てつみちがゆく──100年後から100年前の目的地へ
旧新橋停車場 鐵道歴史展示室の企画展「日本海縦貫線一〇〇年展~知られざる大動脈~」を、前期と後期を通して觀る。關西から江州を經て日本海に沿った北陸路を奥州青森まで結ぶ1,0055,3kmに及ぶ鐵路、“日本海縦貫線”が大正十三年(1924年)七月三十一日に全通して百年、東海道・東北本線を業界では“表縦貫線”と呼ぶのに對し、北陸本線・信越本線・羽越本線・奥羽本線のそれぞれ一部區間の接續によって青森までに至る鐵路は“裏縦貫線”と呼ばれ、私も過去に鐵道旅行で利用したことがある。文字通り“分け入る”山間部のカーブの多い急勾配、スイッチバッグなどからは、日本の急峻な地形に挑んだ土木作業員たちや乗務員、また乗客たちの勞苦が車窓から偲ばれ、かういふ面影は現役の鐵路と云ふ活きた姿で、これからも傳へていきたいものだ。しかし時代のはさうした風情よりもヒトと物質の速達性を要求し、旅客はシンカンセンに取って代はり、かつての大動脈は第三セクター化され、線路はつながってゐるが路線は各社に分斷──切り刻まれて、かつてのやうに一枚の切符で鐵道旅行が樂しめない時代になってしまった。物資輸送路としてはまだ一本でつながってゐるだけに、なにやら荷物が羨ましいやうな。そのシンカンセンも、關西から北陸へ向かふにはかつての在来線特急のやうに一本では辿り着けず、敦賀での乗り換へを強要されるなど、現状ではまだ利便性を果たしてゐないところに、すでにシンカンセン構想が時代遅れになってゐる現状を見る氣がする。信越本線は上州高崎から碓氷峠を越えてからさらに信州の山間を越え、直江津で北陸本線のあとを受けて越州新潟に至るが、信州域は長野新幹線(※のちに北陸新幹線)の開業によって橫川から先、碓氷峠の線路そのものが消失、(※碓氷峠唯一の驛だった熊ノ平 述者藏)輕井澤から先は地域輸送の第三セクターしなの鐵道、えちごトキめきラインと分斷されてはゐるものの、まだわずかでも“國鐵”時代の雰囲氣が殘ってゐることに安堵して、私の旅で追いかけてゐるのはしょせん戻らぬ「過去」であり、その決して辿り着けぬ目的地のために、今日も私は旅情に駆られてゐる。