手に届くやうで届かぬ運命(さだめ)かな。
二子玉川ライズのホールで、金春流「熊坂」を觀る。美濃赤坂で金賣吉次一行を襲撃しやうとして一行にゐた牛若丸に返り討ちされた大盗賊・熊坂長範が、幽靈となって旅僧の前に現れ顛末を語り、救ひを求める曲。牛若丸との大長刀をつかった激闘を、柳生流仕込みとも傳はる勇壮な型で見せる後半、その後半のシテがかける長靈癋見の放つ、人間臭いギラギラした眼が強い印象を殘すが、演能前の金春流能樂師による解説で、「牛若丸に出逢はなかった辨慶が熊坂長範」との解釈が、今回はもっとも印象に殘る。武藏坊辨慶とて、かつては五條橋で武士の腰の物を狙ふ強盗犯であり、橋上で牛若丸に散々翻弄された末に改心し臣従したおかげで英雄として名を殘せたもので、熊坂長範とは紙一重の運命にあったと云へる。熊坂長範の場合は親族の牛を盗んで上手くカネに換へられたことに味をしめたのが盗っ人となるキッカケ云々、ヒトは周りの環境によっても運命が左右されると云へど、しかしその途中で必ず訪れるはずの“転機”をいかに自覺できるかによっても大きく隔るもので、それらをすべて通過してしまった男のひとつの例が、今日觀た人物であることを、しおしおと退場する背中よりしみじみ聴いたひととき。