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テーマ:伝統芸能(50)
カテゴリ:浮世見聞記
ラジオ放送で清元「かさね」を聴く。
男女の愛憎が複雑に絡んだ果てに常州木下川堤で爆發した、怪し恐ろしの怨執劇。 歌舞伎では役者の都合(わがまま)で定番化してゐる舞踊劇だが、現行の演出は久しく上演が絶へてゐたものを大正十五年に十五代目市村羽左衞門と六代目尾上梅幸の夫婦役者に五代目清元延壽太夫が組んで復活させたもので、この三人の舞臺を後年に帝劇で記録したと云ふ古い映像を、國立映画アーカイブの特別上映會で觀たことがある。 ![]() (※左 十五代目市村羽左衞門の與右衞門、右 六代目尾上梅幸の累 大正十五年二月 歌舞伎座) 與右衞門役の十五代目羽左衞門の、スッキリした白塗り二枚ぶりは冩眞などで見たままだが、累役の六代目梅幸の、萬事キレイキレイな現在の女形陣では到底望めない土俗な風情が強烈な印象として殘り、劇場ではない“芝居小屋”で演じられてゐた時代の「をんながた」とはかういふものだったのかもしれない、と想像させるものがあった。 それを古風と云ふのかは、古風の原版を實見したことのない私には分かりかねるが、後半の醜い姿となってからの累の狂亂ぶりは、もはや女でも女形でもない、凄まじき怪異の塊と云ふほかなく、原話に聞く執念怨念の底深さを彷彿とさせて恐怖すら覺えたものだった。 怪談狂言を特意とした本来の音羽屋藝を記録したと云ふ意味でも、二代目林又一郎が舞台下手袖から趣味で撮ったと云ふこの映像は一部分ながら國寶級であり、あの映像さへ觀ておけば「色彩間苅豆」については充分であると、私は斷言する。 ![]() (※大正十五年の復活上演成功により、十五代目羽左衞門、六代目梅幸、五代目延壽太夫が施主となって目黒區の祐天寺に建立された累塚) ……が、この古映像の唯一の問題點は、當時の技術としては當然ながら五代目延壽太夫の音聲が記録されてゐないことである。 「色彩間苅豆」の復活上演成功は、五代目清元延壽太夫の藝なくしてはあり得なかったことはすでに指摘されてゐるところであり、この浄瑠璃はレコードに殘されてゐないやうなので、ほかの曲から雰囲氣を想像するしかない。 ![]() (※昭和六十一年に日本画家月岡榮貴により祐天寺に奉納された、かさね大繪馬) ただ間違ひなく云へることは、現七代目のやうなカンをことごとく裏聲で逃げるやうな体たらくではなかったであらうことだけは、確かだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026.07.11 10:23:17
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