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脱サラ 自営業のリアル

脱サラ 自営業のリアル

うどんやさん。

 香港へ行った理由はもちろんうどんを作りに行って来たのであります。

 さんざん、うどんの話題を無視してきて、まるで観光気分??

 魅力ある街、香港でありますが、うどんは結構メジャーな食べ物であり
ました。
 
 烏冬 とかいて、うどん UDON どう聞いてもウゥ~ドン!!
といっているのだけれど、日本式烏冬と中国式烏冬の二種類のうどんは
普通にメニューにあります。
 
 日本式のほうは、いうなれば白玉うどん、スパーで売っている袋詰めの
茹でうどんに中国料理のトッピングが乗っているメニュー
 中国式もトッピングは同じなのだが、こちらは日本式よりもさらに軟ら
かい、箸で持ち上げるのも難しいほどの、小麦粉の塊・・・

 というのは言いすぎか・・・

 そんな香港でうどん、しかも讃岐うどんはまだありませんでした。

 日本食はほぼ網羅している感のある国なのだが、専門店は初!

 なので、オープン当初から連日、地元の新聞や雑誌は取材が多かったで
す。

 オープンは5月の26日月曜日でありました。

 二十三日、SARSのためのWHOによる渡航規制が解除になり、なかなか幸先
よいオープン。
 今だから、笑い話になっているけれど、スタッフの一人が23日から
体調不良を訴え、24日オープンが26日に先延ばしになったのだけれど
そのときは、オープンを伸ばすことよりも、もしSARSだったら?

 と現場でオーナーを交えてとても深刻な状況。

 実際、そのときはSARSによる発熱云々よりも、感染による営業停止、
消毒作業によるビル閉鎖などによっての損害賠償はどうなるのか?
ということのほうが深刻な問題になっていました。
 なんといっても、ビルには20万人の人々が毎日やってきています。
 三階まではショッピングのテナントなのですが、その上階は30階
以上の高さで多くの企業が軒を連ねていましたから・・・

 病院での検査の結果は疲れから来るもの。ということでこのときは
本当にホッと胸を撫で下ろしました。

 
 五月の頭に香港へ渡り、オープンまでの間、最初にしたことは兎に角
生活することでした。
 まず、自分達のアパートの位置を覚え、その近辺を少しずつ歩いて
生活に必要なスーパーやお店を探すこと、そしてご飯を自分で注文
して食べて、お金を払うこと。
 いってみれば、今の家の息子(4歳)がやっていることをしている
だけ。
 
 それでも、言葉が通じない私にとっては今の息子達よりもずっと何も
できない状態でした。

 言葉が通じないことの不便さは、
 道に迷う→人に聞いてみる→通じない→(><、、
 おなかがすいた→飲食店に入る→通じない→(><、、、
 結局最初のうちは、マクドナルドが多かった用に思います。

 人間不信、外出拒否、食欲低下、栄養の偏り、疲労、ストレス・・・

 なんとなくわかる気がする・・・

 と思わなくもない日々でした。
 
 でも、香港は漢字の国、このときほど日本人でよかったと思うときは
なかった気がします。
 漢字は音で表されると、読み方が全く違うのでわからないのですが
 書いた文字はお互いが通じます。
 
 外出にはメモ帳とボールペンは必需品でした。
 
 2,3日で何となく慣れてきて、普通に飲食店で食事しだしたのですが
最初は日本食屋が多かった。日本食屋さんはたいてい日本語表示または
日本語が通じます。これは助かります。
 でも、人間、食べられないことはものすごいスピードで知識を吸収しま
す。飲食に使う言葉、メニューはすぐに覚えました。
 おかげで、どこでも無鉄砲に入って、何でも食べましたが・・

 次にすることは、生活に必要な道具などの買出し。
 これもかなり困りました。日本のようにホームセンターのような
日用品を幅広く、なんでも揃う店は香港にはありません。
 家賃が高いので小さなお店を何件もはしごをして探す。
 探す。探す・・・

 



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