香港に残っている。いまや香港が中国全体で一番レベルが高いですよ。
--食事とともに、香港といえばショッピング・ツアー。
邸 世界中の商品が無税で入ってくるわけですからね。日本人が買い物するのに香港に出かけるのも当然でしょう。
--街を歩いていても、いかにも自由というか気軽ですよね。
邸 香港には便利なところがたくさんあるのです。たとえば東京だと、丸の内や銀座には人は住まない。働く人は遠くに住んでいて、銀座や丸の内に買い物や仕事に出かけてくる。物を売る人もわざわざ人の住んでいないところに物を運んでくる。そういう効率の悪いことをしているのだけど、香港は同じ建物の上に住んでいる。横に移動せず、縦に上下すればよいのだから短い時間で済んでしまうのです。一方、私が住むようになった頃、東京の電車は2両か3両だった。それがどんどん長くなり、前後がプラットホームからはみだすものだから、ホームをまた長くして、といった形できわめて不合理なことをやっている。毎日、通勤時間だけのために膨大な電気や設備を使う形になっている。
それに比べると、香港はそんなことはない。人に会おうと思ったら、1日何人もに会える。東京だと午前中に1人会って、午後また1人会ったらおしまいですよ。その効率の問題もある。
それに香港やシンガポールは都市国家。つまり、農業のことを考慮する必要がない。地元の農業を援助するために他の地域からの輸入を禁止したり高い税金をかけるようなことは一切やらない。だから世界中の果物が入ってくるし、穀物も無税で入ってくる。米でも麦でも、何でも世界の相場の一番安いところから入ってきます。
香港の「15%」という税率は今後世界が学ぶべきものだ
--工業製品や農産物だけでなく、お金の出入りも自由です。
邸 お金というのは、人間より臆病だから、危ないとなるとアッという間に逃げちゃいますからね。しかも、人間ならパスポートがなければ出られないけれど、お金はパスポートも不要。ファックスひとつで世界中どこでも行ける。でも、香港は、こうした自由な雰囲気を作るのに100年以上かかっているんですよ。これは日本や中国大陸が一朝一夕でマネのできることではないでしょう。
--さて、その「自由の街・香港」が今年7月1日以降、どう変わっていくのかが注目されるわけですが。
邸 7月1日以降どうなるかといっても、基本的には、あまり変わらないと思う。香港がどうなるか、世界中が注目しているわけだから、そこで失敗しては中国も格好がつかない。だから、どんなことがあってもしくじらないように一生懸命やるとなると、香港の自由を頭ごなしに否定するといったことはできないですね。
また、もうひとつ、香港の現在の体制を維持することを、実は、中国大陸の人が一番期待している。香港の地価や株価が高いのも、中国の人たちが金を持ってきて投機しているからです。彼らにとっては、香港が現状のような形で残ることが都合がよいのです。香港の現状を一番高く評価しているのは、実は、イギリス人や日本人ではなくて、中国大陸の人だというのが私の見方です。
--今後21世紀にかけて香港がはたす役割は?
邸 たとえば香港の税金は一律で個人が15%、法人が16・5%なのですが、この15%という税率は非常に面白い。
つまり、昔の王様は、だいたいどこの国でも10%しか取らないというのが常識だった。現代は、福祉や何かで皆の面倒を見なきゃいけないというわけで、多くの国で所得の半分は税金といった形になっているけれど、そうなると、今度は、皆、仕事のためでなく、税金を逃れるために頭を使うという余計なことをするようになる。
ところが、15%の税金というのは、税金逃れに頭を使うより払ったほうが早いという税率です。つまり、実感として節税に要する費用と税金がほぼバランスするところが15%なんですよ。
だから、この15%の税金は、これから世界中がマネをしていくもののひとつではないかと思います。
日本だって、いつまでも安心していられない。日本で高い人件費や税金を払うなら向こうで住んだほうがよいという人たちが、どんどん引っ越しをする時代に入りますよ。法人だって、本社を向こうに置いて、日本で稼いだお金を調整する方法はいくらでもあるわけだから。
そういうわけで税金の高い日本に海外からやって来て投資する人は、ほとんどありません。一方、日本企業のほうは、逆に税金の安い国はどこかと外に出ていく時代に入りつつあるでしょう。そういう基準となるものを早くから出した香港は強いですよ。今後も中国大陸や東南アジアのハブ(中心)として繁栄していくと思いますよ。
(おわり)
邸永漢(きゅう・えいかん)
作家、経済評論家、経営コンサルタント。1924年、台湾・台南市生まれ。東大経済学部卒業後、一時帰台し、台湾独立運動に関与。香港へ亡命して対日貿易を手かける。54年に来日して80年に帰化。55年に「香港」で直木賞を受寅するとともに、実業家として株式投資、ビル経営など多角経営に乗り出し、経済評論家としても活躍。現在は香港在住。