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カテゴリ:七代目嵐徳三郎
「絵本太功記十段目」の初菊
大阪では毎年八月に、上方の名題下と名題の役者が集まって、「上方歌舞伎会」と銘打った勉強会を、国立文楽劇場を会場に二日間行なっている。 ![]() その第九回公演(平成十一年)に私は初めて参加し、いきなり「絵本太功記 十段目」の“嫁初菊”の大役をいただいた。 役者になってまだ一年ちょっとでまわりはすべて先輩たち、ほとんど大抜擢の配役である。 役が決まったことを師匠に報告すると、 「僕はかなり昔に先輩から稽古場で十次郎を教わっただけで、初菊は経験があらへん。今度の指導は片岡秀太郎さんやから、秀太郎さんからよう教わりなさい」 とのこと。 この年の五月は休演だったので、吹田市千里山にある片岡秀太郎さんの御自宅にお伺いし、セリフから動き(演技)から、すべてを細かく教えていただいた。 そして八月の上旬、用事で師匠の自宅に伺うことになった際、「初菊を一度やって見せてごらん」と言われたので、義太夫を録音したカセットテープを持って出かけた。 そして夏の夕陽が窓をあかね色に染める二階の部屋で、私は初菊を演じた。 師匠は私の前でアームチェアに座り、黙って最後まで見たあとで、 「よう覚えた。とにかく、秀太郎さんからよう教わりなさい」 とだけ言った。 そして「上方歌舞伎会」の初日、師匠は朝から楽屋へ様子を見に来てくれた。 ちょうど衣裳部屋で初菊の赤い振袖を着けている時、廊下の向こうからそこにいる人たちへ賑やかに挨拶をしながら、やって来たのである。 楽屋に戻ると、私は師匠に扮装(こしらえ)の具合を見てもらったが、ただ「よう白粉がついとる」と言うだけで、「ほな、客席へ行くわ」と、出て行ってしまった。 なにかダメ出しをいただけるものと期待していた私は「あれ?」と拍子抜けがしたが、このヒヨッコでは何を言ってもまだわかるまい、と思ったのかもしれない。 だいぶあとになって師匠と親しかった人より聞いた話しでは、師匠は客席に回ってからも、「あのコ、よう白粉がついてんのよォ」と話していたようだ。 実は師匠は教え下手な性格とは、はやり後になって兄弟子たちなどから聞いて初めて知ったことだが、あのときの自分の初菊を思い出しても、いざ本場の舞台上では動くだけで精一杯だった記憶とを重ね合わせて、この末弟子には何にも言いようがなかった、というのも外れではなかった気がする。 なんであれ、経験と勉強の大いなる不足を痛感させられて千穐楽を迎え、その日の夜に師匠へ電話で報告した。 「お疲れさま、なかなか良かったで。お客さんたちもよう褒めとった。せやけどそれは、“まだまだ素人同然にしては”という意味の、よくできた、やから、そこを勘違いしたらあかんよ」── 師匠は初菊の演技そのものより、もっと大事なことを私に教えてくれた、と今では思っている。 あのとき楽屋で師匠が何も言わなかったのは、指導した片岡秀太郎さんへの遠慮があったのだろう。 が、私のほうも疑問や不明点を訊ねなかったので、師匠も敢えて自分からは何も言わなかったのかもしれない。 しかしなにより、師匠が私に教えたかったことは、間違いなく、 「常に慢心することなかれ」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026.05.04 03:00:04
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