國寶極意の深髄。
神奈川縣立金澤文庫の特別展「至高の宝蔵─金沢北条氏の遺した国宝─」を觀る。國寶に指定されてゐる期間限定公開の「四将像」(實時、顕時、貞顕、貞将四代の肖像画)を見るために今日を選んだのだが、古文書にも見どころが豊富で、圓心といふ僧が筆冩したと云ふ蘭渓道隆の「坐禅儀」のなかには、坐禅中に襲われる眠氣を克服する裏ワザとして、自己を振り返る“返照”を繰り返すべし、とあるのが興味深く、やはりアレも眠たくなるのか、と修業の實際を覗き見たやうであり、覺えておいていつか何かのときに實踐したいと思ふ。禅僧のなかには法体の俗人もだいぶゐたらしく、“放下の禅師”と號して剃髪もせずに烏帽子を載せ、東西の路で“狂言”、すわはち遊藝を見せる輩が散見されることを厳しく非難した「七天狗繪」は、のちの時代の謠曲にも登場する僧形の遊藝者たちを考へる上でも、全編を讀んでみたいと思った。故人の手紙を漉き返した料紙に冩經する「漉返經」は、遺髪を混ぜて漉くこともあった云々、冩眞も映像もない時代、遺された髪がいかに故人をしのぶ愛おしいものであったか、現代の私からでは推し量れないほどの情(おもひ)の深さを見る思ひ、なるほどそれを傳へることにも國寶の意義があると、眼福なひとときを過ごす。