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テーマ:戦争反対(1263)
カテゴリ:浮世見聞記
千代田區九段の昭和館で、特別企画展「めくるめく紙芝居─館蔵印刷紙芝居コレクション─」を觀る。
![]() それまで舞臺に見立てた箱に竹串を立てて背景画を張り、竹串を通した紙人形を遣って歌舞伎の一場面を紙人形師の聲色で見せる立体的な見世物興行だった紙芝居が、昭和五年(1930年)から紙に描いた繪、いはゆる平繪の形に改められると、翌年には「黄金バット」と云ふ大當りを生み出し、紙芝居は街頭で手輕に樂しめる娯樂としてたちまち大衆に浸透する。 もっとも、ごく初期の紙芝居には決まった筋はなく、内容は口傳であとは紙芝居師が當意即妙、つまりアドリブで組み立ててゐた云々、しかし地方への貨し付けが増へるにあたり、裏面に物語を記すやうになった云々、さうした大衆への多大な影響力(ちから)を知った國は紙芝居を大衆教材に用ゐることを思ひつき、やがて昭和十二年に日中戰争が始まると、内務省主導で「日本少國民文化協會」が設立されて児童文化のすべてが國の統制下におかれ、また民間では教育家の松永建哉により日本紙芝居協會が發足するなど、紙芝居は忠君愛國と戰意高揚を煽るプロバガンダに利用される。 その現物の複製を私も昨夏に神奈川大學の企画展でいくつか手にとってみたが、そのほか情報傳達の乏しい地方農村については、新聞記事やニュース映画までも内容をそのまま紙芝居に転冩して現地に出張し、紙芝居師が讀み聞かせてゐたことを今回はじめて知り、その徹底した利用ぶりには怖氣立つものすら覺える。 かくして國策の手先となった紙芝居は、終戰後の極東軍事裁判(東京裁判)では關係者が証人として召喚され、昭和二十一年六月二十日と二十一日には日本紙芝居教育會々長の佐木秋夫が法延で『日本ハ戰争ヲ為シテイルノダ』の實演させられたのは、時勢に迎合せざるを得なかったとは云へ、本人としてはさぞ屈辱であったらう。 終戰後の紙芝居はGHQの“監視”のもと、國策色を排除した大衆娯樂として再出發し、そのなかには大阪で紙芝居を自作自演して好評だったと云ふ若き日の水木しげるもゐた。 青少年の啓蒙教材としての紙芝居は戰後も存續し、わたしも幼少時代に幼稚園の年老いた保母さんが毎日午後の時間に紙芝居を觀せてくれた記憶がある。 かつて散々に鬼畜米英だの忠君愛國だのと大衆に吹き込んで(吹き込まされて)ゐたゐた大衆娯樂が、昭和二十一年にはコロリと宗旨替へして健全な心身の育成を語りかける── その手のひらならぬ紙をひっくり返したやうな變貌ぶりに、物心のついた青少年がオトナへの猜疑心を抱いたとしても無理はない。 かくして現代に至る報道や宣傳の“工作ぶり”への注意を、殘された紙芝居たちは八十一年後の今日も、存命で私たちに語りかけてゐる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026.09.04 22:12:14
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